週報

2024年11月24日   第53巻 47号

礼 拝 順 序              

前  奏 

招  詞 ガラテヤ3:26~29

頌  栄 60

賛  美 詩篇100 恵み

交 読 文 19 詩篇51(843~844頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 218 汚れと辱との

聖  書 ヨハネ17:20~26

メッセージ「世がイエスを信じ、

神の愛を知るように」   竹田 広志師

祈  祷

賛  美 434 語り告げばや   

頌  栄 63

祝  祷          竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日礼拝後、洗礼式を行います。

〇 本日洗礼式の後、のぞみうどんを開店します(一人100円)。会食後、各会を行います。良き交わりをお持ちください。

〇 次週14:30より、千葉教区中高生ユースクリスマス集会「サンドイッチパーティー」を当教会会場で行いますHi-b.a.スタッフのブランコのえみさんがメッセージをされます。中高生、青年の皆様、誘い合わせてご参加ください!女性会有志の方々、サポートをお願いいたします。

〇 教会のミニバザーの献品を受け付けています。開催期間は11月末まで。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 

「世がイエスを信じ、神の愛を知るように」 ヨハネ17:20~26

「また彼ら(弟子たち)についてだけではなく、彼らの言葉によって私を信じる人々についてもお願いします」(:20)。聖書は、神のことばですが、新約聖書は、イエスについての弟子たちの証言と言うこともできます。イエスの祈りは、「世」が弟子たちの語るイエスの十字架と復活の福音、宣教の言葉を聞いて、イエスが神から遣わされた生ける神の御子、罪と死と闇、裁きから救ってくださる救い主だと信じること。イエスを信じる者たちが、互いに愛し合うことによって、「世」が神の愛を知ることです。

「世」がイエスを信じる為に、キリスト者の証詞があります。伝える者がいなくて、誰が聞くことができるでしょうか。イエスの願いは、イエスが地で成された全ての神の業と、イエスのおこころを弟子たちが受け継ぐことです。

イエスの祈りに「ひとつとなるために」という言葉が何度も出てきます。父なる神とイエスはひとつ、イエスと弟子たちはひとつ、弟子たち同士がひとつ。ひとつとは難しい表現ですが、一致と読むこともできます。

教会は一致の場所です。この世の一致とは異なります。イエスによる一致の場です。教会には、御霊による一致、祈りによる(イエスの御名による)一致、イエスの愛による一致があります。枝は枝に繋がることができません。枝がそれぞれに幹に繋がって私たちはひとつです。

【ワーシップ】   「詩篇100」    作詞作曲 中山有太

感謝しつつ主の門に 賛美しつつ大庭に 心合わせ臨在に入れ

主はいつくしみ深い 恵みはとこしえまで その真実は代々に至る

我らは主のもの主の民 その牧場の羊 

知れ主こそ神 喜びの声上げよ  来たれ主の前で 喜びもって仕えよ

          「은혜 恵み」     作詞作曲 ソン・ギョンミン

1、手に入れたもののすべて 過ごしてきた時間すべて

歩んできた道すべて   ただすべてが主のめぐみ

朝日昇り沈むのも    春の花も秋の実も

かわりゆく季節さえも  ただすべてが主のめぐみ

* すべてが 恵み 恵み  恵み 限りない

当たり前のものはない 何一つ すべては主の 恵み

2、この世に生まれたことも ここまで歩んだことも

明日を夢見ることも   ただすべてが主のめぐみ

神の子とされたことも  主を拝し賛美するのも

主を伝える祝福も  ただすべてが主のめぐみ (*おりかえし)

2024年11月17日   第53巻 46号

礼 拝 順 序              

前  奏 

招  詞 Ⅰペトロ2:9~10

頌  栄 60

賛  美 栄光の輝き  聖い御霊よ

交 読 文 37 詩篇119(858~859頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 311 いかに恐るべき

聖  書 ヨハネ17:1~19

メッセージ「神の保護と聖別」          竹田 広志師

祈  祷

賛  美 372 聖なる者と  373 

頌  栄 63

祝  祷                                     竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 教会のミニバザーの献品を受け付けています。開催期間は11月末まで。

〇 次週礼拝後、洗礼式を行います。祝福の中、洗礼式が行われるようにお祈りください。

〇 洗礼式の後、のぞみうどんを開店します(一人100円)。会食後、各会を行います。良き交わりをお持ちください。

〇 本日拝後クリスマス賛美聖歌隊の全体練習を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 

「神の保護と聖別」 ヨハネ17:1~19

本日は最後の夕食の席での、イエスの祈りの内容を読みます。

祈りを三分割しますと、1~5節はご自身の父への願い、6~19節は、残される弟子たちの為のとりなしの願い、20~26節は、「世」が(イエスの弟子たちの宣教を通して、神の愛を知り、)イエスを信じるようにと祈られます。

1.ご自身についての父への祈り(:1~5)

イエスはご自身の「時が来た」ことを知られます。十字架の贖いの死と、復活の勝利、神の右に座し、全ての人を支配する権能を受けられます。神の御子、罪なき生涯を歩まれたイエスが、ご自身の命を献げ、彼を信じる人々に永遠の命を与え、神の救いのご計画が成就する時。イエスがこの地で最大の使命を果たされる時です。イエスにとって、十字架は決断の時(ゲッセマネの祈り)、計り知れない苦難の時ではあります。「私を輝かせてください」と祈られます。

2.弟子たちの為の執り成しの祈り(:6~19)

イエスは父なる神に、弟子たちはあなた(父)が選び、私に与えてくださった者たちですと祈られます。「私は父の御もとに参ります。残る弟子たちを悪しき者から、迫害から守って下さい」と祈られます。そして、彼らが「世」にあって、イエスの言葉を信じ、守り、行う者として、彼らを聖別してくださいと祈られます。私たちは神の言葉、真理によって聖別された生涯を歩む者たちです。「世」に生きる者ですが、「世」のものではなく、イエスのものです。イエスが愛して下さったように、私たちも互いに愛し合うこと、弁護者である聖霊が、「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と仰るイエスの臨在を現わして下さる真理の教師であること、イエスの名によって祈るところに、イエスの御業が現わされること――これらのイエスの教え、言葉に生き、イエスのものとして喜びと平安に満たされ歩みましょう。

【ワーシップ】    「栄光の輝き」     作詞作曲 中山有太

主を慕い求め ほめ歌ささげ 偉大な王を拝します

宮に満ちている栄光の輝き あふれ流れ地に満ちる

主の栄光の輝き放たれて 町を照らし町を生かしてゆく

永遠の光 四方八方照らす 闇はこの光に打ち勝てない

「聖い御霊よ」      作詞作曲 岩淵亮

今 きよい御霊よ  この私を満たして下さい

主の御座から流れ この私をきよめて下さい

御霊にあふれ生きる 主の栄光仰いで

御霊にあふれ生きる 主のみわざ仰いで

2024年11月10日   第53巻 45号

礼 拝 順 序              

前  奏 

招  詞 Ⅰヨハネ5:4~5

頌  栄 60

賛  美 輝く御名  イエスは勝利をとられた

交 読 文 3 詩篇16(830頁)

公同祈祷                    小菅 慶太兄

信仰告白 使徒信条

献  金

奉献祈祷                    

賛  美 458 光の高地に

聖  書 ヨハネ16:25~33

メッセージ「世に勝つ者とは誰か」        竹田 広志師

祈  祷

賛  美 459 世人は敵に

頌  栄 63

祝  祷                                     竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日、子供祝福式を行います。子供たちが神を愛し、隣人を愛する人として成長するように、祝福を祈ります。

〇 本日午後1時~2時半、ナザレ企画(キリスト教葬儀会社)の代表、西田健氏を招いて、終活セミナーを行います。皆さん、ご参加ください。軽い昼食を用意致しています。

〇 今月開催の教会のミニバザーの献品を受け付けています。

〇 次週、礼拝後クリスマス賛美練習を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 

「世に勝つ者とは誰か」 ヨハネ16:25~33

聖書の語る「世」とは、一方では神が造られた全ての世界であり、愛される全ての人です。しかし、他方では、神に背を向けた(神を信じない)、罪と死の鎖に繋がれた、悪の力が蔓延する滅びに至る世界を示しています。

二つ目の意味である「世」の力に対して、人(私)は無力であり、抗う術を持ちません。傲慢(虚栄)・強欲・色欲・暴食・憤怒・嫉妬・怠惰に対して人はそれを制御できません。イエスを十字架につけたのは、まさに人の中にある大罪の故です。世界のあらゆる問題の根本は、「世」の力と、それに打ち勝てない人間の罪に起因します。人のあらゆる問題・悩みの根です。「義人はいない。ひとりもいません」。

イエスに従いきれない弟子たちも同じでした。「世」の力に打ち勝つことができなくて、イエスを裏切ります。イエスは弟子たちにこれから起こる出来事を予めお話になりました。

私たちも弁護者である聖霊に助けていただかなくては、何一つできません。神に従うことも、「イエスを主と告白する」こともできません。ましてや、迫害の中にあってはなおさらです。

イエスは苦しみ・悲しみの中にいる者に語られます。自分の弱さのゆえに、誘惑に陥ってしまう者に語られます。罪責感に打ちひしがれる者に語られます。

「勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている。」

罪なき生涯を歩まれ、私たちの罪の贖いの為に十字架で御命を捨てられ、三日目に罪の報酬である死から復活された、世に勝利された私たちの主イエスが宣言されます。私たちはこのお方の後ろを歩む者たちです。

 

【ワーシップ】  

「輝く御名」         作詞作曲 中山有太

イエスの御名には勝利がある イエスの御名には力がある

イエスの御名には救いがある イエスの御名に栄光あれ

麗しい 素晴らしい あなたの御名盛んになる

色あせない おとろえない 輝く御名ほめたたえる

「イエスは勝利をとられた」 作詞作曲 小坂 忠

イエスは勝利を取られた十字架の上で 

イエスは勝利を取られた十字架の上で

イエスは勝利をすでに取られた 

イエスは勝利をすでに取られた

2024年11月3日   第53巻 44号

礼 拝 順 序              

前  奏 

招  詞 Ⅰペトロ1:8~9

頌  栄 60

賛  美 全ての悲しみ  御腕に抱いて

交 読 文 35 詩篇110(857頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 257 キリストは生きておられる

聖  書 ヨハネ16:16~24

メッセージ「大逆転の勝利への道」        竹田 広志師

祈  祷

賛  美 292 もしも私が 苦しまなかったら

聖 餐 式 49 しみも咎も

頌  栄 63

祝  祷                      竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日午後1時より役員会を行います。

〇 次週礼拝後、幼児祝福式を行います。子供さん、お孫さんをお連れ下さい。

皆で神様の祝福を祈りましょう。   

〇 次週午後1時~2時半、ナザレ企画(キリスト教葬儀会社)の代表、西田健氏を招いて、終活セミナーを行います。皆さん、ご参加ください。軽い昼食を用意致します。

〇 先週の秋の壮年大会には、教会から7名が参加し、祝福されました。

〇 11月開催の教会のミニバザーの献品を受け付けています。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 

「大逆転の勝利への道」 ヨハネ16:16~24

イエスは「しばらくすると私を見なくなり、しばらくすると見るようになる」私は父のもとへ行く」と言われました。イエスの弟子たちは、その意味がわかりませんでした。イエスの言われた言葉はどういう意味なのでしょうか。

・それは十字架と復活です。イエスは十字架の上で死なれ、その身体は墓に葬られます。彼らは大きな苦しみと悲しみを経験します。しかし、三日目にイエスは復活され、彼らはイエスに会い、大きな喜びに満たされます。

・それは昇天と再臨です。イエスが父のもとに帰られるのは、私たちの場所を用意する為であり、永遠の大祭司としてご自身の血をもって執り成す為であり、ご自身の代わりに真理の御霊・弁護者である聖霊を遣わしてくださる為です。イエスが天に昇られるは、弟子たちを見捨て、置いて行かれるのではなく、目的があります。それは私たちに対する神の祝福です。私たちの目には見えなくなられますが、やがてイエスはこの地に来られます。イエスの約束を信じて待つ私たちにとって、その日はどんなに大きな喜びでしょう。

・それはイエスの臨在です。イエスは目には見えませんが、聖霊が救い主イエスを、私たちに現わしてくださいます。「私の主、イエスは生きておられる!」と心から、真実をもって、喜んで告白するのです。イエスが今も生きておられ、世に神の業を成し続けておられる証拠はどこにありますか。私たちがイエスの名によって祈る時に明らかにされます。「よくよく言っておく。あなたがたが私の名によって願うなら、父は何でも与えてくださる。今までは、あなたがたは私の名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば、与えられ、あなたがたは喜びで満たされる」(:23~24)

【ワーシップ】  「全ての悲しみ」    作詞作曲 小坂 忠

全ての悲しみ 全ての恥を 主の喜びに 変えてしまおう

全ての病い 全ての痛みを 主の喜びに 変えてしまおう

(*おりかえし)Yes Lord, yes Lord, yes yes Lord (×3) Amen

倒されても 滅びることはない 呪いに優る主の

祝福が覆い 喜びが私の力となる 悲しみの夜でも 朝に主の喜びが来る

    「み腕に抱いて」    作詞作曲 中山有太

(*おりかえし) 今主よ わたしの心に触れて あなたの御腕に抱いて下さい

全ての疲れた人よ、重荷悩み負う人よ、

イエスの前に出て行こう、全てを今手離そう (*おりかえし) 

あなたの愛に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから

あなたの腕に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから

2024年10月27日   第53巻 43号

礼 拝 順 序              

前  奏 

招  詞 ローマ3:21~24

頌  栄 60

賛  美 死を打ち破り 恵み

交 読 文 11 詩篇32(837頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 32 御心を痛め

聖  書 ヨハネ16:1~15

メッセージ「罪について、義について、裁きについて」    竹田 広志師

祈  祷

賛  美 104 十字架の上に

頌  栄 63

祝  祷                                           竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日礼拝後、クリスマス賛美の全体練習をいたします。(2階会堂にて)

〇 本日午後2時~4時、千葉教区「秋の壮年大会」が成田教会、茂原教会を会場に行われます。教会の車は成田教会へ向けて午後1時に出発します。

〇 11月開催の教会のミニバザーの献品を受け付けています。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 

「罪について、義について、裁きについて」 ヨハネ16:1~15

イエスが言われる、真理の教師、弁護者である聖霊が世の誤りを明らかにします。世の誤りとは何でしょうか。

罪について。義について。裁きについてです。

罪とは、父なる神が遣わされた御子イエスを信じないことです。自分には罪がないという者は、自分自身を偽っている者です。神を、イエスを否定する者です。そのうちには真理がありません。

義について。戒めを守って正しく生きる、自分を誰かと比較しての正しさではありません。義人はいません。一人もいません。イエス・キリストの真実によって、信じる者すべてに現わされた神の義です。人は、イエスの十字架が私の罪の為の贖いの死であると信仰を持って受け入れ、神の前に義とされます。私の救いのために十字架で死に、復活されたイエスを信じる信仰によって義とされます

裁きとは、人は一度死ぬことと、死んだ後さばきを受けることが定まっています。自分の行い、罪について、弁明、申し開きをしなければなりません。全ての人は必ず神の前に立ち、神の裁きを受ける時が来ます。裁きなどはないと神を侮ってはなりません。イエスを信じる者は罪に定められません。

【ワーシップ】  「死を打ち破り」    作詞作曲 長沢崇史

すべての人は見る 偉大な光 暗闇を照らす まことの光

失望はない 主に頼る者 イエスキリストは生きている

死を打ち破りよみがえられた 全ての鎖(くさり)解き放つ

主イエスの名を呼ぶ者はみな救われる 救われる

*イエスは主 イエスは主 救い主(×2)

        「은혜 恵み」      作詞作曲 ソン・ギョンミン

1、手に入れたもののすべて 過ごしてきた時間すべて

歩んできた道すべて   ただすべてが主のめぐみ

朝日昇り沈むのも    春の花も秋の実も

かわりゆく季節さえも  ただすべてが主のめぐみ

* すべてが 恵み 恵み  恵み 限りない

当たり前のものはない 何一つ すべては主の 恵み

2、この世に生まれたことも ここまで歩んだことも

  明日を夢見ることも   ただすべてが主のめぐみ

  神の子とされたことも  主を拝し賛美するのも

  主を伝える祝福も    ただすべてが主のめぐみ (*おりかえし)

2024年10月20日   第53巻 42号

礼 拝 順 序              

前  奏 

招  詞 エレミヤ1:4~8

頌  栄 60

賛  美 詩篇100 その日全世界が

交 読 文 12 詩篇33(838頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 191 慕いまつる主なるイエスよ

聖  書 ヨハネ15:16~27

メッセージ「私があなたがたを選んだ」      竹田 広志師

祈  祷

賛  美 437 行きて告げよあまねく

頌  栄 63

祝  祷                                               竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日礼拝後、大掃除を行います。洗礼槽の掃除もします。ご協力下さい。

〇 今週24日(木)CGNTVの撮影が行われます。竹田師の三回の説教の奉仕が祝福されるようにお祈り下さい。

〇 次週礼拝後、クリスマス賛美の全体練習をいたします。(2階会堂にて)

〇 次週日曜日午後2時~4時、千葉教区「秋の壮年大会」が成田教会、茂原教会を会場に行われます。教会の車は成田教会へ向けて午後1時に出発します。

〇 11月開催の教会のミニバザーの献品を今週から受け付けます。

〇 昨日の「音楽のつどい」が祝福されたことを感謝します。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「私があなたがたを選んだ」 ヨハネ15:16~27

イエスの選び(:19)、神の選び、それは、イエスによって救いを受けた私たちの新しい祝福の鍵であり、キリスト(の道を歩む)者の生命線となります。

イエスは私たちを選び任命して下さいました。任命された者の働きの責任は、任命されたイエスにあります。

任命には、その働き・目的があります。

〇 出て行って実を結ぶこと キリストのからだである教会、その枝である私たちの使命は、宣教です。イエスを、その福音を宣べ伝え、多くの人がイエスの十字架と復活の福音を聞き、信じて、罪の赦しと永遠の命を得るためです。

〇 イエスの名によって祈ること イエスに任命されたその使命は「イエスの名によって祈る」ことです。そして、祈りの結果である神の応答、神の栄光のみわざを得ることです。

〇 イエスが愛したように、互いに愛し合うこと 道に迷ったら、十字架に帰ることです。イエスの愛に立ち戻ることです。人を愛せなくなったら、十字架に帰ることです。イエスの愛に立ち戻ることです。神の恵みを失ったと思ったら、十字架による神の愛、救いの喜びに帰ることです。イエスの愛にとどまり続ける、とはそういう道です。

迫害の予告(:18~27)。「宣教」の使命に生きようとする時、この世と調子を合わすことなく、神の前に正しく生きようとする時、私たちは世に憎まれ、迫害されます。しかし、知ってください。私たちの傍らには、弁護者である聖霊がいつも共にいて下さいます。

【ワーシップ】 「詩篇100」      作詞作曲 中山有太

感謝しつつ主の門に 賛美しつつ大庭に 心合わせ臨在に入れ

主はいつくしみ深い 恵みはとこしえまで その真実は代々に至る

我らは主のもの主の民 その牧場の羊

知れ 主こそ神 喜びの声上げよ  来たれ 主の前で 喜びもって仕えよ

「その日全世界が」     作詞・作曲 長沢崇史

我が神主よ見させ給え 偉大なるその計画

天が開き光が満ち シオンの上に留まる

救いのみわざ全地を覆い 喜びの歌響かせ

その正義は平和を呼ぶ 主の御霊が流れる

(おりかえし)その日全世界が主の御名高く掲げる

叫べ王の王イエスに ハレルヤ栄光とわにあれ

王の王なる主イエスに 全能なる主イエスに

勝利者なる小羊に 栄光とわにあれ

2024年10月13日   第53巻 41号

礼 拝 順 序              

前  奏 

招  詞 第一ヨハネ3:16~18

頌  栄 60

賛  美 神の家族 イエスが愛したように

交 読 文 32 詩篇103(854~855頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 108 丘に立てる荒削りの

聖  書 ヨハネ15:12~15

メッセージ「最も大きな愛」           竹田 広志師

祈  祷

賛  美 387 一粒の麦

頌  栄 63

祝  祷                       竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日礼拝後、上半期会計監査を行います。

〇 本日午後1時より役員会を行います。

〇 明日14日、東京基督教大学においてシオン祭りが開催されます。

〇 今週19日(土)午後1時半~3時、「音楽の集い」伝道会が行われます。ゲストはサックス奏者の武間恵洋師(中井町友愛キリスト教会牧師)です。入場は無料です。お誘いあわせの上、ご参加ください。車の送迎を希望される方は、仲村義男兄まで申し出て下さい。

〇 次週礼拝後、大掃除を行います。各自雑巾をお持ちください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「最も大きな愛」 ヨハネ15:12~15

聖書を読み、何を知るに優って知るべきことは「イエスの死」についての意味です。何ゆえにイエスは十字架の上で死なれたのか。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(12:24)。イエスの死によって、多くの人が救いを得る。命を得る為です。イエスの十字架の死の意味は、神の愛です。ここに神の愛があります。

再びイエスは弟子たちに言われます「私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の戒めである」そして、その愛がどのようなものであるかを語られます。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」。私があなたがたを愛する愛とは、「友のために(あなたがたのために)命を捨てること」だと言われます。そして、あなたがたも私の命じているように生き、実行するならば、あなたがたはもはや僕ではなく「友」だと言われます。 * 三浦綾子著作、「塩狩峠」

間もなくイエスは、今ご自身が語られた最大の愛を示されます。十字架の上でご自身の命を捨てられます。それは「友の為に命を捨てる」愛であり、最も大きな神の愛です。十字架でイエスが命を捨てられたのは、あなたを罪と滅びから救うためです。私達の罪の身代わりとなって、罪のない正しいお方が打たれ、罰を受け、死んで下さったのです。私たちはいつそんなに大きな罪を犯したのでしょう。イエスの十字架を通して知るのは、あなたの罪の大きさです。私達の「罪」は、滅びを宣告されるそれほどに深刻なものです。

イエスは、全ての人々の救いの為に犠牲となり、十字架で死んでくださいました。それは、私達に対する最も大きな愛。イエスの愛です。十字架にイエスをつけていたのは、3本の釘ではなく、私たちに対するイエスの愛です。

【ワーシップ】 

            「イエスが愛したように」 作詞作曲 長沢崇史

イエスが愛したように 私たちも愛し合う

その愛の中で枝となるとき 多くの実を結ぶ

イエスが愛したように 私たちも愛し合う

人が友のため 命を捨てるほどの愛はない

共に支え合い共に助け合う イエスの愛で

共に祈り合い共に笑い合う イエスの愛の中

    「神の家族」          作詞作曲 長沢崇史

どんな宝石より美しく尊い 神の愛によって結ばれた関係

神の家族 キリストにあってひとつ 神の家族 永遠に続く家族

ひとつの体分け合う 欠けてはならない存在

共に泣きともに喜ぶ 愛により建てられていく


2024年10月6日   第53巻 40号

礼 拝 順 序              

前  奏 

招  詞 ガラテヤ5:22~26

頌  栄 60

賛  美 命の水 イエスが愛したように

交 読 文 20 詩篇57(844頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 203 ああイエス君 こよなき友よ

聖  書 ヨハネ15:1~11

メッセージ「私につながっていなさい」      竹田 広志師

祈  祷

聖 餐 式 49 しみも咎も

賛  美 332 主はまことのぶどうの木です

頌  栄 63

祝  祷                       竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日礼拝後、「音楽の集い」のチラシ配布を行います。ご協力ください。

〇 本日午後1時より役員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

★★ 10月の音楽の集い案内 ★★

10月19日(土)午後1時半~3時 入場無料

ゲスト:武間恵洋師(中井町友愛キリスト教会牧師、サックス奏者)

【説教要約】 「私につながっていなさい」 ヨハネ15:1~11

イエスは言われます「私は(まことの)ぶどうの木、あなたがたはその枝です」(:5)。「私につながっていなさい」(:4)。イエスとしっかりとつながっている心、生活、日々が大切です。「私につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」(:5)イエスにつながっているならば、ぶどうの木がぶどうの実を結ぶように、イエスと同じ実を豊かに結びます。

神は、私たちが何を為したか(Doing)よりも、私たちがどうあったか(Being)を求められます。イエスの実は、御霊の実です(ガラテヤ5:22~23)。「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」神に対して、人に対し、自分に対し、国、社会や自然界、世界に対してそのような者となります。

イエスにつながる者は永遠の命に至る実を結びます。それは、福音宣教の先に、イエスを信じる者が結ぶ実です。ぶどうの木と枝の譬えにあるように、イエスと私たちとの関係は特別な生命的なつながりを意味します。

イエスにつながるとは、イエスの言葉にとどまること、祈りの生活にとどまること、イエスの愛の内にとどまることです。

私たちはイエスにつながっていたい。しかし、しっかりといつまでもつながっていられるかどうか、私たちは不安になります。大丈夫です。「私もその人とつながっていよう」と仰って、その私たちの伸ばした手をイエスは決して離されません。力強いその御手でしっかりと掴んでくださっています。

【ワーシップ】  

「命の水」      作詞作曲 田中満矢

ここに命の水があふれ流れる 罪も汚れも洗いきよめられる

飢え渇く者すべて満たされていく 命なき者全て花を咲かす

全てが生きる その水は癒し 全てが生きる その水は命

全てが生きる その水は満たし わたしは生きる

あなたが源(みなもと) 我が命 力 とこしえに

あなたが源 あふれ流れ川となる

決して変わらない命の泉 信じる者みな生き返る

決して揺るがない命の泉 全て麗しく生き返る

「イエスが愛したように」 作詞作曲 長沢崇史

イエスが愛したように 私たちも愛し合う

その愛の中で枝となるとき 多くの実を結ぶ

イエスが愛したように 私たちも愛し合う

人が友のため 命を捨てるほどの愛はない

共に支え合い共に助け合う イエスの愛で

共に祈り合い共に笑い合う イエスの愛の中

2024年9月29日   第53巻 39号

礼 拝 順 序              

前  奏 

招  詞 ローマ5:1

頌  栄 60

賛  美 栄光の輝き   静まって知れ

交 読 文 20 詩篇57(844頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 254 心にあるこの安きを

聖  書 ヨハネ14:27~31

メッセージ「イエスの与える平和」        竹田 広志師

祈  祷

賛  美 247 神の賜う安けさは

頌  栄 63

祝  祷                                     竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日午後2時半より、教区のアフターキャンプ集会「ちばっ子」が千葉栄光教会で行われます。教会を1時半に出発します。

〇 次週近隣に音楽の集いのチラシ配布を行います。ご協力ください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

★★ 10月の音楽の集い案内 ★★

10月19日(土)午後1時半~3時 入場無料

ゲスト:武間恵洋師(中井町友愛キリスト教会牧師、サックス奏者)

【説教要約】 「イエスの与える平和」 ヨハネ14:27~31

聖書協会共同訳聖書見出し 聖霊を与える約束

本日のイエスが最後の夕食の席で弟子たちに語られた大事なメッセージは、「私の平和を与える」です。これから弟子たちは、イエスを失う絶望感と、自分たちの身に迫る危険の中に落とされることになります。彼らに必要なのは何でしょうか。「心を騒がせるな」「おびえるな」「平安」です。

「平和」εἰρήνηエイレイネー(ギリシア語)は、שלום シャローム(ヘブル語)で、挨拶にも使われますが、「平和」「平安」「繁栄」「健康」「充足」「知恵」「救い」「勝利」など、多種の意味に使われます。人が全てにおいて満ち足りている状態を表します。

ここで大事なのは、「イエスの与える平和」です。言葉を変えると、イエスだけが私たちに与えることのできる平和です。それは私たちがこの世から受け取る平和とは全く異なるものです。

イエスの与える平和とは、私たちの罪がイエスの十字架の死によって取り除かれ、神との平和を基とした平和です。この世から得るものではありません。神との平和を基とし、自分との平和、隣人との平和、世界との平和を築くものです。神を愛し、自分を愛し、隣人を愛す、と同義のものです。

イエスの与える平安とは、周辺の変化によって奪われたり、吹き飛んでしまったりするようなものではありません。私たちの内に持つ平安です。それは、主イエス・キリストご自身を、私たちの内に持つことです。

イエスのことばは信じる者の内に実現します。イエスはこの朝も言われます「私の平和を与える」。この平和をしっかりと信仰をもって受け止め、この平和を、あなたの家庭に、あなたの隣人に、あなたの生活の場に、又、病に苦しむ人々の中に、争いのある場所に、主によって遣わされ、持ち運んで行きましょう。

【ワーシップ】  

「栄光の輝き」     作詞作曲 中山有太

主を慕い求め ほめ歌ささげ 偉大な王を拝します

宮に満ちている栄光の輝き あふれ流れ地に満ちる

主の栄光の輝き放たれて 町を照らし町を生かしてゆく

永遠の光 四方八方照らす 闇はこの光に打ち勝てない

「静まって知れ」    作詞作曲 Darlene Zschech

1 御翼の陰に隠し 力ある御腕の中に 逆巻く大海を越え主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

2 キリストの中に憩い 信頼と主の力知る いかずち鳴り渡る中主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

2024年9月22日   第53巻 38号

礼 拝 順 序              

前  奏 

招  詞 ゼカリヤ4:6~7

頌  栄 60

賛  美 COME今主をあがめ 聖い御霊よ

交 読 文 37 詩篇119(858~859頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                 

賛  美 409 燃ゆる御霊よ

聖  書 ヨハネ14:16~26

メッセージ「弁護者である聖霊」         竹田 広志師

祈  祷

賛  美 416 聖霊来れり(4番まで)

頌  栄 63

祝  祷                                     竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 次週午後2時半より、教区のアフターキャンプ集会「ちばっ子」が千葉栄光教会で行われます。竹田師は奉仕で出かけます。

〇 先週16日(祝日)千葉聖会に17名の方々が教会から参加され、祝福された事を感謝します。 

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「弁護者である聖霊」 ヨハネ14:16~26

聖書協会共同訳聖書見出し 聖霊を与える約束

イエスの最後の夕食で弟子たちへの大事な教え。本日は、あなたがたに「弁護者(助け主)Παρακλητοςパラクレイトス(=助言者、仲介者、相談役、支持者、保護者)なる聖霊を与える、遣わす」です(:16,17,26)。

私たちの信じる神は、三位一体のお方です。三にして一つのお方。神は、神おひとりであられ、交わりの神。神は愛です。父なる神、全能の創造主。子なるイエス、救い主。そして、聖霊なる神、弁護者(助け主)です。

パラクレイトスとは、援助の為にそばに呼ばれた者、とりなしてくれる人という意味合いがあります。ギリシア語では特に法的な弁護人として使われます。

「弁護者(助け主)である聖霊」は、「すべてのことを教え、私が話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」(:26)とイエスは言われます。

イエスのみことばを思い起こす経験を私たちはします。イエスのみことばが開いて光を放ち、みことばを悟る経験を私たちはします。イエスのみことばに生きる(従う)力が与えられます。聖霊がそうされます。 

イエスの最も大切な使命は、人となり、罪なき生涯を歩まれ、私たちの罪の為に死に、復活されることでした。聖霊の最も大きな使命は、このイエスご自身の臨在を現し、イエスの生涯の意味を悟らせ、私たちをイエスの教えに生きる者とすること。聖霊は常に、人となられたイエスを私たちに示すお方です。

「もうひとりの弁護者」。もうひとりとは、ひとりはイエス、ひとりは聖霊です。イエスに交代して父なる神から遣わされることを意味しています。今は聖霊の時代です。イエスが弟子たちを教え、導き、共に歩まれたように、今、イエスの代わりに聖霊が私たちを教え、導かれます。

「聖霊」は私たちがどんな迫害や逆境の中にあっても、キリストの教えに生き、命がけで「イエスは私の主である」という証言をする力を与えます。

【ワーシップ】  

「COME 今主をあがめ」 作詞作曲 Brian Doerksen    

COME 今主をあがめ COME今心ささげ COMEありのまま主を

COMEさあ来てたたえよ COME

来る日に全てのもの 主イエスを拝する 今主をあがめる者なんと幸い

COME COME COME

「聖い御霊よ」     作詞作曲 岩淵亮

今 きよい御霊よ  この私を満たして下さい

主の御座から流れ この私をきよめて下さい

御霊にあふれ生きる 主の栄光仰いで

御霊にあふれ生きる 主のみわざ仰いで

2024年9月15日   第53巻 37号

礼 拝 順 序              

前  奏 

招  詞 フィリピ2:9~11

頌  栄 60

賛  美 輝く御名   栄光あらわしたまえ

交 読 文 10 詩篇31(836~837頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 142 イエス君の御名に

聖  書 ヨハネ14:7~15 

メッセージ「イエスの名によって祈る」      竹田 広志師

祈  祷

賛  美 195 イエスの許に

頌  栄 63

祝  祷                                     竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日敬老者の祝福をお祈りします。教会から80歳以上の方々に、ささやかな御言葉の短冊をプレゼントいたします。

〇 本日礼拝後、クリスマス賛美パート練習を行います。

〇 明日、午前10時から山崎製パンクリエーションセンターで千葉聖会が開かれます、教会の車は午前8時半に教会を出発します。 

  当日聖歌隊賛美に参加される方は、上は白、下は黒の服装でお願いします。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「イエスの名によって祈る」 ヨハネ14:7~15

「私(イエス)の名によって祈りなさい」それは、イエスが最後に弟子たちに教えられた神への新しい祈りです。「今までは、あなたがたは私の名によっては何も願わなかった。」「よくよく言っておく。あなたがたが私の名によって願うならば、父は何でも与えて下さる」(16:23~24)

どの様に祈ったら良いですかと聞かれることがあります。その場合、「神様に呼びかける最初の言葉は、『天の父なる神様』です。そして感謝の言葉,願いの言葉を告げ、最後に『主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン』と祈ってください」と伝えます。「イエスの名によって祈ります。アーメン(IN JESUS NAME. AMEN)」は、私たちの祈りの最後の言葉です。世界中のキリスト者が、イエスの名によって(通して)お祈りして、神に求めています。それはイエスがそのように祈りなさいと教えられたからです。これは、当然他の宗教の祈りにはない、キリスト者の祈りの言葉です。イエスが弟子たちに教えられ、私たちが引き継いでいる大事な祈りについての教えです。

イエスの名による祈りには、全ての名に優るイエスの力と権威があります。イエスの十字架の命と、復活の栄光が注がれている神の保証です。「イエスの名によって祈る」その祈りに、私たちはどれくらい信仰的な自覚、必ず応えてくださるという期待、確信を持っているでしょうか。

私たちは、イエスの御名を呼び求める者たちであり、キリストの御名を全世界に運ぶ選びの器です。イエスの名によって祈る時に、イエスの御業が起こります。「もっと大きなことを行います。」世界中に散らされて行った多くのイエスの弟子たちが、イエスの御名によって、その業を行うということです。私たちは、大胆に信仰をもって、イエスの名によって「祈り」「求め」「祝福し」「癒しを運ぶ」者でありたい。ご自身の名にかけて、必ず主はあなたのどんな祈りにも応えてくださいます。

【ワーシップ】   

 「輝く御名」      作詞作曲 中山有太

イエスの御名には勝利がある イエスの御名には力がある

イエスの御名には救いがある イエスの御名に栄光あれ

麗しい 素晴らしい あなたの御名盛んになる

色あせない おとろえない 輝く御名ほめたたえる

「栄光あらわしたまえ」   作詞作曲 MARK ATRAUSS

1、主よ満たし給え 主よ今触れたまえ 主の栄光あらわし我らを用い給え

強く聖霊の風で 深く心を満たし 広く天を開いて栄光あらわし給え

2、主の隠れ家で 主の愛に包まれ 主のみ顔を仰ぐ栄光輝く時

強く聖霊の風で 深く心を満たし 広く天を開いて栄光あらわし給え

2024年9月8日   第53巻 36号

礼 拝 順 序              

前  奏 

招  詞 フィリピ3:20~21

頌  栄 60

賛  美 死を打ち破り 花も 

交 読 文 3 詩篇16(830頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 457 憂いと罪より

聖  書 ヨハネ14:1~6

メッセージ「天国へのただ一つの道」       竹田 広志師

祈  祷

賛  美 301 わが行く道 いついかに

頌  栄 63

祝  祷                                     竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日午後1時より役員会を行います。

〇 次週(15日)礼拝後、10分後からクリスマス賛美パート練習を行います。楽譜を持参してご参加ください。  

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「天国へのただ一つの道」 ヨハネ14:1~6

弟子たちの中で「私を裏切る者がいる」と言われたイエスの言葉で、弟子たち全てに不安が拡がったでしょう。

「心を騒がせてはならない」とイエスは言われます。イエスはこれから捕らえられ、十字架に掛けられ、そして死んで葬られ、復活され、父の御許へ行かれます。これから起こることです。弟子たちは大きな衝撃を受け、絶望し、不安と恐れに包まれる事でしょう。「神を信じ、また私を信じなさい。」「信仰を持ち続けなさい。」「信じ続けなさい。」とイエスは言われます。

私たちの人生に波風が打ち付け、恐れに囲まれる時、「心を騒がせるな。神を信じ、また私を信じなさい」と仰るイエスの力ある無二の言葉を聞きましょう。

イエスは愛する弟子たちのもとを去り、父のもとへ行かれます。

「私の父の家には、住まいがたくさんある。あなたがたのために場所を用意しに行くのだ。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたを私のもとに迎える。私のいる所に、あなたがたもいることになる。」

「わたしが天国に住まいを、あなたがたのために用意する。」誰がこのように言う者がいるでしょうか。歴史の中にいますか。あなたの周りにいますか。

このような言葉を語る者は、大ウソつきのペテン師か、誇大妄想狂か、本物の救い主だけです。イエスは誰でしょうか。

「わたしが道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない」歴史の中には道を語り、道を示す多くの宗教家、哲学者、指導者達もいました。しかし、イエスは、「私が道である。」と言われます。イエスを信じ、イエスから目を離さないで、イエスに従い続けていくことこそが、父の家、天の御国に至るただ一つの道です。

【ワーシップ】 

「死を打ち破り」    作詞作曲 長沢崇史

すべての人は見る 偉大な光 暗闇を照らす まことの光

失望はない 主に頼る者 イエスキリストは生きている

死を打ち破りよみがえられた 全ての鎖(くさり)解き放つ

主イエスの名を呼ぶ者はみな救われる 救われる

*イエスは主 イエスは主 救い主(×2)

「花も」        MEBBIC

1、ここに泉は湧く涙を過ぎる時 やがて実を結び笑い声に満ちる

(おりかえし)花も雲も風も大海も 奏でよう奏でようイエスを

空に響け歌え魂よ  恵みを 恵みを 恵みを

2、仰げ天は開き僕らは見るだろう やがて花は咲き栄光の主が来られる

(おりかえし)

2024年9月1日   第53巻 35号

礼 拝 順 序              

前  奏 

招  詞 第一ヨハネ2:7~11

頌  栄 60

賛  美 御腕に抱いて イエスが愛したように 

交 読 文 59 第一ヨハネ4(876~867頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 216 ここに真の愛あり

聖  書 ヨハネ13:31~35

メッセージ「新しい戒め」            竹田 広志師

祈  祷

聖 餐 式 49 しみも咎も 

賛  美 382 心から願うのは

頌  栄 63

祝  祷                      竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日午後1時より役員会を行います。

〇 今週3日(火)10時半~教区牧師会が大網教会で開かれます。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

◆◆ 千葉聖会のご案内 ◆◆

9月16日(月・祝)山崎製パン総合クリエーションセンターで千葉聖会が開かれます。是非、皆さんご参加ください。参加される方は玄関受付の申込書に、名前・年齢。弁当注文などを記載ください。申し込み締め切り、本日まで。

【説教要約】 「新しい戒め」 ヨハネ13:31~35

ヨハネ13章において、イエスが弟子たちを最後まで愛し抜かれたその愛を、「洗足」「パンをぶどう酒に浸し、ユダに渡される」記事を通してみてきました。イエスはその生涯において、ご自身の愛を十分に弟子たちに示され、「私は新しい戒めをあなたがたに与える」と言われます。イエスの教えの総決算となります。

「互いに愛し合いなさい」は古く旧約聖書の時代から命じられる、神の大事な戒めですが、イエスは「新しい戒め」として再びこの戒めを弟子たちに告げます。その上で「私があなたがたを愛したように」と言われます。イエスはその愛を示されて、「私が愛したように」と言われるのです。

与える愛、十字架の愛。パウロは、イエスの教えを短い言葉で、「受けるより与える方が幸いである」とまとめました。(使徒20:35)私達の人生で大事なのは、何を得たかではなく、何を与えたかです。イエスは十字架の死と復活によって、ご自身の命、永遠の命を私たちに与えて下さいました。イエスが愛して下さったように、それが私たちへのイエスの新しい戒めです。

赦す愛、十字架の愛。イエスは裏切る弟子たちをも最後まで愛し抜かれました。どんな罪でも、イエスはその罪を悔い改める者に赦しを与えて下さいます。私たちも、私たちに罪を犯す者を赦して生きていきます。それが「イエスが愛してくださったように」生きることです。

「御子は私たちのために命を捨てて下さいました。それによって私たちは愛を知りました。だから、私たちも兄弟のために命を捨てるべきです」(第一ヨハネ3:16)

【ワーシップ】 

「み腕に抱いて」     作詞作曲 中山有太

(*おりかえし) 今主よ わたしの心に触れて あなたの御腕に抱いて下さい

全ての疲れた人よ、重荷悩み負う人よ、

イエスの前に出て行こう、全てを今手離そう (*おりかえし)

あなたの愛に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから

あなたの腕に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから

「イエスが愛したように」 作詞作曲 長沢崇史

イエスが愛したように 私たちも愛し合う

その愛の中で枝となるとき 多くの実を結ぶ

イエスが愛したように 私たちも愛し合う

人が友のため 命を捨てるほどの愛はない

共に支え合い共に助け合う イエスの愛で

共に祈り合い共に笑い合う イエスの愛の中

2024年8月25日   第53巻 34号

礼 拝 順 序              

前  奏 

招  詞 詩篇32:1~5

頌  栄 60

賛  美 詩篇100 イエスが愛したように 

交 読 文 11 詩篇32(837頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 221 ああ主の瞳

聖  書 ヨハネ13:21~30、36~38

メッセージ「裏切る者を愛し」          竹田 広志師

祈  祷

賛  美 447 あなたのもてる悩みは

頌  栄 63

祝  祷                      竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日礼拝後「のぞみうどん」を開店します(一人100円)。会食の後、各会を行います。

〇 今週26日(月)19時半~教区キャンプ委員会がZOON会議で行われます。

〇 今週28日(水)から祈祷会を再開します。

〇 今週ののぞみカフェは休止となります。

〇 今週29日(木)10時~教区賛美委員会が勝田台教会で行われます。

〇 1階玄関ホールで、皆様の献品によるチャリティ献品会を開催しています。

ご活用と募金にご協力ください。(本日まで)

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「裏切る者をも愛し」 ヨハネ13:21~30、36~38

イエスが捕らえられた決定的な出来事は弟子、ユダの裏切りです。ユダはどうしてイエスを裏切ったのでしょう。・金に目がくらんだ。お金の魔力は人を狂わせます。・イエスが王になることを信じていたが裏切られた。人の思想や、信念、理想、世論が人を狂わせます。・ユダに悪魔が入った。神が予定されていたことであった。(:27)闇の力に支配され、自分では抗えないことがあります。・マリアの香油注ぎで、自分の意見がイエスに認められず恥をかいた。人は小さなことにつまずきます。

最後の夕食の席で、イエスははっきりと言われます「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりが、私を裏切ります。」弟子たちの間に衝撃が走ります。彼らは「誰が、主を裏切るのか?」という思いで頭がいっぱいになります。この言葉に身に覚えのあるのはユダだけです。夕食の前にユダは金を既に受け取っていました。

ここでイエスはユダに最大の愛を示されます。パンをぶどう酒で浸し、ユダに渡されます。イエスの行為は、ユダよ、あなたの為にも私は命を捨てる。パンをぶどう酒で浸し、渡すのは、「あなたは最後まで私の生涯の友だ」という親愛の行為です。ユダはその後間もなく、イエスに接吻という親愛のしるしをもってそれに答えます。ユダの行為、それは裏切りの「死の接吻」と呼ばれます。

右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい。敵を愛し、迫害する者の為に祈りなさい。7度を70倍するまでに赦しなさいと言われた、イエスの言葉を、ユダは思い起こせなかったのでしょうか。あなたは思い起こせないのでしょうか。

赦されない罪はありません。イエスは悔い改める者の全ての罪を赦し、罪を犯す前と変わらず愛してくださるお方です。

【ワーシップ】 

「詩篇100」      作詞作曲 中山有太

感謝しつつ主の門に 賛美しつつ大庭に 心合わせ臨在に入れ

主はいつくしみ深い 恵みはとこしえまで その真実は代々に至る

我らは主のもの主の民 その牧場の羊

知れ 主こそ神 喜びの声上げよ  来たれ 主の前で 喜びもって仕えよ

「イエスが愛したように」 作詞作曲 長沢崇史

イエスが愛したように 私たちも愛し合う

その愛の中で枝となるとき 多くの実を結ぶ

イエスが愛したように 私たちも愛し合う

人が友のため 命を捨てるほどの愛はない

共に支え合い共に助け合う イエスの愛で

共に祈り合い共に笑い合う イエスの愛の中

2024年8月18日   第53巻 33号

礼 拝 順 序              

前  奏 

招  詞 申命記31:8

頌  栄 60

賛  美 聞け我らの賛美 イエスが愛したように 

交 読 文 19 詩篇51(843~844頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 267 渇けるわれは上より賜う

聖  書 ヨハネ13:1~20

メッセージ「最後まで愛し通された」       竹田 広志師

祈  祷

賛  美 404 弟子となし給え

頌  栄 63

祝  祷                                     竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 今週の祈祷会、今月ののぞみカフェは休止となります。

〇 1階玄関ホールで、皆様の献品によるチャリティ献品会を開催しています。ご活用と募金にご協力ください。(8月25日まで)

○ 本日礼拝後、10分後から約40分間クリスマス賛美パート練習を行います。配布された楽譜をご用意ください。

○ 今週23日(金)竹田師は千葉聖会会場打ち合わせで、山崎製パン総合クリエーションセンターへ出かけます。

○ 次週礼拝後、各会の前に「のぞみうどん」を会食致します(1人100円)。冷やし、または温めのご希望を玄関受付の申し込み表にご記入ください。

○ 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「最後まで愛し通された」 ヨハネ13:1~20

「イエスこの世を去りて父に往くべき己が時の来たれるを知り、世に在る己の者を愛して極みまで之を愛し給へり。」(文語訳)

イエスは弟子たちを極みまで愛し通されました。弟子のユダに裏切られることも、ペトロに三度否まれることも、弟子たちがイエスのもとから逃げ去ることも全てご存じで、彼らを愛し通されました。イエスは私たちがどのような者であれ、決して見捨てることなく、最後まで愛し通されるお方です。

ヨハネによる福音書には、最後の食事の記事にパンとぶどう酒による聖餐の記事はありませんが、「洗足」と「告別説教と祈り」があります。

イエスが手拭いとたらいに水を用意されて、次々に弟子たちの足を洗われます。地座りの食卓で、汚れた足で食事の席に着くことは気持ちのいいものではありません。ペトロは自分の番になりました時に、イエスに「主よ、私の足を決して洗わないでください」と言います。本来は弟子である自分が、師であるイエスの足を洗うべきです。しかし、イエスはペトロに言われます。「後で分かるようになる」(:7)。「もし私があなたを洗わないなら、あなたと私は何の関りもなくなる」(:8)と言われます。

後で分かることとは何でしょうか。イエスは私たちの罪・汚れを、汚れた足を洗うように、しもべとなって洗い流して下さるお方です。イエスと私の関りは、十字架の血潮によって罪を取り除くお方と、罪を洗われる私なのです。

イエスは、「師である私に倣う者となりなさい。互いに足を洗い合いなさい」と言われます。隣人の足を洗う、イエスに倣う生き方とはどのようなものでしょうか。

【ワーシップ】 

「聞け、我らの賛美」    作詞:作曲 Reuben Morgan

1 主の家は踊り出し喜びが街に 不義は主にひれ伏し人は変えられる

* 山から谷へと 主の歌響け 全ての国民 賛美で満たせ

2 主の光よ輝け暗闇を照らせ 十字架の栄光よ全地に満ちよ

* おりかえし

ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ×2  * おりかえし

「イエスが愛したように」 作詞作曲 長沢崇史

イエスが愛したように 私たちも愛し合う

その愛の中で枝となるとき 多くの実を結ぶ

イエスが愛したように 私たちも愛し合う

人が友のため 命を捨てるほどの愛はない

共に支え合い共に助け合う イエスの愛で

共に祈り合い共に笑い合う イエスの愛の中

2024年8月11日   第53巻 32号

礼 拝 順 序              

前  奏 

招  詞 ローマ10:9~13

頌  栄 60

賛  美 死を打ち破り 主は良いお方 (リード)

交 読 文 26 詩篇84(849頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 262 わが生涯は

聖  書 ヨハネ12:37~50

メッセージ「信仰と告白」            竹田 広志師

祈  祷

賛  美 357 何ゆえ御神は

頌  栄 63

祝  祷                                     竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 竹田牧師は、今週12日(月)~17日(土)休暇をとります。

〇 今週の祈祷会、今月ののぞみカフェは休止となります。

〇 1階玄関ホールで、皆様の献品によるチャリティ献品会を開催しています。ご活用と募金にご協力ください。(8月25日まで)

○ 次週礼拝後、クリスマス賛美練習を行います。楽譜をご持参ください。

○ 今月28日、礼拝後各会の前にのぞみうどんを用意いたします。冷やし、または温めのご希望を玄関受付の申し込み表にご記入ください。

○ 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「信仰と告白」 ヨハネ12:37~50

〇イエスを神の御子、メシアと信じないユダヤ人たち(:37~41)信仰

ユダヤ人がイエスを信じなかった理由を、イザヤが預言しています。「神が、そのようにされた。彼らの目を見えなくし、心をかたくなにされた。目で見ず、心で悟らず、神に立ち返ることがないために。」(:40)不思議なのは、神が、民衆の心をかたくなにされて、イエスを拒絶しているという表現で記されていることです。イエスを信じない、かたくなな選びの民ユダヤ人、イエスを喜んで受け入れる異邦の民、という、私たちには理解の難しい神のご計画があります。神の民ユダヤ人の本来の使命は、彼らが世界に神の祝福を与える祝福の基となることです。しかし、神が遣わされたメシアであるイエスをユダヤ人が拒絶するという形で、世界に神の祝福・栄光が拡がっていきます。神のご計画は計り知れません。(歴史の中で、又、今日もその事実が示されています)

〇 信じても告白できないユダヤの指導者たち(:42~43)告白

彼らは神の目よりも、人の目を気にします。イエスを信じる告白をすると、会堂から追い出されるからです。人間の弱さがあります。告白できない世の圧力があります。又、神からの誉れよりも、人からの誉れを好んだからです。今日、私たちは福音を恥としない、イエスを信じることを恥としない、どんな圧力にも躊躇しない者、大胆に信仰を告白する者でありたい。そのように聖霊に満たされて歩みたいと思います。

〇 イエスの最後の訴え(:44~50)

イエスと神はひとつです。イエスを信じることは神を信じること。イエスを見ることは神を見ること。イエスのことばは神のことばです。イエスを信じる者は光の中を歩み、永遠の命を受け取ります。「あなたはメシア、生ける神の子です。」と信じて告白する者は救われます。

【ワーシップ】  

「死を打ち破り」    作詞作曲 長沢崇史

すべての人は見る 偉大な光 暗闇を照らす まことの光

失望はない 主に頼るもの イエスキリストは生きている

死を打ち破りよみがえられた 全ての鎖(くさり)解き放つ

主イエスの名を呼ぶものはみな救われる 救われる

イエスは主 イエスは主 救い主(×2)

「主は良いお方」  作詞作曲 長沢崇史

我が魂 主をたたえよ 聖なる御名をほめたたえよ

主の良くして下さったことを 何一つ忘れるな  (×2)

主は良いお方 主は良いお方 恵みと憐れみの冠を持って

私の一生 良いもので満たす 主は良いお方 賛美をささげます

2024年8月4日   第53巻 31号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 第一コリント10:31~11:1

頌  栄 60

賛  美 栄光の輝き  栄光イエスにあれ

交 読 文 5 詩篇19(832~833頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 166 威光・尊厳・栄誉

聖  書 ヨハネ12:27~36

メッセージ「神の栄光」             竹田 広志師

祈  祷

聖 餐 式 49 しみも咎も 

賛  美 11 ほめたたえよ 造り主を

頌  栄 63

祝  祷                                     竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日午後1時より役員会を行います。

〇 8月14、21日(水)の祈祷会は中止となります。

〇 8月の「のぞみカフェ」は中止となります。9月から再開いたします。

〇 1階玄関ホールで、皆様の献品によるチャリティ献品会を開催しています。ご活用と募金にご協力ください。(8月25日まで)

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「神の栄光」ヨハネ12:27~36

「何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい」(第一コリント10:31)という勧めがあります。神の栄光を現すとはどのような意味であり、行動なのでしょう。それは「全ての人が救われるために、自分の利益ではなく、他者の利益を求める選択」であると語っています。

神の栄光とは、光であられる神の臨在であり、そこに成される神の誉れ・栄え・勝利です。そしてそれを経験します時、神に向かって奉げる私たちの、賛美、礼拝、感謝となります。

イエスは十字架に向かう葛藤の中で、ご自分の願い事よりも「父よ、御名の栄光を現わしてください」と祈られます。ここで天からの声が響き「すでに栄光を現した。再び栄光を現す」とイエスの言葉に父なる神が応えておられます。

既に現された神の栄光とは、ラザロの復活であり、再び現される栄光とは、イエスの死と復活です。イエスはご自身の死をもって、世を裁き、この世の支配者を追い出されます。この世の闇を追い出し、全ての支配から私たちを解放されます。ローマの支配からの解放だけでない。全ての世の支配者からの解放です。イエスによる自由とは、どんなに軽やかな輝いたものでしょう。イエスが十字架で私たちの罪の為に死んで、三日目に復活され、そして地上から上げられる(昇天)のは、すべての人をイエスの御許に引き寄せる為です。神の国の門は開いています。

イエスはこれらの言葉によって、イエスがどのような死を遂げられるかを示そうとされました。本日は聖餐式がありますが、聖餐式の目的は「このパンを食べ、この杯を飲む度に、主が来られる時まで、主の死を告げ知らせるのです」(第一コリント11:26)

イエスがそうであられたように、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。「父よ、御名の栄光を現してください(:28)」と私たちも心から日々の生活の中で願い、祈りましょう。

【ワーシップ】  

「栄光の輝き」     作詞作曲 中山有太

主を慕い求め ほめ歌ささげ 偉大な王を拝します

宮に満ちている栄光の輝き あふれ流れ地に満ちる

主の栄光の輝き放たれて 町を照らし町を生かしてゆく

永遠の光 四方八方照らす 闇はこの光に打ち勝てない 

「栄光イエスにあれ」   作詞作曲 Larry Dempsey 

栄光栄光イエスにあれ 栄光栄光イエスにあれ

御座にいます小羊よ ほむべきお方 あなたは統べ治めるとわに正義をもって

2024年7月28日   第53巻 30号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 コヘレトの言葉3:11

頌  栄 60

賛  美 注ぎたまえ主よ 十字架だけが生きる道

交 読 文 46 詩篇148(864頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 332 主はまことのぶどうの木です

聖  書 ヨハネ12:20~26

メッセージ「多くの実を結ぶ」          竹田 広志師

祈  祷 387 一粒の麦

賛  美 

頌  栄 63

祝  祷                                     竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日午後12時半より「ワーシップ賛美の学び」を行います。韓国のYM(青年宣教団体)の中で行わているワーシップ研修会から、礼拝で献げられる賛美がさらに祝福されたものとなるように賛美の学びをします。

〇 今週31日~8月2日、竹田牧師は教区バイブルキャンプの奉仕で鴨川少年自然の家へ行きます。祝福されたキャンプとなるようにお祈り下さい。

〇 8月の「のぞみカフェ」は中止となります。9月から再開いたします。

〇 次週午後1時より役員会を行います。

〇 1階玄関ホールで、皆様の献品によるチャリティ献品会を開催しています。ご活用と募金にご協力ください。(8月25日まで)

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「多くの実を結ぶ」ヨハネ12:20~26

イエスが十字架を目前にして、ギリシア人の訪問がここにありますのは、何気ない出来事のように見えますが、時を認識し、霊的な洞察からこの出来事を考えますと、これは、イエスにとって、重要な転機的なものととらえることができます。フィリポとアンデレが「ギリシア人があなたにお目にかかりたいと訪ねて来ています」とイエスに話した時、イエスは「人の子が栄光を受ける時が来た」と言われました。何を直感されたのでしょうか。それは、イエスが十字架で人々の罪を贖う為に、命を捨て、多くの人々に罪の赦しと救いの道が開かれる時を指します。イエスは、神のご計画の時をいつも意識され、そのみこころを行うことに従順であられたお方です。

イエスは良く聞きなさいと言われます。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」。一粒の麦が畑に落ちて死んで、新しい命を、豊かな実りを与える。イエスの十字架の意味を鮮やかに示す言葉であり、人々の心に深く残る言葉です。イエスは一粒の麦――私達に豊かな永遠の命を与える一粒の麦であります。「多くの実を結ぶ」この言葉は今ここに、私たちに実現しています。あのカルバリの十字架の血潮、罪の贖いは、今、私たちのもとに届いて実現しているのです。

イエスは「私に仕えたいと願うならば」と私たちを招いてイエスに学び、イエスと共に、一粒の麦として生きることを勧めておられます。一粒の麦とは、私たちにとって、他者を生かし、己に死ぬ人生です。自分を与え続ける人生です。

あなたの死とは、あなたの生を証しすることです。いつまでも健康が支えられることを願いますが、どのような死の準備をするかというのは、あなたがどう生きたかということが人々に語られる時であることを知ってください。

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」

【ワーシップ】  「注ぎたまえ主よ」     作詞作曲 Kim Bollinger                  

1、注ぎたまえ主よ 恵みとあわれみを 天が開くため祈る 聖霊の力を

(おりかえし)主の御霊よ触れたまえ 我が心に 主の教会に 

雨を降らせリバイバルを 来たらせたまえ この地の上に

2、受ける価値なき我ら御前に進み祈る ああ栄光のみ業 見させたまえ

「十字架だけが生きる道」  作詞作曲 中山有太

全てを捨てるほどに 私を愛してくれた 罪を赦し自由にするため

命を捧げてくれた 十字架だけが生きる道 十字架だけが生きる道

滅びから命へ 闇から光へ 救いの道開かれた

感謝します 感謝します あなたの十字架を 血潮により贖われて 私は救われた 

2024年7月21日   第53巻 29号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ゼカリヤ9:9~10

頌  栄 60

賛  美 求めて 御腕に抱いて

交 読 文 45 詩篇146(863~864頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 204 わが友にます

聖  書 ヨハネ12:12~19

メッセージ「ろばの子に乗った王」        竹田 広志師

祈  祷 267 渇けるわれは上より賜う

賛  美 

頌  栄 63

祝  祷                           竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 次週日曜日午後12時半より「ワーシップ賛美の学び」を行います。韓国のYM(青年宣教団体)の中で行わているワーシップ研修会から、礼拝で献げられる賛美がさらに祝福されたものとなるように賛美の学びをします。

〇 本日礼拝後、クリスマス賛美のパート練習を行います。ご参加ください。

  曲名;「神はそのひとり子を」

〇 1階玄関ホールで、皆様の献品によるチャリティ献品会を開催しています。ご活用と募金にご協力ください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「ろばの子に乗った王」 ヨハネ12:12~19

イスラエルの王

イエスの反対者がイエスの居所が分かれば届け出をせよと命じていた最中、イエスは人々の中を公然とエルサレムに入られます。民衆は大歓声でイエスを迎えます。群衆がイエスを出迎えたのは、ラザロを墓から呼び出して、死者の中からよみがえらせたという「しるし」の影響だったことがわかります。

過越しの祭りに来ていた大勢の群衆はなつめやしの枝や、上着を道に敷いて、イエスを出迎え、大声で叫びます。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。イスラエルの王に」。イエスの反対者は、余りもの大勢の群衆の熱狂ぶりに「見ろ。何をしても無駄だ。世をあげてあの男についていったではないか(:19)」と言います。

ろばの子に乗って

イエスは敢えてろばの子を探し見つけ、準備して、ろばの子に乗ってエルサレムに入られます。それはゼカリヤ書9章9~10節にある預言が成就する為です。「娘シオンよ、大いに喜べ。娘エルサレムよ、喜び叫べ。あなたの王があなたのところに来る。彼は正しき者であって、勝利を得る者。へりくだって、ろばに乗って来る。雌ろばの子、子ろばに乗って。」

なぜ、王にふさわしい馬ではなく、ろばの子なのでしょうか。

ろばは、柔和・従順の象徴です。イエスは権力や武力によって人々を治める王ではなく、神の前に従順なしもべとなって人々に仕える王なのです。私たちの救いのために、ろばが重い荷を黙って運ぶように、黙々と十字架への道、カルバリの道を進まれた王なのです。彼は「柔和で心のへりくだったお方」(マタイ11:29)です。イエスは極みまで私たちに対する愛を示されました。イエスは私たちを愛をもって支配される王です。誰が私のために命を捨ててくれるでしょうか。私たちがイエスに従うのは、ただその愛に支配されているからです。「喜べ!あなたがたの王が来る。へりくだって、ろばに乗って来る!」

【ワーシップ】  

「求めて」        作詞作曲 中山有太

あなたの声を求めて あなたの顔求めて あなたの心求めて 御前に出る

全てをゆだねて 全てをささげて  あなたを求めて礼拝します

「み腕に抱いて」     作詞作曲 中山有太

(*おりかえし) 今主よ わたしの心に触れて あなたの御腕に抱いて下さい

全ての疲れた人よ、重荷悩み負う人よ、

イエスの前に出て行こう、全てを今手離そう (*おりかえし) 

あなたの愛に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから

あなたの腕に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから

2024年7月14日   第53巻 28号

創立53周年記念礼拝         

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 エフェソ5:15~20

頌  栄 60

賛  美 恵み

交 読 文 43 詩篇136(862頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

証  詞                    

賛  美 343 罪に満てる世界

聖  書 ヨハネ12:1~11

メッセージ「今の時を生かして用いる霊的洞察力」 竹田 広志師

祈  祷

賛  美 171 今日まで守られ

頌  栄 63

祝  祷                                               竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日は教会創立53周年記念礼拝となります。礼拝後愛餐会を行います。53年間、教会を、又私たちの信仰の歩みを力強く導いて下さった主に感謝します!皆さん、感謝をもってお残り下さり、ご参加ください。

〇 次週礼拝後、クリスマス賛美のパート練習を行います。ご参加ください。

  曲名 :「神はそのひとり子を」

〇 1階玄関ホールで、皆様の献品によるチャリティ献品会を、8月25日迄期間を延長します。ご活用と募金にご協力ください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「今の時を生かして用いる霊的洞察力」ヨハネ12:1~11

イエスがベタニアで食事をされたのは、過越しの祭りの6日前でした。過越しの祭りは出エジプトを記念するユダヤ最大の祭りです。小羊の血によって、神の裁きが過越し、エジプトの奴隷生活からユダヤ人が解放されたことを記念します。イエスの生涯のエルサレムでの最後の一週間の出来事は、4つの福音書で最も詳しくスペースを使って記されています。イエスの生涯で最も大事なのは十字架と復活の出来事です。イエスは「罪を取り除く神の小羊」です。

ベタニアには、イエスと死から生き返ったラザロとを見ようと多くの群衆が押し寄せていました。食事の席で、マリアとマルタ、ラザロが加わっていました。マリアはイエスに心からの感謝と愛情をこめて、高価な香油の壺を割り(マルコのみ)、全てをイエスの足に注ぎ、それを髪の毛で拭いました。イエスの弟子のイスカリオテのユダは、「なんという無駄なことをするのか。300デナリオンで売って貧しい人に施すべきではないか」と憤慨しました。イエスのお心は、いつも貧しい人に向いていていたからです。

しかし、イエスはマリアのしたことをお責めにはならず、「私の埋葬のために、それを取っておいた」と言われました。他の福音書では、イエスは「世界中のどこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられる」と言われました。

イエスの他に、誰もイエスが十字架の苦難と死に向かっている事を知りません。ラザロの一件で、弟子たちも有頂天であったかも知れません。マリアの霊的直感。それはイエスに対する最後の奉仕を予感させていました。マリアはいつものんびりした、周りに気遣いの少ない女性のようではありますが、ここという時に、イエスの為に最も必要な奉仕をしています。イエスへの愛から来る、イエスを慕う霊的洞察力から来る行動がここにあります。

【ワーシップ】  「은혜 恵み」    作詞作曲 ソン・ギョンミン

1、手に入れたもののすべて 過ごしてきた時間すべて

歩んできた道すべて   ただすべてが主のめぐみ

朝日昇り沈むのも    春の花も秋の実も

かわりゆく季節さえも  ただすべてが主のめぐみ

*  すべてが 恵み 恵み  恵み 限りない

当たり前のものはない 何一つ すべては主の 恵み

2、この世に生まれたことも ここまで歩んだことも

  明日を夢見ることも   ただすべてが主のめぐみ

  神の子とされたことも  主を拝し賛美するのも

* (おりかえし)

2024年7月7日   第53巻 27号

礼 拝 順 序             

前  奏

招  詞 ヨハネ12:24~26

頌  栄 60

賛  美 詩篇100 十字架だけが生きる道

交 読 文 43 詩篇136(862頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 107 十字架の上にて

聖  書 ヨハネ11:28~44

メッセージ「一人の人が民の代わりに死ぬ」    竹田 広志師

祈  祷

聖 餐 式 49  しみも咎も

賛  美 371 その血もてわが身を

頌  栄 63

祝  祷                                       竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日午後1時より、役員会を行います。

〇 次週は教会創立53周年記念礼拝となります。礼拝後愛餐会を行います。

〇 1階玄関ホールで、皆様の献品によるチャリティ献品会を7月21日迄開催中です。ご活用と募金にご協力ください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「一人の人が民の代わりに死ぬ」 ヨハネ11:28~44

ラザロを死者の中から生き返らせるイエス。偉大な神の御子としての「しるし」がなされますが、人々の反応は、信じる者と信じない者とに分かれます。福音を聞いた者は、信じるか、信じないか、いずれかの答えを出さなければなりません。「あなたはイエスを、生ける神の御子、あなたの救い主(キリスト)と信じますか?」。福音はあなたに問いかけ、福音は人を篩にかけます。

ユダヤの最高法院(サンヒドリン70人議会)は、祭司とパリサイ人で構成されています。彼らは宗教的指導者たちで、日本で言うと国会と裁判所の両方の職務に当たっていました。彼らは今回のイエスが起こした出来事を機に、議会を招集して彼の処遇について話し合います。

時の大祭司であるカヤパが、彼らに言い放ちます。「あなたがたは何もわかっていない。一人の人が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済むほうが、あなたがたに好都合と考えないのか」(:49)ラザロが死者の中から生き返るという素晴らしい神の栄光、神の御子としての「しるし」の出来事は、イエスの「受難」への道を確固たるものとしていきます。

著者ヨハネは大祭司のイエス殺害の言葉を、神が彼の口を通してイエスの死の意味を預言させたと解説します。一人の人イエスの死は、全ての民が滅びない為である。そして、世界中の神の子たちが、イエスの死によって、神の御前に集められる為だと大祭司の言葉を解説します。

今、皆さんの目の前で、聖書の預言は成就しています。教会とは、イエスの死によって神の子とされた者たちが、神の前に召し集められる場所(エクレイシア)です。そして、それはあなたを、神ご自身のみ前に置くため(共におらせるため)の神のおこころであることを知りましょう。神の御許に永遠の命があります。

【ワーシップ】  「詩篇100」       作詞作曲 中山有太

感謝しつつ主の門に 賛美しつつ大庭に 心合わせ臨在に入れ

主はいつくしみ深い 恵みはとこしえまで その真実は代々に至る

我らは主のもの主の民 その牧場の羊 

知れ 主こそ神 喜びの声上げよ  来たれ 主の前で 喜びもって仕えよ

「十字架だけが生きる道」  作詞作曲 中山有太

全てを捨てるほどに 私を愛してくれた 罪を赦し自由にするため

命を捧げてくれた 十字架だけが生きる道 十字架だけが生きる道

滅びから命へ 闇から光へ 救いの道開かれた

感謝します 感謝します あなたの十字架を 血潮により贖われて 私は救われた

2024年6月30日   第53巻 26号

礼 拝 順 序             

前  奏

招  詞 ヨハネ5:24~25

頌  栄 60

賛  美 詩篇100 その日全世界が

交 読 文 42 詩篇130(861頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 337 愛する主よ わが君よ

聖  書 ヨハネ11:28~44

メッセージ「石を取りのけなさい」        竹田 広志師

祈  祷

賛  美 127 墓の中に

頌  栄 63

祝  祷                             竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 次週午後1時より、役員会を行います。

〇 7月14日創立53周年記念礼拝の後の愛餐会に参加される方は玄関受付の申し込み表にご記名ください。(7月7日迄 助六寿司)

〇 1階玄関ホールで皆様の献品によるチャリティ献品会を7月21日迄開催中です。ご活用と募金にご協力ください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「石を取りのけなさい」 ヨハネ11:30~44 

「いまだかつて、神を見た者はいない。父の懐にいる独り子である神、この方が神を示されたのである」(1:18)神はどのようなお方でしょうか。イエスがどのようなお方であるかを知ることは、神はどのようなお方であるかを知ることです。

イエスは泣き崩れているマリヤと人々をご覧になられ、「憤りを覚え、心を騒がせ」「涙を流されました」。理性的な人、感情的な人という、人の性格の表現がありますが、イエスはどのようなお方だったでしょう。イエスは理性と感情が見事に調和されたお方であり、私たちの神は人の痛みを知って下さり、血も涙も通われた温いお方です。

イエスはラザロの納められた墓の前に立ち、「石を取りのけなさい」と言われます。マルタは「死んで4日もたって臭くなっています」と答えます。イエスは言われます「もし信じるなら、神の栄光を見ると言ったではないか」。これは、「主よ、どうにもなりません。不可能です。」と私たちが口にし、人生のそのような場面に出くわすたびに聞く、イエスの言葉です。私達の人生には、望みのない悲しい出来事が起こり、大きな石、すなわち、神に目を向けず、神に望みを持たず、ただ悲しみに塞がれている心があります。大きな石、それは信じない心、不信仰です。

イエスは大声で「ラザロよ、出て来なさい」と墓に向かって叫ばれます。墓(死者)に向かって叫ばれるお方。それは、イエスただおひとりです。私たちの名も、やがてイエスによって呼ばれ、私たちは新しい命に復活します。

【ワーシップ】  「詩篇100」       作詞作曲 中山有太

感謝しつつ主の門に 賛美しつつ大庭に 心合わせ臨在に入れ

主はいつくしみ深い 恵みはとこしえまで その真実は代々に至る

我らは主のもの主の民 その牧場の羊 

知れ 主こそ神 喜びの声上げよ  来たれ 主の前で 喜びもって仕えよ

「その日全世界が」     作詞・作曲 長沢崇史

我が神主よ見させ給え 偉大なるその計画 

天が開き光が満ち シオンの上に留まる

救いのみわざ全地を覆い 喜びの歌響かせ 

その正義は平和を呼ぶ 主の御霊が流れる

(おりかえし)その日全世界が主の御名高く掲げる 

叫べ王の王イエスに ハレルヤ栄光とわにあれ

王の王なる主イエスに 全能なる主イエスに

勝利者なる小羊に 栄光とわにあれ

2024年6月23日   第53巻 25号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ガラテヤ2:19~20

頌  栄 60

賛  美 257 キリストは生きておられる

交 読 文 41 詩篇127(861頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 99 馬槽の中に

聖  書 ペトロの手紙1 1:16

メッセージ「新生・聖化」            佐藤 仁美師

祈  祷

賛  美 415 恵み深き御神よ

頌  栄 63

祝  祷                                     佐藤 仁美師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日の礼拝は教区講壇交換により、岬教会の佐藤仁美師が御用をしてくださいました。祝福されたことを感謝します。竹田牧師は岬教会で御用をしておられます。

〇 7月14日創立53周年記念礼拝の後の愛餐会に参加される方は玄関受付の申し込み表にご記名ください。(7月7日迄 助六寿司)

〇 1階玄関ホールで皆様の献品によるミニバザーを7月21日迄開催中です。ご活用と募金にご協力ください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】  「新生・聖化」 第一ペトロ1:16

説教者:佐藤仁美師(岬キリスト教会)

1、「新生」

皆様は、聖霊による明確な救いの経験を得、「神の子」として歩んでおられますか。神様は「血を流すことなしに罪の赦しはない」と旧約聖書レビ記17章1節で言っておられます。愛の神であるこのお方は、ご自身の御子イエスを十字架にかけて、御子イエスは私たちの罪の身代わりとなり、私たちの罪の代償を払い、神と和解する道を開いて下さいました。ここにイエスを信じる私たちの救いがあります。

「新生」の諸相には、「救われる」「永遠の命を得る」「義と認められる」「神の家族とされる」「神との和解」「罪が赦される」などの素晴らしさがあります。

2、聖化

神の御旨「私が聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである」の御言葉の通り、聖化の経験が神の御約束であり、神は真剣に求めて祈る者にお与えくださいます。

聖化とは何であるのか。

① キリスト者の完全 キリスト者がパーフェクトな存在になるというのではなく。その者の動機が愛であるか、信仰によっているかが問われます。

② 内住のキリスト 「キリストの霊」「子なる神の霊」が私たちの内に住んでくださる経験であり、それは驚くべき恵みです。

③ 血潮をさらに必要とする存在

〈 罪の問題 〉

罪はsins(諸々の罪)とsin(原罪)があり、救いの経験の時に、諸々の全ての罪がイエスの十字架の贖いによって赦されます。聖化をいただく時には、原罪(肉なるもの)(古き人)(自我…ここが一番の問題 ローマ7:16~25)がイエスの十字架と共に磔にされ死にます。

〈 聖化を受ける 〉

神の側の条件としては、求める全ての人に与えられます。人間の側の条件としては①求め②服従し③悔い改め④献身し⑤信仰によって与えられます。

聖化の御言葉を生涯かけて信じ続け、深め、成長しましょう。悔い改めの実を祈って結び、聖化の経験を証しし続けましょう。

* 聖化に関して読む本

「栄光の富Ⅳ」小林和夫

  「全き愛」 J・A・ウッド

  「御霊の法則」車田秋次

2024年6月16日   第53巻 24号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 詩篇16:10~11

頌  栄 60

賛  美 「死を打ち破り」「命の水」

交 読 文 40 詩篇126(860頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 102 主は命を

聖  書 ヨハネ11:1~27

メッセージ「イエスは変わることのない望み」   竹田 広志師

祈  祷

賛  美 201 イエスはわが命

頌  栄 63

祝  祷                                     竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 次週の礼拝は講壇交換により、岬教会の佐藤仁美師が御用をしてくださいます。竹田牧師は岬教会で御用をします。お祈り下さい。

〇 今週15日(土)千葉教区主催「ちばっこ」が大網教会で13時~16時

開催されます。祝福されますようにお祈り下さい。

〇 昨日教区賛美講習会が勝田台教会で行われました。多くの方が参加され、祝福されたことを感謝します。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】「イエスは変わることのない望み」 ヨハネ11:1~27

ヨハネはイエスがこの地を歩まれた神の御子、救い主のしるしとして行われた7つのしるしを取り上げています。1.水がぶどう酒に2.役人の息子のいやし3.38年間病いの中にあった人のいやし4.五千人の給食5.湖上歩行6.生まれつきの盲人のいやし。今日は7番目の「しるし」である「死者の復活」です。

イエスが親しくしておられたベタニアの姉弟、マルタ、マリヤ、ラザロ。末の弟のラザロが重い病気で重体であることがイエスに知らされます。ところが、イエスはすぐにラザロのもとへ向かおうとはされません。2日が過ぎ、イエスは死んだラザロを起こしに行くと言われます。弟子たちもイエスのただならぬ言葉に覚悟を決めてユダヤに共に向かいます。

既にラザロは死んで、墓に葬られ、葬儀が行われ、人々は悲しみの中にあります。マルタはイエスに、もう少し早く来てくださったならば、と間に合わなかったことを告げます。手遅れです。死んで4日も経っていました。

万事休す。望みが絶たれた悲しみの只中。しかし!今日私たちはその様な中で、イエスの言葉を聞きます。「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者は誰も、決して死ぬことがない。このことを信じるか」。あなたは私が死者を復活させる権威をも持っていることを信じるか、というイエスの私たちへの問いです。イエスにある人生に手遅れはありません。神は、私たち信じる者に「復活」という「神の栄光」を用意されています。知ってください。受け取ってください。イエスにある生は、決して死で敗北してしまうものではないのです。

【ワーシップ】  「死を打ち破り」    作詞作曲 長沢崇史

すべての人は見る 偉大な光 暗闇を照らす まことの光

失望はない 主に頼る者 イエスキリストは生きている

死を打ち破りよみがえられた 全ての鎖(くさり)解き放つ

主イエスの名を呼ぶ者はみな救われる 救われる

*イエスは主 イエスは主 救い主(×2)

「命の水」       作詞作曲 田中満矢

ここに命の水があふれ流れる 罪も汚れも洗いきよめられる

飢え渇く者すべて満たされていく 命なき者全て花を咲かす

全てが生きる その水は癒し 全てが生きる その水は命 

全てが生きる その水は満たし わたしは生きる

あなたが源(みなもと) 我が命 力 とこしえに

あなたが源 あふれ流れ川となる 決して変わらない命の泉 

信じる者みな生き返る 決して揺るがない命の泉 全て麗しく生き返る 

2024年6月9日   第53巻 23号

礼 拝 順 序             

前  奏

招  詞 ヨハネ15:12~13

頌  栄 60

賛  美 主は良いお方 御腕に抱いて

交 読 文 39 詩篇122(860頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 221 ああ主の瞳

聖  書 マタイ26:27~56

メッセージ「友よ、しようとすることをするがよい」    曽根岡フサ子勧士

祈  祷

賛  美 426 世には良き友も

頌  栄 63

祝  祷                                                   竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日の礼拝の御用は曽根岡フサ子勧士にしていただきました。祝福された

ことを感謝します。曽根岡勧士は、2010年から15年間、日本ホーリ

ネス教団勧士としてその働きをされました。礼拝後、曽根岡勧士の歓迎と

感謝愛餐会を開きます。皆さん、ご参加ください。

〇 曽根岡勧士の感謝会後、隣接地活用検討委員会を開きます。

〇 今週15日(土)10時~15時半、教区賛美講習会が勝田台教会を会場

に開催されます。期待をもってご参加ください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】「友よ、しようとすることをするがよい」マタイ26:27~56    

    説教者:曽根岡フサ子勧士

 イスカリオテのユダがどうしてイエス様を裏切ったのか。ここではその動機のひとつとして、彼の金銭欲について述べるにとどめ、今回はその理由を詳しく探るよりも、自分を裏切る者に対してさえも注がれるイエス様の愛、又、イエス様が愚かな罪人である私たち一人一人をどんなに愛して下さっているかという事に焦点を当ててみたいと思います。

 十二弟子としてイエス様に選ばれたユダがどうしてイエスを裏切ったのでしょう。ユダはイエス様を銀貨30枚で売ります。当時の奴隷一人分の値段です。「金銭の欲は、全ての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、様々のひどい苦しみで突き刺された者もいます。」(第一テモテ6章10節)

 ユダはゲッセマネの園でイエス様を引き渡すために、イエス様に近づき、合図として偽りの接吻をします。イエス様はユダの企ての全てをご存じで、彼に怒りや非難の言葉ではなく「友よ」(:50)と呼びかけられたのです。こん棒や剣を持って自分を捕らえにやって来た人々の殺気立った行動や態度とは対照的に、イエス様の態度は何と穏やかで、冷静で愛に満ちていることでしょう。

イエス様は、自分を裏切ったイスカリオテのユダを友と呼んでくださいました。そして、罪びとである私たち一人一人のことも友と呼んでくださっています。イエス様は、「友のために自分の命を捨てる」と、単なる口先の言葉だけでなく、実際に行ってくださいました。ご自分は罪が無いのに、私たち一人ひとりの罪を背負ってそれを自分のお体と引き換えに、私たちの罪を帳消しにする贖いのために、十字架にかかってくださったのです。このような友がいるでしょうか。これからの人生を、イエス様を友とし、その教えに従い、その愛の内に、イエス様と共にあなたも歩んでみませんか。

【ワーシップ】  「主は良いお方」  作詞作曲 長沢崇史

我が魂 主をたたえよ 聖なる御名をほめたたえよ

主の良くして下さったことを 何一つ忘れるな  (×2)

主は良いお方 主は良いお方 恵みと憐れみの冠を持って

私の一生 良いもので満たす 主は良いお方 賛美をささげます

         「み腕に抱いて」     作詞作曲 中山有太

(*おりかえし) 今主よ わたしの心に触れて あなたの御腕に抱いて下さい

全ての疲れた人よ、重荷悩み負う人よ、

イエスの前に出て行こう、全てを今手離そう (*おりかえし) 

あなたの愛に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから

あなたの腕に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから

2024年6月2日   第53巻 22号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ローマ12:1~2

頌  栄 60

賛  美 詩篇100 十字架だけが生きる道

交 読 文 38 詩篇121(859頁)

公同祈祷                   

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 372 聖なる者と

聖  書 ガラテヤ2:19~20

メッセージ「ホーリネスの恵み」         竹田 広志師

祈  祷

聖 餐 式 49 しみも咎も

賛  美 373 主ひとり

頌  栄 63

祝  祷                                     竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日午後1時より役員会を行います。

〇 曽根岡勧士への感謝の寄せ書きにご協力ください。(会堂入口の色紙)

〇 次週の礼拝メッセージは曽根岡フサ子勧士が語って下さいます。礼拝後

       曽根岡勧士の歓迎と感謝愛餐会を開きます。皆さんご参加ください。

〇 今週4日(火)、竹田牧師は教区牧師会で佐原教会へ行きます。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「ホーリネスの恵み」 ガラテヤ2:19~20

 昔のホーリネス教団の教会では「潔めの恵み」「聖化」について語られることが多かったが、最近そのような説教を聞く機会が減ったと言う方々がおられます。果たしてそうでしょうか。ペンテコステ礼拝での「聖霊に満たされる」、キリスト・イエスによる「十字架の血潮によって罪きよめられる」、イエスの「全き愛をもって隣人を愛する」、全て潔めのメッセージです。神の前に自分自身の全てを献げる意思を告白する礼拝は、潔めの経験をいただく道です。「ホーリネス」「聖潔」「第二の転機」という言葉を使わないにしても、勝田台キリスト教会でも、ホーリネスに関わる全ての教会で「潔め」の恵みについて語られていることを認識していただきたいと思います。

 私たちは、自らの罪深さを神の前に告白し、イエス・キリストの十字架の贖いが私の全ての罪を赦すことを信じますと心から告白したその時、罪の悔い改めとイエスに対する信仰によって、神から救いをいただくことができます。キリスト教会ではそれを「救いの経験」と言います。しかし、それは新しく誕生するスタートのようなもので、実際にはそこから長い信仰生活、イエスに従う、世の流れとは反対方向の様な生き方が始まります。なんとなくクリスチャンとして生きることもできるかも知れません。しかし、キリストの弟子、力強い証人として生きる為には、「潔め」の経験をいただき、「日々、潔められて」生きることが重要です。イエスの弟子たちが、力強い主の働きをスタートさせたのはペンテコステ(聖霊の満たし)の時からであり、聖霊に満たされ続けて歩んだ結果です。人は救いの経験があれば救われます。しかし、潔めの経験なしに力強い信仰生活を生きることはできません。

 救いの経験とは、私の為にイエスが、という信仰による体験であり、潔めの経験とは、それが逆転してイエスの為に私がとなる、全き献身です。イエスの為に私の人生の全てはある。その経験をいただいた信仰者の歩みは強いのです。

【ワーシップ】  

                               「詩篇100」       作詞作曲 中山有太

感謝しつつ主の門に 賛美しつつ大庭に 心合わせ臨在に入れ

主はいつくしみ深い 恵みはとこしえまで その真実は代々に至る

我らは主のもの主の民 その牧場の羊 

知れ 主こそ神 喜びの声上げよ  来たれ 主の前で 喜びもって仕えよ

         「十字架だけが生きる道」  作詞作曲 中山有太

全てを捨てるほどに 私を愛してくれた 罪を赦し自由にするため

命を捧げてくれた 十字架だけが生きる道 十字架だけが生きる道

滅びから命へ 闇から光へ 救いの道開かれた

感謝します 感謝します あなたの十字架を 血潮により贖われて 私は救われた


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↓↓↓ホームページはこちら↓↓↓

https://katsutadai-ch.amebaownd.com/

日本ホーリネス教団 勝田台キリスト教会

★場所:千葉県八千代市勝田台7-27-11 (京成勝田台駅から徒歩10分)

★電話/FAX:047-484-5045 ★E-mail:katsutadai_ch@yahoo.ne.jp

★集会の日時★  

礼拝:毎週日曜日 10:00 - 11:30       

教会学校:毎週日曜日 9:15 - 9:45  

聖書の学び会:毎週火曜日 10:00 - 11:30  現在中止

祈祷会:毎週水曜日 14:30 - 15:30    

のぞみカフェ:毎週木曜日 14:00 - 15:30  

ウクレレ入門教室:毎週木曜日 15:30 - 16:00 

どの集会も誰でも参加自由です。 礼拝と教会学校は自由献金があります。

2024年5月26日   第53巻 21号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 第一コリント4:20

頌  栄 60

賛  美 輝く御名 栄光あらわしたまえ

交 読 文 37 詩篇119(858~859頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 9 力の主を

聖  書 ヨハネ10:22~42

メッセージ「神の国は言葉ではなく力」      竹田 広志師

祈  祷

賛  美 419 起こし給え

頌  栄 63

祝  祷                         竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日礼拝後、のぞみうどんを開店します(一人100円)。会食の後に各会を行います。皆様、ご参加ください。

〇 次週午後1時より、役員会を行います。

〇 曽根岡勧士への感謝の寄せ書きにご協力ください。(会堂入口の色紙)

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「神の国は言葉ではなく力」 ヨハネ10:22~42

 ひとりの人の人生を、生涯を、歩みをどのように評価すうのか。何を語り、何を行ったのか。それでその人の人生評価が決まります。イエスは何を語り、何を行われたのでしょうか。

 ヨハネ8章では「生まれながらに目の見えない人の目が開かれる」イエスの行われたしるしがありました。この後10章では、最後の7番目のしるし、死人のラザロが生き返る出来事(11章)に進もうとしています。死んで墓に葬られて3日もたった人に命を与えられるイエスの姿があります。イエスはことばとわざをもって、ご自身が「生ける神の御子救い主」であることを示し、その生涯を歩まれました。ヨハネによる福音書の流れは最初からそうです。

 「あなたは私を信じるか」とイエスはいつも私たちに問われます。私たちは応答しなければなりません。福音が語られるところでは、決断が問われ、信じる者と、信じない者に分かれます。救いの門はいつも開いています。

 イエスはイエスを信じない者に対して、「あなたがたが、わたしも、わたしの言うことばも信じられないのなら、わたしのわざを信じなさい。」と言われます。その「行い」が、言葉を証明するのです。

 実は福音を宣べ伝えるキリストの証人も同じです。そのことばは、その人の行いによって、相手に明確に証明されるのです。その行いとは、その人が行う神のわざです。その人にあらわされた神のわざと、その人を通して隣人に成される神のわざです。後者の最も大いなるわざは、「祈り」です。隣人の為に祈ることは、一番簡単で、一番難しい神のわざです。信仰がなければ、神の御霊に満たされなければ、「祈り」のわざを行うことはできません。私たちの信仰から出る祈りに神はお答え下さって、神のわざは隣人の上になされます。決して人の努力ではありません。その働きの良し悪しは、その実が証明します。「神の国は言葉ではなく力です」第一コリント4:20

【ワーシップ】  

 「輝く御名」       作詞作曲 中山有太

イエスの御名には勝利がある イエスの御名には力がある

イエスの御名には救いがある イエスの御名に栄光あれ

麗しい 素晴らしい あなたの御名盛んになる

色あせない おとろえない 輝く御名ほめたたえる

「栄光あらわしたまえ」    作詞作曲 MARK ATRAUSS

1、主よ満たし給え 主よ今触れたまえ 主の栄光あらわし我らを用い給え

強く聖霊の風で 深く心を満たし 広く天を開いて栄光あらわし給え

2、主の隠れ家で 主の愛に包まれ 主のみ顔を仰ぐ栄光輝く時

強く聖霊の風で 深く心を満たし 広く天を開いて栄光あらわし給え

2024年5月19日   第53巻 20号

ペンテコステ記念礼拝         

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ヨエル3:1~5

頌  栄 60

賛  美 注ぎ給え主よ

交 読 文 19 詩篇51(843~844頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 133 約束の賜物をば

聖  書 使徒言行録2:1~6

メッセージ「一同は聖霊に満たされ」       竹田 広志師

祈  祷

賛  美 136 御霊よ降りて

頌  栄 63

祝  祷                      竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日はペンテコステ記念礼拝でした。聖霊に満たされて、キリストの証人として力強く歩みましょう。

〇 本日礼拝後、佐藤ひかる君の献児式を行います。ひかる君が神と人とから愛される人として成長されますように、私たちも祈りましょう。

〇 本日礼拝後、11時40分~12時20分、6月に行われる賛美講習会のパート練習を行います。是非、皆さんご参加ください。

〇 次週礼拝後、のぞみうどん(一人100円)と各会にご参加ください。

〇 曽根岡勧士への感謝の寄せ書きにご協力ください。(会堂入口の色紙)

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【次週奉仕当番】

司会:仲村兄 奏楽:平尾姉 公同祈祷:竹重姉 奉献祈祷:今野姉(宣喜兄)

【説教要約】 「一同は聖霊に満たされ」 使徒言行録2:1~6

 本日はペンテコステ記念礼拝です。ペンテコステの語の意味は、(ユダヤの過ぎ越しの祭りから数えて)「50日目」という意味ですが、それは、教会では、世界のキリスト教会の創立記念日であり、聖霊降臨日とも呼ばれています。

 創立記念において大事なのは、その教会が出来た時の原点に戻るということです。聖霊降臨日にイエスの授けて下さるバプテスマ、聖霊の注ぎ、満たしをいただくことがペンテコステ礼拝に、又、礼拝に何よりもふさわしいことです。

 聖霊は三位一体の神のおひとりです。イエスは私たちの罪の贖いの為に十字架で命を捨て、三日目に復活されましたが、聖霊は、今、この救いの恵みを私たちに与え、イエスに従う道を支え、導いて下さるお方です。聖霊の満たし(バプテスマ)によって、私たちは力強くキリストの弟子として生きることができます。聖霊の働き無しには、神の業は何一つできません。

 聖霊のバプテスマは、イエスが私たちに授けられるバプテスマです。イエスは水ではなく、「聖霊と火」によってバプテスマを与えるお方です。[風・火]

 聖霊は、もの言えない私たちの舌を自由にし、神の素晴らしさを語らせます。聖霊を受けたペトロは、大胆に人々に力強い説教を語ります。又、喜びを私たちに与えます。その姿は「酒に酔っている」ようだったとあります。

 どのようにして、私たちはこの神の賜物である聖霊を受けることができるのでしょうか。聖霊は風のようなお方で、そのご自身の好まれる所に吹かれます。聖霊の好まれる所とは、イエスの約束を信じて、一同が心を合わせて、待ち望む場所です。そして、それが教会です。今、私たちは、その教会の礼拝に出席しています。今日、今ここで、私が、あなたが、私たちが聖霊に満たされますように。聖霊の注ぎを、満たしを受けますように。イエスの約束を、アーメン信じます、と告白して、その賜物を受け取ることができますように。ペンテコステの恵みが一同にありますように。 

【ワーシップ】  

「注ぎたまえ主よ」   作詞作曲 Kim Bollinger                  

1、注ぎたまえ主よ 恵みとあわれみを 天が開くため祈る 聖霊の力を

(おりかえし)主の御霊よ触れたまえ 我が心に 主の教会に 

雨を降らせリバイバルを 来たらせたまえ この地の上に

2、受ける価値なき我ら御前に進み祈る ああ栄光のみ業 見させたまえ

2024年5月12日   第53巻 19号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ヨハネ3:16

頌  栄 60

賛  美 神の家族 君は愛されるため生まれた 

交 読 文 36 詩篇116(857~858頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 285 心くじけて

聖  書 イザヤ43:4

メッセージ「あなたは高価で、貴い」       竹田 広志師

祈  祷

賛  美 221 ああ主の瞳

頌  栄 63

祝  祷                      竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 次週礼拝後、11時40分~12時20分、6月に行われる賛美講習会の為の練習を行います。是非、皆さんご参加ください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

〇 本日午後2時より千葉栄光教会で中高生ユース集会が開かれます。教会を13:30出発の予定です。是非、中高生・青年の方々参加ください。


勝田台キリスト教会 総会の掲示

本日、2024年5月12日(日)11:30~13:30

於:勝田台キリスト教会会堂

出席できない教会員の方は委任状を提出して下さい。


【説教要約】 「あなたは高価で、貴い」 イザヤ43:4

 私たちは何の為に生きているのか。私の人生には、私自身には価値があるのかと自らに問うことがあります。様々な苦悩の中で、自からの死を選ぶ人も後を絶ちません。しかし神である主は、「あなたは高価で、貴い」存在であると語りかけています。自らの罪深さ、足りなさを感じる時、また、誰かから否定されるような言葉を投げつけられ傷つく時、自分自身に価値なしと判断を自分で下す時でさえ、神は、「あなたは私の目に貴く、重んじられる」と仰って下さいます。何かができる・できないという権勢や能力による価値でなく、あなたの存在そのものに価値があると主は言われるのです。なぜならば、あなたは神ご自身が創造された唯一無二のかけがえのない傑作だからです。あなたと同じ人は誰一人いません。

 主が「あなたは高価で、貴い」と言われる最大の根拠は何でしょうか。それは、私たちの救いの為に遣わされた神の御子イエスによってわかります。「独り子をお与えになったほどに世を愛された」(ヨハネ3:16)神に背を向けて、罪に傷つき、滅びに向かう私たちを愛し、憐れみ、神はイエスを遣わされました。イエスの十字架の贖いによって、私たちは救われるのです。主にとって私たちは、「神の独り子を与えるほどに」価値ある、貴い存在なのです。イエスの十字架を見上げる度に、神が私たちを見て下さる、私の価値の大きさを知ります。ここに私の価値をいつも見出しましょう。

 また、あなたが主にとって「価値ある貴い」存在であると共に、あなたの隣人も、主にとってかけがえのない「価値ある貴い」存在であることを覚えましょう。自分を大事にし、人を大事にする。あたりまえのことができないのが私たちです。自分の基準で、私たちは自分を、隣人を判断します。しかし、そうではなく。今日、聖書の言葉を心に留めましょう。「あなたは私の目に貴く、重んじられる。私はあなたを愛する」。 

【ワーシップ】   

「神の家族」                     作詞作曲 長沢崇史

どんな宝石より美しく尊い 神の愛によって結ばれた関係

神の家族 キリストにあってひとつ 神の家族 永遠に続く家族

ひとつの体分け合う 欠けてはならない存在

共に泣きともに喜ぶ 愛により建てられてく

「君は愛されるため生まれた」  作詞作曲 イ・ミンソプ

君は愛されるため生まれた 君の生涯は 愛で満ちている

永遠(えいえん)の神の愛は われらの出会いの中で実を結ぶ

君の存在が 私には どれほど大きな喜びでしょう

君は愛されるため生まれた 今もその愛受けている(×2)

2024年5月5日   第53巻 18号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 詩篇23:1~6

頌  栄 60

賛  美 詩篇100 主は良いお方

交 読 文 35 詩篇110(857頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57                 

賛  美 206 飼い主わが主よ

聖  書 ヨハネ10:1~21

メッセージ「救いの門 良い羊飼い」       竹田 広志師

祈  祷

聖 餐 式 49 しみも咎も

賛  美 389 わが主はまことの牧者

頌  栄 63

祝  祷                                     竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日午後1時より役員会を行います。

〇 本日礼拝後、隣接地活用検討委員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

〇 次週午後2時より千葉栄光教会で中高生ユース集会が開かれます。教会を13:30出発の予定です。是非、中高生・青年の方々参加ください。


勝田台キリスト教会 総会の掲示

次週、2024年5月12日(日)11:30~13:30

於:勝田台キリスト教会会堂

出席できない教会員の方々は委任状を提出下してさい。


【説教要約】 「救いの門 良い羊飼い」 ヨハネ10:1~21

「私は〇〇である」「エゴー・エイミ」、は神の自己宣言、ご自身を誓って言われる最も力強い表現の言葉です。イエスが救い主(メシア)であり神の御子であることを人々に示すために使われています。ヨハネの福音書の中に7つあります。「私は命のパンです」(6:35、41、48、 51)、「私は世の光です」(8:12)「私は(羊の)門です」(10:7、9)、「私は良い羊飼いです」(10:11、14)、「私はよみがえりです、命です」(11:25)、「私は道であり、真理であり、命なのです」(14:6)、「私はまことのぶどうの木です」(15:1、5)。

1、私は門である(:9)羊の門(:7)とは何でしょう。ネヘミヤ3:1に記されているように「羊の門」は城壁の再建時、最初に手がけられたのが「羊の門でした。イスラエルとその民を守る城壁、そして門です。

門とは何でしょう(:8

門は、唯一、高い城壁の内側に入ることのできる入り口です。エルサレムに入る為には門から入らなければなりません。門には警備兵が立ち、外敵から守られます。門の中には安心して住むことのできる場所があります。その門は、救いの門であり、「入門する」という言葉がありますが、イエスという門から入るというのは、イエスに従い、イエスに学び、イエスの弟子となることです。

2、私は良い羊飼いである(:11)羊飼いの仕事は、羊を導き、守り、養うことです。そしてこの良い羊飼いの最大の特徴は、「羊のために命を捨てる」というものです。羊が命を得る為、豊かに得る為に、命を捨てる羊飼いです。羊飼いであるイエスは、言葉だけでなく、事実、私たちの罪の贖いとして十字架の上で命を捨ててくださいました。羊の為に御自身の命を捨てる羊飼い。こんな愚かな行為はありません。しかし、この最大の神の愚かさとも思える愛が、私たちを救うのです。

【ワーシップ】 

「詩篇100」      作詞作曲 中山有太

感謝しつつ主の門に 賛美しつつ大庭に 心合わせ臨在に入れ

主はいつくしみ深い 恵みはとこしえまで その真実は代々に至る

我らは主のもの主の民 その牧場の羊 

知れ 主こそ神 喜びの声上げよ  来たれ 主の前で 喜びもって仕えよ

「主は良いお方」            作詞作曲 長沢崇史

我が魂 主をたたえよ 聖なる御名をほめたたえよ

主の良くして下さったことを 何一つ忘れるな  (×2)

主は良いお方 主は良いお方 恵みと憐れみの冠を持って

私の一生 良いもので満たす 主は良いお方 賛美をささげます

2024年4月28日   第53巻 17号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ダニエル7:13~14

頌  栄 60

賛  美 我が心の目を 静まって知れ

交 読 文 34 詩篇108(856~857頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 282 見ゆるところによらず

聖  書 ヨハネ9:35~41

メッセージ「信仰の決断への招き」        竹田 広志師

祈  祷

賛  美 34 主よ汝が前をば

頌  栄 63

祝  祷                             竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 次週午後1時より役員会を行います。

〇 本日13:30より教区総会がWEBで行われます。牧師・教会員代表一名が参加します。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。 

勝田台キリスト教会 総会の掲示

2024年5月12日(日)11:30~13:30

於:勝田台キリスト教会会堂

出席できない教会員の方々は委任状を提出下してさい。

【説教要約】 「信仰の決断への招き」 ヨハネ9:35~41

ヨハネによる福音書を礼拝で開始した時に、「いまだ神を見た者はいない。父の懐にいる独り子である神、この方が神を示されたのである」(1:18)。目に見える人となられたイエスを見ること、知ることは、目に見えない神を見ること、知ることですとお話ししました。そのような視点でイエスの生涯を読んでいます。

本日は、生まれながらに目の見えない男の目が見えるようになったエピソードの最後の箇所となります。彼は会堂から追い出されます。イエスは彼をそのままにしておかず、しっかりと「信仰」へと導きます。大事なのは、これからの彼とイエスとのつながりです。

イエスは彼に言われます「あなたは人の子を信じるか」 

人の子とは、旧約聖書(ダニエル書7:13)に預言されている神から遣わされたキリスト、メシア、救い主のことです。メシア(救い主)であると信じるかと問われるのです。信じる者と、信じない者がいます。どちらでもないとは、私たちは答えることができません。聖書はいつも、どちらかの決断を私たちに迫ります。ここに裁きがあります。あなたは、イエスを生ける神の御子、キリスト、あなたを罪と死と滅びから救うお方であると信じますか?信じる者に神の救いが与えられ、新しい人に変えられます。

目の見えない者(異邦人、罪人、遊女、収税人)が見えるようになり、目の見える者(パリサイ人、律法学者、祭司)が盲目となるという、イエスを信じるか、拒絶するかによって、大きな逆転状況が起こります。イエスの前に、罪があると自覚する者が、赦しを受け、正しいと主張する者が、裁きを受けるのです。「私がこの世に来たのは、裁くためである。」イエスは審判者です。イエスを信じない者は既に裁かれています。

【ワーシップ】 「我が心の目を」    作詞作曲 Paul Baloche

我が心の目を開いて下さい 主イエスを見るために ×2

高くあげられた栄光に輝く 主イエスあなたに愛をささげるため

聖い御名をほめたたえる時に 愛と力注いでください主よ

Holy Holy Holy ×3 I want to see you

「静まって知れ」   作詞作曲 Darlene Zschech

1、御翼の陰に隠し 力ある御腕の中に 逆巻く大海を越え

主と共に羽ばたく 我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

2、キリストの中に憩い 信頼と主の力知る いかずち鳴り渡る中

主と共に羽ばたく 我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

2024年4月21日   第53巻 16号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 イザヤ42:5~9

頌  栄 60

賛  美 我が心の目を よみがえりの主

交 読 文 33 詩篇104(855~856頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 341 恐れなく近寄れ

聖  書 ヨハネ9:13~34

メッセージ「神の業が現れた人」         竹田 広志師

祈  祷

賛  美 434 語り告げばや

頌  栄 63

祝  祷                                            竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日礼拝後、隣接地活用検討委員会を行います。

〇 主日奉仕担当表を掲示板に貼っています。ご覧になって、自分自身の奉仕担当を確認下さり、何かありましたら、森川兄までお知らせください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。 

勝田台キリスト教会 総会の掲示

2024年5月12日(日)午後11:30~13:30

於:勝田台キリスト教会会堂

出席できない教会員の方々は委任状を提出下してさい。

【説教要約】 「神の業が現れた人」 ヨハネ9:13~34

救い主(メシア)は私たちの目を開いて下さるお方です。生まれながらに目の見えなかった人が、見えるようになる。それはまさしく神のなされる「御業」です。神の業の現れた人に人々は問います。「どうして見えるようになったのか。誰が見えるようにしてくださったのか」。近所の人々が、彼を知っていた人々が、ファリサイ派の人々が、次から次へと彼に質問します。目の開かれた人は、ただ事実だけを述べます。「イエスという方が、土をこねて私の目に塗り、『シロアムに行って洗いなさい』と言われました。そこで、行って洗ったら見えるようになったのです」。

イエスによって変えられたその人の姿は、本人も周りも否定することもできません。それは、神に癒された人の姿です。それは、神に問題を解決された人の姿です。それは、神に危機を救われた人の姿です。それは、神に目の開かれた人の姿です。評判の医者には、患者が集まります。私たちの周りには、多くの困難・課題・問題があります。健康の問題 経済の問題 家族の問題…。

今日、イエスは言われます。あなたに、「神の業が現れるためです」。

 イエスによって救われた者、目の開かれた者は、生まれながら見ていた景色と、全く別のものが見えるようになりました。それは、神の臨在。神の守り、神の愛、神の義。そして神の国、神の支配の現れです。あなたは何を見ていますか。あなたの目を開かれました。シロアムに行って洗いなさい。目を塞いでいる泥を落としなさい。全てのキリスト者の目は開かれています。しかし、それがはっきりと見えるようになりますように。「しかし、ただ一つのことだけ知っています。わたしは盲人であったのに、今は見えるということです!」私達も、今日も明日も、聖霊によって宣言していきましょう。

【ワーシップ】 

「我が心の目を」           作詞作曲 Paul Baloche

我が心の目を開いて下さい 主イエスを見るために ×2

高くあげられた栄光に輝く 主イエスあなたに愛をささげるため

聖い御名をほめたたえる時に 愛と力注いでください主よ

Holy Holy Holy ×3 I want to see you

「よみがえりの主」    作詞作曲 Reuben Morgan

1, 弱い者には強いと言わせ 貧しい者でも豊かにされる主

見えない者には見える目与え それが主イエスのなされる御業

* ホザナ ホザナ 神の小羊 ホザナ ホザナ よみがえりの主

2, 命の川で罪きよめられ 愛と憐れみ天から注ぐ

救いの歌をイエスにささげる 主はその御手で自由にされた

* (おりかえし)

2024年4月14日   第53巻 15号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 マタイ1:23

頌  栄 60

賛  美 138 よろずのもの

交 読 文 32 詩篇103(854~855頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 317 わが友 主イエスは

聖  書 創世記39:21~23

メッセージ「主が共におられる」         大西 一功師

祈  祷

賛  美 239 与えよただ主を

頌  栄 63

祝  祷                                       大西 一功師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日礼拝後、総会に向けての会計監査を行います。

〇 主日奉仕担当表を掲示板に貼っています。ご覧になって、自分自身の奉仕担当を確認下さり、何かありましたら、森川兄までお知らせください。

〇 本日の礼拝は、大西一功師に御用をしていただきました。祝福されたことを感謝します。竹田師は佐原教会で御用をします。お祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「主が共におられる」 創世記39:21~23  説教者 大西一功師

 創世記のヘブル語の題は「はじめに」(べレシート)という言葉で、神の創造の御業から始まり、人間の罪から現代につながる社会、文化、経済、科学技術等の人間活動のあらゆる始まりが書かれています。また、神のご性質、人間はどのような存在で神との関係がどうあるべきかが窺うことができます。

 創世記の舞台は39章からエジプトに移ります。ヤコブは年を取ってからの子ヨセフを溺愛しました。また、ヨセフは兄弟や両親が自分を拝むという夢を見たとことから、兄弟たちから憎まれ、奴隷としてエジプトに売られました。エジプトで、ヨセフは牢に入れられます。しかし、王の夢を解き明かしたことから、王(ファラオ)に次ぐ地位を得ます。そして、最後には父や兄弟たちと再会します。

 ヨセフは両親や兄弟たちとの平穏な生活から、異郷の地で牢に入れられるという逆境に耐えました。それは主がヨセフと共におられたからです。ヨセフの神に対する姿勢は、神の前に罪を犯すことを恐れ(39:9)、神がすべてを取り仕切り(45:8)、兄弟の悪事も善に変えられる方(50:19、20)であると、神を第一とし、神を畏れ、神を信じていました。

 イエス・キリストはインマヌエル(神は私たちと共におられる)なる方で、旧約で預言されていた方です。イエスは、十字架に掛かられる前「自分は去って行くが、聖霊を送る」と約束し、「私を愛する人は、私の言葉を守る。私の父はその人を愛され、父と私とはその人のところに行き、一緒に住む。」(ヨハネ14:23)と話されました。今の時代、イエスを主として受け入れと信じた私たちに聖霊を注がれ、聖霊は私たちに主の言葉を思い起こさせ、主と共に歩む道へと導かれます。神は旧約から新約の時代にかけてすべてを支配される方です。父なる神は、イエスを信じる者を愛し、共にいて下さり、ヨセフを導かれたように私たちを導かれます。

★ 勝田台キリスト教会 総会の掲示 ★

2024年5月12日(日)午後11:30~13:30

於:勝田台キリスト教会会堂

出席できない教会員の方々は委任状を提出下さい。

2024年4月7日   第53巻 14号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 エフェソ1:17~19

頌  栄 60

賛  美 我が心の目を

交 読 文 31 詩篇100(853頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 38 わが目を開きて

聖  書 ヨハネ9:1~12

メッセージ「イエスによって目を開かれた者」   竹田 広志師

聖 餐 式 49 しみも咎も

祈  祷

賛  美 358 神なく望みなく

頌  栄 63

祝  祷                                               竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日午後1時より役員会を行います。総会準備のためにお祈り下さい。

〇 今週9日(火)教区牧師会が茂原教会で行われます。

〇 次週の礼拝は、大西一功師が御用をされます。竹田師は佐原教会で御用をします。お祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「イエスによって目を開かれた者」 ヨハネ9:1~12

旧約聖書に預言されているメシアによってしかできない奇跡(しるし)があります。イザヤ35:5「その時、目の見えない人の目は開かれ、聞こえない人の耳は開かれる。その時、歩けない人は鹿のように跳び跳ね、口の利けない人の舌は歓声を上げる」。ヨハネによる福音書にある第六のしるし。

1、 人の不幸・禍は、何ゆえか(:1~5)

不幸な出来事や、病は、誰かの罪に対する報いと考えられていました。因果応報(仏語)という言葉があります。「この人が生まれつき盲人なのは、この人の罪が原因か、または、この人の両親が罪を犯したのが原因か」と原因を究明します。時に私たちは、他者に対して、自分に対しても「不幸」をそのように解釈します。病気や、不幸な出来事、災いの原因をそのように考えると、さらに私たちの苦しみは増し加わります。

イエスは言われます。この人が生まれつき目の見えないのは「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」驚くべきイエスの回答です。私たちの人生に苦難があるのは、神の業が現れるためです。

2、シロアムへ行って洗いなさい(:6~7)

イエスは土で泥をこねて、彼の目に塗って言われます「シロアムの池に行って洗いなさい」。彼はイエスのことば通りにシロアムの池に行き、目を洗います。生まれながら目の見えない人が見えるようになります。ここに、私たちはイエスの大いなる御業と、イエスのことばに従う信仰とは何かを見ます。

2、 物乞いをしていた男は見えるようになった(:8~12)

彼の近所の人や、彼を知っている人は、彼が誰であるかわかりませんでした。彼は言います「私がそうです」。目が開かれた彼は新しい世界を見、新しい人生が開かれます。「見よ、全てが新しくなったのです。」第二コリント5:17

【ワーシップ】    

「我が心の目を」      作詞作曲 Paul Baloche

我が心の目を開いて下さい 主イエスを見るために ×2

高くあげられた栄光に輝く 主イエスあなたに愛をささげるため

聖い御名をほめたたえる時に 愛と力注いでください主よ

Holy Holy Holy ×3 I want to see you

「静まって知れ」   作詞作曲 Darlene Zschech

1、御翼の陰に隠し 力ある御腕の中に 逆巻く大海を越え

主と共に羽ばたく 我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

2、キリストの中に憩い 信頼と主の力知る いかずち鳴り渡る中

主と共に羽ばたく 我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

2024年3月31日   第53巻 13号

イースター礼拝            

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ルカ23:55~24:7

頌  栄 60

賛  美 死を打ち破り 静まって知れ

交 読 文 58 第一コリント15(874~875頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

(山本千恵子姉)

賛  美 126 地よ声高く

聖  書 ヨハネ20:24~34

メッセージ「信じる者になりなさい」       竹田 広志師

祈  祷

賛  美 182 ただ信ぜよ

頌  栄 63

祝  祷                                               竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 イースターおめでとうございます。主の復活を心からお祝いします。教会からささやかな祝いの品ですが、チョコエッグとカードをお受け取り下さい。

〇 本日礼拝後、教会墓地に向かい墓前礼拝を行います。約15分の短い式となりますので、是非皆さんご参加ください。

〇 次週午後1時より役員会を行います。教会総会準備の為にお祈り下さい。

〇 先週3月29日(金)、教団聖別任命式において、竹田広志牧師は2024年度も勝田台キリスト教会に任命を受けました。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「信じる者になりなさい」 ヨハネ20:24~34

ハッピー・イースター!主の復活を心からお祝いします!

ヨハネは、十二弟子の一人トマスについて記しています。トマスは週の初めの日の夕方、弟子達と一緒にいませんでした。復活されたイエスに会う機会を逃しました。そして、復活されたイエスに出会った、と言う弟子たちの言葉を信じませんでした。トマスは彼らに言います「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手を脇腹に入れなければ、私は決して信じない」(:25)。8日の後、そのような中でもトマスは弟子達と共に行動していたことがわかります。教会学校では、「疑い深いトマス」と言われたりもしますが、彼は正直な人であり、勇気のある、真実な人であったと言えます。適当に周りに流され、信じていないのに、私も信じます、とは言えないのです。

そしてついに、翌週日曜日、イエスはトマスにも現れます。ご自身の手と脇腹を見せて言われます。

「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」

今日、このイースターの朝、復活されたイエスは、ご自身の御許に集う人々に聖書のことばによって、2000年前と同じく語ってくださいます。イエスを今、目で見ることはできません。しかし、教会は目に見えるキリストのからだです。私たちは父、御子、御霊なる神の前に集う者たちです。

ヨハネは、彼がイエスの生涯を書き記したその目的は、今ここにいる「あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じて、イエスの名によって命を得るためである」(:31)言います。信じて、イエスから永遠の命を、復活の命を受け取ってください。

この朝も主イエスは、ご自身を聖書と教会を通して現され、「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と言われます。

【ワーシップ】    「死を打ち破り」    作詞作曲 長沢崇史

すべての人は見る 偉大な光 暗闇を照らす まことの光

失望はない 主に頼るもの イエスキリストは生きている

死を打ち破りよみがえられた 全ての鎖(くさり)解き放つ

主イエスの名を呼ぶものはみな救われる 救われる

* イエスは主 イエスは主 救い主(×2)

「静まって知れ」   作詞作曲 Darlene Zschech

1、御翼の陰に隠し 力ある御腕の中に 逆巻く大海を越え

主と共に羽ばたく 我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

2、キリストの中に憩い 信頼と主の力知る いかずち鳴り渡る中

主と共に羽ばたく 我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

2024年3月24日   第53巻 12号

(受難週)             

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ローマ4:25

頌  栄 60

賛  美 喜びの声上げて 十字架の贖い

交 読 文 6 詩篇22(833~834頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 108 丘に立てる荒削りの

聖  書 ヨハネ19:9~22

メッセージ「誰がイエスを十字架につけたのか」  竹田 広志師

祈  祷

賛  美 112 カルバリ山の十字架

頌  栄 63

祝  祷                                               竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日から受難週に入ります。私たちの救いの為、主イエスが十字架で苦難を受けて下さったことを覚えましょう。

〇 本日礼拝後、山下健太神学生ご一家の送別・愛餐会を行います。皆さんお残り下さい。ご家族へのメッセージカードをお書きください。(1階受付の箱)

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

☆ イースター・召天者記念礼拝・墓前礼拝のご案内 ☆

次週3月31日(日)イースター・召天者記念礼拝 10:00~

             墓前礼拝 12:00~

【説教要約】 「誰がイエスを十字架につけたのか」 ヨハネ19:9~22

イエスが十字架で苦難を受けられたことを記念する受難週に入りました。本日の説教題は「誰がイエスを十字架につけたのか」です。とても大事な問いです。この問いに聖書はどのように答えているでしょうか。

ローマの兵卒でしょうか。ローマの兵卒が太い釘で、イエスを木の十字架に打ち付けました。手のひらではなくて手首であるとも言われます。両手と両足に釘が打たれ、十字架が立てられる時、自らの体の重みで肉が裂けます。

イエスを裏切ったユダでしょうか。十二弟子のひとりのユダがイエスを裏切って、祭司長たちに引き渡しました。三年間、イエスを愛し、師と仰いで従ってきた弟子、イエスご自身が選ばれた弟子のひとりです。お金の為か、イエスへの失望か、彼の中にサタンが入り、闇に捕らわれていった弟子です。

当時の宗教的指導者(祭司、律法学者、パリサイ人)でしょうか。福音書の中では、何度も何度もイエスへの彼らの殺意が記されています。妬みと、保身の為に、違法な裁判を行い、偽りの証言をしました。

ポンテオ・ピラトでしょうか。当時のローマの総督ピラトが、イエスの死刑の判決を下しました。イエスが無罪であることを知っていながら、イエスを人々に引き渡しました。ピラトはイエスを釈放する権限を持っていました。最終的な決定権はピラトが持っていました。

民衆でしょうか。本日は棕櫚の聖日です。民衆はイエスを「ホサナ!イスラエルの王に」(12:13)とイエスを大歓迎してエルサレムに迎えています。同じ民衆なのでしょうか。数日後「イエスを十字架につけろ」と叫んでいます。

 イエスを十字架につけた張本人は誰でしょう。聖書はイエスを十字架につけたのは、ほかの誰でもない。私であり、あなたであると伝えています。「イエスは私たちの罪過のために死に渡され、私たちが義とされるために復活させられたからです」(ローマ4:25)

【ワーシップ】    

「喜びの声上げて」    作詞作曲 林田裕樹

私の罪の為 刺し通され  私の咎の為 砕かれた

彼の十字架が平安をもたらし  彼の打ち傷で私は癒された

* (くりかえし) さあ今喜びの声上げて 心から叫ぼう

ハレルヤ感謝の限り尽くし 主イエスをほめたたえよう

主イエスの血潮で罪赦された 我らの国籍天にある

「十字架の贖い」     作詞作曲 中山有太

キリストの血によって回復が与えられ 主との壁取り壊された

キリストの愛からは引き離すものはない 大胆に恵みの御座へ

十字架の贖い我が罪のため 惜しまずささげた 小羊主イエス

2024年3月17日   第53巻 11号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ローマ5:1

頌  栄 60

賛  美 喜びの声上げて 十字架だけが生きる道

交 読 文 50 イザヤ53(867~868頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 103 わがためイエス君

聖  書 イザヤ53:4~6

メッセージ「神から与えられたシャローム」    山下健太神学生

祈  祷

賛  美 250 世の波風いかに荒れて

頌  栄 63

祝  祷                                     竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 次週から受難週に入ります。私たちの救いの為、主イエスが十字架で苦難を受けて下さったことを覚えましょう。

〇 本日午後12時半より、大西一功師による「異端とカルトについて」の第6回目の学び会を行います。今回で最終回となります。皆さん、ご参加下さい。

〇 次週礼拝後、山下健太神学生ご一家の送別・愛餐会を行います。皆さんお残り下さい。ご家族へのメッセージカードを受付けています。(1階受付の箱)

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

☆ イースター・召天者記念礼拝・墓前礼拝のご案内 ☆

3月31日(日)イースター・召天者記念礼拝 10:00~

        墓前礼拝 12:00~

【説教要約】 「神から与えられたシャローム」 イザヤ53:4~6

平安とは、ヘブライ語で「シャローム」といいます。現代のイスラエルでは、「こんにちは」、「さようなら」などの日常的な挨拶として使われる言葉です。しかし、「シャロームは」は単なる挨拶だけではなく、クリスチャン生活の根幹を支えるとても大切な言葉です。

1,「シャローム」の意味

シャロームとは平安、平和という意味ですが、様々な状況で用いられ、広い意味を持つ豊かな言葉です。①個人や国家間における争い、戦争の無い平和、②安全や無事、③物質的な繁栄、④肉体的、精神的な健康や充足、⑤人間関係における友情や平和、などが挙げられます。そして、最も大切なシャロームは、神と人との関係性における平和と和解です。

2.苦難のしもべ

イザヤ52:13~53:12は、苦難を受けるしもべが描写されている箇所ですが、キリスト教の伝統では、メシア預言として扱われる箇所です。イザヤ53:4~6は、私たち(直接的にはイスラエルの民)に平安を与えるために罪を負い、身代わりとなって十字架での死という苦難を通ることが預言されています。それは、イエス・キリストによって成就されました

3.イエス・キリストによる平安

 キリスト教における救いとは、私たちの罪によってもたらされる神の怒りと罰からの解放です。イエス・キリストの十字架によって、私たちの罪の負債が支払われ、完全に神との関係が修復されました。それを信じる者は、神とのシャロームを得ています。今日、死に打ち勝ったイエス・キリストが「平安があなたがたにありますように」と語りかけています。どんな状況においても決して揺らぐことがない平安に満たされて歩んでいきましょう。

【ワーシップ】    

「喜びの声上げて」           作詞作曲 林田裕樹

私の罪の為 刺し通され  私の咎の為 砕かれた

彼の十字架が平安をもたらし  彼の打ち傷で私は癒された

* (くりかえし) さあ今喜びの声上げて 心から叫ぼう

ハレルヤ感謝の限り尽くし 主イエスをほめたたえよう

主イエスの血潮で罪赦された 我らの国籍天にある

「十字架だけが生きる道」  作詞作曲 中山有太

全てを捨てるほどに 私を愛してくれた 罪を赦し自由にするため

命を捧げてくれた 十字架だけが生きる道 十字架だけが生きる道

滅びから命へ 闇から光へ 救いの道開かれた

感謝します 感謝します あなたの十字架を 血潮により贖われて 私は救われた

2024年3月10日   第53巻 10号

(音楽礼拝)          

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ヘブライ11:13~16

頌  栄 60

賛  美 御腕に抱いて 十字架だけが生きる道

交 読 文 30 詩篇96(852~853頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

オルガン演奏と証し               錦織  充兄

賛  美 301 わが行く道 いついかに

聖  書 ヨハネ14:1~6

メッセージ「イエスは道」            竹田 広志師

祈  祷

賛  美 457 憂いと罪より

頌  栄 63

祝  祷                                     竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日は音楽礼拝でした。ゲストに錦織充氏をお招きし、演奏と証しをしていただきました。祝福されたことを感謝します。

〇 本日礼拝後、隣接地活用検討委員会を開きます。委員の方はご出席下さい。

〇 次週の礼拝は山下健太神学生が御用をします。祝福されますようにお祈り下さい。また、山下神学生は3月31日の礼拝をもって、勝田台での一年の研修を終了します。今後のご一家の歩みの為に祈り、又、お支え下さい。玄関受付のカードをお取り下さり、山下ご一家への感謝と励ましをお書きください。

〇 次週12時半より「異端とカルトについて」第6回目学び会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「イエスは道」 ヨハネ14:1~6

この聖書箇所は、キリスト教の葬儀で読まれます。愛する者を失った大きな悲しみの中に沈む、遺族・参列者が葬儀で最初に聞く聖書の言葉、イエスの言葉です。「心を騒がせてはならない。神を信じ、また私を信じなさい」愛する者を失い、又、自らの死が迫る、とてつもない大きな試練の中でどうしてよいかわからない、途方に暮れるような時に、私たちもイエスの言葉を聞きます。

イエスは「心を騒がせなくてよい。私が父のもとへ行って、あなたがたの為に場所を用意し、また来て、あなたがたを迎えるからだ」と言われます。

そして、イエスの行かれる場所へ行く道については、「私が道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことはできない。」と言われます。歴史の中には、道を語り、道を示す、多くの宗教家、哲学者、思想家、指導者達もいました。しかし、イエスは、「わたしが道である。」と言われます。

イエスを信じ、イエスに、イエスの言葉に従い続けていくことこそが、天の御国に至る唯一の道です。「私を通らなければ」。どんな修行も、律法、法律を守ることも、いかなる神々への信心も、正しく生きようとしても、善に励んでも、おだやかに幸せに寿命を全うしても、だれひとり例外なく、天の国には行けません。イエスが、父のもとへ行く唯一の道です。

イエスがご自身の命をもって開いて下さった価値ある唯一の尊い道です。あなたがこの道を通れるように、あなたの罪を身代わりに清算する為に、イエスは神の怒りと呪いを受け、死んでくださった、それが十字架です。救いの門は開いています。あなたはその福音をただ信じるだけで救いを受け取れます。

イエスが成し遂げられた唯一の救いの道。十字架だけが生きる道です。

あなたもイエスの招きに応えてイエスを信じ、この道を歩みませんか。

【ワーシップ】    

「み腕に抱いて」            作詞作曲 中山有太

(* 今主よ わたしの心に触れて あなたの御腕に抱いて下さい )

全ての疲れた人よ、重荷悩み負う人よ、

イエスの前に出て行こう、全てを今手離そう (*おりかえし)

あなたの愛に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから

あなたの腕に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから

「十字架だけが生きる道」  作詞作曲 中山有太

全てを捨てるほどに 私を愛してくれた 罪を赦し自由にするため

命を捧げてくれた 十字架だけが生きる道 十字架だけが生きる道

滅びから命へ 闇から光へ 救いの道開かれた

感謝します 感謝します あなたの十字架を 血潮により贖われて 私は救われた

2024年3月3日   第53巻  9号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 第二コリント2:15~18

頌  栄 60

賛  美 詩篇100 叫べ全地よ

交 読 文 29 詩篇95(852頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 20 主の真実(まこと)はくしきかな

聖  書 ヨハネ8:31~47

メッセージ「真理は自由を与える」        竹田 広志師

祈  祷

聖 餐 式 49 しみも咎も

賛  美 34 主よ汝が前をば

頌  栄 63

祝  祷                      竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日礼拝後、近隣に音楽礼拝のチラシを配布します。(先週は雨天で中止)

〇 本日午後1時より役員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

★ 音楽礼拝のご案内 ★

次週3月10日(日)音楽礼拝 ゲスト:錦織充氏 オルガン演奏と証し

* 集会のチラシがあります。チラシを活用し、誘い合わせて御出席下さい。

【説教要約】「真理は自由を与える」ヨハネ8:31~47

本日のメッセージのテーマは「真理」です。新約聖書のコイネーギリシア語アレイセイヤ(真理)は、覆いを取り払って事実を明らかにするという意味があります。神と私たちの間にある覆いが取り除かれて悟るものが真理(アレイセイア)です。私たちはどのようにして真理を得ることができるでしょうか。

イエスは「私の言葉にとどまるならば」と言われます。イエスの言葉にとどまるとは、イエスを信じ、イエスに従うことです。イエスの言葉を聞き、イエスの言葉に従う日々の中で、私たちは真理を得ます。そして、イエスが生ける神の御子救い主であることを知ります。イエスの十字架の贖いが私の全ての罪を赦し、私を救うことを知ります。聖書の全ての約束が真実であり必ず成就することを知ります。真理とはイエスご自身であり、イエスを知り、イエスと共に生きる中で私たちは真理を得ます。イエスの言葉を聞き、それに従う中で、私たちは神の愛を深く、更に深く知っていきます。読んだことのない新しいページが次々に開かれていく様に私たちは真理を得ます。

イエスは「真理はあなたがたを自由にする」と言われています。何から真理は私たちを自由にするのでしょうか。

自由についてのイメージを、束縛のないこと、自分の思うようにできることであると私たちは考えます。しかし、「自由とは良いことを選ぶ力である」と定義したいと思います。自分の欲望や、頑固さ、プライドによって、私たちは悪いことだと分かっていてもそちらを選んでしまうことや、良いことだと分かっていても良い方を選ぶことができないことがあります。これが罪の束縛です。正しい選択を分かっていながらできないのです。良いことを行う、良い言葉を発言する自由を得ましょう。また、神のみこころを行うことは、人にとっての最も良い選択です。それは神から遣わされたイエスを信じることです。信仰がなければ神に喜ばれることはできません。

【ワーシップ】     

「詩篇100」    作詞作曲 中山有太

感謝しつつ主の門に 賛美しつつ大庭に 心合わせ臨在に入れ

主はいつくしみ深い 恵みはとこしえまで その真実は代々に至る

我らは主のもの主の民 その牧場の羊 

知れ 主こそ神 喜びの声上げよ  来たれ 主の前で 喜びもって仕えよ

「叫べ全地よ」   作詞作曲 Dariene Zschcch

わが主イエスよ 救いの君 主の愛たたえる命の限り

とりで、力、慰め主よ 我が霊、たましい、あがめよ永遠に

叫べ全地よ歌え 主の力と栄光 山も海も震える み名のとどろきに

喜べ御手のわざを 永遠(とわ)に愛し仕える 全てにまさるイエスの愛

2024年2月25日   第53巻  8号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 民数記6:24~26

頌  栄 60

賛  美 栄光の輝き 夜も昼も

交 読 文 28 詩篇91(851~852頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 220 恵みの光は

聖  書 ヨハネ8:12~20

メッセージ「世の光イエス」           竹田 広志師

祈  祷

賛  美 425 灯台は遥か

頌  栄 63

祝  祷                                       竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】、

〇 本日礼拝後、のぞみうどん(食費1人100円)を開店し、各会を行います。

〇 本日各会の後、近隣に音楽礼拝のチラシを配布します。

〇 次週午後1時より役員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

★ 音楽礼拝のご案内 ★

3月10日(日)音楽礼拝 ゲスト:錦織充氏 オルガン演奏と証し

* 集会のチラシがあります。チラシを活用し、誘い合わせて御出席下さい。

【説教要約】

「世の光イエス」ヨハネ8:12~20

闇が深ければ深いほど、灯火は輝きます。試練や苦難の中で、私たちはまことの光を見出します。自らの罪の深さを知ることは大きな神の恵みです。

一寸先は闇という諺があります。どのような堅固に見える人生設計をしても、私たちは先行きのわからない暗闇の中を手探りで歩いているような者です。

私たちの人生に様々な試練が襲い、暗闇の中に落ち込むことがあります。

私たちの内側にはコントロールできない欲望や怒り、妬みがあります。自分の周りを、また、自分自身を壊してしまうことがあります。

全ての人は、最後に「死」という闇に立ち向かわなければなりません。

この朝、イエスは言われます。「私は世の光である。私に従う者は闇の中を歩まず、命の光を持つ」このイエスの言葉は真実でしょうか。

ヨハネによる福音書のイエスとユダヤ人との対話の中で、くどいと思われる程に繰り返し記されている内容は、イエスの証しは、その成された業(しるし)により、旧約の預言により、そして御霊により、何よりもイエスを遣わされた父により、真実であるとあります。バプテスマのヨハネもイエスを「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)と証ししましたが、イエスの証言は御自身だけで十分であり、誰からも証言される必要のないお方です。

あなたは、イエスの証言を信じますか。イエスは世の光で、イエスに従うものは闇のうちを歩くことがなく、命の光を持つのだと。教会で使われる「アーメン」という言葉は、「真実です」という意味の応答の言葉です。

この対話の後の9章には「生まれつき目の見えない人の癒し」の記事があります。イエスの光は、見えない者を見えるようにします。目に見えない神を、目に見えない神の祝福・力を見えるようにする光です。神の招きによる希望。聖なる者が受け継ぐもの。イエスを信じる者に力強く働く神の力。とあります。それが見えるようになって、私たちはますます、知恵と啓示の聖霊によって、神を、イエスを深く知ることができるのです。

【ワーシップ】

                              「栄光の輝き」    作詞作曲 山中有太

主を慕い求め ほめ歌ささげ 偉大な王を拝します

宮に満ちている栄光の輝き あふれ 流れ 地に満ちる

主の栄光の輝き放たれ 町を照らし町を生かしてゆく

永遠の光 四方八方照らす 闇はこの光に打ち勝てない

            「夜も昼も」     作詞作曲 Rebecca Hwang

我が希望の主 主を見上げます また来る我が王イエス 主を待ち望む

夜も昼も 昨日も今日も とわに主をたたえ

つらい時も 倒れる時でも いつも主をほめ歌う

2024年2月18日   第53巻  7号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 詩篇103:8~14

頌  栄 60

賛  美 死を打ち破り 十字架の贖い

交 読 文 27 詩篇90(849~850頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 108 丘に立てる荒削りの

聖  書 ヨハネ8:1~11

メッセージ「私もあなたを罪に定めない」     竹田 広志師

祈  祷

賛  美 447 あなたの持てる悩みは

頌  栄 63

祝  祷                      竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】、

〇 本日12時半より、大西一功師による、第五回「異端とカルトとは何か」の学びを行います。是非、皆さんご参加ください。

〇 次週礼拝後、のぞみうどんを開店し、各会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

         ★ 音楽礼拝のご案内 ★

3月10日(日)音楽礼拝 ゲスト:錦織充氏 オルガン演奏と証し

* 集会のチラシがあります。チラシを活用し、誘い合わせて御出席下さい。

【説教要約】「私もあなたを罪に定めない」ヨハネ8:1~11

この箇所は、鍵カッコで括られています。写本の中にはこの記事がないものもあります。それを心に留めて本日の記事を読みましょう。

神殿の境内で、人々は朝早くからイエスの教えに耳を傾けていました。静寂を破るように引き出されて来たひとりの女性がいました。姦淫の現場を押さえられ、捕らえられたのです。律法学者やファリサイ派の人々は、イエスを陥れる為に「モーセの律法では姦淫を犯した女を石で打てとありますが、あなたはどうお考えになりますか」と問います。イエスはその声を聞き流すように、地面にかがんで何かを書いておられました。人々が、しつこく詰め寄るので、イエスは身を起こして言われます。「あなたがたの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」イエスの周りにいた人々は年長者から順にその場を去って行きました。

ここに人の闇があります。姦淫の女の闇――隠していた罪が白日の下に顕わにされた女。律法学者とファリサイ派の人々の闇――妬みと憎しみと悪意に満ちて、女を断罪する彼ら。そして、それを囲む人々の闇――自らの胸に手を当てることをせず、好奇の目で罪あるものを囲んで見下す彼ら。しかし、イエスの言葉は、誰もが裁きの座に自分が立たなければならない罪人であることを悟らせます。罪のない者はひとりもいません。私もあなたもそうです。石を投げることができる者は誰一人いません。そして、人々の心の闇が渦巻くその只中に立っておられるのが、罪の無いただおひとりの方、イエスです。

女は律法によれば、石打ちの刑を受けなければならない。しかし、彼女は救われました。ひとり残された女にイエスは言われます。「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは罪を犯してはいけない。」イエスが十字架で死なれたのは、罪ある者が罪に定められる為ではなく、罪ある者が罪に定められない為にです。イエスが、私の罪の為に打たれて下さったのです。

【ワーシップ】     

「死を打ち破り」    作詞作曲 長沢崇史

すべての人は見る 偉大な光 暗闇を照らす まことの光

失望はない 主に頼るもの イエスキリストは生きている

死を打ち破りよみがえられた 全ての鎖(くさり)解き放つ

主イエスの名を呼ぶものはみな救われる 救われる

*イエスは主 イエスは主 救い主(×2)

「十字架の贖い」    作詞作曲 中山有太

キリストの血によって回復が与えられ 主との壁取り壊された

キリストの愛からは引き離すものはない 大胆に恵みの御座へ

十字架の贖い我が罪のため 惜しまずささげた 小羊主イエス

2024年2月11日   第53巻  6号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 エゼキエル47:1~5

頌  栄 60

賛  美 花も 生ける水の川

交 読 文 26 詩篇84(849頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 267 渇けるわれは上より賜う

聖  書 ヨハネ7:37~39、45~53

メッセージ「生ける水の川」           竹田 広志師

祈  祷

賛  美 433 天つ真清水

頌  栄 63

祝  祷                                               竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】、

〇 本日礼拝後、隣接地活用検討委員会を行います。検討委員の方はご出席ください。又、検討委員会の為にお祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】「生ける水の川」ヨハネ7:37~39、45~53

仮庵の祭りは、出エジプトにおけるモーセとイスラエルの民の40年間の荒野での天幕(仮の家)生活を記念する祭りです。神はイスラエルの民を昼は雲の柱、夜は火の柱をもって荒野を導かれました。「光と水」の祭典です。「光」はイスラエルを導いた火の柱。「水」はモーセが岩を叩いてイスラエルの民に飲ませた水を示します。水は命を示します。

安息日から安息日まで8日間続く祭りでは、毎朝晩「シロアムの池」から黄金の器をもって水を汲み、神殿へその水を運び、動物のいけにえや収穫の供え物と共に祭壇に注がれました。エルサレムの小高い丘の神殿まで、その水が運ばれていきます。

祭りの終わりの大事な日に、イエスは神殿に来る多くの人々に、立って大声で言われます。「渇いている人は誰でも、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が語ったとおり、その人の内から生ける水が川となって流れ出るようになる。」

イエスのもとに、全ての渇きを癒す生ける水があります。その受け取り方は、信仰によってのみです。聖書の預言、聖書に語られていた神の約束、私達に与えられる祝福の約束が実現します。表面的なものではなく、真実に私達の内から出るものとなります。自らの渇きが潤されるだけではなく、その祝福は流れ出て、尽きることのない泉となります。自らが潤されるだけではなく、周りを潤すことのできる人となります。それは、世界中のイエスを信じる人々に、このみ言葉は実現します。それはイエスが授けてくださる聖霊のバプテスマ、満たしです。聖霊に満たされることは、私達の腹から、神の愛と祝福が溢れ出る源です。私達の周りも神の祝福に与かっていくのです。

今日、私達はイエスのもとに集っています。イエスを信じ、生ける水(聖霊)を受け取りましょう、私たちの心の奥底から、その生ける水が川となって流れ出ます。

【ワーシップ】   

 「花も」       MEBBIC

1、ここに泉は湧く涙を過ぎる時 やがて実を結び笑い声に満ちる

(おりかえし)花も雲も風も大海も 奏でよう奏でようイエスを

空に響け歌え魂よ  恵みを 恵みを 恵みを

2、仰げ天は開き僕らは見るだろう やがて花は咲き栄光の主が来られる

「生ける水の川」   作詞作曲 小坂 忠

主の御座から流れる生ける水の川 今その流れの中で 

① めぐみ受けよ ② 救い受けよ ③ 癒し受けよ

あふれて流れていのちを与える 全てのものが生きる いのちの水の川

2024年2月4日   第53巻  5号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ヨハネ17:3~5

頌  栄 60

賛  美 御名を掲げて 主は良いお方 

交 読 文 25 詩篇73(848~849頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 155 御位を降り

聖  書 ヨハネ7:25~36、40~44

メッセージ「神の許から来られたイエス」     竹田 広志師

祈  祷

聖 餐 式 49 しみも咎も

賛  美 143 いとも尊き

頌  栄 63

祝  祷                           竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】、

〇 本日午後1時より役員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】「神の許から来られたイエス」ヨハネ7:25~36、40~44

1、どこから来たお方なのか

「私はそのお方のもとから来たのであり、そのお方が私をお遣わしになったのである。」(:29)とイエスは言われます。イエスの出身はナザレでもベツレヘムでもなく、父なる神の御もとです。

イエスは神に造られたお方ではなく、私たちを造られた神であると信じます。ナザレの大工の息子、母マリヤから、人として生まれたお方を、天から降って来られたお方と私達は信じているのです。私達はあり得ない、途方もないことを信じていると言えます。しかし、それが私達のイエスに対する信仰です。

どうして、信じることができるのでしょう。このお方は、私達の罪の為に十字架で死に、三日目に復活された、死人の中におられない唯一のお方、今も生きておられるお方だからです。そして、確かに私達を救ってくださる、救って下さったお方だからです。招詞のヨハネ17章3節~5節を開いて読みましょう。イエスははっきりと「父よ、世が造られる前に、私が御もとで持っていた栄光で、今、御前に私を輝かせて下さい」言われています。

2、どこへ行かれるお方なのか

「今しばらく、私はあなたがたと共にいる。それから、私を遣わした方のもとへ帰る。あなたがたは私を捜しても、見つけることができない。私のいる所に、あなたがたは来ることはできない」(:36)とイエスは言われます。

私達は神によって造られ、神の救いを受けて神のもとに帰っていく存在です。

しかし、イエスは天地が造られる前から、神と共におられ、数十年の間、人としてこの地に遣わされ、元おられた神のもとに帰られる(戻られる)お方です。私達を愛し、神のみ許を離れて地に降られ、ご自身の命を賭して地上で神の救いの道を開かれ、父の御もとに帰り、場所を備えて私達を迎えて下さるお方がイエスです。そのような意味でヨハネ14章1~6節を新たに読んでみて下さい。私たちはこの救い主に捕らえられ、新しい命を与えられ、そして世に遣わされた者として、新しい人生をスタートさせています。

【ワーシップ】    

                         「御名を掲げて」   作詞作曲 Rick Founds

御名を掲げてあなたをたたえます 救いの為にあなたは来られた

救いの道を与えに天より降り来られた 十字架により命贖い よみがえられた

       「主は良いお方」  作詞作曲 長沢崇史

我が魂 主をたたえよ 聖なる御名をほめたたえよ

主の良くして下さったことを 何一つ忘れるな  (×2)

主は良いお方 主は良いお方 恵みと憐れみの冠を持って

私の一生 良いもので満たす 主は良いお方 賛美をささげます

2024年1月28日   第53巻  4号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ヨハネ14:23~26

頌  栄 60

賛  美 求めて 十字架だけが生きる道 

交 読 文 24 詩篇67(847~848頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 40 ガリラヤの風かおる丘で

聖  書 ヨハネ7:14~24

メッセージ「イエスの教えは神の真意」      竹田 広志師

祈  祷

賛  美 202 一度死にしわれをも

頌  栄 63

祝  祷                                     竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】、

〇 本日は文書伝道デーとして、いのちのことば社の方々に来会していだだき、証しをしていただきました。感謝します。玄関ホールに信仰良書を置いています。是非、ご覧下さりご購入下さい。信仰の成長と伝道の為にお用い下さい。

〇 本日12時から新年愛餐会を行います。おひとり約1分で、新年の抱負を分かち合いたいと思います。是非、ご参加ください。

〇 本日1時半より千葉教区会がZOOMで行われます。愛餐会の後に出席を予定しています。竹田師と役員が出席します。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】「イエスの教えは神の真意」 ヨハネ7:1~13

神殿の境内で、イエスの教えに耳を傾ける人たちはこう言いました。「この人は学問をしたわけでもないのに、どうして聖書をこんなに良く知っているのだろう」その教えに驚いたとあります。イエスは田舎のナザレ出身の大工の息子で、どこかで学問や律法を学んだのではありません。イエスはご自身の教えの出所は、律法学者やラビ(教師)の教えではなく、父なる神からであると答えられます。そして、神の御心を行おうとする者は、それがわかると言っておられます。イエスの教えと神の御心は寸分たがわないからです。

律法は神の御心です。私達は聖書の言葉を通して、神の御心を知ります。しかし、その聖書の言葉をどのように解釈し、教えるか、はとても重要です。神から出たものか、それとも自分勝手なものなのか。イエスのその生涯と教えによって、又、御霊によって、私達は文字によって書かれた神の言葉のその真意(神の御心)を悟り、行うことができます。

イエスの教えを聞かない律法を教える学者、祭司たちは、イエスが律法を守らない者、安息日を破る者として命を狙っていました。「安息日に仕事をする者はすべて、必ず死ななければならない」(出エジプト31:15)とあるからです。38年間床に伏せっていた男をイエスは癒されました。病から解放し、床を取り上げて帰らせたのです。彼らは38年間もの間、病に捕らわれていた男が神の祝福によって安息を得たことに注目するのでなく、安息日にそれが行なわれたことを非難しています。「うわべで裁くのをやめ、正しい裁き(判断)をしなさい」。律法とはそもそも何でしょうか。又、安息日とは何でしょうか。イエスの安息日についての教えは、「安息日は人のためにあるのであって、人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある」(マルコ2:27)と言われました。安息日は神の祝福と聖別の日です。神の御許に行き、安息を得るために仕事を、働きを止めるのです。安息日であっても、出生8日目の男子にユダヤ人は割礼を施します。それは神の民としての祝福のしるしです。安息日は神から祝福を受ける日なのです。

【ワーシップ】    「求めて」      作詞作曲 中山有太

あなたの声を求めて あなたの顔求めて あなたの心求めて 御前に出る

全てをゆだねて 全てをささげて  あなたを求めて礼拝します

    「十字架だけが生きる道」  作詞作曲 中山有太

全てを捨てるほどに 私を愛してくれた 罪を赦し自由にするため

命を捧げてくれた 十字架だけが生きる道 十字架だけが生きる道

滅びから命へ 闇から光へ 救いの道開かれた

感謝します 感謝します あなたの十字架を 血潮により贖われて 私は救われた

2024年1月21日   第53巻  3号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ヘブライ3:12~15

頌  栄 60

賛  美 詩篇100 十字架だけが生きる道 

交 読 文 23 詩篇66(846~847頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 34 主よ汝が前をば

聖  書 ヨハネ7:1~13

メッセージ「あなたがたの時はいつも備わっている」竹田 広志師

祈  祷

賛  美 446 あなたの罪 過ちは

頌  栄 63

祝  祷                                        竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】、

〇 本日午後12時半より、大西一功師による第四回「異端、カルトとは何か」の学びを行います。是非、皆さんご参加ください。

〇 次週28日(日)文書伝道デーとして、いのちのことば社の方が来会し、礼拝の中でのあかしと、出張販売をしていただきます。是非、出張販売を通して信仰書をご購入下さい。又、同日午後12時から新年愛餐会を行います。食事の準備をしますので、出席される方は受付に用意された名簿に〇印を記入してください。おひとり各約1分で、新年の抱負を分かち合いたいと思います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】「あなたがたの時はいつも備わっている」 ヨハネ7:1~13

聖書の中では多くは語られていませんが、イエスとその実の兄弟との対話があります。イエスには4人の兄弟と数名の妹たちがいました。(マタイ13:55~56)イエスの働きに兄弟たちは参加していませんので、兄弟たちはイエスを神の御子、救い主と信じていませんでした。イエスが十字架で死に、三日目に復活されて後にイエスを信じます。

兄弟たちはイエスに、都に上って自分を示すために「仮庵の祭りに上らないのか」と問います。本日はイエスの語られた二つの言葉に焦点を当ててお話ししたいと思います。

ひとつは、イエスの答えられた「私の時はまだ来ていない」という言葉です。私の時とは何でしょう。それは、神のみこころであり、イエスの最大の使命である「全ての人の罪の贖いの為に十字架で命を捨てる」時です。イエスはご自分の為すべきことを知っておられました。そして、その「時」をいつも覚え、見据えておられました。

神のご計画の時があります。それを私たちは「みこころが成りますように」と受け止めます。あなたには、神の「時」であると受け止めた経験はありますか。神に従う者は、数多くそのような経験をいただきます。

もうひとつは、「しかし、あなたがたの時はいつも備わっている」というイエスの言葉です。あなたがたの時とは何でしょう。それはイエスの兄弟たちがイエスを神の御子、救い主と信じる時です。イエスを信じるのは、〈いつか〉でなく〈今〉です。「いつも備わっている」からです。「いつも備わっている」という言葉は何時でも良いという意味ではありません。今備わっているという意味です。聖霊によって目を開いていただきましょう。今がどのような神の時なのか。そしてその神の時にふさわしく、みこころを最優先して選択し、それを実行しましょう。神の川は水で満ちています。

【ワーシップ】 

「詩篇100」       作詞作曲 中山有太

感謝しつつ主の門に 賛美しつつ大庭に 心合わせ臨在に入れ

主はいつくしみ深い 恵みはとこしえまで その真実は代々に至る

我らは主のもの主の民 その牧場の羊 

知れ 主こそ神 喜びの声上げよ  来たれ 主の前で 喜びもって仕えよ

「十字架だけが生きる道」  作詞作曲 中山有太

全てを捨てるほどに 私を愛してくれた 罪を赦し自由にするため

命を捧げてくれた 十字架だけが生きる道 十字架だけが生きる道

滅びから命へ 闇から光へ 救いの道開かれた

感謝します 感謝します あなたの十字架を 血潮により贖われて 私は救われた

2024年1月14日   第53巻  2号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 申命記8:1~3

頌  栄 60

賛  美 君は愛されるため生まれた 静まって知れ

交 読 文 22 詩篇65(845~846頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 324 主と主のことばに

聖  書 ヨハネ6:60~71

メッセージ「イエスの言葉は霊、命」       竹田 広志師

祈  祷

賛  美 402 暗き谷間をたどるときも

頌  栄 63

祝  祷                                     竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 今週18日(木)から「のぞみカフェ」を再開します。

〇 次週午後12時半より第四回「異端、カルトとは何か」の学びを行います。

〇 1月28日(日)文書伝道デーとして、いのちのことば社の方が来会し、礼拝の中でのあかしと、出張販売をしていただきます。是非、出張販売を通して信仰書をご購入下さい。又、同日午後12時から新年愛餐会を行います。食事の準備をしますので、出席される方は受付に用意された名簿に〇印を記載ください。おひとり各約1分で、新年の抱負を分かち合いたいと思います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「イエスの言葉は霊、命」 ヨハネ6:60~71

イエスの言葉につまずき、離れ去る者、そしてイエスを裏切る者がいます。

自分、自分の理想や願いではなく、イエスの言葉を信じることが信仰です。イエスに従うことが信仰です。それは時に、理解できないことがあります。自分の願っているものと違っていることがあります。自分の大切にしているものを手放すこともあります。イエスに従う道は、自分を捨て、日々自分の十字架を負って行く道です。しかし、その道は喜びがあり、永遠の命に至ります。

イスカリオテのユダは、師であるイエスを銀貨30枚で敵対者たちに引き渡します。ユダはイエスがお選びになった十二弟子のひとりです。何ゆえに彼はイエスを裏切ったのでしょうか。その動機について、これだという事はできませんが、愛し従って来たが故の反動、自分が願っていたのと違ったイエスという失望感があったことは否めません。

また、イエスがユダの裏切りを止めることをせず、十字架の苦難の道を神の御心として、自ら進んで行かれたということはしっかりと覚えましょう。

弟子の多くがイエスのもとから離れて行く時、イエスは十二弟子に「あなたがたも去ろうとするのか」と問われます。シモン・ペトロは答えます「主よ。私たちは誰のところへ行きましょう。永遠の命の言葉を持っておられるのは、あなたです。あなたこそ神の聖者であると、私たちは信じ、また知っています」。このペトロの告白は、「私があなたがたに話した言葉は、霊であり、命である」。と言われたイエスの言葉に対する応答です。

パンは目に見えますが、人の腹に残りません。言葉は目には見えませんが、人の内に残り続けます。イエスの言葉は、霊であり、命です。

人の発する言葉にも力がありますが、イエスの言葉は霊であり、命です。人の言葉は宙に消えていきますが、イエスの言葉は、その人の内を神に仕える者へと造り変え、神に喜ばれる心、永遠の命に至る実を結ばせます。

【ワーシップ】 

「君は愛されるため生まれた」  作詞作曲 イ・ミンソプ

君は愛されるため生まれた 君の生涯は 愛で満ちている

永遠(えいえん)の神の愛は われらの出会いの中で実を結ぶ

君の存在が 私には どれほど大きな喜びでしょう

君は愛されるため生まれた 今もその愛受けている(×2)

「静まって知れ」               作詞作曲 Darlene Zschech

1 御翼の陰に隠し  力ある御腕の中に 逆巻く大海を越え 

主と共に羽ばたく 我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

2 キリストの中に憩い 信頼と主の力知る いかずち鳴り渡る中 

主と共に羽ばたく 我が父よ王なる神 静まりあなたを知る


2024年1月7日   第53巻  1号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ヨシュア記1:9

頌  栄 60

賛  美 ワーシップ 命の水 十字架の贖い

交 読 文 20 詩篇57(844頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 235 罪 重荷を除くは

聖  書 ヨハネ6:41~59

メッセージ「イエスの命に与かる」        竹田 広志師

祈  祷

聖 餐 式 49 しみも咎も

賛  美 102 主は命を 

頌  栄 63

祝  祷                                        竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 今年最初の主日礼拝です。新しい一年、目標を目指して信仰の道のりをひたすらに走り抜きましょう。

〇 本日午後1時より役員会を行います。

〇 祈祷会は今週10日(水)から、又、「のぞみカフェ」は次週1月18日(木)からスタートします。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「イエスの命に与かる」 ヨハネ6:41~59

本日は今年最初の「聖餐式」が行われます。

イエスが「天から降って来たパンである」と言われた言葉に、群集はつぶやきます。「私は天から降って来た」とはどういう意味か。イエスがナザレの出身で、父ヨセフも母も、その家族を知る者もいます。天から下って来たとは何事か。我らと同じ人間ではないか。彼が自分を神のように言う「天から降って来た」とはどういうことか。

イエスは重ねて言います。「私のもとに来る者を、私は終わりの日に復活させる」よくよく言っておく(:47)「私を信じる者は永遠の命を得ている。」

聖書の言う永遠の命とは、言葉そのものの響きはいつまでも生きる命、死ぬことがない命という感じがしますが、「永遠の神である主に結ばれている命、つながっている、接がれている命」のことです。復活されたイエスの命に結ばれていることです。 * ぶどうの木とその枝です。

永遠は神のみに属します。イエスご自身が永遠の命です。そのイエス(の命)とひとつとなることです。永遠の命とは神が与えてくださるる祝福であり、死は神の人間の罪に対する裁きです。

永遠の命とは、死に対する勝利、復活の命です

永遠の命とは、神による救いです。罪の赦し、神の義です。

永遠の命とは、飢えることない、渇くことのない神の満たしです。

永遠の命とは、 神の民、神の子供、御国の世継ぎとして神の国に入ることです。

永遠の命とは、神が与える回復。癒しと慰めです。

永遠の命を得るとは、イエスの命に与かることです。

「よくよく言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。私は命のパンである」

【ワーシップ】  

「命の水」          作詞作曲 田中満矢

ここに命の水があふれ流れる 罪も汚れも洗いきよめられる

飢え渇く者すべて満たされていく 命なき者全て花を咲かす

全てが生きる その水は癒し 全てが生きる その水は命 

全てが生きる その水は満たし わたしは生きる

あなたが源(みなもと) 我が命 力 とこしえに

あなたが源 あふれ流れ川となる 決して変わらない命の泉 

信じる者みな生き返る 決して揺るがない命の泉 全て麗しく生き返る 

「十字架の贖い」    作詞作曲 中山有太

キリストの血によって回復が与えられ 主との壁取り壊された

キリストの愛からは引き離すものはない 大胆に恵みの御座へ

十字架の贖い我が罪のため 惜しまずささげた 小羊主イエス

2024年1月1日   第53巻  1号

元 旦 礼 拝             

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ヘブル11:13~16

頌  栄 60

賛  美 ワーシップ 詩篇100

交 読 文 31 詩篇100(853頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 398 新しき地に

聖  書 フィリピ3:10~21

メッセージ「目標を目指してひたすらに走る」   竹田 広志師

祈  祷

賛  美 396 慕いまつる主の

頌  栄 63

祝  祷                      竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 新年あけましておめでとうございます。新たな一年、目標をしっかりと見て信仰の道のりを走り抜きましょう。

〇 次週午後1時より役員会を行います。

〇 今週3日(水)祈祷会は中止になります。祈祷会は10日(水)から。又、毎週木曜日の「のぞみカフェ」は1月18日(木)からスタートします。

〇 竹田牧師は1月4~6日、休暇をとります。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「目標を目指してひたすらに走る」フィリピ3:10~21 

イエスによる救いを手渡す。宣教、伝道は教会の大きな使命、働きです。新しい一年も、素晴らしい神の愛を、イエスの恵みの豊かさを、聖霊による喜びの交わりを、私達教会は伝えていきたいと思います。

しかし救いとは、信じて救われ、洗礼を受けて終わりではなく、最後まで信仰を固く握って、天国に入ること、栄光のからだを得ること、信仰ある生涯を最後まで走り抜くことです。かつてイエスを信じて洗礼を受けましたが、今は信仰生活からは離れています、という言葉を聞きます。新しい人にイエスを伝えるのも簡単ではありませんが、イエスを信じた人が、最後まで信仰の生涯を歩み抜くことも容易い道のりではありません。

元旦の朝、私達は目標を見失うことなく、見失った時には軌道修正して、しっかりと「目標を目指してひたすらに走り抜く」一年としたいと願っています。

コロナ禍、ロシアとウクライナ、イスラエルとガザ地区のハマスの戦争、大きな自然災害による被災者、統一教会の二世問題、物価高による生活苦、日本のキリスト教会にも嵐が打ち付けています。

目指す目標とは、死者の復活(:11)、神の賞(:14)、栄光のからだ(:21)。キリストを得る(:8)、キリストの真実による義を受ける(:9)。それは永遠の、色あせない朽ちない冠、神の賞与です。地上で得た朽ちゆくものは、人生の最後には何一つ持っていけません。

私たちはこの競技をいかにして走り抜くことができるのでしょうか。数々の困難・試練、そして世の誘惑が、私達を失望させ、疑いを起こさせ、確信を揺るがせ、迷いを与えます。私たちはいかにこの細い道、狭い門を通って、ゴールテープを切ることができるのでしょうか。

走り抜くための根拠とは何でしょうか。それは「自分がキリスト・イエスによって捕らえられているからです」(:12)。キリストが万物をご自身に従わせることのできる御力によって(:21)私をとらえていて下さるからです。神を捕らえているというものの信仰は弱いです。神に捕われているというものの信仰は強いのです。

【ワーシップ】  

「詩篇100」      作詞作曲 中山有太

感謝しつつ主の門に 賛美しつつ大庭に 心合わせ臨在に入れ

主はいつくしみ深い 恵みはとこしえまで その真実は代々に至る

我らは主のもの主の民 その牧場の羊 

知れ 主こそ神 喜びの声上げよ  来たれ 主の前で 喜びもって仕えよ

2023年12月31日   第52巻 52号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 イザヤ44:1~5

頌  栄 60

賛  美 ワーシップ 神の家族 夜も昼も

交 読 文 21 詩篇62(844~845頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 341 恐れなく近寄れ

聖  書 ローマ8:1~11

メッセージ「キリスト・イエスにある命の霊の法則」竹田 広志師

祈  祷

賛  美 148 夕べ雲焼くる 

頌  栄 63

祝  祷                       竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 今年最後の礼拝となりました。心からの感謝を込めて、主の栄光をほめたたえましょう。

〇 明日1月1日(祝)10時から元旦礼拝を行います。

〇 次週午後1時より役員会を行います。

〇 先週の「クリスマス賛美のつどい」には72名の方々が来会され、祝福されました事を感謝します。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「キリスト・イエスにある命の霊の法則」 

一年を振り返り、神である主は、私達に命、そして日々の糧・暮らしを与え、太陽を上らせ、雨を降らせて下さいました。神の恵みは私達の周りに溢れています。又、私たちは神である主の前に、様々な祈りを捧げてきました。主の良くして下さった事を何一つ忘れるな。応えられた(叶えられたではなく)祈りを数え、感謝をもって主をたたえ、主に栄光をお返ししたいと思います。

本日は「キリスト・イエスにある者は罪に定められることはありません」を軸に、「キリスト・イエスにある命の霊の法則」についてお話しします。

「罪と死との法則」とは何でしょうか。医者は、病人の病気の原因を探ります。これが原因でこの人にこのような病状が起きているのだと診断します。そして、適切な処置をし、時には病気の原因になっている病巣を切除します。聖書は、人の死の原因は罪であると私たちに教えています。罪の結果が死です。罪と死の法則とは、まさに原因と結果です。罪という病巣を取り除く以外に、私達の死の解決はありません。罪の支払う報酬は死です。人間は一度死ぬことと、死んだ後、裁きを受けることが定まっています。

イエス・キリストが来られました。神の御位を捨てて、人の世にお生まれくださいました。ここに、神の愛があります。イエス・キリストが来られたのは、罪と死による法則(定め)から、私たちを救う為です。

その方法は、「ご自身が人となられて(罪深い肉と同じ姿で)、罪なき生涯を送られ、人々の罪を身代わりに背負って、罰(死と裁き)を受ける」という十字架による罪の贖いです。イエスの十字架、すなわち御子の命の代償により、私達の罪の赦しがあります。「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているのかわからずにいるのです。」イエスは十字架の上で祈られました。そして死なれました。イエスの十字架の贖いにより、私達の「罪と死との法則」から解放される力ある神の業が成し遂げられたのです。「従って、今や、キリスト・イエスにある者は罪に定められることがありません」

【ワーシップ】  

「神の家族」      作詞作曲 長沢崇史

どんな宝石より美しく尊い 神の愛によって結ばれた関係

神の家族 キリストにあってひとつ 神の家族 永遠に続く家族

ひとつの体分け合う 欠けてはならない存在

共に泣きともに喜ぶ 愛により建てられてく

         「夜も昼も」      作詞作曲 Rebecca Hwang

我が希望の主 主を見上げます また来る我が王イエス 主を待ち望む

夜も昼も 昨日も今日も とわに主をたたえ

つらい時も 倒れる時でも いつも主をほめ歌う


2023年12月24日   第52巻 51号

☆ クリスマス礼拝 ☆        

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 イザヤ9:1~6

頌  栄 60

賛  美 ワーシップ 輝く御名 イエスが愛したように

交 読 文 52 ルカ1(869頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 76 諸人こぞりて

聖  書 ルカ2:8~14

メッセージ「平和の君イエス」          竹田 広志師

祈  祷

賛  美 77 きよしこの夜

頌  栄 63

祝  祷                                          竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 Merry Christmas!主イエス・キリストの御降誕を心からお祝いします。

〇 本日午後2時より「クリスマス賛美の集い」を開催します。ご家族、友人、知人をお誘い合わせてご参加下さい。

〇 次週の礼拝は今年最後の礼拝となります。一年の感謝をもって主の御前に集いましょう。尚、1月1日(月)午前10時から元旦礼拝を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「平和の君イエス」 ルカ2:8~14

クリスマスおめでとうございます!毎年、年の終わりにクリスマスがやってきます。クリスマスメッセージは、全ての人々への「喜びの知らせ」です。この「喜びの知らせ」は、一年の困難・苦しみ・悩み・悲しみを呑み込んで、感謝に変える力を持っています。

今から約2000年前に、時代を二分し、歴史を変える出来事「神の時」が起こりました。その第一報は、み使いが現れ、深夜、羊の群れを番していた名もない羊飼いたちに告げ知らされます。「①恐れるな。②私は、全ての民に与えられる大きな喜びの知らせを告げる。③今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。④あなたがたは産着にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見つける。これがあなたがたへのしるしである。」(:10~12)

イエスは、私達を罪から、暗闇・死・あらゆる煩い・悪魔の支配から救う為にこの世にお生まれになりました。決して抗うことの出来ない、自らでは、人の力では解決できない定めから、神が救ってくださいます。全ての恐れとなるものの根本的な原因を、聖書は人の内にある罪の故であると教えています。人の内にある罪の解決なしに戦争はやみません。平和の実現はありません。大統領も兵士も市民も、金持ちも貧しい者も、強者も弱者も、自らの罪を神の前に悔い改めなければなりません。平和の実現は、罪の悔い改めと神の赦しです。

イエスは「平和の君」として、全ての人が罪の赦しを受ける為に十字架で命を捧げられました。罪人を救うことのできるお方は、天から降って来られた神の御子イエス以外にはいません。「地には平和、御心に適う人にあれ」神の御心とは、自らの罪を悔い改め、十字架の贖いを遂げられたイエスを信じることです。

【ワーシップ】   

「輝く御名」                            作詞作曲 中山有太

イエスの御名には勝利がある イエスの御名には力がある

イエスの御名には救いがある イエスの御名に栄光あれ

麗しい 素晴らしい あなたの御名盛んになる

色あせない おとろえない 輝く御名ほめたたえる

「イエスが愛したように」       作詞作曲 長沢崇史

イエスが愛したように 私たちも愛し合う

その愛の中で枝となるとき 多くの実を結ぶ

イエスが愛したように 私たちも愛し合う

人が友のため 命を捨てるほどの愛はない

共に支え合い共に助け合う イエスの愛で

共に祈り合い共に笑い合う イエスの愛の中

2023年12月17日   第52巻 50号

☆ アドベント第三週 ☆        

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 イザヤ44:21~22

頌  栄 60

賛  美 ワーシップ 死を打ち破り 十字架の贖い 

交 読 文 19 詩篇51(843~844頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 68 久しく待ちにし

聖  書 マタイ9:9~13

メッセージ「罪人を招いて下さる主」       曽根岡フサ子勧士

祈  祷

賛  美 89 神は独り子を

頌  栄 63

祝  祷                                               竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日の礼拝は、曽根岡フサ子勧士がメッセージをされました。祝福された事を感謝します。礼拝後、のぞみうどん(無料)を開店し、曽根岡勧士の歓迎会を行います。曽根岡勧士の来日期間が祝福されるようにお祈り下さい。

〇 本日午後2時半~千葉教区・中高生ユース・クリスマスピザパーティーを当教会を会場に行います。どなたもご参加ください。山下健太神学生がメッセージをされます。祝福の為にお祈り下さい。

〇 次週の礼拝はクリスマス礼拝です。又、午後2時~4時、「クリスマス賛美の集い」が開かれます。ご家族、友人知人をお誘いあわせの上ご参加下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「罪人を招いて下さる主」 マタイ9:9~13

本日は、この箇所のユダヤの社会状況、イエス様が語られたお言葉などから、イエス様がどんなに愛に富んだ方であるかその一端を、またこの世にお出でになった目的についてお話ししたいと思います。

イエス様の弟子であり、この福音書の記者マタイ(別名レビ)は、ユダヤを支配する国ローマのために税金を集める徴税人の一人で、経済的には大変恵まれていても、ユダヤ社会からは蔑まれ疎外された立場にあった人でした。

イエス様について来ていた大勢の人たちの前で、イエス様は収税所に座っているマタイに、「私に従いなさい」と声をかけられたのです。人々に憎まれ、蔑まれているマタイにとって、今まで、イエス様のように関心をもって目を留めてくれた人はいたでしょうか。イエス様の呼びかけに対し、マタイは、「立ち上がってイエスに従った」とあります。イエス様は、このように社会的に無用と思える者や弱い立場の者を選んで、神の知恵を授け、神の目に正しい道へと導き、又、聖らかな者へと造り変えてくださいます。イエス様の愛に出会い、人は今までとは違った価値観を見い出し、人生は変えられていきます。

マタイは、イエス様に従っただけでなく、自分の家にイエス様と弟子たちを招き、食事をしていたとあります。当時の宗教的な指導者であるパリサイ派の人々は、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人などと一緒に、飲んだり食べたりするのか」と批判めいた言葉を口にしました。イエス様の答えは、「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」でした。

イエス様がお生まれになったクリスマスのこの時、イエス様の「私に従いなさい」の御言葉に、マタイのように思い切って従っていってみませんか。そして、あなたもイエス様とともにイエス様の愛の内に歩まれるとき、その愛の豊かさに気づかされることでしょう。

【ワーシップ】  「死を打ち破り」    作詞作曲 長沢崇史

すべての人は見る 偉大な光 暗闇を照らす まことの光

失望はない 主に頼るもの イエスキリストは生きている

死を打ち破りよみがえられた 全ての鎖(くさり)解き放つ

主イエスの名を呼ぶものはみな救われる 救われる

*イエスは主 イエスは主 救い主(×2)

「十字架の贖い」    作詞作曲 中山有太

キリストの血によって回復が与えられ 主との壁取り壊された

キリストの愛からは引き離すものはない 大胆に恵みの御座へ

十字架の贖い我が罪のため 惜しまずささげた 小羊主イエス

2023年12月10日   第52巻 49号

☆ アドベント第二週 ☆        

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 イザヤ43:1~7

頌  栄 60

賛  美 ワーシップ 死を打ち破り  静まって知れ  

交 読 文 18 詩篇50(842~843頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 67 わが心は

聖  書 イザヤ2:1~5

メッセージ「主の光の中を歩もう」        竹田 広志師

祈  祷

賛  美 79 天には栄え

頌  栄 63

祝  祷                                        竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日礼拝後、聖歌隊の練習を行い、後、コカリナの練習、第二回隣接地活用検討委員会を行います。

〇 本日聖歌隊の練習後、近隣にクリスマス賛美の集いのチラシ配布をします。奉仕にご協力ください。

〇 次週の礼拝は、曽根岡フサ子勧士がメッセージをされます。来日、礼拝のメッセージ、日本の滞在期間が祝福されるようにお祈り下さい。

〇 次週午後2時半から千葉教区中高生・ユースクリスマスピザパーティーを当教会を会場に行います。どなたもご参加ください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「主の光の中を歩もう」 イザヤ2:1~5

本日の聖書箇所、聖書教会共同訳見出しは、「終わりの日の平和」です。

2、3節には、イスラエルの民の都エルサレムへの帰還・復興・繁栄が預言されています。この時、南王国ユダが滅んでいたわけではありません。しかし、イスラエルの復興・繁栄の預言は、近い未来、遠い未来、メシアの到来、世の終わりに至るまでの預言として受け止めることができます。「国々はこぞって川の流れのようにそこに向かい、多くの民は来て言う」とあります。この多くの民の中には、今、主のもとに集う私達も含まれています。「主がその道を私達に示して下さる。私たちはその道を歩もう」「教えはシオンから、主の言葉はエルサレムから出るからだ」。主の道、主の教えとは何でしょうか。主を、主の裁きを恐れ、平和を実現することではないでしょうか。

ニューヨークの国連本部の広場に「イザヤの壁」というモニュメントがあります。そこには「彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦いを学ぶことはない」イザヤ書2:4のこの主の言葉が記されています。この神のお心を実現する者は誰でしょう。「ヤコブの家よ」と主は呼びかけられます。「さあ、主の光の中を歩もう」(:5)

― 聖フランシスコの祈り ― 主よ、わたしを平和の器とならせてください。憎しみがあるところに愛を、争いがあるところに赦しを、分裂があるところに一致を、疑いのあるところに信仰を、誤りがあるところに真理を、絶望があるところに希望を、闇あるところに光を、悲しみあるところに喜びを。

ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。理解されるよりも理解する者に、愛されるよりも愛する者に。それは、わたしたちが自ら与えることによって受け、許すことによって赦され、自分のからだをささげて死ぬことによって、とこしえの命を得ることができるからです。 アーメン

【ワーシップ】  

「死を打ち破り」    作詞作曲 長沢崇史

すべての人は見る 偉大な光 暗闇を照らす まことの光

失望はない 主に頼るもの イエスキリストは生きている

死を打ち破りよみがえられた 全ての鎖(くさり)解き放つ

主イエスの名を呼ぶものはみな救われる 救われる

*イエスは主 イエスは主 救い主(×2)

「静まって知れ」    作詞作曲 Darlene Zschech

1 御翼の陰に隠し  力ある御腕の中に 逆巻く大海を越え 

主と共に羽ばたく 我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

2 キリストの中に憩い 信頼と主の力知る いかずち鳴り渡る中 

主と共に羽ばたく 我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

2023年12月3日   第52巻 48号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 イザヤ11:1~5

頌  栄 60

賛  美 ワーシップ 死を打ち破り 生ける水の川  

交 読 文 17 詩篇46(841~842頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 66 今こそ来ませ

聖  書 ヨハネ6:22~40

メッセージ「天から降りて来た命のパン」     竹田 広志師

祈  祷

聖 餐 式 49 しみも咎も

賛  美 88 独りの御子を

頌  栄 63

祝  祷                                       竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 アドベントを迎えました。主の御降誕を心から待ち望みましょう。

〇 本日午後1時より役員会を行います。

〇 今週9日(土)14:00~15:00子供クリスマス会を行います。御子さん、お孫さんを誘い合わせてご参加下さい。

〇 次週礼拝後、聖歌隊の練習を行います。その後、コカリナの練習をします。

〇 次週聖歌隊の練習後、近隣にクリスマス賛美の集いのチラシ配布をします。奉仕にご協力ください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「天から降りて来た命のパン」 ヨハネ6:22~40

イエスとユダヤ人の問答から①

群集がイエスを探していたのは、神の御子としての「しるし」を見てイエスを信じたからではなく、パンを食べて満腹したからです。

〇 人々にイエスは、「朽ちる食べ物のためにではなく、いつまでもとどまって永遠の命に至る食べ物の食べ物のために働きなさい」と言われます。

△ 人々は「神の業を行うために、何をすればよいでしょうか」とイエスに問います。朽ちない永遠の食物を得るために何をすればよいのかという質問です。

〇 イエスは「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である」とお答えになります。

△ 人々は、では「あなた(イエス)を信じるために、しるしとして何をしてくださいますか。」モーセは先祖に荒野でマナを与えたが、あなたはどんなしるしを見せてくれますかと問います。

〇 マナを与えたのはモーセではなく、私の父だ、とイエスは言われ、「神のパンは、天から下って来て、世に命を与えます。」と言われます。

△「主よ、いつもそのパンを私たちにお与え下さい」と彼らは答えます。

〇 イエスは言われます「私がいのちのパンである。」「私のもとに来るものは決して飢えることがなく、私を信じる者は決して渇くことがない」

もちろん単なる日常食べる食物の事ではない。それは人を人として活かす、神の賜物(贈物)としてのパンです。この命のパンであるイエスを求め、イエスのもとに行き、イエスに出会う時、人は命と力に満ち溢れます。イエスを信じる者は決して飢えることも渇く事もありません。心の持ち方ではない。イエスと出会い、信じる者は、心も肉体も、社会的な人との関係、生活においても、全てが満たされます。神である主によるシャローム、全人的満たしです。

「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業です」。

【ワーシップ】  

「死を打ち破り」    作詞作曲 長沢崇史

すべての人は見る 偉大な光 暗闇を照らす まことの光

失望はない 主に頼るもの イエスキリストは生きている

死を打ち破りよみがえられた 全ての鎖(くさり)解き放つ

主イエスの名を呼ぶものはみな救われる 救われる

*イエスは主 イエスは主 救い主(×2)

「生ける水の川」    作詞作曲 小坂 忠

主の御座から流れる生ける水の川 今その流れの中で

① めぐみ受けよ ② 救い受けよ ③ 癒し受けよ

あふれて流れていのちを与える 全てのものが生きる いのちの水の

2023年11月26日   第52巻 47号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 イザヤ61:1~3

頌  栄 60

賛  美 170マジェスティ その日全世界が  

交 読 文 16 詩篇42(840~841頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 438 悩む世人のために

聖  書 ルカ4:43~44

メッセージ「イエスに託された宣教の使命」    山下健太神学生

祈  祷

賛  美 401 悲しめる者に

頌  栄 63

祝  祷                      竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日の礼拝は山下健太神学生が御用をしてくださいました。祝福されたことを感謝します。山下神学生の実習と学校での学びの為にお祈り下さい。

〇 本日礼拝後、聖歌隊のクリスマス賛美練習を行います。ご参加ください。

〇 次週からアドベントです。主の御降誕を心から待ち望みましょう。

〇 次週午後1時より役員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「イエスに託された宣教の使命」ルカ4:43~44

1.「宣教」のイメージは?

「宣教」にどのようなイメージを持ちますか。「伝道」とは違うのでしょうか。「キリスト教を広めること」「外国へ出て行って福音を伝える」ということでしょうか。イエス・キリストの歩みを通して宣教観を刷新し、私たちの宣教への励ましを頂きましょう。

2.イエスの宣教の前提:宣教は主が派遣される働き

ルカ4:18-19はイザヤ書のメシアの預言ですが、イエスの宣教は主なる神の派遣に基づいてなされたものであることが分かります。イエスは、聖霊の力により、神の権威によって、宣教の場に遣わされた、とうことです。私たちも神に派遣されて、今の場所に生かされています。それは使命があるということです。

3.イエスの宣教の働き:しもべとしての姿

イエスは、十字架の死にまで従う究極的なしもべとしての姿をとり、民のために、民と一緒になり、宣教の働きを実行なさいました。それは、伝道を中心としながらも、会堂で教え(教育)、ありとあらゆる病気や患いをいやす(福祉)業でした。宣教の働きの視点は広いものです。私たち(個人、そして教会)は福音を携えて外に出て行き、神を愛し、隣人に仕えます。

4.イエスの宣教の精神:使命感、召命感

イエスは、神の国の福音を宣べ伝えるために派遣されたという明確な使命感を持っていました。「他の町々にも、神の国の福音をつたえなければならない」。この言葉の中に、地上での宣教の働きへの思いが詰まっています。

イエスは地上での働きを終え昇天される時、その宣教の働きを私たちクリスチャンに、教会に託されました。私たちは「キリストの良き福音を伝えなければならない」。強制的ではなく、内側から溢れ出る喜びと使命感を持って、キリストのしもべとしてこの世に遣わされていきましょう。

【ワーシップ】 

「その日全世界が」    作詞・作曲 長沢崇史

我が神主よ 見させ給え 偉大なるその計画 

天が開き光が満ち シオンの上に留まる

救いのみわざ全地を覆い 喜びの歌響かせ 

その正義は平和を呼ぶ 主の御霊が流れる

(おりかえし)その日全世界が主の御名高く掲げる 

叫べ王の王イエスに ハレルヤ栄光とわにあれ

王の王なる主イエスに 全能なる主イエスに

勝利者なる小羊に 栄光とわにあれ

2023年11月19日   第52巻 46号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ローマ1:19~20a

頌  栄 60

賛  美 ワーシップ 詩篇100 主は良いお方 

交 読 文 14 詩篇37(839頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 308 高き岩よ

聖  書 詩篇19:1~15

メッセージ「啓示される神」           大西 一功師

祈  祷

賛  美 251 主イエスの御側に

頌  栄 63

祝  祷                                      大西 一功師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日の礼拝は大西一功師に御用をしていただきました。祝福されたことを感謝します。竹田牧師は大網教会で御用をしています。

〇 本日礼拝後、聖歌隊の練習を行います。聖歌隊はお残り下さい。

〇 次週の礼拝は山下健太神学生が御用を致します。お祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】 「啓示される神」詩編19:1~15

 詩編19編を三つに分けて考えます。1節は表題です。

(1)自然界を通して示される神の啓示 (2~7) 神は創造の御業で栄光を顕されました。自然は何も語りません。しかし、神が「在れ」と発せられた言葉は全宇宙の隅々にまで行き渡りました。神が創造された太陽は、熱をすべての被造物に注ぎます。

(2)言葉で啓示される神 (8~11)  神の言葉は、人の心に働きかけ、力を与える啓示です。神の言葉は、弱者の力を回復させ、愚かな者に知恵を与え、喜びを与えます。神の清さは人に罪や汚れを自覚させます。神の言葉は、目に見える宝よりも尊い心の糧です。

(3)啓示に応答する信仰者 (12~15) 詩人は神の啓示を受けて教えられました。知らずに犯した過ち、傲慢の罪に陥りやすい自己を見つめ、神に祈りました。意識しないで犯した罪から解放し、傲慢にならないようにしてくださいと。詩人は神の清めを求めています。神が私たちの心の内に語りかけられる言葉(神の啓示)は、信じる者の祈りを導きます。それは信仰者の霊的力となって明確に現れます。現代のキリスト者に対しても同じです。詩人(信仰者)の信頼の祈りです。神の啓示に応答する者の祈りです。

神は見えるものの創造主であると同時に、神の律法を通して、私たちの心に善なるもの、清いものを造られます。自覚しない罪や傲慢な心に私たちが支配されないようにと祈る心は、イエスが山上の説教で言われた「心の貧しい人々は、幸いである。義に飢え渇く人々は幸いである。その人たちは満たされる」を思い起こさせます。旧約の信仰者の心と現代のキリスト者の心は変わりません。神のご性質は、今や聖霊によって私たちの内に神の力として働いています。贖い主イエスを信じる信仰、それは「わが大岩、わが贖い主よ」と信頼した詩人の心と共鳴する言葉です。

【ワーシップ】 

「詩篇100」      作詞作曲 中山有太

感謝しつつ主の門に 賛美しつつ大庭に 心合わせ臨在に入れ

主はいつくしみ深い 恵みはとこしえまで その真実は代々に至る

我らは主のもの主の民 その牧場の羊 

知れ 主こそ神 喜びの声上げよ  来たれ 主の前で 喜びもって仕えよ

「主は良いお方」     作詞作曲 長沢崇史

我が魂 主をたたえよ 聖なる御名をほめたたえよ

主の良くして下さったことを 何一つ忘れるな  (×2)

主は良いお方 主は良いお方 恵みと憐れみの冠を持って

私の一生 良いもので満たす 主は良いお方 賛美をささげます

2023年11月12日   第52巻 45号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 イザヤ57:14~15

頌  栄 60

賛  美 ワーシップ 神の家族 花も 

交 読 文 14 詩篇37(839頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 485 小さい羊が

聖  書 マタイ18:1~5

メッセージ「子供のようにならなければ」     竹田 広志師

祈  祷

賛  美 480 大人も子どもらも

頌  栄 63

祝  祷                           竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日子供祝福式において、子供たちが神の祝福を受けたことを感謝します。子供たちは教会の宝です。神と人とから愛されるキリスト者へと成長するように祈りましょう。

〇 本日礼拝後、のぞみうどんを開店します。費用はおひとり100円です。おかわりは無料です。その後、各会、大掃除を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】  

「子どものようにならなければ」 マタイ18:1~5 -子供祝福式-

本日の聖書箇所、聖書協会共同訳見出しは、天国でいちばん偉い者です。

「天国で、誰が一番偉いのか」という弟子たちの質問です。イエスはそれを聞いてどのように思われたでしょか。後にイエスが十字架にかかられる前にも、誰が弟子の中で一番偉いのかという愚かな議論をしています。(ルカ22:24)

イエスは子ども(口語訳では「幼な子」)を呼び寄せ、彼らの真ん中に立たされました。「真ん中に立たせて」とは、大事にする、上げるという意味があります。小さい子どもとは、社会的地位も知識も、業績も何も持たない者たちです。そして、このような子どもが天国で一番偉いと言われました。イエスの言われる言葉は、いつでも驚きであり、爽快です。

そして、「心を入れ替えて、子どものようにならなければ、決して天国に入ることはできない」とイエスは言われます。自らが偉いと思う者、誰かより偉くなりたいと思う者は、天国に入ることすらできません。天国で、尊ばれ、喜ばれる人とは、自分を低くする人です。

「心を入れ替えて」とは、方向を転じる事です。人に仕えられる偉さを求めるから、人に仕える低さを求めるに考え方、心、生き方を転じることを意味します。まさに、転じた先はイエスご自身のお姿です。

宗教改革者のマルチン・ルターは「私たちは神の前では物乞いに過ぎない」「私たちの信仰は物乞いが差し出す手のようなものだ」と言っています。この箇所であれば、「私たちは神の前では幼子に過ぎない。神の国に生きる者とは、幼子が親に求めて手を差し出すようなものだ」と言ったところでしょうか。

最後にイエスはもうひとつ大切な教えを話しておられます。「また、私の名のためにこのような子どもの一人を受け入れる者は、私を受け入れるのである。」

教会は子どもたちを隅に追いやらず、彼らを祝福し、大事にし、受け入れます。

【ワーシップ】

「神の家族」      作詞作曲 長沢崇史

どんな宝石より美しく尊い 神の愛によって結ばれた関係

神の家族 キリストにあってひとつ 神の家族 永遠に続く家族

ひとつの体分け合う 欠けてはならない存在

共に泣きともに喜ぶ 愛により建てられてく

「花も」       MEBBIC

1、ここに泉は湧く涙を過ぎる時 やがて実を結び笑い声に満ちる

(おりかえし)花も雲も風も大海も 奏でよう奏でようイエスを

空に響け歌え魂よ  恵みを 恵みを 恵みを

2、仰げ天は開き僕らは見るだろう やがて花は咲き栄光の主が来られる

2023年11月5日   第52巻 44号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 イザヤ41:10

頌  栄 60

賛  美 ワーシップ 静まって知れ 御腕に抱いて 

交 読 文 13 詩篇34(838~839頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 341 恐れなく近寄れ

聖  書 ヨハネ6:16~21

メッセージ「恐れることはない」         竹田 広志師

祈  祷

聖 餐 式 49 しみも咎も

賛  美 252 安けさは川のことく

頌  栄 63

祝  祷                                     竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日午後1時より役員会を行います。

〇 明日6日(月)午後12時半~納骨式が教会墓地で行われます。

〇 次週礼拝の中で、子供祝福式を行います。礼拝後、のぞみうどんを開店します。費用はおひとり100円です。おかわりは無料です。その後、各会、大掃除を行います。雑巾をご持参ください。皆さん、お残りください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。


【説教要約】  

「恐れることはない」ヨハネ6:16~21

第5番目の(神の御子の)しるし「湖の上を歩く」は、マタイ、マルコ、ヨハネ、3つの福音書に記されています。それぞれが少し違った視点で記されています。群衆を解散された後、イエスは独り祈るために山に退かれます。群衆から離れる、身を避ける(隠す)必要がありました。世の喧騒から離れ、静まって、神である主と時間を過ごすことは、神があなたに求めておられる事です。そして私達にとって、無くてはならない癒しと祝福の時間です。

夜、弟子達だけが乗った舟はティベリアス湖をカファルナウム(カペナウム)に向けて出発します。舟が5,6キロ漕ぎ出た所で、強い逆風が吹いて湖が荒れ始めます。明け方になっても向こう岸へ着きません。弟子たちは、漕げども漕げども前に進まず、疲労と焦りが溜まっていきます。

その様な中で、イエスが「湖の上を歩いて」弟子たちのもとへ来られます。彼らは得体の知れぬものが近づいて来るのを見て恐れます。恐れとは、私達の内側・心がまさにこの湖の波のように荒れ狂い、平安が一瞬にして弾き出されてしまうようなものです。それは先行きの見えない未来、得体の知れない未知から来ます。幽霊や暗闇や猛獣だけでない。得体の知れない怪物は、時に隣人であることがあります。私達の人生は、恐れを抱く材料で囲まれています。

イエスは言われます「私だ。恐れることはない」。イエスのご臨在と力あるそのお言葉は、事実、私達の恐れを締め出します。旧約聖書においても神である主は、イスラエルの民に「恐れるな」(イザヤ41:10、13、14)と何度も言われます。私達が恐れない根拠はここにあります、「わたしはあなたと共にいる」。神である主が、イエスが共にいて下さるからです。

【ワーシップ】 

「静まって知れ」      作詞作曲 Darlene Zschech

1 御翼の陰に隠し 力ある御腕の中に 逆巻く大海を越え 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

2 キリストの中に憩い 信頼と主の力知る

いかずち鳴り渡る中 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

「み腕に抱いて」     作詞作曲 中山有太

(*おりかえし) 今主よ わたしの心に触れて あなたの御腕に抱いて下さい

全ての疲れた人よ、重荷悩み負う人よ、

イエスの前に出て行こう、全てを今手離そう (*おりかえし) 

あなたの愛に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから

あなたの腕に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから

2023年10月29日   第52巻 43号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 マルコ12:29~31

頌  栄 60

賛  美 ワーシップ 詩篇100 イエスが愛したように 

交 読 文 12 詩篇33(838頁)

公同祈祷                    竹田 志保姉

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    山本 健一兄

(森川 悠子姉)

賛  美 230 十字架のもとぞ 

聖  書 マタイ5:43~48

メッセージ「完全な者となりなさい」       大西 一功師

祈  祷

賛  美 342 神の子なるイエス

頌  栄 63

祝  祷                                               大西 一功師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日の礼拝は大西一功師が礼拝の御用をして下さいました。祝福されたことを感謝します。竹田師は稲毛聖書教会の礼拝の御用のために行っておられます。

〇 礼拝後、聖歌隊の練習を行います。皆さんご参加ください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「完全な者となりなさい」マタイ5:43~48

ユダヤ人にとって「隣人を愛して、敵を憎む」ことは「神の前に正しい」と聞かされてきました。しかし、イエスは「敵を愛し、迫害する者ために祈りなさい」と言われました。律法学者やパリサイ人は、大勢の人々がイエスのところに集まるのをねたみ、全く罪のないイエスを十字架にかけて殺害しました。

イエスは十字架に掛かられながらも「父よ、彼らをお赦しください」と、自分を殺そうとする者のために祈られました。イエスは「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と言われたことを自ら示されました。「敵を愛する」とは、敵を赦すことであり、裁きをすべて神に委ねることです。

すべての人を愛し、恵みを与えられる神は、人が互いに赦し合うことを願っておられます。私たちは自分の考えや努力で人を赦すことはできません。しかし、イエス・キリストを救い主として信じたとき、私たちの罪が赦され、神の愛が注がれました。神の愛は人に赦しを与えます。イエスは「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい、それは天におられるあなたがたの父の子となるためである」と言われました。敵のために祈るとき、相手は変わらないけれど、自分が変えられるのです。そして、神の愛で満たされた心の中に喜びが湧き、「愛の人」すなわち神に似た人に変えられるのです。

世にはクリスチャンでなくても、誠実で温厚で清廉潔白な人はいます。しかし、自分の敵を愛し、迫害する者のために祈る人はいないでしょう。神以外に正しい方はおられません。神の愛はすべての人に及びます。神の愛はすべての悪に打ち勝ちます。人を救うのは神の愛です。イエスは「天の父が完全であられるように、完全な者となりなさい」と言われました。「完全な者」、それは神の愛に生きる人です。

【ワーシップ】 「詩篇100」      作詞作曲 中山有太

感謝しつつ主の門に 賛美しつつ大庭に 心合わせ臨在に入れ

主はいつくしみ深い 恵みはとこしえまで その真実は代々に至る

我らは主のもの主の民 その牧場の羊 

知れ 主こそ神 喜びの声上げよ  来たれ 主の前で 喜びもって仕えよ

 「イエスが愛したように」  作詞作曲 長沢崇史

イエスが愛したように 私たちも愛し合う その愛の中で枝となるとき 

多くの実を結ぶ    イエスが愛したように 私たちも愛し合う

人が友のため 命を捨てるほどの愛はない

共に支え合い共に助け合う イエスの愛で

共に祈り合い共に笑い合う イエスの愛の中

2023年10月22日   第52巻 42号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 詩篇145:14~21

頌  栄 60

賛  美 ワーシップ 栄光あらわしたまえ 命の水

交 読 文 11 詩篇32(837頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 聖歌196 たえなるいのちの

聖  書 ヨハネ6:1~15

メッセージ「イエスの与えるパン」        竹田 広志師

祈  祷

賛  美 新聖歌239 与えよただ主を

頌  栄 63

祝  祷                                     竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 次週の礼拝は大西一功師が礼拝の御用をします。竹田師は稲毛聖書教会の礼拝の御用に行きます。お祈りください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

〇 星野冨弘カレンダー購入希望者は会堂入口の申し込み表にご記名の上、代金を11月26日迄に竹重姉にお届け下さい。

【説教要約】

「イエスの与えるパン」 ヨハネ6:1~15

本日は第四番目のイエスの成された「しるし」です。聖書協会共同訳見出しには、5千人に食べ物を与える(5つのパンと2匹の魚で)とあります。6章全体から、この出来事をみていき、説教題を「イエスの与えるパン」としました。

1、イエスは人の必要を知っておられます。

パンは人々に必要です。単なる精神的なものではなく、私達の生活・命に直結するものです。ただ、イエスがご覧になっているのは、単に肉体の空腹を覚えている人々でなく、人の心の、霊的な飢え渇き、父なる神を知らない群衆の姿であることが6章全体から分かります。

2、人の計算と神の計算

「足りない」「何になりましょう」という弟子の言葉があります。私達も自分の手持ちや、能力、状況に目を向ければ、できません、不可能ですと言うでしょう。しかし、知ってください。信仰とはイエスに目を向けることです。

3、イエスに献げる

神の祝福を受けるのに必要なのは、イエスに献げることです。自分の為にのみ使えば5つのパンと2匹の魚はそのままです。私が私のためにつかんでいるものは、私を一時的に満たすだけです。しかし、イエスに献げられる時、私ばかりか、多くの人々がその祝福を受けます。イエスに献げれば間に合います。

4、あり余る祝福

間に合うばかりか、それはあり余る祝福です。あなたの小さなイエスへの献身は、大きな神の祝福、世界(隣人)の祝福へと拡がっていきます

【ワーシップ】  

「栄光あらわしたまえ」 作詞作曲   MARK ATRAUSS

1、主よ満たし給え 主よ今触れたまえ 主の栄光あらわし我らを用い給え

強く聖霊の風で 深く心を満たし 広く天を開いて栄光あらわし給え

2、主の隠れ家で 主の愛に包まれ 主のみ顔を仰ぐ栄光輝く時

強く聖霊の風で 深く心を満たし 広く天を開いて栄光あらわし給え

「命の水」       作詞作曲 田中満矢

ここに命の水があふれ流れる 罪も汚れも洗いきよめられる

飢え渇く者すべて満たされていく 命なき者全て花を咲かす

全てが生きる その水は癒し 全てが生きる その水は命 

全てが生きる その水は満たし わたしは生きる

あなたが源(みなもと) 我が命 力 とこしえに あなたが源 

あふれ流れ川となる(×2)決して変わらない命の泉 信じる者みな生き返る

決して揺るがない命の泉 全て麗しく生き返る 

2023年10月15日   第52巻 41号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ヨハネの手紙第一5:6~12

頌  栄 60

賛  美 ワーシップ 叫べ全地よ 御腕に抱いて 

交 読 文 10 詩篇31(836~837頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 165 栄光イエスにあれ

聖  書 ヨハネ5:31~47

メッセージ「人からの栄光か、神からの栄光か」  竹田 広志師

祈  祷

賛  美 102 主は命を

頌  栄 63

祝  祷                         竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日12時半より大西一功師の「異端、カルトとは何か」の第三回目の学

〇 本日14時から役員会を行います。

〇 明日16日(月)竹田師は英和高校の懇談会に参加します。

〇 今週17日(火)竹田師は聖化大会の奉仕で中目黒教会へ出かけます。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「人からの栄光(栄誉)か、神からの栄光か」ヨハネ5:31~47

イエスが「父なる神から遣わされた神の御子・救い主」であると証言するのは何でしょうか。

「私は人間による証しは受けない」(:34)「私は人からの栄光は受けない」(:41)とイエスは言われます。イエスは人からの証言、人としての地位や名誉、人から認められることを求めておられません。

では、イエスを「父なる神から遣わされた神の御子・救い主」であると証言するものとは何でしょう。

1、バプテスマのヨハネの証言(:33~35) 

2、イエスの業(:36) 

3、父なる神の証言(:37~38) 

4、聖書の証言(:39)モーセの証言(:45~47)  

イエスの宣言が真実であることを、バプテスマのヨハネが、イエスの業が、聖書が、モーセが、そして父である神が証言している、にもかわらず、いのち(永遠のいのち)を得るために、あなたがたは私のもとに来ようともしない(:40)とイエスは言われます。「命を得るために、私のもとに来なさい」という招きの言葉でもあります。

神のもとに、父なる神から遣わされた御子イエスのもとに命があります。

「あなたがたは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を調べているが、聖書は私について証しをするものだ。」イエスのもとに永遠の命があります。イエスに命を求めてください。

永遠の命とは、十字架で私達の罪の為に命を捨て、三日目によみがえられたキリストの命を受けること、命の君であるキリストと共に生きることです。 

【ワーシップ】  

「叫べ全地よ」      作詞作曲 Dariene Zschcch

わが主イエスよ 救いの君 主の愛たたえる命の限り

とりで、力、慰め主よ 我が霊、たましい、あがめよ永遠に

叫べ全地よ歌え 主の力と栄光 山も海も震える み名のとどろきに

喜べ御手のわざを 永遠(とわ)に愛し仕える 全てにまさるイエスの愛

「み腕に抱いて」     作詞作曲 中山有太

(*おりかえし) 今主よ わたしの心に触れて あなたの御腕に抱いて下さい

全ての疲れた人よ、重荷悩み負う人よ、

イエスの前に出て行こう、全てを今手離そう (*おりかえし) 

あなたの愛に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから

あなたの腕に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから  

2023年10月8日   第52巻 40号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ダニエル7:13~14

頌  栄 60

賛  美 ワーシップ 詩篇100 叫べ全地よ

交 読 文 9 詩篇27(835~836頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 22  御神の愛をば

聖  書 ヨハネ5:18b~30

メッセージ「神の御子イエスの権能」       竹田 広志師

祈  祷

賛  美 342 神の子なるイエス

頌  栄 63

祝  祷                                       竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日礼拝後、聖歌隊の練習を行います。聖歌隊に参加される方々はお残り下さい。又、クリスマス集会の出演者を募集します。演奏・独唱・バンド、

何でもOKです。募集締め切りは10月末です。出演希望者は参加者名と演目を仲村幸代姉までお知らせ下さい。

〇 本日~明日、竹田牧師は竣工式の司式の為に岡山へ出かけます。

〇 次週午後12時半~大西一功師の「異端、カルトとは何か」の第三回目の学びを行います。

〇 次週、午後2時から役員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「神の御子イエスの権能」ヨハネ5:18b~30

イエスがこの地に来られ、ご自身が神の御子であることを示されなければ、私達は神の御子イエスというお方をはっきりと知ることはできません。又、イエスが「別の助け主」聖霊について教えて下さらなければ、聖霊なる神をはっきりと知ることはできません。神である主が、三位一体のお方である真理を開いて下さったのはイエス・キリストです。旧約の時代に隠されていた神である主に関する奥義は、イエスによって新しく開かれました。イエスは神であり、神と等しいお方です。

この箇所で、イエスはご自身と父(なる神)との関係について教えています。

「自分からは何もできない。神のなさる通りにする。父が子を愛して、ご自分のなさる事をみな、子にお示しになるからです。」このイエスの言葉の中には、父なる神の御子イエスに対する愛と、御子イエスの父に対する全き服従があります。完全な愛と、その愛に対する完全な服従です。御子は父のみこころを知り、その御業を完全に成し遂げます。私達とイエスとの関係もそうです。イエスから離れては、私達は神の業を何ひとつすることができません。

父は御子に全ての権威・権能を委ねられました。

父はイエスに命を与える権能を与えられました。罪の赦し、体のよみがえり、永遠の命は、十字架で私達の罪の為に死に、三日目によみがえられたイエス・キリストが、イエスを信じる者にお与えになります。イエスのことばを聞いて、神を信じる者は永遠の命を持ちます。

父はイエスに裁きを行う権能をお与えになりました。

終末に裁き主として立たれる「人の子」については、ダニエル書7章13~14節に記されています。その時が来ると、生きている者も死んだ者も、人の子(イエス)の前に立ち、イエスが裁き主としてその座に就かれます。

【ワーシップ】 

「詩篇100」      作詞作曲 中山有太

感謝しつつ主の門に 賛美しつつ大庭に 心合わせ臨在に入れ

主はいつくしみ深い 恵みはとこしえまで その真実は代々に至る

我らは主のもの主の民 その牧場の羊 

知れ 主こそ神 喜びの声上げよ  来たれ 主の前で 喜びもって仕えよ

「叫べ全地よ」      作詞作曲 Dariene Zschcch

わが主イエスよ 救いの君 主の愛たたえる命の限り

とりで、力、慰め主よ 我が霊、たましい、あがめよ永遠に

叫べ全地よ歌え 主の力と栄光 山も海も震える み名のとどろきに

喜べ御手のわざを 永遠(とわ)に愛し仕える 全てにまさるイエスの愛

2023年10月1日   第52巻 39号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 イザヤ40:28

頌  栄 60

賛  美 ワーシップ 聞け我らの賛美を 御腕に抱いて

交 読 文 8 詩篇24(834~835頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 253 イエスの御腕に

聖  書 ヨハネ5:9b~18

メッセージ「主は今も働かれる」         竹田 広志師

祈  祷

聖 餐 式 49  しみも咎も

賛  美 298 主に任せよ

頌  栄 63

祝  祷                               竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 今週10月7日(土)午後1時30分、スティーブンス栄子師の講演会を行います。是非、友人をお誘い合わせの上ご参加ください。費用は無料ですが、講演会の中で献金があります。当日、スティーブンス栄子先生の書籍なども販売します。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「主は今も働かれる」ヨハネ5:9b~18

ベトザタの池で病人を癒す(後半)

イエスが38年間床に臥せっていた人を癒された日は、「安息日」(土曜日)でした。旧約の律法には、その日は「主の安息日であるから、どのような仕事(わざ)もしてはならない」(出エジプト記20:10)とあります。その解釈として、仕事をしてはならない39項目もの禁止規定が設けられていました。そのような中で、「安息日だ。床を担ぐことは許されていない」というユダヤ人たちの非難の言葉があります。「誰が床を担いで歩けとあなたに言ったのか」とユダヤ人は男を問いただします。男は「誰であるか知りません」と答えます。本当に知らなかったのです。イエスはそっとその場を立ち去られていたからです。

イエスは神殿の境内で、男と再び出会って言われます「あなたは良くなったのだ。もう罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪いことが起こるかも知れない」。難解なイエスの言葉です。この男は何か罪を犯したので病気になったのでしょうか。病が癒されたことは大きな神様の祝福です。しかし、それ以上に大事なのは、あなたがこれから神の前に正しく生きることです。

イエスは、安息日にも働かれる(神の業を行う)理由をこの様に語っておられます。「私の父は今もなお働いておられる。だから、私も働くのだ」(:17)と言われています。父なる神は今もなお働いておられます。生きておられる主イエスは今も働いておられます。そして、イエスの御心を行い、それを成し遂げるのは、あなたであり、私です。

【ワーシップ】 

「聞け、我らの賛美を」   作詞:作曲 Reuben Morgan

主の家は踊り出し 喜びが街に  不義は主にひれ伏し人は変えられる 

(*)山から谷へと 主の歌響け 全ての国民 賛美で満たせ

主の光よ輝け 暗闇を照らせ   十字架の栄光よ 全地に満ちよ

(*)山から谷へと 主の歌響け 全ての国民 賛美で満たせ

ハレルヤ ハレルヤ   ハレルヤ ハレルヤ

ハレルヤ ハレルヤ   ハレルヤ ハレルヤ

(*)山から谷へと 主の歌響け 全ての国民 賛美で満たせ

「み腕に抱いて」     作詞作曲 中山有太

(*おりかえし) 今主よ わたしの心に触れて あなたの御腕に抱いて下さい

全ての疲れた人よ、重荷悩み負う人よ、

イエスの前に出て行こう、全てを今手離そう (*おりかえし) 

あなたの愛に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから

あなたの腕に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから   

2023年9月24日   第52巻 38号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 出エジプト34:5~7

頌  栄 60

賛  美 ワーシップ 生ける水の川 主は良いお方

交 読 文 7 詩篇23(834頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 349 移りゆく時の間も

聖  書 ヨハネ5:1~9

メッセージ「良くなりたいか」          竹田 広志師

祈  祷

賛  美 251 主イエスの御側に

頌  栄 63

祝  祷                       竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 次週の役員会は、10月8日に延期します。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「良くなりたいか」ヨハネ5:1~9

ベトザタ「憐れみの家」のと呼ばれる池。その池の周囲に5つの回廊があります。その回廊には大勢の病人が伏せっていました。

38年もの間、病気で体を横たえ苦しんでいた人がいました。長い年月は、彼の気力も希望も奪い取っていったことでしょう。多くの病人の中で、イエスは彼の側に立ち、彼に目を留められます。イエスは彼の長い年月のその苦しみの全てを知って、声をかけられます。「良くなりたいか」。彼は自分に話しかけている人が誰かを知りません。「誰も私を助けてくれない。水が動くと人々は我先にと水に入っていきます」(池の水が動く時、一番先に入った者が癒されるという言い伝えがありました)と彼は答えます。イエスは彼の返事に何を思われたでしょう。

イエスの病人の癒しの記事には「その信仰をご覧になって」「あなたの信仰があなたを救った」という記事が多くあります。先週も「イエスの言葉を信じて」というのが説教のテーマでした。イエスに対する信仰によって癒しをいただく人がいます。しかし、彼の返答はイエスへの信頼の言葉ではありません。その彼にイエスは「起きて、床を担いで歩きなさい」と言われます。

イエスは何ゆえに、彼にいやしの祝福をお与えになったのでしょうか。

彼がこの癒しの祝福を受けたのは、ただただ、イエスの憐れみによります。知って下さい。私達の主、神は憐れみ深いお方です。罪の中にある者、苦しみの中にある者を憐れんで下さいます。

「すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩き出した。」とあります。ここでも私達が知りますのは、彼を癒し、立たせたのは、イエスの言葉でした。イエスの言葉の通りに、彼は床を担いで歩いたのです。イエスは、私達の人生のかたわらに立ち、私達に目を留め、私達を知り、お言葉をかけ、力ある救いを与えて下さいます。それが、我らの救い主、イエス・キリストです。

【ワーシップ】 「生ける水の川」   作詞作曲  小坂 忠

主の御座から流れる生ける水の川 今その流れの中で 

① めぐみ受けよ ② 救い受けよ ③ 癒し受けよ

あふれて流れていのちを与える 全てのものが生きる いのちの水の川

「主は良いお方」  作詞作曲  長沢崇史

我が魂 主をたたえよ 聖なる御名をほめたたえよ

主の良くして下さったことを 何一つ忘れるな  (×2)

主は良いお方 主は良いお方 恵みと憐れみの冠を持って

私の一生 良いもので満たす 主は良いお方 賛美をささげます

2023年9月17日   第52巻 37号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ヘブライ11:1

頌  栄 60

賛  美 ワーシップ 聞け我らの賛美を 静まって知れ

交 読 文 5 詩篇19(832~833頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 324 主と主の言葉に

聖  書 ヨハネ4:43~54

メッセージ「イエスの言葉を信じる」       竹田 広志師

祈  祷

賛  美 182 ただ信ぜよ

頌  栄 63

祝  祷                                     竹田 広志師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日敬老者祝福式を行います。竹田師からささやかですが、80歳以上の方々にみことばの短冊のプレゼントと祝福の祈りの時を持ちます。

〇 本日午後1時より役員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行ないます。

【説教要約】

「イエスの言葉を信じる」ヨハネ4:43~54

ガリラヤ地方の王ヘロデ。その王室の役人の息子をイエスが癒すという記事です。これはガリラヤで行われた「カナの婚礼」に続く、第二のしるし(:54)とあります。ヨハネによる福音書には、イエスの復活の記事を除いて、イエスの成された7つのしるしがあります。それは多くのしるしの中の7つです。イエスの成されたしるしとは、イエスが救い主・キリストであるしるしです。

1) カナでの婚礼(2:1~12)

2) 役人の息子を癒す(4:43~54)

3) ベトザタの池で病人を癒す(5:1~18)

4) 5千人に食べ物を与える(6:1~15)

5) 湖の上を歩く(6:16~21)

6) 生まれつき目の見えない人を癒す(9:1~41)

7) ラザロを生き返らせる(11:1~44)

8) イエスご自身の復活

執拗にイエスに、自宅に来てもらい、息子の重い病を癒してもらいたいという役人の願いではありましたが、彼は決断をもってイエスと共にではなく、もと来た道を引き返します。彼の内に何があったのでしょう。その理由を「イエスの言われた言葉を信じて」の一点に集約することができます。イエスを信じるとは、イエスのことばを信じることです。それが、御言葉信仰です。息子が直った確認もなく、しるしと不思議を見ることなく、信仰をもって帰って行きました。信仰とは望んでいる事を確信し、まだ見ていない事実を確認することです(ヘブル11:1)。神の祝福、みこころが天で成る如く地上の御国の祝福は遠くて手が届かないように思えますが、私達はただ信仰の手を伸ばして、それを受け取るのです。

【ワーシップ】 

「聞け、我らの賛美を」   作詞:作曲 Reuben Morgan

主の家は踊り出し 喜びが街に  不義は主にひれ伏し人は変えられる 

(*)山から谷へと 主の歌響け 全ての国民 賛美で満たせ

主の光よ輝け 暗闇を照らせ   十字架の栄光よ 全地に満ちよ

(*)山から谷へと 主の歌響け 全ての国民 賛美で満たせ

ハレルヤ ハレルヤ   ハレルヤ ハレルヤ

ハレルヤ ハレルヤ   ハレルヤ ハレルヤ

(*)山から谷へと 主の歌響け 全ての国民 賛美で満たせ

「静まって知れ」     作詞作曲 Darlene Zschech

1、御翼の陰に隠し 力ある御腕の中に

逆巻く大海を越え 主と共に羽ばたく

我が父よ 王なる神 静まりあなたを知る

2、キリストの中に憩い 信頼と主の力知る

いかずち鳴り渡る中 主と共に羽ばたく

我が父よ 王なる神 静まりあなたを知る

2023年9月10日   第52巻 36号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 申命記30:20

頌  栄 60

交 読 文 4 詩篇18(830~832頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 325 歌いつつ歩まん

聖  書 マタイ24:3~13

メッセージ「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」   大西 一功師

祈  祷

賛  美 256 御翼のもとに

頌  栄 63

祝  祷                                               大西 一功師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日の礼拝は急遽、大西一功師が御用をして下さいました。祝福された事を感謝します。竹田師はコロナは回復しましたが、肺炎となり、現在肺炎の治療を行っています。通常の業務は行えるようになりました。尚、癒しと回復の為にお祈り下さい。

〇 本日午後1時より役員会を行います。

〇 次週の礼拝の後、敬老者祝福式を行います。竹田師からささやかですが、80歳以上の方々にみことばの短冊をプレゼントします。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行ないます。

【説教要約】

「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」 マタイによる福音書24:3~13

 明日は2023年9月11日です。22年前の2001年9月11日、我が家で家庭集会を終えて、出席者をお送りしました。丁度10時ころでした。テレビのスイッチを入れた途端、ニューヨーク・マンハッタンの世界貿易センタービルに旅客機が衝突して煙がもうもうと出ていました。その数分後、もう一機の旅客機がツインタワーのもう一つのビルに突入しました。その後の21世紀の世界の混乱を象徴するような画面でした。

 今日の聖書の個所は、イエスと弟子たちがエルサレムの神殿から出て行くとき、弟子たちが神殿の立派さに気を取られていました。その時、イエスが「ここにある建物はやがて崩れ落ちる」と言われ、一行がオリーブ山に行かれたとき、弟子たちがイエスに「おっしゃってください、そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか(3)」と尋ねました。ここには二つのことが問われています。一つは神殿が崩れ落ちるのはいつか、もう一つはイエスが再臨されるとき(主の日、終わりの日)にどのような前触れがあるかということです。

 イエスは、最初の質問には15~22節で説明され、後の質問には4~14節で答えられました。神殿崩壊は、AD70年にローマ軍による神殿破壊によって現実となりました。

 今日の個所は、第二の質問の「主の再臨」についてイエスが話されたところです。2000年の世界歴史において、どの時代でも異端や偽キリストが出現し、戦争や民族紛争は絶えたことがありません。また、地震や天変地異が幾度となく起きています。さらに、多くの人が殉教しています。19世紀以降、科学技術文明により、快適な生活が暮らしを変え、人々は平和な世界が来ると期待しました。しかし、人の欲望はより多くの富を求め、自分さえよければと不法がはびこり、戦争においても残忍さは増しています。イエスはこれらのことは必ず起こり、産みの苦しみの始まりであり、最後まで耐える人は救われると言われました。

 ニューヨークの航空機によるテロの後、ニューヨークタバナクル教会のジム・シンバラ牧師は「グラウンドゼロからの神の恵み」という本を書きました。彼はその中で、永遠の栄光を目指し、神にすがりつく信仰をもって一日一日を過ごすことを強調しています。そのためには、神の聖霊を悲しませる事柄に敏感になるようにと勧めています。

「どのような時にも、霊によって祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。」(エフェソ6:28)

2023年9月3日   第52巻 35号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 詩篇126:1~6

頌  栄 60

賛  美 その日全世界が

交 読 文 3 詩篇16(830頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 401 悲しめる者に

聖  書 ヨハネ4:31~42

メッセージ「目を上げて畑を見よ」        竹田広志牧師

祈  祷

聖 餐 式 49

賛  美 402 暗き谷間をたどる時も      

頌  栄 63

祝  祷                                               竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日午後1時より役員会を行います。

〇 今週5日(火)千葉栄光教会において牧師会が開かれます。

〇 今週8日(金)竹田牧師は聖化大会の司会の御用で中目黒聖書教会へ出かけます。

〇 次週日曜日14:00~16:00「千葉教区中高生ユース集会」が当教会を会場に開かれます。夏のバイブルキャンプ、ユースジャムの恵みも振り返りながら、楽しい集会を開きたいと準備しています。中高生・青年の皆様にお声かけください。〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「目を上げて畑を見よ」ヨハネ4:31~42

イエスとサマリアの女の対話の続き③。

1、あなたがたの知らない食物

イエスは、「あなたがたの知らない食物」とは、「父なる神のみこころを行い、その業を成し遂げること。」と言われています。イエスの宣教のわざに参加することが、私の食べ物だと言われます。イエスのみこころを行い、人々の救いの為にイエスと共に働く事、労することこそ、霊的食物。私達の信仰の道を、生きる力を活気つかせるものなのです。イエスの教えられた受けるより与える生き方。自分の生活、自分の信仰、自分が慰められ、自分が励まされ、自分が満足することだけ追い求めている信仰は、いつしか満たされない、渇いた心になっていきます。 * ガリラヤ湖と死海のたとえ

活き活きとしたクリスチャン生活を歩みたいですか。神のみこころを行い、あなたに与えられた神の業を成し遂げることです。イエスと共に救霊に燃やしていただき、人々の救いの為に、神の国の為に働くことこそが、私達の霊的食物です。

2、目を上げて畑を見なさい

私達は家族への伝道が、日本の宣教が荒野であり、なんと困難であろうかと見ています。福音の種を撒き続けましょう。水を注ぎ続けましょう。必ず刈り取るべき収穫の日が来ます!「目を上げて、畑を見るが良い。すでに色づいて刈り入れを待っている。」イエスの言葉を受け止め、その色づいたビジョンを、幻を見せていただきましょう。

サマリアにもイエスを信じ、救いを受ける刈り取りの時が来ました。私は誰かから聞いてではない、直接イエスに出会って、イエスを知って、「本当に世の救い主であると分かりました。(:42)

【ワーシップ】  

「その日全世界が」    作詞・作曲 長沢崇史

我が神主よ見させ給え 偉大なるその計画 

天が開き光が満ち シオンの上に留まる

救いのみわざ全地を覆い 喜びの歌響かせ 

その正義は平和を呼ぶ 主の御霊が流れる

(おりかえし)その日全世界が主の御名高く掲げる 

叫べ王の王イエスに ハレルヤ栄光とわにあれ

王の王なる主イエスに 全能なる主イエスに

勝利者なる小羊に 栄光とわにあれ

2023年8月27日   第52巻 34号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 詩篇27:4~6

頌  栄 60

賛  美 求めて 詩篇100 

交 読 文 2 詩篇8(829~830頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 166 威光・尊厳・栄誉

聖  書 ヨハネ4:19~30

メッセージ「まことの礼拝者」            竹田広志牧師

祈  祷  

賛  美 316 御言葉なる       

頌  栄 63

祝  祷                                       竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日礼拝後「のぞみうどん」を開きます。会食の後に各会を行います。是非、皆さんお残り下さい。のぞみうどんの料金はおひとり100円です。

〇 次週午後1時より役員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「まことの礼拝者」  ヨハネ4:19~30

イエスとサマリアの女の対話の続き②。

ヤコブの井戸の傍らで「水をください」から始まった「渇くことのない生ける水」と、本日の箇所の「霊と真実の礼拝者」について。これらは全く違った内容の印象を受けますが、一つのテーマとして読みたいと願っています。

ユダヤ人とサマリア人の間には、「礼拝の場所」についての論争があり、この件について反目がありました。サマリア人は、礼拝の場所は「この山」(ゲリジム山:アブラハムが最初にカナンに到着した時、祭壇を築いた場所。神が祝福を置いた山。ヤコブの井戸があった場所はシェケムの地)であると主張し、しかしユダヤ人は礼拝の場所はエルサレム(ダビデが契約の箱を運び入れ、ソロモンが神殿を建て上げ、主がわたしの名をその所に置くと言われた場所)であると主張しました。どちらも旧約聖書のユダヤ人の歴史において重要な場所です。

ここで驚くべき主イエスの答えがあります。「女よ、私を信じなさい。あなたがたが、この山でも、エルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。」(:21)アブラハム以来ユダヤ人が仕えてきた神を、世界中のあらゆる場所で礼拝する時が来るとイエスは言われます。イエスの言葉の実現を、私達は今、この場所に見ます。

イエスの言われる、まことの礼拝者が「霊と真実によって礼拝する」礼拝とはどのようなものなのでしょう。「霊と」それは父なる神との霊的な交わりです。イエス・キリストの十字架の贖いによって罪赦された者とは、神との交わりが回復された者です。「渇くことのない生ける水を受ける」とは、神である主と結びから来るものであり、霊的な交わりであることを知ります。神との交流が回復された私達は、一生涯、とこしえに途絶えることない神の恵みを受け続けます。そして、それは自らに留まることなく、周りへとあふれ流れていきます。

「真実によって礼拝する」とは、神への心からの最高の感謝を携えて、神の前に出ることです。神はこのような礼拝者を求めておられます。

【ワーシップ】 

「求めて」        作詞作曲 中山有太

あなたの声を求めて あなたの顔求めて あなたの心求めて 御前に出る

全てをゆだねて 全てをささげて  あなたを求めて礼拝します

「詩篇100」      作詞作曲 中山有太

感謝しつつ主の門に 賛美しつつ大庭に 心合わせ臨在に入れ

主はいつくしみ深い 恵みはとこしえまで その真実は代々に至る

我らは主のもの主の民 その牧場の羊 

知れ 主こそ神 喜びの声上げよ  来たれ 主の前で 喜びもって仕えよ

2023年8月20日   第52巻 33号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ヨハネ7:37~38

頌  栄 60

賛  美 生ける水の川 命の水 

交 読 文 1 詩篇1(829頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 267 渇けるわれは上より賜う

聖  書 ヨハネ4:1~18

メッセージ「決して渇くことのない生ける水」   竹田広志牧師

祈  祷  

賛  美 433 天つ真清水       

頌  栄 63

祝  祷                                      竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日午後12時半から大西一功師による「異端、カルトとは何か―誤りのない信仰のために―」第三回学び会を行います。そのまま残られる参加者は軽食を持参下さい。

〇 次週礼拝後「のぞみうどん」を開きます。会食の後に各会を行います。是非、皆さんお残り下さい。のぞみうどんの料金はおひとり100円です。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「決して渇くことのない生ける水」  ヨハネ4:1~18

イエスはヨルダン下流で弟子たちに洗礼の働きをさせていましたが、ユダヤを去って、また、ガリラヤに戻られます。「しかし、サマリアを通らねばならなかった」(:4)とあります。通常ユダヤ人は、ヨルダン川の向こう岸を迂回し、サマリア地方を避けてユダヤからガリラヤへ行きます。ユダヤ人とサマリア人には深い溝があり、彼らの間に交流がありませんでした。しかし、ここに、あえてサマリアを通らなければならないイエスの強い決意があります。サマリア宣教と、特別に、ひとりのサマリアの女に会う為であったことがわかります。

イエスは疲れてサマリアのシカルの井戸のそばに座っておられます。正午に水を汲みに来たサマリアの女に「水を飲ませてください」と言います。女は驚きます。ユダヤ人とサマリア人は交流がなかったからです。

イエスは女に「『水をください』と言ったのが誰であるかを知っていたならば、あなたのほうから願い出て、その人から生ける水をもらったことであろう」と言われます。女はどのようにイエスの言葉を受け取ったでしょうか。「渇くことのない水があるなら、その水をください」と答えています。

イエスがご覧になられたサマリアの女の渇きとは何でしょう。それは、「愛」でした。女の生活は、「愛される」ことに裏切られ、破綻していました。私達は何に渇いている者でしょうか。イエスはあなたの最も深い渇きをご存じです。

イエスのまなざし。その御顔。その言葉に触れる者は、かつて経験したことのない神の愛を知ります。サマリアの女はイエスと出会って、その内から泉となって湧き出る、生ける水をいただきました。

【ワーシップ】 

「命の水」      作詞作曲 田中満矢

ここに命の水があふれ流れる 罪も汚れも洗いきよめられる

飢え渇く者すべて満たされていく 命なき者全て花を咲かす

全てが生きる その水は癒し 全てが生きる その水は命 

全てが生きる その水は満たし わたしは生きる

あなたが源(みなもと) 我が命 力 とこしえに

あなたが源 あふれ流れ川となる

決して変わらない命の泉 信じる者みな生き返る

決して揺るがない命の泉 全て麗しく生き返る 

「生ける水の川」   作詞作曲 小坂 忠

主の御座から流れる生ける水の川 今その流れの中で 

① めぐみ受けよ ② 救い受けよ ③ 癒し受けよ

あふれて流れていのちを与える 全てのものが生きる いのちの水の川

2023年8月13日   第52巻 32号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 マタイ5:13~16

頌  栄 60

賛  美 栄光あらわしたまえ 夜も昼も  

交 読 文 60 ヨハネの黙示録21(877頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 383 主の麗しさを

聖  書 ヨハネ3:22~36

メッセージ「天から与えられるのでなければ」   竹田広志牧師

祈  祷  

賛  美 373 主ひとり       

頌  栄 63

祝  祷                                     竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 次週午後12時半から大西一功師による第三回学び会を行います。そのまま残られる参加者は軽食を持参下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「天から与えられるのでなければ」  ヨハネ3:22~36

洗礼者ヨハネのもとに多くの群衆が集まっていました。しかし、徐々にイエスの方へ人々が流れていく様子が、洗礼者ヨハネの弟子たちによって語られています。あなたがバプテスマの働きを始めたのに、後から来たイエスが同じ働きをして皆がそちらに行ってしまいますという不満があるかのような言葉です。

洗礼者ヨハネは答えます。「人は天から与えられるのでなければ、何も受ける事はできません」(:27)「何故あの人を神は祝福し、私には来ないのか」ではなく、私に与えて下さった神の賜物・使命にしっかりと立つ事が大切です。自分の立場をきちんと受けとめていないと、妬みや嫉妬などの思いが心の中に湧き立ちます。洗礼者ヨハネをイエスが大きく評価されたのは、彼が徹底して自分の神から与えられた「荒れ野で叫ぶ者の声」としての使命を自覚し、それに徹していた者であったからかも知れません。

「あの方は必ず栄え、私は衰える」(:30)自分の栄えが削られていくことを喜ぶ姿勢をヨハネと共に持ちたいと思います。人は誰も自分がないがしろにされることに反発を持つのですが、その時に「私ではなくてイエスが崇められる。これで良い」と祈っていくことが大切です。自分が栄える事を望みつつ、イエスの証しはできません。証し人は身を低くして、やがて自分は消えて行きます。こうしてイエスの御名がたたえられ、その栄光が現わされます。

イエスは天から来られたメシア、私達に永遠の命を与えるお方です。イエスを疑う者もいるでしょう。神の民ユダヤの人たちについて、彼らの「誰もイエスの証しを受け入れない」(:32)とあります。しかし、その証しを受け入れる者、信じる者は、イエスを通して、神の真実を認めるのみか、神から永遠の命を得るのです。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。

【ワーシップ】 

「栄光あらわしたまえ」 作詞作曲    MARK ATRAUSS

1、主よ満たし給え 主よ今触れたまえ 主の栄光あらわし我らを用い給え

強く聖霊の風で 深く心を満たし 広く天を開いて栄光あらわし給え

2、主の隠れ家で 主の愛に包まれ 主のみ顔を仰ぐ栄光輝く時

強く聖霊の風で 深く心を満たし 広く天を開いて栄光あらわし給え

「夜も昼も」      作詞作曲 Rebecca Hwang

我が希望の主 主を見上げます また来る我が王イエス 主を待ち望む

夜も昼も 昨日も今日も とわに主をたたえ

つらい時も 倒れる時でも いつも主をほめ歌う

2023年8月6日   第52巻 31号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 イザヤ43:4~7

頌  栄 60

賛  美 君は愛されるため生まれた  

交 読 文 59 第一ヨハネ4章(876~877頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 91 それ神はその独り子を

聖  書 ヨハネ3:16~21

メッセージ「神は愛です God is Love」      竹田広志牧師

祈  祷

聖 餐 式 49 しみも咎も  

賛  美 89 神は独り子を       

頌  栄 63

祝  祷                                              竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 8月の「のぞみカフェ」は中止となります。9月7日(木)から再開します。又、8月16日、23日(水)の祈祷会は中止となります。

〇 本日午後1時より役員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「神は愛です God is Love」  ヨハネ3:16~21

人の愛と神の愛を比較しますと、人間の愛はどこまでも条件付きのものですが、神の愛は無条件です。神が愛された「世」とは、「世界」「世界の全ての人々」という意味合いと共に、神に従う聖徒、正しい人々ではなく、神に背を向けて生きている罪の中にある人々、「世」という意味があります。神は、無条件・無償でご自身の愛を私達に与え続けて下さいます。

神の愛はどれほど大きなものでしょうか。「ひとり子をお与えになったほどに」とあります。最も大きな愛を、イエスは「友の為に命を捨てる」(ヨハネ15:13)と言われました。自分の命を相手の為にささげる事です。しかし、時に愛する自分の子の命は、自らの命以上のものです。最も大事なものを与えることこそ、最大の愛であり神の愛です。 

人となってくださり、私達の罪の身代わりとなって十字架で罰を受け、命を捧げて下さったイエス。私達の罪の赦しの為に身代わりとして、ご自身の独り子をお与えくださった父なる神。誰かの命が救われるために、自分の大事な愛する我が子の命を差し出す親はいません。(人にはできません。)神が与える救いは、罪には目をつぶって、上から救ってやるというものではない。神ご自身が痛みという代償を払われ、成し遂げて下さったものです。イエスの十字架の痛み、独り子を惜しまず与えて下さった神の痛み、ここに愛があります。

独り子を与えて下さった神の愛、神の独り子イエスの十字架の贖いによって、新しい救いの道は開かれました。そして、それを私達は、信仰によって(信仰によってのみ)受け取ります。永遠の命の対極は「死」です。私達は例外なく、全ての人が確実に死に向かっています。そして聖書は、「死んだ後、裁きを受けることが定まっている」(ヘブライ9:27)と教えています。誰がこの死と神の裁きの前に、自分には罪がない、と言い開きができるでしょうか。

イエスは、あなたの罪の赦しの為に、十字架で命を捨てて下さいました。あなたが自分の罪を悔い改め、十字架に架かられたイエスを見上げ、私の罪の赦しの為であると信じるならば、あなたの罪は赦されて、罪の結果である死ではなく、救いの結果である永遠の命をいただくことができます。

【ワーシップ】 

「君は愛されるため生まれた」  作詞作曲 イ・ミンソプ

君は愛されるため生まれた 君の生涯は 愛で満ちている

永遠(えいえん)の神の愛は われらの出会いの中で実を結ぶ

君の存在が 私には どれほど大きな喜びでしょう

君は愛されるため生まれた 今もその愛受けている(×2)

2023年7月30日   第52巻 30号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 第二コリント5:16~17

頌  栄 60

賛  美 詩篇100 み腕に抱いて   

交 読 文 57 Ⅰコリント13章(873~874頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 43 わが君イエスよ

聖  書 ヨハネ3:1~15

メッセージ「新しく生まれる」          竹田広志牧師

祈  祷  

賛  美 34 主よ汝が前をば       

頌  栄 63

祝  祷                      竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 今週8月1(火)~3日(木)竹田牧師は、千葉教区バイブルキャンプの奉仕で千葉市少年自然の家へ出かけます。祝福されますようにお祈り下さい。

〇 次週午後1時より役員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「新しく生まれる」  ヨハネ3:1~15

信仰とは決断です。長く求道していて、なかなか信仰告白の決断ができない人がいます。また、来てすぐに信じて信仰告白をする人もいます。どちらが良いとも言えませんが、大事なのは信じるというのは、理解できたから信じますと告白するというより、イエスを見て、イエスに信頼して、あなたを救い主と信じますと決断することです。あなたの決断の先に、ただちに神があなたを救ってくださいます。

ニコデモは「夜」、イエスを訪ねたとあります。それは、人目をはばかって(でも)という内容です。「夜」は、ニコデモの心の闇をも示唆する言葉です。高い地位にある彼が、へりくだってイエスに求めている姿がここにあります。知って下さい。へりくだってイエスに求める者の救いの日は近いことを。「神の受けられるいけにえは、砕けた魂です。砕けた悔いた心」(詩篇51:17口語訳)。

ニコデモのイエス理解があります。ひとつは、ニコデモも教師ですが、イエスは、「神のもとから来られた教師」、ひとつは「神共におられる(インマヌエル)」ということです。

イエスはニコデモに「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」と言われます。新しく生まれるとは、人の努力や修行、肉の力で得るものではない。神が(上から)あなたを新しく生まれさせて下さるのです。

誰でも イエス・キリスト(の十字架の贖い)を通してでなければ、神の国に入ることはできません。そこで死んで、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。十字架に上げられた主イエスを仰ぐもの、信じる者が、永遠のいのちを持つのです。「悔い改めなさい。そして罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい」(使徒2:38)

【ワーシップ】

「詩篇100」      作詞作曲 中山有太

感謝しつつ主の門に 賛美しつつ大庭に 心合わせ臨在に入れ

主はいつくしみ深い 恵みはとこしえまで その真実は代々に至る

我らは主のもの主の民 その牧場の羊 

知れ 主こそ神 喜びの声上げよ  来たれ 主の前で 喜びもって仕えよ

「み腕に抱いて」     作詞作曲 中山有太

(* 今主よ わたしの心に触れて あなたの御腕に抱いて下さい )

全ての疲れた人よ、重荷悩み負う人よ、

イエスの前に出て行こう、全てを今手離そう (*おりかえし) 

あなたの愛に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから

あなたの腕に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから 

2023年7月23日   第52巻 29号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ヘブライ12:1~3

頌  栄 60

賛  美    

交 読 文 57 Ⅰコリント13章(873~874頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                    

賛  美 341 恐れなく近寄れ 

聖  書 マタイ14:22~33 

メッセージ「一歩踏み出す信仰」         山下健太神学生

祈  祷  

賛  美 275 信仰こそ       

頌  栄 63

祝  祷                      竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日のメッセ―ジは山下健太神学生が御用をして下さいました。ご家族と夏の働きの為にお祈り下さい。本日で一学期の実習は終了となります。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

★ 千葉教区連合壮年会 夏の大会のお知らせ ★

本日 13:30~15:30 会場 勝田台キリスト教会

講師:竹田広志牧師 テーマ:コロナ禍での勝田台教会の取り組みについて


【説教要約】

「一歩踏み出す信仰」 マタイ14:22~33

この箇所は、ガリラヤ地方におけるイエス様と12人の弟子達の宣教活動と、その間に起こる弟子達の信仰の訓練が記録されています。ここでは、弟子たちが嵐の中で苦闘する様子が描かれています。彼らは目的地に向けガリラヤ湖を舟で進んでいましたが、逆風と波によって困難に直面しました。彼らは9時間も逆風に悩まされ、思うように進めず、疲れと不安に襲われていました。

しかし、イエスは弟子達が苦しんでいる姿をしっかりと見ておられました。そして、最も暗く苦しい時に、水の上を歩いて彼らに近づいてくださったのです。初め、彼らはイエスを幽霊だと思い込み、恐れましたが、イエスは「安心しなさい。私だ。恐れることはない」と声をかけられました。

その言葉に応答したペトロは、水の上を歩いてイエスの御もとに行くことを願い、イエスは「来なさい」と命じられました。イエスの方へ進むために信仰の一歩を踏み出したペトロは、水の上を歩く奇跡を体験します。しかし、風や波を見て恐くなったペトロは、沈みかけてしまいました。その時イエスはすぐに手を差し伸べてペトロの手を捕らえ、引き上げてくださいました。イエスの手の感触をペトロは生涯忘れることはなかったことでしょう。そして、2人が舟に戻ったその時、悩まされていた逆風がやみ、目的地へ到着しました。

万物の支配者である神は、苦難の中でも権威をもって私たちを見守ってくださいます。暗闇の真ん中にいる時に必要な力と助けを与えてくださり、必ず平安へと導いてくださいます。私たちは、イエスから目を離さず、そこにある神の助けと導きを信じたいと思います。信仰の一歩を踏み出そうとする時、そこには私たちの手をしっかりと捕らえて導いてくださる神がおられます。

【ワーシップ】 

「静まって知れ」     作詞作曲 Darlene Zschech

1、  御翼の陰に隠し 力ある御腕の中に

   逆巻く大海を越え 主と共に羽ばたく

   我が父よ 王なる神 静まりあなたを知る

2、  キリストの中に憩い 信頼と主の力知る

   いかずち鳴り渡る中 主と共に羽ばたく

   我が父よ 王なる神 静まりあなたを知る

「主は良いお方」  作詞作曲 長沢崇史

我が魂 主をたたえよ 聖なる御名をほめたたえよ

主の良くして下さったことを 何一つ忘れるな  (×2)

主は良いお方 主は良いお方 恵みと憐れみの冠を持って

私の一生 良いもので満たす 主は良いお方 賛美をささげます

2023年7月16日   第52巻 28号

創立52周年記念礼拝       

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ヨハネ15:1~5

頌  栄 60

賛  美 命の水 神の家族     

交 読 文 56 ローマ12(873頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷         

証  詞                    

賛  美 332 主はまことのぶどうの木です  

聖  書 エフェソ1:20~23 

メッセージ「教会はキリストのからだ」      竹田広志牧師

祈  祷  

賛  美 145 栄えに満ちたる       

頌  栄 63

祝  祷                                     竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日は教会創立52周年記念礼拝となります。ここまでの主の豊かな導きと恵みを感謝します。礼拝後食事を共にし、交わりの時を持ちます。記念として中居豊師の「教会(共同体)全体の成長を目指して」を配布します。

〇 次週の礼拝は、山下健太神学生が礼拝の御用をします。お祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

★ 千葉教区連合壮年会 夏の大会のお知らせ ★

次週7月23日(日)13:30~15:30 会場 勝田台キリスト教会

講師:竹田広志牧師 テーマ:コロナ禍での勝田台教会の取り組みについて

【説教要約】

「教会はキリストのからだ」 エフェソ1:20~23

本日は勝田台キリスト教会、創立52周年記念の礼拝となります。52年前、日本ホーリネス教団から中居豊師、栄子師が「佐倉開拓」に任命を受け、佐倉、八千代、米本、大和田と天幕伝道を展開し、八千代市勝田台の地に教会が建てられました。「もし信じるなら、神の栄光を見ると言ったではないか。」(ヨハネ11:40)ゼロスタート開拓から、何度も教会が試練の中を通る度に、イエスの言葉に信頼して、神の栄光を見せていただきました。

教会とは何でしょうか。「教会はキリストのからだ」(1:23)、「私たちはキリストのからだの一部」(5:30)と私達に教えています。

1、 キリストの権威と力

 私達は信じ、告白します。イエス・キリストはいっさいの権威の上に立つ、力あるお方です。日常から世界の課題・問題に至るまで、イエスに解決できないものは何ひとつありません。イエスの名に優る権威はひとつもありません。

2、 キリストのつながりを示す、「からだ」という表現

 「キリストのからだ」それは、生命的な関係を示しています。キリストと私たちには命の繋がりがあります。「かしら(ケファレー)」は、源、源泉の意味があります。イエス(十字架と復活)は、命、愛、恵みが流れてくる源です。

3、 教会の使命 宣教

 イエスは教会に神の権威を授け、使命を委ねられました。神は全ての人が救われて真理を知り従うことを望んでおられます。私たちは福音を宣べ伝えます。

【ワーシップ】

「命の水」      作詞作曲 田中満矢

ここに命の水があふれ流れる 罪も汚れも洗いきよめられる

飢え渇く者すべて満たされていく 命なき者全て花を咲かす

全てが生きる その水は癒し 全てが生きる その水は命 

全てが生きる その水は満たし わたしは生きる

あなたが源(みなもと) 我が命 力 とこしえに

あなたが源 あふれ流れ川となる

決して変わらない命の泉 信じる者みな生き返る

決して揺るがない命の泉 全て麗しく生き返る 

「神の家族」     作詞作曲 長沢崇史

どんな宝石より美しく尊い 神の愛によって結ばれた関係 

神の家族 キリストにあってひとつ 神の家族 永遠に続く家族

ひとつの体分け合う 欠けてはならない存在

共に泣きともに喜ぶ 愛により建てられてく

2023年7月9日   第52巻 27号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 マラキ3:1~3

頌  栄 60

賛  美 聖い御霊よ 主は良いお方    

交 読 文 55 ヨハネ15(871~872頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷         

賛  美 420 雨を降り注ぎ 

聖  書 ヨハネによる福音書2:13~25 

メッセージ「宮を聖別せよ」           竹田広志牧師

祈  祷  

賛  美 365 君なるイエスよ       

頌  栄 63

祝  祷                                               竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 次週は教会創立52周年記念礼拝となります。礼拝後食事を共にし、交わりの時を持ちます。記念として中居豊師の「教会(共同体)全体の成長を目指して」を配布します。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

★ 千葉教区連合壮年会 夏の大会のお知らせ ★

7月23日(日)13:30~15:30 会場 勝田台キリスト教会

講師:竹田広志牧師 テーマ:コロナ禍での勝田台教会の取り組みについて

【説教要約】

「宮を聖別せよ」 ヨハネ2:13~25

旧約時代において、エルサレムに偶像が運び込まれたりすることがありましたが、宗教改革者達はそのようなものを排除していきました。何度も腐敗した神殿礼拝の改革の歴史があります。そのような中で、メシアは来られて宮を聖め

るという預言がマラキ書3:1~3にあります。

イエスは、宮を「私の父の家」と言われます(:16)。そうです、神殿は「私は彼らの中に住む」(出エジプト25:8)と約束して下さった神ご自身が御臨在して下さる特別な場所、「父なる神の宮・住まい」であり、全ての民の祈りの家(イザヤ56:7)です。

イエスは人目を憚ることなく、激情をもって、両替人やいけにえの動物を売る者たちを境内(異邦人の庭)から追い出しています。徹底したイエスの行動があります。イエスのその様子を、ヨハネは、詩篇69:10にある「あなたの家を思う熱情が私を食い尽くす」と記しています。人は世の権力や暴力に弱い者ですが、イエスは毅然として全ての人の前にご自身の決断を下されます。イエスは真の宗教改革者です。

「こんなことをするからには、どんなしるしを私たちに見せるつもりなのか」と、人々はガリラヤの青年イエスに詰め寄ります。イエスは、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」とお答えになります。この言葉はイエスの弟子たち、人々の心に深く残りました。神殿再建には46年の歳月が費やされていました。三日で建て直す、とイエスの言われる神殿とは、イエスご自身の死と復活を示しています。イエスは私たちの罪の贖いとして十字架に死なれて、三日目によみがえられました。高額の動物のいけにえや神殿貨幣への両替は要りません。死んでよみがえられたイエス(神殿)を通して、誰もが神の御前に近づくことができます。

【ワーシップ】 「聖い御霊よ」    作詞作曲 岩淵亮

今 きよい御霊よ  この私を満たして下さい 

主の御座から流れ この私をきよめて下さい

御霊にあふれ生きる 主の栄光仰いで

御霊にあふれ生きる 主のみわざ仰いで

「主は良いお方」  作詞作曲 長沢崇史

我が魂 主をたたえよ 聖なる御名をほめたたえよ

主の良くして下さったことを 何一つ忘れるな  (×2)

主は良いお方 主は良いお方 恵みと憐れみの冠を持って

私の一生 良いもので満たす 主は良いお方 賛美をささげます

2023年7月2日   第52巻 26号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 詩篇25:4~5

頌  栄 60

賛  美 み腕に抱いて 主は良いお方    

交 読 文 54 ヨハネ14(870~871頁)

公同祈祷                   

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 聖歌717 主はふるまいを

聖  書 ヨハネによる福音書2:1~12  

メッセージ「最初のしるし」           竹田広志牧師

祈  祷  

聖 餐 式 49  しみも咎も

賛  美 175 胸の奥に      

頌  栄 63

祝  祷                                     竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日午後1時より役員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

★ 千葉教区連合壮年会 夏の大会のお知らせ ★

7月23日(日)13:30~15:30 会場 勝田台キリスト教会

講師:竹田広志牧師 テーマ:コロナ禍での勝田台教会の取り組みについて

【説教要約】

「最初のしるし」 ヨハネ2:1~12

ヨハネはイエスの成された素晴らしい御業を、奇跡と言わずに「しるし」と書きます。確かにこのお方は神の御子である。彼の成されたことはその「印」です。本日から、神の御子としての栄光を現わされた内容を読みます。

カナの婚礼の席で、祝いに来た人に振る舞うぶどう酒がなくなります。主催者にとって大失態、大ピンチです。その祝いに出席していたイエスの母マリアは、イエスに伝えます。「ぶどう酒がなくなりました」息子イエスよ、なんとかならないものか。しかし、イエスは「女よ、私とどんな関りがあるのです。私の時はまだ来ていません。」イエスの返事にいつもと違った響きをマリアは感じ取ったことでしょう。

マリアは召し使いの者に、「この方が言いつけるとおりにしてください」と言います。イエスは何をするともお答えにはなっていませんが。

知って下さい。「私の願っている事をしてください」ではなく、「あなたの願っておられる事を行います。」これがイエスに従う者が祝福を受ける秘訣です。

イエスは家の前に置かれてある大きな水がめ6つに「水をいっぱい入れなさい」と言われます。ぶどう酒が必要なのです。大変な重労働です。しかし、召し使いたちは汗を流し、井戸から水を汲んで水がめの全てを水で満たします。

かめの水を宴会の世話役の所へ持って行くようにイエスは言われます。

世話役はそれをなめて、花婿を呼んで言います「あなたは良いぶどう酒を今まで取っておかれました」。味気のない水が、喜び豊かな最高のぶどう酒に変化します。

イエスに従う時に、イエスの言葉を行う時に、人の計画や思いをはるかに超えた神の祝福・幸いを私たちはいただくことができます。

【ワーシップ】 「み腕に抱いて」     作詞作曲 中山有太

(*おりかえし) 今主よ わたしの心に触れて あなたの御腕に抱いて下さい

全ての疲れた人よ、重荷悩み負う人よ、

イエスの前に出て行こう、全てを今手離そう (*おりかえし) 

あなたの愛に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから

あなたの腕に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから   

「主は良いお方」  作詞作曲 長沢崇史

我が魂 主をたたえよ 聖なる御名をほめたたえよ

主の良くして下さったことを 何一つ忘れるな  (×2)

主は良いお方 主は良いお方 恵みと憐れみの冠を持って

私の一生 良いもので満たす 主は良いお方 賛美をささげます

2023年6月25日   第52巻 25号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 イザヤ書61:1

頌  栄 60

賛  美 COME 今、主をあがめ  み腕に抱いて    

交 読 文 52 ルカ22(869~870頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷         

賛  美 203 ああイエス君 こよなき友よ

聖  書 ヨハネによる福音書1:35~51  

メッセージ「私たちは今メシアに出会った」    竹田広志牧師

祈  祷  

賛  美 177「われに来よ」とイエス君は      

頌  栄 63

祝  祷                                     竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 次週午後1時より役員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「私たちは今メシアに出会った」 ヨハネ1:35~51

古代哲学者アリストテレスは、「人間は社会的動物である」、ユダヤ人哲学者マルチン・ブーバーは「人生は出会いによって決まる」と言いました。本日の聖書箇所は、イエスに出会い、イエスに従った人達です。イエスに出会い、イエスと向き合って、そのお方を知って、彼らはイエスをメシア(キリスト)であると認め、弟子となっていくことが書かれています。

人生で、イエスと出会うことの大きさ。主イエスを知ることの大きさ、素晴らしさ、豊かさ、その恵みがあります。今朝、あなたの人生でイエスと出会うことは、最も大きな素晴らしい出会いであると伝えたい。

アンデレはイエスと出会い、「私たちはメシアに出会った」と兄のシモン・ペトロに伝え、イエスの許へ連れて行きます。

フィリポはイエスと出会い、「私たちはモーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った」とナタナエルに伝え、イエスの許へ連れて行きます。

ナタナエルはイエスに出会い、「あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」とイエスに向かって告白しています。

今や、世界中の人々がイエスと出会い、「あなたこそ神の御子、救い主です」と告白しています。イエスは私たちの全てを知っていて下さいます。そして私たちの願いに真にお答えくださいます。イエスに従う人生は、神の御子イエスの力強い神の働きを見る日々がはじまります。

「よくよく言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」ヨハネによる福音書は、イエスがこのお言葉通りに生きられたことをヨハネ自身が目撃し、体験したのみならず、今イエスに従う私たちも受ける大いなる恵みなのです。

【ワーシップ】  

「COME 今、主をあがめ」 作詞作曲 Brian DoerKsen  

COME 今 主をあがめ  COME 今 心ささげ 

COME ありのまま主を  COME さあ来てたたえよ COME

(* 来る日に全ての者 主イエスを拝する 今主をあがめる者何と幸い)

COME COME COME

「み腕に抱いて」     作詞作曲 中山有太

(* 今主よ わたしの心に触れて あなたの御腕に抱いて下さい )

全ての疲れた人よ、重荷悩み負う人よ、

イエスの前に出て行こう、全てを今手離そう (*おりかえし) 

あなたの愛に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから

あなたの腕に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから 

2023年6月18日   第52巻 24号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 イザヤ40:1~5 

頌  栄 60

賛  美 168 ハレルヤと歌え    

交 読 文 51 マタイ5(868~869頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 111 生くる甲斐もなしと

聖  書 ヨハネによる福音書1:19~34  

メッセージ「世の罪を取り除く神の小羊」     竹田広志牧師

祈  祷  

賛  美 427 ただ主を      

頌  栄 63

祝  祷                                     竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日は「父の日」です。

〇 本日午後12時半から大西一功師による第二回学び会を行います。是非皆様ご参加下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「世の罪を取り除く神の小羊」 ヨハネ1:19~34

4つの福音書は共に、イエスの公生涯のスタートとして「バプテスマのヨハネ」を記しています。彼は、イエスと同時代に生き、イエスが公の場に来られる直前、イエスの為に舞台を用意した人です。

「さて、ヨハネの証しはこうである」(:19)。今日も私達が目を向けるのはバプテスマのヨハネという人物ではなく、ヨハネが指し示したイエスです。メシアについての証言者、最後の預言者ヨハネにとって、彼の最も大事な勤めは、イエスがどのようなお方であるかを的確に民衆に示すことです。

1、 バプテスマのヨハネの自己理解(:19~24) 

彼は自分自身については、「私はメシア(救い主)ではない。エリヤではない。旧約に預言されている偉大な預言者でもない。」では誰か。預言者イザヤの言う「主の道をまっすぐにする者」「荒れ野で叫ぶ者の声」(イザヤ40:3)だと言います。彼は、神の器、神の使命に徹した人、自分に与えられた役割をしっかりと受け止めていた人です。

2、 ヨハネの証言(:6~8、15、26~27)

「私の後から来られるお方は偉大なお方。私よりも先におられたお方(初めから神と共におられたお方)。力あるお方(私にまさる…比べることのできない程の)(:15、30)。私はその方の履物のひもを解く値打ちもない(:27)。このお方は、水で洗うのではない、聖霊によってバプテスマを授ける方(:33)。この方こそ神の子である(:34)。」と証言します。

3、「見よ、世の罪を取り除く、神の小羊」(:29、36)

特にこの朝、私達が注目するのは、ヨハネのイエスに向けての証言、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(29)です。水や動物の血は、私達の罪を取り除くことはできないのです。悔い改めても、悔い改めても、洗っても、洗っても、私達は自らの内側にある罪深さに打ちひしがれるのみです。しかし、このお方は、私達の罪を取り除く力ある神です。神の小羊、神の御子イエスの血、十字架の贖いが、私達の罪を取り除き、聖めるのです。

【ワーシップ】  

「十字架の贖い」    作詞作曲 中山有太

キリストの血によって回復が与えられ 主との壁取り壊された

キリストの愛からは引き離すものはない 大胆に恵みの御座へ

十字架の贖い我が罪のため 惜しまずささげた 小羊主イエス

「小羊イエスよ」    作詞作曲 小坂忠

小羊イエスよ 愛する君よ 御前に賛美をささげます

十字架の愛で 罪赦された 私の全てをささげます

2023年6月11日   第52巻 23号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ガラテヤ3:26~29 

頌  栄 60

賛  美 死を打ち破り  静まって知れ     

交 読 文 50 イザヤ書第53章(867~868頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 104 十字架の上に

聖  書 ヨハネによる福音書1:1~18  

メッセージ「神の子となる権能を受けよ」     竹田広志牧師

祈  祷  

賛  美 263 罪咎を赦され 神の子とせられ     

頌  栄 63

祝  祷                                     竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日は「花の日」です。先日教会学校から弱っている方々、病気の方々へお手紙を送りました。教会学校の子供たちの奉仕に感謝します。

〇 次週午後12時半から大西一功師による第二回学び会を行います。参加者は昼食をご持参ください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「神の子となる権能を受けよ」 ヨハネ1:1~18

本日からヨハネによる福音書を読みます。鍵となる聖句は、「私を見た者は、父(父なる神)を見たのだ。」と言われるイエスの言葉です。(ヨハネ14:9)イエスに目を向け、イエスを知って、私達はまことの神である主を知ります。

1、イエスの神性(先在性) (:1~4)

「初めに言があった。」「言(λόγος ギリシア語:ロゴス)」とはイエスのことです。イエスが神である。神の御子であることをこのように書き出しています。イエスは人々に「命」と「光」を与えるお方です。

2、バプテスマのヨハネについて(:6~9、15)

 バプテスマのヨハネは、神に遣わされた者ですが、光ではなく、光について証言する者です。…次回詳しく見ます。

3、 人となられた神

 「人の光」「まことの光」その光とは、私達の人生におけるあらゆる暗闇を照らす光であり、外から照らされる一時的な光ではなく、内に持つ命の光です。このお方が人となり、世に来て下さいました。ところがイスラエルの民はイエスを拒絶し、十字架につけました。「しかし!言(イエス)は、自分を受け入れた人々、その名を信じる人々には、神の子となる権能を与えた」。イエスを信じ受け入れる者には、神の子となる大きな、とても大きな神の祝福があります。

4、恵みと真理に満ちていた

 神の戒め、律法を守ることも神の恵みですが、イエスが与える神の祝福はそれ以上の恵み、恵みと真理に満ちたものです。この祝福を受け取って下さい。 

【ワーシップ】 

「死を打ち破り」    作詞作曲 長沢崇史

すべての人は見る 偉大な光 暗闇を照らす まことの光

失望はない 主に頼るもの イエスキリストは生きている

死を打ち破りよみがえられた 全ての鎖(くさり)解き放つ

主イエスの名を呼ぶものはみな救われる 救われる

イエスは主 イエスは主 救い主(×2)

「静まって知れ」    作詞作曲 Darlene Zschech

1、 御翼の陰に隠し 力ある御腕の中に 

逆巻く大海を越え 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

2、 キリストの中に憩い 信頼と主の力知る

いかずち鳴り渡る中 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

2023年6月4日   第52巻 22号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 箴言1:7 

頌  栄 60

賛  美 166威光・尊厳・栄誉  静まって知れ     

交 読 文 49 イザヤ40(866~867頁)

公同祈祷                   

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 3 天地の御神をば

聖  書 コヘレト書12:1~8  

メッセージ「あなたの造り主を心に刻め」     竹田広志牧師

聖 餐 式 49 しみも咎も   

祈  祷  

賛  美 31 豊けき主の愛      

頌  栄 63

祝  祷                                              竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日午後1時より役員会を行います。

〇 次週は「花の日」です。教会学校から弱っている方々、病気の方々へお手紙を送ります。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「あなたの造り主を心に刻め」 コヘレト書12:1~8

コヘレト書は旧約聖書では知恵文学に分類されます。知恵文学書は他に詩篇の一部、箴言、雅歌があります。

皆を集めて語る(コヘレトの意味)者の結論は、財であれ知識であれ、偉業であれ、名誉であれ、良いもの、悪いものであれ、どんなに得ても、人間の欲求を満たすものはなく、「一切は空(くう)である、空しい)」(1:2)というものです。何もかも得た彼の心は、何をもってしても満たされないのです。そして、彼は、自分と同じように人の生きる目的、知恵、その本分を訪ね求める者に対して「事の帰する所は、全て言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これは全ての人の本分である」(口語訳12:13)と言います。

人生は無意味である、人に本分などない、私の人生の終わりには神の裁きもない。果たしてそうでしょうか。聖書は、神を侮ってはらないと伝えています。 

「若き日に、あなたの造り主を心に刻め。」あなたの人生は、自然発生して自然に寿命を終える意味のないものではない!神によって創造された、かけがえのない、価値ある、尊い存在なのだ、と。全ての作られた物には、その作られた目的があるように、神によって造られた私達にも、私達の人生にも目的があり、使命があるのです。私達は、誰かの博識、意見や説ではなく、この聖書のことばを信じます。「主を恐れることは知識の初め。無知な者は知恵も諭しも侮る」(箴言1:7)

 3~7節は、人の「老い」について、知恵の言葉を用いて克明に表現しています。これらの様相になったとしても「老いても」尚、希望と喜びがあります。これは神を信じる者の特徴です。この地上での生活が全てではないと知っているからです。「若き日に、あなたの造り主を心に刻め。『私には喜びがない』と言うよわいに近づかないうちに。」

月日は容赦なく過ぎていきます。今日から、この世界、人間、そして私を造られた創造主に立ち返り(心に刻み)、神を恐れ、神の命令を守る歩みをスタートしてください。今が決断の時です。

【ワーシップ】 

「静まって知れ」    作詞作曲 Darlene Zschech

1、 御翼の陰に隠し 力ある御腕の中に 

逆巻く大海を越え 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

2、 キリストの中に憩い 信頼と主の力知る

いかずち鳴り渡る中 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

2023年5月28日   第52巻 21号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 イザヤ40:28~31 

頌  栄 60

賛  美 聖い御霊よ 注ぎ給え主よ      

交 読 文 19 詩篇51(843~844頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷         

賛  美 181 重荷を負いて 

聖  書 使徒言行録2:1~4  

メッセージ「一同は聖霊に満たされ」       竹田広志牧師      

祈  祷  

賛  美 136 御霊よ降りて       

頌  栄 63

祝  祷                                              竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日はペンテコステ記念礼拝でした。一同聖霊に満たされ感謝します。

〇 本日礼拝後、各会を行います。「のぞみうどん」を再開します。是非お残り下さり、教会で昼食をお取り下さり、良き交わりをお持ちください。

〇 次週午後1時より役員会を行います。

〇 各奉仕分担の代表者は必要経費がありましたら、会計係に申し出て下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「一同は聖霊に満たされ」 使徒言行録2:1~4

聖霊降臨はイエスの約束の成就・実現です。イエスが私達に授ける「聖霊と火による」バプテスマ(洗礼・浸す・満たす)です。

「私は父にお願いしよう。父はもうひとりの弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」(ヨハネ14:16)「エルサレムを離れず、私から聞いた、父の約束されたものを待ちなさい」(1:4)。「あなたがたは間もなく聖霊によってバプテスマを受ける」(1:5)。「聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、…私の証人となる」(1:8)

イエスの約束を信じて集まり、心を合わせ祈り、待ち望む人々の上に、聖霊が降り、一同は聖霊に満たされました。世界の歴史で最初の教会が誕生した瞬間です。それはまさに教会の本質です。教会とは何でしょうか。一同が聖霊に満たされる集まりです。ペンテコステ記念礼拝を行う相応しさは、聖書に記されているこの出来事を知識として知る以上に、今私達がイエスの約束を信じ、聖霊に満たされる経験を受け取ることです。

2023年度の勝田台キリスト教会の指針を読みたいと思います。(総会で配布された別紙記載)何度もこれを繰り返し読んでください。

「求めなさい、そうすれば与えられるであろう…天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊をくださらないことがあろうか」(ルカ11:9~13)とイエスは言われます。聖霊を求めなさい。それがキリスト者の生きる力です。何度も繰り返し求めなさい。求め続けなさい。救いの経験は一回です。しかし、聖霊の満たしは、何度も何度も繰り返されます。そして日々、新しくされていきます。新しく生まれた({新生}した)者には、新しくされた者として生きる力({聖化})が必要なのです。それが聖霊の満たしです。聖霊は私達の傍らにおられ、私達がイエスを見上げて生きるように助けて下さいます。

【ワーシップ】 「聖い御霊よ」    作詞作曲 岩淵亮

今 きよい御霊よ  この私を満たして下さい 

主の御座から流れ この私をきよめて下さい

御霊にあふれ生きる 主の栄光仰いで

御霊にあふれ生きる 主のみわざ仰いで

「注ぎたまえ主よ」   作詞作曲 Kim Bollinger                  

1、注ぎたまえ主よ 恵みとあわれみを 天が開くため祈る 聖霊の力を

(おりかえし)主の御霊よ触れたまえ 我が心に 主の教会に 

雨を降らせリバイバルを 来たらせたまえ この地の上に

2、受ける価値なき我ら御前に進み祈る ああ栄光のみ業 見させたまえ

2023年5月21日   第52巻 20号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 マタイ4:18~20 

頌  栄 60

賛  美 詩篇100 イエスが愛したように      

交 読 文 48 イザヤ書35章(865~866頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 325 歌いつつ歩まん

聖  書 ヨハネ21:18~25  

メッセージ「あなたは、私に従いなさい」     竹田広志牧師      

祈  祷 

賛  美 396 慕いまつる主の        

頌  栄 63

祝  祷                      竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日午後1時から学び会を行います。大西一功師による「異端、カルトとは何か―誤りのない信仰のために―」についての第一回目の学びを行います。是非、皆さんお残り下さい。茶菓と飲み物を教会で準備しています。食事は各自お取り下さい。

〇 次週の礼拝はペンテコステ記念礼拝です。聖霊の満たしを求めましょう。

〇 次週礼拝後、各会を行います。「のぞみうどん」を再開します。是非お残り下さり、教会で昼食をお取りください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「あなたは、私に従いなさい」 ヨハネ21:18~25

イエスの弟子のペトロとヨハネは、それぞれが主の召しをいただいて、その使命を全うします。誰かと同じでなくていいのです。また、誰かと比べる必要もありません。「あなたは、私に従いなさい」とイエスは言われます。従うとは、あなたが、イエスの後ろに付いて行くことです。あなたのイエス。私のイエス。イエスとあなたとの間の個人的な招きと応答です。

イエスとここにいる私とはどんなつながりがあるのでしょう。イエスと私とのつながりは、私の罪の赦しの為にイエスが十字架で血を流し、命を捨てられたことです。それが私とイエスをつなぐものです。

どんなに聖書の知識があっても、どんなに素晴らしい働きができても、奇跡を行えたとしても、イエスの十字架の血潮による罪の赦しを受けなければ、イエスと私とは何の関係もありません。イエスと私のつながりは、罪を赦すお方と、赦された者です。先週、多く赦された者は、多く愛するとお話ししました。イエスの十字架の贖いによって、私の罪が、神の前に赦されて、新しい命をいただいて、私達はイエスに従うのです。

十字架は、あなたの罪の赦しであることを信じ、今日受け入れてください。そうすれば、あなたは神の救いを受けることができます。

「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じて、イエスの名によって命を得るためである」(20:31)

あなたは、誰のことばを聞いて、どこに向かって生きていますか。イエスは言われます「あなたは、私に従いなさい」

【ワーシップ】 

「詩篇100」      作詞作曲 中山有太

感謝しつつ主の門に 賛美しつつ大庭に 心合わせ臨在に入れ

主はいつくしみ深い 恵みはとこしえまで その真実は代々に至る

我らは主のもの主の民 その牧場の羊 

知れ 主こそ神 喜びの声上げよ  来たれ 主の前で 喜びもって仕えよ

「イエスが愛したように」         作詞作曲 長沢崇史

イエスが愛したように 私たちも愛し合う

その愛の中で枝となるとき 多くの実を結ぶ

イエスが愛したように 私たちも愛し合う

人が友のため 命を捨てるほどの愛はない

共に支え合い共に助け合う イエスの愛で

共に祈り合い共に笑い合う イエスの愛の中

2023年5月14日   第52巻 19号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 申命記6:4~9

頌  栄 60

賛  美 輝く御名 夜も昼も       

交 読 文 46 詩篇148(864頁)

公同祈祷                   

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 395 主はガリラヤ湖の

聖  書 ヨハネ21:15~17  

メッセージ「あなたの神、主を愛せよ」      竹田広志牧師      

祈  祷

賛  美 402 暗き谷間をたどるときも        

頌  栄 63

祝  祷                       竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日午後2時より、千葉栄光教会で中高生ユース集会が行われます。午後1時に教会を車で出発します。是非、青年の方々も参加ください。

〇 次週日曜、午後1時から学び会を行います。大西一功師による「異端、カルトとは何か―誤りのない信仰のために―」についての第一回目の学びを行います。是非、皆さんお残り下さい。食事は各自ご持参ください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「あなたの神、主を愛せよ」 ヨハネ21:15~17

ユダヤ人が特別に大事にしている戒めがあります。申命記6:4~5です。これはシェマーと呼ばれ、彼らが夜も昼も唇をもっていつも唱え、額に付け、家の入口、町の門に記して覚えておく戒めです。

「聞け(ヘブル語=シェマー)、イスラエルよ。私たちの神、主は唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くしてあなたの神、主を愛しなさい」です。イエスも律法の中で一番大切な戒めとしてこの箇所を上げています。誠心誠意全力で、神である主を愛することです。神は主ご自身を愛すること、神の愛に対して、私達も愛をもって応答することを求めておられます。

本日のよみがえられたイエスの私達への問いは「あなたはわたしを愛するか」です。私達の愛(フィレオー)は不完全で、神の愛(アガペー)には及びません。時にイエスを否定する失態を犯すかも知れません。身に覚えのない者はいません。しかし大事なのは、「尽くして」全力で応えていくことです。イエスとペトロとの対話は、そのままでよい。あなたの持てる限りの全身全霊で、私を愛しなさい。「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして私を愛しなさい」と言われているようです。完全な愛は神以外誰も持っていません。しかし、私たちはこの神の愛アガペー(完全な愛・無償の愛)をイエスからいただいて、完全ではなくとも、全力で神を愛し、隣人を愛する(世話する)道を生きるのです。

プロテスタント教会では、教会に立てられた指導的な役割をする人を神父と呼ばず牧師と呼びます。言葉にはその言葉の表す本来的な役割・意味があります。イエスのイエスを愛する者への召しは「わたしの羊を飼いなさい」です。イエスの羊です。イエスが、神の愛(アガペー)をもって大事に向き合っておられる羊です。私達は全ての隣人に対し、特にキリストにある兄弟姉妹に対して、イエスがそうであるように、「人を活かし、力づける」小さな牧者であることを覚えたいと思います。

【ワーシップ】 

「輝く御名」      作詞作曲 中山有太

イエスの御名には勝利がある イエスの御名には力がある

イエスの御名には救いがある イエスの御名に栄光あれ

麗しい 素晴らしい あなたの御名盛んになる

色あせない おとろえない 輝く御名ほめたたえる

「夜も昼も」      作詞作曲 Rebecca Hwang

我が希望の主 主を見上げます また来る我が王イエス 主を待ち望む

夜も昼も 昨日も今日も とわに主をたたえ

つらい時も 倒れる時でも いつも主をほめ歌う


2023年5月7日   第52巻 18号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ネヘミヤ9:19~21

頌  栄 60

賛  美 神の家族 その日全世界が       山下 健太 神学生

交 読 文 45 詩篇146(863~864頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 415 恵み深き御神よ

聖  書 ヨハネ14:15~20  

メッセージ「聖霊に導かれ、聖霊と共に生きる」  竹田広志牧師      

祈  祷

聖 餐 式 49  しみも咎も

賛  美 355 主と共に歩む        

頌  栄 63

祝  祷                      竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日礼拝後、少し休憩をとってから教会総会を行います。1Fに茶菓と飲み物を用意しています。飲食は1Fでお取りください。時間になりましたら、2F礼拝堂にお集まりください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

★ 2023年度教会総会の掲示 ★

5月7日(日)12:00~14:00勝田台キリスト教会総会を行います。

総会に出席できない教会員の方は委任状を提出してください。


【説教要約】

「聖霊に導かれ、聖霊と共に生きる」 ヨハネ14:15~20

「私は父にお願いしよう。父はもうひとりの弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにして下さる」(ヨハネ14:16)

2023年度の日本ホーリネス教団の方針は「聖霊に導かれ、聖霊と共に生きる」です。聖霊というお方が私たちを導き、聖霊というお方と共に私たちは生きる、私達たち教会は歩むというテーマです。

聖書は、人(私達)は神との交わりを持つ霊的な存在であることを教えています。神のことばを聞き、それに応答する能力を本来持っています。それが、「神のかたちに似せて造られた」「神の息が鼻に吹き込まれた」人の姿です。

イエスは最後の晩餐の席で、弟子たちに告別説教をされます。私は父のもとへ行くが、私が父にお願いし、もうひとりの別の助け主を父から遣わしていただくという約束です。もうひとりの弁護者、それは弟子たちと共におられた目に目えるイエスに代わるお方です。聖霊は、いつまでも私たちと共におられるお方です。弟子たちと、私たちと、そしてこれからイエスに従うすべての人といつまでも共におられます。「弁護者」(ギリシア語=Παρακλητος パラクレイトス)。直訳的には、援助の為に傍らに呼ばれた者、とりなしてくれる者を意味します。法的な意味合いでは弁護者。これまでの文語訳、口語訳、新改訳では、「助け主」と訳されてきました。

私たちは霊とまことをもって主を礼拝し、主と交わります。聖霊は神のみことばの教師です。神のことば、よみがえり生きておられるイエスを悟らせ、神の御心に、イエスに従う力を与えてくださいます。聖霊を受けなさい。

【ワーシップ】 

「神の家族」      作詞作曲 長沢崇史

どんな宝石より美しく尊い 神の愛によって結ばれた関係

神の家族 キリストにあってひとつ 神の家族 永遠に続く家族

ひとつの体分け合う 欠けてはならない存在

共に泣きともに喜ぶ 愛により建てられてく

「その日全世界が」   作詞・作曲 長沢崇史

我が神主よ見させ給え 偉大なるその計画 

天が開き光が満ち シオンの上に留まる

救いのみわざ全地を覆い 喜びの歌響かせ 

その正義は平和を呼ぶ 主の御霊が流れる

(おりかえし)その日全世界が主の御名高く掲げる 

叫べ王の王イエスに ハレルヤ栄光とわにあれ

王の王なる主イエスに全能なる主イエスに 勝利者なる小羊に栄光とわにあれ

2023年4月30日   第52巻 17号

礼 拝 順 序              

前  奏 マルコ10:42~45

招  詞 

頌  栄 60

賛  美 死を打ち破り  御腕に抱いて

交 読 文 44 詩篇139(862~863頁)

公同祈祷                   

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 337 愛する主よ わが君よ

聖  書 ヨハネ21:1~14  

メッセージ「岸辺に立たれるイエス」       竹田広志牧師      

祈  祷 

賛  美 177「われに来よ」とイエス君は         

頌  栄 63

祝  祷                      竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 次週礼拝後、少し休憩をとってから教会総会を行います。1Fに茶菓と飲み物を用意していますが、食事の必要な方はご持参ください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

★ 2023年度教会総会の掲示 ★

5月7日(日)12:00~14:00勝田台キリスト教会総会を行います。

総会に出席できない教会員の方は委任状を提出してください。

【説教要約】

「岸辺に立たれるイエス」 ヨハネ21:1~14

ヨハネによる福音書21章は、イエスとペトロに注目が向けられています。ヨハネにとって印象深く残り、再び筆をとり書き留めておくべき出来事であったでしょう。それは、イエスが、弟子たちのリーダー的存在であるペトロをもう一度立ち直らせ、再召命を与えられる内容です。

イエスの復活顕現の場所はエルサレムからガリラヤに移ります。み使いの知らせを受け、弟子たちは自分たちが元居た故郷ガリラヤへ戻ります。

おもむろにペトロは、「私は漁に出る」と言います。イエスの十二弟子の中の4人は、かつてこのティベリアス湖(ガリラヤ湖)で漁をしていた漁師です。他の弟子たちも舟に乗り込みます。夜通し網を打ちますが何も捕れず、彼らは疲労困憊して岸に戻ります。

岸辺にイエスが立っておられます。イエスは岸から90m近くに戻って来た彼らに声をかけます。「舟の右側に網を打ちなさい」。そうすると、おびただしい数の魚が網にかかります。人にはできないが、神にはできます。これはかつて、漁師であったペトロがイエスの弟子になった時、イエスの成された御業でした(ルカ5:1~11)。「主だ」とヨハネはペトロに言います。ペトロは裸だったので上着をまとって湖へ飛び込み、イエスの許へ急ぎます。

岸辺では、イエスが炭火をおこし、焼いた魚とパンを彼らの為に準備しておられました。弟子たちが空腹で疲れ果てて帰って来るのをご存じでした。

私たちの主はそういうお方です。私たちが重荷を負って疲れていること、飢えていること、渇いていることをご存じです。今日もイエスは、炭火を起こし、豊かな糧を準備して、岸辺に立って私たちを迎えてくださいます。

【ワーシップ】 「死を打ち破り」    作詞作曲 長沢崇史

すべての人は見る 偉大な光 暗闇を照らす まことの光

失望はない 主に頼るもの イエスキリストは生きている

死を打ち破りよみがえられた 全ての鎖(くさり)解き放つ

主イエスの名を呼ぶものはみな救われる 救われる

* イエスは主 イエスは主 救い主(×2)

「み腕に抱いて」    作詞作曲 中山有太

(* 今主よ わたしの心に触れて あなたの御腕に抱いて下さい )

全ての疲れた人よ、重荷悩み負う人よ、

イエスの前に出て行こう、全てを今手離そう (*おりかえし) 

あなたの愛に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから

あなたの腕に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから 

2023年4月23日   第52巻 16号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 第一ペトロ1:8~9

頌  栄 60

賛  美 死を打ち破り 静まって知れ

交 読 文 43 詩篇136(862頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷           

賛  美 282 見ゆるところによらず

聖  書 ヨハネ20:24~31  

メッセージ「信じる者になりなさい」       竹田広志牧師      

祈  祷 

賛  美 356 目には見えねども          

頌  栄 63

祝  祷                      竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日礼拝後、山下健太神学生とご家族の歓迎の愛餐会を行います。カレーを用意します。皆さんお残り下さい。短く自己紹介の時も持ちます。

〇 本日午後1時半より千葉教区総会が行われます。竹田師と役員代表として平尾兄が出席します。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

★ 2023年度教会総会の掲示 ★

5月7日(日)12:00~14:00勝田台キリスト教会総会を行います。

総会に出席できない教会員の方は委任状を提出してください。

【説教要約】

「信じる者になりなさい」 ヨハネ20:24~31

聖書が私たちに語る、主である神は、ご自身を私たちに顕して下さる神です。目には見えないお方ですが、私たちといつも共におられ、私たちに対する愛と憐れみをもって、時に目に見える程に力強くご自身を顕して下さいます。

1、私は決して信じない(:24~25)

トマスは、イエスが復活された日の夕方、弟子達と「一緒にいなかった」とあります。他の弟子たちが「私は主を見た」と証言する中、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手を脇腹に入れなければ、私は決して信じない」と答えます。自分に正直なのです。信じてもいないのに、「信じる」と彼は口にすることができないのです。

2、8日の後に(:26)

トマスは弟子たちと一緒にいます。どのような思いで1週間、トマスは他の弟子たちと一緒にいたのでしょうか。私は思います。トマスは彼らの証言を信じたかったのでしょう。しかし、信じられなかったのです。

3、信じる者になりなさい(:26~29)

 日曜日、イエスは集まって一緒にいた弟子たちに再びご自身を現します。

トマスに言われます。「あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。あなたの手を伸ばして、私の脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは、イエスに「私の主、私の神よ」と答えます。

 ヨハネはイエスの復活の出来事の中に、仲間のトマスについて書きました。どうしてでしょうか。「信じる者になりなさい」と言われたイエスの言葉をあなたも聞きなさい。私もそうであるように、あなたもイエスを信じて、罪の赦し、永遠の命、「救い」を得なさいと伝えたかったからです。

【ワーシップ】 「死を打ち破り」    作詞作曲 長沢崇史

すべての人は見る 偉大な光 暗闇を照らす まことの光

失望はない 主に頼るもの イエスキリストは生きている

死を打ち破りよみがえられた 全ての鎖(くさり)解き放つ

主イエスの名を呼ぶものはみな救われる 救われる

* イエスは主 イエスは主 救い主(×2)

「静まって知れ」    作詞作曲 Darlene Zschech

1、 御翼の陰に隠し 力ある御腕の中に 逆巻く大海を越え

主と共に羽ばた 我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

2、 キリストの中に憩い 信頼と主の力知る いかずち鳴り渡る中

主と共に羽ばたく 我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

2023年4月16日   第52巻 15号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 詩篇85:9~14

頌  栄 60

賛  美 詩篇100 み腕に抱いて

交 読 文 42 詩篇130(861頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷         

賛  美 247 神の賜う安けさは

聖  書 ヨハネ20:19~23  

メッセージ「あなたがたに平和があるように」   竹田広志牧師      

祈  祷 

賛  美 303 安かれ わが心よ          

頌  栄 63

祝  祷                      竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日礼拝後、山下健太神学生とご家族の歓迎の愛餐会を行います。カレーを用意します。皆さんお残り下さい。

〇 本日歓迎会後、会計監査を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

★ 2023年度教会総会の掲示 ★

5月7日(日)12:00~14:00勝田台キリスト教会総会を行います。

総会に出席できない教会員の方は委任状を提出してください。


「あなたがたに平和があるように」 ヨハネ20:19~23

イエスは弟子たちに言われます。「あなたがたに平和(平安)があるように」(:19)。ユダヤ人を恐れて隠れて怯えていた弟子たちに必要なのは「平安」です。恐れ、苦しみ、不安な私たちに必要なのは、神の平安です。イエスの語られる言葉は事実となって起こります。神が光あれと言われると、光があるのです。

 イエスは、手と脇腹をお見せになります。イエスが死人の中からよみがえった数多くの証拠の一つを見せられます。手の釘跡、脇腹を槍で刺し通された跡です。弟子たちの前におられるのは、確かに十字架で死なれたイエスなのです。

 鍵を閉めて恐れていた弟子たちは、「主を見て喜んだ」(:20)とあります。

 知ってください。イエスが私たちに与える平安はこの世の与えるものとは異なります。イエスの与える平安とは、よみがえられて今も生きておられる「イエスが私たちと共におられる」という平安なのです。そしてイエスの与える喜びも同じです。どのような苦難も、行き詰まりも、迫害も、飢えも、裸も、危険も、剣も、この平和と喜びを奪うことはできません。

「父が私をこの世に遣わされたように、私もあなたがたを遣わす」。イエスの十字架と復活の証人として、今ここにいる弟子たちが、イエスによって全世界へと遣わされていくのです。聖書の言葉通りの、イエスの十字架による罪の赦しの福音、イエスの復活による永遠の命の福音が、復活されたイエスと出会った弟子たちによって、運ばれていくのです。この福音を世界中の人々が待っています。あなたの家族が、あなたの友が待っています。私たちはイエスによって、貧しさ、苦しみ、虐げの中にいる人々、理不尽と思われる世界へ、そして罪に悩む人々の中へこの福音を携え、イエスによって遣わされていくのです。

【ワーシップ】 「詩篇100」      作詞作曲 中山有太

感謝しつつ主の門に 賛美しつつ大庭に 心合わせ臨在に入れ

主はいつくしみ深い 恵みはとこしえまで その真実は代々に至る

我らは主のもの主の民 その牧場の羊 

知れ 主こそ神 喜びの声上げよ  来たれ 主の前で 喜びもって仕えよ

「み腕に抱いて」     作詞作曲 中山有太

(* 今主よ わたしの心に触れて あなたの御腕に抱いて下さい )

全ての疲れた人よ、重荷悩み負う人よ、

イエスの前に出て行こう、全てを今手離そう (*おりかえし) 

あなたの愛に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから

あなたの腕に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから 

2023年4月9日   第52巻 14号

イースター礼拝              

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ヨハネ11:25~26

頌  栄 60

賛  美 詩篇100 花も

交 読 文 58 Ⅰコリント15章(874~875頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷         

賛  美 123 救いの主は

聖  書 ヨハネ20:1~18  

メッセージ「私は主を見ました」         竹田広志牧師      

祈  祷 

賛  美 127 墓の中に         

頌  栄 63

祝  祷                      竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 イースターおめでとうございます。主イエスの復活を心から祝います!

〇 本日礼拝後、車に乗り合わせて教会墓地へ向かい墓前集会を行います。 

〇 本日午後1時半より役員会を行います。特に、総会の準備を行います。

〇 次週礼拝後、山下健太神学生とご家族の歓迎の愛餐会を行います。カレーを用意します。皆さんお残り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

★ 2023年度教会総会の掲示 ★

5月7日(日)12:00~14:00勝田台キリスト教会総会を行います。

【説教要約】

「私は主を見ました」 ヨハネ20:1~18

イースターおめでとうございます。主イエスの復活を心から祝い感謝します。

本日は召天者記念礼拝でもあります。「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」(ルカ10:20)とイエスは弟子たちに言われました。本当に喜ぶべきことはそれです。天国の住民票に名前が記されているとは何と幸いなことでしょうか。そして、主が私の名を呼んで下さる時が来るのです。

ヨハネによる福音書は、週の初めの日の朝、イエスの墓をマグダラのマリアが訪れたと記しています。他の女性たちについては触れていません。そしてそこで彼女は空になった墓を見ます。彼女が急いで知らせたのは、イエスの弟子のペトロとヨハネです。彼らもイエスのからだと頭を巻いていた亜麻布だけが置いてある空の墓を見ます。わざわざ亜麻布を解いて、イエスのからだを誰かが持ち去ったのでしょうか。

マグダラのマリアは、墓の外で泣いています。墓の中にふたりの御使いが現れ、「女よ、なぜ泣いているのか」と問います。マリアは「誰かが私の主を取り去りました。どこに置いたのかわかりません」と答えています。マリアは後ろにいる人に振り向きます。その人は「女よ、なぜ泣いているのか。誰を捜しているのか」と問います。園の番人だと思い「あなたがあの方を運び去ったのであれば、どこに置いたのかおっしゃってください」と答えています。園の番人だと思っていた人は、「マリア」と名を呼ばれます。彼女は振り向いて「ラボニ(ヘブル語で先生)」と言います。羊は羊飼いの声を知っています。マリアは弟子たちのところへ行って言います。「私は主を見ました。」イエスの復活の知らせを聞いた弟子たちは信じませんでした。信じない彼ら、聖書の言葉を理解しない彼らにイエスはご自身を現わされました。信じない彼らが、よみがえられたイエスを信じたのは、よみがえられたイエスがご自身を現わされたからです。

【ワーシップ】 「詩篇100」      作詞作曲 中山有太

感謝しつつ主の門に 賛美しつつ大庭に 心合わせ臨在に入れ

主はいつくしみ深い 恵みはとこしえまで その真実は代々に至る

我らは主のもの主の民 その牧場の羊 

知れ 主こそ神 喜びの声上げよ  来たれ 主の前で 喜びもって仕えよ

        「花も」         MEBBIC

1、ここに泉は湧く涙を過ぎる時 やがて実を結び笑い声に満ちる

(おりかえし)花も雲も風も大海も 奏でよう奏でようイエスを

                        空に響け歌え魂よ  恵みを 恵みを 恵みを

2、仰げ天は開き僕らは見るだろう やがて花は咲き栄光の主が来られる

2023年4月2日   第52巻 14号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 イザヤ53:5~8

頌  栄 60

賛  美 十字架の贖い(ワーシップ)

交 読 文 6 詩篇22(833~834頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 101 イエスよ十字架に

聖  書 ヨハネ19:25~30

メッセージ「十字架上の7つのことば」      竹田広志牧師      

祈  祷 

聖 餐 式 49 しみも咎も

賛  美 108 丘に立てる荒削りの         

頌  栄 63

祝  祷                     竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日より受難週です。主イエスの十字架を深く心に留めましょう。 

〇 4月より山下健太神学生(TCU学生)が、勝田台教会で実習されます。ご家族共に歓迎します。4月16日(日)、歓迎の愛餐会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

〇 次週はイースター礼拝・召天者記念礼拝・墓前集会を行います。礼拝後、 車に乗り合わせて教会墓地へ向かい、墓前集会を短く行います。

★ 2023年度教会総会の掲示 ★

5月7日(日)勝田台キリスト教会総会を行います。

【説教要約】

「十字架上の7つのことば」 ヨハネ19:25~30

受難週、十字架の上でイエスが私たちの罪の贖いの為に、苦しみと痛みの中で語られた7つの言葉を、十字架の足元に座して耳を傾けたいと思います。

1、私達の罪の赦しを十字架の上でとりなして下さったイエス。「父よ彼らをお赦しください。自分が何をしているのかわからないのです。」(ルカ23:34)「彼ら」とは誰のことでしょうか。ローマの兵士でしょうか。イエスを訴えた当時の宗教的指導者たちでしょうか。「十字架にかけろ」と叫んだ民衆でしょうか。いいえ。私であり、あなたです。

2、どのような罪人も悔い改めるなら、十字架の贖いのゆえに天国への道を与えて下さるイエス。「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園(パラダイス)にいる。」(ルカ23:43)カルバリ山の上には3本の十字架が立ちます。イエスの両側に磔にされたのは強盗であり犯罪人です。最後にイエスの十字架の隣で、自らの罪を後悔し、イエスに「私を思い出してください」といった男。彼には既に更生する機会もありません。しかし、イエスからこのお言葉をいただいた彼の心はどのようなものだったでしょうか。

3、母の愛を注ぎ続けたマリアに慰めを与えられるイエス。母に「女よ、見なさい。あなたの子です」弟子に「見なさい。あなたの母です。」(ヨハネ19:26~27)十字架の出来事でイエスと共に、心を裂いたのは母マリアであったでしょう。イエスは母と弟子ヨハネに声をかけられます。

4、私達の罪を背負って、神に捨てられてくださったイエス。「わが神、わが神。なぜ私をお見捨てになったのですか。」(マタイ27:46)全ての人の罪を背負って、私のあなたの罪を背負ってイエスは神に捨てられました。

5、渇かれたイエス。「(わたしは)渇く。」(ヨハネ19:28)人の本来の渇きは、神によってしか満たされません。

6、救いの道を成し遂げられたイエス。「成し遂げられた」(ヨハネ19:30)何が完了したのか。あなたの全ての罪が赦され、清算され償われる道は開かれました。

7、すべてを神にゆだねられたイエス。「父よ、私の霊を御手に委ねます。」(ルカ23:46)あなたの人生の最後のことばは何だろうか。私たちも生涯の終わりにはこのように祈りのことばで閉じたい。

【ワーシップ】   「十字架の贖い」    作詞作曲 中山有太

キリストの血によって回復が与えられ 主との壁取り壊された

キリストの愛からは引き離すものはない 大胆に恵みの御座へ

十字架の贖い我が罪のため 惜しまずささげた 小羊主イエス

2023年3月26日   第52巻 13号

前  奏

招  詞 ルカ22:15~20

頌  栄 60

賛  美 詩篇100  栄光あらわしたまえ

交 読 文 41 詩篇127(861頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 206 飼い主わが主よ

聖  書 出エジプト記40:17~38

メッセージ「幕屋と主の臨在」          竹田広志牧師      

祈  祷 

賛  美 309 荒野を旅する        

頌  栄 63

祝  祷                                             竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 教団聖別任命式において、竹田広志牧師が2023年度勝田台キリスト教会に任命されました。よろしくお願いいたします。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

★イースター礼拝・召天者記念礼拝・墓前集会のお知らせ★

 4月9日(日) イースター礼拝・召天者記念礼拝、墓前礼拝(礼拝後)

 車に乗り合わせて教会墓地へ向かい、墓前集会を短く行います。


【説教要約】

「幕屋と主の臨在」出エジプト記40:17~38

次週日曜は棕櫚の聖日、そして受難週に入ります。イエスの十字架の出来事の背景にありますのは、過越しの祭です。これまで礼拝で出エジプト記を読んで来ました。イスラエルの人々にとって自分たちがエジプトの奴隷生活から主の力強い腕によって救い出された歴史的な出来事は、どんなに大きなものであったでしょう。その救われ方は子々孫々語り伝えるべき出来事でした。小羊の血によって神の裁きは過越し、救われたのです。これは、神である主が今も力強い御腕をもって私たちを救って下さるその根拠であることを知ります。

私達もイエスによって開かれた歴史的な救いの出来事を覚えます。同じです。神の小羊イエス・キリストの十字架の血による贖いによって、罪の奴隷生活・死と暗闇から私たちは救い出されたのです。この救いを、子々孫々語り継ぐのです。

完成した幕屋で、主が命じられたとおりに祭儀が行われます。祭司は足と手を洗い、幕屋での全ての祭儀を行います。パンを供え、燭台の火を灯し、香を焚き、民が携えてきた動物を屠り、又、穀物を祭壇で焼き尽くします。どれも仕切りの幕で隔てられた神である主の臨在(契約の箱と贖いの座)の前で行われます。「私はあなたがたの中に住む」と言われる神である主は、民と親しく交わる神です。最後の晩餐と言われる「過越しの食事」は、イエスが切に願われたイエスの愛する弟子たちとの深い交わりの時でした。弟子たちの足を洗われたのも、裂かれたパンと杯を陪餐されたのも、告別説教も、弟子たちと過ごされた大事な時間でした。極みまでイエスは弟子たちを愛されました。

 会見の幕屋を雲が覆い、主の栄光が幕屋に満ちます。昼は雲の柱、夜は火の柱が幕屋の上にあり、イスラエルの民を導きます。主の栄光が私たちの教会に、世界中のキリストの教会に満ち溢れますように。

【ワーシップ】   「詩篇100」      作詞作曲 中山有太

感謝しつつ主の門に 賛美しつつ大庭に 心合わせ臨在に入れ

主はいつくしみ深い 恵みはとこしえまで その真実は代々に至る

我らは主のもの主の民 その牧場の羊 

知れ主こそ神 喜びの声上げよ 来たれ主の前で 喜びもって仕えよ

「栄光あらわしたまえ」   作詞作曲 MARK ATRAUSS

1、主よ満たし給え 主よ今触れたまえ 主の栄光あらわし 我らを用い給え

強く聖霊の風で 深く心を満たし 広く天を開いて 栄光あらわし給え

2、主の隠れ家で 主の愛に包まれ 主のみ顔を仰ぐ 栄光輝く時

強く聖霊の風で 深く心を満たし 広く天を開いて 栄光あらわし給え

2023年3月19日   第52巻 12号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 第一ヨハネ2:27

頌  栄 60

賛  美 聖い御霊よ  注ぎたまえ主よ

交 読 文 40 詩篇126 (860頁)

公同祈祷                  

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 135 御霊は天より

聖  書 出エジプト記40:1~16

メッセージ「油注ぎによる聖別」         竹田広志牧師      

祈  祷 

賛  美 373 主ひとり         

頌  栄 63

祝  祷                    竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

〇 イースター礼拝・召天者記念礼拝・墓前集会のお知らせ

 4月9日(日) イースター礼拝・召天者記念礼拝、墓前礼拝(礼拝後)

 車に乗り合わせて教会墓地へ向かい、墓前集会を短く行います。

【説教要約】

「油注ぎによる聖別」出エジプト記40:1~16

本日の説教の要点は、幕屋にも、全ての祭具にも、そこで仕える祭司にも、「油が注がれた」という内容です。油が注がれたのは、全てのものが聖別されるためです。

ホーリネス、聖めとは、罪・汚れが聖められ、人格が成長し、罪・悪から離れ、聖い生活・主に喜ばれる生活・神を愛し人を愛する生活を生きるという一面がありますが、別の角度から見ると、全てを献げ、「私の全ては主のものです」という全き献身を意味します。この側面は、成長というよりむしろ、自らの意志による決断と自覚の連続であると言えます。「こういうわけで、きょうだいたち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を、神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたの理に適った礼拝です」(ローマ12:1)。礼拝とは、神である主の前に行き、ひれ伏し、「私をあなたに献げます。私はあなたのものです」と告白することです。そして、告白するだけでなく、その告白に従った日々を生きることです。

主はどのようにして私たちを聖別して下さるのでしょう。

1、みことばによって聖められます。(ヨハネ17:17)

2、十字架の血潮によって聖められます。(第一ヨハネ1:7)

3、聖霊によって聖められます。(第一コリント6:11)

4、時に人は苦難によって聖められます。(第一ペトロ1:6~7)

 聖別の反対は自己中心です。私達はどこまでも自己中心の者です。ここに自我と罪の根源があります。「あなたがたを、神の前に献げなさい」。神である主を、主イエス・キリストを私たちの心の王座にお迎えする以外に、自己中心から解放される道はありません。注ぎ油の油は、聖霊です。聖霊を注いでいただき、神である主の所有としていただきましょう。 

【ワーシップ】  「聖い御霊よ」    作詞作曲 岩淵亮

  今 きよい御霊よ  この私を満たして下さい 

  主の御座から流れ この私をきよめて下さい

  御霊にあふれ生きる 主の栄光仰いで

  御霊にあふれ生きる 主のみわざ仰いで

        「注ぎたまえ主よ」   作詞作曲 Kim Bollinger                  

1、注ぎたまえ主よ 恵みとあわれみを 天が開くため祈る 聖霊の力を

(おりかえし)主の御霊よ触れたまえ 我が心に 主の教会に 

       雨を降らせリバイバルを 来たらせたまえ この地の上に

2、受ける価値なき我ら御前に進み祈る ああ栄光のみ業 見させたまえ

2023年3月12日   第52巻 11号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 出エジプト記19:4~8

頌  栄 60

賛  美 詩篇100 静まって知れ

交 読 文 39 詩篇122 (860頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 40 ガリラヤの風かおる丘で

聖  書 出エジプト記36:1 39:32~43

メッセージ「主の命じられたとおりに」      竹田広志牧師      

祈  祷

賛  美 324 主と主の言葉に         

頌  栄 63

祝  祷                    竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 本日午後2時から役員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「主が命じられたとおりに」出エジプト記36:1 39:32~43

幕屋の建設・祭服の仕立て、幕屋で行われる祭儀についても、「主が命じられたとおりに行った」とくりかえし記されています。

「主が命じられたとおりに行った」内容が以下にあります。①幕屋建設の全てに関して(38:22)②祭服について(39:1、7、21、26、29、31)③幕屋建設・祭服について(39:32、43)④幕屋と全ての祭具の聖別について(40:16)⑤幕屋建設の施工・祭儀に関して(40:19、21、23、24、27、29、32)神である主の細かい指示に、一言違わず、言われたそのとおりにです。省くことなく、付け足すことなく、脚色することなく、そこには神である主以外の誰かの考えは存在しません。語られた、命じられたそのままです。

時には主が語られる内容がわからないこともあります。自分の考えを反映させたいという誘惑にも駆られます。しかし、主のしもべにとって大事なのは、命じられたとおりに行うことです。そして、そこに神の栄光が表されます。

 聖書のことばは、人の考えや意見ではなく、人が従うべき真理です。付け足しても省いてもなりません。神の言葉は、私たちの人生をまっすぐに引く定規のようなものです。神である主に知恵を与えられた技師たちは、寸法をしっかりと図りながら、匠を凝らして命じられたものを寸分違わず仕上げていったことでしょう。幕屋・神の宮はこのようにして建て上げられました。

私たちは神のことばによって、内なる宮が建て上げられることを願います。主が見られるのは心・内側です。「人はうわべを見ますが、主は心を見られます」(サムエル記上16:7)。形式や作法、伝統は大事なものです。しかし、人の目に映るもの以上に、主の前に大事なのは、主の前に集うその人の心・内側です。神のことば、聖霊の力によって新しく造られることこそ重要なのです。 

【ワーシップ】 

「詩篇100」      作詞作曲 中山有太

感謝しつつ主の門に 賛美しつつ大庭に 心合わせ臨在に入れ

主はいつくしみ深い 恵みはとこしえまで その真実は代々に至る

我らは主のもの主の民 その牧場の羊 

知れ主こそ神 喜びの声上げよ 来たれ主の前で 喜びもって仕えよ

「静まって知れ」      作詞作曲 Darlene Zschech

1、御翼の陰に隠し 力ある御腕の中に 逆巻く大海を越え

主と共に羽ばたく 我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

2、キリストの中に憩い 信頼と主の力知る いかずち鳴り渡る中 

主と共に羽ばたく 我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

2023年3月5日   第52巻 10号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 第二コリント9:6~11

頌  栄 60

賛  美 詩篇100 その日全世界が

交 読 文 38 詩篇121 (859頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 203 ああイエス君 こよなき友よ

聖  書 出エジプト記35:4~22

メッセージ「心からささげる人」         竹田広志牧師      

祈  祷

聖 餐 式 49 しみも咎も

賛  美 388 いとも良きものを         

頌  栄 63

祝  祷                    竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 次週日曜日午後1時から役員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「心からささげる人」  出エジプト記35:4~22

神である主の「幕屋建設」の目的は、一言で言うと、「彼らが私のために聖所を造るなら、私は彼らの中に住む」(25:8)ためです。幕屋は神の住まい、神のご臨在の場となり(本来は人の手で作ったものにお住みになられるお方では決してありませんが)、ご自身の民、イスラエルと共に住み、共に歩むことを目に見える形で彼らに教えるものでした。幕屋は「インマヌエル・神我らと共に居ます」神の愛と恵みのしるしです。

本日の箇所は、イスラエルの民が幕屋建設の資材となる「主への献納物」を献げるところであります。神である主への献げ物で大切なのは、「心から進んで」です。主への献げ物は、誰かに言われたから、そう規定されているから、仕方ないからではなく、自発的であり、感謝と喜びを込めて献げられる物です。主は献げ物が必要なお方でも、献げ物によって支えられるお方でもありませんが、そのように喜んで献げる私たちの献げ物を喜んで受け取って下さいます。

「心動かされた人と、魂を突き動かされた人は皆」(:21)とあります。イスラエルの民の男も女も、主への自発的な献げ物が多過ぎて、献納物を献げることはストップしなければならない程でした。

幕屋→神殿→会堂→教会という歴史を以前お話ししましたが、キリストの教会は神の家、祈りの家です。「私はそこであなたがたと会う」と仰って下さる場所です。教会、神の家、祈りの家を建て上げるとは、「建物」と共に「私達自身」を意味します。私達自身が神の宮、聖霊の宮です。(Ⅰコリント6:19~10)

【ワーシップ】 

「詩篇100」      作詞作曲 中山有太

感謝しつつ主の門に 賛美しつつ大庭に 心合わせ臨在に入れ

主はいつくしみ深い 恵みはとこしえまで その真実は代々に至る

我らは主のもの主の民 その牧場の羊 

知れ主こそ神 喜びの声上げよ 来たれ主の前で 喜びもって仕えよ

「その日全世界が」 作詞・作曲 長沢崇史

我が神主よ見させ給え 偉大なるその計画 天が開き光が満ち シオンの上に留まる

救いのみわざ全地を覆い 喜びの歌響かせ その正義は平和を呼ぶ 主の御霊が流れる

(おりかえし)

その日全世界が主の御名高く掲げる 叫べ王の王イエスに ハレルヤ栄光とわにあれ

王の王なる主イエスに 全能なる主イエスに 勝利者なる小羊に 栄光とわにあれ

2023年2月26日   第52巻 9号

音 楽 礼 拝             

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ヘブライ2:17~18

頌  栄 60

賛  美 ワーシップ 十字架の贖い

交 読 文 50 イザヤ53 (867~868頁)

公同祈祷                   

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

演奏と証                   

賛  美 114 血潮したたる 

聖  書 ヨハネ3:16

メッセージ「一人も滅びないで」         竹田広志牧師      

祈  祷

賛  美 89  神は独り子を        

頌  栄 63

祝  祷                                   竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 2月22日(水)から受難節に入りました。私の罪の贖いであるイエスの十字架の御苦しみに心留めましょう。

〇 本日の礼拝は、錦織充氏をお招きしての「音楽礼拝」でした。祝福されたことを感謝します。錦織充氏の演奏と証しを感謝します。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「一人も滅びないで」ヨハネ3:16

 マルティン・ルターは、ヨハネ3章16節を「小聖書」「小福音書」と呼びました。この一節の短い言葉に、聖書の福音の全てが凝縮されています。

 「神はこの世を愛された」とあります。この世とは私達ひとりひとりを、誰一人欠けることなく全ての人を指しています。聖書は、神はあなたを愛しています、と力強く宣言しています。コロナが拡がり、戦争が起こり、地震があり、苦しみ・悩みの中にいる人は、「神が愛してくださるならば、どうしてこのような悲劇が起こるのか」と言います。しかし、それは人間の罪によるものです。「被造物全体が今に至るまで、共に呻き、共に産みの苦しみを味わっている」(ローマ8:22)とあります。神は私たちが滅びへの隷属と死の定めから解放されて、神の子どもたちの栄光に入ることを望んでおられます。「一人も滅びないで」。それが神のおこころです。

 人の持っている罪ゆえに苦しみの中にある私達。しかし、神が私を愛してくださるという確かな、変わらない証拠があります。それは「その独り子をお与えになったほどに」です。全ての人が一人も滅びないで永遠の命をもつために、神はその独り子を私たちにお与え下さいました。その独り子とは、神の御子、イエス・キリストです。

私たち全ての人には罪があります。「傲慢」「貪欲」「嫉妬」「憤怒」「大食」「色欲」「怠惰」私たちの内側は汚れに満ちています。しかし、イエス・キリストはただ一人、罪の無い、罪なき生涯を歩まれた聖いお方です。罪の無い聖いお方が、どうして自ら十字架に進み、犯罪人と共に釘を打たれ、肉を裂き、血を流され、苦しまれ、死なれたのでしょうか。「私たちの背きの罪のために刺し貫かれ、私たちの過ちのために砕かれた」のです。「イエスが受けた懲らしめによって、私たちに平安が与えられ、イエスが受けた打ち傷によって私たちは癒される」のです。ただ罪のないお方だけが、罪ある者の罪を身代わりに負うことができます。イエス・キリストによる以外に救いはありません。

神の御子、イエスを信じる者は救われます。イエスが、何にも代えることのできないご自身の命という代価を払って下さったからです。「御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

【ワーシップ】  「十字架の贖い」       作詞作曲 中山有太

キリストの血によって回復が与えられ  主との壁取り壊された

キリストの愛からは引き離すものはない 大胆に恵みの御座へ

(おりかえし)

十字架の贖い我が罪のため 惜しまずささげた 子羊主イエス

2023年2月19日   第52巻 8号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 マルコ2:27

頌  栄 60

賛  美 ワーシップ 詩篇100 花も

交 読 文 37 詩篇119 (858~859頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 365 君なるイエスよ

聖  書 出エジプト記34:18~35:3

メッセージ「安息日を聖別せよ」         竹田広志牧師      

祈  祷

賛  美 399 この身の生くるは       

頌  栄 63

祝  祷                    竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 次週の礼拝は「音楽礼拝」です。錦織充氏を招いて、演奏と証しをしていただきます。友人・知人・ご家族、お誘い合わせの上、礼拝に御出席下さい。チラシが用意されています。お用い下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「安息日を聖別せよ」出エジプト記34:18~35:3

神である主は、モーセを山に登らせ、イスラエルの民と再び契約を結びます。

主はエジプトの奴隷生活から救出された出来事を覚える為に、年に三度祭りを行う事を命じます。過越しの祭り、七週の祭り、仮庵の祭りです。民は祭りを行う度に、自らがどのようなところから救い出されたかを思い起こし、イスラエルの民を憐れみ、力強く導く神である主がどのようなお方であるかを知ります。旧約(契約)を読むことは、新約を、イエスを知る上でとても大切です。私たち全ての人が、死と滅びという鎖に繋がれた罪の奴隷生活から、イエス・キリストの生涯、十字架の贖い、復活、聖霊の傾注によって救い出された事を覚えます。クリスマス、イースター、ペンテコステはそれを覚える祭りです。

 神である主とイスラエルの民との「契約」の重要項目は「安息日の聖別」です。祭りは年に三度ですが、安息日は週に一度です。「安息日」に関しては、イエスは「安息日」について、「安息日は人のためにあるのであって、人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある。」(マルコ2:27)「安息日」は守らなければならない掟という消極的な意味より、神である主が人の為、全ての造られたものに与えたもう休息の日、又、何にも代えがたい祝福と聖別を受ける時です。それこそが、「安息」です。そして「安息」をお与えになる主役はイエスご自身です。

 祭り、安息日。神である主との深い交わりは、私たちを輝かせます。

【ワーシップ】 

「詩篇100」      作詞作曲 中山有太

感謝しつつ主の門に 賛美しつつ大庭に 心合わせ臨在に入れ

主はいつくしみ深い 恵みはとこしえまで その真実は代々に至る

我らは主のもの主の民 その牧場の羊 

知れ 主こそ神 喜びの声上げよ  来たれ 主の前で 喜びもって仕えよ

 「花も」         MEBBIC

1、ここに泉は湧く涙を過ぎる時 やがて実を結び笑い声に満ちる

(おりかえし)花も雲も風も大海も 奏でよう奏でようイエスを

空に響け歌え魂よ  恵みを 恵みを 恵みを

2、仰げ天は開き僕らは見るだろう やがて花は咲き栄光の主が来られる

【お知らせ】  いよいよ次週の礼拝です♪

◇ オルガン演奏による賛美と証し ◇

2月26日(日)礼拝  演奏と証し 錦織充氏

チラシを用意しますので、是非、誘い合わせてご参加ください。

2023年2月12日   第52巻 7号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 出エジプト記20:1~6

頌  栄 60

賛  美 ワーシップ 静まって知れ

交 読 文 36 詩篇116 (857~858頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 67 わが心は 

聖  書 出エジプト記34:1~17

メッセージ「憐れみ深く、恵みに満ちた神」    竹田広志牧師      

祈  祷

賛  美 344 なおも御恵みを      

頌  栄 63

祝  祷                    竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「憐れみ深く、恵みに満ちた神」 出エジプト記34:1~17

神である主は、ご自身の御名によって(ご自身にかけて)宣言されます。

「主、主、憐れみ深く、恵みに満ちた神。怒るに遅く、慈しみとまことに富み、幾千代にわたって慈しみを守り、過ちと背きと罪とを赦す方。しかし、罰せずにおくことは決してなく、父の罪を子や孫に、さらに三代、四代までも問う方。」

 主なる神は義であり、悪を憎まれます。悪を行った者の罪を見過ごしにされず、その罪を罰する審判者であるお方です。しかし一方、神である主は、憐れみ深く、恵みに満ちたお方です。怒るに遅く、過ちと背きの罪を赦される救済者であるお方です。神の義と憐れみはいつも衝突します。そこには神の愛、痛みがあります。どれだけ神は忍耐されておられるのでしょうか。「ひとりとして滅びることなく」は憐れみ深い神のおこころです。しかし、悔い改めない、贖われない罪はそのまま見過ごしにはなられません。神である主は、罪びとがご自身のもとに帰って来るのを、忍耐をもって待っておられます。

 再度主は、「私が今日あなたに命じることを守りなさい」と告げます。十戒の第一、第二の戒め。「私のほかに何ものをも神としてはならない」「偶像を作って拝んではならない」です。主の宣言に「過ちと背きと罪とを赦す方」という言葉がありましたが、「背き」とは何でしょうか。ローマ1章18節では、罪について「不敬虔と不義」という言葉で表現しています。正しくないこと、不義はわかります。しかし、不敬虔の罪とは何でしょうか。それは、神である主を神として崇めず、感謝もせず、神に背を向けて生きていることの罪です。聖書を通して、自分がいかに身勝手な、自己中心な、不敬虔な生き方、歩みを、神の前にしているのかを知ります。神である主は「妬む神」です。私たちを激しく愛し、恵みを豊かに与え、深い交わりを求めておられます。主の愛に何をもってお応えしますか。「主よあなたを愛します」と応える者でありたい。

【ワーシップ】 「静まって知れ」    作詞作曲 Darlene Zschech

1、 御翼の陰に隠し 力ある御腕の中に 逆巻く大海を越え

主と共に羽ばたく 我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

2、 キリストの中に憩い 信頼と主の力知る いかずち鳴り渡る中 

主と共に羽ばたく 我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

【お知らせ】

◇ オルガン演奏による賛美と証し ◇

2月26日(日)礼拝  演奏と証し 錦織充氏

チラシを用意しますので、是非、誘い合わせてご参加ください。

2023年2月5日   第52巻 6号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ローマ9:15~16

頌  栄 60

賛  美 ワーシップ 「求めて」 「神の家族」

交 読 文 35 詩篇110 (857頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷                                   

賛  美 196 祈れ物事 

聖  書 出エジプト記33:12~23

メッセージ「神の主権と憐れみ」         竹田広志牧師      

祈  祷

賛  美 105 栄えの冠を      

頌  栄 63

祝  祷                                   竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 本日午後1時より役員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「神の主権と憐れみ」 出エジプト記33:12~23

モーセは、「共に行かない」と言われる主に「民と共に歩んでくださるように」願い求めます。そして主に述べます。「『私はあなたを名指しで選んだ。あなたは私の目に適う』と仰せられる主よ、あなたは私の名を呼んで選び、立てて下さったお方です。どうか今、あなたを知ることができるように、私にあなたの道をお示しください」(:13)。私の考えではなく、私を召し、遣わして下さったあなたの道をお示しください、と願い求めています。

モーセは主の栄光を(御顔を)見ることを願い求めます。「どうかあなたの栄光をお示しください」(:18)。畏れ多いことです。なぜなら、人間は主を見て、なお生きていることはできないからです。なぜ、モーセはこのようなことを主に願うのでしょうか。目で見ることのできない神である主を見たい。それは誰もが願うことです。しかしモーセの願いは、望んではならない越権行為ではないでしょうか。それでも主は、モーセの願いに違った形で応えられています。神である主はモーセの前を通り過ぎ、その時、モーセを岩の裂け目に入れて、その栄光の後ろ姿だけを見せられます。

粘り強く繰り返し、諦めずに主に求め続ける者に、主は応えて下さいます。

主に求め続けていますか。それが信仰です。しかし、自分の願いを通すのではなく、遜って、主の主権と憐れみにすがる訴えに主は応えられます。私は今日も主に願います。「私にあなたの道をお示しください」。

 「私は恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ」(:19)。神の主権の言葉です。ローマ9:15~16には、「これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるのです」とあります。神である主は人を分け隔てすることのないお方です(使徒10:34)。主の目に適う者がおり、主に選ばれる者がいます。確かに、キリストによる救いを得、神の民とされたあなたは、あなたの意思や努力ではなく、神の主権によって選ばれた、恵まれた人です。このことを知って下さい。

【ワーシップ】   「求めて」      作詞作曲 中山有太

あなたの声を求めて あなたの顔求めて あなたの心求めて 御前に出る

全てをゆだねて 全てをささげて  あなたを求めて礼拝します

「神の家族」     作詞作曲 長沢崇史

【お知らせ】 

◇ オルガン演奏による賛美と証し ◇

2月26日(日)礼拝  演奏と証し 錦織充氏

チラシを用意しますので、是非、誘い合わせてご参加ください。

2023年1月29日   第52巻 5号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 フィリピ2:6~11

頌  栄 60

賛  美 257 キリストは生きておられる

交 読 文 34 詩篇108 (856頁)

公同祈祷                   

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 246 奇しきものの音

聖  書 第一ヨハネ3:23~4:8

メッセージ「神の御子イエス・キリストの名を信じる」とは

                        大西 一功師         

祈  祷

賛  美 448 神より生まれし者よ       

頌  栄 63

祝  祷                                               大西 一功師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 本日の礼拝は、大西一功師がメッセージをして下さいました。祝福されました事を感謝します。竹田師は福音シオン柏教会で御用をしています。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「神の御子イエス・キリストの名を信じる」とは

第一ヨハネ3:23~4:8

ヨハネは「神の御子イエス・キリストの名を信じ、この方が私たちに命じられたように、互いに愛し合うこと、これが神の戒めである。」「神の戒めを守る人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださることは、神が私たちに与えてくださった霊で分かる」と主張しています。また、神の霊と惑わしの霊を見分けることが重要であると語っています。今日は、1「神の御子イエス・キリストの名を信じる」とはどのようなことか、2「霊とは何か」、について考えていきます。

1、神の御子イエス・キリストの名を信じるとはどのようなことか

ヨハネの時代、神は霊であるから神であるイエスが罪を負って十字架に掛かって死ぬことはない、死んだのは他の人である。イエスは人として生まれたキリスト(救い主)ではないと主張にする人たちがいました(反キリスト)。これに対し、イエスは人から生まれた救い主であり、神の御子である。そのことを証しするのは神の霊である。「互いに愛し合いなさい」というイエスの戒めを守る者が神と共にあることは、神の霊が証ししていると言っています。イエスは人であると告白しない人は反キリストであり、惑わしの霊であると言っています。

2、霊とは何か

霊は命の源です。イエスは「神は霊である。」(ヨハネ4:24)「命を与えるのは霊である」(ヨハネ6:63)と言われました。また、霊は言葉に反応し、人の心を動かします。神の知識によって霊は養われます。神の霊は真理の霊で、人を神の愛に導きます。神を知らない人は、この世の霊に支配され、神の言葉が理解できません。世の霊は惑わしの霊です。

現在、世界のキリスト教として様々な教会がありますが、異端も多くあります。キリスト教は、それぞれの信仰体験や、聖書解釈での違いがありますが、父、子、聖霊は三位一体の神であり、イエスは神であり人である(キリス両性論)という教理(教え:真理であると認めていること)の枠内で一致しています。

キリスト者として常に聖霊に導かれ、「互いに愛し合いなさい」と言われた主の戒めを日々守っていきましょう。

【お知らせ】 

◇ オルガン演奏による賛美と証し ◇

2月26日(日)礼拝  演奏と証し 錦織充氏

チラシを用意しますので、是非、誘い合わせてご参加ください。

2023年1月22日   第52巻 4号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ヨハネ15:14~15

頌  栄 60

賛  美 求めて 詩篇100 (ワーシップ)

交 読 文 33 詩篇104 (855~856頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 207 御顔を見ぬとき

聖  書 出エジプト記33:7~11

メッセージ「顔と顔を合わせて」         竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 316 御言葉なる       

頌  栄 63

祝  祷                      竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 本日13:30∼16:00、千葉教区教区会が行われます。牧師と役員が代表として出席します。

〇 次週の礼拝は、大西一功師がメッセージをされます。竹田師は福音シオン柏教会で御用をします。御用が祝福されますようにお祈りください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「顔と顔を合わせて」 出エジプト記33:7~11

「会見の天幕」は、宿営の外に張られています。

イエスは、民衆や、又時には弟子たちとも「離れて、ひとり寂しいところで祈っておられた」(マルコ1:35)とありますが、モーセが宿営の繁雑な日常生活から離れた場所に幕屋を張ったのは、同じような意味があると思います。神である主との深い交わりは、喧騒の中ではできません。細き主の御声に耳を傾けるためには「静まって知る」「戸を閉じて祈る」必要があります。皆さんは、そのような場所・時間を持っていますか。デボーション(静思の時)、主との深い交わりの為に場所を確保する。それが、モーセにとっては、この宿営から離れた「会見の天幕・幕屋」であったことがわかります。

モーセが主に会見する様子はこのようなものです。

モーセが主との会見の為に宿営の外の天幕に向かいます。イスラエルの民も、モーセが天幕に入るまで、自分の天幕から出てモーセを見送ります。モーセが天幕に入ると、雲の柱が天幕の入り口に降り立ちます。それを見て、民は主がモーセと語られることを知ります。天幕の入り口に雲の柱が降り立つと、イスラエルの民はその場でひれ伏しました。後に、その天幕は宿営の真ん中に建てるように主から命じられて「会見の幕屋」と呼ばれます。

神である主は、そこでモーセと語られます。「主は、人が友と語るように、顔と顔を合わせて(合わせるように)」モーセに語られました。創造者にして全能の神が、人が友と語るように顔と顔を合わせて語られる、とは何と驚くべきことかと思わされます。私も主とそのような交わりを持ちたいと願います。

聖書に記録される偉大などの預言者も、王も、伝道者も、そして、歴史の中で私たちが手本とする主に用いられた人々も、必ず、このプライベートな主との交わりの時間をたっぷりと持っています。

「私の祈る姿見ることなしに、中国の地に太陽が上がったことはない」(ハドソン・テーラー)


【ワーシップ】 

「求めて」                                      作詞作曲 中山有太

あなたの声を求めて あなたの顔求めて あなたの心求めて 御前に出る

全てをゆだねて 全てをささげて  あなたを求めて礼拝します  

「詩篇100」                作詞作曲 中山有太

感謝しつつ主の門に 賛美しつつ大庭に 心合わせ臨在に入れ

主はいつくしみ深い 恵みはとこしえまで その真実は代々に至る

我らは主のもの主の民 その牧場の羊

知れ 主こそ神 喜びの声上げよ

来たれ 主の前で 喜びもって仕えよ

2023年1月15日   第52巻 3号

前  奏

招  詞 使徒言行録2:38~39

頌  栄 60

賛  美 詩篇100 (ワーシップ)

交 読 文 32 詩篇103 (854~855頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 176 イエスは汝を呼び給う

聖  書 出エジプト記33:1~6

メッセージ「悔い改めて神に立ち返れ」  竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 447 あなたのもてる悩みは       

頌  栄 63

祝  祷                             竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 本日13:30∼16:00、千葉教区教区会が行われます。牧師と役員が代表として出席します。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「悔い改めて神に立ち返れ」 出エジプト記33:1~6

主はモーセに、ホレブ山から、神の約束の地カナンへと出発を命じます。乳と密の流れる地カナンにいる幾つもの部族を主自らが先に使いを送って追い出し、この地を先祖に約束していた通りに与えると主は約束されます。出発せよ。ここまでですと、本当に感謝な内容です。「しかし、私は、あなたの間にいて一緒に上ることはない」と言われます。なんということか。「一緒には行かない」と言われます。その理由は、「あなたがたはかたくなな民で」「私が途中であなたがたを滅ぼすことがないためだ」と言われます。イスラエルの民が滅ぶことのないために、共に行かないと言われるのです。

出エジプト記は、幕屋の建設、出発で終わります。カナン侵入に至るまで、40年の荒野の放浪の出来事がありますが、民数記・申命記にその出来事が記されています。いつか、荒野の40年を読む機会もあるかも知れませんが、それは、主の言われる通り「かたくなな民イスラエル」「途中で滅ぼされる民イスラエル」の内容です。残念な事ですが、主の語られた通りになるのです。(民数記14:26~33、一コリント10:5、ヘブライ3:16~17)

イスラエルの民の「かたくなさ」とは何でしょうか。偶像を拝むことを何度も何度も(十度も:民数記14:22))繰り返します。十度も神の戒めに背きます。欲望(神を退け、自己中心の願い・思い)がはらむと罪を産み、罪が熟して死を生みます(ヤコブ1:15)。そして、十度もつぶやきます。感謝・賛美ではなく、つぶやきが満ちます。どうしてこんなにつぶやくのだろうか。どうして戒めを守らないのか。どうして偶像を拝むのか…なんと愚かな人たちだろうか。出エジプト記、民数記、申命記を読みますと、どこまで人はかたくなで罪深いのか、を痛感します。

しかし、知って下さい。聖書は鏡です。私たちを映し出します。悔い改めて、神に立ち返るのは、私であり、あなたです。そして、悔い改めにふさわしい実を結びましょう。私が、私の家族が、教会が、そして日本が、世界が、神の祝福を受け取る霊的革新は、悔い改めから始まります。

【ワーシップ】   「詩篇100」      作詞作曲 中山有太

感謝しつつ主の門に 賛美しつつ大庭に 心合わせ臨在に入れ

主はいつくしみ深い 恵みはとこしえまで その真実は代々に至る

我らは主のもの主の民 その牧場の羊

知れ 主こそ神 喜びの声上げよ

来たれ 主の前で 喜びもって仕えよ

2023年1月8日   第52巻 2号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ローマ5:1~5

頌  栄 60

賛  美 詩篇100 (ワーシップ)

交 読 文 31 詩篇100 (853頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 247 神の賜う安けさは

聖  書 ヨハネ20:19~23

メッセージ「神の平和を持ち、運ぶ者‐peacemakers」  竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 435 罪に沈む汝が友に      

頌  栄 63

祝  祷                       竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 本日礼拝後、成人者の祝福の時を持ちます。新しい成人者の歩みの祝福を祈りましょう。

〇 次週日曜日13:30∼16:00、千葉教区教区会が行われます。牧師と役員が代表として出席します。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「神の平和を持ち、運ぶ者‐peacemakers」 ヨハネ20:19~23

世界各国で、現在もそのままヘブル語で使われる三つの言葉があります。アーメン、ハレルヤ、シャロームです。イエスがよく使われた言葉ですが、シャロームの意味は「平和」です。イエスの時代も、現在も、通常のあいさつとしても使われています。この新しい一年、2023年が、心から世界が平和であるように強く願います。人が人をどんな理由があっても、戦争や紛争によって「傷つけ、殺すことのないように」願うばかりです。

「シャローム(神の平和)を主からしっかりと受け取り、これを人々の中に持ち運んでいく。主イエスから遣わされていく者、それはあなたです」いうのが本日の説教内容です。

平和を辞書で調べてみますと、「戦争や紛争がなく、世の中がおだやかな状態にあること。また、そのさま」とあります。しかし、シャロームという言葉「平和」は、単に戦争や争いがない状態を指すのではありません。神と私たちとの平和、神と私たちが本来のあるべき関係にあり、神のみこころに従って、神の秩序の中に生きることを指しています。人間の生のあらゆる領域にわたって、真に望ましい状態を意味する言葉です。何も欠けていない充足した、満ち足りている状態です。それは実に、私たちの内に持つべきもので、力と生命に溢れています。環境の変化によって奪われてしまう「平和」ではありません。

イエスの与えるシャローム、それは、よみがえり、生きておられるイエスが今、私たちの真ん中に立っておられることです。「平和があなたがたにあるように」、イエスのことばが、私たちの内側に出来事として起こることです。イエスの十字架の釘跡、脇腹の槍の跡を見せていただき、イエスが十字架で私の罪の贖いを成し遂げて下さった事実を知ることです。私たちはイエスから「罪の赦し」を受け取り、神との平和を得ます。そして、イエスから、神を信じて生きる新しい力、神の子として生きる力、聖霊を受け取ります。

シャロームとは、まさに、イエスによる「罪の赦しの福音」そのものです。

「幸いな者。背きの罪を赦され、罪を覆われた人、幸いな者。主に過ちをとがめられず、その霊に欺きのない人」(詩篇32篇1~2)

【ワーシップ】   「詩篇100」      作詞作曲 中山有太

感謝しつつ主の門に 賛美しつつ大庭に 心合わせ臨在に入れ

主はいつくしみ深い 恵みはとこしえまで その真実は代々に至る

我らは主のもの主の民 その牧場の羊

知れ 主こそ神 喜びの声上げよ

来たれ 主の前で 喜びもって仕えよ

2023年1月1日   第52巻 1号

(元旦礼拝)               

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ガラテヤ3:26~29

頌  栄 60

賛  美 求めて(ワーシップ)

交 読 文 30 詩篇96 (852~853頁)

公同祈祷                   

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷         

賛  美 398 新しき地に 

聖  書 ローマ13:11~14 

メッセージ「キリストを着る365日」      竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 382 心から願うのは     

頌  栄 63

祝  祷                                     竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 新年あけましておめでとうございます。新しい一年、主の豊かな祝福がありますように。

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 次週礼拝後、成人者の祝福の時を持ちます。新しい成人者の歩みの祝福を祈りましょう。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「キリストを着る365日」 ローマ13:11~14

2021年9月~2022年まで、礼拝で出エジプト記を読んできました。毎回説教に応答する中で、最近私の始めたことは、神である主のデザインされた祭服を着て一日を過ごし、主の働きを果たす事です。その祭服とは「キリスト」です。勝田台教会は「万人祭司」としての歩みを創設からのビジョンとして掲げています。

学生にはそれぞれのその学校指定の制服があり、会社員にはそれぞれの会社の記章があり、警官には警官として、看護師には看護師として、自衛隊の隊員には隊員としての制服があります。それは、その属する団体・職種の一員としての自覚をもって生き、働くことを意味します。神父は詰襟の黒い服を着ますし、僧侶は袈裟を着ますし、宮司は袴を着ます。キリスト教の「救世軍」という団体では、「キリストの兵士」という意味で軍服を着ていますので、一目で「救世軍の人々である」とわかります。

全てのキリスト者の着るべき、最も大事な制服とは何でしょうか。それは「キリスト」です。

ローマ人への手紙13章11~14節では、世の終わり、キリストの再臨、キリストに再びお会いするその時が近づいている今、闇の行いを脱ぎ捨て、光の武具を身に付けなさい、「主イエスを着なさい」と勧めています。それは神である主が用意してくださった最高の制服・祭服です。

2023年は、説教題としました、「キリストを(日々に)着る(身に付けて・自覚して)365日(を生きる・主に仕える)」、ローマ13:14「主イエス・キリストを着なさい」と語られるみことばに応答する一年とし、その祝福に与る者とさせていただきましょう。

本日のメッセージの関連個所を読みましょう。

「祭服を着る」   出エジプト28章

「キリストを着る」 ローマ13:11~14 ガラテヤ3:27

「新しい人を着る」 エフェソ4:24 コロサイ3:10,12

「白い服を着る」  黙示録7:9~17  小羊の血で洗った白い衣

「礼服を着る」   マタイ22:1~14 イエスのたとえ話

【ワーシップ】   「求めて」      作詞作曲 中山有太

あなたの声を求めて あなたの顔求めて あなたの心求めて 御前に出る

全てをゆだねて 全てをささげて  あなたを求めて礼拝します

2022年12月25日   第51巻 52号

(クリスマス礼拝)            

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 出エジプト記29:45~46

頌  栄 60

賛  美 76 もろびと(諸人)こぞりて

交 読 文 49 イザヤ40 (866~867頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 77 きよしこの夜

聖  書 ヨハネ1:1~18

メッセージ「私たちの間に住まわれる神」     竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 87 入れまつる家あらず   

頌  栄 63

祝  祷                      竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 クリスマスおめでとうございます!主イエス・キリストのご降誕を心からお祝いいたします。

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 本日の礼拝はクリスマス礼拝、又、今年最後の礼拝となりました。新しい年に向けて皆様に豊かな主の祝福がありますように。又、1月1日(日)元旦礼拝は10:00~通常の礼拝となります。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「私たちの間に住まわれる神」 ヨハネ1:1~18

今年一年、出エジプト記を礼拝の中で読み、特に後半では、モーセの十戒や、幕屋の建設の準備についての記事を読んできました。神である主が、イスラエルの宿営(住宅の為に張っていたテント)の真ん中に作れと命じられた「幕屋の建設」の目的は、「私は彼らの中に住む」(出エジプト記25:8)為でした。

2022年クリスマスメッセージのテーマを「私たちの間に住まわれる神」としましたのは、今読みましたヨハネによる福音書1章14節「言は肉となって、私たちの間に宿った」というみことばです。特に「宿った」という言葉に、聖書協会共同訳聖書の注がついているものにはfのマークがあり、fの箇所を見てみますと、直訳「幕屋を張った」と記されています。

以前にも、このヨハネによる福音書の1章をわかりやすく読むひとつの方法は、「ことば」を「イエス」と読み替えて読んでみると良いとお話ししました。そのように読んでみましょう。ヨハネによる福音書はイエス・キリストの生涯について記録したものですが、ヨハネは、イエスが神であり、神が人となられたと、その生涯のはじめに記していることがわかります。

イエスの生涯とは、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となる。神自ら人と共にいて、その神となり、目から涙をことごとく拭い去ってくださる。もはや死もなく、悲しみも嘆きも痛みもない。最初のものが過ぎ去ったからである」(ヨハネの黙示録21:3~4)の通りです。

人はひとりで生まれ、ひとりで世を去ります。そのようなことばを聞くと何と人は孤独な者でしょうか。しかし、知ってください。主イエス・キリストが来られたのは、人はひとりで生まれ、神と共に世を去るためであることを。この平安は誰も奪うことができません。イエスを、私の人生に迎え入れる(信じる)ことは、どんなに大きな祝福でしょうか。

どのように主イエス・キリストを私の人生に迎え入れたら良いのでしょうか。神の御前に、自分の罪を告白して悔い改め、イエスの十字架による罪の赦しを受け取ることです。ここに救いがあります。悔い改めるとは、向きを変えることです。自分の犯した罪を、そして神を神として礼拝せず、感謝をすることもなく、神に背を向けていた自分のこれまでの人生を悔い改めるのです。

誰か人に罪を犯した場合、相当の償いをもって赦しを乞わなければなりません。しかし、人が神に対して罪を犯しているなら、何をもって償わなければならないのでしょうか。自分の命をもってでしょうか。いいえ、あなたの罪の赦しのために、既に主イエス・キリストが十字架の上でご自身の命という代償を支払って下さいました。それを、信じ、受け取るだけで良いのです。

2022年12月18日   第51巻 51号

(アドベント第四週)           

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 詩篇34:2~10

頌  栄 60

賛  美 ワーシップ 主の園のように

交 読 文 52 ルカ1章 (869頁)

公同祈祷                   

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 68 久しく待ちにし

聖  書 マタイ1:18~25 ルカ1:26~38

メッセージ「主を崇め、喜びに満ちた信仰生活」   曽根岡フサ子勧士

祈  祷

賛  美 75 神の御子は   

頌  栄 63

祝  祷                     竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 本日の礼拝は曽根岡フサ子勧士にメッセージをして頂きました。祝福された事を感謝します。礼拝後「おうちDEクリスマス」視聴会と共に、曽根岡勧士の歓迎会をいたします。曽根岡勧士の来日期間の祝福の為お祈りください。

〇 次週の礼拝はクリスマス礼拝・今年最後の礼拝となります。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「主を崇め、喜びに満ちた信仰生活」

マタイ1:18~25 ルカ1:26~38

 アドベント第四週を迎えています。クリスマスの喜びの日を前にして、当時のユダヤ社会の掟とともに、主イエス∙キリストの父ヨセフと母マリアの信仰に焦点をあてて, お二人の信仰から学びたいと思います。

 様々な葛藤の後に、天使の告知を受け入れたヨセフは、ただ単に人間的に心優しいだけでなく、信じられない出来事に対する自分の感情よりも、主のお言葉に素直にお従いする信仰があったことがわかります。

 マリアはどのように天使の告知を受け止めたでしょうか。「本当に私は主のはしためです。どうぞ主の使いガブリエルのお言葉通りにこの身になりますように。」(1:38)この「はしため」ということばは、今の世の中ではあまり聞きませんが、一般的には「身分の低い女、へりくだった者」と言う意味がありますが、マリアのいう「はしため」と言う言葉には、神との関係性の中で、天地を創造された偉大で、死と生をも支配される神に対し、自分がいかに小さいものであるかをへりくだって表している言葉だと言われています。ある解説によると、「神のみ前に、小さく卑しい自分が、神に選ばれ、神に用いられ、み言葉に聞く者とされたことを喜んでいる」ことを表している言葉だそうです。神に対するマリアの謙遜な心が表れていると思います。

 マリアの賛歌の内容を見ます。 第一に「主をあがめる」という事です。「あがめる」という言葉は、神という偉大な存在、あるいは絶対的な存在かつ神聖なものとして崇拝することを意味するそうです。「主」とは、主だった人、中心的な人として、日常生活でも「主人」と使われることがありますが、旧約聖書の時代で「主」という場合は、全ての者の創造者、生と死の支配者と言う意味で、「神」を表す言葉であります。二番目に、マリアは、神を救い主だと認めています。三番目に、マリアは、救い主である神を喜びたたえています。私たちは、このような喜びに満ちた信仰生活を送っているでしょうか。自分で頑張らなくてもいい。この聖霊様に満たされ、聖霊様が、私たちと共におられ、私たちの内にあって、全てのことを教えてくださることにお従いするとき、私たちは、たとえどんな状態にあっても、喜びに満たされます。 

【ワーシップ】  「主の園のように」     作詞/作曲 : 長沢崇史

主の慰めが シオンを覆い すべての廃墟を覆い

荒野を生かし 砂漠うるおす 主の園のようにされる

楽しみ 喜び 感謝 歌声 絶え間なく 満ちあふれ

御霊にふれられ 新しくされる 主イエスの御名に とわに栄光あれ

2022年12月11日   第51巻 50号

(アドベント第三週)           

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 詩篇9:2~3

頌  栄 60

賛  美 ワーシップ 主の園のように

交 読 文 15 詩篇40(840頁)

公同祈祷                   

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 66 今こそ来ませ

聖  書 ルカ2:8~14

メッセージ「大きな喜びとなる」         竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 88 独りの御子を   

頌  栄 63

祝  祷                      竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 本日礼拝後、「おうちDEクリスマス」のチラシ配布を行います。

〇 今週17日(土)「おうちDEクリスマス」の配信日となります。

〇 次週の礼拝は、曽根岡フサ子勧士が来日され、メッセージをして下さいます。曽根岡勧士の日本滞在期間が祝福されるようにお祈りください。

〇 次週礼拝後、「おうちDEクリスマス」の上映会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「大きな喜びとなる」 ルカ2:8~14

本日のメッセージのテーマは、「大きな喜び」です。それは、どんな喜びでしょう。それを私は今、持っているでしょうか。感じているでしょうか。受け取っているでしょうか、という風に自らを、又自らの生活を振り返りながら、この「大きな喜び」について考えてみたいと思います。

主イエス誕生の知らせの第一報は、ベツレヘム郊外で野宿をし、羊の群れの番をしていた、当時では身分の低い、貧しい羊飼いたちに伝えられます。

「天使は言った『恐れるな。私は、すべての民に与えられる大きな喜びを告げる。今日、ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。』」(聖書協会共同訳)

このルカによる福音書2章10、11節の言葉は、直訳するとこのような意味合いです。…恐れることはない。なぜならば、あなたがたに良い知らせを伝えに来たのだから。見なさい。その知らせは全ての人々に与えられるもので、それをあなたがたが受け取るならば、それはあなたがたにとっての大きな喜びとなるものです…。

「大きな喜び」それは、うれしい、楽しい、満足、めでたい、有難い、JOY(歓喜・幸せに感じる)、このような思い、感情、心が動かされること。これら全てを全部ぎゅっと混ぜ合わせたものでしょう。静かに心に秘めておくというよりも、どんなに抑えても抑えきれない。その内側から吹き出て、にじみ出てくるようなものだと言えます。

良い知らせは、それを受け取る全ての者に、大きな喜びになるものです。

この良い知らせ(福音)をあなたは受け取りましたか。

「あなたがたを救うために、救い主がお生まれになった」これが良い知らせです。間違えることのないように、そのしるしは、「産着にくるまれて飼い葉桶に寝ている乳飲み子」です。クリスマスとは、あなたを救うために、罪汚れから、暗闇から、サタンの支配から、悲しみから、貧しさから、死の定めから、あなたを救うために、主イエス・キリストがこの地にお生まれくださった出来事なのです。主イエス・キリストをあなたの人生にお迎えする時、決して変わることのない、誰にも奪われることのない、あなたの大きな喜びとなります。

【ワーシップ】  「主の園のように」     作詞/作曲 : 長沢崇史

主の慰めが シオンを覆い すべての廃墟を覆い

荒野を生かし 砂漠うるおす 主の園のようにされる

楽しみ 喜び 感謝 歌声 絶え間なく 満ちあふれ

御霊にふれられ 新しくされる 主イエスの御名に とわに栄光あれ

2022年12月4日   第51巻 49号

(アドベント第二週)           

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 マタイ4:12~17

頌  栄 60

賛  美 死を打ち破り(ワーシップ)

交 読 文 48 イザヤ35(865~866頁)

公同祈祷                   

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷         

賛  美 67 わが心は

聖  書 イザヤ8:23~9:6

メッセージ「平和の君」             竹田広志牧師

祈  祷

聖 餐 式 49 しみも咎も

賛  美 69 エサイの根より   

頌  栄 63

祝  祷                      竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 本日礼拝後、大掃除を行います。

〇 本日午後2時より、牧師任命に関する懇談会を、役員と共に島津吉成師(教団任命準備委員)にZOOMで出席いただき行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「平和の君」 イザヤ8:23~9:6

-ウクライナに、ロシアの戦争終結と平和を願って-

預言者イザヤは、北イスラエル滅亡から、南王国ユダ滅亡にかけての時代に、南王国ユダ、すなわちユダとエルサレムについて主の言葉を語ります。(1:1)

 兄弟国北イスラエルが滅亡する中で、南王国ユダは、憐れみを示さず、間違った達観をして北王国の彼らを裁きます。しかし、確実に南王国ユダにもバビロン帝国による滅亡が近づいていました。

 イザヤは、ここで、北イスラエル王国の回復・慰めと共に、メシア預言を語ります。

1、北イスラエル回復の預言(8:23~9:3)

・大いなる光が輝く(8:23~9:1)

ガリラヤの光栄、闇の中に大いなる光、死の陰の谷を歩む民の上に光が輝く

・大きな喜びが戻る(:2)

国民が増え、刈りいれ時、穀物を分かつ時、戦利品を分けて喜び踊るように

・勝利と平和が訪れる(:3)

 彼らの負う軛、肩の杖、虐げる者の鞭は打ち砕かれる

2、メシア預言(:5~6)

ガリラヤの光栄・暗黒の光とは何か。一人のみどり子が生まれ、一人の男の子が与えられる。それが、彼らに与えられるしるしです。このお方の主権によって、その平和は終わりがなく、ダビデ王の時代のように、公正と正義による政治によって国が建て上げられます。

3、救い主(メシア)とは(:5)

・「驚くべき指導者」ワンダフルカウンセラー 民の心を真に理解する王

・「力ある神」マイティゴッド     子は預言者ではなく大能の神ご自身

・「永遠の父」エターナルファーザー 憐れみに満ちたイスラエルの保護者

・「平和の君」プリンスオブピース シャローム(平和)神と人、人と人との間

アドベント(待降節)の精神とは、どんな苦境の中にあっても、主の約束を、メシヤによる救いを待ち望む信仰によって、希望を失わず、あきらめず、絶望しない人とその心です。

【ワーシップ】 「死を打ち破り」    作詞作曲 長沢崇史

すべての人は見る 偉大な光 暗闇を照らす まことの光

失望はない 主に頼るもの イエスキリストは生きている

死を打ち破りよみがえられた 全ての鎖(くさり)解き放つ

主イエスの名を呼ぶものはみな救われる 救われる

2022年11月27日   第51巻 48号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ヘブライ3:7~14

頌  栄 60

賛  美 188 救い主は待っておられる

交 読 文 29 詩篇95(852頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 447 あなたのもてる悩みは

聖  書 出エジプト記32:15~29

メッセージ「誰でも私のもとに来なさい」     竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 448 神より生まれし者よ   

頌  栄 63

祝  祷                      竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 礼拝後、「おうちでクリスマス」賛美の撮影をグループに分けて行います。

〇 本日午後1時より役員会を行います。

〇 次週からアドベント(待降節)となります。主の御降誕を待ち望みましょう。

〇 今週12月3日(土)2時~子供クリスマス会を行います。

〇 次週礼拝後、大掃除を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「誰でも私のもとに来なさい」 出エジプト記32:15~29

1、 十戒の石の板を砕き、金の子牛を粉々にするモーセ(:15~20)

 彼が十戒の石の板を砕いた理由はわかりませんが、このようなイスラエルの民は十戒を受け取る資格がありません。その上、彼らが祭っていた金の子牛を火で焼き、粉々にして水の上にまき、それをイスラエルの人々に飲ませます。金の子牛は彼らと一心同体。彼らの汚れはまさに彼らの腹にあります。

2、アロンの言い訳(:21~24)

 「この民が悪意に満ちていることは、あなたがご存じです」(:22)。確かにこれまでも、イスラエルの民はモーセとアロンに何度も反対し不平を言い、殺す勢いで反対したこともあります。モーセも音を上げて主に訴えています(17:4)。アロンはこの民の不満を抑えきれなかったことを告げています。明らかな偽りの言い訳ですが、このまま彼らの言い分を聞かないで、そのままにしていたらどんな暴動が起こっていたか予測できないほどに、これまでのイスラエルの民の出エジプト以来の経過を見ると、悲惨なものとなっていたかも知れません。しかし、アロンの行ったことは大罪です。

3、「主に付く者は誰でも私のもとに来なさい」(:25~29)

 本日のメッセージの中心であり、説教題としました。

「誰でも」です。率先してモーセに反対していた者、それに賛同していた人もいたでしょう。又、しぶしぶ賛同していた人、本心では賛同できなくて勇気がなくて反対できなかった人も多かったと思います。モーセのもとに多くの人が来たと思います。「レビ人は皆彼のもとに集まった」とあります。アロンをはじめとする祭司に任ぜられた者たちです。ここが命運の分かれ道です。神は砕けた悔い改めた心を軽んじられません。どんな罪を犯した者でも、悔い改める者を打たれることを「思い直されます」。

聖書は、時が来て必ず私たちが神の前で裁きを受けることを伝えています。羊とやぎを分けるように、救われるも者と打たれる者とに分けられます。神は全ての罪ある者を滅ぼされます。神は一点の闇もない聖なる義なるお方です。しかし、罪ある者が悔い改めるならば(この悔い改めには「宥めの供え物が必要です」)、どんな罪も赦され、そして受け入れて下さいます。

確かに、「今は恵みの時、今は救いの日です」(第二コリント6:2)。しかし、その期間はいつまでも続きません。「主に付く者は誰でも私のもとに来なさい」とイエスが呼ばれる決断の日が来ます。「今日、あなたがたが神の声を聞くなら、荒れ野で試練を受けた頃、神に背いた時のように、心をかたくなにしてはならない」(ヘブル3:7~8)。今日、主の招きに応えましょう。

2022年11月20日   第51巻 47号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 第一ヨハネ4:10

頌  栄 60

賛  美 257 キリストは生きておられる

交 読 文 28 詩篇91(851~852頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 20 主の真実はくしきかな

聖  書 出エジプト記32:1~14

メッセージ「思い直される主」          竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 218 汚れと恥との  

頌  栄 63

祝  祷                      竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 礼拝後、「おうちでクリスマス」賛美の撮影をグループに分けて行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「思い直される主」 出エジプト記32:1~14

モーセが山に登って40日。イスラエルの民はいつものようにモーセはすぐに戻って来ると思っていたかも知れません。麓にいる民は、モーセに対しても、神である主に対してもかたくな(:9)になって、主の命じた道からそれ(:8)、堕落(:7)していきます。出エジプトから築いてきた主への忠誠と真実が、破壊的な力により一瞬で壊されているのを見ます。「さあ、私たちに先立って進む神々を私たちの為に造ってください。私たちをエジプトから導き上った人、あのモーセがどうなったのか、分からないからです」(:1)

何という事か、アロンは群衆の声に押され、金の子牛の鋳像を造り、その前に祭壇を築いて、いけにえを献げ、その前で民は座って食べて飲み、立って戯れます。主の十戒に逆らう大きな罪です。

主は、山の麓にいる民をご覧になり、モーセに言われます「私を止めてはならない。私の怒りは彼らに対して燃え、彼らを滅ぼし尽くす。」(:9)神が人の罪に対して怒りに燃えるのは、イエスの愛に生きる私達には意外でしょうか。

モーセは一生懸命に主を宥め、民のために執り成します。

・あなたが導き上ったあなたの民であること

・敵(エジプト人)に神である主をののしる口実を与えないために

・先祖に与えられた約束を思い起こされ、実現されるように

燃える怒りを収め、ご自分の民に下す災いを思い直してください、とモーセは訴えます。主はモーセの言葉を聞いて(それで)、ご自分の民に下すと告げられた災いを思い直されます。思い直されるのです。神は罪(主の命じた道からそれ、堕落する)・不義・不敬虔に対して怒り、それらの者を罰し、滅ぼされます。しかし、どんな罪であっても、それを悔い改める者、償う者、立ち返る者を赦し、受け入れられます。

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めの献げ物として御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」(第一ヨハネ4:10)

「神は侮られるお方ではありません}(ガラテヤ6:7)。私たちの救い主、御子イエスは、神の怒りを買うしかない私たちへの、神から与えられた「宥めの供え物」です。モーセが神である主とイスラエルの民の間に立って、執り成したように、今、私たちと神である主の間に立って、自らを「宥めの供え物」「贖いの供え物」として献げ、執り成していて下さるのが、主イエス・キリストです。イエス・キリストの宥めによって、私たちは神との豊かな愛の交わりの中に生きることができます。

2022年11月13日   第51巻 46号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 マルコ2:27~28

頌  栄 60

賛  美 み腕に抱いて(ワーシップ)

交 読 文 27 詩篇90(849~850頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 480 大人も子どもらも

聖  書 出エジプト記31:12~18

メッセージ「主の安息を受けよ」         竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 379 主よわが罪と汚れをきよめ 

頌  栄 63

祝  祷                     竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 本日礼拝後、子供祝福式を行います。子供たちが神と人に愛される者として(ルカ2:52)成長しますように祈りましょう。

〇 礼拝後、「おうちでクリスマス」賛美の撮影をグループに分けて行います。

〇 本日午後1時から役員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「主の安息を受けよ」 出エジプト記31:12~18

 「安息日」というにふさわしい礼拝を私たちがささげるために。

1、律法(主義)からの解放

「ある日を他の日よりも尊ぶ人もいれば、すべての日を同じように考える人もいます。おのおの自分の考えに確信を持つべきです。特定の日を重んじる人は、主のために重んじます。」(ローマ14:5)「主日礼拝・日曜礼拝」は律法ではなく、私たちの主イエス・キリストに向かっての信仰告白であると思います。ここが難しい表現となるのですが、守らなければならない戒めというよりも、この日を尊んで、大事な日として喜びと感謝を優先して、共に行うというものなのです。律法となりますと、往々にして主日礼拝を守らない者を、守っている者がさばくことになります。

2、形式(的)からの解放

教会の伝統を重んじ、礼拝形式を継承し、礼拝は厳粛なものでもありますので、形式が重んじられるのは自然のことですが、辞書を引きますと形式的とは、形式だけを重んじ内容を問題にしない様、外見だけで内容・実質は問題にしない様とあります。時に、形式を壊して、実質を深く味わえるのであればそうしたいという願望に駆られることもあります。礼拝の形式を守り行ったことでキリスト者としてのふさわしい義務を果たし終えたと思ってはなりません。形は大事ですが、さらに大事なのは中身です。

3、奉仕・働き(に翻弄されてしまうこと)からの解放

自分の働きをやめて、主の為に日と時を聖別し、ただ一心に主を仰ぎ求めて主に向かう時です。礼拝をキリスト者の責務とすることも、形式を重んじることも、欠かせない奉仕もどれも大切なものではあります。ただし、それが「主の安息」を遠ざけるものとならないように。「安息日は人のためにあるのであって、人が安息日のためにあるのではない。人の子は安息日の主である。」(マルコ2:27~28)礼拝で礼拝の本質である「安息」を経験し、味わい、主の安息に憩いましょう。教会の礼拝が、あなたにとって主イエスの与える安息の日、どのような場所へ行くよりもゆっくりとした休みとなりますように。

【ワーシップ】 「み腕に抱いて」       作詞・作曲 中山有太

(* 今主よ わたしの心に触れて あなたの御腕に抱いて下さい )

全ての疲れた人よ、重荷悩み負う人よ、

イエスの前に出て行こう、全てを今手離そう (*おりかえし) 

あなたの愛に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから

あなたのみ腕に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから 

2022年11月6日   第51巻 45号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ルカ21:25~28

頌  栄 60

賛  美 花も(ワーシップ)

交 読 文 60 黙示録21(877頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 464 汚れと争いは

聖  書 ヨハネの黙示録22:12~14

メッセージ「見よ、私はすぐに来る」       竹田広志牧師

祈  祷

聖 餐 式 49 しみも咎も 

賛  美 467 世の終わりのラッパ

頌  栄 63

祝  祷                     竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 礼拝後、「おうちでクリスマス」賛美の撮影をグループに分けて行います。

〇 本日午後1時から役員会を行います。

〇 次週礼拝後、子供祝福式を行います。お子さん、お孫さんを連れて礼拝にご参加下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「見よ、私はすぐに来る」 ヨハネの黙示録22:12~14

世界の状況は刻々と変化しています。ひとつの禍、疫病が世界に大きな変化を与えました。ウクライナとロシアの戦争は、世界に大きな分断を与えようとしています。未曾有の自然災害も世界中で頻繁に起きています。

私たちは、イエスが言われた「世の終わりの前兆・患難」に心を留めます。偽メシア・偽預言者、戦争と戦争の噂、民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、飢饉、大きな地震、疫病(ルカ)が起こります。これらは歴史の中で何度も繰り返されていますが、それを生活の中で肌身に感じる時には、「人の子が力と大いなる栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。」と言われるイエスの言葉を強く覚えます。私たちはそのような時、そう今こそ「身を起こし、頭を上げて」主の再び来られる準備をするべきです。「あなたがたの救いが近づいているから」です。

黙示録が記された目的のひとつは迫害・患難の中にあるクリスチャンに対する励ましです。大きな患難の中にあっても、イエスを信じ、救いと天国の約束を信じて、耐え忍び、待ち望むことを勧めています。

イエスを信じて待ち望む人に到来する「新しい天と新しい地」が21~22章に記されています。神である主が共におられる、全てに満ち溢れた、輝く神の国、新しい世界です。あなたは天国を慕い求める人ですか?ばかばかしく聞こえるでしょうか。それともこの天国を切に求めるでしょうか。

マタイ11章12節に興味深いイエスの言葉があります。「天の国は激しく攻められており、激しく攻める者がこれを奪い取っている。」イエスの開いてくださった天国へ、多くの人が激しくそれを求めて、奪い取っているという内容です。私たちはどれ程に、天国、神の国を切望しているでしょうか。悲しい現実として、天国、罪の赦し、復活、永遠の命について語っても、それを主イエスから受け取る特権が全ての人に与えられているのだと伝えても、多くの人はそれを求めません。それは、この地上での生活が全てだと信じているからです。「貧しい人」「悲しんでいる人」「へりくだった人」「飢えている人」「迫害されている人」は幸いです。そのような人こそが天国を激しく求め、それを奪い取っています。

【ワーシップ】   「花も」  MEBBIC

1、ここに泉は湧く涙を過ぎる時 やがて実を結び笑い声に満ちる

(おりかえし)

  花も雲も風も大海も 奏でよう奏でようイエスを

  空に響け歌え魂よ  恵みを恵みを恵みを

2、仰げ天は開き僕らは見るだろう やがて花は咲き栄光の主が来られる

2022年10月30日   第51巻 44号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ヨハネ15:16~17

頌  栄 60

賛  美 求めて(ワーシップ)

交 読 文 26 詩篇84(849頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 394 成し給え汝が旨

聖  書 出エジプト記31:1~11

メッセージ「主があなたを任命された」      竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 392 主の愛の汝が内に

頌  栄 63

祝  祷                      竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 本日午後1時から千葉教区秋の壮年大会がZOOMで開かれます。教会をサテライト会場とします。テーマは「次世代育成と信仰継承Ⅱ」です。どなたもご参加ください。

〇 本日から「おうちでクリスマス」賛美の撮影をグループに分けて行います。

〇 次週午後1時から役員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「主があなたを任命された」 出エジプト記31:1~11

主は、この幕屋建設に携わるリーダーとサブリーダーをお立てになります。ベツァルエル(ユダ族、フルの子ウリの子)(:1~5)とオホリアブ(ダン族、アヒサマクの子)(:6)です。

1、主が任命し(召命)

大事なのは何でしょうか。それは「主が指名し」「主が任命された」ことです。その人物のいかんに関わらず、主が選び、主が立てられます。

主イエスは、「あなたがたが私を選んだのではない。私があなたがたを選んだ。あなたがたが行って実を結び、その実が残るように…私があなたがたを任命したのである。」(ヨハネ15:16)と言われます。全てのクリスチャン(キリストに救いを受けた者)は、キリストの弟子であり、キリストに選ばれ(chosen)、召され(calling)、立てられ、遣わされた者たちです。

2、主は任命した者に「主ご自身の知恵」を与えます。

主は任命した者を聖霊に満たし(full)、賜物を与えられます。主はお立てになった者、又、主の働き(幕屋建設)に携わるすべての者を、「神の霊で満たし」「知恵と英知と知識と、あらゆる巧みな技を授け」られます。神の働き人には、神が力を与えます。又、神の助けなしに、神の働きを人はすることができません。自分の権勢・能力・経験・知恵を過信せず、常に主の前にへりくだって、助けをいただく自覚が必要です。

3、幕屋建設の項目のまとめ(:7~11)

繰り返しになりますが、証しの箱、贖いの座、供えのパンを置く机、純金の燭台(25章)、会見の幕屋(26章)、焼き尽くすいけにえを献げる祭壇、幕屋の内庭(27章)、祭司アロンとその子らの祭服(28章)香をたく祭壇、洗盤、、聖なる注ぎ油、聖所でたくためのかぐわしい香料(30章)、その他、全ての祭具を彼らが作ります。

    幕屋建設において最も注意すべきこと(:11)

 「主が命じた通りに作らなければならない。」

【ワーシップ】   「求めて」      作詞作曲 中山有太

あなたの声を求めて あなたの顔求めて あなたの心求めて 御前に出る

全てをゆだねて 全てをささげて  あなたを求めて礼拝します

2022年10月23日   第51巻 43号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 エフェソ5:1~2

頌  栄 60

賛  美 求めて(ワーシップ)

交 読 文 25 詩篇73(848~849頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

(山本千恵子姉) 

賛  美 286 シャロンの花

聖  書 出エジプト記30:1~10、:17~21(30章)

メッセージ「主に献げるかぐわしい香り」     竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 386 ナルドの香油 

頌  栄 63

祝  祷                                               竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 次週日曜午後1時から千葉教区秋の壮年大会がZOOMで開かれます。教会をサテライト会場とします。テーマは「次世代育成と信仰継承Ⅱ」です。どなたもご参加ください。詳細は掲示板のポスターをご覧ください。又、午後2時から千葉栄光教会で「親子で秋のお楽しみ」が開かれます。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「主に献げるかぐわしい香り」

出エジプト記30:1~10、:17~21(30章)

主は幕屋の聖所に置く、香をたく為の祭壇の作成を命じます。

1、 香をたく祭壇(:1~10)      二つ目の小さな祭壇

アカシヤ材で縦50㎝×横50㎝×高さ1mの正方形の祭壇を作り、焼き尽くす祭壇と同じく四隅に角を取り付け、全てを純金で覆い、金の縁飾りを付けます。運ぶことのできるように両側面に金の輪を付けます。

そしてこれを聖所に、至聖所を隔てる垂れ幕の前に置きます。アロンはこの祭壇でかぐわしい香を朝に夕に焚きます。

2、 人口調査と命の贖い金(:11~16)

イスラエルの民の全員が同額の半シェケル(=銀5g)を命の贖い金として献金します。これは常にイスラエル民は、エジプトの奴隷生活から主が買い取った(贖いだされた)者であることを、全ての民が覚える為です。これは幕屋の建設費用などに使われます。

3、洗盤(:17~21)

幕屋の内庭に設置する最後の祭具となります。幕屋の入り口と焼き尽くす祭壇の間に、青銅の足つき洗盤を作って置きます。祭司は幕屋に入る時、祭壇にいけにえを献げる時、その前にここで手足を洗います。

4、「聖なる注ぎ油」香油の調合(:22~33) 一つ目の香油

5、祭壇でたく為の香料の調合(:34~38) 二つ目の香油

香をたくという行為は、神にかぐわしい香りを献げるということですが、今の私たちにとって、どのような行為となるのでしょうか。

〇 かぐわしい香りは 主に献げる祈り(感謝)です。

詩篇141:2「私の祈りがあなたの前に香として供えられますように。高く上げた両手が夕べの供え物となりますように」

〇 かぐわしい香りは 主に献げる賛美(喜び)です。黙示録5:8~9

〇 かぐわしい香りは 主の前に生きる私の心と生活(ことばと行為)です。

パウロは、「私たちは神に献げられるキリストのかぐわしい香りです。」(第ニコリント2:14~15)と言います。

私たちの賛美を(ヘブル13:15)、感謝を(詩篇50:14)神へのいけにえ、神へのかぐわしい香りとして日々に献げていきましょう。

【ワーシップ】   「求めて」      作詞作曲 中山有太

あなたの声を求めて あなたの顔求めて あなたの心求めて 御前に出る

全てをゆだねて 全てをささげて  あなたを求めて礼拝します

2022年10月16日   第51巻 42号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 第一テサロニケ5:23~24

頌  栄 60

賛  美 求めて(ワーシップ)

交 読 文 24 詩篇67(847~848頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷         

賛  美 316 御言葉なる

聖  書 出エジプト記29:1~3、:35~37、

:42~46 (29章)

メッセージ「聖めてくださる主」         竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 391 皆献げまつり 

頌  栄 63

祝  祷                      竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 10月30日(日)午後1時から千葉教区秋の壮年大会がZOOMで開かれます。教会をサテライト会場とします。テーマは「次世代育成と信仰継承Ⅱ」です。どなたもご参加ください。詳細は掲示板のポスターをご覧ください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「聖めてくださる主」 出エジプト記29章 祭司の任職式について

祭司はその任職にあたって、主の御前に徹底的に「聖別」されなければなりません。祭服を着、油を注がれる祭司は、自分自身を清めなければなりません。祭司の行う祭儀については詳しくはレビ記に書かれています。

1、清めのいけにえ(罪祭)(:10~14)雄牛→レビ記4章と比較

2、焼き尽くすいけにえ(燔祭)(:15~18)雄羊→レビ記1章と比較

3、和解のいけにえ(酬恩祭)(:19~34)雄羊→レビ記3章と比較

・雄牛・雄羊のどの献げ物も、「両手をその上に置いて」その後に屠り、祭壇に血を注ぎ、焼き尽くします。これは「贖い」の献げ物であり、自分自身の身代わりとしてこの動物が献げられることを意味します。

・右は権威を示すもので、血を付ける右耳たぶ、右手・右足は、主の言葉をよく聞き、主の言葉の通りに「聖別されて」務めを果たすことを意味します。

七日間の任職式(:35~37)

七日間、毎日、幕屋の前(内庭)にある祭壇には、清めの為に贖いの血が注がれ、火で焼き尽くされるために油が注がれます。祭壇は最も聖なるもの(祭具)となります。その祭壇に触れる者は聖なる者となります。

4、日々の祭司の務め(燔祭)(:38~42)   →レビ記2章と比較

一歳の雄の小羊・灌祭(水・ぶどう酒)・素祭(穀物)を祭壇で毎日2回、朝と夕に祭司は祭壇に持って行き焼き尽くします(:40~41)

私は彼らの中に住む(:42~46)(出エジプト25:8)

神である主が、これらのことを命じ、イスラエルの民に行わせる目的は、「私はその場所であなたがたと出会い、あなたと語る」ためです。主と出会い、主の栄光によって聖別されるためです。

神との関係の回復のために、多くの動物の血が流されたことをこの箇所を通して覚えましょう。しかし今、私たちは新しい契約・福音の時代に生きています。雄羊や小羊の血ではない。罪のない、欠陥が全くない神の小羊、主イエス・キリストの血によって、会見の幕屋にはばかることなく行くことができ、主にお会いすることができ、聞き、語ることができるのです。

キリストの血は、全ての人の罪をきよめます。主イエス・キリストの十字架の足元にひれ伏し、流された血潮に触れる者は、あらゆる罪からきよめられます。

【ワーシップ】   「求めて」      作詞作曲 中山有太

あなたの声を求めて あなたの顔求めて あなたの心求めて 御前に出る

全てをゆだねて 全てをささげて  あなたを求めて礼拝します

2022年10月9日   第51巻 41号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ローマ13:11~14

頌  栄 60

賛  美 求めて(ワーシップ)

交 読 文 23 詩篇66(846~847頁)

公同祈祷                   

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 383 主の麗しさを

聖  書 出エジプト記28:1~5(28章)

メッセージ「栄光と美しさを着せてくださる主」  竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 438 悩む世人のために

頌  栄 63

祝  祷                       竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「栄光と美しさを着せてくださる主」 出エジプト記28章

出エジプト記28章は、祭服について、生地・デザイン・装飾品についての主の指示となります。特に「栄光と美しさを表す祭服」(:2)とあります。どうして美しい衣服にするのか、それは、「アロンを(神と人々の前に)聖別し、祭司として主に仕えさせる」ためです。

1、 エフォドと帯(:6~13)

2、 裁きの胸当て(:14~30)

ウリム(光)とトンミム(完全)は、神の啓示を知る為のくじに使う石。

3、 青一色の半袖の長衣(:31~35)

裾の周りに金の鈴が付けられます。

4、 額宛てとターバンと帯(:36~39)

純金の額宛てに『主の聖なる者』の記章が付けられます。

5、 アロンの子たちの祭服

私達は、勝田台キリスト教会の標語として「万人祭司」を胸に覚えています。私達は祭服もガウンも着る事はありませんが、本日のメッセージの結論は、「神があなたがたを着飾らせ、装って下さる」ということです。

神である主は、私達の内側を着飾らせ、装って下さいます。

ローマへの信徒の手紙13章14節に「主イエス・キリストを着なさい」ということばがあります。「闇の行いを脱ぎ捨て、光の武具を身に付けなさい」とあります。ガラテヤ3:27には「キリストにあずかるバプテスマを受けたあなたがたは皆、キリストを着たのです」とあります。エフェソの信徒への手紙4:22~23では「情欲に惑わされて堕落している人を脱ぎ捨て、心の霊において新たにされ、真理に基づく義と清さの内に、神にかたどって造られた新しい人を着なさい」とあります。

私達は「主イエス・キリスト」という新しい服を頂いた者たちです。この主の栄光と美しさは、主イエス・キリストです。十字架の血潮によって清められ、聖霊の満たしを受けて、私達はこの服を着せて頂きました。神である主に近づくことの衣服は、「主イエス・キリストです」。

主イエス・キリストは私達の内側に着る服ですが、主よ、どうかこの服が私達の日々の生活の中に見られますように。人々にも見られますように。

【ワーシップ】   「求めて」      作詞作曲 中山有太

あなたの声を求めて あなたの顔求めて あなたの心求めて 御前に出る

全てをゆだねて 全てをささげて  あなたを求めて礼拝します

2022年10月2日   第51巻 40号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ヨハネ14:12~14

頌  栄 60

賛  美 輝く御名(ワーシップ)

交 読 文 22 詩篇65(845~846頁)

公同祈祷                   

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 142 イエス君の御名に

聖  書 使徒言行録3:1~10

メッセージ「美しい門のそばで」         竹田広志牧師

祈  祷

聖  餐  式   49 しみも咎も

賛  美 355 主と共に歩む

頌  栄 63

祝  祷                                   竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 本日午後2時より千葉栄光教会で中高生集会が行われます。竹田牧師がメッセージの御用をされます。教会の車で1時に出発します。参加される方は1時に教会に集合してください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「美しい門のそばで」 使徒言行録3:1~10(参照:ヨハネ16:23∼26)

 イエスの時代の神殿の「美しい門」と呼ばれる東門は、出エジプトで読みました幕屋を囲む庭に入るための東門にあたります。ヘロデは神殿改築に取り組みましたが、それは自分の権力を誇示する為でした。彼は異邦人も入って見物出来る「異邦人の庭」を作りました。

 「美しい門」と呼ばれる門での出来事です。生まれながらに足の不自由な男が、この門のそばに置かれて、毎日、門を通る礼拝者に施しを乞うています。そこをペトロとヨハネが通ります。男は施しを乞います。

 ペトロとヨハネは彼をじっと見て、「私たちを見なさい」と言います。座っていた彼は見上げて、二人に注目します。ペトロは言います「私には金や銀はないが、持っているものを上げよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」。そして男の右手を取って引き上げます。男は生まれながら一度も立ったことのない者です。勢いよく引き上げられると、彼の足やくるぶしがしっかりして、彼は立ち上がります。嬉しくて歩き回り、踊り上がります。そこにいた民衆は、いつもあの場所で施しを乞うていた男であることを知って、卒倒しそうになる程に驚きます。

 何がこの男に渡され、何を彼は受け取ったのでしょう。

 それは、一時しのぎの金銭、助けではありません。イエスの名によって立ち上がり、歩くことです。彼は踊り上がって、神を賛美しながら門から境内に入って行きます。 

私達にとって本当に必要なものは何でしょうか。

人は目先の必要だけを求め、真に何が必要なのかを知りません。私達はパンが必要です。お金が必要です。仕事も必要です。家や着る物も必要です。しかし、本当に必要なのは、イエスを信じて立ち上がり(決断し)歩む(生きる)ことです。主イエスの救いを受けて、喜び踊り上がってイエスの御名をほめたたえることです。そして、主イエスと共に歩む人生に、パンもお金も、仕事も、家族も、真の友も与えられる、全ての必要は添えて与えられることを知ること、経験することではないでしょうか。

【ワーシップ】   「輝く御名」      作詞作曲 中山有太

イエスの御名には勝利がある イエスの御名には力がある

イエスの御名には救いがある イエスの御名に栄光あれ

麗しい 素晴らしい あなたの御名盛んになる

色あせない おとろえない 輝く御名ほめたたえる

2022年9月25日   第51巻 39号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ヨハネの黙示録21:22~25

頌  栄 60

賛  美 死を打ち破り(ワーシップ)

交 読 文 21 詩篇62(844~845頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 411 御恵みの高嶺に 

聖  書 出エジプト記27:20~21(27章全体)

メッセージ「灯をともし続けよ」         竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 425 灯台は遥か 

頌  栄 63

祝  祷                      竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 本日午後1時より役員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「灯をともし続けよ」出エジプト記27章  -幕屋建設の指示③-

 幕屋建設の目的は、「私は彼らの中に住む」(25:8)という主のおこころによるものです。

〇 幕屋の外に置く祭壇(:1~8)

全焼の生贄を捧げる為の祭壇です。ここで多くの罪の贖いの為の動物が裂かれ、血が流され、祭壇で焼かれました。

〇 天幕を囲む庭(:9~19)

 天幕を囲む庭は、1アンマを50センチとしますと、縦幅25M、横幅50Mとなります。水泳の世界大会などで観られる9レーンある50Mプール位の大きさになります。

〇 庭の東に面する門の仕切り幕(:16)

 至聖所に入る為の仕切り幕、聖所に入る為の仕切り幕、そして、幕屋のある庭に入る為の門にある仕切り幕となります。上質な亜麻布で豊かな彩りの糸で織りなされた幕。先週の礼拝でお話ししましたように、幕屋は『聖なる神である主に近づく』ための構造になっています。

〇 燭台に使う油の用意(:20~21)

オリーブの実を砕いて採った純粋な油を用意します。聖所に置かれた燭台に灯をともす為の油です。この灯は、夕方から明け方まで絶えずともし続けていなければならないものです。「これはイスラエルの人にとって、代々にわたって守るべきとこしえの掟である」(:21)。(参照:レビ記24:1~4)

 燭台の灯は、幕屋の中を照らす、人々を照らす神である主の御光の象徴です。灯をともし続ける為に必要なのは「油」です。聖書では「油」は「聖霊」を意味します。聖霊こそが灯を照らし続ける原動力です。イエスは私達に「あなたがたは世の光です」(マタイ5:14)「聖霊を受けなさい」(ヨハネ10:22)と言われましたが、私達キリスト者が輝いて生きる為に無くてはならぬお方が「聖霊様」です。私達にとって、灯は信仰の灯であり、油は聖霊です。(参照:マタイ25:1~13)私達の生涯で最後までキリストを信じて神の御国まで到達する為に必要なのは、聖霊の注ぎです。

【ワーシップ】 「死を打ち破り」    作詞作曲 長沢崇史

すべての人は見る 偉大な光 暗闇を照らす まことの光

失望はない 主に頼るもの イエスキリストは生きている

死を打ち破りよみがえられた 全ての鎖(くさり)解き放つ

主イエスの名を呼ぶものはみな救われる 救われる

2022年9月18日   第51巻 38号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ヘブル4:14~16

頌  栄 60

賛  美 十字架のあがない(ワーシップ)

交 読 文 20 詩篇57(844頁)

公同祈祷                   

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 341 恐れなく近寄れ  

聖  書 出エジプト記26:31~37(26章全体)

メッセージ「隔てを取り除く十字架の贖い」    竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 36 われと主の間に

頌  栄 63

祝  祷                       竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 本日敬老者の祝福式を行います。80歳以上の方々に祝福の祈りと、みことばの短冊をプレゼントいたします。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「隔てを取り除く十字架の贖い」出エジプト記26章-幕屋建設の指示②

 幕屋建設の目的は、「私は彼らの中に住む」(25:8)という主のおこころによるものです。神の臨在の山ホレブから約束の地カナンへ、荒野を旅するイスラエルの民と、主ご自身が共に進んで下さいます。「このように、あなたが山で示された設計に従って幕屋を建てなさい」(:30)にありますように、この幕屋の設計の全ては主によるものです。

〇 天幕を覆う布と皮(:1~14)

聖所を覆う幕は4重構造です。先ず、上質の亜麻布(:1~6)に意匠を凝らして美しい色々な糸でケルビムが織りなされます。その上を、やぎの毛(:7~13)で覆い、その上を赤くなめした雄羊の皮(:14)で、その上を最後にじゅごんの皮(アザラシの皮)(:14)で覆います。

〇 外壁の板(:15~30)

アカシアの木(重厚で腐りにくく、堅い材質)の板を切り出し、繋ぎ合わせていきます。1アンマ50センチで計算すると、横(東西)15M、縦(南北)5M、高さ5Mの直方体の建物となります。

〇 銀の台座(:19)

外壁の板を据える為の銀の台座をそれぞれの板に合わせて作ります。

「(銀の)台座を据え、壁板を置き、横木を渡し、柱を建て、幕屋の上に天幕を広げ、天幕の覆いをその上にかけた」(出エジプト記40:17~19)

〇 聖所と至聖所を分ける垂れ幕(:31~35)

〇 天幕の入り口の仕切りの幕(:36~37)

聖所と至聖所、中庭と聖所、宿営地と中庭(27章)の各仕切りとして垂れ幕が設けられます。特に聖所から至聖所へは大祭司が年に一度だけしか入ることができないものとなります。建築家は材質にも構造にもそのこだわりがあります。主は何故このような幕屋を設計されたのでしょうか。

「神である主は聖であられる」。罪・汚れある者はそのままで近づいてはなりません。そのまま近づくならば必ず死にます。神の山ホレブにも、民が山に入って死ぬことがないように、主は境界線を設けられました。

 聖所と至聖所を分ける垂れ幕は、罪ある者が決して通ることの出来ない隔ての幕でした。しかし、知って下さい。この垂れ幕は、イエスが十字架で息を引き取られたその時、上から下まで真っ二つに裂けたのです(マタイ27:50~51)。イエス・キリストの十字架の贖いの血は、私達の全ての罪を清め、私達を聖なる者とします。私達はただキリストにおいて、真に、大胆に神の御前に近づくことが許されています。

2022年9月11日   第51巻 37号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ヨハネの黙示録21:3~4

頌  栄 60

賛  美 257 キリストは生きておられる

交 読 文 17 詩篇46(841~842頁)

公同祈祷                   

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 145 栄えに満ちたる  

聖  書 出エジプト記25:1~9(25章全体)

メッセージ「私は彼らの中に住む」        竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 342 神の子なるイエス

頌  栄 63

祝  祷                       竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 次週敬老者の祝福式を行います。80歳以上の方々に教会からみことばの短冊をプレゼントいたします。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「私は彼らの中に住む」 出エジプト記25章 -幕屋建設の指示①-

 主はモーセに幕屋の建設の指示をされます。(25章~31章)

 主は、ご自身のために奉納物を準備するように言われます。奉納物は金をはじめとする金属、糸、動物の毛や皮、木、油、香料、宝石などです。奉納物にしても、動物や穀物の献げ物も、主はそれ自体を必要とされません。必要なのは私達であり、主は私達の主への献身と服従(愛と畏敬)の心を求めておられます。「心から進んで献げる」(:1)ことが大事です。

 主が幕屋の建設を指示されるそのおこころは、「私は彼らの中に住む」です。主は,ご自身の民と共に住まわれることを望んでおられます。

 幕屋の歴史は、幕屋→神殿→会堂→教会となります。教会の本質のひとつは、主が「彼らの中に住む」とおっしゃって下さった会見の幕屋です。主が彼らの中に住むと言われた内容を新約聖書から見ますと、どこにでもおられる普遍の神ですが、①キリストの体である教会に、②私達キリスト者の間に、③私達キリスト者の中に、特別に主はご臨在下さいます。

私達の心の宮の王座に、いつもイエス・キリストをお迎えしましょう。

 神である主は、最初に幕屋の聖所に設置する3つの物の作り方を指導されます。 参照:模型の写真

1、 契約の箱と贖いの座の設計(:17~22)

材質はアカシヤの木で、重厚な、堅く、とても腐りにくい木材です。アカシヤの木を純金で覆った、横125センチ、縦75センチ、高さ75センチ(1アンマ50センチとすると)の箱を用意し、上の蓋の部分には純金の天使(ケルビム)が箱を羽で覆い隠すようにして向かい合うように2体設置されます。契約の箱の様相は、日本の神輿に似ています。箱の中身は、十戒の石板、アロンの杖、マナの入った壺(ヘブライ9:1~)です。どれも、生ける力ある神が、ご自身の民を愛し、導き、養って下さる証詞の品です。

2、 備えのパンを置く机(:23~30)の設計

 会食を通して私達と交わることを望んでおられます。

3、 燭台(:31~40)の設計

 幕屋の中を照らすものです。本来は神である主ご自身が、私達を照らす光です。私達の生命の源は主であり、私達は油注がれた者として、神の御光をいただき、世を照らします。

 契約の箱も、燭台も、主のご臨在の証詞です。神の山ホレブ(圧倒的な神である主が臨在を顕された山)を出発するのは、イスラエルの民だけでなく、主ご自身が共に行かれることが、幕屋建設を通してわかります。

2022年9月4日   第51巻 36号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 黙示録7:15~17

頌  栄 60

賛  美 「命の水」(ワーシップ)

交 読 文 19 詩篇51(843~844頁)

公同祈祷                   

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷  

賛  美 433 天つ真清水  

聖  書 ヨハネ4:1~15

メッセージ「決して渇かない水」         竹田広志牧師

祈  祷

聖 餐 式 49 しみも咎も

賛  美 267 渇けるわれは上より賜う

頌  栄 63

祝  祷                     竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 先週の教会学校納涼大会は子供6人、大人14人が参加し、主に祝福されましたことを感謝します。教会学校の働きの為に続けてお祈りください。

〇 本日午後1時より役員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「決して渇かない水」 ヨハネ4:1~15

 イエスが与える「決して渇くことのない水」とは何か。又、人の「渇き」とは何であるか。イエスとサマリアの女との出会いの箇所を読みます。

イエスはあえて普段はユダヤ人が避けて通る道を使ってユダヤからガリラヤへ向かわれます。それはサマリアを通る為です。ユダヤとサマリアの間には人々の交流がありませんでした。正午にサマリアの町はずれの井戸に到着したイエスは、弟子たちを町へ買い物に行かせ、ひとり残られます。井戸の傍らに腰を下ろして休んでおられました。

一人のサマリアの女が井戸に水を汲みに来ます。イエスは女に声をかけ、「水を飲ませてください」と言われます。女は驚きます。ユダヤ人の男性がサマリア人の女に声をかけたからです。イエスは「『水をください』と言った者が誰であるか知っていたなら、あなたから願い出て生ける水を求めたであろう」と言われます。女は驚きます。イエスは汲むものさえ持っておられないからです。そして、イエスは「私が与える水は、また渇く水ではなく、決して渇かない」と言われます。女は「そのような水があるなら、ここに汲みに来なくてもよいように、その水をください」と言います。

イエスはサマリアの女が何に渇いているのかを告げられます。彼女は夫を5人も変え、今一緒にいる男性も夫ではありませんでした。そのように言い当てられた女は驚きます。彼女がいつも満たされないもの、その渇きは、心の、魂の渇きでした。「愛」を求めていたのです。イエスは女に「神の愛」を与えられます。女はイエスと出会い、イエスを知り、イエスを信じたのです。イエスを知り、神の愛を受け取ることは「決して渇くことのない水」をいただくことです。神に愛され、神を愛する、真の礼拝者としての人生がスタートします。イエスと出会い、共に歩むその道は、驚くばかりの恵みの連続です。

【ワーシップ】 「命の水」    作詞作曲 田中満矢

ここに命の水があふれ流れる 罪も汚れも洗いきよめられる

飢え渇く者すべて満たされていく 命なき者全て花を咲かす

全てが生きる その水は癒し 全てが生きる その水は命 

全てが生きる その水は満たし わたしは生きる

*あなたが源(みなもと) 我が命 力 とこしえに

あなたが源 あふれ流れ川となる

決して変わらない命の泉 信じる者みな生き返る

決して揺るがない命の泉 全て麗しく生き返る 

2022年8月28日   第51巻 35号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 エゼキエル34:11~16

頌  栄 60

賛  美 「静まって知れ」(ワーシップ)

交 読 文 7 詩篇23(834頁)

公同祈祷                   

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷         

賛  美 318 君はわが身の  

聖  書 ヨハネ10:11

メッセージ「良い羊飼いイエス」         竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 188 救い主は待っておられる 

頌  栄 63

祝  祷                                    竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 本日午後6時~7時、教会学校納涼大会を行います。花火をしたり、かき氷を食べたりします。参加希望の方々は、お子さんやお孫さんを連れて、是非ご自由に参加下さい。感染予防をしっかりとって行います。

〇 次週日曜午後1時より役員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「良い羊飼いイエス」 ヨハネ10:11

 世界の国々には、良い指導者と悪い指導者がいます。特権に固執し、私腹を肥やすことを考え、個人の命や人権を尊ばない指導者の下にいる国民は悲劇です。時には、その指導者に反旗を翻す革命が起こることも世界の歴史の中にはあります。

 イエスは「良い羊飼い」と「悪い羊飼い(盗人・強盗)」について話しておられます。悪い羊飼いとは、当時の宗教的指導者を指しています。イエスは「彼らは盲人を手引きする盲人である。盲人が盲人を手引きすれば、二人とも穴に落ちてしまう」(マタイ15:14)と言われています。

 羊は聖書の時代のユダヤでは生活の中に日常的にいる動物です。彼らは羊の習性を良く知っています。

 羊は帰省本能がなくて迷いやすく、近視眼で先が見えず、臆病で外敵に無力な生き物です。羊には羊飼いが必要です。羊飼いは、親身になって羊を導き、養い、守らなければなりません。

 イエスはここで牧羊のことを話しているのではありません。私達のことを話しておられます。私達は羊のような存在で、どこに向かうべきかが分からず、飢え渇いていて、弱いものであるとおっしゃっているのです。「私はその通りです」と自覚する人は幸いです。「自分は違う」と言う者は、自分の無力さを経験する時、それを知るでしょう。

 今、あなたを親身になって、力強く導いてくれる指導者がいますか?イエスの言葉を聞いて下さい。「私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」。

 正しい道に導き、豊かな牧草地を与え、悪しきものや全ての災いから守り、豊かに命を与えてくれる指導者は主イエス・キリストです。牧者であるイエスに従う時、平安があり、喜びと感謝があります。イエスが、事実、言葉だけでなく、あなたの為に十字架で命を捨てられたお方だからです。

【ワーシップ】 「静まって知れ」    作詞作曲 Darlene Zschech

1、御翼の陰に隠し 力ある御腕の中に

逆巻く大海を越え 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

2、キリストの中に憩い 信頼と主の力知る

いかずち鳴り渡る中 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

2022年8月21日   第51巻 34号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 エレミヤ31:31~33

頌  栄 60

賛  美 静まって知れ(ワーシップ)

交 読 文 18 詩篇50(842~843頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 旧聖歌309 静かに待てわが魂よ  

聖  書 出エジプト記24:12~18

メッセージ「神の指で書かれた石の板」      竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 344 なおも御恵みを 

頌  栄 63

祝  祷                     竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 次週28日(日)午後6時~7時、教会学校納涼大会を行います。花火をしたり、かき氷を食べたりします。参加希望の方々は、お子さんやお孫さんを連れて、是非ご自由に参加下さい。感染予防をしっかりとって行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「神の指で書かれた石の板」 出エジプト記24:12~18

1、主が律法と戒めを書き記した石の板(:12)

主は、ご自身がその指で律法と戒めを書き記した石の板を授ける為に再び山に登るようにモーセに命じられます。モーセは、神である主から直接聞いた言葉と律法をこれまで、羊皮紙、又はパピルスの紙に書き記しましたが、ここでは、神ご自身が切り出された石に律法を書かれます。石の板には十戒が記されました(申命記10:4)。十戒の前には人は誰でも自分の罪を言い逃れることはできません。神の言葉は、石の板でも、紙でもなく、私達の心の板にも記しておくべきものです。(第二コリント3:3)

2、従者ヨシュア

モーセは、従者としてヨシュアを山に共に連れて行きます。ヨシュアはエフライム族です(民数記13:8)。モーセの後継者は、モーセの子供たちでも、祭司アロンの子供たちでもありません。主はご自身の御目に適った者を選ばれます。

3、主との会見(7と40)

「主の臨在は日々に」でありますが、7日目に主がモーセに呼びかけられるまで、モーセは6日間待っていました。「7日目」は主が聖別された日です。安息日を聖別するのは、主との会見の日だからです。神が親しく、近く、私達と交わってくださる時です。

ノアの洪水(創世記7:4)、イスラエルの荒野の放浪期間、イエスの荒野での試みの期間(マタイ4:4)。モーセの生涯は、エジプト、ミデアン、そして荒野、各40年です。40は、主が何かを始め、何かを終える主の御計画の数字であることがわかります。モーセは40日40夜、神との深い交わりの中に入れられます。後にもう一度モーセは神の山ホレブに登りますが、次は断食と悔い改めと執り成しの40日間となります。喜びの日も、憂いの日も、神である主は私達と深く交わり、見捨てず、離れず、共にいてくださいます。それが愛と憐みに満ちた私達の主です。

【ワーシップ】 「静まって知れ」    作詞作曲 Darlene Zschech

1、御翼の陰に隠し 力ある御腕の中に

逆巻く大海を越え 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

2、キリストの中に憩い 信頼と主の力知る

いかずち鳴り渡る中 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

2022年8月14日   第51巻 33号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ヘブライ9:13~14

頌  栄 60

賛  美 十字架の贖い(ワーシップ)

交 読 文 17 詩篇46(841~842頁)

公同祈祷                   

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷         

賛  美 45 十字架の血に 

聖  書 出エジプト記24:1~11

メッセージ「血による契約」           竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 235 罪 重荷を除くは 

頌  栄 63

祝  祷                     竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「血による契約」 出エジプト記24:1~11

聖書は旧約と新約があります。旧約とは旧い神の契約(約束)であり、新約は神の新しい契約(約束)という意味です。神である主は、ご自身の民と契約を結ばれます。神に従うという言葉は若干抽象的でもありますが、神の契約を守り従うというのはとても「神に従う」という意味で具体的なものとなります。神に従う者は、神のことば(契約・約束)に従います。

 モーセは山の麓に祭壇を築き、十二の石柱を立てます。モーセはほふられた雄牛の血の半分を取って小鉢に入れ、血の半分を築いた祭壇の上に打ちかけます。そして、モーセが書き記した契約の書を取り、民に読み聞かせます。民は「主が語られたことをすべて行い、聞き従います」と答えます。ここが契約のメインとなりますが、信仰告白をしたイスラエルの民に、モーセは、その血を取って民の上に振りかけます。「これは、主がこのすべての言葉に基づいてあなたがたと結ばれる契約の血である。」

本日の説教題は「血による契約」です。イエスは十字架にお掛かりになる前、弟子たちと最後の過越しの晩餐の席で、パンとぶどう酒の杯を取って言われました。「皆、この杯から飲みなさい。これは罪が赦されるように、多くの人のために流される、私の契約の血である。」(マタイ26:27~28)

イエス・キリストが、ここにいる私の罪の赦しの為に、十字架で贖いとなって、血を流し、命を捨てて下さった。今、十字架につけられたイエスを見上げ、この罪の赦しの福音を信じる者を神は救うと定められたのです。これが、新しい契約、イエスの血による神と私との契約なのです。

雄牛や雄山羊の血を今、会衆に向かって振りかけることはしませんが、主イエス・キリストの十字架から流された血潮は、今、あなたの上に注がれています。イエスの十字架を見上げ、イエスの流された血による新しい契約を信じ、神からの罪の赦しを受け取りましょう。死から永遠の命へ、暗闇から光へ、サタンの支配から神の支配へ、滅びから救いへ、神がただちにあなたを救って下さいます。

【ワーシップ】  「十字架の贖い」    作詞作曲 中山有太

キリストの血によって回復が与えられ  主との壁取り壊された

キリストの愛からは引き離すものはない 大胆に恵みの御座へ

(おりかえし)

十字架の贖い我が罪のため 惜しまずささげた 子羊主イエス

2022年8月7日   第51巻 32号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ヨハネ10:1~5

頌  栄 60

賛  美 イエスの御名には勝利がある

交 読 文 16 詩篇42(840~841頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 407 イエスよわが身と 

聖  書 出エジプト記23:20~33

メッセージ「主の使いがあなたの前を行き」    竹田広志牧師

聖 餐 式 49 しみも咎も

祈  祷

賛  美 428 キリストには代えられません  

頌  栄 63

祝  祷                     竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 本日午後1時より役員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「主の使いがあなたの前を行き」 出エジプト記23:20~33

主がイスラエルの民をエジプトから解放されたのは、ご自身の民をその奴隷生活の苦役から解放する為でありましたが、さらに、荒野において主に仕える為、又、先祖アブラハムに約束されていたカナンの地を受け継ぐ為でした。荒野で主に祭りを行い、律法を受けたイスラエルの民は、カナンに向かおうとしています。本日の聖書箇所は、カナン侵攻に向けての主の言葉です。

1、 主の遣わされた「使い」の声に聞き従う(:20~23)

カナン侵攻に向けて神である主は、イスラエルの民の前に「使い」を遣わされます。「使い」をしっかりと見て、その言葉に従う事を命じます。この「使い」には主の名がその中にあり、彼はイスラエルの背きの罪を裁きます。

2、 偶像を除き去る(:24~25、:32~33)

偶像と偶像に仕える部族の徹底的な排除と、その習慣に倣ってはならないことを命じます。偶像に仕える者をその地に置いておくことも、契約を結ぶことも禁じます。

3、 徐々にその地を受け継ぎます(:27~31)

短い期間で次から次へと侵攻・占領するのでなく、少しずつその地を獲得することを命じます。激しい戦いが続いて、その地が荒廃し、人の住むことのできないような地にならない為にです。

結、私達の為に遣わされた「使い」は主イエスです。

イスラエルの民をカナンに導く「使い」とは誰でしょうか。その特徴は、「私の名が彼の中にある」「彼は背きの罪を赦さない」とあります。モーセの後継者としてカナンの地へ導く指導者はヨシュア(=主は救いの意味)です。その名の中には主(ヤハ)があります。しかし、罪を赦すことの出来るお方は神のみであることを知ります時、その「使い」は、天使・み使い・人ではなく、神ご自身である事がわかります。

 私達は信仰の戦いを走り抜き、神の定められた御国に向かっています。先頭に立たれるのは主イエス・キリストです。全ての偶像を私達の心・生活から排除し、主の御声に聞き従い、御心を行う幸いな日々をいただきましょう。

【ワーシップ】   「輝く御名」      作詞作曲 中山有太

イエスの御名には勝利がある イエスの御名には力がある

イエスの御名には救いがある イエスの御名に栄光あれ

麗しい 素晴らしい あなたの御名盛んになる

色あせない おとろえない 輝く御名ほめたたえる

2022年7月31日   第51巻 31号           

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 マルコ2:27

頌  栄 60

賛  美 166 威光・尊厳・栄誉

交 読 文 15 詩篇40(840頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 9 力の主を 

聖  書 出エジプト記23:10~19

メッセージ「主の定められた安息と祭り」     竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 248 人生の海の嵐に 

頌  栄 63

祝  祷                     竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 本日午後に行われる教区ちばっこサマーフェスタは秋に延期となりました。

〇 次週午後1時より役員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】「主の定められた安息と祭り」出エジプト記23:10~19

主を前に置き安息を得、主の前に集まり祭りを行う。神である主は「安息」と「祭り」を定められました。いずれも愛に溢れた神の祝福です。

イエスは「安息日は人のためにあるのであって、人が安息日のためにあるのではない」(マルコ2:27)と言われました。人が神の癒し・解放・養い、救いという神の大きな祝福と聖別を受ける為に、神は安息日を設けておられます。その真意を無視して、安息日に人を癒してはならない、麦の穂を摘んで食べてはならないと非難するファリサイ派の人々(当時の宗教的指導者)をイエスは諫めました。律法や規定を守るために人がいるのではなく、神の与えられた律法や規定は人のためにあることを取り違えてはなりません。「だから、人の子は安息日の主でもある」。安息の場所を用意して開いて下さるのは、主イエスです。イエスの許で私達の受ける休みは「魂の安らぎ」です。表面的なものでなく、心の奥底にまで至るものです。どうしてそうなのか。神である主は、私達の創造者だからです。造って頂いた方の許で、錆びついてギスギスした私たちの心の細部までも潤滑油を注いでいただき、全身全霊オーバーホールしていただきましょう。* イエスは私の整備士

神である主は、年に3度祭りを行う事を定められました。「祭り」というとどんな印象を持ちますか。日本では、皆が集まってワイワイ賑やかに騒いで楽しむ大イベントという感じでしょうか。出エジプト記で神が定められた祭りは、「除酵祭=過越しの祭り」春、「刈り入れの祭り=七週の祭り」春~初夏、「畑の実りの取入れの祭り=仮庵の祭り」秋、です。除酵祭は出エジプトを記念する祭り、その他の2つの祭りは収穫感謝祭です。

祭りには、「神を崇める」「神に収穫を感謝して奉納する」「神に祈願する」意味があります。神の御許に人が集まり、喜ぶのです。キリスト教会では、クリスマス(降誕祭)、イースター(復活祭)、ペンテコステ(聖霊降臨祭)があります。イスラエルの人々にとって、エジプトの奴隷生活から救い出されたことを記念する「過越しの祭り」が最も大切な祭りであるように、私達にとって、十字架と復活を記念する日は、最も大切な祭りです。主イエスは、最後の晩餐の席で、パンとぶどう酒をもって「これを記念として行え」と言われましたが、私達は罪の奴隷生活から救われた者として、いつも私たちの罪の為にご自身の命をその代償として献げてくださった主イエス・キリストの十字架を見上げます。それは、自らの罪を悔いて嘆く時であると同時に、死と滅びから救い出された喜びと感謝をささげる時です。

「わがたましいよ、主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」(新改訳 詩編103:2)

2022年7月24日   第51巻 30号        

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 エフェソ4:22~25

頌  栄 60

賛  美 168 ハレルヤと歌え

交 読 文 14 詩篇37(839頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 281 疑い憂いに 

聖  書 出エジプト記23:1~9

メッセージ「真実の証言者たれ」         竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 390 真実全き心もて 

頌  栄 63

祝  祷                     竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 本日午後1時半から教区壮年大会が開かれます。勝田台教会をサテライト会場として開きます。「次世代育成」がテーマです。是非、ご参加下さい。

〇 次週31日(日)、2時~4時、千葉栄光教会において、教区ファミリーワンデイキャンプが行われます。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「真実の証言者たれ」 出エジプト記23:1~9

十戒を初めとして、民の諸問題に関する神の裁きと規定を読んできました。「私があなたがたに言ったことすべてに注意を払いなさい」(:13)

「偽りの言葉から距離を置かなければならない。罪なき者や正しい者を殺してはならない。私は(神である主は)悪しき者を無罪とはしないからである」(:7)。神である主は罪人の罪を裁くお方、審判者です。

「根も葉もない噂を流してはならない。」(:1)

根拠もない無責任な噂話はどんなに人を傷つけるでしょうか。今日は情報化社会の時代です。偽りの情報は、真実や公正な判断を曲げてしまいます。今起こっているウクライナとロシアの戦争において、互いの情報統制・言論統制はどんなに恐ろしいものでしょうか。偽りの情報を流すことは、大きな大きな罪です。それがどれだけ多くの人の命までをも奪うでしょうか。

「悪人に加担して、悪意のある証人になってはならない。」(:1) 

たとえその悪人が力ある存在であっても、悪人に加担し、隠ぺいするような証言をしてはなりません。悪人はその罪が暴かれ、裁かれなければなりませんが、悪に加担する者は、その悪人の暴虐をさらに大きくします。

「多数に追従して、悪を行ってはならない。訴訟において、多数に合わせて答弁し、判決を曲げてはならない。」(:2)

多数の圧力により委縮し、偽証をしてはなりません。必ず多数が正しい選択をしているとは限りません。明らかに多数が悪である場合もあります。多数の悪の力に逆らうのは非常な苦しみが伴います。しかし、悪であると知りながら倣ってはなりません。民主主義は多数決が原則となりますが、私達は神主主義であることを知りましょう。神の国に生きる者は、民の意思が反映するのではなく、神の意思が反映する国であり、国民です。ただし、神の名のもとに、特定の人の独断・独裁になってはなりません。それはカルトです。

「訴訟において、ことさらに弱い者をかばってはならない。」(:3)

「貧しい者の訴訟において、裁きを曲げてはならない。」(:6)

「賄賂を受け取ってはならない。賄賂は目の見える人を見えなくし、正しき者の言い分をゆがめるからである。」(:8)

賄賂を受け取って、証言を拒否し、偽りの証言をしてはなりません。

「隣人について偽りの証言をしてはならない。」(出エジプト記20:16)

「偽りを捨て、一人一人が隣人に真実を語りなさい。私たちは互いに体の部分だからです」(エフェソ4:25)

世の力、多数の力、悪の力に屈してはなりません。神への畏れを目の前に置き、常に聖霊に満たされて、真実な神の証人として歩みましょう。

2022年7月17日   第51巻 29号

教会創立51周年記念           

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 エフェソ1:17~19

頌  栄 60

賛  美 神の家族(ワーシップ)

交 読 文 41 詩篇127(861頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷・証詞       

賛  美 219 われを見出し

聖  書 エフェソ1:20~23

メッセージ「教会はキリストの体」        竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 145 栄えに満ちたる

頌  栄 63

祝  祷                     竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。感染の収束の為にお祈り下さい。

〇 本日の礼拝は創立51周年記念礼拝でした。主に栄光がありますように。

〇 明日18日~19日、教団夏季聖書会が山崎パン総合クリエーションセンター(市川市)で行われます。LIVE配信でも視聴できます。ご参加下さい。

〇 次週24日(日)午後1時半から教区壮年大会が開かれます。勝田台教会をサテライト会場として開きます。ご参加下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。


【説教要約】「教会はキリストの体」 エフェソ1:20~23

私達の勝田台キリスト教会は創立51周年を迎えました。中居豊、栄子牧師が佐倉・八千代開拓に神様によって遣わされて45年。私もこの場所に遣わされて5年が過ぎました。又、ここに集うおひとりおひとりが、この勝田台キリスト教会で数年、或いは数十年、教会に通い、信仰生活を歩んで来られました。主である神が、この勝田台の地に教会を建て、豊かな祝福をもって導いて下さり、イエスを信じ、救われる人々が起こされ、その導きの中に、今、私も入れて下さったことを心から感謝致します。創立記念にあたり、今一度、「教会」とは何か、「教会」とは私にとって何であるのかを、聖書のみことばに聴きたいと願っています。

エフェソ人への手紙のテーマは「教会」です。「教会とは何ですか」と問われるなら、「キリストの体です」(1:23)。「今ここに集う私たちは何ですか」と問われるなら、「キリストの体の一部です」(5:30)とあります。

1.キリストは全てのものの上に立つお方です(:20~22)

「神は、この力ある業をキリストの内に働かせ、キリストを死者の中から復活させ、天上においてご自身の右の座に着かせ、この世だけでなく来るべき世にある、全ての支配、権威、権力、権勢、また名を持つすべてのものの上に置かれました。」私達は信じ、告白します。私達の従う主イエス・キリストはあらゆる権威の上に立つお方です。

2.全てのものの頭であるキリストは教会に与えられました(:22~23) 

「また、すべてのものをキリストの足元に従わせ、すべてのものの上に立つ頭としてキリストを教会に与えられました。」私達は信じ、告白します。この主イエス・キリストは教会に与えられました。(他のどこにでもない)

キリストの権威と力は、教会によって世に示されます。

3.教会はキリストが満ちているところです(:23) 

「教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方が満ちておられるところです。」私達は信じ、告白します。教会はキリストの体であり、キリストにある全てのものが満ちています。

キリストの体である教会には、力があり、癒しがあり、復活があり、救いがあります。その素晴らしさが、はっきりと見えるようになりますように。

【ワーシップ】 「神の家族」   作詞作曲 長沢崇史

どんな宝石より麗しく尊い 神の愛によって結ばれた関係

神の家族 キリストにあってひとつ 神の家族 永遠に続く家族

ひとつの体分け合う 欠けてはならない存在

共に泣き共に喜ぶ 愛により建てられていく

2022年7月10日   第51巻 28号                    

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 マタイ25:37~40

頌  栄 60

賛  美 198 GOD BLESS YOU

交 読 文 13 詩篇34(838~839頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 202 一度死にしわれをも

聖  書 出エジプト記22:15~30

メッセージ「主が憐み深いように私たちも」    竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 218 汚れと辱との

頌  栄 63

祝  祷                    竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 礼拝後、トラクト配布を行います。是非、奉仕にご参加下さい。

〇 次週の礼拝は創立51周年記念礼拝です。教会を豊かに導き続けて下さっている神である主の恵みを受け止め、心からの感謝を献げましょう。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。


【説教要約】「主が憐み深いように私達も」出エジプト記22:15~30

本日の戒めに、私たちに現されたイエスの憐みを映しましょう。

寄留者、寡婦、孤児、貧しい者に関する戒め(:20~26)

寄留の他国人を虐待してはならない。抑圧してはならない。寡婦も、孤児も、貧しい者も苦しめてはならない。貧しい者に金を貸す時は高利貸しのようになってはならない。貧しい者からは利息を取ってはならない。隣人の衣服を質に取ったまま次の日まで裸にしておいてはならない。抑圧される者、貧しい者の叫びを主は聞かれる。憐みの心を閉じる者には、主の怒りが燃え上がり、あなたがたを剣で殺す。主もまたそのような者に憐みの心を閉ざされる。私たちが心して耳を傾ける戒めです。

憐みの心を閉ざす人、貧しい人を省みない人に対して、神である主はどうしてこれ程に厳しいのでしょうか。「わたしは憐み深いからである」(:26)と主は言われます。

ジャン・フランソワー・ミレーの「落ち穂拾い」という有名な絵画があります。それは、遠く後方に収穫の麦の穂が高く積み上げられてあって、刈り終えた畑で3人の女性が残った落ち穂を拾っている絵です。レビ記19章9~10節に「土地の実りを刈り入れる場合、あなたがたは畑の隅まで刈り尽くしてはならない。刈り入れの落ち穂を拾い集めてはならない。ぶどう畑の実を摘み尽くしてはならない。ぶどう畑に落ちた実を拾い集めてはならない。貧しい人や寄留者のために残しなさい。私は主、あなたがたの神である。」とあります。私たちが心して耳を傾ける主のことばです。

私たちは自分が得た物は全て、隅から隅まで自分、自分たち家族の為に使っています。しかし、全て自分のものとして刈り尽くして良いのでしょうか。「貧しい人や、寄留者のために残しなさい。」これは今ここにいる私たちに対する主のメッセージです。私たちの教会は、いくつかの団体、教会に支援をしています。自分たちの教会で集められた献金は、自分たちの教会の為に使えば良いと普通に考えます。本当にそうでしょうか。全てを刈り尽くしてはならないのです。私たちの主は憐み深い主です。

招詞でマタイ25:37~40を読みました。「よく言っておく。この最も小さな者の一人にしたのは、すなわち、私にしたのである」と言われたイエスのお心は、本日の戒めの中にあります。私たちのイエスは憐み深い主です。イエスが、わたしが憐み深いように、私に従うあなたがたも憐み深い者となりなさい、と言われている思いがします。主の戒めは、罪を犯さないようになるためであり、主のような憐み深い者となるためであることを知ります。

2022年7月3日   第51巻 27号

                     

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 詩篇51:1~6

頌  栄 60

賛  美 きみは愛されるため生まれた(ワーシップ)

交 読 文 12 詩篇33(838頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 200 心に悶えあらば

聖  書 出エジプト記22:1~14

メッセージ「主の前で真実を告白せよ」      竹田広志牧師

祈  祷

聖 餐 式 49 しみも咎も

賛  美 378 罪の世人らに

頌  栄 63

祝  祷                    竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ     

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 礼拝後、勝田台地区にトラクト配布⦅いのちのことば社による「オイコス計画(2038年までに日本全戸トラクト配布)」⦆を行います。是非、奉仕にご参加下さい。詳細は掲示板をご覧ください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。


【説教要約】「主の前で真実を告白せよ」 出エジプト記22:1~14 

「あなたが彼らの前に置くべき法は次のとおりである」(21:1)

先週に続き、民の問題や事件に神がお答えになった主の判決、主の定められた法の詳細な内容が続きます。人が協議して定めた法ではなく、「十戒」を軸に神がイスラエルに語られた法(律法)です。

正当防衛と過剰防衛(:1~2)盗んだ家畜に対しての賠償(:2~3)

畑の物に関しての賠償(:4~5)

6節からの内容は、真偽の判別が必要な案件です。「偽証をしてはならない」の十戒に抵触するものです。

隣人に預けていた金銭や物品が盗まれた場合。盗まれたのか、預かった人が盗んだのか真偽の判断が必要です。預かった人は「神のもとに行き」真実を述べなければなりません。もし預かった人が盗んだのであれば、その罪を告白し、賠償しなければなりません。(:6~7)

紛失物の横領事件で、どちらが横領したのかわからない場合。「両者の主張を神のもとに持って行きます」。横領した者は、自分の罪を告白し、2倍の賠償をします。(:8)

家畜の番を隣人に頼んで、家畜が野獣に裂き殺され、奪われた場合、「主への誓いがなされるなら」番をしていた者は賠償しなくてもよい。但し、盗まれたのであれば、自分の罪を告白し、管理を怠ったことによって賠償しなければなりません。(:9~12)

家畜を借りた場合。家畜が傷ついたり、死んだ場合、持ち主が一緒にいなかったなら必ず賠償しなければなりません。借りた場合と預けた場合とは異なります。但し、賠償が発生しない場合も、家畜を借りた料金は支払わなければなりません。(:13~14)

圧倒的な聖なる主のご臨在の前(神の山ホレブの麓)で人は偽ることはできません。神である主の前(祭司の前)で、自分の罪を告白し、裁きを受け、その賠償・償いをする。これをイスラエルの民は代々教えられます。

罪を赦すことのできるのは、ただ神だけです(ルカ5:21)。神である主の前に、自分の罪を告白し、私たちの罪の為に死なれたイエスを信じ、罪の赦しを受け取りましょう。


【ワーシップ】  「十字架の贖い」    作詞作曲 イ・ミンソプ

君は愛されるため生まれた 君の生涯は 愛で満ちている

永遠(えいえん)の神の愛は われらの出会いの中で実を結ぶ

君の存在が 私には どれほど大きな喜びでしょう

君は愛されるため生まれた 今もその愛受けている(×2)

2022年6月26日   第51巻 26号

                     

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ゼカリヤ書11:12~13

頌  栄 60

賛  美 十字架の贖い(ワーシップソング)

交 読 文 11 詩篇32(837頁)

公同祈祷                   

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 108 丘に立てる荒削りの

聖  書 出エジプト記21:28~37

メッセージ「値踏みされた羊飼い」        竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 264 われ贖われて

頌  栄 63

祝  祷                    竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 礼拝後、勝田台地区にトラクト配布⦅いのちのことば社による「オイコス計画(2038年までに日本全戸トラクト配布)」⦆を行います。是非、奉仕にご参加下さい。詳細は掲示板をご覧ください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。


【説教要約】「値踏みされた羊飼い」 出エジプト記21:28~37 

参照箇所: ゼカリヤ書11:4~14 マタイ27:3~10

1、真実で公正な審判者

共同生活の中では隣人との距離は近く、様々なトラブルが起こります。実際に起こったトラブルを神である主が裁かれます。世界にはそれぞれの国々に多くの法がありますが、神である主が裁かれた内容が旧約聖書の律法であると知ります時、感慨深いものがあります。

人による判決・審判はいつも公正とは限りません。知って下さい。私たちの神である主は、公正な審判者です。時に私たちは不当な、理不尽な扱いを受けることがあります。どんなに叫んでも、真実を証明できないこともあります。しかし、「主の裁きは真実で、こことごとく正しい」のです。主は生きておられます。どんな時も、私達は主の真実な裁きにお委ねします。

2、銀30シェケル(:22)

奴隷の値段は銀30シェケルです。この値は神である主が定めたものです。ここに不思議な主の導きがあります。主は奴隷に「解放」と「贖い」を宣言されますが、奴隷は貧しい者が命を得る為、の律法でもありました。

ゼカリヤ書11章に銀30シェケルの記事があります。羊飼いとして働いたゼカリヤへの報酬が値踏みされ、銀30シェケルとなります。主はゼカリヤに言われます「私が彼らによって値踏みされた尊い価を、陶工に投げ与えよ」。ゼカリヤはそれを主の神殿で陶工に投げ与えます。

マタイ27章に「銀貨30枚」の記事があります。イエスの十二弟子のひとり、イスカリオテのユダは、当時の宗教的権力者のもとに行き、イエスを売り渡します。彼らはイエスを値踏みし、ユダに銀貨30枚を渡します。奴隷一人分の値段です。イエスが有罪になったのを知ってユダは後悔し、銀貨30枚を神殿に投げ込んで自害します。神殿に投げ込まれた銀貨30枚で「陶工の畑」が買い取られます。

イエスは銀貨30枚に値踏みされた良い羊飼いです。イエスが祭司長たちによって値踏みされた尊い価、売り渡される十字架の苦難こそが、私たちが罪の奴隷から解放される為の贖いの代価なのです。


【ワーシップ】  「十字架の贖い」    作詞作曲 中山有太

キリストの血によって回復が与えられ  主との壁取り壊された

キリストの愛からは引き離すものはない 大胆に恵みの御座へ

(おりかえし)

十字架の贖い我が罪のため 惜しまずささげた 子羊主イエス

2022年6月19日   第51巻 25号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ホセア6:6

頌  栄 60

賛  美 注ぎたまえ主よ(ワーシップソング)

交 読 文 10 詩篇31(836~837頁)

公同祈祷                   

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 206 飼い主わが主よ

聖  書 出エジプト記21:1~27

メッセージ「憐みの律法」            竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 303 安かれ わが心よ

頌  栄 63

祝  祷                                   竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 いのちのことば社「オイコス計画(日本全戸トラクト配布)」。礼拝後、勝田台地区にトラクト配布を行います。奉仕にご参加下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。


【説教要約】

「憐みの律法」出エジプト記21:1~27

「あなたは神の前に出て、多くの問題を神に述べなさい。そして、あなたは掟と律法を彼らに示し、彼らの歩むべき道とすべき行いを知らせなさい」(18:13~20)主は私たちの課題・問題の細やかな部分に至るまで、良く聞いて下さり、配慮して下さるワンダフル・カウンセラーであり、正しいジャッジを下さる審判者です。

1、ヘブライ人の奴隷に関する法(:2~11)   解放と贖いの戒め 

律法の詳細について第一番目に書かれていますのは、「奴隷」に関する規定です。最も弱い立場である一つは奴隷です。神は奴隷制度を認めておられるのでしょうか。7年目の解放、50年目のヨベルの年(贖罪と解放の日)をもって、奴隷の解放と贖いを告げています。「もしこれらの方法で買い戻されないなら(贖う事ができないなら)、ヨベルの年には、その人もその子らも出て行くことができる。イスラエルの人々は私の奴隷である。私がエジプトの地から導き出した私の奴隷である。私は主、あなたがたの神である。」(レビ記25:54~55)*参照:フィレモンへの手紙15~20 

2、過失による殺人、傷害に関する法(:12~27) 逃れの場所(町)

過失によって人を殺めた者に対して、「逃れの場所」を定めるとあります。逃れの町の規定は、民数記35章、申命記19章、ヨシュア記20章に詳しく記されています。しかし、「故意の殺人、両親の殺害、誘拐をする者、両親を呪う者は必ず死ななければならない」と厳しく戒めています。傷害に関しては「罰金を払い、補償をしなければならない」とあります。

奴隷は、贖わなければなりません。罪人は、償わなければなりません。自らをもっても、誰かによっても贖うことも償う事もできない者が、自由を得、命を得る為にどうすればよいのでしょうか。主は「逃れの町」を用意しておられます。教会、主イエス・キリストのみ許は、私たちの「逃れの町」です。私たちの大祭司であるイエスが、ご自身の命、血をもって執り成し、弁護して下さるのです。

【ワーシップソング】 注ぎたまえ主よ 作詞作曲 Kim Bollinger                  

1、 注ぎたまえ主よ 恵みとあわれみを 天が開くため祈る 聖霊の力を

(おりかえし)

主の御霊よ触れたまえ 我が心に 主の教会に 雨を降らせリバイバルを 来たらせたまえ この地の上に

2、受ける価値なき我ら御前に進み祈る ああ栄光のみ業 見させたまえ

(おりかえし)

2022年6月12日   第51巻 24号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 ヨハネの手紙第一1:8~9

頌  栄 60

賛  美 483 両手いっぱいの愛

交 読 文 9 詩篇27(835~836頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 447 あなたのもてる悩みは

聖  書 出エジプト記20:14~26

メッセージ「十戒 人を愛する戒め」       竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 235 罪 重荷を除くは

頌  栄 63

祝  祷                    竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 本日から7月にかけて、いのちのことば社「オイコス計画」に参加します。礼拝後、時間を決めて勝田台2500戸にトラクト配布を行います。奉仕にご参加ください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。


【説教要約】

「十戒 人を愛する戒め」出エジプト記20:14~26

 神である主の力強い臨在の御前に(:18~21)、民は神の戒めを受けます。そして主は「聖別」の為の全焼のいけにえと、「交わり」の為の会食のいけにえを屠る為の祭壇を築くように命じられます(:22~26)

主がこの戒めをお与えになった目的は、「神への畏れをあなたがたの目の前に置き、あなたがたが罪を犯さないようにするため」(:20)とあります。この10の戒めは、「あなたがたを試す」もの、自分自身を吟味するものです。

7番目「姦淫してはならない」。今日においても大きな社会問題です。何千年経ち、人々の暮らしは変わっても人は変わりません。十戒は古いものではなく、昔の人と変わらない今の私たちの課題です。「姦淫」は人間の性に関わる事です。辞書では、人としての道義に反する肉体関係とあります。「欲望がはらんで罪を産み、罪が熟して死を生みます」(ヤコブ1:15)。どのように自分の「欲」を制御することができるのでしょうか。イエスは山の上の説教で、十戒の「姦淫するな」について触れています。「情欲を抱いて女を見る者は誰でも、すでに心の中で姦淫を犯したのである」。「(情欲を抱く)目はえぐり出してしまいなさい。手は切って捨てなさい」と言われます。イエスの律法は十戒より厳しく遥かに高い所にあります。私は情欲を抱いて異性を見たことはありません、と誰が言えるでしょうか。イエスは、あなたがたの内側を清めなさいと言われます。

8番目「盗んではならない」。10番目「隣人の家を欲してはならない」。物欲、金銭欲は誰にでもあります。イエスは特に「金銭を愛する」ことへの警告を人々に何度も話しておられます。「神と富とに兼ね仕えることはできない」(マタイ6:24)。「金持ちが天国に入ることは、らくだが針の穴を通るよりも難しい」(マタイ19:23~)と言われています。「欲する」こと自体は罪ではありません。しかし、必要以上に「欲する」と「強欲」になります。又、自分のものでないものを「欲する」気持ちが熟すると「盗む」ことになります。

 9番目「偽証をしてはならない」。最後にこの戒めを読みます。隣人に対する偽証は「悪意」によるもの、自分に対する偽証は「虚栄」からのものです。人が真実な告白を神の前にすることができたなら、どんなに幸いでしょう。私は悪くない、私には罪がない、とする「責任の転嫁」「自己正当化」があります。

神である主の前に人は偽ることはできません。十戒は私たちに罪を認めさせ、悔い改めと救いへと私たちを導きます。義人はひとりもいません。今日、神の前に、自分の罪を告白しましょう。神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、あらゆる不正から私たちを清めてくださいます。

2022年6月5日   第51巻 23号

ペンテコステ記念礼拝順序         

前  奏

招  詞 ヨエル書3:1~5

頌  栄 60

賛  美 栄光あらわしたまえ(ワーシップ)

交 読 文 19 詩篇51(843~844頁)

公同祈祷                   

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 132 ペンテコステの日に

聖  書 使徒言行録2:38~42

メッセージ「聖霊を受けなさい」          竹田広志牧師

聖 餐 式 49 しみも咎も

祈  祷

賛  美 136 御霊よ降りて

頌  栄 63

祝  祷                                   竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告  (祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日はペンテコステ記念礼拝です。聖霊に満たされて歩みましょう。

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 本日午後1時より役員会を行います。

〇 6月~7月にかけて、いのちのことば社「オイコス計画」に参加します。勝田台2500戸にトラクト配布を行います。祈りつつ参加しましょう。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。


【説教要約】

「聖霊を受けなさい」 使徒言行録2:38~42

ペンテコステの言葉の意味は、ギリシア語で「50日目」。ユダヤ教では、7週の祭り(シャブオット)大麦の初穂をささげる祭り。キリスト教では、聖霊降臨日。教会の創立記念日を意味します。

ペンテコステ記念礼拝を行うことは、その聖書に記されている出来事を知識として知る以上に、今、私たちが聖霊に満たされる経験をいただくことです。

イエスの約束を信じ、心を合わせて祈り待ち望んでいた120名ほどの人々の上に聖霊が降り、一同は聖霊に満たされます。その物音を聞いて集まって来た、7週の祭りに参加していた様々な地方の人々に、ペトロが説教をします。

「あなたがたが十字架につけたイエスはよみがえられた」と、イエスの十字架と復活について大胆に語ります。人々はそれを聞いて大いに心打たれます。ペトロは説教の後に人々を招きます。この聖霊に満たされる祝福は、神の招きに応える全ての者に与えられています。「悔い改めなさい」。神である主に「罪を赦していただきなさい」。そして、ひとりひとりが自らの信仰をもって「イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい」と勧めます。力強い聖霊の働きがあります。その日3千人ほどの人々がペトロの招きの言葉に応えて、罪を悔い改め、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けました。

 イエス・キリストの十字架を見上げ、自らの罪を認め、悔い改めて、神である主に罪の赦しをいただきなさい。そして、イエスを信じて洗礼(バプテスマ)を受けなさい。そうすれば、あなたも聖霊の賜物(聖霊に満たされる祝福)を受けます。聖霊はあなたに力を与えます。よみがえられたイエス・キリストと共に生きる者、主の復活の証人としてくださいます。

ペトロは「この邪悪な時代から救われなさい」と励まします。邪悪の時代とは、「淫行、汚れ、放蕩、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、嫉妬、怒り、利己心、分裂、分派、妬み、泥酔、馬鹿騒ぎ、その他このたぐいのものです。」(ガラテヤ5:19~21)これに対して、「(御)霊の結ぶ実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」(ガラテヤ5:22~23)イエスは私たちに息を吹きかけて言われます「聖霊を受けなさい」(ヨハネ20:22)


【ワーシップ】 栄光あらわしたまえ 作詞作曲 MARK ATRAUSS

1、 主よ満たし給え 主よ今触れたまえ 主の栄光あらわし 我らを用い給え

   強く聖霊の風で 深く心を満たし 広く天を開いて 栄光あらわし給え

2、 主の隠れ家で 主の愛に包まれ 主のみ顔を仰ぐ 栄光輝く時

        強く聖霊の風で 深く心を満たし 広く天を開いて 栄光あらわし給え

2022年5月29日   第51巻 22号                    

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 レビ記19:17~18

頌  栄 60

賛  美 208 イエスは愛で満たす

交 読 文 47 出エジプト記20章(864~865頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 324 主と主の言葉に

聖  書 出エジプト記20:12~21

メッセージ「あなたの隣人を愛せよ」        竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 382 心から願うのは

頌  栄 63

祝  祷                     竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告

(祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 次週の礼拝はペンテコステ記念礼拝となります。一同聖霊に満たされて、キリストの体の部分として、神の栄光を表す歩みを主からいただきましょう。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。


【説教要約】

「あなたの隣人を愛せよ」 出エジプト記20:12~21

神である主が、シナイ山でモーセと民に語られた「十戒」を読んでいます。10の戒めの数え方は、ユダヤ教、カトリック、プロテスタントでは異なりますが、4つは神と人との関係、6つは人と人との関係と区分し、前半は「あなたの神である主を愛しなさい」。後半は「隣人を自分のように愛しなさい」というイエスのおことばでまとめてみました。主がこの戒めをお与えになった目的は、「神への畏れをあなたがたの目の前に置き、あなたがたが罪を犯さないようにするためである。」(:20)とあります。そしてこれらは「あなたがたを試す」ものであると主は言われます。自らを良くチェック、吟味するのです。

1、「あなたは、私をおいて他に神々があってはならない」  

2、「あなたは自分のために彫像(偶像)を作ってはならない」    

3、「あなたは、神、主の名をみだりに唱えてはならない」

4、「安息日を覚えて、これを聖別しなさい」

5、「あなたの父と母を敬いなさい」 

6、「殺してはならない」

7、「姦淫してはならない」 

8、「盗んではならない」

9、「隣人について偽りの証言をしてはならない」      

10、「隣人の家を欲してはならない」

 第5の戒めは「あなたの父と母を敬いなさい」です。あなたは父と母を敬っていますか?この戒めを拒絶する様々な事情もあります。父と母とを赦せない、受け入れられないという人もいます。そのような人は、神に従いたい一心で、このように祈り、悔い改めるべきです。「主よ、私は父を母を敬えません。それが本心です。しかし、私の思いではなく、あなたのお心、お言葉に従います。今日、私は父を母を敬い、愛します」。隣人を愛する第一歩は「父母を敬う」ことです。主はあなたの告白と祈りに必ず答えて下さいます。

 第6の戒めは「殺してはならない」です。どのような事情があっても人は人を殺してはなりません。それは自分が殺されないためです。

*「目には目、歯には歯、命には命」に止めなさい。過失で人を殺した場合は「逃れの町」に逃れなさい。これは主の憐みの律法です。(申命記19章)

イエスは山の上の説教で、「殺してはならない」の戒めについて話しています。(マタイ5:21~26)。人は人を殺して人殺しになるのではない。「怒りの衝動」が前に出て、又「恨みが積み重なって」、人を殺すのだ。自らを省みる機会を持ち、あなたの内側を清めなさいと言われています。

律法は私たちに罪の自覚を与え、悔い改めに導く養育係です。本来の神に造られた人とは何でしょう。神を畏れ、神の前に清く生きる者です。

2022年5月22日   第51巻 21号

                     

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 申命記6:4~5

頌  栄 60

賛  美 166 威光・尊厳・栄誉

交 読 文 47 出エジプト記20章(864~865頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 41 み言葉をください

聖  書 出エジプト記20:1~17

メッセージ「あなたの神を愛せよ」         竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 337 愛する主よ わが君よ

頌  栄 63

祝  祷                                   竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告

(祈りの時 )

【消息・報告】

〇 本日は、会堂で集まっての礼拝を中止し、自宅礼拝となりました。次週29日(日)の礼拝は上下階での礼拝を再開します。尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。


【説教要約】

「あなたの神を愛せよ」 出エジプト記20:1~17 (十戒前半)

ホレブ山の前でイスラエルの民は皆、雷鳴がとどろき、稲妻が光り、角笛の音と山が煙る圧倒的な主の臨在を目の前にします。民は見て震えおののき、遠く離れて立ちます。主は、モーセに十戒を告げられます。

1、「あなたは、私をおいて他に神々があってはならない」  

2、「あなたは自分のために彫像(偶像)を作ってはならない」    

3、「あなたは、神、主の名をみだりに唱えてはならない」

4、「安息日を覚えて、これを聖別しなさい」

5、「あなたの父と母を敬いなさい」 6、「殺してはならない」

7、「姦淫してはならない」 8、「盗んではならない」

9、「隣人について偽りの証言をしてはならない」      

10、「隣人の家を欲してはならない」

これらを神である主がお与えになったのは、「神への畏れをあなたがたの目の前に置き、あなたがたが罪を犯さないようにするため」(:20)です。十の戒めの1~4は、神と人との関係、6~10は人と人との関係における戒めです。  

主イエスは、律法の中で一番大事な戒めは「十戒」ですとは言われないで、「心、魂、力を尽くして神を愛する」こと(申命記6:5)、「自分のように隣人を愛する」(レビ記19:18)こと、「この二つの戒めに律法全体と預言者がかかっている」と言われました。まさに、1~4は「神を愛する」、5~10は「隣人を愛する」戒めです。「愛は律法を全うするものです。」(ローマ13:10)

 主は私をエジプトの地、奴隷生活から導き出されました。これが神と私との関係です。私の救いと私の神は主のみです。他に神々があってはなりません。偶像を拝む者に対して主は「私は妬む神である」と言われます。この「妬む」という表現は、目を向けられ(無関心ではおられない)、強い結びつき・共にいることを求めておられる、そしてそれは人を、あなたを愛するがゆえに出ています。それ故に、私たちも愛をもって応答します。

 主は「安息日」を設け、私たちを招き、祝福し聖別して下さいます。神を愛する者は、主の招きの許に集まります。「わたしはあなたを愛するゆえに祝福します。」「あなたはわたしのものです。平安を得なさい。」ここに身を置く。主日(礼拝)とは、主の許にある私たちの魂の蘇生(息を吹き返す)、憩いの汀です。

イエスの十字架の縦木は神と人、横木は人と人との関係を表すと説明されます。その壊れた関係を正しく結び、回復するのが、イエスの十字架です。主イエスは血を流し、肉を裂き、心を裂いて、命をかけて、私たちの罪を赦してくださいました。罪を赦し汚れを清め、神と私、私と隣人を結んで下さるのです。

2022年5月15日   第51巻 20号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 アモス書4:12~13

頌  栄 60

賛  美 聖い御霊よ(ワーシップ)

交 読 文 8 詩篇24 (834~835頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 341 恐れなく近寄れ

聖  書 出エジプト記19:10~25

メッセージ「主に会う備えをせよ」         竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 379 主よわが罪と汚れをきよめ

頌  栄 63

祝  祷                    竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

新役員任命式

消息・報告

(祈りの時 )


【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断の上、出席してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 2022年度新役員の任命式を行いました。一年、立てられた新役員が、聖霊に満たされて主の働きを全うできます様にお祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。


【説教要約】

「主に会う備えをせよ」 出エジプト記19:10~25

イスラエルの民は、シナイ山の前に到着します。神である主は、この場所へ、「私のもとへあなたがたを連れて来た」と語っておられます。「荒れ野で祭り(礼拝)を行う」(出エジプト5:1)為にです。

1、準備せよ(:10~15)

イスラエルの人々は主にお会いする為に二日間(今日と明日)の準備をします。三日目に主がシナイ山に降り立たれます。イスラエルの民にはどんな準備が必要だったのでしょうか。自らを「聖別」することでした。

・主の前に襟を正す ・主を畏れる ・一心に主に目を注ぐ

2、圧倒的な恐るべき主の臨在(:16~25)

三日目の朝、雷鳴、稲妻、厚い雲が山の上に臨みます。主の来られる知らせを、角笛を鳴らして民に知らせます。山全体が煙に包まれ、主は火の中を通って、山の上に降り立たれます。煙は炉の煙のように立ち上り、山全体が激しく震えます。民は圧倒的な神である主の御臨在に震えおののきます。命を落とすことが無いように、打ち滅ぼされてしまわないように「山に境界を設け、聖別せよ」(:12、23)

3、主に会う備えをせよ

主に会う備えは「聖別」です。「聖別された者」だけが主の前に立つことができます。礼拝の本質は、主の臨在の前に立ち、主と会見する(お会いする)ことです。今、この礼拝で主の臨在の威光が、このシナイ山の様に顕されたら、どんなに恐ろしいことでしょう。しかし、やがて私たちは必ず、主の御前に顔を合わせて立つ時が来ます。(礼拝は既にそれを経験している場です。天の幕屋での礼拝の雛形です。)

 今、あなたの人生の終わりが来たなら、「あなたは主に会う備えができていますか。」ビリー・グラハムが、人々を神のもとに招く為によく使っていた言葉です。誰が、打ち滅ぼされずに主の御前に立つことができるでしょうか。知って下さい。「小羊イエスの血によって洗われた者」です。「御子イエスの血によって、あらゆる罪から清められます」(第一ヨハネ1:7)。

イエスの血によって洗われ、自らを聖別せよ。主に会う備えをせよ。


【ワーシップ】 「聖い御霊よ」 作詞作曲 岩淵亮

今 きよい御霊よ この私を満たして下さい 

主の御座から流れ この私をきよめて下さい

御霊にあふれ生きる 主の栄光仰いで

御霊にあふれ生きる 主のみわざ仰いで

2022年5月8日   第51巻 19号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 エフェソ1:20~23

頌  栄 60

賛  美 332 主はまことのぶどうの木

交 読 文 55 ヨハネ15章 詩篇24(871~872頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷         

賛  美 227 キリストの愛 我に迫れり

聖  書 第一コリント12:12~31

メッセージ「あなたがたはキリストの体」      竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 143 いとも尊き

頌  栄 63

祝  祷                     竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告

(祈りの時 )


【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 本日礼拝後、2022年度勝田台キリスト教会定期総会を行います。出席できない教会員の方は委任状を提出してください。総会の中では、新役員の任命式を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。


【説教要約】

「あなたがたはキリストの体」第一コリント12:12~31 

聖書協会共同訳聖書見出し 一つの体、多くの部分

「新年度はどのように教会は、主に喜ばれる取り組みをしていけばよいですか」と主に問う中で、今、私たちの所属する日本ホーリネス教団でも新しい任命制度の中であげていますし、勝田台キリスト教会でも長年のビジョンとしてあげて来ました「信徒主体の教会形成」に注目し、具体的に、実践的に取り組んでいこうと示されています。

本日は第一コリント12章を開いていますが、ここでパウロはわたしたち(教会)を「キリストの体」と表現しています。「キリストの体の部分として」教会に仕える、その祝福に耳を傾けたいと願っています。

1、キリストの体の部分として、永遠の命に結ばれた共同体

私たちが「キリストの体での部分」であるという恵みは大きなものです。それは第一に、主イエス・キリストに生命的に繋がっているという祝福がもたらされています。いつも、キリストの愛が、力が、そのお心が、その命が、聖霊によって(キリストの霊によって)私たちに流れ込んでいることを知ります。私たちはキリストから離れては何一つ、神に喜ばれる歩みも働きもできません。

2、キリストの体の部分として、共感する共同体

 体でいらない部分はひとつもない。一つが痛めば、全体が痛む。返って弱い部分、助けが必要としている部分こそが、かえって尊い者とされる。これはキリストの愛によって結ばれている共同体であることを私たちに教えます。

3、キリストの体の部分として、役割を担い合う共同体

 体はひとつですが、部分は多くあります。神は、その働きの為に、教会の中でいろいろな人をお立てになります。第一コリントでは、「使徒、預言者、教師、奇跡を行う者、癒しの賜物を持つ者、援助する者、管理する者、種々の異言を語る者などです」とその役割、賜物のリストを上げています。皆が同じ賜物をもっているのではありません。そして、「もっと大きな賜物を熱心に求めなさい。」と勧めています。

 勝田台キリスト教会では、どのような役割、又、賜物を与えられた者の働きがあるでしょうか。牧師、役員、会計、書記・総務、教会学校の教師、教会音楽の奉仕者、教会の備品の管理、礼拝の奉仕者、教会の建物美化係(清掃・お花)、それを考えると多くの働きと役割があります。ひとりひとりが賜物に応じて、「キリストの体の部分として」その奉仕・働きを担う。これが新年度の指針です。実践してみましょう。どのような奉仕に携わる時も「私はキリストの体の部分として、この奉仕を行います」としっかり祈って臨みましょう。

2022年5月1日   第51巻 18号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 第1ペトロ2:9~10

頌  栄 60

賛  美 静まって知れ(ワーシップ)

交 読 文 7 詩篇23(834頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷  

賛  美 256 御翼のもとに

聖  書 出エジプト記19:1~9

メッセージ「鷲の翼の上に乗せて」         竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 384 主よ御手もて

頌  栄 63

祝  祷                                   竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告

(祈りの時 )


【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 本日午後1時より役員会を行います。

〇 次週礼拝後、2022年度勝田台キリスト教会定期総会を行います。出席できない教会員の方は委任状を提出してください。総会の中では、新役員の任命式を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。


【説教要約】

「鷲の翼の上に乗せて」出エジプト記19:1~9 

聖書協会共同訳聖書見出し シナイ山に着く

 モーセとイスラエルの人々は、いよいよ神の山ホレブ(シナイ山)に到着します。以前に主がモーセと会見された場所、「聖なる土地」です。イスラエルの民は初めて、この山において圧倒的な主の臨在に近づきます。礼拝とは、神の御臨在、その御前に近づくことです。今、神である主のもとに、アブラハム、イサク、ヤコブに子孫の繁栄を約束されたとおり、200万人もの契約の民が主を礼拝し、仕える為にその御前(山の前)に集っています。

 主はモーセに語られます、「イスラエルの民に告げよ。『私はあなたがたを鷲の翼の上に乗せ、私のもとに連れて来た。』」詩的な愛に溢れたことばです。申命記29:4には、「私は40年の間、荒れ野であなたがたを導いたが、あなたがたの着ている服は擦り切れず、足の履物も擦り減らなかった」とあります。40年間、荒れ野で履物が擦り減らないことがあるのだろうか…と思わされますが、「鷲の翼の上に乗せて」の表現に通じるところがあります。荒野は民にとって実際、過酷な道のりだったでしょう。私たちの人生も、世界も時に過酷です。しかし、主に従って歩いてきた道のりを振り返る時、その過酷な道のりも、主が「鷲の翼の上に乗せて」私をここまで導いて来て下さいました、と心から言うことが出来るのです。それが主に従う人生であり、道のりなのです。

*「足跡」マーガレット・パワーズの詩

 主はあなたに「私の声に聞き従い、私の契約を守りなさい」と言われます。「そうするならば、あなたがたは『私の宝』『祭司の王国』『聖なる国民』となる」と言われます。「それは闇の中から驚くべき光の中へと招き入れて下さった方の力ある顕現を、あなたがたが広く伝える者となる。」(Ⅰペトロ2:9)新しい人に変えられることです。


【ワーシップ】 「静まって知れ」 Darlene Zschech

1、 御翼の陰に隠し 力ある御腕の中に

逆巻く大海を越え 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

2、 キリストの中に憩い 信頼と主の力知る

いかずち鳴り渡る中 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る


★ 2022年度 勝田台キリスト教会 定期総会の掲示 ★

5月8日(日)礼拝後、2022年度教会総会を行います。出席できない教会員の方は委任状を提出して下さい。

2022年4月24日   第51巻 17号

礼 拝 順 序              

前  奏

招  詞 フィリピ4:6~7

頌  栄 60

賛  美 170 マジェスティ

交 読 文 5 詩篇19(832∼833頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 316 御言葉なる

聖  書 出エジプト記18:7~12

メッセージ「いかなる神よりも偉大な主」      竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 35  告げよ主に

頌  栄 63

祝  祷                    竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告

(祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 本日午後1時半より教区総会がZOOMで行われます。新しい年度の千葉教区の働きが祝福されます様にお祈り下さい。教会から牧師・代表者1名が参加しますが、オブザーバーでの参加も可能です。

〇 次週午後1時より役員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。


【説教要約】

「いかなる神よりも偉大な主」 

出エジプト記18:7~12(出エジプト18章全体から)

聖書協会共同訳聖書見出し エトロの来訪

1、二人の息子の名による二つの告白(:1~7)

モーセのしゅうとエトロは、モーセの妻ツィポラと、モーセの二人の息子と共に、神の山ホレブの近くに宿営するモーセの許を訪ねます。モーセの二人の息子の名が記されています。ゲルショム「私は異国の地で寄留者となった」と、エリエゼル「私の父の神はわたしの助け、ファラオの剣から救われた」。二人の息子の名は、イスラエルとモーセの現状を示しています。それは私たちキリスト者も同じです。私たちは寄留者であり、私たちの目的地は天にある故郷であること、そして、私たちにとって、主が私の神、私の助け、救いであるからです。

2、エトロが主をほめたたえる(:8~12)

 モーセはしゅうとのエトロに「主がイスラエルになさったあらゆる恵みの業、すなわちエジプトから救い出されたこと」を語ります。それはモーセにとっての「救いの証詞」です。それを聞いて、異邦人の祭司であるエトロがイスラエルの神である主をたたえます。救いの証詞は、私にとって主は私を救う力ある神であることを、主を知らぬ周りの人々に知らせるものです。私を罪の中から救い出し、暗闇から光へ、死から命へ、悪魔の支配から神の支配へと贖い出して下さった偉大な力ある主・私たちの主イエス・キリストを語ります。

3、エトロの進言(:13~27)

私たちはエトロの進言に、ひとつの共同体の形を見ます。それはとても有益な学びです。勝田台キリスト教会では、「家の教会」を行ってまいりましたが、立てられたリーダーを中心に、小さい共同体の中で、様々な互いの課題をシェアし、祈り、主の前に解決していただきました。大きな共同体でも、小さな共同体でも、大事なのは何でしょうか。それは、「神に尋ね求めるために」ということではないでしょうか。週ごとに私たちは礼拝で、聖書からメッセージを聞きます。安息をいただき、祝福と聖別、そして派遣される為にです。自分の行くべき道を、なすべき行いを、主からの掟と戒めを、聞き、進み、なしていくのです。あなたの問題、隣人の問題を「神に尋ね求め」、みことばによって主のお答えをいただいて、ここから出発しましょう。

★ 2022年度 勝田台キリスト教会 定期総会の掲示 ★

5月8日(日)礼拝後、2022年度教会総会を行います。出席できない教会員の方は委任状を提出して下さい。

2022年4月17日   第51巻 16号                    

イースター礼拝・召天者記念礼拝順序    

前  奏

招  詞 ヨハネ20:26~29

頌  栄 60

賛  美 よみがえりの主(ワーシップ)

交 読 文 58 第一コリント15章(874∼875頁)

公同祈祷                   

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 128 イースターの朝には

聖  書 ルカ24:1~12

メッセージ「墓を訪れた女たち」  竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 126 地よ声高く

頌  栄 63

祝  祷             竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告

(祈りの時 )

【消息・報告】

〇 イースターおめでとうございます!主イエスの復活を心からお祝い申し上げます。お祝いに教会からイースターチョコエッグをお渡しします。

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断してください。動画礼拝も並行して行ってまいります。尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 本日は召天者記念礼拝でした。御国の先達者達を偲びましょう。礼拝後、墓地に移動し、納骨式と墓前集会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。


【説教要約】

「墓を訪れた女たち」 ルカ24:1~12

本日はイースター礼拝と共に、召天者記念礼拝を行います。イエスへの信仰を抱いて召されていった教会の兄弟姉妹たち。将来の再臨の日、主はイエスを愛する者たちの名前を呼んで、よみがえりを彼らに与えて下さいます。ハレルヤ!

 イエスが十字架で死なれて葬られてから三日目の朝早く、イエスに従って来た女たちが墓に赴きます。残酷で悲惨な十字架の出来事は、イエスを「先生」と愛し慕って来た彼女たちにとってどんなに大きな悲しみ、喪失感だったでしょう。はかり知ることができません。彼女たちがイエスが納められた墓に到着しますと、予期せぬ出来事が起こっています。墓を閉じていた大きな石が転がしてあり、墓の中にはイエスの遺体は見当たりません。彼女たちはただ途方に暮れています。墓は開き、イエスのお身体はない。誰かが奪っていった。「途方に暮れた」とありますが、目の前は真っ暗になったことでしょう。

 墓の前で、望みが断たれ、尚、闇に突き落とされた様な出来事の中で、私たちは福音を聞くのです。二人のみ使いが彼女たちのそばに立ちます。

「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」「思い出しなさい。イエスが話しておられたことを」。

イエスが三度も予告されていた、ご自身の苦難と死と復活のことばを彼女たちは思い出します。彼女たちの心に、驚きと共に光が差し込みます。急いで弟子たちのところへ行って一部始終を伝えます。

 しかし、聖書は「彼らは信じなかった」と、イエスの復活の知らせを聞く人々の様子を語っています。そのような信じない彼らにイエスは何度も何度も、よみがえられたお身体を現されます。信じない頑なな私たちにイエスはご愛と顕現をもって言われます。「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」


【ワーシップ】 よみがえりの主  Reuben Morgan

1、 弱い者には強いと言わせ 貧しい者でも豊かにされる主

暗き者にはともしび与え それが主イエスの為されるみわさ

(おりかえし)

ホザナ ホザナ 神の小羊  ホザナ ホザナ よみがえりの主

2、 命の川で罪清められ 愛とあわれみ天から注ぐ

救いの歌をイエスに捧げる 主はその御手で自由にされた

(おりかえし)


★ 2022年度 勝田台キリスト教会 定期総会の掲示 ★

5月8日(日)礼拝後、2022年度教会総会を行います。出席できない教会員の方は委任状を提出して下さい。

2022年4月10日   第51巻 15号                     

礼  拝 順 序             

招  詞 イザヤ53:11~12

頌  栄 60

賛  美 十字架の贖い

交 読 文 6 詩篇22篇(833∼834頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 110 都の外なる

聖  書 ルカ23:32~43

メッセージ「罪人の一人に数えられたイエス」   竹田広志牧師

祈  祷

聖 餐 式 49 しみも咎も

賛  美 112 カルバリ山の十字架

頌  栄 63

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告

(祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断ください。動画礼拝も並行して行ってまいります。尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 次週日曜日はイースター礼拝、墓前集会を行います。主の復活を心からお祝いし、召天された兄弟姉妹を偲びましょう。教会からささやかですが、イースターチョコエッグを差し上げます。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

 

【説教要約】

「罪人の一人に数えられたイエス」 ルカ23:32~43

 本日から受難週が始まります。主の十字架の苦しみは、私の罪の赦しの為である。そのご愛を深く受け止めましょう。

 イエスが十字架につけられた時、他に二人の犯罪人も引かれて行きました。イエスを真ん中に、一人は右に一人は左に十字架につけられました。十字架はローマの極刑ですので、二人はこれまで相当な罪の中を歩んできたことでしょう。犯罪人の間に、罪のないイエスがおられます。十字架にかかられる前に、イエスは「『彼は犯罪人の一人に数えられた』と書いてあることは、私の身に必ず実現する」(ルカ22:37)と、イザヤ書53:12から語っておられます。

 イエスは、ご自身がこの世に来られた目的を、「罪人を招いて、悔い改めさせるためである」(ルカ5:32)と言われ、収税人や罪人と食事を共にされました。イエスは罪人の友となられたお方です。ゴルゴダの丘の三本の十字架はそれを私たちに示しています。

 犯罪人の一人は民衆と一緒になってイエスを罵りますが、もう一人の犯罪人は、自分の罪を認め、イエスに願います、「イエスよ、あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください」。イエスはそれをどんな思いでお聞きになられたでしょう。彼に向かって、「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園(パラダイス)にいる」言われます。罪の赦しと御国を与えるイエス。この為に、イエスは十字架で死なれたのです。

【ワーシップ】

「十字架のあがない」 作詞作曲 中山有太

キリストの血によって回復が与えられ 主との壁取り壊された

キリストの愛からは引き離すものはない 大胆に恵みの御座へ

(おりかえし)

十字架の贖い我が罪のための 惜しまずささげた 子羊主イエス

★ イースター礼拝・墓前集会のご案内 ★

4月17日(日)イースター礼拝と共に召天者記念礼拝を行います。礼拝に召天された方の写真をお持ちいただければ幸いです。礼拝後、教会墓地に移動し墓前集会を行います。墓前集会時間・12:30~13:00

★ 2022年度 勝田台キリスト教会 定期総会の掲示 ★

5月8日(日)礼拝後、2022年度教会総会を行います。出席できない教会員の方は委任状を提出して下さい。

2022年4月3日   第51巻 14号                   

礼  拝 順 序             

前  奏

招  詞 エフェソ6:18

頌  栄 60

賛  美 170 マジェスティ

交 読 文 4 詩篇18篇(830∼832頁)

公同祈祷                    

信仰告白 使徒信条

献  金 57

奉献祈祷          

賛  美 455 み民よ戦え

聖  書 出エジプト記17:8~16

メッセージ「祈りの手を上げ続けよ」  竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 196 祈れ物事

頌  栄 63

祝  祷               竹田広志牧師

後  奏 59 Ⅴ

消息・報告

(祈りの時 )

【消息・報告】

〇 礼拝出席はコロナ感染予防をしっかりお取りください。又、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断ください。動画礼拝も並行して行ってまいります。尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 次週日曜日は棕櫚の主日です。受難週が始まります。主の十字架の御苦しみを覚えましょう。

〇 本日午後1時より役員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【説教要約】

「祈りの手を上げ続けよ」出エジプト記17:8~16

神の杖

それは神の権威の象徴です。祈りの手を上げるその手にある杖は、その願いを聞いて頂く為の保証書です。今日私たちが、神の杖を手に持って祈りの手を上げるのは、「キリストの御名によって」祈ることではないでしょうか。どんな権威にも優って、キリストの御名には力があります。

アロンとフル

彼らは共に祈りをもって支える聖徒です。イエスは、マタイ18:19~20で、「どんな願い事でも、私の名によって、二人、又は三人が地上で心を合わせるなら、私の父はどんな願い事もかなえて下さる」と言われています。教会で共に心を合わせて祈ることは、どんなに力強く、大きな恵みでしょう。

霊的な戦い(麓の戦いと、丘の上の戦い)

全ての目に見える敵・壁・困難・試練・誘惑との戦いは、目に見えない場所の戦いによって決まります。それが霊的な戦いです。実際に戦っているのは、ヨシュアと招集された男たちです。彼らも一生懸命に戦っているのです。しかし、同時にその背後に、モーセが祈りの手を上げているのを見ます。勝利するまで祈りの手を下してはならないのです。肉体は疲れを覚え、弱い者です。それゆえに、片方をアロンが、片方をフルが支えます。祈りこそが勝利の要なのです。

自分の力や、人の力を頼って成功し、勝利することもあるかも知れません。しかし、神の目に適う勝利は、神である主への祈りなしには決してありません。信仰者の戦いの勝敗は、祈りによって決まります。サタン(悪魔)の勝利は、私たちが祈りの手を下した時からはじまります。

ウクライナの為に手を上げて

「立って、夜回りの始まる時に叫べ。主の前で、心を水のように注ぎ出せ。幼子たちの命のために、主に向かって両手を上げよ。彼らは街角の至るところで、飢えで弱り果てている」哀歌2:19

戦争の悲惨は、全ての人の命がですが、子供たちの命が失われることに表されます。子供の命は決して失われてはならない、私たちの未来そのものです。

 

★ イースター礼拝・墓前集会のご案内 ★

4月17日(日)イースター礼拝と共に召天者記念礼拝を行います。礼拝に召天された方の写真をお持ち下されば幸いです。礼拝後、教会墓地に移動し墓前集会を行います。墓前集会時間・12:30~13:00

二〇二二年三月二七日 第五一巻 一三号

礼  拝 順 序  

前  奏 三四三 罪に満てる世界

招  詞 第一コリント一〇・一~四

頌  栄 六〇 

賛  美 命の水

交 読 文 三 詩篇一六(八三〇頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 四三三 天つ真清水

聖  書 出エジプト記一七・一~七

メッセージ「目の前の岩は裂けて水湧く」    竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 三四〇 救い主イエスと 

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

(祈りの時 四八四 主が私の手を)


【説教要約】

「目の前の岩は裂けて水湧く」 出エジプト記一七・一~七

出エジプト記一七章

イスラエルの人々は、シンの荒野を出発し、レフィデムに到着します。しかし、再びその場所も飲み水がなく、民は「飲み水をください」とモーセに不平を言います。今回は、民はモーセと言い争いになり、石で打ち殺そうとする勢いです。

主はモーセに、イスラエルの長老たちの前で、主が示される「ホレブの岩」をかつてナイル川を打った「杖で打ちなさい」と命じます。モーセが彼らの目の前で岩を打つと、水が噴き出します。モーセは民が自分と言い争い、主を試したその場所をマサ(試しの意味)、メリバ(争いの意味)と名付けます。

民数記二〇章

荒野の旅路を続けて四〇年後、民数記二〇章に、同様のメリバの記事があります。モーセとアロンは「私たちがあなたがたの為に、この岩から(また)水を出さなければならないのか」と怒って、杖で岩を二度打ちます。彼らのこの言葉と行動は、主の声に忠実に従うものではありませんでした。主は「杖をもって岩に命じよ」と言われたのです。人間的にはこの一度の失敗の故ですかと思う程ですが、モーセとアロンはこの失敗で約束の地カナンに入ることができなくなります。私たちの神である主は「聖」です。

第一コリント一〇章

 パウロはコリント人への手紙で、「この岩こそキリストだったのです」と霊的解釈を述べています。キリストが十字架の上で釘を打たれ、槍で刺し通されて流れ出たその血を思い描いていたのでしょう。荒れ野で岩から出た水を飲んだ民も死にました。「目の前の岩は裂けて水湧く」。イエスの与える水は、永遠の命に至る水(ヨハネ四・一四)です。

【ワーシップ】

「命の水」作詞作曲 田中満矢

ここに命の水があふれ流れる 

罪も汚れも洗いきよめられる

飢え渇く者全て満たされていく

命なき者全て花を咲かす

全てが生きる その水は癒し 

全てが生きる その水は命 

全てが生きる その水は満たし わたしは生きる

あなたが源(みなもと) 我が命 力 とこしえに

あなたが源 あふれ流れ川となる

決して変わらない命の泉 信じる者皆生き返る

決して揺るがない命の泉 全て麗しく生き返る

【消息・報告】

〇 本日から会堂に集まり、上下階に分かれての礼拝を再開しています。コロナ感染予防をしっかり取りながらご出席ください。礼拝出席は、体調、家族・仕事など各自の状況を良く考えて自己判断ください。動画礼拝も並行して行ってまいります。尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 ロシアとウクライナの戦争が終結し、平和的な解決を得ますように祈りましょう。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【イースター礼拝・墓前集会のご案内】

四月一七日(日)イースター礼拝と共に召天者記念礼拝を行います。礼拝に召天された方の写真をお持ち下されば幸いです。礼拝後、教会墓地に移動し墓前集会を行います。

墓前集会時間・一二時半~一三時。

二〇二二年三月二〇日 第五一巻 一二号

礼  拝 順 序  

前  奏 

招  詞 ヨハネ六・四七~五一

頌  栄 六〇 

賛  美 四七七 原に若草が

交 読 文 二 詩篇八(八二九~八三〇頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 三七 主よ命の言葉を

聖  書 出エジプト一六・一~五、二五~三六

メッセージ「天からのパン、マナ」 竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 三四七 汚れしこの世の 

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

(祈りの時  )

 

【説教要約】

「天からのパン、マナ」 出エジプト一六・一~五、二五~三六

 荒れ野に導かれたイスラエルの人々は再びモーセとアロンに「不平」を言います。先週は「水」」についてでしたが、今度は「食べ物」についてです。どうして主に信頼し、求めずに「不平」を漏らすのでしょうか。

 主は、忍耐をもってイスラエルの民の「不平」を聞かれます。そして、「夕方には肉を食べ、朝には満ち足りるほどパンを与える」と仰せの通り、夕方にはうずらの大群が宿営に押し寄せ、朝には不思議な霜が地を覆います。人々は言います「これは何だろう(マナ)」。モーセは答えます「これは、主があなたがたに食物として与えられたパンである」(・一五)。

 主はモーセに大切な戒めを与えられます。パンは一日一人分1オメル(2.2ℓ)だけ集め、翌朝まで残しておいてはならない。六日目には二日分集め、七日目は休まなければならない。その日は主の聖なる安息日である。

 しかし、何と言う事でしょう。マナをたくさん集めて翌朝まで残していた人々がいました。全て腐っていました。又、七日目に外に出てマナを集めに出掛けた人々がいました。

どこまでも人は自己中心であり、欲に流される者であることを知ります。どうして主の声、戒めに従わず、指導者モーセの言う言葉に聞き従わないのでしょうか。「不平・不満・つぶやき」と共に「不従順」なイスラエルの罪のパン種が、私たちの内にも膨らまないように、そのように願うばかりです。

 イスラエルの民は荒野で四〇年間、カナンに入るまで毎日この「マナ」を食べます。神の養い無しに生きることはできないことをイスラエルは経験したでしょう。神の民はまさにそうです。神の養い無しには生きることはできません。

 ヨハネによる福音書六章を読んで下さい。荒れ野でマナを食べた先祖たちも死にました。しかし、イエスは言われます「私は天から降って来た生けるパンである。」「このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。」「私は命のパンである。」日々、イエスのもとに行き、イエスを信じる者は飢える事も渇く事もありません。

【消息・報告】

〇 千葉県に蔓延防止措置が取られて、明日三月二一日(月)迄延期されています。明日蔓延防止措置が解除されましたら、来週三月二七日から礼拝を再開します。礼拝は上下階に分かれて一〇時から行います。蔓延防止措置が更に延期されましたら、各自で自宅礼拝を「目の前に主を置いて」真摯に行ってください。尚、続いて感染の収束、医療事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 ロシアとウクライナの戦争が終結し、平和的な解決を得ますように祈りましょう。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

イースター礼拝・墓前集会のご案内

四月一七日(日)イースター礼拝と共に召天

者記念礼拝を行います。礼拝に召天された方

の写真をお持ち下されば幸いです。礼拝後、

教会墓地に移動し墓前集会を行います。

墓前集会時間・一二時半~一三時。

二〇二二年三月一三日 第五一巻 一一号

礼  拝 順 序  

前  奏 

招  詞 ホセア六・一~三

頌  栄 六〇 

賛  美 み腕に抱いて

交 読 文 一 詩篇一(八二九頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 二一一 天なる喜び

聖  書 出エジプト一五・二二~二七

メッセージ「主はあなたを癒す者」 竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 四五一 カルバリ山より 

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

(祈りの時  ) 


【説教要約】「主はあなたを癒す者」 

出エジプト一五・二二~二七

三月二日(水)から受難節がスタートしています。本日の聖書箇所からイスラエルの民は本格的に荒野への出発となります。

紅海で大いなる主の御業を見、主を畏れ、主とその僕モーセを信じたイスラエルの民でありました。しかしわずかに三日後に、危機が訪れます。「飲み水が見つからない」という危機です。荒野では「水源」は生命線です。主は水のない場所へ導かれたのでしょうか。

 「飲み水が見つからない」中、マラ(苦い)でようやく水場を見つけます。しかし、その水は苦くて飲めないものでした。イスラエルの民はモーセに向かって「何を飲んだら良いのですか」と不平を漏らします。賛美は三日で不平に変わります。

 モーセは主に祈り、主はモーセに一本の木を示され、モーセは苦い水場に木を投げ入れます。「苦い水」は「甘い水」に変わり、イスラエルの民は水を飲むことが出来ました。

 「まことに私は主、あなたを癒す者である」(・二六)。主は癒し主です。

 「苦い水」を「甘い水」に変えてくださる主の癒しは完全で、肉体的、精神的、社会的、霊的、あらゆる面において癒し、回復を与えて下さいます。今も変わることがありません。

 この後、民はエリムへ進みます。エリムには泉が一二、なつめやしが七〇本あり、彼らはその水のほとりに宿営します。あと少し進んでこの場所に到着していたことがわかります。

 主の戒めを守る道は、いかに麗しいことでしょう。主はあなたを癒すお方です。


【ワーシップ】 

「み腕に抱いて」作詞作曲 中山有太

(おりかえし)

いま主よ わたしの心に触れて 

あなたのみ腕に 抱いてください 

すべてのつかれた人よ、おもに悩み負う人よ

イエスの前に出て行こう、全てを今手離そう

あなたの愛に飛び込みます

かならず受け止めてくれるから

あなたの腕に飛び込みます

かならず受け止めてくれるから

【消息・報告】

〇 コロナ感染の急激な拡大により、千葉県に蔓延防止措置が取られて、この措置が三月二一日(月)迄延期されました。現在の第6波が収束に向かう迄、会堂に集まっての礼拝を中止致します。再開の時には教会からご連絡致します。各自が自宅礼拝を「目の前に主を置いて」真摯に行ってください。尚、続いて感染の収束、医療事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 ロシアとウクライナの戦争が終結し、平和的な解決を得ますように祈りましょう。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二二年三月六日 第五一巻 一〇号

礼  拝 順 序  

前  奏 三〇五 主はわが飼い主なれば

招  詞 詩篇五一・一二~一四

頌  栄 六〇 

賛  美 

交 読 文 二九 詩篇九五(八五二頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 五 み使いよ伏して

聖  書 出エジプト一五・一~二一

メッセージ「救いの喜びをもって、主に向かって歌え」 竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 三二五 歌いつつ歩まん 

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

(祈りの時 二二一 ああ主の瞳 ) 


【説教要約】

「救いの喜びをもって、主に向かって歌え」 出エジプト一五・一~二一 

 「救いの喜び」は、神である主と、救いを受けた私たちとの生命線です。「救いの喜び」がなければ、主に向かって心からの賛美をささげることはできません。聖霊に満たされた人の確かなしるしは、「喜び」です。

 小羊の血によって、又、分けられた紅海、水の中を通って、エジプトの奴隷生活から救われたイスラエル。モーセは主に向かって賛美し、その歌をもって姉ミリアムはイスラエルの女性たちと共に、タンバリンと踊りをもって民の前で主をほめたたえます。

 「主に向かって歌おう。

  なんと偉大で、高くあられる方。

  主は馬と乗り手を海に投げ込まれた。」

モーセはイスラエルを救い出された神である主をこのようにほめたたえています。

一、主は戦人(・三)。力強い御手をもって、主はご自身の民の為に戦われた。私たちの神は万軍の主、戦いに猛き力ある神。エジプトの王ファラオも、エジプトの精鋭の戦車も、主の前には何の力もありません。

二、主は贖(あがな)う 「あなたは贖われた民を・・」(・一三)、「買い取られたこの民・・」(・一六)。「贖い」という言葉は、罪ある者が賠償をもって無罪とされる、又は、奴隷に代償金が支払われて解放されることを意味します。「償い」の類義語です。イスラエルの解放のために支払われた代価とは何でしょうか。小羊の血(命)です。

三、聖なる主 「あなたのように聖であって栄光に輝き」(・一一)。主は「聖」なるお方です。偉大、いと高きお方、あなたに並ぶものは誰一人、何一つありません。ほめたたえられるべきお方は、「聖」なる主、神お一人です。

全ての人は、罪、死、闇、滅びの縄目の中にあります。世界のこれらの悲惨から私を救うことのできるお方は、主のみです。主の名を呼び求める者は皆、救われます。

「救いの喜びを返し、導きの霊で私を支えてください」詩篇五一・一四

【ワーシップ】 

「我らの主に向かって」 作詞作曲 Wayne Cordeiro

我らの主に向かって 新しい歌を歌おう

喜びの声をあげよ 主は我らの勝利

我らの主に向かって 新しい歌を歌おう

喜びの声をあげよ 主はたよれるお方

*イエスは主 イエスは主

この賛美もって主をほめたたえよう (×2)

【消息・報告】

〇 コロナ感染の急激な拡大により、千葉県に蔓延防止措置が取られて、この措置が三月六日(本日)迄延期されました。現在の第6波が収束に向かう迄、会堂に集まっての礼拝を中止致します。再開の時には教会からご連絡致します。各自が自宅礼拝を「目の前に主を置いて」真摯に行ってください。尚、続いて感染の収束、医療事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 ロシアとウクライナの戦争が終結し、平和的な解決を得ますように祈りましょう。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二二年二月二七日 第五一巻 九号

礼  拝 順 序  

前  奏 四〇三 何処までも

招  詞 ヨハネ三・五

頌  栄 六〇 

賛  美 夜も昼も

交 読 文 六〇 黙示録二一(八七七頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 三三八 山行くも海行くも

聖  書 出エジプト一四・五~三一

メッセージ「分かれた海の中を通って」 竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 一九 救いを成したもう

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

(祈りの時 三一六 御言葉なる ) 


【説教要約】

「分かれた海の中を通って」 出エジプト一四・五~三一

「主があなたがたのために戦われる。あなたがたは静かにしていなさい」(・一四)

 ファラオは心変わりし、全軍団を率いてイスラエルの人々を追います。そして夜中、紅海の傍らに宿営しているイスラエルに追いつきます。右記は、その時にモーセが民に告げた言葉です。主が私たちの為に戦ってくださるとは何と幸いな事でしょう。どのような敵も万軍の主に立ち向かえる者はいません。このお方が味方であるなら、誰が私たちに敵することができるでしょうか。大事なのは、主に任せ、委ねること、慌てふためいたり、狼狽えたり、じたばたしないことです。私たちには、お任せできるお方がおられます。

 主はモーセに言われます。「あなたは自分の杖を上げ、海に向かって手を伸ばし、海を二つに分けなさい。」右と左に東風によって分けられた海の乾いた地をイスラエルの人々は渡ります。民の先頭に立って主の臨在を表す「火と雲の柱」がエジプトとイスラエルの間に移動し、エジプトの軍勢が進むことのできない間に、イスラエルの人々は海を渡ります。

明け方、エジプトの大軍勢が分けられた海の中に突入して追って来ます。主はモーセに言われます「海に向かって手を伸ばしなさい。」右と左に分かれていた海の水がエジプトの軍隊を吞み込みます。主はこの日、イスラエルをエジプトの手から救い出されました。

 血と水によって

 旧約聖書は新約聖書の預言であり、雛形です。確かに歴史の中で、イスラエルは小羊の血によって、エジプトの奴隷生活から救われたのです。小羊の血による以外に救いはありません。そして確かに、海(水)の中を通ってイスラエルの民は救われたのです。「もはやとこしえに(エジプト人を)見ることはない」(・一三)。エジプトとの完全な決別は、水の中を通って実現します。

 洗礼(バプテスマ)は、古い自分、古い生活に死んで、新しい命によみがえることを意味しています。それは、エジプトでの奴隷生活、罪の奴隷生活との決別です。「信じて洗礼(バプテスマ)を受ける者は救われます」(マルコ一六・一六)。 

【ワーシップ】 

「夜も昼も」   作詞作曲 Rebecca Hwang

我が希望の主 主を見上げます

また来る我が王イエス 主を待ち望む

夜も昼も 昨日も今日も とわに主をたたえ

つらい時も 倒れる時でも 

いつも主をほめ歌う

【消息・報告】

〇 コロナ感染急激な拡大により、千葉県に蔓延防止措置が取られて、蔓延防止措置が三月六日迄延期されました。現在の第6波が収束に向かう迄、会堂に集まっての礼拝を中止致します。再開の時には教会からご連絡致します。各自が自宅礼拝を「目の前に主を置いて」真摯に行ってください。尚、続いて感染の収束、医療事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 本日午後一時から役員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二二年二月二〇日 第五一巻 八号

礼  拝 順 序  

前  奏 

招  詞 ヨハネ八・一二

頌  栄 六〇 

賛  美 夜も昼も

交 読 文 五九 第一ヨハネ四

(八七六~八七七頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 二〇四 わが友にます

聖  書 出エジプト記一三・一七~一四・四

メッセージ「雲の柱、火の柱」 竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 三〇九 荒野を旅する 

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

(祈りの時 )

 

【説教要約】

「雲の柱、火の柱」 エジプト記一三・一~一七~一四・四

 最初の経路(・一七~二二)

イスラエルの人々は、神である主の約束の地カナンへ向かいます。地中海沿いに東へ向かえばシュルの荒野を通過して最短の距離となります。しかし「神は考えた」(・一七)とあります。カナンへの最短の道はペリシテ人の地を通ることになり、民が戦いを目前にして後悔し、エジプトに戻るかも知れない。それ故に民をラメセスから南下してスコトへ向かわせ、スコトから更に紅海を右にしてシナイ半島のエタムの荒野に向かい宿営させます。

 ヨセフの骨を携えてカナンへ

創世記五〇・二四~二六に、これは神の約束であり、ヨセフの遺言であるとあります。そして、ヨシュア記二四・三二、カナン征服後に、カナンの地でのヨセフの骨は埋葬されます。アブラハム、イサク、ヤコブ、そしてヨセフも神の約束の地、カナンに埋葬されます。神の約束は時を経ても必ず実現します。

 昼は雲の柱、夜は火の柱

二〇〇万もの大集団をどのように主は導かれたでしょうか。「主は彼らの先を歩まれ、昼も夜も歩めるよう、昼は雲の柱によって彼らを導き、夜は火の柱によって彼らを照らされた。昼は雲の柱、夜は火の柱が民の前を離れることはなかった」(・二一~二二)

主の臨在(雲の柱・火の柱)が民の先を歩まれ、導き、照らし、離れなかったことを覚えましょう。この出エジプト記の最後四〇・三四~三八にこのようにまとめられています。

次の経路(一四・一~二)

主はモーセに告げ、道を引き返させます。エタムの荒野から北上してスコトに戻り、紅海を左回りに迂回して南下し、ピ・ハヒロトの海辺(一四・九)すなわち、紅海を背にして宿営します。まるで、「彼らはその地で迷い、荒野に閉じ込められた」と思われる経路です。紅海を背にした、逃げ道のない場所で、主は栄光を現わされます。

キリストに従う私たちの生涯は主イエスの臨在が先を歩まれ、導き、照らし、離れないことを覚えましょう。「私は世の光である。私を信じる者は決して闇のうちを歩むことがなく、命の光を持つであろう」(ヨハネ八・一二)

【ワーシップ】

「夜も昼も」   作詞作曲 Rebecca Hwang

我が希望の主 主を見上げます

また来る我が王イエス 主を待ち望む

夜も昼も 昨日も今日も とわに主をたたえ

つらい時も 倒れる時でも 

いつも主をほめ歌う

【消息・報告】

〇 コロナ感染急激な拡大により、千葉県に蔓延防止措置が取られて、蔓延防止措置が三月六日迄延期されました。現在の第6波が収束に向かう迄、会堂に集まっての礼拝を中止致します。再開の時には教会からご連絡致します。各自が自宅礼拝を「目の前に主を置いて」真摯に行ってください。尚、続いて感染の収束、医療事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

○ 次週午後一時から役員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います

二〇二二年二月一三日 第五一巻 七号

礼  拝 順 序  

前  奏 

招  詞 ヨハネ三・一六

頌  栄 六〇 

賛  美 一六八 ハレルヤと歌え

交 読 文 五七 第一コリント一三

(八七三~八七四頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 九一 それ神はその独り子を

聖  書 出エジプト記一三・一~一六

メッセージ「初子を主にささげよ」    竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 三一七 わが友 主イエスは  

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

(祈りの時 )

 

【説教要約】

「初子を主にささげよ」    出エジプト記一三・一~一六

 出エジプトは、イスラエルの歴史の中で最も大きな出来事の一つです。神であられる主の他に神はいないことを知る時であり、その全能の偉大な力と憐みを、後世の子孫に語るべきものであったのがわかります。「過越しの祭」「除酵祭」という形でこれを覚え、この祭りを行い、それが彼らの希望となり、神への信頼になっていきました。

再び「除酵祭」について(・三~一〇)

七日間の主の祭りです。出エジプトを覚えて、七日間種無しパンを食べます。種入りのパンはイスラエルのどの領地にもあってはなりません。徹底的にパン種は全イスラエルの内から取り除かれなければなりません。

 『これは、私がエジプトを出るとき、主が私にしてくださったことによるのだ』(・八)この言葉を自分の手に付け、額に付けます。手に付けるのは、常に自分が目にする為、額に付けるのは、常に他者が目にする為にです。いずれも、それは、主の律法を口にするためであり、主が力強い手によって、導き出された事を覚えるためです。「私が」と一人称単数です。単に歴史を語るなら「私たちは」「私たちイスラエルは」となるものですが、これは誰か昔の人がでなく、一人一人が自らの経験として告白する表現です。

初子をささげる(・二、一一~一六)

主はモーセに告げられます。「すべての初子を聖別して献げなさい」。それはエジプト全土の初子を主が打たれたからです。「初子を主にささげる」。それは自分の最も大事なものを主にささげるという意味であり、これは私たちの神である主に対する全き献身の告白です。(*創世記二二・一~一九 アブラハムがイサクを献げる。)初子を主にささげる身代わりに、贖いの小羊をささげます。それは全焼のいけにえであり、神に自らの全てをささげる燔祭、献身の証詞です。(ローマ一二・一)⦅*イエスについても「初子は主のために聖別される」という律法に従って両親がいけにえを献げています。(ルカ二・二二~二四)⦆

今、私たちはこの「初子を主にささげよ」という主のことばにどのように応えるべきでしょうか。神が私たちを愛し、まず私たちの救いの為に、「ひとり子をささげて下さった」、イエス・キリストの十字架を見上げましょう。これなしに、「初子を主にささげよ」という主の言葉に応えることの出来る人はいません。そして、「わたしは、わたしの全てはあなたのものです」と信仰をもって、自らを主にささげましょう。手に、額に、「私は主イエスによって救われた」と記して、何度も何度も、口にし、心に留め、神の憐みと愛を受け止めて、喜びと賛美の声を上げましょう。

【消息・報告】

〇 コロナ感染急激な拡大により、千葉県にも蔓延防止措置が取られました。第6波が収束に向かう迄、会堂に集まっての礼拝を中止します。自宅礼拝を「目の前に主を置いて」真摯に行ってください。再開の時には教会からご連絡致します。尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二二年二月六日 第五一巻 六号

礼  拝 順 序  

前  奏 二四八 人生の海の嵐に

招  詞 詩篇五七・二~三

頌  栄 六〇 

賛  美 静まって知れ

交 読 文 三八 詩篇一二一(八五九頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷        

賛  美 二九九 山辺に向かいてわれ

聖  書 出エジプト記一二・三七~五一

メッセージ「まどろむことなく守られる主」    竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 三一一 いかに恐るべき  

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

(祈りの時 三一二 日ごと主イエスに ) 


【説教要約】

「まどろむことなく守られる主」   出エジプト記一二・三七~五一

「見よ、イスラエルを守る方は、まどろみもせず、眠ることもない」詩篇一二一・四

四三〇年のエジプトでの滞在期間、又、長い苦役で叫んでいた奴隷生活から解放される時が来ました。全てのイスラエルの人々が救い出されます。

この長い苦役、奴隷生活からから解放されるその喜びはどんなに大きなものであったか想像してみましょう。ついに自由を得る時が来たのです。それは私たちにとっては、罪と死の定めから解放される救いの喜びです。

① 大きな集団となってエジプトを出発する

 エジプトを出発した人々は、成人男性のみで約六〇万人(・三七、民数記一・四六)です。女性、子供、雑多な人々を加えると二〇〇万人とも三〇〇万人とも言われます。雑多な人々とは、共に苦役を負っていた、イスラエル人と外国人の間に生まれた子供、外国人寄留者、奴隷、雇人を含みます。アブラハムに主が約束された、あなたの子孫を星の数のように増やすと言われた言葉が思い起こされます。エジプトに入った時には貧しく、小さな集団でしたが、エジプトを出る時には豊かな、大集団になっていることがわかります。

② 夜通しの見張りをされる主

夜通しの見張り、という言葉は聖書中ここにしか使われていない言葉です。急いで夜中から明け方にかけてエジプトから出た大集団は大混乱に陥ってもおかしくない状況です。しかし、ここに主の特別な守りがあり、誰も、何も損なわれることなく彼らは出発します。

③ 過越しの祭に関する追加規定

イスラエルの人々と共に、雑多な人々がエジプトから解放されています。しかし、過越しの食事は、外国人、奴隷、滞在者、雇人は食べてはならない。しかし、「割礼」を受けるならば食べて良いという内容です。「小羊の血による過ぎ越し」も「除酵祭」も真に主を信じ、神の子どもとされた者が受けるにふさわしいものです。教会の聖餐式も信仰告白である洗礼を受けた者に限られています。

「その骨を折ってはならない」十字架に挙げられたイエスの足の骨が折られなかったことを心に留めます。

どのような大きな困難の中にあっても、主はまどろむことなく私たちを守られます。 

【ワーシップ歌詞】

「静まって知れ」 Darlene Zschech

1、御翼の 陰に隠し 力ある 御腕の中に

逆巻く大海を越え 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

2、キリストの中に憩い 信頼と主の力知る

いかずち鳴り渡る中 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

【消息・報告】

〇 コロナ感染急激な拡大により、千葉県にも蔓延防止措置が取られました。第6波が収束に向かう迄、会堂に集まっての礼拝を中止します。自宅礼拝を「目の前に主を置いて」真摯に行ってください。再開の時には教会からご連絡致します。尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二二年一月三〇日 第五一巻 五号

礼  拝 順 序  

前  奏 三五〇 主の恵みを語るは楽し

招  詞 ヨハネ黙示録七・一三~一七

頌  栄 六〇 

賛  美 十字架の贖い

交 読 文 五三 ルカ二二(八六九~八七〇頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 三七一 その血もてわが身を

聖  書 出エジプト記一二・二九~三六

メッセージ「エジプトへの十の災い④」    竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 一一二 カルバリ山の十字架   

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

(祈りの時 四〇六 主にありて生くる時)

【説教要約】

「エジプトへの十の災い④」  出エジプト記一二・二一~三六

 神がモーセとアロンに語られる。それをモーセとアロンはイスラエルの長老、民に、(そしてファラオにも)語る。そして、モーセとアロン、イスラエルの民は、神に言われたとおりにそれを全て行う、という内容が続きます。同じ内容が繰り返し聖書の中に記されています。

旧約聖書を読みますと、特に、出エジプト記、レビ記に書かれている戒めと、申命記(繰り返し命じるの意味)の戒めは、再び同じ内容が書かれています。私たちにとって、「それは以前に聞いた」、「また同じ内容か」と思う聖書の箇所があるかもしれない。しかし知っていても、その本質を受け止め、それに実際生きているかと問われればそうではなく、私たちは何度も同じ聖書のことばに帰り、耳を傾けていくのです。これを記念して行え。何度も私たちは主の戒め、その記念式(儀式)を目に見える形で行い、それを覚えます。

モーセとアロンがイスラエルの長老(部族の代表者)を集めて「主の過越し」の内容を告げます。主がモーセとアロンに言われた言葉と比較してみましょう。

新たに、平鉢に入れたその羊の血をヒソプに浸して、家の入口の鴨居と二本の柱に塗ること。ヒソプとは、細かい枝葉のある植物で,清めの儀式の際に血や水を振り掛けるために使います。レビ一四章、民数記一九章、詩篇五一・九に出て来ます。「ヒソプで私の罪を取り払ってください。私は清くなるでしょう」そして、朝まで外に出てはならないこと。この儀式を、子孫たちが掟として、記念とし守り行うことを「除酵祭」と共に命じています。

いよいよ「初子の災い」がエジプトを襲います。真夜中、エジプト中、悲しみの叫びの声が響きます。小羊の血の塗られた家は、主の裁きが過ぎ越します。ファラオは自らの長子も失い、ついに彼のかたくなな心は砕かれます。エジプト人はイスラエルの人々を急いで去らせようとします。金、銀、飾り物、衣服を与え、イスラエルの人々はエジプトを出発します。

神を神として崇めず、感謝することもせず、空しい思いにふけり、心が鈍く暗くなり(ローマ一・二一)、自らの心の欲望に任せるままに、神と、偶像とを取り換えた私たち。それは、罪の奴隷生活、死と滅びに定められた生活です。それは、苦しく、にがいものです。

神の小羊、キリストの血によって、罪の奴隷生活から救い出してもらいなさい。きよめていただきなさい。あなたを愛し、「罪のゆるしときよめ」、命と喜びを与えて下さる、キリストの十字架の血による主の過越しを受けてください。

【ワーシップ】

「十字架のあがない」 作詞作曲 中山有太

キリストの血によって回復が与えられ

主との壁 取り壊された

キリストの愛からは 引き離すものはない

大胆に恵みの御座へ

(おりかえし)

十字架の贖い 我が罪のための

惜しまずささげた子羊主イエス 

【消息・報告】

〇 コロナ感染急激な拡大により、千葉県にも蔓延防止措置が取られました。第6波が収束に向かう迄、先週から会堂に集まっての礼拝を中止しています。自宅礼拝を真摯に行ってください。再開の時には教会からご連絡致します。尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二二年一月二三日 第五一巻 四号

礼  拝 順 序  

前  奏 

招  詞 エフェソ一・七

頌  栄 六〇 

賛  美 十字架の贖い

交 読 文 六 詩篇二二(八三三~八三四頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 三七四 来たれ 汝をきよむれば

聖  書 出エジプト記一二・一~一三

メッセージ「エジプトへの十の災い③」  竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 二三五 罪 重荷を除くは   

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

(祈りの時 ) 


【説教要約】

「エジプトへの十の災い③」  出エジプト記一一・一~一二・二〇

① 一一・一~一〇 初子の災い

一〇番目の災い ファラオ エジプトの王 太陽神ラーの息子 天空神ホルスの化身                         

        アヌビス 冥界の神(死を司る神)

主はモーセに言われた。(一一・一)

最後の災いとなります。この後、ファラオはここからイスラエルの人々を去らせます。

 主はイスラエルの人々はこのようにエジプトを去ると言っています。ひとり残らず去る。イスラエルの僕や家畜、全ての財の他に、エジプト人から多くの金や銀や多くの物を受けて去る。

 ファラオの前でモーセが言います「主はこう言われる。『私は深夜、エジプトの中を歩む。そして、エジプトの地の全ての初子は死ぬ。ファラオの初子から最も低い奴隷の初子、家畜の初子も全て死ぬ。』エジプト人とイスラエル人は区別される。」ファラオはなおも心をかたくなにしていたので、モーセは怒ってファラオのもとを出て行きます。

神の裁きに備える準備

② 一二・一~一三 主の過越し

 主はモーセとアロンに言われます。

子羊を用意する。欠陥のない一歳の雄の子羊。それを屠り(殺し)、その血を、入り口の二本の柱と鴨居に塗る。子羊は火で焼いて、種無しパンに苦菜を添えて食べ、残ったものは火で焼き尽くす。食べる時は、外に出掛ける身支度をして、帯を締め、サンダルを履き、杖を持って急いで食べる。

準備が整った後に、エジプト中を主が行き巡り、小羊の血のしるしのない家の、人、家畜の全ての初子を打ち、エジプトの全ての神々を裁きます。小羊の血のしるしのついている家は、その血を主が見て、滅ぼす者の災いは過ぎ越します。これが主の過越しです。

 キリストの十字架で流された血潮が私たちの罪を赦し、きよめます。どうしてですか。キリストは罪なき完全な小羊です。鴨居と柱に塗られた小羊の血によって、神の裁きが過越し、イスラエルの人々は奴隷生活から救出されました。過越しの祭の只中、十字架の上で流されたキリストの血によって、私たちの罪は赦され、私たちは罪の奴隷生活から救出されるのです。出エジプト記の主の過越しは、キリストの十字架の血によって全ての人が救われる、あなたが、私が主の救いを受ける、そのひな形です。

【ワーシップ】

「十字架のあがない」 作詞作曲 中山有太

キリストの血によって回復が与えられ

主との壁 取り壊された

キリストの愛からは 引き離すものはない

大胆に恵みの御座へ

(おりかえし)

十字架の贖い 我が罪のための

惜しまずささげた子羊主イエス

【消息・報告】

〇 コロナ感染急激な拡大により、千葉県にも蔓延防止措置が取られました。第6波が収束に向かうまで、本日から会堂に集まっての礼拝を中止します。自宅礼拝を行ってください。再開の時には教会からご連絡致します。尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二二年一月一六日 第五一巻 三号

礼  拝 順 序  

前  奏 四八 十字架の上に

招  詞 申命記四・三二~三五

頌  栄 六〇 

賛  美 一七〇 マジェスティ

交 読 文 五 詩篇一九(八三二~八三三頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 三一 豊けき主の愛

聖  書 出エジプト記一〇・一~七

メッセージ「エジプトへの十の災い②」 竹田広志牧師

祈  祷

聖 餐 式 四九 しみも咎も

賛  美 二一 輝く日を仰ぐとき  

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 四二八 キリストには代えられません) 


【説教要約】

「エジプトへの十の災い②」 出エジプト記九・一三~一〇・二九

 人の作った偶像ではなく、私たちと世界を創造された唯一の神、主を知ることは何と幸いでしょう。全能の神である主の前には、どのような力ある神々と呼ばれるものも、時の権力者も、知者も何の力もありません。出エジプトの歴史的な出来事は、神は主おひとりであることを私たちに知らせます。

 7、雹の災い ホルス ヌト 天空の神 

主はモーセに言われた。a(・一三)

「私のような者は、地上のどこにもいないことをあなたは知るようになる。事実、私が今、手を伸ばしてあなたとその民を疫病で打ち、地から滅ぼすこともできる。しかし、私があなたを生かしておいたのは、私の力をあなたに示し、私の名を全地に告げ知らせるためである。」主はモーセに天に向かって手を伸ばせと言われます。アロンではなく、モーセが杖を天に向かって差し伸ばします。主は雷と雹を降し、炎が地に駆け下ります。イスラエルの人々の住むゴシェンの地には雹は降りません。ここでは、エジプト人に、人も家畜も雹に打たれて死ぬことのないように全ての者に非難を呼びかけています。

 ファラオは自らの非、罪を認めるような言葉を言い、主に祈る様に頼みますが、雹が止むと、再び心をかたくなにします。

 8、バッタの災い イシス 農耕・豊穣の神

*二〇二〇年 サバクトビバッタの蝗害

 a一〇章一~二節には、主がファラオと家臣の心をかたくなにした理由が語られています。

 ファラオの家臣は王に進言します。「あの男たちを去らせてください。エジプトは滅びかかっています」。王は「エジプトから出て主に仕えるのは男だけだ」と、イスラエルの人々全てを去らせることをさせません。

 モーセがその杖をエジプトの地の上に伸ばすと、東風に運ばれてバッタの大群が襲います。雹が降った後に残った穀物や青草も全て食い尽くされます。ファラオは急いでモーセとアロンを呼び、自らの罪を認めるような言葉を言い、主に祈る様に頼みます。バッタが西風に運ばれてエジプトを去ると、主がファラオの心を再びかたくなにし、又もファラオは口約束を反故にします。

 9、暗闇の災い 三日間 ラー 太陽神

 a モーセは天に向かって手を伸ばすと、太陽は光を失い、暗闇がエジプトの地に臨みます。イスラエルの人々の住む地には光がありました。エジプトは穀物も家畜も根こそぎ打たれました。ファラオは牛と羊を残して去る様にモーセに告げます。モーセは全てを持って去ることを求めます。主はファラオの心をかたくなにします。ファラオもモーセも、二度と互いの顔を見る事はないと袂を分かちます。 

【消息・報告】

〇 コロナ感染急激な拡大により、1月28日(金)から、千葉県にも蔓延防止措置が取られました。今回の第6波が収束に向かうまで、本日から暫く会堂に集まっての礼拝を中止します。自宅礼拝を行ってください。再開の時には教会からご連絡致します。

尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二二年一月九日 第五一巻 二号

礼  拝 順 序  

前  奏 

招  詞 イザヤ四五・一八~二二

頌  栄 六〇 

賛  美 一六六 威光・尊厳・栄誉

交 読 文 四 詩篇一八(八三〇~八三二頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 九 力の主を

聖  書 出エジプト記八・四~一一

メッセージ「エジプトへの十の災い①」    竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美 二三二 弱き者よ われにすべて  

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時  )

【説教要約】

「エジプトへの十の災い①」 出エジプト記七・一四~九・一二

 この十の災いは、イスラエルの神である主と、時の権力者であるエジプトの王ファラオ、エジプトの賢者・魔術師、古代エジプト神々との対立構図があります。人や国や王が拠り所とする全ての力あるものに対して、偶像の神々・人間の知恵・権力者の力を徹底的に砕く神である主を知ります。「あなたは、我らの神、主のような方はいないと知るようになります」(八・六)

   一、ナイル川の水が血に変わる災い 古代エジプト神ハピ ナイル川の神。 七日間

 a.主はモーセに語り、モーセはアロンに告げます。王ファラオと家臣の目の前で、アロンは杖でナイル川の水を打ちます。するとナイルの水はことごとく血に変わります。エジプト全土はナイルから水が飲めなくなります。魔術師も秘術をもって水を血に変えます。b.ファラオの心はかたくなになります。主が語られたとおりです。

 二、蛙の災い ヘケト 水の女神。

 a .アロンは杖を持って川・水路・沼地の上に手を伸ばします。蛙が這い上がって来てエジプト全土を覆います。魔術師も秘術をもって同じように行います。しかし、王は蛙を追い払うように、モーセとアロンに願います。モーセは主に叫び、蛙は去りますが、b.

 三、ぶよの災い ゲブ 大地の神。

 a .アロンは杖を持って地の塵を打ちます。塵はぶよの大群となって人や家畜に取り付きます。魔術師は秘術をもってもぶよを出すことができず、王に進言します「これは神の指によるものです。」しかし、b.

 四、あぶの災い スカラベ 戦いの神。

 主はモーセに言われます。「明日エジプトはあぶの群れで満ちる。ただし、イスラエルの人々の住むゴシェンの地は区別する。」あぶが来襲します。そしてモーセがファラオに要求します。王はその要求に譲歩しようとし、口約束しますが、あぶが去るとb. 

 五、疫病の災い アピス ハトホル 創世の母なる牡牛の女神。 主はモーセに言われます。「イスラエルとエジプトの家畜は区別されて、エジプト人の家畜のみが重い疫病で死にます。」王はイスラエルの家畜が一頭も死んでいないことを調査して知ります。b.

 六、腫れ物の災い イムホテプ セクメト 薬・医術の神 疫病を司る神。

モーセとアロンは王の前でかまどのすすを天に向かってまき散らします。人にも家畜にも腫れ物ができます、ついに魔術師は腫れ物の為にモーセの前に立てません。b.

【消息・報告】

〇 礼拝出席の際は感染予防をしっかりと執りましょう。出席は各自状況をよく鑑み、自己判断でご出席下さい。動画、カセット、文書による自宅礼拝も並行して行って参ります。

尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 祈祷会、のぞみカフェをスタートします。

〇 竹田牧師は、断食祈祷聖会で一月一一日午前、講師として御用をします。お祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います

二〇二二年一月二日 第五一巻 一号

礼  拝 順 序  

前  奏 

招  詞 ルカ一〇・三八~四二

頌  栄 六〇 

賛  美 み腕に抱いて

交 読 文 一七 詩篇四六(八四一~八四二頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 三九八 新しき地に

聖  書 詩篇一六・一~一一

メッセージ「私の前に主を置く」    竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美 三九六 慕いまつる主の 

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 )


【説教要約】

「私の前に主を置く」 詩篇一六・一~一一

 二〇二二年、今年最初の礼拝です。どのような一年を過ごしたいと願っておられますか。無病息災、家内安全、商売繁盛、交通安全、学業成就…、日本の初詣で祈願する内容は限りがありません。もちろんキリスト者である私たちもその様に願いますし、新しい年は世界が平和であるように願います。

 この新しい年に、勝田台教会に語って下さる主のみことばは、「私は絶えず目の前に主を置く」、常にあなたの前に主を置くことです。昨年の年末の礼拝でも少しこのみことばに触れましたが、本日は詩篇一六篇全篇を通して、この主のおことばを味わい、主の祝福と聖別を受けたいと願っています。

 ミクタム。ダビデの詩とありますが、ミクタムという言葉は「黄金」という意味があり、ダビデの歌の中でも珠玉のものとして扱われます。この一六篇、そして、五六篇~六〇篇にこの言葉が表題として付いています。

 「神よ、私を守って下さい。私はあなたのもとに逃れました。」神は私たちの避け所、逃れ場、不落の要塞です。新しい年も「主よ、お守りください」と主に身を寄せましょう。

 「あなたの他に幸いはありません」ダビデの神に信頼を置く表現です。

 神の求める「聖なる者、私の喜ぶ力ある者」とは、礼拝者です。神は礼拝者を求めておられます。

 主ご自身が、「受くべき分、杯」。主は今年も私たちの全ての必要を満たし、成すべき主の働きを与えて下さいます。

 主は私たちに「諭しと戒め」を与えて下さいます。主から教えを受け、学び、蓄え、その教えに生きましょう。

 「私は絶えず目の前に主を置く」。信仰とは意思です。その後に知識と感情がついて来ます。「置く」というのは意思です。目に見えないお方ですが、置くのです。*招詞・「マリアは主の足元に座って、その話を聞いていた。」自らの前に、朝に夕に、又、週毎に礼拝において主を置くのです。主はそのような者の友となって下さいます。主が右にいてくださり、又、私たちを祝福のご自身の右の麗しさの座に着かせてくださいます。

 この喜び、平安を奪うものは何一つありません。復活の希望、天国の喜びは、私たちに襲って来る波風、暗闇、死をもってしてもこれに打ち勝つものではありません。


【消息・報告】

〇 二〇二二年、新しい年を迎えました。主に感謝します。「私の前に主を置く」一年を歩みましょう。

〇 礼拝出席の際は感染予防をしっかりと執りましょう。出席は各自状況をよく鑑み、自己判断でご出席下さい。動画、カセット、文書による自宅礼拝も並行して行って参ります。

尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 今週は祈祷会、のぞみカフェはありません。祈祷会は一二日(水)、のぞみカフェは一三日(木)からスタートとなります。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二二年一月一日 第五一巻 〇号

《 元 旦 礼 拝 》

礼  拝 順 序  

前  奏 

招  詞 詩篇一六・一~一一

頌  栄 六〇 

賛  美 み腕に抱いて

交 読 文 七 詩篇二三(八三四頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷  

賛  美 三四四 なおも御恵みを

聖  書 マタイ一一・二九~三〇

メッセージ「主の軛を負い、主に学ぶ」 竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美 四〇二 暗き谷間をたどる時も 

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 )

【説教要約】

「主の軛を負い、主に学ぶ」 マタイ一一・二九~三〇


【消息・報告】

〇 二〇二二年、新年、明けましておめでとうございます。新しい年を迎えました。主に感謝します。「私の前に主を置く」一年を歩みましょう。

〇 礼拝出席の際は感染予防をしっかりと執りましょう。出席は各自状況をよく鑑み、自己判断でご出席下さい。動画、カセット、文書による自宅礼拝も並行して行って参ります。

尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 祈祷会は一二日(水)、のぞみカフェは一三日(木)からスタートとなります。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年一二月二六日 第五〇巻 五二号

⦅年末感謝礼拝⦆

礼  拝 順 序  

前  奏 

招  詞 マタイ四・一八~二〇

頌  栄 六〇 

賛  美 イエスが愛したように

交 読 文 三 詩篇一六(八三〇頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 一七二 望みも消え行くまでに

聖  書 ヨハネ二一・一八~二五

メッセージ「あなたは、私に従いなさい」 竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美 一七一 今日まで守られ 

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時  )

【説教要約】

「あなたは、私に従いなさい」 ヨハネ二一・一八~二五

本日は二〇二一年、今年最後の礼拝です。

今年はほとんどが動画での自宅礼拝となりましたが、元旦礼拝でみことばを聞き、「そこに主のための祭壇を築き」(第二サムエル二四・二五)、自宅で主の祭壇を築く事、そしてこの一年、コロナが収束するように祈りの手を挙げる事に励んできました。「主はこの国のために祈りに応えられ、イスラエルを襲った疫病はやんだ。」神である主のご権威によって、コロナ収束を祈ってまいりました。

イエスは最後にペトロに告げます「よくよく言っておく」これはイエスが大事な事を話す時に言われる語り口調です。

「あなたは、若い時は、自分で帯を締め、行きたい所へ行っていた。しかし、年を取ると、両手を広げ、他の人に帯を締められ、行きたくない所へ連れて行かれる。」自分で何事もできる若い人のようでなく、介護を受けて連れて行ってもらわなければならない人のように。このイエスの言葉は、ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すことになるかを示そうとして、こう言われたとあります。そしてイエスは「私に従いなさい」と言われます(・一九) Follow Me *「クォ・バディス」

 さて、ペテロは主イエスに質問しました「主よ、この人はどうなるのでしょうか」(・二一)これは、この人(ヨハネ)の最後はどうなのですかという問いです。彼は彼、あなたはあなただと、イエスはペトロに「あなたは、わたしに従いなさい」(・二二)You follow Me と語られます。ペトロは殉教の死を遂げ、ヨハネは黙示録を書きます。ペテロとヨハネはそれぞれに主の使命を全うしました。

 Follow Me 後ろに付いて来なさいという意味です。私たちは常に主イエスを前に置く者です。主の前には出ないのです。イエスが行かれる道を後ろに付いて従って行くのです。それはペトロのような道かも知れませんし、ヨハネのような道かも知れません。しかし、主は今一度「あなたは、私に従って来なさい」とあなたに語っておられます。

【消息・報告】

〇 本日の礼拝は年末感謝礼拝でした。一年の感謝をもって主を礼拝できましたことを感謝します。

〇 礼拝出席の際は感染予防をしっかりと執りましょう。出席は各自状況をよく鑑み、自己判断でご出席下さい。動画、カセット、文書による自宅礼拝も並行して行って参ります。

尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 二〇二二年一月一日、元旦礼拝は、一〇時からとなります。例年の早朝礼拝はありません。又、今週と来週(来年)の祈祷会、のぞみカフェは中止となります。祈祷会は来年一月一二日から、のぞみカフェは一月一三日からスタートとなります。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年一二月一九日 第五〇巻 五一号

⦅クリスマス礼拝⦆

礼  拝 順 序  

前  奏 

招  詞 フィリピ二・六~七

頌  栄 六〇 

賛  美 七六 諸人こぞりて

交 読 文 一九 詩篇五一

(八四三~八四四頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 七七 きよしこの夜

聖  書 ルカ二・一~二〇

メッセージ「低く、低く、低く」 竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美 七八 荒野の果てに 

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 )

【説教要約】「低く、低く、低く」 ルカ二・一~二〇

 ルカによる福音書からイエスキリストの降誕の出来事を読みます。

 クリスマスは全ての民に与えられる大きな喜びの知らせです。クリスマスという言葉にはCHRIST MAS キリストという言葉が入っています。X・MASのXもギリシア語のキリストの頭文字です。「メリー、クリスマス」と世界中で挨拶される言葉にキリストが入っています。

しかし、世間で盛大に祝われているクリスマスにはキリストは入っていません。受け取って欲しい「大きな喜び」であるキリストが抜け落ちています。

聖書には、クリスマスの出来事はどのように書かれているのでしょうか。

ローマの人口調査の勅令が皇帝アウグストから出ました。人口調査の登録の為に、ヨセフと身重になったマリアはベツレヘムへ上りました。宿屋には彼らのいる余地がありませんでした。イエスの誕生の知らせの第一報は、夜、野宿をしていた羊飼い達にありました。

イエス誕生の全ての出来事は、ベツレヘムの家畜小屋の飼い葉おけに向かっていきます。飼い葉おけに寝ておられる赤子こそが、救い主のしるし、神の御計画です。

聖書の伝えるクリスマスの出来事を読んで私たちが考えるべき事は、なぜ神は、人々に迎えられず、貧しい、みすぼらしい所(飼い葉おけの中)に、ご自身のひとり子イエスをお与えになったのかということにあります。そのような神のご計画、おこころの中に、クリスマスメッセージがあります。それは 低く、低く、徹底的に低く、最も低いところにイエスは降られたというメッセージです。

最も低く、汚れた、貧しいところに降りて来て下さったお方であるゆえに、どのような罪深い、汚れた者も救うことがおできになります。

飼い葉おけは、私たちの心、現実です。闇、貧しさ、罪深さ、汚れ。そこに、まさにそこに光と命を与えるために、癒しと慰めを与えるために 赦しと救いを与える為に 主は降りて来てくださったのです。

 「キリストは神の形でありながら、神と等しくあることに固執しようと思わず、かえってしもべの形をとり、人間と同じ者になられました。」フィリピ二・六~七

【消息・報告】

〇 クリスマスおめでとうございます。主イエス・キリストのご降誕を心からお祝い致します。

〇 礼拝出席の際は感染予防をしっかりと執りましょう。出席は各自状況をよく鑑み、自己判断でご出席下さい。動画、カセット、文書による自宅礼拝も並行して行って参ります。

尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 昨日の「おうちDEクリスマス」上映会が祝福された事を感謝します。配られたチラシが伝道に用いられます様に。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年一二月一二日 第五〇巻 五〇号

⦅アドベント第三週⦆

礼  拝 順 序  

前  奏 オーホーリーナイト

招  詞 サムエル記上二・1~八

頌  栄 六〇 

賛  美 御腕に抱いて

交 読 文 五六 ローマ一二(八七三頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 六八 久しく待ちにし

聖  書 ルカ1・四五~五五

メッセージ「マリアの賛歌」    竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美 一五五 御位を降り 

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 グリーンスリーブス)


【説教要約】「マリアの賛歌」  ルカ一・四五~五五

イエスの誕生が予告されます(・二六~三八)。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」ルカによる福音書に記されているイエスの誕生の出来事は、御使いによるマリアへの挨拶から始まります。

 「…あなたは身ごもって男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい…。」マリアは、最初は「どうして、そんなことがありえましょう。」(・三四)と自らの懐妊の御使いの知らせに、あり得ないと否定しています。処女マリアにはあり得ないことですし、婚約しているマリアが懐妊することはマリアにとっても危機的な出来事になります。しかし、最終的には、信仰をもって「私は主のつかえ女です。お言葉どおり、この身になりますように。」(・三八)と答えています。これは、ただ事ではない受諾です。

 マリアは親戚のエリサベトの家を急いで訪れます。御使いの告げた言葉(・三六)を確認する為です。エリサベトの言葉は、マリアをどれほどに勇気付け、確信を与えるものとなったことでしょう。祖母と孫ほどに年齢の離れた二人です。

 マリアは主をほめたたえます。

一 私の魂は主を崇め

 御霊は私たちに賛美と喜びを与えます

二 卑しい仕え女

 神はへりくだる者に目を留めて下さいます

三 主を畏れる者

 主を畏れることは、人の本分です

四 低い者を高く上げ

 これこそ、低く降りて来られたイエス、クリスマスのメッセージです。

五 慈しみを忘れず

 出エジプト記と同様に、神はご自身の約束・契約を反故(ほご)とせず、慈しみを忘れないお方です。

【ワーシップ】

「み腕に抱いて」 作詞・作曲 中山有太

(*おりかえし)

*今 主よ わたしの心に触れて 

あなたの御腕に 抱いて下さい

全ての疲れた人よ、重荷悩み負う人よ

イエスの前に出て行こう、全てを今手離そう

(*おりかえし) 

あなたの愛に飛び込みます。

必ず受け止めてくれるから

あなたの腕に飛び込みます

必ず受け止めてくれるから 

【消息・報告】

〇 礼拝出席の際は感染予防をしっかりと執りましょう。出席は各自状況をよく鑑み、自己判断でご出席下さい。動画、カセット、文書による自宅礼拝も並行して行って参ります。

尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 本日礼拝後、教会の窓拭きを行います。奉仕にご協力ください。

〇 本日午後二時より教区中高生クリスマス会が千葉栄光教会で行われます。今からでも参加可能です。是非ご参加ください。

〇 今週一八日(土)午後二時~三時、「おうちDEクリスマス」の上映会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。

二〇二一年一二月五日 第五〇巻 四九号

⦅アドベント第二週⦆

礼  拝    順   序  

前  奏 八七 入れまつる家あらず

招  詞 ルカ一・四一~四五

頌  栄 六〇 

賛  美 

交 読 文 五三 ルカ二二(八六九~八七〇頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 六七 わが心は

聖  書 出エジプト記七・一~一三

メッセージ「主が語られたとおり」    竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美 三六一 栄えの王にます主の 

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 八六 み使いのたたえ歌う)


【説教要約】「主が語られたとおり」 出エジプト記七・一~一三

 いよいよ、これからエジプトの王ファラオとの交渉、対決が始まります。

主はモーセに「あなたをファラオに対して神とし、兄アロンはあなたの預言者となる」、そしてしるしと奇跡(災い・大いなる裁き)をエジプトの上に行うことを告げられます。主はモーセに語られ、モーセはアロンに語り、アロンは民に、そしてファラオに告げるという役割になります。

しかし、続けて主が語られたのは、これまでも繰り返し語られていますが、「しかし、私はファラオの心をかたくなにするので、彼はあなたがたの言うことを聞かない。」理解しにくい言葉です。イスラエルの民を解放しようと言われる神ご自身が、わざわざファラオの心をかたくなにして、イスラエルの民を去らせないと言っておられます。このような一見矛盾したような言葉が、イスラエルの救済の歴史の中には何度も出て来ます。

私たちの人生には「苦難」があります。神は罪ある人を即座に滅ぼすことをされず「苦難」を与えられました。なぜでしょう。「苦難」は神の罪ある人に対しての裁きでもありますが、憐みでもあります。なぜなら人は「苦難」をとおして、悔い改めて神に立ち返ることができるからです。神・主を知る為です。「苦難」は人を砕きます。「苦難」は人の高慢・かたくなさ・おごりを砕きます。神の救済のご計画は、アダムとイブの時から「苦難」をとおして始まっています。

今苦難の中におられる方々、「何ゆえに私はこのような苦しみに会わなければならないのか」と叫ぶとき、それはあなたの人生において、今こそ神に立ち返るときなのです。主を知るときなのです。

モーセとアロン、ファラオと家臣・魔術師との対決は、神である主と、エジプトの神々との対決の構図があります。人の作った神々も、神の化身のファラオも、もちろん神ではありませんが、彼らは生きておられる全能の神、主を知ることになります。

エジプトの王権の象徴は蛇でした(ツタンカーメンの頭に掲げられている蛇)。アロンの杖が大蛇に変わり、魔術師の杖の大蛇を飲み込みますが、神である主がどのようなお方であるか、ファラオは知ることになります。しかし、王は心をかたくなにします。

「主が語られたとおりである」何度もこの言葉を聞きます。主が語られた言葉は必ず実現します。

 

【消息・報告】

〇 礼拝出席の際は感染予防をしっかりと執りましょう。出席は各自状況をよく鑑み、自己判断でご出席下さい。動画、カセット、文書による自宅礼拝も並行して行って参ります。

尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 本日礼拝後、「おうちDEクリスマス」動画案内のトラクト配布を行います。

〇 十二月一八日(土)午後二時~三時、「おうちDEクリスマス」の上映会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年一一月二八日 第五〇巻 四八号

⦅アドベント第一週⦆

礼  拝 順 序  

前  奏 

招  詞 第一ペトロ二・九~一〇

頌  栄 六〇 

賛  美 七一 良きおとずれ

交 読 文 五五 ヨハネ一五

(八七一~八七二頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 六九 エサイの根より

聖  書 出エジプト記六・一四~三〇

メッセージ「アロンとモーセの系図」    竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美 四六六 来り給う主を 

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 )

【説教要約】「アロンとモーセの系図」 出エジプト記六・一四~三〇

 本日から待降節、アドベントに入ります。一二月二五日に一番近い前の日曜日をクリスマス礼拝として教会では祝います。その4週前の日曜日から「待降節」アドベントとして、教会ではろうそくを一本、又一本と灯してクリスマス、「キリストの降誕日」を待ち望む習慣があります。

 本日の箇所は、「アロンとモーセの系図(家系図・ファミリーツリー)」となります。系図は一見、読んでいますとつまらなく感じるものでもあります。聞き慣れないカタカナの名前が次々に書かれています。

 ここでは特にアロンの系図が中心となり、レビ族の「祭司の家系図」が内容となります。

 ヤコブの息子レビ(三男)の生涯は一三七年、レビの息子ケハト(二男)の生涯は一三三年、ケハトの息子アムラム(長男)の生涯は一三七年、アムラムの息子がアロン(長男)とモーセ(二男)になります。(ミリアム・長女)二一~二二節に書かれている人物たちはアロンとモーセのいとこたちとなります。ヤコブとその子孫(イスラエルの民)はエジプトで四〇〇年間生活しました。アロンとモーセはエジプトで生まれて、ヤコブから4世代目であることがわかります。

 私たちの教会は「万人祭司の自覚のもとでの伝道」、とビジョンを掲げていますが、祭司とは何でしょうか。祭司の自覚とは何でしょうか。モーセが律法の代表者とすると、アロンは祭司としての最初の人物と言えます。アロンの働きとは何だったでしょうか。モーセが、神と人との間に立つ預言者であるとするなら、アロンは、モーセとイスラエルの民の間を執り成す者、又、ファラオの前でのモーセの働きを全面的にサポートする者でした。もちろん聖書の全ての物語の主役は、神ご自身でありますが、出エジプトの主役がモーセであるとするならば、アロンは脇役です。しかし、無くてはならない脇役なのです。

 神の働き人の為に祈り、サポートする者になりましょう。又、人を執り成す者となりましょう。祈りによって、言葉によって、実行することによって。万人祭司の自覚に立って、その働きを聖霊の力、支えによって果たさせていただきましょう。

 

【消息・報告】

〇 礼拝出席の際は感染予防をしっかりと執りましょう。出席は各自状況をよく鑑み、自己判断でご出席下さい。動画、カセット、文書による自宅礼拝も並行して行って参ります。

尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 今週一二月四日(土)午前一〇時半~「こどもクリスマス会」を行います。感染から守られ、祝福されるようにお祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年一一月二一日 第五〇巻 第四七号

礼  拝 順 序  司会 

前  奏 二八六 シャロンの花

招  詞 ヘブライ一一・一三~一六

頌  栄 六〇 

賛  美 四七五 まもなくかなたの

交 読 文 五四 ヨハネ一四

(八七〇~八七一頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 四七一 われ聞けりかなたには

聖  書 フィリピ三・一〇~二一

メッセージ「私たちの国籍は天にあり」  竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美 四六八 やがて天にて 

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 三八二 心から願うのは)


【説教要約】「私たちの国籍は天にあり」フィリピ三・一〇~二一

 私たちキリスト者は聖書の言葉を信じていますが、聖書は、人間には解決しなければならない大きな定めがあると言っています。「人間には、ただ一度死ぬことと、その後、裁きを受けることが定まっている」(ヘブライ九・二七)。非常に重い内容の言葉です。

ひとつは死、ひとつは罪に対する裁きです。そして聖書は、「罪に対する裁き」については、イエス・キリストによる十字架による赦し、「死」については、イエス・キリストによる復活の勝利こそが、全ての人の解決の道、救いであると明確に宣言しています。この救いを与えて下さる主イエス・キリストを信じることこそ、キリスト信仰であります。

パウロは、「神の賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」(・一四)と語ります。神の賞とは何でしょうか。キリストの復活を根拠とした死者の中からの復活です。それは、私たちが毎週礼拝で、「我信ず」と告白しています「からだのよみがえり、永遠の命」のことです。又、パウロは、この福音を信じて、望みを抱いて走っている彼と人々に倣い、模範としなさいと言います。(・一七)信仰をもって召された方々は私たちに何を模範として残してくれたでしょうか。

信仰の生涯をパウロはしばしば競技にたとえます。パウロが一生懸命目指して走った「目標」とは何でしょうか。それは神が用意されている、天の御国です。

「罪」のギリシア語の語源は「的外れ」ですが、まさに目標がなくて走っている競技者のようなものです。迷い出た、導く牧者のいない羊のようなものです。

お墓は、全ての人の、この世にあっての終着点でありますが、教会の墓標には、本日読みました聖書箇所の、この言葉が記されています。国籍在天、「わたしたちの国籍は天にあります」(・二〇)

あなたは何を目標として日々を歩んでいますか。私たちには帰るべき麗しい神の都があることを知ってください。わたしたちの国籍は天にあります。

われ聞けり「かなたには 麗しき都あり」

輝ける彼の岸に、われはまもなく着かん

ハレルヤと歌いつつ、歌いつつ進み行かん

わが足は弱けれど、導き給え 主よ

 

【消息・報告】

〇 礼拝出席の際は感染予防をしっかりと執りましょう。出席は各自状況をよく鑑み、自己判断でご出席下さい。動画、カセット、文書による自宅礼拝も並行して行って参ります。

尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 本日礼拝後、教会墓地へ車で向かい、墓前礼拝・納骨式を執り行います。納骨される遺族の方々は納骨の準備をして出発致します。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年一一月一四日 第五〇巻 第四六号

礼  拝 順 序  

前  奏 

招  詞 第一ヨハネ三・一

頌  栄 六〇 

賛  美 二九一 神の国と神の義

交 読 文 五二 ルカ一(八六九頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 三八四 主よ御手もて

聖  書 出エジプト記六・一~一三

メッセージ「主の力強い手」    竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美 三一五 主の御手に頼る日は 

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 )


【説教要約】

「主の力強い手」  出エジプト記六・一~一三

 主はモーセに言われます「力強い手によって」。主はその力強い御手をもって、エジプトの奴隷生活からイスラエルの民を救い出します。

 「私は主である」。今一度、「わたしはいる(ある)」と宣言される私たちの神の偉大さ、豊かさを覚えましょう。

 主はモーセに、イスラエルの民に語る三つのことを告げます。①アブラハムの契約の故に、カナンの地を与えること。②力強い御手をもって、エジプトの奴隷生活から救い、贖い、導き出すこと。③イスラエルは神の民となり、主ご自身がイスラエルの神となること。

 聖書は、旧約、新約と、神が私たちに与えて下さった契約の書です。今は新約の時代です。自分の罪を認め、悔い改めて、私の罪を取り除く為に十字架で贖いとなって死んで下さった主イエス・キリストを信じる者は救われます。死の定めから永遠の命を与えられます。神の民、神の子どもとされます。天国を受け継ぐ者とされます。この新しい契約が信仰によって結ばれる恵みの時です。

 罪の奴隷生活、死の定め、暗闇から私たちを救い、贖い、導き出す神の力強い御手は、主イエス・キリストです。神は御腕を伸ばし、神の御子イエス・キリストを世に遣わして下さいました。主イエス・キリストは、神であられたのに、私たちを救う為に天の御位を捨てて降られ、人となって下さいました。そして、この罪のないお方が私たちの罪の身代わりとなって十字架で死んで下さいました。ここに神の燃える愛があります。主イエス・キリストを信じる者は誰でも救われるのです。

 私たちの神、主はただ一人です。それはひとり子イエス・キリストをお与え下さった神です。私たちは神の民、神の子どもたちです。

 「私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父がどれほどの愛を私たちにお与え下さったか、考えてみなさい。」(第一ヨハネ三・一)、

 モーセはイスラエルの民に神のことばを伝えますが、民は神のことばに対して、現実への落胆と過酷な労働に目を向けて聞き入れませんでした。聖書にはこう書いてあるが、私の目の前の現実は、と私たちも時として聞き入れません。

 主はモーセにファラオのもとへ行くように命じます。モーセは主の前で、「イスラエルの人々でさえ聞かないのに、ファラオが話し下手の私の言うことを聞くでしょうか」と答えます。勇気を出しなさい。ことばとしるしは、主のことばを信じる私たちに、主が与えてくださいます。

【消息・報告】

〇 礼拝出席の際は感染予防をしっかりと執りましょう。出席は各自状況をよく鑑み、自己判断でご出席下さい。動画、カセット、文書による自宅礼拝も並行して行って参ります。

尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 本日礼拝後、子供祝福式を行います。

〇 次週礼拝後、教会墓地に於いて短く墓前礼拝を行い、納骨式を行います。車に乗り合わせて墓地に向かいます。二〇~三〇分の式ですので、是非皆様、ご出席ください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。

二〇二一年一一月七日 第五〇巻 第四五号

礼  拝 順 序  

前  奏 四八 十字架の上に

招  詞 ローマ五・一~五

頌  栄 六〇 

賛  美 二五七 キリストは生きておられる

交 読 文 五一 マタイ五(八六八~八六九頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 二九二 

もしも私が苦しまなかったら

聖  書 出エジプト記五・一~二三

メッセージ「主よ、どうしてですか」 竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美 四四一 望みは失せ 

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 二四八 人生の海の嵐に)


【説教要約】「主よ、どうしてですか」 出エジプト記五・一~二三

ファラオとの交渉は失敗に終わり、悪い事態へと進みます。又、イスラエルの民のモーセとアロンに対する非難が強くなります。それゆえモーセは、「なぜ」と主の前に問います。

「モーセは主のもとに帰って言った。『わが主よ、なぜあなたはこの民を苦しめられるのですか。なぜ私をこうして遣わされたのですか。私がファラオのもとに行ってあなたの名によって語って以来、ファラオはこの民を苦しめています。それなのに、あなたはご自分の民を救い出そうとされません。』」(二二、二三)

「主よ、どうしてですか」と私たちも信仰生活の中で問うことはないでしょうか。どうして状況は悪くなる一方なのですか。どうして私がそれをしなければならないのですか。どうしてすぐに応えてくださらないのですか。

主は確かに、エジプトからご自分の民を救い出し、豊かな地カナンへ導くことをモーセに約束されました。しかし、エジプトの王ファラオが心を頑なにしてイスラエルをなかなか去らせないことを予め告げておられます。

私たちは、すぐに事が成って欲しいのです。願った通りになって欲しいのです。祈って、願ったようにすぐに応えられることがあります。しかし、祈って、逆に状況が悪くなることもあります。前者なら、私たちの神は力強い神だ、祈りに応えてくださったと感謝しますが、後者ですと「主よ、どうしてですか」となります。私たちには私たちの思い、願いというものがあります。同時に、主は生きておられます。主のみこころ、み思い、ご計画があります。人はどこまでいっても自我の塊です。自己中心です。ファラオもそうですが、モーセもそうです。しかし、ファラオとモーセの違いは、ファラオは心を閉じ、モーセは主に問うています。主のもとに帰って、主に問うています。「主のもとに帰って」という言葉は興味深い表現です。

主は、その御顔をいつも私たちの方に向けていて下さいますが、私たちの顔は主の方にいつも向いているわけではありません。(願わくは、いつも向いている者でありたいですが。)ファラオや、イスラエルの民に向いていた顔を、振り返って主に向き直る、それが「主のもとに帰って」です。

「主よ、どうしてですか」という言葉は疑い、訴えの響きがありますが、主に自分の思いをぶつける、聞いて頂く、そして主のおこころを聞く言葉として受け止めたいです。そして、私たちの「神が共におられる人生」とは、「主よ、どうしてですか」と何度も何度も祈り求めていくものなのです。

【消息・報告】

〇 礼拝出席の際は感染予防をしっかりと執りましょう。出席は各自状況をよく鑑み、自己判断でご出席下さい。動画、カセット、文書による自宅礼拝も並行して行って参ります。

尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 本日午後一時より役員会を行います。

〇 先週の教区教会学校ワンデイキャンプは子供2名、大人5名が参加し、祝福されましたことを感謝します。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。

二〇二一年一〇月三一日 第五〇巻 第四四号

礼  拝 順 序  

前  奏 

招  詞 第一コリント六・一九~二〇

頌  栄 六〇 

賛  美 一八八 救い主は待っておられる

交 読 文 五〇 イザヤ五三

(八六七~八六八頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 三七一 (一~三番)  その血もてわが身を 

聖  書 出エジプト記四・一八~三一

メッセージ「血の花婿」  竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美 三一六 御言葉なる 

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時  )

【説教要約】

「血の花婿」 出エジプト記四・一八~三一

1 エジプトへの帰還(・一八~二三)

 モーセは彼のしゅうとエトロのもとに戻り、エジプトへ行く許可を求めます。ここでは、エジプトに行く真の理由は伏せています。

 ホレブ山でご自身を現わされ、語られた主は、ミデヤンでも、エジプト帰還途上でもモーセに語られます。「私はいる」と宣言される主は、常にモーセと共にいて語られます。

本日のメッセージのテーマにも触れますが、主はイスラエルの人々を、「私の民」(三・七)とは呼ばず、「私の息子、私の長子」と呼んでおられます。

2 長老たちの前で(・二七~三一)

 モーセはアロンと共に、イスラエルの長老たちを集め会見します。モーセが恐れ、心配していた長老たちの反応はどうだったでしょうか。拒否、反発だったでしょうか。否、「主がイスラエルの人々を顧み、その苦しみをご覧になったこと」を聞いて、信じ、ひざまずいて、ひれ伏しました。長年エジプトに住んでいたアロンの働きは大きかったと思います。

3 「血の花婿」(・二四~二六)

 エジプトへの帰還の、宿営地での出来事です。唐突の内容ですが、「主はモーセと出会い、彼を殺そうとした」とあります。どういうことでしょうか。「主の息子、長子」がイスラエルの民です。主は、アブラハム契約から、イサク、ヤコブを続いて導いて来られました。大事な契約があります。それは「割礼」です。イスラエルの全ての息子、長子は、「割礼」を受けなければなりません。それは神の所有のしるしです。モーセは息子に割礼をしていませんでした。ミデヤン人の妻、ツィポラが反対したからかも知れません。モーセが瀕死の状態になって、主が打たれた事を察知したツィポラは、その理由が「割礼」にあることを知り、自らの手で息子の包皮を切り、血を流させてモーセの両足に付けます。そして「血の花婿」とモーセを呼びます。

 「血の花婿」それは残酷にも愛する息子に血を流させねばならないのかというツィポラの訴えの響きがあります。私たちの主イエス・キリストは、新しい契約の「血の花婿」です。私たちが神のものとなる為に、私たちが傷つき、血を流すことのないように、キリストが傷つき、血を流して下さったのです。私たちはその血によって贖われた、買い取られた「血による花嫁」です。 

【消息・報告】

〇 礼拝出席の際は感染予防をしっかりと執りましょう。出席は各自状況をよく鑑み、自己判断でご出席下さい。動画、カセット、文書による自宅礼拝も並行して行って参ります。

尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 先週の教区連合壮年会秋の大会は、教会をサテライト会場として一〇名の方々が参加し祝福されました。

〇 本日、午後二時~三時、教区教会学校ワンデイキャンプがZOOMで行われます。教会をサテライト会場として行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。

二〇二一年一〇月二四日 第五〇巻 第四三号

礼  拝 順 序  

前  奏 

招  詞 ゼカリヤ四・一~六

頌  栄 六〇 

賛  美 一六五 栄光イエスにあれ

交 読 文 五〇 イザヤ五三

(八六七~八六八頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 三四〇 救い主イエスと

聖  書 出エジプト記四・一~一七

メッセージ「力あることばとみわざ」    竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美 四三四 語り告げばや

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 )


【説教要約】「力あることばとみわざ」    出エジプト記四・一~一七

神はモーセに「わたしはあなたと共にいる」というしるし(保証)を与えて、エジプトへ遣わされます。エジプトで奴隷となっているヘブライ人を解放する為に必要なものは、神の「力あることばとわざ」です。 

モーセの心配の第一は、イスラエルの人々が、「主はあなたに現れなかった」と言ってモーセを否定し、拒否する不安でした。四〇年前にもヘブライ人の同胞を救おうとしましたが、彼らに理解されず、受け入れられませんでした。モーセは自分が再び同胞の人々に拒否される事を恐れていました。

神はモーセの杖を蛇に変えて戻し、手をツアラトに冒して癒し、又、ナイル川の水を血に変えると約束されました。不思議なわざをもって主が遣わされた証拠を見せるためです。

 あなたは、神は驚くべきみわざをあなたの人生に成されるお方だと信じますか。神のみわざは確かに私たちの人生に力強くあらわされます。なぜなら、力強い、生ける主が私たちと共におられるからです。

 モーセの心配の第二は、自分が「雄弁でなく、口の、舌の重い者です」と思っていたことです。(参照 出エジプト六・一二、三〇)主はモーセに「私があなたの口と共にあり、あなたに語るべきことを教えよう」と言われます。主なる神が、私の口と共にあり、語るべきことを教えて下さるとは、何と幸いなことでしょう。

 それでもモーセは「ああ、主よ。どうか他の人をお遣わしください。」と答えます。煮え切らないモーセに神は怒りを燃やされます。神はモーセ(八〇歳)の代理人として兄のアロン(八三歳)を立てられます。神の代理人がモーセで、モーセの代理人がアロンとなります。モーセとアロンの二人がエジプトに遣わされて行き、アロンは大きな働きをします。

 主が共にいて下さるだけで十分なのですが、主はモーセに同労者を与えられます。イエスも十二弟子を遣わされる時に二人一組にして遣わされました。(マルコ六・七)「二人一組」から神の宣教の知恵をここで私たちは得ます。

 「私はあなたと共にいる」と言われる神は、神ご自身の力あることばとみわざを私たちに与えて下さいます。

【消息・報告】

〇 千葉県の緊急事態宣言が解除されて、午前一〇時、上下階に分かれて礼拝を再開しています。感染予防をしっかりと執りましょう。礼拝の参加は各自状況をよく鑑み、自己判断でご出席下さい。動画、カセット、文書による自宅礼拝も並行して行って参ります。

尚、続いて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 本日午後一時半~三時半、教区連合壮年会秋の大会がZOOMで行われます。登録なしでも教会会堂をサテライト会場としますので、是非会堂でご参加下さい。自宅からも参加できます。

〇 一〇月三一日(日)午後二時~三時、教区教会学校ワンデイキャンプがZOOMで行われます。教会でまとめて登録し、参加します。参加希望者は申し出てください。詳細は別紙。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。

二〇二一年一〇月一七日 第五〇巻 第四二号

礼  拝 順 序  

前  奏 一三七 聖なる聖なる

招  詞 イザヤ四五・二一~二五

頌  栄 六〇 

賛  美 一七〇 マジェスティ

交 読 文 四九 イザヤ四〇

(八六六~八六七頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 二四 聖なるわれらの主

聖  書 出エジプト記三・一三~二二

メッセージ「モーセを遣わした神の名」  竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美 三七二 聖なる者と

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 三五五 主と共に歩む )


【説教要約】「モーセを遣わした神の名」

出エジプト記三・一三~二二

モーセは、イスラエルの民に何という名のお方から遣わされたと告げればよいか神に尋ねます。「(あなたの名を)何と彼らに言いましょう」。神の名についての問いです。

1,私はいる

神はモーセに言われます。『私はいる、という者である』とお答えになります。『私はいる』はヘブル語で、エヘイエ(ehye) アシェル エヘイエと発音します。英語では、I am who I am. 又は、 I am that I am.となります。とても不思議なことばです。神の存在の絶対性・永遠性・自存性・唯一性、様々な解釈がありますけれども、「聖」という神の本質のことばでこれを表現する事ができるかと思います。何にも依存されず、完全に自立されたお方。人や全ての存在を超越されているお方 全知・全能・普遍・永遠を表します。

聖書の神は、はじめであり、終わりであり、決して揺るぐことのない、変わることのない真理。「I am that I am.」です。この世のいかなるものも、揺れ動かないもの、変わらないもの、絶対的な信頼に値するものはありません。しかし、このお方は、「私はいる」、絶対的信頼を受けるに値するお方です。「私はいる」と言われる神に従う者は決して滅びる事がありません。この世のどんな波風も、暗闇も、たとえ死が襲って来ても、このお方に信頼する者は失われません。流されません。

2、アブラハム、イサク、ヤコブの神

そして更に、『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』とご自身の名について宣言されます。とこしえに、代々にわたる 私の呼び名と神は言われます。エジプトの奴隷生活の中で、失われつつあった先祖の仕えて来た神を彼らに思い出させます。あの信仰の先達者たちが従ってきた同じ神が、今、力強い御手をもって、あなたがたを救うのです。

3、父よ

今、私たちは神様を「アブラハム、イサク、ヤコブの神よ」とは祈りませんが、イエス・キリストによって、このお方を「父よ」と呼びます。「お父さん」と神の名を呼ぶ私たちは、神の子どもたちです。『私はいる』と言われるお方を「父よ」と呼べるのは、何という畏れ多い、憐れみ深い、イエス・キリストによる救いの特権でしょうか。

【消息・報告】

〇 千葉県の緊急事態宣言が解除されました。午前一〇時、上下階に分かれて礼拝を再開しています。感染予防をしっかりと執りましょう。礼拝の参加は各自状況をよく鑑み、自己判断で出席下さい。動画、カセット、文書による自宅礼拝は並行して行って参ります。

尚、続けて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 一〇月二四日(日)午後一時半~三時半、教区連合壮年会秋の大会がZOOMで行われます。QRコード、又はメールアドレスで登録し、どなたも参加下さい。詳細は別紙。

〇 一〇月三一日(日)午後二時~三時、教区教会学校ワンデイキャンプがZOOMで行われます。教会でまとめて登録し、参加します。参加希望者は申し出てください。詳細は別紙。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。

二〇二一年一〇一〇日 第五〇巻 第四一号

礼  拝 順 序  

前  奏 

招  詞 詩篇二三・一~四

頌  栄 六〇 

賛  美 御名を掲げて

交 読 文 四八 イザヤ三五

(八六五~八六六頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 四四〇 エジプトに住める

聖  書 出エジプト記三・一~一二

メッセージ「燃え尽きない柴」

竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美 四三五 罪に沈む汝が友に

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時  )

【説教要約】「燃え尽きない柴」

出エジプト記三・一~一二

序 ミデアンでの四〇年

モーセは四〇年、羊飼いとして、アラビア半島北西部(ミデアンの地)からシナイ半島の広範囲にかけて、荒野の中で羊を導きます。後に、四〇年間、指導者としてイスラエルの民をこの場所で導くことになります。イスラエルの民をこの荒野で導くための、神が与えられた準備期間とも言えます。神はご計画をもって民・人を救われます。

1、神の山ホレブ

 ホレブ山(シナイ山)で、モーセは燃え尽きない柴の木を目にします。モーセは近づきます。燃える柴から神はモーセに呼びかけられます。「モーセ、モーセ。」名を呼ばれる神は、モーセの全てをご存知です。「こちらに近づいてはならない。履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地である。」(・五)聖なる土地は、ホレブ山であるからではなく、神が御臨在される場所であるからです。私たちは特定の場所を聖地という言い方をしますが、知って下さい、神の御臨在の場所はどこであっても聖地です。今、礼拝で会堂に集う私たちも同じです。履物を脱ぐのは、「へりくだり」です。主人の前にしもべが畏れをもって侍る(はべる)のです。

 主はモーセに「私はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」とご自身について語られます。

2、神の御思い

 「私はエジプトにおける私の民の苦しみをつぶさに見、追い使う者の前で叫ぶ声を聞いて、その痛みを確かに知った。」神は私たちの苦しみをつぶさに見、その痛みを確かに知ってくださいます。

「さあ行け。私はあなたをファラオのもとに遣わす。私の民、イスラエルの人々をエジプトから導き出しなさい。」神は、ご自身の働きの為に、任命し、派遣されるお方です。礼拝は第一に祝福、そして聖別、任命、派遣の場です。ここから主によって、それぞれの場に遣わされて行くのです。

3、神の保証

 モーセは「私はいったい何者なのでしょう」と尻込みします。神はモーセにしるし、保証を与えます。「私はあなたと共にいる」。勇気を出しなさい。主があなたと共におられます。

【ワーシップ】

「御名を掲げて」   作詞作曲リック・ファウンズ

 御名を掲げて あなたを讃えます

 救いのために あなたは来られた

 救いの道を与えに 天より降り来られた

 十字架により命あがない よみがえられた

【消息・報告】

〇 千葉県の緊急事態宣言が解除されました。午前一〇時、上下階に分かれて礼拝を再開しています。感染予防をしっかりと執りましょう。礼拝の参加は各自状況をよく鑑み、自己判断で出席下さい。動画、カセット、文書による自宅礼拝は並行して行って参ります。

尚、続けて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 今週から通常通り、祈祷会、のぞみカフェを再開します。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。

二〇二一年一〇月三日 第五〇巻 第四〇号

礼  拝 順 序  

前  奏 四一五 恵み深き御神よ

招  詞 エレミヤ三二・一七~一九

頌  栄 六〇 

賛  美 その日全世界が

交 読 文 四七 出エジプト記二〇章

(八六四~八六五頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 二二九 千歳の岩よ

聖  書 出エジプト記二・一~二四

メッセージ「モーセの出生と成長」  竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美 一九 救いをなし給う

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 三三八 山行くも海行くも )


【説教要約】「モーセの出生と成長」

出エジプト記二・一~二四

参考個所:使徒言行録七・一七~四四

一、モーセの出生 

エジプトの王ファラオは、エジプト全土に「(ヘブライ人の女から)生まれた男の子は一人残らずナイル川に投げ込め」という命令を下します。その中でモーセは生まれます。両親は懸命に三か月間、赤子を隠しますが、籠を編んでモーセを入れて、ナイル川に置きます。神に委ねる決意と祈りがあったに違いありません。救済は人の手(両親)によるものではありません。神によるもの、神の御計画です。

モーセはファラオの娘に水から引き上げられ、姉ミリアムの機転によって、モーセの母が乳母となり、彼は両親の手許に戻ります。

二、エジプト王宮での四〇年

モーセはファラオの娘の子として、王宮で成長します。「それから長い年月がたち(・一一)」モーセは王の一族として教育、訓練を受け強くなります。そして、自分がヘブライ人であることも知ります。同胞のヘブライ人を自らの手で救おうとしますが、同胞の理解を得られませんでした。ミデアンの地へ逃亡します。救済は人の手(どんなに知恵と力を身に付けたモーセでさえも)によるものではありません。神によるもの、神の御計画です。

三、ミデアンの地での四〇年

 井戸でミデアンの祭司エトロの娘を助け、彼はその地でエトロの娘と結婚し、二人の子をもうけ、羊飼いとして生活します。

 モーセがミデアンで生活する間も、ヘブライ人に対するエジプトの苦役は重く、助けを求める彼らの叫びがありました。「神はその呻きを耳にし、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた。」(・二四~二五)救済には神の時があります。救済は神によるものであり、神の御計画です。

「人にはできないが、神には何でもできる。」(マタイ一九・二六)私を、私たちを、罪の奴隷生活から、死から、暗闇から救うことのおできになるお方は神、ただおひとりです。

【ワーシップ】

「その日全世界が」 作詞・作曲 長沢崇史

我が神主よ見させ給え 偉大なるその計画

天が開き光が満ち シオンの上にとどまる

救いのみわざ全地を覆い 喜びの歌響かせ

その正義は平和をよぶ 主の御霊が流れる

(おりかえし)

その日全世界が主の御名高く掲げる 叫べ

王の王イエスに ハレルヤ栄光とわにあれ

王の王なる主イエスに全能なる主イエスに

勝利者なる小羊に 栄光とわにあれ

【消息・報告】

〇 千葉県の緊急事態宣言が解除されました。本日から午前一〇時、上下階に分かれて礼拝を再開します。感染予防をしっかりと執りましょう。礼拝の参加は各自状況をよく鑑み、自己判断で出席下さい。動画、カセット、文書による自宅礼拝は並行して行って参ります。

尚、続けて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 本日から教会学校を再開します。時間、午前九時一五分~四五分。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。

二〇二一年九月二六日 第五〇巻 第三九号

礼  拝 順 序  

前  奏 

招  詞 創世記一五・一二~一六

頌  栄 六〇 

賛  美 一六八 ハレルヤと歌え

交 読 文 四六 詩篇一四八(八六四頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 三四一 恐れなく近寄れと

聖  書 出エジプト記一・一~二一

メッセージ「エジプトでの苦難」 竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美 二六六 罪咎を赦され

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時  )

【説教要約】「エジプトでの苦難」

出エジプト記一・一~二一

本日から礼拝で出エジプト記を読みます。「モーセ(引き上げるの意味)」という神に立てられたイスラエルの指導者の生涯とその働きがあります。全体のテーマとして「神は人(私たち)の救いに熱心なお方である」を心に留めましょう。ご計画をもって、熱心に救いを与える神の愛を常に覚えたいと思います。

創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記は「モーセ五書」と呼ばれます。「律法はモーセを通して与えられ、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからです。」(ヨハネ一・一七)とあります。特に「過越し」の出来事、子羊の血によるイスラエルの救済は、キリストの血による全人類の救済の雛形とみることができます。神の救いに対する熱心、その最も大きなしるし、イエス・キリストによる救いを深く知る上で、出エジプト記を読むことは大きな助けになります。

大飢饉の中、ヤコブとその一族がヨセフによってエジプトに身を寄せ、そこに留まって四〇〇年という期間が過ぎます。そこでおびただしく増え多くなり、ますます強くなって、国中に溢れるようになります。(・七)しかし、イスラエルの繁栄はエジプトにとっての脅威になっていきます。「ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに立つ」(・八)時、エジプトのイスラエルの人々への対応が変化していきます。イスラエルの民を弱体化させる為に、重い苦役を与え苦しめます。そしてこれ以上、イスラエルの民が増えないように、男子の赤子を殺そうとします。「生まれた男の子は一人残らずナイル川に投げ込め。」(・二二)

神の民イスラエルはかつてない苦境に置かれます。創世記一五・一三~一六、神がアブラハムに、苦難と救済の予告を告げておられます。神は全知のお方です。救済のご計画はあらかじめ成されていたこともわかります。ただ、四〇〇年エジプトに留まっていたイスラエルの民はどのような民であったかを今回知る必要があります。言葉が悪いですが、救う価値のある民であったかどうかです。エジプトから救い出したイスラエルの民は、不信仰な悪臭を放っています。それでも、神はこのイスラエルを導き出されます。

「神はその呻きを耳にし、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた。」(二・二四)

「しかし、私たちが罪人であった時に、キリストが死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を示されました。」(ローマ五・八)


【消息・報告】

〇 次週一〇月三日からの礼拝は、緊急事態宣言が解除されましたら、定刻一〇時から一階と二階に分かれて礼拝をします。礼拝の参加はそれぞれの状況をよく鑑み、自己判断で出席ください。個人でも予防対策をしっかりとお取りください。動画、カセット、文書による自宅礼拝を並行して行っていきます。

尚、続けて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年九月一九日 第五〇巻 第三八号

礼  拝 順 序  

前  奏 

招  詞 フィリピ四・一五~二〇

頌  栄 六〇 

賛  美 イエスが愛したように

交 読 文 四五 詩篇一四六

(八六三~八六四頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 四二〇 雨を降り注ぎ

聖  書 第三ヨハネ一~一五

メッセージ「主の働き人を支える愛」 竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美 二四九 貧しくあれども

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時  )


【説教要約】「主の働き人を支える愛」 第三ヨハネ一~一五

ヨハネの手紙第三は個人に宛てられた手紙です。教会員のガイオという人に向けて書かれたものです。はっきり誰であるかはわかりません。ただ、ヨハネが彼の健康を気遣い、彼の主に在る生き方やその奉仕を喜んでいることがわかります。「私のこどもたち(・四)」とあるので、ガイオもヨハネが福音を伝え、教導した霊的な子どもの一人であったかも知れません。ガイオとしばらく顔を合わせていない中で、ヨハネは再会を願っています。

 教会に来ていた子供や青年が成長し、「真理の内に歩み」、教会の力強い働き人になってくれていることを、時を経て聞くことは何という喜びでしょう。

 ガイオが真理の内に歩み、彼の成した「きょうだい愛」とはどのようなものだったのでしょうか。彼は「よそから来た人たちに(・五)」「御名のために旅立った人たち(・七)、真理のために働く者(・八)に対して」誠実を尽くし、もてなし、経済的な支援をしたことでした。パウロは霊的なことで働いている人が、物質的な支えを受ける当然の権利を持っていることを話していますが(第一コリント九・三~一四)、きょうだい愛とは具体的な行動であって、「真理のために働く者」を、祈りをもって、もてなしをもって、支援をもって支えることです。又それは、献げる者も主の働きに共に参加する者となります。

 この手紙にはもう二人、個人名が書かれています。一人は、ディオトレフェスです。上に立とうとする者は退けられ、低くへりくだって人に仕える者を神は高く上げられます。又、高く上げられた時、以前にも優って自らを低くする者でなければなりません。

 もう一人は、デメトリオです。デメトリオは、この手紙を運んだ人だと言われています。ヨハネは彼を「真理のために働く者」として温かく迎えて下さいと、述べています。

勝田台キリスト教会の短い歴史の中においても、「外から来られた」宣教師の働きはどんなに大きなことであったでしょう。それを決して忘れてはなりません。

【ワーシップ】

「イエスが愛したように」 長沢 崇史

イエスが愛したように 私たちも愛し合う

その愛の中で枝となるとき 多くの実を結ぶ

イエスが愛したように 私たちも愛し合う

人が友のため 命を捨てるほどの愛はない

共に支え合い共に助け合う イエスの愛で

共に祈り合い共に笑い合う イエスの愛の中

【消息・報告】

〇 九月二〇日は敬老の日です。教会から敬老者(八〇歳以上)の方々にささやかなみことばの短冊をお渡しします。

〇 九月三〇日まで千葉県に緊急事態宣言が延長されました。集まっての全ての集会を中止致します。十月以後については、後日ご連絡します。動画、カセット、文書による自宅礼拝を霊と真実をもってささげて下さい。

尚、続けて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年九月一二日 第五〇巻 第三七号

礼  拝 順 序  

前  奏 二六 我が主の御業は

招  詞 第一テモテ二・四~七

頌  栄 六〇 

賛  美 イエスが愛したように

交 読 文 四四 詩篇一三九

(八六二~八六三頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 一六〇 主の真理は荒磯の岩

聖  書 第二ヨハネ一~一三

メッセージ「真理の内を歩む」  竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美 三二一 浮世の風と

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 一七〇 マジェスティ )


【説教要約】「真理の内を歩む」

第二ヨハネ一~一三

私たちはヨハネの手紙第一を読み終えているので、この手紙を書いた「長老」はイエスの弟子のヨハネであることが良くわかります。

この手紙の宛先は、教会で善い働きを先頭に立って行う婦人とその子供たち、と書かれています。特に「婦人よ」と個人的な名前は書かれていませんが、教会の働きが、今日もそうであるように、女性たちによって力強く成されていたことがわかります。

「あなたがたの子どもたちの中に、私たちが御父から受けた戒めのとおりに、真理の内に歩んでいる人がいるのを見て、私はとても喜んでいます。(・四」とあります。その婦人の子どもたちが、真理(信仰)をしっかりと継承していることがわかります。

 ヨハネが婦人たちに伝えたいことは、第一の手紙と同じく、「互いに愛し合う」という御父の戒めです。その具体的な内容は「真理の内を歩む」ことであると勧めています。短い手紙の中に、「愛」が5回、「真理」という言葉が7回出て来ます。婦人たち自身が真理の内を歩み、その子供たちが「真理の内を歩む」ように教導すべきことを教えています。

 若い人は、いつの時代も新しいものを好み、近代的な知識を求めます。異端に限らず、新興宗教に惹かれていく若者も真面目な学識のある者達です。ヨハネの手紙第一でも学びましたが、イエスは善であって肉体をもっておられないという、ヘレニズム文化下での考え方では合理的なグノーシス(知識)に傾倒していくキリスト者の若者が多かったのかも知れません。ヨハネはその様な者たちとの交わりさえも禁じています。

 「世」も「異端」も真理の内にありません。的外れな歩みです。真理の内を歩むとは、イエスを信じ、神の愛の中、神の戒めの中を、聖霊の助けによって歩む事です。真理の内を歩みなさい。そして教えなさい。

【ワーシップ】

「イエスが愛したように」 長沢 崇史

イエスが愛したように 私たちも愛し合う

その愛の中で枝となるとき 多くの実を結ぶ

イエスが愛したように 私たちも愛し合う

人が友のため 命を捨てるほどの愛はない

共に支え合い共に助け合う イエスの愛で

共に祈り合い共に笑い合う イエスの愛の中

【消息・報告】

〇 次週の礼拝は、敬老者祝福の日です。教会から敬老者(八〇歳以上)の方々にささやかなみことばの短冊をお渡しします。

〇 八月二日~九月一二日まで千葉県に緊急事態宣言が発令されています。集まっての全ての集会を中止致します。九月一三日以後については、後日ご連絡します。動画、カセット、文書による自宅礼拝をささげて下さい。霊と真実とをもって、主を礼拝しましょう。

尚、続けて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 教会学校のリモートをスタートしました。千葉栄光教会の教会学校に合流します。毎週日曜(第三除く)、午前九時半~一〇時一〇分まで行っています。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年九月五日 第五〇巻 第三六号

=昇天者記念礼拝=

礼  拝 順 序  

前  奏 四四四 屈するなかれ

招  詞 ヨハネ三・一六

頌  栄 六〇 

賛  美 命の水(ワーシップ)

交 読 文 四三 詩篇一三六 (八六二頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷        

賛  美 四三三 天つ真清水 

聖  書 第一ヨハネ五・一三~二一

メッセージ「永遠の命を持っている」    竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美 二〇一 イエスはわがいのち

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 三三〇 幸い薄く見ゆる日に)


【説教要約】「永遠の命を持っている」

第一ヨハネ五・一三~二一

召天者記念礼拝

私たちの国籍は天にあります。私たちの名は天に記されています。世の終わり、主の再臨のその日、主イエス・キリストが私たちの名を呼んでくださいます。その時、このお方のご権威によって、瞬く間に一瞬にして私たちは、新しい復活のからだに化えられます。

ヨハネは手紙の最後に「神の子の名を信じるあなたがたに、これらのことを書いたのは、あなたがたが永遠の命を持っていることを知って欲しいからです。」(・一三)とその目的を再び書き記します。

知って下さい。私たちは永遠の命を持っています。永遠の命とは、御子イエス・キリストご自身であり、そのイエスと結ばれていること、内にいること、交わりの中にいることです。永遠という表現は時の永遠を想像してしまいますが、死に結ばれた定めにある私たちが、永遠の命であるイエスに結ばれることを意味しています。目に見える肉体は朽ち果てますが、イエスが死んでよみがえられたように、キリストを持つ者は死んでも生きます。

祈りは神と私たちとのパイプラインです。特に、キリストにある兄弟姉妹の信仰の歩みの為に祈りましょう。「神を愛する者は、自分のきょうだいも愛すべきです。」(四・二一)「教会員一同が高齢の者から幼子に至るまで、新しい一週間、神と共に、その祝福の中を歩むことができますように」。私たちの信仰生活は、きょうだいしまいの祈り、助けによっても支えられることを知って下さい。

キリストは真実の神であり、永遠の命です。


【ワーシップ】命の水 作詞作曲 田中満矢

ここに命の水があふれ流れる 

罪も汚れも洗いきよめられる

飢え渇く者全て満たされていく

命なき者全て花を咲かす

全てが生きる この水は癒し 

全てが生きる この水は満たし 

全てが生きる この水は命 わたしは生きる

あなたが源(みなもと) 我が命 力 とこしえに

あなたが源 あふれ流れ川となる

 

【消息・報告】

〇 本日は召天者記念礼拝でした。主の御許に召された兄弟姉妹を覚え、私たちも信仰の道のりを走り抜きましょう。

〇 八月二日~九月一二日まで千葉県に緊急事態宣言が発令されています。集まっての礼拝、全ての集会を中止致します。九月一三日以後の礼拝・諸集会は、再開の際にはご連絡します。動画、カセット、文書による自宅礼拝をささげて下さい。霊と真実とをもって、主を礼拝しましょう。

尚、続けて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年八月二九日 第五〇巻 第三五号

礼  拝 順 序  

前  奏 

招  詞 ローマ一・一六~一七

頌  栄 六〇 

賛  美 一八二 ただ信ぜよ

交 読 文 四二 詩篇一三〇 (八六一頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 四五八 光の高地に 

聖  書 第一ヨハネ五・一~一二

メッセージ「信仰による勝利」      竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美 二八二 見ゆるところによらず

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時  )


【説教要約】

「信仰による勝利」第一ヨハネ五・一~一二

「世」とは何でしょうか。

私たちは「世」に生きています。「世」と切り離された生活はありません。聖書が「世」 という言葉を使います時に、世界という一般的な意味で「世」を使う時もありますが、ほとんどは、神に背を向ける罪の中にある世界、不信仰な、真の神に無関心な、自己中心な私利私欲の世界を示しています。「世と世にあるものを愛してはなりません。…全て世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、見栄を張った生活は、父から出たものでなく、世から出たものです。」(第一ヨハネ二・一五~一六)

「世」にある限り、このような執着から解き放たれることはありません。罪の誘惑は常にあり、世の権力は圧を与え、日々の生活には、コロナ、病気、貧しさ、人間関係の圧力、争い、様々な試練が打ち寄せて来ます。又、内側からも教会や信仰生活の中に「世」が入り込んで来て、反キリスト、偽教師が、私たちを高慢へと誘う世の知識、異端、曲がった教えへと惑わします。「世」の力には、人が決して抗う事のできない、老い、死の定めがあります。聖書は、ただイエス・キリストが神の御子であると信じる信仰によって、私たちは世に勝利すると語っています。

私たちの信仰は「神の証し」によって支えられ、力を受け、イエスを主と告白します。私たちは「神の証し」を内に持っています。その証しとは3つで、水と霊と血です。

「水」は新生の経験です。私たちは世に、肉から生まれた者ですが、今や、新しく神に、霊から生まれた者です。新生の経験は一度です。あなたがどのような中から神の救いを受けたのか、自分の中に秘めておくのでなく、語り伝えましょう。

「血」はイエスの十字架の贖いの血による罪の赦し、清めです。私たちの信仰の旅路は十字架に始まり十字架に終わります。私たちの内には、キリストの血・命が流れています。聖餐を通し、毎回私たちはそれを確かめます。

「霊」は聖霊です。聖霊は私たちの内に、私たちの人生にキリストを顕して下さいます。よみがえり今も生きておられるイエスを、イエスのことばを啓示します。聖霊、神の霊、イエスの御霊、「神の証し」を私たちは内に持っています。

私たちは「神の証し」、水、血、霊を内に持っています。全てのキリスト者は持っています。「世」に勝つ者とは誰でしょうか。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。


【消息・報告】

〇 八月二日~九月一二日まで千葉県に緊急事態宣言が発令されています。集まっての礼拝、全ての集会を中止致します。九月一三日以後の礼拝・諸集会は、再開の際にはご連絡します。動画、カセット、文書による自宅礼拝をささげて下さい。霊と真実とをもって、主を礼拝しましょう。

尚、続けて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 毎週水曜午後2時半~3時半、ライングループで祈祷会を行っています。参加できそうな方は、ライングループにご登録下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年八月二二日 第五〇巻 第三四号

礼  拝 順 序  

前  奏 

招  詞 ヨハネ一五・九

頌  栄 六〇 

賛  美 ここに愛がある(ゴスペル)

交 読 文 四一 詩篇一二七 (八六一頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷        

賛  美 二一八 汚れと辱との

聖  書 第一ヨハネ四・七~二一

メッセージ「神は愛です」    竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美 二二七 キリストの愛我に迫れり

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時  )


【説教要約】

「神は愛です」  第一ヨハネ四・七~二一

 聖書に記されている神はどのようなお方ですか。最も短い言葉で言えば、「神は愛」です。ヨハネは神というお方について、何よりも、第一に「神は愛である」ことを伝えています。

 日本人の神観は、〇〇〇を叶えて下さる神という意識が強いかと思います。無病息災、商売繁盛、学業成就、交通安全等、〇〇〇にご利益のある神と、その働きは分業しています。それぞれの願いに合わせてお詣りします。又、先祖崇拝の仏教文化の中で、仏様や先祖が自分や家族、一族を護ってくれていると信じて、供養し、仏壇やお墓の前で手を合わせます。そういう意味では日本人は、聖書にある「神は愛」という神についての理解は持っていないか、希薄であるかと思います。実際、キリスト者になる前の私たちも、神がどのようなお方であるかは知りませんでした。「神は愛」という神の理解、認識はほとんどなかったことでしょう。

イエスの愛

 御子イエスは、死と滅びに定められた私たちが永遠の命を得る為に、私たちの罪の贖いとして十字架で命を捨てられました。ご自身の命を与える為に、死なれました。ここにイエスの私たちに対する愛があります。

父なる神の愛

 父なる神はその独り子をお与えになったほどに、罪ある私たちを愛して下さいました。誰が自分の最も愛する者を、神に背を向ける罪人の為に犠牲とするでしょうか。ここに私たちに対する神の愛があります。

聖霊の愛

聖霊なる神は、私たちの人生、私たちの内に働いて、御子イエスを知らせます。聖霊によらなければ、私たちは神も、イエスも、その愛も知り、経験することができません。聖霊は神の愛、その御心を知らせ、教え、実行させる教師です。

父、御子、御霊の神は「愛」です。この交わりの中に私たちもいます。そして、この神の愛の中にいる者はきょうだいを愛します。


【ゴスペル】

「ここに愛がある」    作詞作曲 河内源一

ひとり子を遣わし 神は私たちに

 いのちを得させて くださいました

 私たちが神を 愛したのではなく

 神が私たちを愛し 御子を遣わされた

(おりかえし)

 ここに愛がある 神の愛が示された

 ここに愛がある 神は愛なり

【消息・報告】

〇 八月二日~八月三一日まで千葉県に緊急事態宣言が発令されています。集まっての礼拝、全ての集会を中止致します。九月からの礼拝・諸集会は、再開の際にはご連絡します。動画、カセット、文書による自宅礼拝をささげて下さい。霊と真実とをもって、主を礼拝しましょう。

尚、続けて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 毎週水曜午後2時半~3時半、ライングループで祈祷会を行っています。参加できそうな方は、ライングループにご登録下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年八月一五日 第五〇巻 第三三号

礼  拝 順 序  

前  奏 一九〇 静けき祈りの

招  詞 ピリピ二・六

頌  栄 六〇 

賛  美 イエスは神であるのに

交 読 文 四〇 詩篇一二六(八六〇頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 二五九 聖いふみは教える

聖  書 第一ヨハネ四・一~六

           ・一三~一五

メッセージ「イエスに向かっての二つの告白」    竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美 一四一 イエス君は

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時  三八二 心から願うのは )


【説教要約】

「イエスに向かっての二つの告白」

第一ヨハネ四・一~六、一三~一五

私たちの教会、信仰生活、宣教の働きは、「聖霊の働き」によって、そのお方の主導権、助けによって全てが成されることを私たちは知っています。全ての神の働きは、人の権勢や能力によらず、神の霊によることを知っています。しかし、霊の働きは目に見えませんし、以前にもお話ししたようにサタンでさえも天使に偽装して人を惑わしますので、その霊を見分けなければなりません。

聖霊も悪霊も目に見えない霊です。どの霊も信じるのでなく、神から出た霊か、偽預言者から出た霊か見分けなればなりません。霊である神を知り、神に反逆する悪霊の働きがあることを聖書から知る私たち、目に見えない霊的な闘い、信仰の闘いがあることを経験する私たちにとっては重要な内容です。日々の生活の中で起こっている目に見える困難や試練、又、変わらない日常生活。同時にその背後には、目に見えない霊的な闘い、信仰と不信仰との闘いがあります。

私たちはその中で、私たちの救い主イエスを信じ、仰ぎ、従い、その内にとどまり、イエスを告白します。

「イエスが肉体をもって人となれらたことを告白しない霊は、神から出ていない、反キリストです」(・二)

「誰でも、イエスを神の子と告白すれば、その人の内に神はとどまってくださり、その人も神の内にとどまります。」(・一五)

イエスに向かっての二つの告白があります。人となれらたこと。そして神の御子であることです。私たちの救い主イエスは、私たちを救う為に、人となられた神です。


【聖歌総合版一九八番】

「イエスは神であるのに」

一、イエスは神であるのに

  人の子として生まれ

  若き日をば大工で 過ごしました

(おりかえし)

  この気高い救い主が 

  今も生きて我らを救うのです

二、イエスのなめた人生 人が思う以上の

  貧と汗と涙の 続きでした

三、罪があれば愛もて 赦し咎めだてもせず

  病あれば手をつけ 癒しました

四、ユダはいつか悪魔の 

       弟子と変わり師を売り

       へびのような祭司に 渡しました

五、ローマの兵はイエスをば

  縄で縛りむち打ち

  衣服剥いで木に架け 殺しました


【消息・報告】

〇 八月二日~八月三一日まで千葉県に緊急事態宣言が発令されています。集まっての礼拝、全ての集会を中止致します。九月からの礼拝・諸集会は、再開の際にはご連絡します。動画、カセット、文書による自宅礼拝をささげて下さい。霊と真実とをもって、主を礼拝しましょう。

尚、続けて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年八月八日 第五〇巻 第三二号

礼  拝 順 序  

前  奏 二〇二 一度死にし我をも

招  詞 ローマ五・六~八

頌  栄 六〇 

賛  美 イエスが愛したように

交 読 文 三九 詩篇一二二(八六〇頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 四二六 世には良き友も

聖  書 第一ヨハネ三・一一~二四

メッセージ「行いと真実をもって愛する」 竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美 四〇六 主に在りて生くるとき

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時  二五六 御翼のもとに )


【説教要約】「行いと真実をもって愛する」 第一ヨハネ三・一一~二四

神の子どもとしての印の一つは、「きょうだいを愛する」ことです。教会にとって、宣教において、世に向かってキリストを証しすることにおいて、「きょうだいを愛する」ことはとても大事なイエスの戒めであり、命令です。

「きょうだいを愛さない者」を非常に厳しい表現でヨハネは記しています。「死のうちにとどまっています」(・一四)「きょうだいを憎む者は人殺しです」(・一五)。カイン(兄)とアベル(弟)の例(創世記四・一~一六)を示します。「カインのようになってはいけません(・一二)」。アベルは行いが正しく、カインは行いが悪かったとあります。カインの殺意のきっかけは嫉妬です。カインの捧げ物、捧げ方の何が悪かったのかは記されていませんが、アベルは自らの手で働いて得たものの中から、最も良い捧げ物をしました。きょうだいを憎む者になってはいけません。それは人殺しですというのは、兄弟を憎んで殺人を犯した代表者カインを指しています。

 キリストの愛はそもそも「罪人を、敵をも愛する」愛です。好むところが多いから、相性が良いから愛するのではありません。イエスは言われました、「自分を愛してくれた人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。」(マタイ五・四六)

私たちは好ましいから愛するのではない。イエスの愛をいただいているから愛するのです。感情に左右されるものでも、ストレスを感じながら無理をするのでもありせん。イエスのおことば、イエスのおこころ、イエスに従う故に愛するのです。これが、御子のうちにとどまるということです。「御子は私たち(罪びと)のために命を捨てて下さいました。それによって、私たちは愛を知りました。だから、私たちもきょうだいのために命を捨てるべきです。」

きょうだいのために命を捨てる、ということばは非常にハードルの高いものかも知れませんが、経済的に困っているきょうだいを助けることは具体的な勧めです。大事なのは、まず自分にできる行いと真実をもって愛することです。それを実行する時、私たちに真の平安があります。

【ワーシップソング】

「イエスが愛したように」 長沢 崇史

イエスが愛したように 私たちも愛し合う

その愛の中で枝となるとき 多くの実を結ぶ

イエスが愛したように 私たちも愛し合う

人が友のため 命を捨てるほどの愛はない

共に支え合い共に助け合う イエスの愛で

共に祈り合い共に笑い合う イエスの愛の中

【消息・報告】

〇 八月二日~八月三一日まで千葉県に緊急事態宣言が発令されています。集まっての礼拝、全ての集会を中止致します。九月からの礼拝・諸集会は、再開の際にはご連絡します。動画、カセット、文書による自宅礼拝をささげて下さい。霊と真実とをもって、主を礼拝しましょう。

尚、続けて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年八月一日 第五〇巻 第三一号

礼  拝 順 序  

前  奏 

招  詞 ローマ八・一四~一六

頌  栄 六〇 

賛  美 神の家族

交 読 文 三八 詩篇一二一(八五九頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 四五七 憂いと罪より

聖  書 第一ヨハネ三・一~一〇

メッセージ「私たちは神の子どもです」 竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美 三七二 聖なるものと

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時     )


【説教要約】

「私たちは神の子どもです」 第一ヨハネ三・一~一〇

「事実、私たちは神の子どもなのです」

私たちは、既に、今や、神の子どもとされていることを知るべきです。父なる神の、どれほど大きなその愛によって、私たちが神の子どもとされているかを知るべきです。

「子どもとされた」という表現は、以前はそうではなかったが、今そうなったという事実、又、親と子の関係に入れられたという、養子縁組されたようなものです。全く違った環境で育ってきた者が、別の親の許に、家族の中に入れられるということは、すぐにその家族に馴染むものではないかも知れません。過去の素の部分は、すぐに変わらないものがあるかも知れません。しかし、新しい天の御父、御子イエス、助け主なる聖霊との交わり、そして、キリストにある兄弟姉妹、聖徒の交わりの中に入れられた者の生き方が、変えられていく。それは当然の結果だと思います。

神の子どもはどのような者に変えられるのでしょう。神との交わりの中で、キリストに似た者へと変えられます。聖化とは、一言で言うと、キリストに似た者へと変えられることです。私たちの望みは、神ご自身に近づいて(礼拝)、神の前に立ち、座し、自分自身を神にお献げし、陶器師であられるその御手の中に陥り、新しくキリストに似た者へと造られることこそが重要です。

神の子どもたちは、罪に陥らず清さの中を歩みます。義を行います。それは御子イエスには罪がなく、私たちの罪を取り除いて下さるからです。世と世にあるものとを求めてばかりの私達は、神のみことばに耳を傾け、神の国と神の義を追い求めましょう。そのような者に主は豊かに聖霊を注いで下さいます。

「きょうだいを愛する」ことも同様です。それはキリスト者にとって特別な、大事な戒めです。キリスト者でない者に、聖書は「きょうだいを愛せ」とは命じません。キリストの愛を知っている者同士に対する戒めです。

「神の子どもと悪魔の子どもとの区別ははっきりします(・一〇)。」非常に厳しい言葉ですが、「きょうだいを愛する」ことこそが、世の人々が、私たちが神の子であることを知ることになるのです。

【ワーシップソング】

「神の家族」     作詞作曲 長沢崇史

どんな宝石より美しく尊い

神の愛によって結ばれた関係

(おりかえし)

神の家族 キリストにあってひとつ

神の家族 永遠に続く家族

ひとつの体分け合う 欠けてはならない存在

共に泣きともに喜ぶ 愛により建てられてく

【消息・報告】

〇 七月一九日~八月二二日まで八千代市が蔓延防止措置地域となっています。集まっての礼拝、全ての集会を中止致します。八月二九日からの礼拝・諸集会は、再開の際にはご連絡します。動画、カセット、文書による自宅礼拝をささげて下さい。霊と真実とをもって、主を礼拝しましょう。

尚、続けて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年七月二五日 第五〇巻 第三〇号

礼  拝 順 序  司

前  奏 

招  詞 第二コリント一・二一~二二

頌  栄 六〇 

賛  美 注ぎたまえ主よ

交 読 文 三七 詩篇一一九

(八五八~八五九頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 一三五 御霊は天より

聖  書 第一ヨハネ二・一八~二九

メッセージ「注がれた油(聖霊)」    竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美 四一五 恵み深き御神よ

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時     )


【説教要約】

「注がれた油(聖霊)」第一ヨハネ二・一八~二九

ヨハネの手紙の時代背景。イエスの十字架と復活を起点として、イエスの弟子、キリスト者、教会に対する大規模な迫害が起こります。同族のユダヤ人から、異邦人から、又、ローマからの迫害(政治的背景)を受けます。又、教会内から異端が起こります。イエスを信じる者に対する外側から、内側からの闘いがあります。ヨハネは反キリストによって迫害を受けている教会の兄弟姉妹を励まします。

惑わす者(・二六)、異端は真理と似ていて非なるものです。厄介なのは似ていることです。サタンでさえ光の天使に偽装して誘惑すると言います。第二コリント一一・一二~一五を注意深く読んで下さい。最初のキリスト者たちは厳しい闘いの中に置かれています。

*曲がった教え(異端)との闘いの歴史の中で、教会は、信条、信仰告白、信仰問答を唱えてきました。使徒信条はそれらが基礎です。

 反キリストは、イエスをキリスト(旧約聖書の預言にある救い主)であることを否定する者です。①反キリストは、イエスが神であることを否定します。イエスが人であることを否定します。②三位一体の神を否定します。

自らの神に対する信仰・認識を吟味する必要があります。色眼鏡(我が先に、知識や経験が先に立つ)で聖書を読むことなく、へりくだって聖書に耳を傾け、他の信仰者、先達者の言葉に謙遜に耳を傾ける者でなければなりません。最も大きな危険は、自分が正しい、自分の教会が正しいとする「孤立した我の正しさ」です。(揺るぎのない信仰とは似ていて別のものです。)兄弟姉妹を裁き、教会を分裂させ、交わりを破壊していきます。

正しいお方は神おひとりです。「油を注がれる」とは、自らの正しさを神の前に徹底的に砕かれる人です。聖なる神の前に立ち、自分の信仰は正しいと言い得る者がいるでしょうか。油(聖霊)は、神のみが正しいお方であり、この正しいお方に従うように、時には悔い改め、軌道修正して従うように、私たちを導きます。神の戒めに生きる力を与えます。神のおことばに従って生きるならば、私たちは御子と御父の内にとどまります。

【ワーシップソング】

注ぎたまえ主よ 作詞作曲 Kim Bollinger                  

一、注ぎたまえ主よ 恵みとあわれみを

天が開くため祈る 聖霊の力を

*主の御霊よ触れたまえ 我が心に

主の教会に 雨を降らせリバイバルを

来たらせたまえ この地の上に

二、受ける価値なき我ら 御前に進み祈る

  ああ栄光のみわざ 見させたまえ

【消息・報告】

〇 七月一九日~八月二二日まで八千代市が蔓延防止措置地域となります。集まっての礼拝、全ての集会を中止致します。八月二九日からの礼拝・諸集会については、再開の際にご連絡します。動画、カセット、文書による自宅礼拝をささげて下さい。霊と真実とをもって、主を礼拝しましょう。

尚、続けて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にお祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年七月一八日 第五〇巻 第二九号

教会創立五〇周年記念礼拝

礼  拝 順 序  

前  奏 一六八 ハレルヤと歌え

招  詞 イザヤ四三・一~五

頌  栄 六〇 

賛  美 四二三 村の小さき教会

交 読 文 八 詩篇二四(八三四~八三五頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 一七二 望みも消えゆくまでに 

聖  書 ヨハネ一一・三八~四四

メッセージ「神の栄光を見る」-五〇年の歩み-  竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美 三五五 主と共に歩む

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 二八六 シャロンの花)


【説教要約】

「神の栄光を見る」-五〇年の歩み-

ヨハネ一一・三八~四四

本日は勝田台キリスト教会五〇周年記念礼拝となります。主が大牧者として、どんな時にも勝田台教会と共にいて下さり、導いて下さり、祝福して下さったことを感謝します。

一九七一年四月、中居豊牧師、栄子牧師が日本ホーリネス教団から佐倉開拓に任命され、着任されました。開拓伝道の準備がなされ、四名の聖書学院修養生が伝道チームとして派遣されて来られました。そして、一九七一年七月一八日、勝田台天幕クルセードが開始されました。その日から本日が丁度五〇年となります。勝田台、米本、志津、大和田で天幕集会を行い、その年の一二月、最初の教会堂が建ち、献堂式が行われました。勝田台教会の歩みは、決して平坦なものではなかったと思いますが、神様が、牧師、教会に、順風の時も、逆境の時も、その都度、みことばを下さって、励まし、聖霊に満たし、力を与えて前進させて下さったことを感謝します。

 五〇周年記念誌巻頭のみことばに「もし信じるなら、神の栄光を見ると言ったではないか。」(ヨハネ一一・四〇)を載せました。教会開拓時代の会報や、牧師の文章の中にもこのみことばが繰り返し記されていました。記念礼拝の聖書箇所として、この個所からメッセージを聞きたいと願っています。

一、苦難の中にイエスがおられる

 私たちは苦難に目を向け、絶望し、落胆する者ですが、目を向けるべきは、その只中にご臨在される主イエスです。

二、憐れみ豊かなお方イエス

 「イエスは涙を流された」私たちの主は、血の通った温かい、心ある、憐れみ豊かなお方です。

三、石を取りのける私達

 信じるとは心で思うだけではありません。イエスの言われた通りに行動することです。どんなに不可能に思われ、意味がないと私たちの常識や経験がささやいても、私たちはイエスに従います。

四、神の栄光を与えるイエス

 神の栄光とは、決して滅びることのない永遠の命です。イエスは誰よりもそれを受け取ることを願っておられます。神の栄光とは、イエスのおこころ、イエスの御力の、私に対する、教会に対する、そして世界に対する実現です。

【消息・報告】

〇 本日教会創立五〇周年記念日となります。主が五〇年、教会を祝福し、導いて下さったことを感謝します。礼拝前、記念誌を皆様に配布致します。既に記念誌を贈呈した多くの方々からお手紙が届いています。受付に置いてあります。ご覧ください。

〇 七月一九日~八月二二日まで八千代市が蔓延防止措置地域となります。明日から八月二八日までの全ての集会を中止致します。八月二九日からの礼拝・集会は、再開の際にはご連絡します。動画、カセット、文書による自宅礼拝の準備も続けてまいります。

尚、続けて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにお祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年七月一一日 第五〇巻 第二八号

礼  拝 順 序  

前  奏 三三四 朝静かに

招  詞 レビ一九・一七~一八

頌  栄 六〇 

賛  美 イエスが愛したように

交 読 文 三六 詩篇一一六 

(八五七~八五八頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 二九〇 「野の花を見よ」と 

聖  書 ヨハネ第一の手紙二・七~一六

メッセージ 「古くて新しい戒め」    竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美 八九 神は独り子を 

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 二〇八 イエスは愛で満たす)


【説教要約】「古くて新しい戒め」

ヨハネの手紙一、二・七~一六

 老ヨハネがキリストにある教会の兄弟姉妹に心から願うのは、「互いに愛し合いなさい」という昔からの古い聖書の戒めです。

 イエスは律法の中で最も大事な戒めは、「全身全霊を尽くして神を愛すること」又同じように「自分を愛するように隣人を愛すること」と言われました。ヨハネはその中でも「きょうだい」を愛しなさいと強調しています。聖書協会共同訳第一ヨハネでは、兄弟を「きょうだい」とひらがな表記しています。ここで言う兄弟とは、血縁の兄弟姉妹のことではなく、キリストを信じる者同士について「きょうだい」と呼んでいます。キリストを信じる者たちは、同じお方を「父」と呼ぶ、新しい家族、神の家族、兄弟姉妹です。

教会はファミリー(家族)であり、コミュニティー(共同体)です。イエスによって結ばれた家族です。兄弟に血の繋がりがあるとするならば、私達キリスト者は、キリストの血による繋がりと言えるかも知れません。私たちキリスト者の間を結ぶもの、その絆は、「キリストの愛」です。私たち兄弟姉妹は、キリストが愛したように互いに愛し合います。

全ての隣人を愛する以上に、特にキリストにある兄弟姉妹を愛することは大切です。なぜなら、私たちはキリストにあって、既に一つとされた者だからです。キリストにある兄弟姉妹が互いに憎み合い、互いに憐みのない無関心な者であるならば、キリストの愛は私たちの内になく、闇の中にいます。キリストの教会が神の愛を表さずして、どこで神の愛を私たちは経験できるのでしょうか。

イエスは言われています。「あなたがたに新しい戒めを与える。互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したようにあなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたが私の弟子であることを、皆が知るであろう」。(ヨハネ一三・三四~三五)

【ワーシップ】

「イエスが愛したように」 長沢 崇史

イエスが愛したように 私たちも愛し合う

その愛の中で枝となるとき 多くの実を結ぶ

イエスが愛したように 私たちも愛し合う

人が友のため 命を捨てるほどの愛はない

共に支え合い共に助け合う イエスの愛で

共に祈り合い共に笑い合う イエスの愛の中

【消息・報告】

〇 次週一八日(日)礼拝は、教会創立五〇周年記念日となります。定刻午前一〇時~一階、二階の上下に分かれて記念礼拝を行います。又、記念誌を皆様に配布致します。

〇 再来週、七月二五日(日)からの礼拝は二部制礼拝を予定しています。一部午前九時半~、二部午前一一時~。礼拝はご自身の健康・状況を良く考えて自己判断し、御出席下さい。動画、カセット(録音テープ)、文書による自宅礼拝の準備も続けてまいります。

尚、続けて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにお祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年七月四日 第五〇巻 第二七号

礼  拝 順 序  

前  奏 二一二 天なる喜び

招  詞 ヘブル一〇・一二~一四

頌  栄 六〇 

賛  美 イエスが愛したように

交 読 文 三五 詩篇一一〇 (八五七頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 一〇二 主は命を

聖  書 ヨハネ第一の手紙二・一~六

メッセージ 「あきらめない弁護者イエス」 竹田広志牧師

祈  祷

聖 餐 式 四九 しみも咎も 

賛  美 二二七 キリストの愛我に迫れり 

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 四七四 主が私の手を )


【説教要約】「あきらめない弁護者イエス」 ヨハネの手紙一、二・一~六

 「これらのことを書き送るのは、」とヨハネは再びこの手紙を書く目的を示します…既に彼は、御父と御子イエス・キリストとの交わりを持つようになるため(一・三)と、私たちの喜びが満ち溢れるようになるため(一四)と書いて、そして、本日の箇所では「罪を犯さないようになるためです(二・一)」と書いています。

一、罪を犯さないようになるためです

イエスを信じて、神と交わりを持ち、イエスの血潮によって清められる私たちの歩みは、「罪を犯さないようになる」のでしょうか。私たちが罪を犯さないで生きることはできるのでしょうか。

「あなたは救われても変わらない」「あきらめてしまいなさい」これがサタンの常套文句です。「あなたがたはまだ、罪と闘って、血を流すまで抵抗したことがありません。(ヘブ一二・四)」罪との闘い、不信仰との戦いを放棄してはいけません。

二、あきらめない弁護者イエス

 「たとえ罪を犯しても、私たちには御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。この方こそ、私たちの罪、いや、私たちの罪だけではなく、全世界の罪のための宥めの献げ物です。」(・一~二)

 イエスはあきらめません。私たちの罪を執り成すことにあきらめません。私たちが幾度罪を犯しても、弁護の働きを降りません。ご自身の血潮をもって成されるイエスの弁護こそが、私たちが罪に打ち勝つ根拠です。日々この恵みを受け止め、みことばに従って歩みましょう。

【ワーシップ】

「イエスが愛したように」 長沢 崇史

イエスが愛したように 私たちも愛し合う

その愛の中で枝となるとき 多くの実を結ぶ

イエスが愛したように 私たちも愛し合う

人が友のため 命を捨てるほどの愛はない

共に支え合い共に助け合う イエスの愛で

共に祈り合い共に笑い合う イエスの愛の中

【消息・報告】

〇 本日礼拝後、臨時総会を行います。出席できない方々は委任状をご提出ください。

〇 変更のお知らせ 次週七月一一日(日)、一八日(日)の礼拝は、このまま継続して午前一〇時から、一階と二階に分かれて礼拝を行います。

〇 一八日(日)礼拝は、教会創立五〇周年記念日となります。記念礼拝を行います。又、創立五〇周年記念誌を皆様に配布致します。

〇 七月二五日(日)からの礼拝は二部制礼拝を行います。礼拝はご自身の健康・状況を良く考えて自己判断し、御出席下さい。動画、カセット(録音テープ)、文書による自宅礼拝の準備も続けてまいります。

尚、続けて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにお祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【臨時総会の掲示】

本日七月四日(日)礼拝後、臨時総会を開き、教会墓地についての審議と決議を行います。

二〇二一年六月二七日 第五〇巻 第二六号

礼  拝 順 序  

前  奏 一三七 聖なる 聖なる

招  詞 詩篇三二・一~五

頌  栄 六〇 

賛  美 イエスが愛したように

交 読 文 三四 詩篇一〇八 (八五六頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 三四 主よ汝が前をば

聖  書 ヨハネ第一の手紙一・五~一〇

メッセージ 「罪の赦しと清め」  竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 三五 告げよ主に 

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 一六五 イエスに栄光あれ )


【説教要約】「罪の赦しと清め」 ヨハネの手紙一、一・五~一〇

イエスは「救い主」です。私達を何から救って下さるのでしょうか。あらゆる困難の中から私達を救い出して下さいます。

 しかし、聖書が私達に伝えている「イエスの与える救い」は、実は最も深刻で、致命的で、どんな問題よりも取り組まなければならない未解決の、根本的な定めからの救いなのです。それは私達が抱えている罪、闇であり、死であり、滅びであります。私達は、聖書が明らかにする自分自身の真相、自分自身の定めから逃げ出すことはできません。

 自らが神の前に、罪深い者であることを認める人は、何と幸いな者でしょう。私達は「自分には罪がない」「罪人ではない」と言い張ります。なぜでしょう?それは聖なる神を知らないからです。「罪を犯したことが無いと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉は私たちの内にありません」。誰かと比べ、あるいは、世の中のもっと罪深い人と比べて、私は「死」や「滅び」を宣告されるような大きな罪を犯してはいないと言います。キルケゴールは「本当の自分の姿から目をそらしている、その絶望が、死に至る病である」と言いました。聖書を通して、神の光の中で、自らの罪深い姿を知らされて、神に救いを求める人は何と幸いな者でしょう。

 全ての人は罪人であり、死に定められています。そして、死んで後、神の前に立ち、神の裁きを受けなければなりません。

「私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、あらゆる不正から清めてくださいます。」(・九)

神の真実とは、イエス・キリストです。私の罪の為に、イエスは十字架で身代わりに罰を受け、命を捨てて下さった。御子イエスの贖いの血が、全ての罪から、私たちをきよめます。 

【ワーシップ】

「イエスが愛したように」 長沢 崇史

イエスが愛したように 私たちも愛し合う

その愛の中で枝となるとき 多くの実を結ぶ

イエスが愛したように 私たちも愛し合う

人が友のため 命を捨てるほどの愛はない

共に支え合い共に助け合う イエスの愛で

共に祈り合い共に笑い合う イエスの愛の中

【消息・報告】

〇 来週七月四日(日)の礼拝は、午前一〇時から一階と二階に分かれて礼拝を行います。第一部礼拝参加者は二階会堂、第二部礼拝参加者は一階多目的室に分かれます。礼拝後、臨時総会を行います。礼拝はご自身の健康・状況を良く考えて御出席下さい。動画、カセット(録音テープ)、文書による自宅礼拝の準備も続けてまいります。

尚、続けて感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにお祈り下さい。

〇 再来週七月一一日(日)からの礼拝は、再び二部制の礼拝といたします。第一部、九時半~、第二部、一一時~となります。礼拝時間をお間違えのないようにご注意下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。

【臨時総会の掲示】

来週七月四日(日)礼拝後、臨時総会を開き、教会墓地についての審議と決議を行います。

二〇二一年六月二〇日 第五〇巻 第二五号

礼  拝 順 序  

前  奏 

招  詞 ヨハネ一五・九~一七

頌  栄 六〇 

賛  美 イエスが愛したように

交 読 文 三三 詩篇一〇四

(八五五~八五六頁)

公同祈祷        

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 二六七 渇ける我は上より賜う

聖  書 ヨハネ第一の手紙一・一~四

メッセージ 「イエスが愛したように」

竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 三八二 心から願うのは 

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時  )


【説教要約】

「イエスが愛したように」

ヨハネ第一の手紙一・一~四  

マルコによる福音書を読み終わり、イエス・キリストの麗しい生涯を読み、このイエスを信じてバプテスマを受け、神からの救いを受けるようにと勧めを受けました。

イエスの十二弟子の中で、最もイエスの近くにいて、イエスに愛された弟子と言われるのが、この手紙の著者ヨハネです。イエスの弟子が迫害を受け、次々に殉教する中、晩年はパトモス島に流刑にはされますが、彼は弟子たちの中で最後まで生き延びます。新約聖書中、ヨハネによる福音書、ヨハネの手紙一,二,三、ヨハネの黙示録を書いた人物です。晩年のヨハネは、教会の指導者として兄弟姉妹に向けて、口癖のように「兄弟姉妹、互いに愛し合っていますか」と語ったと言われています。

この手紙の書かれた目的(~のため)の三つのキーワードは、「永遠の命」、「交わり」、「喜び」です。

1、「永遠の命」を受け取るため(・二)   

2、「交わり」を持つようになるため(・三) 

ヨハネは、私達の持っている交わりに、あなたがたも加わるよう勧めています。その交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わり(コイノニア)です。

3、「喜び」が満ちあふれるため(・四)  

私達はいつも満たされない空洞を持っています。それは、神によってしか満たされない空洞です。

【ワーシップ】

「イエスが愛したように」 長沢 崇史

イエスが愛したように 私たちも愛し合う

その愛の中で枝となるとき 多くの実を結ぶ

イエスが愛したように 私たちも愛し合う

人が友のため 命を捨てるほどの愛はない

共に支え合い共に助け合う イエスの愛で

共に祈り合い共に笑い合う イエスの愛の中

【消息・報告】

〇 本日、午後四時~六時、「千葉・茨城地区プレジャム」がZOOMで開催されます。インターネットでZOOMに参加できる方々は是非、ご参加ください。中高生・青年の方々にお勧めください。メッセージは竹田広志牧師です。

〇 蔓延防止措置は、本日解除の予定です(未定)。次週二七日(日)の礼拝は、午前一〇時から一階と二階に分かれて礼拝を行います。第一部礼拝参加者は二階会堂、第二部礼拝参加者は一階多目的室に分かれます。礼拝後、臨時総会を短く行います。礼拝はご自身の健康・状況を良く考えて御出席下さい。動画、カセット(録音テープ)、文書による自宅礼拝の準備も続けてまいります。

感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにお祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【臨時総会の掲示】

六月二七日(日)礼拝後、(延期の場合は七月四日)、教会墓地についての審議と決議を行います。事前に審議内容を文書でお渡しします。集まって臨時総会が行えない場合は、審議期間を設け、書面によって決議を行います。

二〇二一年六月一三日 第五〇巻 第二四号

礼  拝 順 序  

前  奏 二五八 墨よりも黒き心なれど

招  詞 ローマ一・一六~一七

頌  栄 六〇 

賛  美   一一八 救い主は待っておられる

交 読 文 三二 詩篇一〇三

(八五四~八五五頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 二四四 信ずる者は何びとも

聖  書 マルコ一六・九~二〇

メッセージ 「信じてバプテスマを受ける者は救われる」    竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 一八二 ただ信ぜよ 

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 二六二 我が生涯は )


【説教要約】

「信じてバプテスマを受ける者は救われる」   

マルコ一六・九~二〇

イエス・キリストの生涯をマルコによる福音書から読んでまいりました。

これまで、イエスの権威あることばと、力ある御業、十字架と復活の出来事を読みました。私達が日々礼拝をささげ、祈り、交わりをいただいているイエスをもっと知りたい、そのような思いで読んでまいりました。イエスこそ、生ける神の御子、私達を罪と闇、死と滅びから救う為に天から来られた救い主です。イエスの全てが、私に対する「神の救い」の福音です。

さて、このイエスの生涯を通して、最後に福音書が私達に語るのは、「あなたはこのイエスを信じるか」という問いです。それが福音宣教のことばです。

イエスは墓を訪れた女たち、マグダラのマリヤ、田舎の道を進む二人の弟子たちに、よみがえりのご自身を現わされますが、その知らせを聞いた人は「信じなかった」とあります。聖書の語る人間の最も愚かで、最も憐れむべきものは何でしょうか。不信仰とかたくなな心です。

 イエスは「全世界に行って、福音を宣べ伝えなさい」と言われました。福音とはイエスの生涯とその約束です。そして「信じてバプテスマを受ける者は救われます」と言われます。イエスを信じる者は、罪の赦しと、永遠の命を得ます。

イエスは、ひとりで生きる者ではなく、私を神と共に生きる者とし、私達の人生の意味と目的を取り戻させ、決して希望を失わず、神を愛し、人を愛する者とし、平安と喜びをもって生きる者に、私を造り変えて下さいます。「キリスト・イエスは罪人(この私)を救うためにこの世に来られた、ということばは、真実であり、すべて受け入れるに値します。」(第一テモテ一・一五)不信仰、かたくなな心で生きる者ではなく、今日、イエスの招きにお応えしましょう。イエスを信じて、神の豊かな救いを受け取ってください。

【消息・報告】

〇 八千代市蔓延防止措置指定が六月二〇日まで延長されました。教会に集まっての礼拝、諸集会を六月二六日まで中止します。六月二七日(日)からの礼拝は、コロナ感染の状況を注視しつつ、再開の際には皆様にお知らせいたします。動画、カセット(録音テープ)、文書による自宅礼拝をおささげください。

尚続けて、感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにお祈り下さい。

〇 本日は「花の日」です。教会学校から療養中の方々に励まし、お見舞いの葉書をお送りしました。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【臨時総会の掲示】

六月二七日(日)礼拝後。(延期の場合は七月四日)。教会墓地についての審議と決議を行います。事前に審議内容を文書でお渡しします。集まって臨時総会が行えない場合は、審議期間を設け、書面によって決議を行います。

二〇二一年六月六日 第五〇巻 第二三号

礼  拝 順 序  司会 

前  奏 四〇九 燃ゆる御霊よ

招  詞 第一コリント一五・二〇~二一

頌  栄 六〇 

賛  美 二五七 キリストは生きておられる

交 読 文 三一 詩篇一〇〇(八五三頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 一二三 救いの主は

聖  書 マルコ一六・一~八

メッセージ 「ここにはおられない。よみがえられた」 竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 一二七 墓の中に 

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時  一二六 地よ声高く )


【説教要約】「ここにはおられない。よみがえられた」    マルコ一六・一~八

 イエスの生涯を、礼拝でマルコによる福音書から読んでまいりました。いよいよ最終章となります。

本日は「三日目に死人のうちよりよみがえり」の記事を読みます。十字架に向かい、その足元に身を置いた私達は、今朝はイエスの遺体が納められた墓に赴きます。

土曜日の安息日が明けるや否や、マグダラのマリヤをはじめ、数人の女たちが朝一番にイエスの身体に塗る香料を用意して墓に出向きます。イエスの埋葬から三日目、日曜日の朝の出来事です。私達が土曜日を安息日とせず、日曜日を安息日としていますのは、主の日、復活の主の日としてです。キリストの教会において、聖書の安息日を変更したことは、イエスのよみがえりの確かなしるしです。

女たちが墓に到着すると、大きな重い石の蓋は転がしてあり、そこには空の墓があります。そこで、最初に女たちがイエスの復活の知らせを聞きます。私達もその知らせに、今一度耳を傾けましょう。

 「驚くことはない。十字架につけられたナザレのイエスを捜しているのだろうが、あの方は、復活なさってここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロとに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる。(お会いできます)』」。

1、ここ(墓)にはおられない

He is not here! 墓とは死、そして闇です。イエスは死人の中にはおられません。死んだ偉人の中に数えられるお方ではありません。遺骨もありません。冷たい、無音の、虚しい、暗い、墓の中にイエスはおられません。

2、よみがえられた

 (For)He is risen! よみがえりは命、そして光です。あなたは、「あなたの死」の課題に解決を持っていますか。私達の「死」に対する明確な解決・勝利の根拠は、イエスの「よみがえり」です。

3、お目にかかれます(お会いできます)

 私達はイエスにお会いできます。なぜなら、イエスはよみがえられたからです。教会の礼拝で、交わりの中で、そして祈りの中で。

イエスは今朝も私達に尋ねておられます。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者は誰も、決して死ぬことはない。このことを信じるか(ヨハネ一一・二五)」。

【消息・報告】

〇 八千代市蔓延防止措置指定が六月二〇日まで延長されました。教会に集まっての礼拝、諸集会を六月二六日まで中止します。六月二七日(日)からの礼拝は、コロナ感染の状況を注視しつつ、再開の際には皆様にお知らせいたします。動画、カセット(録音テープ)、文書による自宅礼拝をおささげください。

尚続けて、感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにお祈り下さい。

〇 本日六月六日(日)インターネットで役員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年五月三〇日 第五〇巻 第二二号

礼  拝 順 序  

前  奏 四〇 ガリラヤの風かおる丘で

招  詞 ガラテヤ三・一~二

頌  栄 六〇 

賛  美 十字架の贖い

交 読 文 三〇 詩篇九六(八五二~八五三頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 一一三 君もそこにいたのか 

聖  書 マルコ一五・三三~四七

メッセージ 「十字架に向かって立つ」

竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 一一七 栄えの主イエスの 

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 一六五 栄光イエスにあれ )


【説教要約】

「十字架に向かって立つ」 マルコ一五・三三~四七

使徒信条から。『我らは信ず。御子イエス・キリストは、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ。』

イエスが午前九時に十字架につけられ、一二時になる頃、全地は暗くなったとあります(マタイ、マルコ、ルカ)。ルカによる福音書では、太陽は光を失ったと書かれています。ある歴史学者は、日食が起こったのではないかと言う人もいます。真昼にも関わらず、ゴルゴダの丘は暗闇に包まれます。

暗闇の中、午後三時まで、沈黙が続きます。

イエスはご自身の死が近づいて来たことを知られます。「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ(アラム語発音)」「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ(ヘブル語表現)」(マタイ)。マタイとマルコは、十字架上でのイエスの言葉はこのひとつだけです。この言葉は詩篇二二・一にあります。詩篇では続けて「私の悲嘆の言葉は救いから遠い。わが神よ、昼に呼びかけてもあなたは答えられない。夜もなお、私は黙ることができない。」とあります。

 全地が暗くなったことと、イエスの言葉は呼応しています。御顔を背けておられる父なる神。神との交わりが断たれている罪ある者、死に定められた人です。

イエスが十字架で息を引き取られると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けます。イエスは罪ある者として父なる神との交わりが断たれ、代わりに父なる神と私達の交わりが開かれます。

 一部始終をしっかりと見て、十字架に対面していた人がいます。十字架の監視役のローマの百卒長です。彼はこの十字架の出来事に何を見たのでしょうか。「まことに、この人は神の子だった」とあります。マタイ、マルコ、ルカに百卒長のことばがあります。

私達キリスト者は、『十字架につけられたイエスに向かって立つ者達』です。私達の信仰の生涯は十字架に始まって十字架で終わります。私達の救いは、イエスの十字架の贖いの恵みによります。イエスのいさおによります。只々、キリストの真実によって救われ、義とされるのです。他に救いの道はありません。律法を守る事や、人の熱心さではありません、十字架の前に立ち続ける、いつもそこに身を置く。そしてキリストの贖いを、その愛を、血潮によるきよめをいただくことです。

【消息・報告】

〇 八千代市蔓延防止措置指定が五月三一日まで延長されました。教会に集まっての礼拝、諸集会を中止しています。六月については現時点では未確定です。六月六日(日)からの礼拝は、コロナ感染の状況を注視しつつ、再開の際には皆様にお知らせいたします。動画、カセット(録音テープ)、文書による自宅礼拝をおささげください。

尚続けて、感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにお祈り下さい。

〇 次週六月六日(日)インターネットで役員会を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年五月二三日 第五〇巻 第二一号

礼  拝 順 序  

前  奏 一三七 聖なる 聖なる

招  詞 ヨエル三・一~五

頌  栄 六〇 

賛  美 二〇八 イエスは愛で満たす

交 読 文 一九 詩篇五一(八四三~八四四頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 四一二 友よ 主の約し給える 

聖  書 使徒言行録二・一~四

メッセージ 「一同は聖霊に満たされ」 竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 四〇八 主よ汝が誓いの 

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 二〇九 慈しみ深き )


【説教要約】「一同は聖霊に満たされ」  使徒言行録二・一~四

聖霊に満たされるという経験があります

● それは、主イエスが私達に授けてくださるバプテスマ(洗礼)です

1、主イエスのバプテスマ 

バプテスマのヨハネの証言 マタイ三・一一。水と聖霊のバプテスマの区別 使徒八・一六、九・一八。主イエスはいつ人々に洗礼を授けたのか ペンテコステの日に。

2、主イエスの約束 

エルサレムにとどまっていなさい ルカ二四・四九 真理の御霊(ヨハネ福音書告別説教から)聖霊=パラクレートス(慰め主)助け主。キリスト者の助け・慰め・力  ヨハネ一四・一六~~一七             

3、主イエスの御霊    

主イエスのみこころを共有させる ヨハネ一四・二六

● それは、どのような経験か

1、イエスの復活の証人となる力(使徒一・八)

 世にあってキリスト者として力強く生きる。聖霊に満たされなくても救われるが、力強い主の証し人にはなれない。聖霊は宣教の力を与えます。聖霊は信仰告白の執り成し手です。聖霊は使命・ビジョン(夢・幻)を与えます。

2、神のみことばを理解させる 

真理・奥義を開かせる。神のひとりごがこの地に来られ、私達の罪の為に十字架にかかり、三日目によみがえったこと。生まれ故郷の言葉で、神の大いなる働きを聞く(二・六)。

ペテロの説教。聖霊は真理を啓示する。

3、喜び

酒に酔っているのではない(二・一三)。聖霊は交わり(コイノニア)の付与者。聖霊は神の愛を注ぎます。聖霊は慰めを与えます。聖霊は祈りの執り成し手です。

4、聖霊は新しい心、新しい生活を造ってくださる。

いけにえをささげることより、新しく造られることこそ重要。聖霊は心の改革者です。

● どのように、聖霊を受ける事ができるか

1、主の名による交わりの中にいる。一同が集まり、心を合わせ、主の約束を信じ、待ち望み 祈っているところに。

2、求める。求めなさい、そうすれば与えられるであろう 「天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊をくださらないことがあろうか」ルカ一一九~一三

いつも聖霊を求め、聖霊に満たされ続けて。

【消息・報告】

〇 八千代市蔓延防止措置指定が五月三一日まで延長されました。教会に集まっての礼拝、諸集会を中止します。六月六日(日)からの礼拝は、コロナ感染の状況を注視しつつ、再開の際には皆様にお知らせいたします。動画、カセット(録音テープ)、文書による自宅礼拝をおささげください。

尚続けて、感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにお祈り下さい。

〇 書面表決書による投票によって、二〇二一年度の全ての議事が可決されました。新年度、キリストの教会の働きが、神様の豊かな祝福の中を歩む事が出来ます様に。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年五月一六日 第五〇巻 第二〇号

礼  拝 順 序  

前  奏 三四〇 救い主イエスと

招  詞 ヘブル二・一七~一八

頌  栄 六〇 

賛  美 四八三 両手いっぱいの愛

交 読 文 二九 詩篇九五 (八五二頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 三六三 身失せしわが主と 

聖  書 マルコ一五・一六~三二

メッセージ 「十字架につけられ」 竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 一一一 生くる甲斐もなしと 

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 四八五 小さい羊が )

【説教要約】

「十字架につけられ」 マルコ一五・一六~三二

聖書協会共同訳見出し

兵士から侮辱される(・一六~二〇)

十字架につけられる(・二一~三二)

イエスを侮辱する茨の冠、紫の衣も、(葦の棒も)「ユダヤ人の王」に対する彼らの皮肉です。イエスの敵対者の訴え、罪状書きも、イエスが「ユダヤ人の王」であることを繰り返し証言しています。イエスには何の罪も見当たらない。イエスを非難する罪状はない。ただ、イエスは、我らの救いの為に苦しみを受けられた「王」なのです。「事実、ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。」(ヘブル二・一八)キリストの慰めは、イエスを信じる私達まで届き、私達を癒します。(第二コリント一・三~七)

イエスの十字架への道は、現在、ヴィア・ドロローサ(苦難の道)と呼ばれ、イエスが十字架につけられ、埋葬される場所(聖墳墓教会)にたどり着くまでに、14のステーション(留まって祈る場所)があります。それぞれのステーションに十字架の出来事のエピソードがあります。そして、第三ステーション、最初に倒れた場所、第七ステーション、二度目に倒れた場所、第九ステーション三度目に倒れた場所があります。イエスは疲労困憊して、十字架を担げなくなります。マタイ、マルコ、ルカに、その場に居合わせたキレネ(アフリカ北部)人、シモンがイエスの十字架を代わりに運んだとあります。

イエスは二人の強盗と共に十字架につけられます。ひとりはイエスの右に、ひとりは左に、イエスは罪人のひとりに数えられます。

人々は、「十字架から降りて自分を救ってみろ」「今すぐ十字架から降りるがいい」と罵ります。「イエスよ、このような人々は天から火を下し、滅ぼしてしまいなさい。」(ルカ九・五四)と言いたくなります。イエスは父に求めて、天から御使いの十二軍団を送ってもらい、そこにいる人々、ローマ帝国さえも滅ぼすこともおできになるお方です(マタイ二六・五三)。しかし、イエスは耐え忍ばれる。どうしてでしょう。イエスを十字架に止めたのは太い釘ではない、イエスの愛がイエスをそこにとどめたのです。「人がその友の為に命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」(ヨハネ一五・一三)それはイエスの十字架の愛です。

 

【消息・報告】

〇 八千代市蔓延防止措置指定が五月三一日まで延長されました。教会に集まっての礼拝、諸集会を中止します。六月六日(日)からの礼拝は、コロナ感染の状況を注視しつつ、再開の際には皆様にお知らせいたします。動画、カセット(録音テープ)、文書による自宅礼拝をおささげください。

尚続けて、感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにお祈り下さい。

〇 教会総会資料を皆様にお渡し致しました。審議期間は本日までと致します。書面表決を提出して下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年五月九日 第五〇巻 第一九号

礼  拝 順 序  

前  奏  

招  詞 詩篇二二・二八~三〇

頌  栄 六〇 

賛  美 一七〇 マジェスティ

交 読 文 二八 詩篇九一

(八五一~八五二頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 二五四 心にあるこの安きを

聖  書 マルコ一四・六六~一五・一五

メッセージ 「イエスは我らの王」    竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 三九七 神の御子にますイエス 

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時  )


【説教要約】「イエスは我らの王」 マルコ一四・六六~一五・一五

聖書協会共同訳見出し 

ペトロ、イエスを知らないと言う(・六六~七二)

ピラトから尋問される(一五・一~五)

死刑の判決を受ける(一五・六~一五)

本日は、ペトロのイエスの否定と、ピラトの前での裁判の記事を読みます。

1、私たちの大敵「恐れ」

 イエスの一番弟子ペトロは三度イエスを否みます。彼の心は恐れに包まれました。

恐れは私達の心を蝕んでいきます。信仰を失わせます。恐れを引き起こすものは何でしょうか。苦難か、行き詰まりか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か…。又、コロナの感染、将来のこと、人のこと(人間関係)、健康、家族、仕事、経済、教会、自分自身の悪い習慣…でしょうか。恐れに支配されてはいけません。イエスはいつも「恐れるな、私があなたと共にいる」と語って下さいます。

どうすれば、私たちの内から恐れを締め出すことができるでしょうか。「愛には恐れがありません。完全な愛は、恐れを締め出します。」(第一ヨハネ四・一八)完全な愛、それは神の愛、イエスの愛であります。ここに、私たちの大敵「恐れ」に打ち勝つ道があります。

2、ユダヤ人の王

 ピラトの行った裁判の中心テーマは、「イエスはユダヤ人の王である」というものです。祭司長たちは、イエスがローマに反逆するユダヤ人の王という証言でイエスを訴えます。ピラトはイエスに尋問します「お前はユダヤ人の王なのか」。イエスは答えられます「それはあなたが言っていることだ」と答えます。ピラトの言うユダヤ人の王と、イエスの宣言するユダヤ人の王とは異なります。イエスは、まことの父なる神に従う、イエスに従う神の民の国の王です。

イエスはまことに、我らの王です。私の人生において、「イエスよ、あなたこそが、私の王です」とひれ伏して、心からほめたたえることのできる者はさいわいです。この憐みと愛に満ちた王が、私の人生から「恐れ」を締め出してくださいます。

【消息・報告】

〇 八千代市蔓延防止措置指定によって四月二八日(火)~五月一五日(土)の教会に集まっての礼拝、諸集会を中止します。五月一六日(日)からの礼拝は、コロナ感染の状況を注視しつつ、再開の際には皆様にお知らせいたします。動画、カセット(録音テープ)、文書による自宅礼拝をおささげください。

尚続けて、感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにお祈り下さい。

〇 教会総会資料を皆様にお渡し致しました。良く目を通して下さい。ご意見、ご質問、お問い合わせ先は、総会資料表紙下段に記されています。お受けしたものを役員会で良く審議し、ご説明致します。審議期間は五月一六日(日)までと致します。

〇 教会の納骨庫の改善について総会資料に記されています(P21)。役員会で候補地と記しています「米本」の詳細と写真などを確認・検討材料として別紙にてお渡しします。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います

二〇二一年五月二日 第五〇巻 第一八号

礼  拝 順 序  

前  奏  

招  詞 ローマ一二・一~二

頌  栄 六〇 

賛  美 一六六 威光・尊厳・栄誉

交 読 文 二七 詩篇九〇

(八四九~八五〇頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 四〇七 イエスよわが身と

聖  書 ヨハネ四・一九~二六

メッセージ 「真の礼拝者」  竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 三九一 皆献げまつり  

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時  )

【説教要約】

「真の礼拝者」 ヨハネ四・一九~二六

二〇二一年度の指針・ビジョン

「ダビデはそこに主のための祭壇を築き、焼き尽くすいけにえと会食のいけにえとを献げた。主はこの国のために祈りに応えられ、イスラエルを襲った疫病はやんだ」第二サムエル記二四・二五

災いの理由はともあれ、疫病禍の中で、主が指示し、ダビデが取り組んだ内容です。そこに主のための祭壇を(自分で犠牲を払って)築く、これが新年度の取り組みです。

コロナ禍によって、私達の信仰が弱らないように、教会の宣教の働きがとどまってしまわないように、落胆しないように、失望しないように、そのように願っています。この箇所は、元旦礼拝で説教し、皆様に配布する総会資料にも書きましたのでよくご覧ください。

本日は、ヨハネ四章から、「世界中のどこででも、父を礼拝する時が来る。霊と真実をも って礼拝する時が来る。父なる神はこのように礼拝する者を求めておられる」とイエスが言われた箇所に導かれています。

礼拝の場所は、サマリヤのゲリジム山か、エルサレムかという質問がされています。そこには根深い歴史的な背景があります。しかし、驚くべきイエスの答えが返ってきます。「この山でもない。エルサレムでもない。世界中の人が、あらゆる場所で父を礼拝する時が来る」というものです。

ユダヤ人から来た救いが、まことの神を知らない世界中の人々に広がり、その人々が霊と真実をもって父なる神を礼拝する時が来る。

まさに!私達、キリスト・イエスによって救いを受けた者たちは、霊と真実をもって父なる神を礼拝する者とされたのです。

・「霊と」。私たちは目に見えない父なる神との霊的な交わりの回復(目が開かれた)を与えられた者として、常に礼拝において神との霊的な交わりを通して、渇くことのない命の水をいただきます。

・「真実と」。心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くし、精神を尽くして、神を愛し、礼拝します。最高の感謝のささげものをもって、私の全てを主にささげます。

【消息・報告】

〇 八千代市蔓延防止措置指定によって四月二八日(火)~五月一五日(土)の教会に集まっての礼拝、諸集会を中止します。五月一六日(日)からの礼拝は、コロナ感染の状況を注視しつつ、再開の際には皆様にお知らせいたします。動画、カセット(録音テープ)、文書による自宅礼拝をおささげください。

尚続けて、感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにお祈り下さい。

〇 教会総会資料を皆様にお渡しします(郵送、投函、又は手渡し)。良く目を通して下さい。良く審議し、新年度をスタートしたいと願っています。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年四月二五日 第五〇巻 第一七号

礼  拝 順 序  

前  奏  

招  詞 ダニエル書七・一三~一四

頌  栄 六〇 

賛  美 一六六 威光・尊厳・栄誉

交 読 文 二六 詩篇八四 (八四九頁)

公同祈祷         

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 三五九 罪深きこの身を

聖  書 マルコ一四・四三~六五

メッセージ 「真夜中の裁判」   竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 四三八 悩む世人のために 

頌  栄 六三

祝  祷         竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時  )


【説教要約】

「真夜中の裁判」 マルコ一四・四三~六五

一、裏切られ、逮捕される(・四三~五〇)

二、一人の若者、逃げる(・五一~五二)

三、最高法院で裁判を受ける(・五三~六五)

ゲッセマネの園に、裏切る者、イスカリオテのユダが、武器を持った人々と共に近づいて来ます。接吻の合図をもって、誰がイエスであるかを知らせます。ペテロは剣で切りかかりますが、イエスは彼を諫めます。イエスは捕らえられます。弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げ去りますが、それは、誰一人も傷つくことなく、捕らえられることが無いように彼らをイエスが去らせたからです。

一人の若者の記事がマルコによる福音書のみにあります。彼は捕らえられそうになりますが、服を脱ぎ捨て裸で逃げます。これはこの福音書の記者、マルコだと言われています。

真夜中に最高法院のメンバーが大祭司によって招集され、裁判が開かれます。多くの偽りの証言が出されますが、イエスは黙っておられます。「彼は虐げられ、苦しめられたが、口を開かなかった。屠り場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊の様に、口を開かなかった。」(イザヤ書五三章七節)イエスは黙っておられます。神の知恵を持っておられるイエスならば、どんな質問にも誰も反論することなく論破されたイエスなら、無罪を証明する事は容易かったでしょう。しかし、知って下さい。イエスは黙っておられます。何ゆえか。神のみこころに従って過越しの、世の罪を取り除く神の小羊としてご自身を十字架に捧げる為にです。

 大祭司から最後の質問がされます。「あなたは神の子か。キリストなのか。」イエスは答えられます「私がそれです(エゴー・エイミ)。」イエスは神の右に座し、やがて天から下って来られるお方です。大祭司は自分の衣を引き裂き、イエスを死に定めます。

 人々の非難と偽証の中、黙々と、又、堂々と、真夜中の不当な裁判を忍ばれたイエスを覚えましょう。又、力強く自らが神の御子、キリストであると宣言され、神の右に座し、やがて来たり給うイエスを信じ、このお方を、主と仰いで従いましょう。


【消息・報告】

〇 二部制の礼拝を再開しています。動画の配信、カセット(録音テープ)は続けて行いますので、自宅礼拝も継続します。カセットが必要な方は、仲村兄姉までご連絡ください。尚続けて、感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにお祈り下さい。会堂での礼拝出席はそれぞれの状況、健康状態を考慮しながら、慎重に自己判断して下さい。

〇 次週、教会総会資料を皆様にお渡しします。良く目を通して下さい。良く審議し、新年度をスタートしたいと願っています。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年四月一八日 第五〇巻 第一六号

礼  拝 順 序  

前  奏 一一三 君もそこにいたのか 

招  詞 詩篇一四三・七~一〇

頌  栄 六〇 

賛  美 静まって知れ

交 読 文 二五 詩篇七三(八四八~八四九頁)

公同祈祷          

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷         

賛  美 一〇五 栄えの冠を

聖  書 マルコ一四・三二~四二

メッセージ 「御心のままに」 竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 三九四 成し給え汝が旨 

頌  栄 六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 三八六 ナルドの香油 )


【説教要約】

「御心のままに」マルコ一四・三二~四二

並行箇所(マタイ二六・三六~四六、ルカ二二・三九~四六、ヨハネ一八・一)

見出し ゲッセマネで祈る

私たちはどのように神に祈っていいのかわかりません。イエスは弟子たちに祈りを教えられました。イエスの生涯から私たちは祈りにつ いて多くの事を学びます。イエスご自身、その公生涯は多くの群衆に囲まれ、多忙な中にありましたが、静かな場所へ行っていつも祈っておられます(マルコ一・三五)。本日の聖書箇所は、主イエスが十字架に架けられる前夜の、ゲッセマネの祈りの記事です。

一、 イエスの御苦しみ

「私は死ぬほど苦しい(悲しい)」

二、 祈りの内容

1、信頼のことば「父よ、あなたは何でもおできになります」

2、自らの願い「この杯を私から取りのけてください」

3、私の心と神の御心とを取り換える「私の望みではなく、御心のままに」

 主よ、祈りについて今日も教えてください。

父なる神に、あなたにはできないことはありません、全幅の信頼をもって祈りましょう。神は全能のお方です。

自らの願いを神に聞いて頂きましょう。率直に、遠慮せずに、飾らずに、話しましょう。神は憐み深いお方です。

そして、私の願いと、神の御心を交換しましょう。私の願い、思いではなく、あなたのみことばに従います。

【消息・報告】

〇 二部制の礼拝を再開しています。動画の配信、カセット(録音テープ)は続けて行いますので、自宅礼拝も継続します。カセットが必要な方は、仲村兄姉までご連絡ください。尚続けて、感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにお祈り下さい。会堂での礼拝出席はそれぞれの状況、健康状態を考慮しながら、慎重に自己判断して下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

〇 週報の裏表紙に、教会の祈祷課題を載せています。皆様の祈りの課題にお加え下さり、共にお祈り下さい。

静まって知れ Reuben Morgan

一、みつばさの陰に隠し 力ある御腕の中に

さかまく大海を越え 主と共にはばたく

我が父よ 王なる神 静まりあなたを知る

二、キリストの中に憩い 信頼と主の力知る

いかずち鳴り渡る中 主と共にはばたく

我が父よ 王なる神 静まりあなたを知る


【 教会総会の掲示 】

二〇二一年五月二日(日)教会総会

昨年同様、教会員全員に総会資料配布後、審議、議決します。その他の議事の提案がある方は文書で提出ください。

二〇二一年四月一一日 第五〇巻 第一五号

礼  拝 順 序  

前  奏  

招  詞 詩篇一九・一三~一五

頌  栄 六〇 

賛  美 二〇八 イエスは愛で満たす

交 読 文 二四 詩篇六七(八四七~八四八頁)

公同祈祷          

信仰告白 使徒信条

献  金 五七  

奉献祈祷          

賛  美 四〇四 弟子となし給え

聖  書 マルコ一四・一〇~三一

メッセージ 「裏切りとつまずき」     竹田広志牧師

祈  祷

賛  美 四四四 屈するなかれ

頌  栄 六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏 五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時   )


【説教全文】

「裏切りとつまずき」 マルコ14:10~31

見出し ユダ、裏切りを企てる(:10~11)

    過越の食事をする(:12~21)

    主の晩餐(:22~25)

    ペトロの離反を予告する(:26~31)

ヨハネによる福音書によって受難週、イースターを経て、再びマルコによる福音書へ戻ります。

「イエスを知る素晴らしさ」 というテーマで2020年1月からマルコによる福音書を読み始めました。

イエスは律法学者たちのようにではなく、権威ある教えを語られました。ことば

イエスは病を癒し、悪霊を追い出し、力あるみわざをなされました。  行い  

イエスは貧しい者、罪人の友となられた。憐みと愛にあふれたお方です。ご性質

このお方が、私達の主です。

イエスは十二弟子を特別に選んでおられます。

イエスが選ばれた弟子なので、特に心を注いで、師として、主として、彼らを教導されたことでしょう。

神がアブラハムを選ばれ、イスラエルの十二部族を祝福されたのと同じです。

彼らを祝福の基として、全世界を祝福する為にです。

イエスの弟子たちは、特別に優秀な人達であったとは考えられません。学識や理解力、特別な才能があったのでもありません。普通の人達です。しかし、イエスは愛情をひとりひとりに注いで、3年間、寝食を共にしてご自身を示されました。弟子たちもイエスを愛し、尊び、イエスに従う事がこの上もない喜びであったことでしょう。イスカリオテのユダも、一番弟子のペテロも、他の弟子たちもそうであったと思います。

本日の聖書箇所で、ユダはイエスを裏切る決意をします。銀貨30枚でイエスを引き渡す約束をします(マタイ26:15)。銀貨30枚は以前お話ししましたが、奴隷一人分の値段です。

ユダがイエスを裏切ったのはなぜでしょうか。

ユダは金の誘惑に負けたというのもあるかも知れません。ヨハネは「ユダは盗人であり、金入れを預かっていて、その中身をごまかしていた。」(ヨハネ12:6)と書いています。マタイでは「あの男を引き渡せば、幾らくれますか」とイエスを売り渡す金銭を要求しています。

他のユダヤ人と同じく、イエスはローマから民を解放してくれる王ではない、と落胆し、見限ったという高尚な理由をつける人もいます。

又、先のマリアの香油注ぎの件で、イエスが自分の意見を聞かず、アリアを褒めた事で恥をかいて、一時的に激しい感情を抑えられず、そんな行動をとってしまったのかも知れません。

ルカ、ヨハネによる福音書は、「サタンが入った」と記しています(ルカ22:3、ヨハネ13:2)。

サタンが入るような、彼に何らかの思い、隙があったのでしょう。

どのような理由にしても、ユダは取り返しのつかないことをしてしまいます。そして、イエスが捕らえられ、イエスが有罪になったのを知って後悔します(マタイ27:3)。「私は罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」。そして銀貨30枚を返そうとしますが、祭司長たち、長老たちが受け取らないので銀貨を神殿に投げ込んで、神殿から出て行き、首をくくって自殺します。

もう引き戻せないのです。自分のしてしまった罪の大きさに彼は耐え切れず、自らの命を絶ちます。

ユダは世界の中でも、歴史の中でも裏切り者の代名詞のようになります。

ユダはイエスを愛していなかったのでしょうか。イエスとの3年間は何だったのでしょうか。きちんと指導できなかった師の甘さでしょうか。そうではないでしょう。

ペテロも同じです。ペテロはどうしてイエスを三度も知らないと言ったのでしょうか。人を恐れてでしょうか。兵士に剣で立ち向かった勇ましさはどこへいってしまったのでしょう。「たといご一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどと決して申しません」と言った彼の決意はどこへいったのでしょう。

自分の命が惜しくなったのでしょうか。自己保身でしょうか。ペテロの心に恐れが入り込んだのは確かです。

ペテロはイエスを愛していなかったのでしょうか。イエスが育てた一番弟子、岩(ペテロ)は、こんなにも脆い人物だったのでしょうか。そうではないでしょう。

他のイエスの弟子たちはどうでしょうか。「弟子たちは、皆イエスを見捨てて逃げてしまった」(14:50)。

皆。彼らはイエスを愛していなかったのでしょうか。イエスの弟子たちは、皆惨憺たるものです。

イエスは全てを知っておられます。ユダがご自身を裏切ることも。ペテロがご自身を完全に否定することも。

それを十分に知った上で、この最後の晩餐が執り行われるのです。イエスは最後まで(極みまで)弟子たちを愛し抜かれます(ヨハネ13:1)。そして弟子たちの足を洗い、パンを裂いて弟子たちに与え、ぶどう酒を取り、これを与えます。「これは私の身体です。」「これは私の契約の血です。」

世界で初めの聖餐の席に、ふさわしい者は誰でしょうか。イエスを裏切る者、否定する者、逃げ出す者の集まりです。イエスは全てをご存知でした。しかし、イエスのまなざしは変わることはありません。最後まで愛し抜かれます。真夜中、大祭司の中庭で審議を受けておられたその場所で、ペテロが三度イエスを知らないと言った時、イエスが予告されたように鶏が二度鳴きます。まさにその時、主は振り向いてペトロを見つめられます(ルカ22:61)。そのまなざしは、厳しい裁きや落胆のまなざしだったでしょうか。いや、最後まで変わらず、愛し抜かれたイエスのまなざしであったでしょう。変わらないイエスの愛のまなざしは、ペトロを我に返らせ、ペトロは主の言葉を思い出し、外に出て、激しく男泣きします。

どうしてなのでしょう。人の強さ、弱さの問題ではなく、それは神の定められたご計画であり、聖書のことばが成就するためです。イエスの十字架の苦しみ、贖いは、イエスがひとりで背負わなければならなかった。支払わなければならなかった。誰もイエスの十字架に、今は、ついて行くことができないのです。

ユダは自ら命を絶ち、ペトロは悔い改め、主の憐み、愛によって立ち直りました。どちらもイエスを裏切った者で、その後が比較されることもあります。イエスは、ユダについて「人の子は、聖書に書いてあるとおりに去って行く。だが、人の子を裏切る者に災いあれ。生まれなかったほうが、その者のためによかった。」非常に辛辣な言葉です。イエスにここまで言われた人はいないでしょう。

ユダを非難したり、弁護するつもりもありません。ペテロや弟子たちもそうです。人の子を裏切るその罪の大きさ、十字架へ向かわせる役割の重さは、まさに生まれなかったほうが、その者のために良い という程のものです。ユダはパンとぶどう酒を受けて、出て行きます。誰よりも哀れに思ってイエスが目を注がれたのは、ユダの後ろ姿ではなかったでしょうか。

先ほど、「弟子となし給え」という賛美をしました。昔から歌われていた歌です。これが新聖歌になる前の聖歌は5番まであり、その4番は「ユダにはなるまじ」という歌詞でした。わたしはこの歌詞が好きではありませんでした。ユダをひどい弟子だという思いより、なんて可哀想な人だろうと思っていたからです。この歌詞はなくなればいいのになぁと思っていたら、本当に新聖歌ではなくなりました。

ユダのようにはならないと決意するより、むしろ、私の内にもユダのような弱さがあります。又、いつユダのような行動をしてしまうかわかりません。どうか、あなたのしもべを引きとめて、罪から守り、これに支配されることのないようにしてください。わたしの内側をきよめて、あなたの真の弟子にしてください という願いがあるからです。

私達は誘惑に脆く、人を恐れる者です。そうです。私たちの願いはひとつです。主イエスよ、私の内にあなたを迎えます。あなたが共にいてください。あなたが私をご支配ください。聖霊の宮としてください。


【消息・報告】

〇 二部制の礼拝を再開しています。動画の配信、カセット(録音テープ)は続けて行いますので、自宅礼拝も継続します。カセットが必要な方は、仲村兄姉までご連絡ください。尚続けて、感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにお祈り下さい。会堂での礼拝出席はそれぞれの状況、健康状態を考慮しながら、慎重に自己判断して下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

〇 今週一四日(水)午後二時半~祈祷会を再開します。二階会堂で行います。時間を短縮して行います。

〇 次週より、週報の裏表紙に祈祷課題を載せます。教会の祈祷課題を皆様も心を合わせてお祈り下さい。

二〇二一年四月四日 第五〇巻 第一四号

イースター礼拝順序   

前  奏  旧一六五 世の罪のため

招  詞  ルカ二四・五~七

頌  栄  六〇 

賛  美  我が主(ワーシップ)

交 読 文 五八 第一コリント一五

(八七四~八七五頁)

公同祈祷           

信仰告白  使徒信条

献  金  五七  

奉献祈祷           

賛  美  一二八 イースターの朝には

聖  書  ヨハネ二〇・一九~二三

メッセージ 「復活の主にある平安」  竹田広志牧師

祈  祷

賛  美  一二三 救いの主は

頌  栄  六三

祝  祷           竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 四二八 キリストには変えられません )


【礼拝説教全文】

「復活の主にある平安(シャローム)」 ヨハネ20:19~23

聖書協会共同訳見出し

 復活する(20:1~10)

主イエスが金曜日の午後3時に十字架で息を引き取られて、金、土、日曜、三日目の朝早く、まだ暗いうちに。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ 4つの福音書が、日曜日の明け方の出来事であると声をそろえています。安息日の土曜日が終わり、マグダラのマリヤをはじめとして数人の女たちが、朝一番にイエスの納められた墓へ赴きます。金曜日には、安息日である土曜日(何も働きをしてはならない)が目の前に迫り、十字架から降ろされたイエスの遺体は、急いで、アリマタヤのヨセフの用意した、新しい墓に納められました。イエスの遺体が亜麻布で頭と身体に巻かれ、納められました。

女たちは香料と香油を準備して、安息日が終わるのを待って、イエスの遺体に塗るために、ユダヤ人の習慣に従ったしっかりとした葬りをする為に出掛けます。墓は横穴式のもので、大きな石の蓋で閉じられています。数人の男性で転がして閉じる円柱の大きな石の蓋です。

ここからは、ヨハネによる福音書の記事に沿って話します。マタイ、マルコ、ルカとそれぞれに若干の違いがあります。

ところが、女たちが墓に到着すると、墓石が取りのけてあるのを見ます。マグダラのマリヤはペテロとヨハネに走って行って知らせます。二人も走って、イエスの墓へ行きます。墓の中には、イエスの遺体は無く、イエスの遺体に巻いていた亜麻布だけが残されています。身体に巻いていた亜麻布と、頭に巻いていた亜麻布は別々の場所にあって、頭に巻いていたものは丸めてありました。

墓の中を見たヨハネの目撃証言は、何気ないものではありますが、とても興味深い内容です。後に、イエスの遺体がイエスの弟子たちによって盗まれたというデマを(マタイ28:12)祭司長、長老たちが流します。ユダヤ人の間にそのデマが広がります。しかし、遺体に巻かれた布をわざわざ解いて死体を盗んでいく盗人がいるでしょうか。その墓の様子は、亜麻布が丸めて、たたんで置いてある。イエスがご自身でそれを取られた様子を想像することができます。

イエスマグダラのマリヤに現れる(20:11~18)

 ペテロとヨハネは墓を去り、家に戻りますが、そのままマグダラのマリヤは墓に留まります。死からよみがえられたイエスは、一番最初にマグダラのマリヤにご自身を顕されます。他の誰でもなく、マグダラのマリヤ(7つの悪霊を追い出していただいた女)にイエスがご自身を顕してくださったことも、彼女がいかにイエスを愛していたのかがわかります。

 イエス弟子たちに現れる(20:19~23)

 並行箇所:マタイ18:16~20、マルコ16:14~18、ルカ24:36~49

イエスの弟子たちは、マグダラのマリヤや女たちから、イエスがよみがえられたことを聞きますが、これから何が起こるのだろうかと「ユダヤ人を恐れて」、家の戸に鍵をかけて身を潜めています。イエスがよみがえられた日曜日の夕方のことです。

 イエスは鍵をかけて閉じこもっている弟子たちの真ん中に立たれます。

 イエスの弟子たちの驚きはどのようなものだったでしょうか。

 夢や幻、霊を見ているような感覚だったでしょうか。

 イエスは言われます「あなたがたに平和があるように」「安かれ」「平安があなたがたにあるように」平和、平安、安かれ、それはギリシア語ではエイレイネイ、ヘブル語ではシャロームということばです。

 イエスが私達と会って、最初に声をかけてくださるのは、「安かれ」か「恐れるな」だと私は想像します。どちらも同じ意味だと思います。恐れないで、いつも平安であること。それも、よみがえり、死に勝利された主、今も生きておられる主がここにおられる、共におられるゆえに平安であること。

 経済的に豊かでも貧しくても、主イエスが共にいてくださるゆえに平安であること。健康が良くても悪くても、主イエスが共におられる故に平安であること。大きな問題・悩みが襲ってきても、主イエスが共におられる故に恐れないこと。そして生きるも、死ぬも、よみがえり、今も生きておられる主イエスが共におられる故に平安であること。

 シャロームが私たちにもたらすもの

ヘブル語のシャロームの本来の意味は、単に、争いのない、静的な平和な状態を表わすだけでなく、神が共におられる故に、力と生命に溢れた動的な状態を表します。

(1) 平和 (対国、対神、対人) ・・・和平、和解                

(2) 平安 (個人的)・・・平穏、無事、安心、安全

(3) 繁栄 (商業的)

(4) 健康 (肉体的、精神的) ・・・健全、成熟

(5) 充足 (生命的) ・・・満足、生きる意欲

(6) 知恵 (学問的) ・・・悟り、霊的開眼

(7) 救い (宗教的) ・・・暗闇から愛の支配へ

(8) 勝利 (究極的) ・・・罪と世に対する勝利

 

よみがえられた主イエスが、この朝も私達に与えてくれるもの、それは、顕現による確かな主の臨在です。

手と脇腹とをお見せになった(:20)                十字架の赦し

よみがえられた主が、最初に私たちに見せてくれるのは、十字架の釘跡でしょう。

父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わす(:21)  派遣

よみがえられた主は、あなたが復活の証人になることを望んでおられます。あなたは、主に出会った人です。

息を吹きかけられ「聖霊を受けなさい。」(:22)          聖霊による聖別

キリストの証人となりために、主は新しい力を与えてくださいます。

悔い改める者に罪の赦しの宣言を与えなさい(:23)         宣教

教会の使命は、「イエスによる罪の赦しの宣言です」。

主イエスを信じる者は、主イエスを持っています。主イエスのよみがえりの命を持っています。

この朝、主の招きのことばを聞き、それに私達は応えたい。

「私は復活であり、命である。私を信じる者は死んでも生きる。生きていて、私を信じる者は、決して死ぬことはない。このことを信じるか(ヨハネ11:25)」

主よ、信じます。

信じるなら、私達は必ず、神の栄光(復活)を見ることができます。(ヨハネ11:40)


【消息・報告】

〇 イースターおめでとうございます。主の復活を心よりお祝い致します。教会からチョコエッグをプレゼントします。お持ち帰り下さい。

〇 竹田広志牧師は、今年度も勝田台教会に教団から任命を受けました。よろしくお願い致します。

〇 二部制の礼拝を再開しています。動画の配信、カセット(録音テープ)は続けて行いますので、自宅礼拝も継続します。カセットが必要な方は、仲村兄姉までご連絡ください。尚続けて、感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにお祈り下さい。会堂での礼拝出席は積極的にお勧めするものではありません。それぞれの状況、健康状態を考慮しながら、慎重に自己判断して下さい。

〇 本日午後一時より役員会を行います。

〇 本日の礼拝から聖書協会共同訳聖書を使います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

「わが主」 作詞作曲 不詳

一、わが主、わが主 よみがえりしイエスわが主

われひひざまずき イエスはキリスト

わが主とほめ歌う

二、イエスは主 生ける主 死からよみがえられた主

全ての者は ひざをかかめて

主イエスをあがめます

教会総会のお知らせ

二〇二一年五月二日(日)教会総会

礼拝後、又はリモート、又は文書により審議、議決。

昨年同様、教会員全員に総会資料配布後、審議、議決という形になるかも知れません。

二〇二一年三月二八日 第五〇巻 第一三号

礼 拝 順 序     

前  奏  三三四 朝静かに

招  詞  ヨハネ一・二九

頌  栄  六〇 

賛  美  十字架の贖い(ワーシップ)

交 読 文 五〇 イザヤ五三(八六七~八六八頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七  

奉献祈祷           

賛  美  一一四 血潮したたる

聖  書  ヨハネ一九・一四~三七

メッセージ 「世の罪を取り除く神の子羊」    竹田広志牧師

祈  祷

聖 餐 式  四九 しみも咎も

賛  美  一〇八 丘に立てる荒削りの

頌  栄  六三

祝  祷           竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 四八三 両手いっぱいの愛 )


【説教全文】

「世の罪を除く神の子羊」 ヨハネ19:14~37

並行箇所:マタイ27:32~56、マルコ15:21~41、ルカ23:26~49

聖書協会共同訳見出し 十字架につけられる

           イエスの死

           イエスの脇腹を槍で突く

長かった2か月半の緊急事態宣言が解除され、感染予防の徹底と多くの制限の中にありますが、会堂に集まっての礼拝が再開できましたことを感謝します。

本日から受難週に入ります。今週は特に、主の十字架とそのお苦しみを覚えましょう。

金曜日は、主が十字何つけられた日です。

昨年の受難週は、マルコによる福音書から十字架の記事を読み、「どうしてイエスは神から捨てられなければならなかったのか。」マタイ、マルコにあるイエスの十字架上のひとつのことば、「わが神、我が神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」ということばを中心にお話しさせていただきました。

本日は、ヨハネの十字架の聖書の箇所を、少し長く朗読させていただきました。ヨハネ自身が目撃した十字架の出来事ひとつひとつを、私の罪を取り除くために、赦すために、贖う為に、イエスが私の罪を背負って、十字架の苦難を受けられたと覚えて、ゆっくりとイエスの愛を味わい読みましょう。

私は毎年、受難週にイエスの十字架の箇所を読みます。そして、自分のイエスへの愛と信仰をチェックします。十字架の記事を読んで、心が震える、動くか。申し訳なさと、私の為に打たれたその痛みで、心が痛むか。キリストの生涯の映画を観てみるのも良いでしょう。何も感じないとするなら、主よ、あなたの愛を教えてください。そしてあなたを愛する愛で、私の心を満たしてくださいと祈りましょう。

本日は1年ぶりに聖餐式を行います。聖餐には、自分自身を吟味する時をいただきます。いつも、「ふさわしくないままで、パンを食し主の杯を飲む者は、主のからだと血とを汚すのである。」「主のからだをわきまえないで飲み食いする者は、その飲み食いによって自分にさばきを招く」と勧められています。この招きのことばは、自らの罪を示し、私たちを悔い改めに導きます。

ヨハネによる福音書では、イエスの公生涯のはじめに、バプテスマのヨハネが登場し、ユダヤの民にイエスというお方を指し示します。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。」主イエスの生涯の最初からこのお方は、世の罪(私たちの罪)を取り除くために、その身代わり、贖いとなる子羊である、と。それは、過越しの子羊、罪の贖いの為の生贄の子羊を意味しています。

十字架の出来事は、まさにそうです。イエスが私たちの、私の罪を取り除くために、十字架で肉を裂かれ、血を流され、苦しみを受けられたのです。

人々は激しく叫びました「十字架につけろ。」ローマ人に引き出され、鞭打たれ、茨の冠りを被せられ、血に汚れたみじめな姿を見て、ダビデの様な王になると思っていた彼らの裏切られた期待は、憎しみの声に変わります。「この人を見よ!」とピラトは指さします。期待が大きければ大きいほど、イエスのその姿への反動は、激しい渦となっていく。「十字架につけろ」の群衆の声が怒涛の勢いとなっていきます。

ポンテオ・ピラトは、イエスを十字架につける為に彼らに引き渡します。

イエスはゴルゴダの丘へ十字架を背負って向かい、そこで十字架につけられます。

二人の犯罪人の真ん中につけられます。

イエスの十字架の上には「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」とヘブル語、ラテン語、ギリシア語で書かれた罪状書きがつけられます。

ローマの兵士が、イエスの十字架の足元で、イエスの着ていた着物をくじで取り合います。

イエスはイエスの母マリヤに声をかけられます。

イエスは渇かれます。十字架刑は身体の水分を奪い、激しい渇きに襲われます。

イエスは、酸いぶどう酒を受けられ、力を振り絞って叫ばれます「完了した。」

そして父なる神に、ご自身の霊をお渡しになられ、息を引き取られます。

何が完了したのでしょうか。

イエスの十字架の出来事を読むと、十字架にかかられた最初、ローマの兵卒がイエスに没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに与えようとしましたが、イエスはお受けになりませんでした(マルコ15:23)。それは、十字架の痛みを和らげることが無いためです。しかし、最後には、酸いぶどう酒を受けられました。どうしてでしょうか。

詩篇の十字架の預言である22篇ではこのように書かれています「わたしの力は土器のかけらのように、かわききり、私の舌は、上あごにくっついています。」(22:15)まさに、イエスの十字架の最後には、イエスはことばも出ない程に渇いておられたでしょう。イエスは、私たちの罪の赦しの為の新しい契約を宣言しなければならなかった。しっかりと、はっきりと、人々にわかるように。私の耳にも届くように。酸いぶどう酒を受けられ、力を振り絞って「完了した」と宣言されたのです。

この宣言と共に、神と私たちを隔てる神殿の幕は、上から下まで真二つに裂けたのです。イエスによる新しい救いの道が開いたのです。

イエスは最後の食事の席で、杯を取り、言われました「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです。」過ぎ越しの食事は、小羊の血による、神の裁きから救われた、出エジプトを記念する食事です。そして、聖餐式のパンとぶどう酒は、イエスが私たちの罪の赦しの為に裂かれたからだ、流された神の子羊の血による、新しい契約を記念する食事です。

ヨハネはイエスの十字架の足元に、イエスの母マリヤと共にいて、イエスの死を目撃します。釘によって裂かれた身体、流された血潮を目撃します。

さらに、イエスの骨は折られず、最後にローマの兵士が、息を引き取られたイエスの脇腹を槍で突き刺すのを見ます。突き刺し、そして抜かれた槍の刺し口から、血と水とが流れ出たのを目撃します。目撃した者が証言し、その証言は真実です。

「彼の骨は一つも砕かれない」(詩編34:20)

「彼らは自分たちが突き刺した方を見る」(ゼカリヤ12:10)(イザヤ53:5)

ヨハネの第一の手紙1:7にある「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」という証言は、このイエスの十字架を目の前で目撃したヨハネの確固たる、真実な証言です。

主の十字架を見上げましょう。聖霊様に十字架の出来事を目の前に見せていただき、あなたの罪の赦しと救いのための新しい契約が「完了した」というイエスの御声を聞きましょう。力強いイエスのことばを信じて、受け取りましょう。


【消息・報告】

〇 本日より受難週がはじまります。主のご苦難を覚えつつ日を過ごしましょう。

〇 緊急事態宣言が三月二一日(日)解除されました。二五日(木)役員会で話し合い、新しい礼拝再開の基準を作り、再開の判断をします。礼拝再開の際は皆様にお知らせいたします。動画の配信、カセットは続けて行いますので、自宅礼拝も継続します。カセットが礼拝再開後も必要な方は、仲村までご連絡ください。尚続けて、感染の収束、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにお祈り下さい。

〇 会堂での礼拝出席は積極的にお勧めするものではありません。それぞれの状況、健康状態を考慮しながら、慎重に自己判断して下さい。予防対策をしっかりとして会堂に集まっての礼拝を行います。マスクの着用、出入りの消毒(手を差し出すだけで自動で消毒液が出ます)、ソーシャルディスタンス、換気等、再度注意事項をお読みください。

〇 次週の礼拝は、イースター礼拝となります。教会からささやかなプレゼントを用意しています。 

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

「十字架の贖い」 作詞・作曲 長沢崇史

キリストの血によって回復が与えられ

主との壁取り壊された

キリストの愛からは引き離すものはない

大胆に恵みの御座へ

(おりかえし)

十字架の贖い我が罪の為

惜しまず捧げた子羊 主イエス

二〇二一年三月二一日 第五〇巻 第一二号

礼 拝 順 序     

前  奏  一一四 血潮したたる

招  詞  マルコ一四・三六

頌  栄  六〇 

賛  美  十字架の贖い(ワーシップ)

交 読 文 二三 詩篇六六(八四六~八四七頁)

公同祈祷           

信仰告白  使徒信条

献  金  五七  

奉献祈祷           

賛  美  一〇一 イエスよ十字架に

聖  書  マルコ一四・一~九

メッセージ 「イエスのおこころを察知したひと」 竹田広志牧師

祈  祷

賛  美  三八六 ナルドの香油

頌  栄  六三

祝  祷           竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 一九九 主を仰ぎ見れば )


【説教全文】

「イエスのおこころを察知した女(ひと)」 マルコ14:1~9

並行箇所:アタイ26:6~13、ヨハネ12:1~8

聖書協会共同訳見出し イエスを殺す計略

           ベタニヤで香油を注がれる

次週28日、日曜日から受難週に入ります。その翌週は4月4日、イースターとなります。計らずも、礼拝でマルコによる福音書を読み進んで来て、今、イエスの生涯の最期にさしかかり、十字架へ向かう出来事を読んでいます。

エルサレム入城では、イエスの思いと、王を迎える民衆の思いの乖離があります。

又、イエスに従ってきた弟子たちの姿、その有頂天さも、イエスの思いとかけ離れています。

宮きよめ、問答を通して、イエスの敵対者、祭司長、律法学者たち、長老たちの殺意はますます大きくなっていきます。全てが、イエスが十字架に向かって行かれる要因となっていることがわかります。イエスは、ただすぐ前にご自身に迫っている十字架を見ておられます。

1、イエスを殺す計略(::1~2)

14章からイエスの生涯は、一気に十字架へ向かって進んでいきます。予定していた祭司長たち、律法学者たちによるイエスを殺すための計略も、思いもかけず加速していきます。

イエスの十字架の背景には、常に「過越しの祭」があります(除酵祭=種抜きのパンを食べる日)。それは、出エジプトを記念するユダヤ最大の祭りで、小羊の血が家の入口の鴨居と二本の柱に塗られることによって、神の怒り、神による滅びが過ぎ越しました。血の塗られていない家の全ての初子(王の子から奴隷の子、家畜にいたるまで)が神の裁きによって打たれました。どのような神の災い、奇跡によっても救出されなかったユダヤ人は、このしるしを通して、エジプトの奴隷生活から解放さます。その、神がイスラエルを救い出された大いなる日(出エジプト記12章)を記念する祭りです。

イエスの十字架の意味を知る上で、過越しの出来事を読むのは大事なことです。小羊の犠牲による血を、神様がご覧になって、滅びることなく救われる、という歴史的な事実・出来事があります。

祭司長、律法学者たちは、どのようにしてイエスを騙して捕え、殺すことができるか懸命に話し合います。「祭りの間はいけない。民衆の騒ぎが起こるといけないから」とあります。大事な祭りの中で騒ぎを起こしてはならないということです。明確に彼らの計画は祭りの後で、というものです。しかし、そのタイミングは、イエスの弟子ユダの裏切りによって、この時にしかイエスを捕える機会はないと、過越しの祭りのただ中で、という形に変わります。人の計画ではなく、神の御計画が実現します。

2、イエスへの香油の注ぎ(:3~9)

イエスと弟子たちを歓迎して、ベタニア(エルサレムから数キロの町)のツァラアトに冒された人シモンの家で食事の席が用意されていました。ヨハネによる福音書では、過越しの6日前とあり、マタイ、マルコによる福音書とは時系列が違っています。その食事の席に、おそらく、マルタも、マリヤも、そしてイエスが死者から生き返らせたラザロも同席したと考えられます(ヨハネによる福音書から)。マタイもマルコも一人の女がと記していますが、ベタニヤのマリヤのことです。

聖書の中には、マリヤという人物が混同されやすいですが3人出て来ます。イエスの母マリヤと、イエスに7つの悪霊を追い出していただいたマグダラのマリヤ(ルカ8:1)、そして、ベタニヤの3姉弟の妹マリヤです。3人は区別しておきましょう。

イエスは、ガリラヤからエルサレム来られた際には、ベタニヤのマルタ、マリヤ、ラザロの家をよく訪れていたことがわかります。イエス一行を迎えた彼らの家は小さくなかったと思います。又、イエスや弟子たちとも彼らは年齢的にも近い者達だったでしょう。

どうして、マリヤはこの食事の席で、高価な香油を全てイエスに注いだのでしょうか。

純粋で、非常に高価なナルドの香油。石膏の壺に入っていた、その壺を割り、イエスの頭に注いだ。ヨハネによる福音書では、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった、とあります。ヨハネでは、1リトラ=328gが300デナリ(日当の300日分)、数百万円ですから、1g10,000円位。石膏の大きさは少し大きめの缶ジュースくらいのもの。缶ジュースの大きさで300万円となると、非常に高価と言っていいものでしょう。それが、家にあったというのですから、この姉弟の家はかなり裕福であったかも知れません。

それを残らず、全部イエスに注ぎました。

マリヤは、イエスのただならない様子を意識しないで感じ取っていたかと思います。もうこのお方にお会いできるのも最後かも知れない。居ても立っても居られない。イエスへの愛、マリヤのイエスに対する最高のもてなしであったと考えられます。民衆や十二弟子でさえ受け止めることのない、霊的な感性を彼女は持っています。精一杯の「イエスを愛する愛」「イエスへの感謝」がここにあります。

しかし、そこにいた人たちは、憤慨してマリヤを責め立てます。 

ナルドの香油が非常に高価なもので、それを一回で、全てをイエスに注いでしまったことについて。

もったいない。使い方が間違っている。なぜ、全部使ってしまうのか。

ヨハネによる福音書では、「この香油なら、300デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに」という言葉は、イエスを裏切ろうとしているイスカリオテのユダのものであると書かれています。ユダの言葉に、同席していた人々も同意して憤慨し、マリヤを厳しくとがめます。このような高価な香油は、少しずつ使うものであって、いっぺんに使うようなことは愚かしい行為。香油を無駄にしてしまった。

イエスの弟子や、男性たちから責め立てられるマリヤは、どうしてよいのかわからなかったでしょう。ユダは、イエスの喜ばれる正しい発言をしたと思っていたかも知れません。

イエスはこのマリヤの行為をどのように受け止めたでしょうか。

ところがイエスは「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのためにりっぱなことをしてくれたのです」と言われました。イエスはマリヤを責めるのではなく、褒められました。

貧しい人たちは、いつもあなたがたと一緒にいて、いつでも彼らに対して施し、良い行いをすることができます。しかし、わたしはいつもあなたがたと一緒にいるわけではありません。イエスはご自身が間もなく、世を去る時が近づいていることを知っておられます。マリヤは今しかできない、イエスへの愛と感謝をささげたことがわかります。

そして、この香油を塗るというマリヤの行為を、埋葬の用意を前もってしてくれたとイエスは言われます。マリヤが香油を注いだのは、そういう意味ですと。周りにいた人たちも驚いたかも知れません。マリヤにそのような自覚があったかはわかりませんが、誰ひとりイエスの十字架、死を覚えず、イエスのみ思いを察知できない中で、マリヤはイエスの葬りの準備をしたのです。

このマリヤのした事は、世界中に福音が語られると共に、語り伝えられ、「ナルドの香油」のエピソードは記念となります。それほどに、大きな神の仕事をマリヤは成し遂げたと言えます。

霊的な洞察力

私たちは自分の思いや、願いをいつも主イエスに聞いていただいています。

愛するイエスのみ思い、お心をどれくらい、聖書から聞いて、知って、それを行っているでしょうか。

聖霊を受けて、聖霊に満たされてイエスのおこころ知り、このコロナ禍の中にあっても、今神が成そうとしている神の御計画に参加する私たちでありたい。そのように心から願うものであります。


【消息・報告】

〇 一都三県の緊急事態宣言により、会堂で集まっての礼拝を中止しています。動画、カセット、文書により、自宅礼拝を行って下さい。医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにお祈り下さい。

〇 次週二八日(日)から受難週がはじまります。緊急事態宣言解除や、感染状況を鑑みつつ、今週三月二五日(木)、役員会で判断し、再開の場合は皆様にご連絡いたします。会堂での礼拝出席は積極的にお勧めするものではありません。これまで通り動画礼拝も進めてまいります。それぞれの状況、健康状態を考慮しながら、慎重に自己判断して下さい。礼拝再開の場合は予防対策を遵守して行います(マスクの着用、出入りの消毒、ソーシャルディスタンス、換気等)。又、次週、礼拝が再開される場合は、コロナ対策用の聖餐のパンとブドウジュースを使って聖餐式を行います。 

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

「十字架の贖い」 作詞・作曲 長沢崇史

キリストの血によって回復が与えられ

主との壁取り壊された

キリストの愛からは引き離すものはない

大胆に恵みの御座へ

(おりかえし)

十字架の贖い我が罪の為

惜しまず捧げた小羊 主イエス

二〇二一年三月一四日 第五〇巻 第一一号

礼 拝 順 序     

前  奏  四六三 喜びもて

招  詞  アモス四・一二~一三

頌  栄  六〇 

賛  美  花も

交 読 文 二二 詩篇六五(八四五~八四六頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷           

賛  美  一五一 永遠の安き来たりて

聖  書  マルコ一三・二八~三七

メッセージ 「主に会う備えをせよ」 竹田広志牧師

祈  祷

賛  美  四六二 聖書も時の徴も

頌  栄  六三

祝  祷           竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 四六八 やがて天にて )


【説教全文】

「主に会う備えをせよ」 マルコ13:28~37   世の終わりについてのまとめ

(アモス4:12)-あなたの神に会う備えをせよ

並行箇所:マタイ24:32~44、ルカ21:29~33

聖書協会共同訳見出し いちじくの木の教え(:28~32)

           目を覚ましていなさい(:33~37)

世の終わり(終末について)

A 世の終わりの前兆(大患難の時代)

世の終わりの前兆に心を留めなさい。(戦争、戦争の噂、暴動、地震、飢饉、疫病)

偽キリストに警戒しなさい。「荒らす憎むべき者」

世の終わりの時を定めてはならない。

キリスト者は迫害を受けます。(逃げなさい)

(福音があらゆる民族に宣べ伝えられます)

B 主イエスの再臨

天地は滅びます。(太陽は暗くなり、月は光を放たず、天から星は落ち、天の万象が揺り動かされる)

主イエスは再び来られます。

☆ 世の終わりについての2つのたとえ話 (でしめくくる) しっかりと心に留め、イエスのことばに生きるために

1、ここまでのまとめとしての「いちじくの木のたとえ」

いちじくの木 枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。

それは季節や、時を知るための、私たちが目で確認できるものです。日本で言うならば、桜の花が咲くころには暖かな春が近づいていることを私たちは知ります。前兆を覚えなさい。

これまで、聞いてきたイエスの教えの「世の終わりの前兆について」、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいている「イエスの再臨」を知りなさい。

大患難時代。それはとても恐ろしい時代であり、私たちは不安になります。そんな時がやってきたならば、私たちは果たして耐え忍ぶことができるのだろうか、と不安になります。先週は期間が短くならなければ、誰もそれを耐え忍ぶことができない程だとイエスは言われました。

私たちは今、世界的な疫病感染によって、耐え忍ばなければならない時を送っています。

世界に蔓延した新型コロナ感染から約1年。日本の感染者数44万1千人、死者8千3百人。

世界の感染者数11680万人、死者260万人。(NHK統計3/8による)中でも圧倒的に高齢者の死亡率は高い。

私たちのこの世界は、この地球はいつまでも、永遠に続くものではありません。目に見える者はやがて朽ち果てます。東日本大震災から10年を迎えました。亡くなられた方々に哀悼の意を表すと共に、生活と心の復興に取り組む人々の為に祈ります。

私たちは残された繰り返し放送される映像を通して、その恐ろしさを知ります。私たちの生活の数分後の未来が激変する様子を見ました。津波を見て、抗う事の出来ない自然災害、迫まってくる死の力を見ました。まさに、人の未来は予測不能です。イエスは言われます、「天地は滅びます」。

しかし、恐れてはなりません。イエスは続けて言われます「わたしのことばは決して滅びることはありません」。何が変わっても、どんな恐ろしい出来事が起こったとしても、イエスのことばは完全であって私たちを生き返らせます。死の力もそれに勝てません。知恵を与え、私たちの心を喜ばせ、目を開かせます。そして、イエスのことばは真実であり、ことごとく正しいのです。主イエスに、主イエスのことばに、みことばに信頼する者は決して滅びることがありません。

* 繰り返し日を定めることへの警告 その日は定める事はできません。しかし、その日は突然来ます。

その日、その時がいつであるかは、誰も知りません。「天の御使いたちも、イエスご自身も知りません。ただ、父なる神が知っておられます」とイエスは言われています。尚更、人がその日を知って、宣言するとするならば、それは高慢の極みであり、終末に向かう者の最も愚かな発言、行為です。

* しかし、その日がいつであるかわからないからと、眠っていてはなりません。

イエスは「目をさましていなさい。注意していなさい」と言われます。

2、ここまでのまとめとしての、もうひとつのたとえ話 主人を待つしもべ(:34~36)

主人は家のしもべに、それぞれに仕事を割り当て、責任を持たせ、門番には目をさましているように命じます。

目をさましているように、しっかりと割り当てられた仕事を果たし、責任を全うするように。

主人はいつ帰って来るのかは、しもべは誰も知りません。夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か。

主人は不意に(誰ももう戻ると思いもしない、まだ帰って来ないだろうと思うその時に)帰ってきます。

主人を目をさまして、迎えることのできる しもべ は幸いです。

眠っていて、主人を迎えることのできない しもべ はわざわいです。

そして、この「世の終わりについて」の備えは、全ての人がその対象だと言っておられます。わたしは関係がないと例外はありません。キリスト者のみに対してではありません。全ての人にイエスは言っておられます。

目をさましていなさい。(:33、:34、:35、:37) (備えをしなさい…本日の説教題)

最後に、目をさますとはどのような私たちの生活でしょうか。「世の終わりについて」の中で前回も、前々回も、目をさましていなさい、その日を待ち望みなさいとお話ししました。

目をさますとは、イエスが再びこの地に、偉大な力と栄光を帯びて来られるのを、いつも待っているということです。再臨信仰です。眠っているとは、まだ時間がある。今はまだその時ではない。まだ大丈夫、油断していてはなりません。世の終わりの前兆に、終末の日だ!と張りつめて緊張してなさいというのではありません。あわてる必要もありません。神を礼拝し、喜んで待ち望むのです。花婿が到着するのですから、期待してその日を待つのです。もちろん迫害の時代には、耐え忍ばなければなりませんが。

もうひとつは、それぞれに割り当てられた仕事、主人から与えられた使命に対して忠実である事です。時間は自分の為に使います。家族の為に使います。会社の為に使います。自分の属するグループや団体の為に使います。しかし、忘れてはならないのは、主人がそれぞれに割り当てられた仕事、責任についてです。

世の終わりについて話す中で、生活に埋没してしまわないようにと何度か話しました。

何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、(何を買うか、何で楽しむか、誰と会うか、どこへ出かけるか)そのようなもので心の中がいっぱいになっている。神は私たちが日々の生活を楽しむことを禁じてはいません。かえって、私たちの必要をご存じであり、その必要を与え満たしてくださり、経済を祝福して下さるお方です。

しかし、私達には神から託された、キリストの弟子、しもべとしての使命、仕事があります。

キリストの教会を建て上げ、互いがしっかりと組み合わされて、この救いの箱舟に、ひとりでも多くの者が入ることのできるように、イエスの福音を宣教することです。神はすべての人が救われて、真理(イエス)を知るようになるのを望んでおられます(第一テモテ2:4)。

地震や津波、又、新型コロナウィルスへの予防、備えに私たちは一生懸命取り組んでいることでしょう。

共に礼拝する皆様に、又、この動画を観ているあなたに質問します。

世の終わりに対する備え、あなたの死に対する備え、神に会う備えはできていますか?あなたの罪は本当に赦されていますか?


【消息・報告】

〇 一都三県の緊急事態宣言により、会堂で集まっての礼拝を中止しています。動画、カセット、文書により、自宅礼拝を行って下さい。感染が収束し、再び会堂に集まって礼拝をささげることができるように祈りましょう。医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにもお祈り下さい。

〇 先週、リモートで役員会を行いました。緊急事態宣言解除後の礼拝について話し合いました。三月二八日~受難週、四月四日がイースター礼拝となります。直近の感染状況を注視しながら、礼拝再開について皆様にお知らせいたします。 

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

「花も」   MEBBIC

一、ここに泉は湧く 涙を過ぎる時

やがて実を結び 笑い声に満ちる

(おりかえし)

花も雲も風も大海も 奏でよう奏でようイエスを

空に響け歌え魂よ 恵みを恵みを恵みを

二、仰げ天は開き 僕らは見るだろう

やがて花は咲き 栄光の主が来られる

(おりかえし)

二〇二一年三月七日 第五〇巻 第一〇号

礼 拝 順 序     

前  奏  

招  詞  ダニエル一二・九~一三

頌  栄  六〇 

賛  美  花も

交 読 文 二一 詩篇六二(八四四~八四五頁)

公同祈祷           

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷           

賛  美  四六四 汚れと争いは

聖  書  マルコ一三・一四~二七

メッセージ 「イエスは偉大な力と

栄光を帯びて再び来る」   竹田広志牧師

祈  祷

賛  美  一四八 夕べ雲焼くる

頌  栄  六三

祝  祷           竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時  )


【説教全文】

マルコ13:14~27   ダニエル12:9~13

並行箇所:マタイ24:15~31 ルカ21:20~28

聖書協会共同訳見出し 大きな苦難を予告する(:14~23)

           人の子が来る(:24~27)

1、大患難時代

「荒らす憎むべき者」とは誰か。

引照:ダニエル書11:31、12:11

先週、イエスがルサレム神殿の破壊について予告されたことを読みましたが、本日は、聖なる神殿で、他の神々に生贄をささげる儀式をする、汚れた行為をする者(神殿を汚す行為)についての予告です。

西暦70年に、神殿が破壊され、その場所が汚される行為が行われました。このエルサレム神殿は、歴史上、繰り返し戦争の引き金になっています。

* 現在のエルサレムの旧市街は、南東のユダヤ教地区、南西のアルメニア人地区(ギリシア正教・カトリック教会)、北東のイスラム教地区、北西のキリスト教地区とあり、4分割されています。キリスト教=日曜安息 ユダヤ教=土曜安息 イスラム教=金曜安息 エルサレムは3つの宗教の聖地となっています。

歴史の中で起こった聖地争奪戦争 638  イスラムによるエルサレム占領

                1096~99 十字軍によるエルサレム占領   100年以上続く

                1948 イスラエル独立戦争(第一次中東戦争)第5次まで約50年

                     イスラエル独立宣言          

聖地をめぐる戦争の歴史。

その予告の中で、「『荒らす憎むべき者』が、自分の立ってはならない所に立っているのを見たならば(読者はよく読み取るように、読者よ、悟れ。それが誰であり、どのような時代であるかを精査しなさい。)・・・・」と、ここに聖書の中でも珍しい表記・注意書きがあります。事実、西暦70年のエルサレム陥落・神殿崩壊において「荒らすべき者がその聖なる場所を踏みにじる」出来事が起こりましたが、歴史上のその時だけを指しているのではありません。ダニエル書も、イザヤ書も、そして旧約聖書の他の預言書も、近い未来と、そして遠い未来(キリストの出来事)と、そして終末を指示しています。世の終わりの前兆は、歴史の中で繰り返されています。この解釈を慎重にせよ、と聖書は私たちに呼びかけているのです。起こった出来事として特定するのは困難です。

しかし、いずれにしても、戦争や混乱のただ中で、神を礼拝する場が汚されることは、神に従う者にとって、世の終わりのような出来事です。聖なる場が汚されるという事が起こったならば、(たとえば、教会が神を信じない者や、神に逆らう者によって迫害されて、踏みにじられるような事件が起こったならば、)

その時、「ユダヤにいる人は 山へ逃げなさい。屋上にいる者は、下に降りてはならない。畑にいる者は、上着を取りに戻ってはならない、それらの日には身重の女と乳飲み子を持つ女に災いがある。これらのことが冬に起こらないように、祈りなさい。迫害の中に飲み込まれてしまわないように、逃げなさい」と勧められています。

普段の日常生活の中から離れて、山へ逃げなさい。そこの場所に留まってはならない。急いでその場所を離れるように、と警告されています。故に、身重であったり、乳飲み子を持つ者であったり、冬であったりすると、状況はさらに過酷になります。災害が冬に起これば厳しさが増し、野外では暮らせません。

そして、神が天地を造られた創造の日から今までにない、今後も決してないほどの苦難が来る、と予告されています。

大患難時代と呼ばれるものです。キリスト者が最後まで耐え忍ばなければならない(:13)時代です。神は耐え忍ぶことのできるようにその期間を縮めて下さっています。縮めて下さらなければ、誰一人それを耐え忍ぶことのできないような患難だと言われています。神は私たちを耐えられないような試練に会わせません。また、逃れの道も備えて下さいます。 * 黙示録に記されている最終的な7年の大患難時代においては、(歴史の中で世の終わりの前兆は繰り返されて来ていますが)大患難時代の前にキリスト者の携挙があります。

「その時、偽キリスト、偽メシアに惑わされてはいけない、信じてはならない。気をつけなさい」とイエスは再度警告をしておられます。偽メシア、偽預言者は、しるしや不思議なわざを行います。「しるし」や「不思議なわざ」に惑わされてはいけない。神のわざの外に、邪悪なわざがある。私たちはそれを見分けなければなりません。それが真か偽かを。やっかいなのは、他の神々の名ではなく、キリストの名を語って、しるしや不思議なわざが行われる事です。異教は見分けやすいが、異端は見分けにくい。サタンは巧妙で、天使に偽装する、とあります(第コリント11:12~15)。私は奇跡を信じます。心身の病の癒し、経済の回復、人間関係の回復など、主は驚くべきみわざを私たちの人生に与えて下さいます。しかし、私たちはそれをキリストのものか、偽キリストのものか見分ける必要があります。神のわざは、悔い改めと信仰に私たちを導くものです。人の行いや奇跡が、キリストの十字架の贖いと復活(永遠の命)よりも、前面に出ているものは注意が必要です。

2、イエスの再臨

 このような苦難の後、天変地異の前兆があります。地球規模の自然災害(地球の温暖化、地球の深層大循環、大気汚染、森林の砂漠化等々)。異常気象、自然災害は地球全体に拡がっていく。天地が滅びる時が来ます。

 このような時代に、身重の女、乳飲み子を持つ女は哀れです。神は赤子も、お腹の子も御国に入れて下さるでしょう。しかし、親としては、生まれてくる子供のこの世界がいかに苦難に満ちたものであるかを憂える以外にはないからです。世界の終わりの様相は人の住む世界が終わり、天地は滅びます。

「その時、人の子(イエス)が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来られるのを、人々は見ます。」再臨(地上再臨)。イエスは約束されたように、再びこの地に来られます。

偉大な力と栄光を帯びて天から下って来られます。それを人々は見ます。

「すでに」と、「やがて」のもたらすもの。

私たちの信仰の歩みには、「すでに」と、「やがて」があります。

 私たちの救い主イエスはどこにおられますか。神の右に座し、私たちのために、ご自身の贖いの血を携えて、神の前に執り成して下さっています。そのイエスは、私たちを聖霊の宮として、私たちの内にいてくださいます。肉眼で見ることはありませんが、すでに、聖霊によって、私たちと事実、共にいてくださり、世の終わりまでいつも共にいてくださいます。イエスが私の人生と共に歩んでくださるお方。それがインマヌエルとよばれるイエスです。それが、神の愛であり、救いです。それが、私たちキリスト者の平安であり、命です。イエスが人としてこの地に来て下さったのは33年間ですが、今やキリストは、キリストを信じる者の、どの国、どの場所の人とも共にいて下さいます。神は普遍のお方です。

しかし、「その時」とは、再臨の日を指して、人々はイエスを見ます。目に見えないお方ではなく、実際に見ます。人々は上を見上げて、イエスが雲に乗って天から下って来られるのを見ます。すでに、私たちは信仰の目をもって、イエスを見上げていますが、やがて、この目でイエスを見ます。それが再臨の日です。

 再臨の主を待ち望む者には、心から信じてそれを待ち望むことによって、日常生活の歩みはどのように変わるでしょうか。世に埋没しません。声を大きくして宣教します。罪や悪を警戒します。

* 野坂昭如(「火垂るの墓」の作者)と大木英夫(聖学院 院長・理事長)の対談について。

 

「その時、人の子(イエス)は、天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、選ばれた者を四方から集める。」イエスは私たちをご自身の許へと引き寄せてくださいます。イエスはご自身のみもとへ、主にある者を召されるお方です。今、礼拝を行っているのは、そのひな形です。教会とはまさに、主に集められた者たち(「エクレイシア」 ギリシャ語)です。愛とは共にありたいと願うことです。


【消息・報告】

〇 新型コロナ感染第三波の急速な感染拡大により、会堂で集まっての礼拝を中止しています。動画、カセット、文書により、自宅礼拝を行って下さい。礼拝再開の時が来ましたら、皆様にお知らせ致します。感染が収束し、再び会堂に集まって礼拝をささげることができるように祈りましょう。医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにもお祈り下さい。

〇 本日役員会をリモートで行います。緊急事態宣言解除後の礼拝再開について話し合います。 

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

「花も」   MEBBIC

一、ここに泉は湧く 涙を過ぎる時

やがて実を結び 笑い声に満ちる

(おりかえし)

花も雲も風も大海も 奏でよう奏でようイエスを

空に響け歌え魂よ 恵みを恵みを恵みを

二、仰げ天は開き 僕らは見るだろう

やがて花は咲き 栄光の主が来られる

(おりかえし)


二〇二一年二月二八日 第五〇巻 第九号

礼 拝 順 序     

前  奏  三三四 朝静かに

招  詞  第一テサロニケ五・一~六

頌  栄  六〇 

賛  美  花も

交 読 文 二〇 詩篇五七(八四四頁)

公同祈祷           

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷          

賛  美  一四九 いつ主は来たり給うや

聖  書  マルコ一三・一~一三

メッセージ 「世の終わりの前兆」      竹田広志牧師

祈  祷

賛  美  四三二 北の果てなる

頌  栄  六三

祝  祷           竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 一九八 God Bless you )


【説教全文】

「世の終わりの前兆」 マルコ13:1~13

並行箇所:マタイ24:1~14、ルカ21:5~19

聖書協会共同訳見出し 神殿の崩壊を予告する(:1~2) 

           終末の徴(:3~12)

ヘロデ大王によって46年間かけて修復された(ヨハネ2:20)第二神殿。

エルサレム神殿は、最初ソロモンによって栄華の限りを尽くした荘厳なものに建造されました。後、バビロンの占領によって略奪、崩壊。その後、捕囚から帰還したゼルバベルによって再建されますが(第二神殿と呼ばれる)、それは再建されたというには未完成なものでありました。その後、ヘロデ大王が神殿の本格的な再建に取り掛かります。イエスの時代には、再建に取り掛かってから46年もたったというのですから、かなり立派な神殿に修復されていたことがわかります。(現在のエルサレムの神殿跡地に残っている有名な「なげきの壁」は、このヘロデ大王の時代に再建された神殿の現存する壁だと言われています)

イエスの弟子が、神殿の積み上げられた石の大きさ、見事さに感嘆の声をあげます。

しかし、イエスはあらぬことを語られます「この大きな建物に見とれているのか。ここに積みあがった石は、一つ残らず崩れ落ちる。」宮を出て行かれる時に、その神殿の前で言われたことばです。弟子たちはイエスの口を塞ぎたかったでしょう。何ということを言われるのか、と。

以前礼拝で、当時の宗教的指導者と民衆のキリスト理解、メシア理解についてお話ししました。キリストはローマの圧政・支配からユダヤ人を解放し、再びイスラエルに繁栄を与えるダビデのような王であると。しかし、ここでイエスが言われるのはその真逆の内容です。ユダヤ人のアイデンティティ(ユダヤ人がユダヤ人たるもの)は、律法・割礼・神殿礼拝を厳しく守ることでした。それが彼らの誇りでした。それらを汚し、壊すことばは決して許されません。イエスは、この長い年月をかけて再建してきた神殿は、木っ端みじんに一つも積みあがった石が残らないくらいに壊れると言われたのです。これは西暦70年、イエスがこの話をされてから、わずか40年後に、ローマとユダヤ反乱軍との大規模な戦争によって目に見える形となります。イエスの時代、ローマからの解放に期待する人々の心が、そのような風潮に激しく流されていたことがわかります。しかし、イエスが十字架へ向かわれることは、民衆のこころが変わる大きな原因にもなっています。

イエス一行は、エルサレムを出てケデロンの谷を下り、オリーブ山へ行かれました。弟子たちはひそかにイエスに質問します。大きな声では質問できないことです。「お話しください。いつ、そういうことが起こるのでしょう。また、それがみな実現するようなときには、どんな前兆があるのでしょう。」

ここからイエスのことばは、5節~38節まで続きます。このイエスの教えは、「小黙示録」とも呼ばれる、世の終わりについての内容です。神殿崩壊の預言を導入として、終末・世の終わりについて、弟子たちに語られます。

惑わされないように気を付けなさい。 

1、 偽キリスト、偽イエスが現れ、多くの人を惑わす

2、 戦争(や暴動 ルカのみ)と戦争の噂を聞く

3、 方々に地震が起こる

4、 飢饉(や疫病 ルカのみ)が起こる

終末において、偽キリストを見分けるためには、是非知って下さい。再びイエスがこの地に来られる時には、人として世には来られません。世界中の誰もが、はっきりとわかる形で、いなずまが東から来て、西にひらめくように(マタイ24:27)、審判者として、天から下って来られます。どこの国の誰かが、イエスであるということは決してありません。イエスの生まれ変わりだという人もおりません。どんな奇跡を起こす力がある人であっても、キリストではありません。再臨のキリストは、人としてではありません。どんな偉大だと思われる人が、「わたしはキリストだ」と宣言しても、決して惑わされてはいけません。

終末の「その日」は誰も知りません。どんなに大きな戦争が起こっても、地震が起こっても、飢饉や疫病が起こっても、世の終わりが西暦何年の何月何日に起こるという予言・予知・占いと称するものに惑わされてはなりません。キリスト教会の歴史は、終末の日を定めることで、何度も失敗を繰り返してきました。

ただ、私達がイエスの教えを通して知らなければならないのは、それは盗人のように来る(マタイ24:43~44、Ⅰテサロニケ5:2、黙示録16:15)ということです。眠っていてはならない。日常に埋没してはならない。日々の忙しさに心を滅ぼしてはならない。いつと日を定めることはできませんが、それは明日かも知れません。キリスト以後、2000年の歴史の中に、戦争・地震・飢饉・そして疫病は繰り返し起こっています。「世の終わりの前兆」は、私達の信仰を覚醒させます。イエスはすぐに来られる!イエスが前兆といわれるものが起こるたびに、私たちは目を覚まして、主を待ち望むのです。時代が夜であっても昼であっても、私達は主を待ち望みます。「マラナタ!」「主よ、来てください。」

5、 キリスト者は迫害を受けます(:9~1)

あなたがたは議会に引き渡され、会堂で鞭打たれ、総督や王たちの前に立たされます。捕らえられ、引き渡されます。兄弟は兄弟を、父は子を、子は両親を、死に渡します。わたしの名のために、みなの者に憎まれます。

キリスト者にとって、なんと厳しい世の終わりの前兆の預言でしょうか。キリスト者への迫害も歴史の中で、様々な国で何度も繰り返されて来ました。しかし、イエスはそのような中にあっても、恐れるな、雄々しくあれ、と言われます。誰の前に捕らえられ、引き出される時にも、立たされる時にも、大胆に、イエスは救い主である、と福音を宣べ伝えなさいと言われます。こうして、全ての民族に福音は宣べ伝えられていきます。何を話せばよいのかと心配する必要はありません。聖霊様が、今話すべきことばをあなたに与えてくださいます。

どのように証詞すればよいのか、福音を宣べ伝えればいいのか。自分はなんと弱く、知恵のない者、口の重い者なのか。わたしたちは、恐れて、しり込みしてしまいます。相手が迫害する者でなくても、家族や、友人や、親しい者であっても、何を、どのように語ればいいのか分かりません。

しかし、この朝、全ての、福音を宣べ伝えたいと願うキリスト者は、このみことばをいつも心に留めましょう。「自分の示されることを話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。」信じて、聖霊様に信頼しましょう。宣教の力は、ただ、ただ、聖霊によります。うまく話そうとしなくていいのです。聖霊の導きを仰ぎましょう。


【消息・報告】

〇 新型コロナ感染第三波の急速な感染拡大により、会堂で集まっての礼拝を中止しています。動画、カセット、文書により、自宅礼拝を行って下さい。礼拝再開の時が来ましたら、皆様にお知らせ致します。感染が収束し、再び会堂に集まって礼拝をささげることができるように祈りましょう。医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにもお祈り下さい。

〇 次週三月七日(日)役員会において、緊急事態宣言解除後の礼拝再開について話し合います。 

〇 教会創立五〇周年の記念誌原稿を皆様から集めています。字数は一二〇〇文字(四〇〇字詰め原稿用紙三枚)以内、締め切りは本日となっています。又、証し文に題名をお付けください。よろしくお願い致します。教会員全員がお書き下さい。原稿用紙をお配りしましたが、可能な方はできるだけ電子メールの添付ファイルで送って下さい。文章校正はこちらでお手伝いさせていただきますので、気兼ねなくご提出下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

「花も」   MEBBIC

一、ここに泉は湧く 涙を過ぎる時

やがて実を結び 笑い声に満ちる

(おりかえし)

花も雲も風も大海も 奏でよう奏でようイエスを

空に響け歌え魂よ 恵みを恵みを恵みを

二、仰げ天は開き 僕らは見るだろう

やがて花は咲き 栄光の主が来られる

(おりかえし)

二〇二一年二月二一日 第五〇巻 第八号

礼 拝 順 序     

前  奏  四〇六 主にありて生くるとき

招  詞  第一サムエル一六・六~七

頌  栄  六〇 

賛  美  パワーオブユアラブ(ワーシップ)

交 読 文 一九 詩篇五一(八四三~八四四頁)

公同祈祷           

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷           

賛  美  三七八 罪の世人らに

聖  書  マルコ一二・三八~四四

メッセージ 「主は心を見る」  竹田広志牧師

祈  祷

賛  美  三九九 この身の生くるは

頌  栄  六三

祝  祷           竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 三〇八 いとも良きものを )


【説教全文】

「主は心を見る」マルコ12:38~44

* 第一サムエル16:7「人はうわべを見るが、主は心を見る」

(並行箇所:マタイ23:1~36、ルカ20:45~47)

(並行箇所 ルカ21:1~4)

聖書協会共同訳見出し 律法学者を非難する(:38~40)

           やもめの献金(:41~44)

1、虚栄・傲慢の罪(:38~40)

イエスの宮の中での教えは続きます。

「律法学者たちには気を付けなさい。彼らは、長い衣をもまとって歩き回ったり、広場であいさつされることが大好きで、また会堂の上席や、宴会の上座が大好きです。また、やもめの家を食いつぶし、見えを飾るために長い祈りをします。こういう人たちはひと一倍きびしい罰を受けるのです。」

人は特に地位を得、偉くなると、人の評価や、評判が気になるようになります。イエスの時代の指導者、日本の政治家しかりです。偉い人だ、学問のある人だ、清い人だ、正しい人だ、と世間から評価され、そのような職業・地位に就くと、たとえそうでなくても、そのように振舞うようになっていきます。また、特別に地位がなくても、誰でも人は、人に良く見られたい、評価されたい、尊敬を受けたい、褒められたいと思います。

律法学者たちは、貧しい者を食いものにし、見えを飾るため、立派な恰好や、長い祈りをしています。

非常に厳しいイエスの非難のことばです。

カトリック教会の「7つの大罪(原罪)」では、私たちの内から出てくる罪の性質・傾向性を示しています。私はいつもこのような心に傾いたり、支配されたりしていないか自分自身を吟味します。

虚栄・傲慢 強欲 色欲 暴食 憤怒 嫉妬 怠惰

最初に虚栄・傲慢とありますが、神が最も嫌うのは、虚栄であり傲慢です。しかし、どんなに罪深い者、誘惑に脆(もろ)く失敗をしてしまった人でも、神の前にへりくだった心を持っているなら、悔い改めの機会があります。しかし、高慢・虚栄の者は、人目を気にしてへりくだることができません。否、へりくだる心を持っていません。イエスにへりくだった思いで救いを求めてきた人たちに比べ、いかに律法学者たちはイエスに対して礼がなく、高慢であったことでしょう。神の御子の前に、自分たちがいかに愚かで、神のみこころに沿った者でないか、彼らは自らを省みることができませんでした。

神に反逆したサタンは、虚栄と傲慢に陥りました。悔い改める機会がありません。サタンでさえ、真に神の前にへりくだる心があるなら、救われるやも知れません。それほどに、高慢は大きな罪なのです。

奉仕も祈りも、誰かに見られるためではありません。神に向かってする祈りは、立派な祈りをする必要はありません。(公の場で代表して祈る場合は、個人的にならないように祈りの手引きは必要かも知れませんが。)時に個人的な祈りであっても、その切なる真実な祈りは、共に祈る者の心を打ちます。

祈りは神が聞いていて下さる。人が見ていても、見ていなくても、神の奉仕には関係はありません。

2、レプタ2枚を捧げたやもめ

イエスは献金箱に向かってすわり、人々が献金箱へお金を投げ入れている様子を見ておられました。

多くの金持ちが大金を投げ入れていました。

投げ入れている…神殿の婦人の庭の壁にラッパ状の受け口のついた献金の壺が設置されていた。礼拝に来た男性はこの献金の壺に献金を投げ入れて、奥の男子の庭に進んでいきました。金属製の受け口から、ジャラジャラと音をたてて貨幣が落ちていきます。

金持ちは大金を投げ入れていました。まわりの人に良く聞こえるように、勢いよく―「私はこんなにたくさんささげています」。イエスはその大金を投げ入れる金持ちに感心されたでしょうか。

そこにひとりの貧しいやもめがやってきます。

レプタ銅貨を二つ投げ入れいます。カランカランと乾いた音を立てて献金箱に入って行きます。 

レプタ2枚は、1コドラント。1コドラントは、1デナリ(日当)の64分の1

約100円位 五十円玉2つ パン1~2個分の貨幣

イエスはそれをご覧になっていました。

人の人生は何によって支えられているでしょうか。お金でしょうか。それとも神様でしょうか。

50円玉が2枚、献金箱に落ちていきます。

このやもめは、どのような思いで、心で、それをささげたのでしょうか。

人はうわべを見るが、神は心を見られる。宮に来ていた人たちも、イエスの弟子たちも、献金している人々の様子を見ていたでしょう。しかし、イエスはささげている人々の心を見ておられます。

イエスは弟子たちを呼び寄せて言われます「まことに、あなたがたに告げます(イエスが大事なことを話す前に言われる口癖、「良く聞きなさい」)」

「この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。」

人々は、弟子たちも、やもめのささげものを見て、何と恥ずかしいささげものか、と思ったかも知れません。

「みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」

イエスの教えは温かく、痛快です。

私はレプタ2枚のささげもののこの個所が大好きです。レプタ1枚ではなく、レプタ2枚というのが心に留まります。1枚は生活費の為に、1枚は主の為にでも良かったのですが、生活費全部をささげたというのです。

どうして女はそうしたのでしょうか。明日の食べ物を買えないという心配はなかったのでしょうか。

神への感謝の心です。彼女の心が神への感謝で満ちていたことがわかります。

明日の心配をしていなかった。その日の精一杯のささげものです。

この女のささげものは、その時だけではなかったと思います。彼女はそのように神にささげても、神が必要を満たして下さることを知っていました。日々、経験していました。神への全き信頼があります。

主は私たちの心を見られます。

私たちは自分の持っている物、あるだけ全部をささげることはできません。生活費全部をささげることはできません。持っているもの全部をささげなさい、そういう教えではないでしょう。

神への感謝であふれている心。明日を心配しない、神への全き信頼の日々。

そのようなあなたをイエスは喜んでくださるのではないでしょうか。

《祈り》どうか聖霊にいつも満たしてくださり、私にレプタ2枚をささげる心を私に与えてください。


【消息・報告】

〇 新型コロナ感染第三波の急速な感染拡大により、会堂で集まっての礼拝を中止しています。動画、カセット、文書により、自宅礼拝を行って下さい。礼拝再開の時が来ましたら、皆様にお知らせ致します。感染が収束し、再び会堂に集まって礼拝をささげることができるように祈りましょう。医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにもお祈り下さい。 

〇 教会創立五〇周年の記念誌原稿を皆様から集めています。字数は一二〇〇文字(四〇〇字詰め原稿用紙三枚)以内、締め切りは二月末日となっています。後、一週間となりますので、よろしくお願い致します。教会員全員がお書き下さい。原稿用紙をお配りしましたが、可能な方はできるだけ電子メールの添付ファイルで送って下さい。文章校正はこちらでさせていただきますので、気兼ねなくご提出下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年二月一四日 第五〇巻 第七号

礼 拝 順 序     

前  奏  二〇八 イエスは愛で満たす

招  詞  使徒行伝五・二九~三二

頌  栄  六〇 

賛  美  その日全世界が(ワーシップ)

交 読 文 三五 詩篇一一〇(八五七頁)

公同祈祷           

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷           

賛  美  一四一 イエス君は

聖  書  マルコ一二・三五~三七

メッセージ 「神の右に座すイエス」 竹田広志牧師

祈  祷

賛  美  一六五 栄光イエスにあれ

頌  栄  六三

祝  祷           竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 一六六 威光・尊厳・栄誉 )


【説教全文】

「神の右に座すイエス」 マルコ12:35~37

並行箇所:マタイ22:41~46、ルカ20:41~44

聖書協会共同訳見出し ダビデの子についての問答

イエスが十字架に架けられる前の、エルサレム入りしてからの最後の一週間の出来事を私たちはマルコによる福音書から読んでいます。

神殿の「宮きよめ」をされたイエスを、祭司長・律法学者・長老たちが捕えようとして、ことばの罠をしかけ、論争をいどんできました。しかし、イエスが神の知恵をもってみごとにお答えになるばかりか、問答を通して、神の真意をお語りになり、あえてイエスに質問する者はいなくなった、とあります。

イエスは「宮きよめ」をされた祭司の管轄する宮の庭で教えておられました。祭司たちも見て見ぬふりをせざるを得なかったと思われます。宮の中で多くの群衆が喜んでイエスの教えに耳を傾けていたからです。

本日は、その宮の中でイエスが人々に教えられた場面です。

イエスは人々に「律法学者たちは、どうしてキリストをダビデの子と言うのですか」(:35)と問うておられます。旧約聖書には、キリスト(ギリシア語)(ヘブル語ではメシヤ)はダビデの子孫からお生まれになると預言されています。イエスの時代の人々も、ダビデの子孫からダビデのような王が現れ、ローマの圧政から救い出し、イスラエルを再興し、もう一度かつてのようなイスラエルの繁栄を与えてくれると信じていました。それがユダヤの人々が待ち望んでいたキリストでした。イエスをキリストだと信じる人は、イエスを「ダビデの子」と呼んでいます。(マタイ9:27、12:23、15:22、20:30~31)

律法学者たちも、民衆も、そのような意味で、やがて来られるキリストはダビデの子であると信じていました。イエスの血筋は事実、ユダの末裔、ダビデの子孫です。父ヨセフも、母マリヤもダビデの子孫です。しかし、律法学者や民衆のキリスト理解は正しかったのでしょうか。

確かにキリストはユダヤ人の王であり、ダビデの子です。

しかし、私たちは今知っています。キリストは、ユダヤ人だけでなく全世界の人々を罪と死と滅びから救い、サタンの支配から神の支配へ立ち返らせる救い主であることを。そして、このお方は、王であり、預言者であり、大祭司であり、そして、ここが今回最も大切なポイントですが、神の御子であることを。(キリストは油注がれた者という意味があり、旧約の時代、任職の為の油は、王と預言者と祭司に注がれるものでした。)

ここで問われるのは、キリスト理解、メシヤ理解です。イエスは誰なのか。イエスの任職は、神の力ある王、神の知恵たる預言者、メルキゼデクに等しい永遠の大祭司です。しかし、イエスというそのお方、そのご存在は、人となられて私たちの住むこの地に来て下さった神の御子です。それがイエスであります。

イエスは、まことに神であり、まことに人であります。

人は、神が人となられたという福音を信じません。それは学識ある者には無知のように聞こえるのかも知れません。まるで神話やおとぎ話のように聞こえるのかも知れません。しかし、私は、罪ある人間が崇拝の対象となる神や仏になるのは信じられませんが、神が人となられたことを、イエスの全生涯を通して信じます。

人は神になれるでしょうか。なれません。神は人になるでしょうか。なれるけれど、なる必要がありません。神が人になることは、人間的な考えでは愚かなことです。《ピリピ2:6~8》 しかし、神の愛がそうさせたのです。「神はそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者がひとりも滅びず、永遠の命を得るためです。」

イエスは詩篇110篇1節のダビデの歌について語られます。「ダビデ自身、聖霊によって、こう言っています。」これはダビデが創作して歌ったものというよりも、神の霊に満たされて語った預言(神より預かったことば)である、と。そこに重点が置かれています。

「主は私の主に言われた。『わたしがあなたの敵を、あなたの足の下に従わせるまでは、わたしの右の座に着いていなさい。』」

① 「主は私の主に言われた。」主がどなたで、わたしが誰で、私の主がどなたか、わかりにくい言葉ではありますが、わかりやすく言うと、「父なる神は、私の救い主キリストに言われた」という内容です。神がダビデの主に言われたことばというものを、ダビデ自身が明確に理解していたかは定かではありません。神が(ダビデの主)イエスに言われたことばです。

② 「わたしがあなたの敵を、あなたの足の下に従わせるまでは」。これは期間をあらわしています。イエスの敵をイエスの足の下に従わせるまでという期間は、イエスが十字架と復活によって、キリストによる新しい救いの道を開いてから、再びイエスがこの地に来られて、生きている者と死んだ者とを裁く日までを示しています。今はその時です。

③ 「わたしの右の座に着いていなさい」

本日の説教題としたことばです。父なる神の右の座に着いていなさいというものです。

イエスは今、父なる神の右に座しておられます。使徒信条では、「我は信ず」と、キリストの教会が曲がった福音に陥ることがないように、歴史の中で繰り返し告白してきました。「…(主イエスは)三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。」

イエスは、天に上り、今、全能の父なる神の右に座しておられます。

「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。」(ヘブル1:3)

ヘブル人への手紙は、神の右に座しておられるイエスが、今、その右の座においてどのような働きをされているかを書いています。ヘブル人への手紙をこの機会に読んでいただきたいと思います。イエスは永遠の大祭司として、私たちの救いの為に、ご自身の贖いの血を携えて、神の前にとりなしておられます。ご自分によって神に近づく人々を完全に救ってくださいます。私も教会員の信仰の歩みのためにとりなしの祈りをいつもしていますが、誰かに祈られていることは幸いですが、誰にも優って、イエスが神の右に座して、私たちの救いのために、あなたのためにとりなしをしてくださっています。

「罪に定めようとするのは誰ですか、死んで下さった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、わたしたちのためにとりなしていてくださるのです」(ローマ8:34)

「私たちの大祭司は天におられる大能者の右に着座された方であり、人間が設けたのではなく、主が設けられた真実の幕屋である聖所で仕えておられる方です。」(ヘブル8:1~2)

「ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるのに、どういうわけでキリストがダビデの子なのでしょう」とイエスは言われます。イエスは人としてはダビデの子ですが、神としてはダビデの主です。天地創造のはじめから、アブラハムの生涯の中にも、ダビデの生涯の中にも、ダニエルの時代の中にも、とこしえにイエスは彼らの主であります。そして今も、イエスは私たちの神、主です。

 

 民衆の心変わりも、ユダの裏切りも、当時の宗教的指導者の敵意も、間違ったキリスト理解にあったのかも知れません。キリストは、全ての人を罪と、死と、裁きから救って下さるただひとりのお方です。そして、私たちが礼拝すべき、従うべき、とこしえに変わることのない主です。

今日もイエスを見上げ、感謝と賛美をもって、声を合わせて告白しましょう。「主は全能の父なる神の右に座したまえり」。


【消息・報告】

〇 新型コロナ感染第三波の急速な感染拡大により、会堂で集まっての礼拝を中止しています。動画、カセット、文書により、自宅礼拝を行って下さい。礼拝再開の時が来ましたら、皆様にお知らせします。感染が収束し、再び会堂に集まって礼拝をささげる事ができるように祈りましょう。医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにもお祈り下さい。 

〇 教会創立五〇周年の記念誌原稿を皆様から集めます。字数は一二〇〇文字(四〇〇字詰め原稿用紙三枚)以内、締め切りは二月末日となっています。後、半月となりますので、よろしくお願いいたします。教会員全員がお書き下さい。原稿用紙をお配りしましたが、可能な方はできるだけ電子メールの添付ファイルで送って下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年二月七日 第五〇巻 第六号

礼 拝 順 序     

前  奏  四五三 ガリラヤ湖の岸にて

招  詞  申命記六・四~九

頌  栄  六〇 

賛  美  二〇八 イエスは愛で満たす

交 読 文 一八 詩篇五〇(八四二~八四三頁)

公同祈祷                

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷        

賛  美  二九〇「野の花を見よ」と

聖  書  マルコ一二・二八~三四

メッセージ 「神を愛せよ。隣人を愛せよ」  竹田広志牧師

祈  祷

賛  美  三三七 愛する主よ わが君よ

頌  栄  六三

祝  祷           竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 三三九 恵みの高き嶺 )


【説教全文】

「神を愛せよ。隣人を愛せよ」 マルコ12:28~34

(並行箇所 マタイ22:34~40 ルカ10:25~28)

マタイとルカの並行箇所を読むと、内容の違いをみることができるので、比較して読んでみて下さい。

聖書協会訳見出し 最も重要な戒め

イエスをことばの罠に掛け、陥れて捕らえようとし、問答を投げかけてくる祭司長、律法学者、長老たち。

イエスに質問した人たちのリスト

11:27~ 祭司長、律法学者、長老たち

12:13~ パリサイ人、ヘロデ党の者

12:18~ サドカイ人

12:28~ 律法学者

12:34  「それから後は、だれもイエスにあえて尋ねる者がなかった」

イエスへの最後の質問は、旧約聖書に数多くある戒めの中で何が一番重要かというものです。

旧約聖書には、モーセの十戒をはじめ、多くの律法、戒めが記されています。

「トーラー(成文律法)」には一年の禁令365と社会的義務248を足して、613あります。

「ミシュナー(口伝律法)」は成文律法を日常生活に適応させる戒律で、さらに数多くあります。イエスの時代、口伝律法は言い伝えの形でしたが、後に文章にまとめられ、それは「タルムード」と呼ばれています。

旧約聖書の戒めは、どれも大切な神の戒めですが、その中でもユダヤ人が「シェマー(聞け)」という、家の入口の門柱に付けたり、常に携帯する札の様なものがあります。そこには、申命記6:4の言葉が記されています。「シェマー。イスラエル。(聞きなさい。イスラエル。)主は私たちの神。主はただひとりである。」

律法学者は、我らの神、唯一の神の戒めを守ることこそが、最も大事な戒めであると考えていたと思われます。聖書の戒めを守ることは確かに神に従う者にとって大事なことです。

しかし、イエスは律法学者、パリサイ人が説いていた口伝律法といわれる、モーセの律法を形式的に生活に適応させようとする戒め(時に旧約の戒めと同等の様に語られていた)に関しては、否定的でした。ですから、律法学者、パリサイ人は、イエスは律法を守らない者としてイエスを非難していました。特に安息日規定に関して、イエスの教えと行動は、彼らにとっては律法を守らない人のものでした。

イエスがここで語られるお答えは、彼らが常に携帯し、大事にしていた「シェマー」です。そしてこれと対になるもの(二つ一組)として、レビ記19:18の言葉を示されます。

イエスの教えは、「大事な戒めの文字を守れ」というより、「愛せよ」に重きが置かれています。

申命記6:4、5 全身全霊を尽くして、イスラエルの神、唯一の「あなたの神、主を愛せよ」

レビ19:18  自分を愛するように「隣人を愛せよ」

律法学者はイエスが何と答えると想像していたのでしょうか。多くの戒めから、一つを選ぶことは難題だと思っていたのでしょうか。マタイとルカによる福音書では「イエスをためそうとして」質問したとあります。どのような回答をイエスがしても、あなたは律法を守っていない、と言いがかりをつけようとしていたのかも知れません。

「〇〇してはならない、〇〇せよ」という多くの律法を完全に守ることの出来ないのが私たちです。

しかし、神の戒めを自らの意思をもって破ることが罪であるとするならば、罪ある人とは、神を愛せない、愛さない、隣人を愛せない、自分を愛せない人の姿であると言えます。

「愛せない」ことや、「愛する」ことに人は悩み、心を痛めます。なぜならば、私たちは罪深い者だからです。

聖書を通して知る、「愛せよ」という戒め・命令は、神に対して、自分に対して、隣人に対して、この世界の命あるもの全てに対して、私たちの人生の最重要課題であります。

なぜなら、神は愛だからです。

さて、質問した律法学者は、その答えを聞いてどう思ったか、といいますと、「そのとおりです。まさにそのとおりです」と彼は感心して心から同意しています。「主は唯一であって、他に神はいない」、「心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして、主を愛する」「また隣人をあなた自身のように愛する」ことに。加えて彼はイエスの言われた「愛する」戒めは、「どんな全焼のいけにえや供え物よりも、ずっとすぐれています」と賛同しています。(全焼のいけにえや供え物は、サドカイ人、祭司たちの管轄でした)。

なぜ神に捧げものをするのか、どうして戒めを守るのか。それは「神を愛する」「隣人を愛する」ことがその動機であることを、この問答でイエスは明らかにしておられます。「愛」が無くて、捧げものをすること、戒めを守ることは、中身のない“もみがら”の様なものです。「愛がなければ一切は無益です」(第一コリント13章)。

イエスは律法学者のその賢い返事(「愛することは、いけにえにまさる」)に、「あなたは神の国から遠くない」と言われました。律法学者はイエスの反対者でしたが、サドカイ人よりは神の国に遠くない人たちであったかも知れません。イエスはその生涯の中で、サドカイ人に対してよりも、パリサイ人、律法学者を厳しく叱責しておられます。サドカイ派がパリサイ派に優っていたからではなく、まだパリサイ人達には悔い改める余地が残っていたのかも知れません。聞く耳を持たな者たちには叱責の意味がありません。

イエスはここで、神を愛することと隣人を愛することを一つとして語っておられます。神を愛する者は隣人(ヨハネの手紙では、「兄弟」とあります)を愛します。神を愛すると言って隣人を愛さない者は、神を愛していません。なぜならば、神は愛だからです。

イエスの律法、教え、行動は、「神の愛そのもの」でした。当時の宗教的指導者に最大に欠けていたものです。私たちの日々の歩み、キリスト者の生涯は、「神の愛そのもの」の歩みでありたいと願います。

律法学者・パリサイ人は、神の戒めに対しては熱心であり、それが神を愛することだと考えていましたが、神の戒めを守らない者や神の戒めの中にない異邦人に対しては、彼らを教え導くというより、むしろ断罪していました。私たちキリスト者も心に留めておかなければならないイエスの教えです。

ルカによる福音書では、質問の内容も、二つの戒めを答えた人物も、この問答がなされたイエスの生涯の時期も異なってはいますが、彼は加えて「隣人を愛せよ」の隣人とは誰の事ですかと尋ねています。

イエスは彼の問いに対して、「良きサマリヤ人」という譬えを話されます。

ルカ10:30~35。

ある人が山道で強盗に襲われ、身ぐるみ剥がされ、半殺しにされて倒れていた。祭司が通りかかるが、避けるように通り過ぎて行った。次にレビ人が通りかかったが、彼も同様に見て避けて通り過ぎて行った。

そこに、サマリヤ人が通りかかり、彼を見て、かわいそうに思い、治療をしてやり、宿屋まで運び、宿屋の主人に怪我人の宿泊代と治療代を渡し、さらに費用がかかったら、私が払うと約束しました。

ユダヤ人とサマリヤ人の関係は、両民族間に憎しみがあります。

たとい罪深い相手であっても、敵対する者であっても、憎しみ合っている関係であったとしても、その者が困っているなら、傷ついているなら、憐れに思って(神の愛を動機として)、全力で助けてあげる。そして、最後の最後まで、面倒を看る「良きサマリヤ人」。そんなたとえ話が語られます。

イエスは言われます。「三人の中で、誰が強盗に襲われた人の隣人になりましたか」。律法学者は「その人にあわれみをかけてやった人です」と答えます。

イエスは「あなたも行って同じようにしなさい」と言われます。

私が中学生の時、教会学校の教師だった真鍋先生が、「あなたにとっての隣人とは誰ですか。地球を一周まわって隣の人です」と言われたことが心に残っています。助けを必要とする全ての人、世界中の人であることがわかります。罪人も、遊女も、収税人も、そして異邦人も、隣人なのです。イエスは「良きサマリヤ人」であられます。罪人の友となられたお方です。

では、この様な「愛」「神の愛」は私たちに果たしてあるのでしょうか。その愛はまさに、イエスの愛です。イエスの愛は条件付きの、「・・・だから」の愛ではなく、無条件の、「・・・でも」の愛です。

私たちはどうすれば良いのでしょうか。日々イエスを私たちの心の内に、私たちの歩みのうちにお迎えして、イエスの愛をいただくことです。イエスのおこころである御霊をいただき、御霊に満たされる以外に、神の愛に生きることはできません。

「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれています」(ローマ5:5)。

【消息・報告】

〇 新型コロナ感染第三波の急速な感染拡大により、会堂で集まっての礼拝を中止しています。動画、カセット、文書により、自宅礼拝を行って下さい。礼拝再開の時が来ましたら、皆様にお知らせします。感染が収束し、再び会堂に集まって礼拝をささげる事ができるように祈りましょう。医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにもお祈り下さい。 

〇 教会創立五〇周年の記念誌作成に、次年度に向けて取り組みます。皆様から「証詞」を集めます。字数・締め切りを確認の上、教会員全員がお書き下さい。原稿用紙をお配りしますが、可能な方はできるだけ電子メールの添付ファイルで送って下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年一月三一日 第五〇巻 第五号

礼 拝 順 序     

前  奏  一六二 ハレルヤ

招  詞  出エジプト三・五~六

頌  栄  六〇 

賛  美  み腕に抱いて(ワーシップ)

交 読 文 一七 詩篇四六(八四一~八四二頁)

公同祈祷           

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷           

賛  美  一二六 地よ声高く

聖  書  マルコ一二・一八~二七

メッセージ 「生きている者の神」  竹田広志牧師

祈  祷

賛  美  四六六 来たり給う主を

頌  栄  六三

祝  祷           竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 花も  )


【説教全文】

「生きている者の神」マルコ12:18~27

並行箇所:マタイ22:23~33、ルカ20:27~38

聖書協会共同訳見出し 復活についての問答

イエスへの質問「復活について」

先週、パリサイ人とヘロデ党の者たちがイエスを陥れようとして、「カイザルへの税金について」質問しましたが、彼らはイエスの答えに驚嘆し、彼らの画策は失敗し、尻尾を巻いて去りました。

バトンタッチするように次にイエスを陥れようと、計画を練って挑戦したのはサドカイ人たちでした。前回説明したように、サドカイ人は大祭司、祭司長、祭司によって構成される人々で、復活はないと主張していた人たちです。同じ宗教的指導者でも、対するパリサイ人は死後の世界を信じ、復活はあると主張していました。サドカイ人たちがイエスに質問したのは、死後の復活に対して、その矛盾点を示そうとする否定的なものでした。

彼らの質問はこうです。モーセが律法に記した申命記25:5にあるものです。

「兄が死んで妻を後に残し、しかも子がない場合は、その弟がその女を妻にして、兄のための子をもうけなければならない」。これはレビラト婚の習慣と言って、兄の名をその一族に残すために、次の弟が兄の妻をめとり、子をもうけるというものでした。彼らはその律法を取り上げ、このように質問します。「7人の兄弟がいて、長男が妻をめとり、子を残さず死んで、次男がその女を妻にしました。しかし次男も彼女に子を残さず死んで、三男も同様で、このようにして、7人共に子を残さないで死にました。最後に女も死にました。復活の際、彼らがよみがえる時、その女は誰の妻となりますか」という質問です。復活があるなら、モーセのこの律法は、重婚のようなもの、又、レビ記20:21「人がもし、自分の兄弟の妻をめとるなら、それは忌まわしいことだ。彼はその兄弟をはずかしめた」とあります。モーセの律法に矛盾が生じます。モーセの律法は正しい。そのような矛盾はないので、復活自体があるはずはない、と結論付けるものです。

私達はこの質問を聞きますと、何と稚拙な質問だろうかと思います。しかし、彼らは大真面目に質問しています。彼らは、これによって復活を主張する人たちは、モーセの律法に矛盾していると言いたかったのです。

この時代、復活を主張するパリサイ人も、生きている生活の延長線上に復活があると考えていました。地上での生活の血縁関係もそのまま、復活後も継続されると。確かに、天国に行ったならば、アブラハムもモーセもエリヤも、ペテロもその人でしょう。又、自分の妻も、子も、親も、認識することができるでしょう。私たちは死別した近しい者と、やがて天国で再開できるのを楽しみにしています。

ただ、私たちがイエスによって、聖書の教えによって知っていますのは、復活の後の世界は、今の世界とは全く違うものであるということです。

イエスは言われます「そんな思い違いをしているのは(間違った捉え方をしているのは)、聖書も知らない、神の力も知らないからではありませんか」(並行箇所はマタイのみ)。イエスは当然でありますが、死者の復活を教えています。

イエスの復活などはない、と主張するキリスト者、教会もあります。それは理性的であり、知的であり、きちんと学べばわかることだと言います。イエスのことばのそのままを、そう主張する人たちに言いたい「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからではありませんか」。

聖書がイエスはよみがえられたと教えています。神の御力は人の知識に納まることなく、不可能なこと、できないことはひとつもありません。私たちは信じます。イエスは三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の神の右に座したまえり。

私たちの歩みにおいて、聖書のことばを信じる、神の力を知る、とはどんなに恵みであり、力強いものでしょう。

復活後の新しい世界、イエスが用意し、迎えて下さる天国はどのようなものか。イエスのことばからその世界を少し垣間見ることができます。「人が死人の中からよみがえるときには、めとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです」。(並行箇所:マタイ22:30、ルカ20:34~36)

復活の後は、死ぬことはありません(ルカ20:36)。子をもうけないことで絶滅することもありません。((現在の日本の出生率は1.36%です。ひとりの女性が生涯に生む子供の数の平均です。そして、すべての子供が80歳まで生きるとは考えられません。日本の人口数は2008年を境に減少しています。そして、ますます少子高齢化社会へ進んでいます。)

聖書を知りません。イエスは、死人のよみがえり、つまり神にあって死んだ者が今もなお、生きていることを、出エジプト記から説きます。「モーセの書にある柴の箇所で(出エジプト記3章)、神がモーセにどう語られたのか。『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』とあります。」(:26)

この神のモーセへの呼びかけを、イエスは、あなたがたの先祖アブラハムが、イサクが、ヤコブが、過去にかつて生きているときに仕えた神と解釈せず、このお方は、死人の中に朽ち果ててしまった者の神ではなく、生きている者の神である、とイエスは解き明かされたのです。

「神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です(:27)。」《聖書をしっかりと読みなさい。》

群衆はこれを聞いて、イエスの教えに驚いた(マタイ22:33)。ルカでは、「律法学者のうちのある者たちが答えて『先生。りっぱなお答えです』と言った」。パリサイ人・律法学者は、死者の復活を主張していました。この課題はサドカイ人との反目の論争点でしたが、イエスに敵対する彼らが、不本意ながらもイエスに軍配を上げています。

天の御国は、罪もなく、涙も、死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない(黙示録21:4)ところであると知っている私たちには、今回のサドカイ人の質問は、理屈をこねた幼稚なもののように思えますが、この問答の中にもイエスの大切な教えがあります。それは、「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です」ということばです。

天の御国を、復活の命を、イエスを信じ従ってきた者が報酬として受ける。死んで後に受ける。これは間違ってはいません。神は地上の生活で何を受けなかったとしても、イエスを信じる者に豊かに与えて下さいます。

しかし、今日聴くイエスのことばは、「生きている者の神」です。罪が赦されて、永遠の命であられるイエスをいただいて、神と共に、今生きる。それは天国です。死んでから供養をしてもらうのではありません。死んでから成仏を祈るのでもありません。生きているうちに、救われ、神の支配に入るのです。神は死んだ者の神ではなく、生きた者の神です。

私の親戚に創価学会に所属する者がいて、彼は青年団でいろいろと活動をしていました。私がキリスト教の牧師になったのを知って、彼は私に、日本の仏教がキリスト教に見習わなければならないことがあると言いました。仏教は人が死んでから、一生懸命、供養し、法要(追善供養)を行う。死んだ人には手厚いが、生きている人にはあまり熱心でない。キリスト教は一生懸命、生きている人に伝道する。病院に僧侶が来ると喜ばれないが、牧師が来ると喜ばれるのが良くわかる、と酒を飲みながら言っていました。

私たちの神は、死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。

死んでからお会いするのではありません。今、生活の中で、私の日々の中でお会いする神です。


【消息・報告】

〇 新型コロナ感染第三波の急速な感染拡大により、会堂で集まっての礼拝を中止しています。動画、カセット、文書により、自宅礼拝を行って下さい。礼拝再開の時が来ましたら、皆様にお知らせします。感染が収束し、再び会堂に集まって礼拝をささげる事ができるように祈りましょう。医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにもお祈り下さい。 

〇 教会創立五〇周年の記念誌作成に、次年度に向けて取り組みます。皆様から「証詞」を集めます。字数・締め切りを確認の上、教会員全員がお書き下さい。原稿用紙をお配りしますが、可能な方はできるだけ電子メールの添付ファイルで送って下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

み腕に抱いて 作詞作曲 中山有太

いま主よ わたしの心に触れて 

あなたのみ腕に 抱いてください ×2

すべてのつかれた人よ、おもに悩み負う人よ

イエスのまえに出て行こう、すべてをいま手ばなそう

いま主よ わたしの心に触れて 

あなたのみ腕に 抱いてください

あなたの愛に飛び込みます

かならず受け止めてくれるから

あなたの腕に飛び込みます

かならず受け止めてくれるから ×2

いま主よ わたしの心に触れて 

あなたのみ腕に 抱いてください

二〇二一年一月二四日 第五〇巻 第四号

礼 拝 順 序     

前  奏  

招  詞  ローマ一四・七~八

頌  栄  六〇 

賛  美  み腕に抱いて(ワーシップ)

交 読 文 一六 詩篇四二(八四〇~八四一頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷          

賛  美  三〇二 恵みある主

聖  書  マルコ一二・一三~一七

メッセージ 「神のものは神に」  竹田広志牧師

祈  祷

賛  美  三九一 皆献げまつり

頌  栄  六三

祝  祷           竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時  )


【説教全文】

「神のものは神に」 マルコ12:13~17

並行箇所:マタイ22:15~22、ルカ20:20~26

聖書協会共同訳見出し 皇帝への税金

「さて、彼らは」とは、祭司長、律法学者、長老たちであり、先の一件(宮きよめ11:15~18)で、イエスを捕らえようとしていた人たちです。「何の権威によってこれらのことをするのか」というイエスへの質問から始まり、イエスの言葉尻を捉えて訴え、陥れようとします。マルコ12章では、そのようなイエスへの質問がまとめられています。

12:13~17 カイザルに税金を納めることについての質問

12:18~27 復活についての質問

12:28~34 最も大事な戒めは何ですかという質問

それから後は、誰もイエスにあえて質問する者がなかった(:34)、という流れになります。

(他にもイエスの言葉尻を捉えて、イエスを陥れようとした問答はあります)

今日は、「ローマの皇帝カイザルへの税金について」イエスに投げかけられた質問です。

彼らは、刺客を送ります。パリサイ人とヘロデ党の者数人をイエスのところに送ります。

パリサイ人(派)とは、律法(の形式)を重んじ、神の民は異邦人と交わらず、迎合せず、聖別された道を歩む、ある意味では堅物、律法主義者と言われる人々です。律法を守らない者、罪人を容赦しません。

ヘロデ党とは、聖書の中ではそれほど多く出てきませんが、ローマの政策の中で、自らの権力を固執する者達の集団。ヘロデ王をはじめとして、手段を選ばず自らの権力の安泰だけを図る集団です。

ある意味では、彼らは両極端な人たちです。

もともと律法学者と祭司も、パリサイ派とサドカイ派と言われて、互いに相容れない人達でありましたが(日本で言えば与党と野党のようなもの)、「イエスを無きものにしよう」という思いでは一致していました。

計らずも、共通の敵を見つけることによって一致するユダヤの指導者たち、という構図があります。

彼らはイエスのところに来て、まず、イエスよ、あなたは次のようなお方です、と言っています。これは実にイエスがどのようなお方であるか、見事に言い当てた言葉ではあります。

「先生、私たちは、①あなたは真実な方で、②だれをもはばからない(ためらう、遠慮する、気兼ねすることがない)方です。③人の顔色を見ず、④真理に基づいて神の道を教えておられます」。

これはへりくだった、教えを乞おうとしている、彼らの心からの言葉だったのでしょうか。いいえ、これは

皮肉であり、これから質問する難問に対しての伏線に過ぎません。彼らは決してイエスをそのように見ていなかったでしょう。そのような見方は、何も知らない、イエスに騙されている愚かな民衆が言っている「戯け言」に過ぎないというものだったと思います。

しかし、この彼らの否定的で毒の入った言葉さえも、実はイエスというお方を見事に表現しています。サタンでさえも、イエスをよく知っており、恐れおののいているとあります。しかし、その言葉は正しい評価であったとしても、信仰心も、謙虚さも一切ありません。

前回同様、イエスと宗教的指導者たちの対比があります。

祭司長、律法学者、長老たちは 群衆を恐れました(11:18 11:32 12:12)。

しかし、イエスは誰をも、何をも恐れません。人の顔色を見て調子を合わせることをせず、まっすぐに神の道を教えるお方です。

ここからが本題です。

「カイザルに税金を納める事は律法にかなっていますか。税金を納めるべきか、納めるべきでないか、どちらでしょうか」。もし、税金を納めないという回答であれば、ローマに対する反逆罪となり、納めない人をヘロデ党の者達が捕えて、ローマに引き渡します。税金を納めるという回答であれば、(民衆はローマからの解放を願っていたので)、民衆の期待を裏切ることになり、イエスはローマ人に従属して律法に従わない者、ユダヤの民衆の味方ではないという烙印を押そうとしていました。

白か黒か。あれかこれか。対立をもって争うのは、悪魔の罠の常套手段です。これに賛成か、反対か。ここに人の争いがあります。思想、宗教、政治、考え方、ものの見方の違いで人は争います。

教会の礼拝で、ピアノで奏楽するのは良か、否か。参加するのかしないのか。牧師に従うのか否か。

(戦前の日本ホーリネス教会の分裂 教会形成と伝道中心か、再臨運動とユダヤ民族回復の祈りかの選択)そこには、分裂・分派があります。

聖書のことばは無誤か無謬(むびゅう)か。安息日は土曜か、日曜か。キリストは神か、人か。

現在に異言は必要か否か。教会に残るか、出るか。

教会も分裂を繰り返してきました。どちらか・二者択一という場合、それは悪魔の常套手段です。

しかし、第三の道がそこにあります。

イエスは彼らの偽装・罠を見抜いて言われます「なぜ、わたしをためそうとするのか。デナリ銀貨を持って来て見せなさい」。

デナリ銀貨、それは、当時の通商に使われていた貨幣(日本の1万円札、5千円札、千円札。福沢諭吉、樋口一葉 野口英雄の肖像。)貨幣・紙幣は、生活のシンボル、必需品です。おそらく、彼らもその貨幣を使っていたのでしょう。

そこで主が「これは誰の肖像ですか。誰の銘ですか」と質問され、彼らは「カイザルのです」と答えました。

ティベリウス・カイザルは、聖なるアウグストの息子、大祭司。「神であり、主(キュリオス)である」、と称えられていました。

すると主は言われます。「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい」

彼らはイエスに驚嘆しました。こんな返答が返って来るとは誰も思っていませんでした。そしてこの回答を非難する言葉を彼らは持ち合わせていなかったからです。この質問は彼らが練りに練って、イエスを試すために作ったしたたかな質問だったのでしょう。

ここに大事なメッセージがあります。

「カイザルのものはカイザルに返しなさい」。キリスト者は、その国にあって与えられている義務を全うします。日本においては国民の三大義務というものがあります。「教育の義務」「勤労の義務」「納税の義務」です。私たちは(偶像礼拝に関しては別として)、その国で定められた義務を果たします。

もうひとつのメッセージは、更に大事なものです。「神のものは神に返しなさい」というものです。

さて、何をお返しするべきなのでしょうか。人の一生とは、神から受けて、神にお返しするものです。

神のものとは何でしょうか。宇宙・太陽・地球は誰のものでしょうか。空気や水は誰のものでしょうか。世界中に豊かな実りを与えるのは誰でしょうか。生命は、世界は誰のものでしょうか。

私の時間、私の生涯は誰のものでしょうか。私の人生は私のものでしょうか。いいえ、人は神の憐みなしには生きていけないものです。

イエスに命を受けた人に問います。命は誰のものですか。「神のものは神に返しなさい。」このみことばに真摯に応えましょう。「皆献げまつり、我がものはなし」と告白し、告白にふさわしい日々を過ごしましょう。

「神に献げよ」  内村鑑三

あなたの財産を神にささげよ。

そうすれば、神はご自分のものとしてこれを守り、いかに乱れていようとよく整理し、再びこれをあなたにゆだねて、ご自分のものとして用いてくださる。

 あなたの体を神にささげよ。

神は、ご自分のものとしてこれを養い、病の重きによらずこれを癒し、再びあなたに与えてご自分のものとして用いて下さる。

 あなたの霊魂を神にささげよ。

神は、ご自分のものとしてこれを聖め、あなたの罪がたとえ緋のようであっても雪のように白くし、再びこれをあなたに返して、ご自分のものとして用いてくださる。

 神にささげよ。神のものとせよ。神ご自身に自由に力を施してもらいなさい。

そうすれば、乗り越えられない困難はなく、癒されない病はなく、きよめられない罪はない。

乱れたまま、病んだまま、汚れたままで、いま神にささげよ。神の大能をもって、あなたに代わって整理、治癒、救済をしていただきなさい。


【消息・報告】

〇 新型コロナ感染第三波の急速な感染拡大により、会堂で集まっての礼拝を中止しています。動画、カセット、文書により、自宅礼拝を行って下さい。礼拝再開の時が来ましたら、皆様にお知らせします。感染が収束し、再び会堂に集まって礼拝をささげる事ができるように祈りましょう。医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにもお祈り下さい。 

〇 教会創立五〇周年の記念誌作成に、次年度に向けて取り組みます。皆様から「証詞」を集めます。字数・締め切りを確認の上、教会員全員がお書き下さい。原稿用紙をお配りしますが、可能な方はできるだけ電子メールの添付ファイルで送って下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

み腕に抱いて 作詞作曲 中山有太

いま主よ わたしの心に触れて 

あなたのみ腕に 抱いてください ×2

すべてのつかれた人よ、おもに悩み負う人よ

イエスのまえに出て行こう、すべてをいま手ばなそう

いま主よ わたしの心に触れて 

あなたのみ腕に 抱いてください

あなたの愛に飛び込みます

かならず受け止めてくれるから

あなたの腕に飛び込みます

かならず受け止めてくれるから

いま主よ わたしの心に触れて 

あなたのみ腕に 抱いてください

二〇二一年一月一七日 第五〇巻 第三号

礼 拝 順 序     

前  奏  

招  詞  詩篇一一八・二二~二四

頌  栄  六〇 

賛  美  夜も昼も(ワーシップ)

交 読 文 一五 詩篇四〇(八四〇頁)

公同祈祷           

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷           

賛  美  三〇八 高き岩よ

聖  書  マルコ一二・一~一二

メッセージ 「捨てられた石によって」    竹田広志牧師

祈  祷

賛  美  一四五 栄えに満ちたる

頌  栄  六三

祝  祷           竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時  )


【説教全文】

「捨てられた石によって」 マルコ12:1~12

並行箇所:マタイ21:33~46、ルカ20:9~19

聖書協会共同訳見出し 「ぶどう園と農夫のたとえ」

イエスが宮きよめをされた(神殿にいた両替人や商売人を追い出された)ことを、イエスに向って「何の権威によって、誰の許可を得てこんなことするのか」と詰め寄った祭司長、律法学者、長老たちに対して、イエスはたとえを用いて彼らに話されます。

イエスはこの後、十字架へ向かって行かれます。その前に裁判にかけられますが、ユダヤ人の裁判は、大祭司、又、この祭司長と律法学者、長老たちで構成されていたサンヒドリン70人議会でした。

イエスの話されたたとえ

ぶどう園の主人が、自分の作ったぶどう園を農夫たちに貸して、旅に出ました。

季節になってぶどう園の収穫を受け取りに、主人はしもべを遣わします。

しかし、このしもべを農夫たちは袋叩きにして、何も持たせないで返しました。

二人目も殴って、辱めて、何も持たせないで返しました。

次々にしもべを送りますが、袋叩きにしたり、殺したりしました。

ついにぶどう園の主人は「私の息子なら敬ってくれるだろう」と、愛する息子を遣わします。

ところが農夫たちは、「あれはあと取りだ。あれを殺せば財産はこちらのものだ」と、彼を捕らえて、殺し、ぶどう園の外に投げ捨てました。ひどい話です。

ぶどう園の主人はどうするでしょうか、とイエスは問います。

主人は戻って来て、農夫達を打ち滅ぼし、ぶどう園を他の人たちに与えてしまいます、とイエスは言われます。

祭司長、律法学者、長老たちは、このたとえ話を聞いて、この欲深い、残虐な農夫たちが、自分たちをさして語られていることに気づきます。

たとえには意味があります。このたとえは聞いていた彼らにもわかった様に非常に明解です。

① ぶどう園の主人は、「天地創造の神、イスラエルの神、父なる神」です。

② 農夫たちは、「ユダヤ人(ユダヤ人の指導者)」「神の祝福(ぶどう園)を託されたユダヤ人」です。

本来ユダヤ人は、神のぶどう園を託された特権に与かった人々です。

農園の収穫は、神の恵みに対する感謝、賛美、礼拝です。神にお返しするものです。

しかし、彼らは託されたものに対して何一つ返さなかった。 

神に何も返さない農夫達(宮を商売の道具とし、私腹を肥やすこと、自分たちのことしか興味がない彼らの醜い姿があります。)

神の恵みに対して、何も返さない者は、まさにこの農夫たちと同じです。

③ 主人から遣わされたしもべたちは、「バプテスマのヨハネを含む旧約の預言者たち」です。

神は神の民イスラエルが、悔い改めて、神に立ち返るように、何度も何度も預言者(旧約聖書に記されている多くの預言者たち)を遣わされます。しかし、彼らは聞き入れません。袋叩きにしたり、殺したり、預言者に対して迫害を加えます。

バプテスマのヨハネの例と同様に預言者たちのことばに耳を傾けて悔い改めることのなかったイスラエルの歴史があります。

④ そして最後に主人から遣わされた主人の愛する息子とは、誰が読んでも明らかです。このたとえ話をしておられる、そう、イエスそのお方、神の愛するひとり子を示しています。

この先は、十字架の予告となりますが、神から遣わされて来られた、神のたったひとりの御子を殺し(十字架上で)、ぶどう園の外に投げ捨てます(エルサレムの都の外ではりつけにしました)。

イエスの話された内容は、祭司長、律法学者、長老たちに向けて語られたたとえであり、又、この後間もなく主イエスの身に起こる事の預言であることがわかります。

しかし、大事なのは、この悲劇で終わることなく

最後に語られた、「農夫たちは打ち滅ぼされ(退けられ)、他の人たちにぶどう園を与えた」(:9)という言葉です。

⑤ 他の人たちとは、「異邦人」であり、それは「私たち」です。

最初は誰か他のひとのことなのかな、当時のイエスに敵対していた他の人たちに対してなのかな、と油断して、たとえに耳を傾けていた私たちは、このたとえの最後を聞いて、その方向は今これを読む私に向けられていることを、このようにして私は神の恵み、救い、ぶどう園に、神の国に入れられたのだと知るのです。

イエスはこのたとえの総括として、詩編118:22、23を引用されます。

「家を建てる者の捨てた石」(詩編118:22)  = 捨てられた主イエス・キリスト

本来、家を建てる者が使うべき石、それを彼ら(ユダヤ人)は捨てた。

「それが、礎の石となった」(詩編118:22)  = 異邦人(全世界)の祝福の礎となっていった

「これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことである」(詩編118:23)

ユダヤ人の捨てた主イエス・キリストが、全世界の人々への祝福の礎となります。

ぶどう園(神の祝福)は、ユダヤ人から取り去られ、私達に託されることとなりました。

主のなされた不思議であります。

祭司長、律法学者、長老たちが、このたとえが自分たちを指して語られたことに気づいた…とありますが、私たちも気づかなければなりません。

彼らは、怒り心頭だったでしょう。しかし、前回の宮きよめと同じく、群衆を恐れてイエスを捕えることができませんでした。

主イエスが十字架で苦しみを受け、死なれたのは、捨てられて、「捨てられた石」となってくださったのは、このぶどう園の神の祝福を、ここにいる私達が受け取るためであります。

これは、主のなされた不思議です。全く、神の約束(契約)と何の関わりのない私達が、主イエスの死、主イエスの命の代償によって、この祝福を受け取ることになったのです。

教会の礎、又、私達キリスト者の人生・生活の礎は、捨てられた石、十字架で捨てられた主イエスです。

ご自身の民であるユダヤ人から捨てられ、そして、私達の罪のために身代わりとなられて、神からも捨てられて下さった石。愛と祝福の礎。尊い、かけがえのない石。それが、私達の救い主イエス・キリストです。


【消息・報告】

〇 新型コロナ感染第三波の急速な感染拡大により、会堂で集まっての礼拝を中止しています。動画、カセット、文書により、自宅礼拝を行って下さい。礼拝再開の時が来ましたら、皆様にお知らせします。感染が収束し、再び会堂に集まって礼拝をささげる事ができるように祈りましょう。医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにもお祈り下さい。 

〇 会堂等の掃除、植物の水やりをコロナで集会が中止中も有志の方々が、毎週奉仕して下さっています。ご安心ください。会堂での礼拝が再開しましたら、通常の奉仕分担に従って清掃を行いたいと思います。

〇 教会創立五〇周年の記念誌作成に、次年度に向けて取り組みます。皆様から「証詞」を集めます。字数・締め切りを確認の上、教会員全員がお書き下さい。原稿用紙をお配りしますが、可能な方はできるだけ電子メールの添付ファイルで送って下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

夜も昼も  作詞作曲 Rebecca Hwang

我が希望の主 主を見上げます

また来る我が王イエス 主を待ち望む

夜も昼も昨日も今日も とわに主をたたえ

つらい時も倒れる時でも いつも主をほめ歌う

二〇二一年一月一〇日 第五〇巻 第二号

礼 拝 順 序     

前  奏  

招  詞  ヨシュア一・九

頌  栄  六〇 

賛  美  一七〇 マジェスティ

交 読 文 一四 詩篇三七(八三九頁)

公同祈祷           

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷           

賛  美  三〇三 安かれ わが心よ

聖  書  マルコ一一・二七~三三

メッセージ 「天からのものか、人からのものか」  竹田広志牧師

祈  祷

賛  美  三六一 栄えの王にます主の

頌  栄  六三

祝  祷           竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時  )


【説教全文】

「天からのものか、人からのものか」 マルコ11:27~31 マタイ28:18

並行箇所:マタイ21:23~27、ルカ20:1~8 

聖書協会共同訳見出し 権威についての問答

人は一見、強く賢い者のようですが、大きな試練や、思わぬ出来事に会いますと、その真相は脆く、弱く、愚かな者です。人は自分ではどうにもできないことがあると権威ある者に聞き、従います。そして、教えてくれる相手を「先生」「師」と呼びます。私たちは全ての権威ある者に学びます。自分が本当に困った時、助けが必要な時は、力ある者を頼ります。人はひとりでは生きられません。私たちは誰に聞き、学び、従い、誰に助けを求めたら良いのでしょうか。まことの権威ある者こそ、私たちの助け、力です。

     

イエスの生涯の最後の一週間

ベタニヤとエルサレムを行き来するイエスと弟子たちは、今、またエルサレムに来て、イエスは再び宮の中を歩いておられました。異邦人の庭は、イエスが宮きよめをされた後、以前の喧騒にあふれた場所ではなく、静かに祈りをささげる所になっていました。

両替人や鳩を売る者たち、器具を運ぶ者たちも、宮で商売をすることは許可されていましたが、それをやめていたのは、イエスを恐れたのだと思います。本来の過ぎ越しの祭りを行う「祈りの家」としての宮の様子になっていました。

神殿の管理者である祭司長、そして律法学者、長老たちがやって来て、イエスに言います。

「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。だれが、あなたにこれらのことをする権威を授けたのですか」。神殿の管理者としては当然の言い分です。とても丁寧な言い方で書かれていますが、そんな謙った穏やかなものではなかったと想像します。ガリラヤ出身の大工の息子、30代の青年イエスよりも彼らの方が、年齢においても、世においても権威を持っていたからです。

「誰の許可を得て、どんな権威でこんな身勝手なことをするのか」と憤慨して、神殿の管理者である彼らの立場をもってイエスに詰め寄った言葉だと思います。イエスを捕らえて獄に入れるのは当然だ、神殿と祭りの治安を乱したのだから、と。

このような人々にアウェー(敵地)で囲まれて、堂々としていられるでしょうか。

イエスは質問にはお答えにならず、逆に「わたしの質問に答えるなら、何の権威によってこれらのことをしたかを話しましょう」と言われます。その質問とは、バプテスマのヨハネについての質問です。「ヨハネは何の権威によってバプテスマ(洗礼)を授けていたと思いますか。天から授けられたものですか、それとも誰か人から授かったものですか」。

イエスに問われた彼らは、論じ合います。「その権威が天からのものだと答えるなら、『なぜ、あなたがたはヨハネを信じなかったのか』とイエスは言うだろう。人からのものだと言えば、群衆が自分たちを赦さないかも知れない。暴動が起きるも知れない」。バプテスマのヨハネは、生前悔い改めの洗礼を多くの人々に授けていました。群衆の中にもヨハネから洗礼を受けた人がいたかも知れません。ヨハネはヘロデ王に対して、人が言えない正しい事をはっきりと言い、そのために殉教した真の預言者である、と群衆は信じていました。

彼らは返答に困って「わからない」とイエスに答えます。

彼らの返答に対してイエスは、「わたしが何の権威によって、このようなこと(宮きよめ)をするのか、わたしも言わない」と答えられます。

彼らの中の誰も、自分たちの管理する神殿の中にあっても、イエスに手を出せる者はいませんでした。

人を恐れず、動揺せず(私たちならビビってしまいますが)神のおこころを行うイエスの姿を心に留めましょう。イエスはそのようなお方であり、そのようなお方が私たちと共にいて下さいます。恐れることはない。雄々しくありなさい。勇気を出しなさい。

* 「たといそうでなくても」安利淑の自伝

「何の権威によってですか」がこの個所のテーマです。イエスの権威は誰が与え、どのようなものなのか。

これまでの礼拝で、イエスの「権威ある教え」と「力あるわざ」という視点で、イエスのことばと行動を読んできました。イエスの権威とは何か。

権威(authority)という言葉の意味(辞書)

① 他の者を服従させる威力

② ある分野において優れたものであるとして信頼されていること。その分野で、知識や技術が抜きんでていて優れていると一般に認められていること。また、その人。

イエスと祭司長たちとの問答の中の、「権威は天からのものか、人からのものか」についてであります。興味深い内容です。私たちは人からの権威を知っています。社会的な権威も、政治的な権威も、専門的な権威もあります。人は自分で意識することなく、時には意識して権威あるものに従います。祭司長、律法学者、長老は、当時の宗教的指導者であり、権威者でした。まして、神殿は祭司長のテリトリー(勢力下のもの)です。しかし知ってください。人からの権威以上のものがあります。それが天からのものです。聖書は「鼻から息をするもの(の権威・力)に頼るな、それを恐れるな」と言います。

* 聖書は人の権威が悪いと言っているわけではありません。人の権威については、パウロは、ローマ13:1~7、テトス3:1で「上に立つ権威に従うべきです」と勧めています。基本的なキリスト者の立場は、その国の法を守り、国のため、人のために良い行いを続けていくことです。

イエスの権威とは何でしょう。

イエスはご自身の権威について「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています」と宣言されています(マタイ28:18)。天においても、地においてもいっさいの権威です。イエスの権威の及ばない領域はありません。

イエスの権威は天からのものです。

罪を赦し、永遠の命を与える権威です。

悪霊を追い出し、病を癒す権威です。

新しい言葉(神の愛とその偉大さ)を語り、世の力に打ち勝つ権威です。

(マルコ16:15~18)

これが天からの権威によるイエスの福音です。

イエスに従う者は、イエスのわざを行います。

キリストの使節・アンバサダーとして、「イエスの名によって」、このイエスの権威を、天からのものを、私たちの周りに、世界に表していきましょう。


【消息・報告】

〇 本日一一時半より、役員会をZOOMで行います。

〇 新型コロナ感染第三波の急速な感染拡大により、会堂で集まっての礼拝を中止しています。動画、カセット、文書により、自宅礼拝を行って下さい。礼拝再開の時が来ましたら、皆様にお知らせ致します。感染が収束し、再び会堂に集まって礼拝をささげることができるように祈りましょう。コロナ感染の収束のため、又、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにもお祈り下さい。 

〇 教会創立五〇周年の記念誌作成に、次年度に向けて取り組みます。皆様から「証詞」を集めます。字数・締め切りを確認の上、教会員全員がお書き下さい。原稿用紙をお配りしますが、可能な方はできるだけ電子メールの添付ファイルで送って下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年一月三日 第五〇巻 第一号

礼 拝 順 序     

前  奏  

招  詞  エレミヤ二九・一一~一二

頌  栄  六〇 

賛  美  一九八 God bless you

交 読 文 一三 詩篇三四(八三八~八三九頁)

公同祈祷           

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷           

賛  美  三九八 新しき地に

聖  書  マルコ一一・一九~二五

メッセージ 「信じて祈り続けなさい」   竹田広志牧師

祈  祷

賛  美  一九六 祈れ物事

頌  栄  六三

祝  祷           竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時  )


【説教全文】

「信じて祈り続けなさい」   マルコ11:20~25

並行箇所:マタイ21:20~22 

聖書協会共同訳見出し 枯れたいちじくの木の教訓

本日の聖書箇所は、私達の「信仰」「祈り」に関して、即ち、あなたの信仰はどういうものか、あなたの祈りはどうなっているか、というイエス様からのチャレンジのことばです。

1.信仰について 2.祈りについて 3.神を信じる者について考えてみましょう。

1.信仰について

「山に向って・・・・と言って、言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります」(:23)

信仰によって山が動くという内容は、マタイ17:20では、「からし種ほどの信仰があれば山も動く」とあり、第一コリント13:2には、「山を移すほどの信仰をもっていても」という表現もあります。「山」は実際の目に見える山ですが、自分の前に立ちはだかる大きな壁、課題、困難、そのような部類のあらゆる山をも示していると思います。

いちじくの木が枯れました(:20~21)

前回マルコ11:12~14から、いちじくの実りの時期ではなかったが、主の必要に応えられなかったこの木の記事を読みました。(これとは対照的に、その前日、主がエルサレムに入城(入場)される時、ろばの子が主の必要に応えて主をお乗せしたことを学びました。)その後、このいちじくの木はイエスが言われたとおりに(のろわれたかのように)根まで枯れてしまいました。

「自分の言ったとおりになると信じるなら、そのようになる」(:23)

このことが起きた上で、イエスは弟子たちに「自分の言ったとおりになると信じるなら、そのようになる」と言われます。

イエスが言われたことはそのとおりになります。それはイエスのことばだからです。神が言われたことはそのとおりになります。それは神のことばだからです(創世記)。聖書のことばは、約束も、預言も全て必ず実現します。

「まことにあなたがたに告げます」。これはイエスが大事なことを話される前に使われることばです。

「この山に向かって『動いて、この海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります」。

イエスは、神は、そのように約束しておられます。しかし、私たちはどうでしょうか。信じて祈れば、信じて宣言すれば、そのとおりになるだろうかと疑い、また、弟子たちも、本当にそんなことがあるだろうかと疑ったかも知れません。

疑いは、私たちの信仰を阻む最もやっかいな雲です。心の中で疑わず、神の全能を疑わず、一心に神に求めることが大切です。時に人の知識や経験が神のわざを疑います。年を重ねれば重ねるほどそうなるかも知れません。非常識だ、あり得ない、無知だと。そもそも人の学問とは、疑うところから始まるのかも知れません。「自分の悟りに頼るな。自分を知恵ある者と思うな」(箴言3:5、7)と聖書は語ります。子供の信仰は信じて疑うことがありません。大人は信仰に大切なもの失い、子供に見習わなければなりません。

「神を信じなさい」(:22)

「神を信じなさい」とイエスは言われます。この短い言葉が私達の人生にとってどんなに深く、力強く、大事なものでしょうか。全能の神、何でもおできになるお方を信じなさい。言われたことばどおりに成就される神を信じなさい。無から有を呼び起こすことのできる神を信じなさい。あなたを愛し、救って下さる神を信じ、呼び求めなさい。

* 言った通りになるという経験 非常に恐れ多いこと 神を畏れる経験 「信仰」

井土ヶ谷教会での中高生会の証詞 南つくば教会でのイースターエッグハンティングでの証詞

2. 祈りについて

「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい」(:24)

さらに、イエスはどのように信じて祈るかを教えられます。「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば(すでに受けたと信じるなら)そのとおりになります」

「すでに受けたと」 信仰による先取り(先取り信仰)です。まだ起こっていない出来事を、受けていないものを、既に受けたと信じるのです。そのように祈っていますか。それが信じて祈るということです。

「祈りの力」という題名の映画があります。原題は「WAR LOOM」、「戦いの部屋」という意味です。時に祈りは戦いです。神との組み討ちです。膝と膝を合わせて、神からの祝福、確信をいただきます。

* 学院教会の真島きょうこ姉妹の癒しの証詞

* ユースジャムでの200万円の交通費支援金の話し合いの証詞

「また、立って祈っている時・・・」(会堂や、人の前で代表して祈る時)(:25)

さらに、イエスはどのようにして祈るかを教えられます。「誰かに対して恨みごとがあるなら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」

教会に行って祈りをささげる前にすべきこと、それは、「我らに罪を犯す者を 我らがゆるすごとく 我らの罪をも許したまえ」の主の祈りにあるように、赦せないと思う人を赦すことです。

隣人を、兄弟を、人を憎んだままで、赦さないままで、そのままで神の前に立たないように、とイエスは言われます。

とりなしの祈りをする前に、隣人と和解してから祈りに臨むことは、神の前に立って祈る私たちにとって大変大きな恵みです。神の前に立って祈ることは、常に私たちの内側が探られ、私たちは自分にできないことを、願わない事さえも実行させていただけます。私の内にいますキリストが、それをして下さいます。

3.神を信じる者について

私たちは山を動かすことも、罪を赦すこともできません。

天地を動かすことのできるお方は、主のみです。罪を赦すことのできるお方は、主のみです。〈私たち〉の信仰や祈りではありません。〈神〉が成されます。

これは、私達の祈りを神は何でも叶えて下さるというメッセージというよりもむしろ、〈信仰によって〉、イエスの働き、神の働きを成す者としてくださる、イエスのわざを行う者とされることを意味しています。

神の働きは信仰によってしか成すことはできません。

私たちは、必ずなしてくださると神を信じて、イエスを信じて、疑わず、祈るのみです。そこに主が、全能の御手を動かしてくださいます

「神が共におられるのでなければ、このようなしるしを誰も行うことはできません」。イエスに対してニコデモが言った言葉です(ヨハネ3:2)。イエスの弟子はイエスのわざを行います。そして世の人がそれを知ります。

ところで、私たちが祈りの最後に宣言するアーメンとは何でしょうか。

ハイデルベルク信仰問答集には次のように説明されています。

問129:「アーメン」という言葉は、何を意味していますか。

答:「アーメン」とは、それ(その祈り)が真実であり、確実である、ということです。なぜなら、これらのこと(主の祈りの内容)を神に願い求めていると、わたしが心の中で感じているよりもはるかに確実に、わたしの祈りはこの方に聞かれているからです。


【消息・報告】

〇 二〇二一年、明けましておめでとうございます。今年も私たちの望み「主イエス」を見上げ、「キリストの使節(アンバサダー)」として、とりなしの祈りの手を上げ続けましょう。

〇 新型コロナ感染第三波の急速な感染拡大により、会堂で集まっての礼拝を中止しています。動画、カセット、文書により、自宅礼拝を行って下さい。礼拝再開の時が来ましたら、皆様にお知らせします。感染が収束し、再び会堂に集まって礼拝をささげる事ができるように祈りましょう。コロナ感染の収束の為、又、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにもお祈り下さい。 

〇 教会創立五〇周年の記念誌作成に、次年度に向けて取り組みます。皆様から「証詞」を集めます。字数・締め切りを確認の上、教会員全員がお書き下さい。原稿用紙をお配りしますが、可能な方はできるだけ電子メールの添付ファイルで送って下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二一年一月一日 第五〇巻 第〇号

元 旦 礼 拝

礼 拝 順 序     

前  奏  二〇二 一度死にし我をも

招  詞  ヤコブ五・一三~一八

頌  栄  六〇 

賛  美  一九八 God bless you

交 読 文 二二 詩篇六五(八四五~八四六頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷          

賛  美  一 いざ皆きたりて

聖  書  第二サムエル二四・二五

メッセージ 「主の心を動かす祈り」

竹田広志牧師

祈  祷

賛  美  一九五 イエスの許に

頌  栄  六三

祝  祷           竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 一九一 慕いまつる主なるイエスよ )


【説教全文】

「主の心を動かす祈り」

第二サムエル記 24:25

「こうしてダビデは、そこに主のために祭壇を築き、     祭壇を築き

全焼のいけにえと 和解のいけにえとをささげた。     いけにえをささげ

主が、この国の祈りに心を動かされたので、          祈りは聞かれ

神罰はイスラエルに及ばないようになった」(新改訳)     疫病はやんだ

「ダビデはそこに主のための祭壇を築き、

焼け尽くすいけにえと 会食のいけにえを献げた。

主はこの国のために祈りに応えられ、

イスラエルを襲った疫病はやんだ」 (聖書協会共同訳)

「ダビデはその所で主に祭壇を築き、

燔祭と酬恩祭をささげた。

そこで主はその地のために祈りを聞かれたので、

災いがイスラエルに下ることはとどまった」(口語訳)

2020年は日本を含め、世界中が拡大した新型コロナ感染(疫病)との戦いの年でした。どこで決着がつくのかは定かではありませんが(収束か、ワクチンか、特効薬か)、2021年もこの戦いは続きます。

そのような中にあって、私たちキリスト者(アンバサダー:神の大使)が何を成すべきなのかを知る上で、この第二サムエル記24章は大きな指針を与えます。

イスラエルに疫病が起こり、7万人が死にます。

これは、神のイスラエルに向かって燃え上がった怒り(:1)であり、神の罰であることが分かります。神がイスラエルの何に向かって怒られたのかはわかりません。第二サムエル記の最後の記事ですが、ダビデは様々な困難な戦いの果てに、その王権は堅固となり、その子ソロモンに王位が継がれようとしていて、国は平穏で隆盛を誇っていた時代と言えます。

神はイスラエルを戒めるために、王であるダビデを動かし(聖書協会共同訳では、そそのかして)、神のおこころに沿わない人口調査を行わせます。ダビデは良心の呵責に悩まされます。神はダビデに3つの選択肢を与えます。7年間の飢饉か、3か月間敵に敗北し逃げ回ることか、3日間疫病が起こることか。

ダビデは、「人の手ではなく、主の手に陥らせてください」と願います。

主は疫病をイスラエルに下されます。7万人が死んで、尚も、疫病がダビデのいるエルサレムに臨もうとした時、『主はわざわいを下すことを思い直し』ます。

ダビデは疫病が国中に拡大して、民が打たれているのを見て、主に言います。「罪を犯したのは、この私です。私が悪いことをしたのです。この羊の群れがいったい何をしたというのでしょう。どうか、あなたの御手を、私と私の一家に下してください」。

主は預言者ガドを遣わし、ダビデに命じます『主のために祭壇を築きなさい』。主の命じられた通りに、ダビデは異邦人の穀物の打ち場と牛とを代金を払って買い取り、そこに主のための祭壇を築きます。

そこでダビデは『全焼のいけにえ(燔祭)』と、『和解のいけにえ(酬恩祭)』をささげます。

主はこの国の(ための)祈りに心を動かされ、疫病はやみます。

疫病の中にあって、ダビデは、①異邦人から祭壇を築く場所を買い取り、②祭壇を築き、③全焼のいけにえと和解のいけにえをささげます。

① 代価を払って買い取ります

ダビデの王宮のとなりにあった天幕ではなく、どうして異邦人の打ち場を買い取って祭壇を築くことを、神は命じられたのでしょうか。エブス人のアラウナは、打ち場も牛もダビデにささげますと申し出ているのに、彼は強いて代金を払って買い取ります。

② 祭壇を築きます

どうして、イスラエルのために祭壇を築く必要があったのでしょうか。

③ 燔祭と酬恩祭をささげます

全焼のいけにえと和解のいけにえは どうして必要だったのでしょうか。

燔祭はレビ記第一章、酬恩祭はレビ記第三章にあります。

燔祭は、贖いの供え物(レビ1:4)です。全焼のいけにえであり、神の前に全てを焼き尽くす、ささげ尽くすものです。自分自身を神の前に焼き尽くす、捧げものとして差し出す、という信仰告白があります。

酬恩祭は、神への捧げものであると共に、自らがその一部を受け取って食するものです。酬恩祭はなだめの供え物(レビ3:16)です。このささげものによって、神との和解が与えられ、会食をすることによって、神との交わりを持ちます。

私達は、燔祭・素祭・酬恩祭・罪祭・愆祭を、祭壇を作ってささげる必要はありません。全てのささげものは、イエスが十字架において、全ての人の罪の贖いとして、ご自身を神にささげられたことによって完成しているからです(十字架の意味を知る上で、レビ記を読むことは非常に有益です)。しかし、もう一度、祭壇を築いて、自らと民をとりなす祈りをささげたダビデを思い起こしましょう。

昨年は、わたしたちは神の使節(アンバサダー)である、と元旦にメッセージを聴きました。それを思い起こして昨年を振り返って下さった兄弟姉妹もいます。

修道院という場所は、俗世間から離れて禁欲的規律を守り、宗教的共同生活を営み、神への信仰を深める場所です。今、私たちの状況である自粛生活において、同様に神への信仰を深める場所をもつことは最も重要であると思います。そこでは、常に礼拝と祈りの祭壇が築かれています。新改訳では、祈りは神の心を動かす、と訳しています。私たちの罪の贖いとして十字架で命を捨てて下さった、私たちの主イエス・キリストの名によって、私たちは神に祈りましょう。

神は私たちの祈りを聞いてくださるお方です。世の雑音・雑事から離れて、祭壇を犠牲を払って買い取り、祈りましょう。


【消息・報告】

〇 二〇二一年、明けましておめでとうございます。今年も私たちの望み「主イエス」を見上げ、「キリストの使節(アンバサダー)」として、とりなしの祈りの手を上げ続けましょう。

〇 新型コロナ感染第三波の急速な感染拡大により、会堂で集まっての礼拝を中止しています。動画、カセット、文書により、自宅礼拝を行って下さい。礼拝再開の時が来ましたら、皆様にお知らせします。感染が収束し、再び会堂に集まって礼拝をささげる事ができるように祈りましょう。コロナ感染の収束の為、又、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにもお祈り下さい。 

〇 教会創立五〇周年の記念誌作成に、次年度に向けて取り組みます。皆様から「証詞」を集めます。字数・締め切りを確認の上、教会員全員がお書き下さい。原稿用紙をお配りしますが、可能な方はできるだけ電子メールの添付ファイルで送って下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二〇年一二月二七日 第四九巻 第五二号

礼 拝 順 序     

前  奏  一六二 ハレルヤ、ハレルヤ

招  詞  第一コリント六・一九~二〇

頌  栄  六〇 

賛  美  一六六 威光・尊厳・栄誉

交 読 文 一二 詩篇三三(八三八頁)

公同祈祷           

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷           

賛  美  一九七 祈りの園生を

聖  書  マルコ一一・一五~一九

メッセージ 「すべての民の祈りの家」   竹田広志牧師

祈  祷

賛  美  一九〇 静けき祈りの

頌  栄  六三

祝  祷           竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 一九八 God bless you )


【説教全文】

「全ての民の祈りの家」マルコ11:15~19 (第一コリント6:19~20)

(並行箇所:マタイ21:12~17、ルカ19:45~48) 

(参照:ヨハネ2:13~22、イザヤ56:7、)

聖書協会共同訳見出し 神殿から商人を追い出す

 本日の礼拝は2020年、最後の主日礼拝となります。世界中の誰も予測できなかったコロナ禍の中にはありましたが、一人ひとりが今年一年を振り返って、主の御前に自らの信仰生活、自分自身を吟味する時といたしましょう。年末には日本では「大掃除」の習慣がありますが、私たちの内側も整理する時としましょう。

イエスは3年の公生涯の中で、2度「宮きよめ」を行っておられます。公生涯がスタートして間もなく、エルサレムに過ぎ越しの祭りに上られた時(ヨハネ2:13~22)、そして、マタイ、マルコ、ルカにあります、十字架直前の過ぎ越しの祭りにエルサレムに上られた時です。

過ぎ越しの祭りは、ユダヤの最も大きな祭りで、出エジプト、すなわちイスラエルの奴隷解放を記念するものです。各地に点在している多くのユダヤ人、又、異邦人や異邦人改宗者たちも祭りにエルサレムへと集います。イエスの公生涯が3年と言われるのは、ヨハネの福音書の中に、三度過ぎ越しの祭りの記事があるからです(2:13、6:4、11:55)。イエスは生涯のほとんどを、カペナウムを中心として、ガリラヤで活動、宣教して過ごされました。しかし、4つの福音書共に、イエスの生涯の焦点は、エルサレム入りされてから最期の一週間、十字架に向かわれ、死を遂げられたことであることがわかります。

宮をきよめる

宮(神殿)は礼拝の場であり、祭壇→会見の幕屋→神殿→会堂→教会という旧約聖書から新約聖書の礼拝の場の呼び名の流れがあります。

神殿は、神ご自身が御臨在下さると約束して下さった場所です。そこに私たちも詣でます。

神殿の構造は、異邦人の庭、ユダヤ人の中庭、ユダヤ人男性の間、祭司だけが入れる聖所、年に一度だけ大祭司だけが入れる至聖所となっています(因みに「美しの門」は、異邦人の庭からユダヤ人の中庭に通じる門)。神の御臨在(至聖所)に近づく、を深く味わう構造になっています。

イエスは、ベタニヤから再びエルサレムに入り、神殿に来られました。これはその時の、異邦人の庭での出来事です。イエスは両替人、鳩を売る者の台を覆し、彼らを追い出し、境内を通って物を運ぶことを許されませんでした。そして、「あなたがたはこの場所を強盗の巣にしてしまった」と厳しく叱責されています。このような異邦人の庭の状態は、実は商売の場所にして自分たちの懐を肥やしている祭司たちが作っていました。

* 神殿貨幣への両替、いけにえの捧げ物の厳しいチェック、その利益。神殿内の事に関しては、捧げ物においても、献金においても、誰も何も言えない状況がありました。旧約時代においても、エルサレムに偶像が運び込まれたりすると、宗教改革者達は、そのようなものを排除していきました。腐敗した神殿礼拝の改革がありました。

キリストは、「霊とまことをもって礼拝する場」を私たちの人生に回復してくださいます。

 イエスが激しい感情をもって、これほどに怒られたのは何に対してでしょうか。

 神殿を当時の宗教的指導者である祭司が、商売の道具にしていたこともそうですが、「異邦人の祈りの場」を、祈りの場でなくしてしまった神の民イスラエルに対してではないでしょうか。本来の「祈りの家」が祈りの場でなくなってしまっている。両替の音、捧げ物の動物の鳴き声、商売人の声、行き交う物を運ぶ人の土埃…その賑やかさ、喧騒の中で、祈りの家としての機能は全く果たされていないのです。

過ぎ越しの祭りに参加するために遠くから、外国からも、時間をかけて神殿に上って来た異邦人の改宗者たち。しかし、そこでは、静まって祈ることすらできません。

「わたしの家は、すべての民(国々の民)の、祈りの家と呼ばれる」。

イエスの家は、全ての国民のものです。教会の礼拝にクリスチャン以外の人が出席していいですか?是非いらしてください。教会はキリスト者だけのものではなく、全ての人の祈りの家です。

祈りの家。それは、神に祈り、感謝の捧げ物をし、ほめたたえる場所。神の臨在に近づき、神に会見し、自分自身を神に司っていただく場所。神とその愛の中に自らを置いて、深く神と交わる場所です。家長は父なる神であり、私たちは神の子ども、神の家族です。

イエスがこの後に十字架の贖いを完成された時、神殿の幕(聖所と至聖所とを隔てる幕)が上から下まで真二つに裂けました。今や、キリストにある者は、誰でも大胆に神の御前に近づくことができます。

今年最後の礼拝でこの聖書個所が導かれて開かれていますのは、今、コロナ禍によって教会に積極的に集えないという、キリスト教の歴史でも経験したことのない中にあって、各自が、各家庭が、礼拝の祭壇をしっかりと立てなさい、築きなさい、というものではないでしょうか。

イエスは宮をきよめられて、本来の神の宮、「祈りの家」を回復されます。

パウロは、第一コリント6:9で、「あなたがたのからだは、あなたがたの内に住まわれる、神から受けた聖霊の宮である」と言っています。私たちの内にある宮は何に満ちているでしょうか。強盗の巣になってはいないでしょうか。何を食べるか飲むか、どのように着飾るか、どのように暮らそうか、何をもって自分を満足させようか、世の煩わしさでいっぱいになっていないでしょうか。動物の声や、お金の音や、日々の生活の雑多な音に満ちていないでしょうか。

イエスに、内側をきよめていただきましょう。

私たちの心に、生活の中に、「祈りの祭壇」を立て直しましょう。

自宅での動画礼拝は、そのような、あなたに設けられた時です。

日々の暮らしのただ中で、礼拝を真摯に捧げることは難しい事でもあります。いろいろな物が目に入ります。様々な障害があなたを阻むでしょう。しかし、教会の会堂で礼拝する時と同じように、主日礼拝をささげましょう。安息日を聖としましょう。そして、再び会堂で集まって礼拝をささげることができるように、コロナ収束のために祈りの手を上げ続けましょう。

自らの信仰生活に、宮きよめを成されたイエスに来ていただいて、霊的改革、刷新を行っていただきましょう。聖霊を今日、〈私〉という宮にお迎えしましょう。


【消息・報告】

〇 二〇二〇年、今年最後の礼拝となりました。様々な中を通りましたが、日々、主の守りがあったことを感謝します。来年も私たちの望み「主イエス」を見上げ、拝し、神の祝福の中を歩みましょう。

〇 新型コロナ感染第三波の急速な感染拡大により、会堂で集まっての礼拝を中止しています。動画、カセット、文書により、自宅礼拝を行って下さい。一月一日(金)元旦礼拝は動画で配信します。一月三日(日)からの礼拝は、再開の場合のみ皆様にお知らせします。感染が収束し、再び会堂に集まって礼拝をささげる事ができるように祈りましょう。コロナ感染の収束の為、又、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにもお祈り下さい。 

〇 「おうちdeクリスマス」の動画配信中です。一二月三一日まで配信しています。ご家族、友人、知人にもお勧め下さい。

〇 教会創立五〇周年の記念誌作成に、次年度に向けて取り組みます。皆様から「証詞」を集めます。字数・締め切りを確認の上、教会員全員がお書き下さい。原稿用紙をお配りしますが、可能な方はできるだけ電子メールの添付ファイルで送って下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二〇年一二月二〇日 第四九巻 第五一号

(クリスマス礼拝)

礼 拝 順 序     

前  奏  旧一三六 み冠りをもなれは捨てて

招  詞  第二コリント八・九

頌  栄  六〇 

賛  美  八七 入れまつる家あらず

交 読 文 五二 ルカ一(八六八~八六九頁)

公同祈祷           

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷           

賛  美  七五 神の御子は

聖  書  ルカ二・一~一六

メッセージ 「貧しさの中に住まわれる神」 竹田広志牧師

祈  祷

賛  美  七七 きよしこの夜

頌  栄  六三

祝  祷           竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 七八 荒野の果てに )


【説教全文】

「貧しさの中に住まわれる神」 ルカ2:1~16

聖書協会共同訳見出し 「イエスの誕生」「羊飼いと天使」

クリスマスおめでとうございます。主イエス・キリストの御降誕を心からお祝い致します。

本日はクリスマスの出来事、イエス・キリストの誕生の記事を読みます。

イエスの生涯を記している4つの福音書が、イエスの誕生の出来事から始まって書かれているかというと、歴史的な出来事として書いてあるのは、マタイとルカによる福音書のみです。マルコとヨハネの福音書にはイエスの誕生の歴史的な記述はありません。

マタイ(1~2章)は、旧約聖書にある預言が確かにイエスによって成就した、という視点でイエスを指さしています。イエス以外には救い主はいない!確かにこのお方こそ、あの旧約聖書に預言されている、イスラエルの民が待ち望んでいた、ダビデの子孫としてお生まれになった救い主です。その内容は、「ダビデの子孫として」、「ヨセフへの知らせ」、「インマヌエル預言の成就」、「東方の博士の来訪」です。

ルカ(1~2章)は、イエスの誕生は幻・架空の出来事ではなく、歴史的事実であり、神の御子イエスは人としてこの地に来られた! 世界史の中に、この時に、この場所にお生まれ下さった、という視点でイエスを指さしています。私達を救うために2000年前にベツレヘムで確かにお生まれになったお方です。その内容は「マリヤへの受胎告知」「ローマの人口調査」「飼い葉おけのしるし」「羊飼いへの知らせ」です。

ルカは医者であり、歴史家、学者(ギリシア語に熟練した知識人)でもあり、イエスがどのような時代に、どのような場所で、誰から、どのようにして生まれた(その後、教え、行動された)かをローマの高官テオピロ(ルカ1:3)に献上するために、歴史的に順序正しく書いています。

ルカ2章は、クリスマスに最もよく読まれる聖書の記事です。

神のご計画 -神はご自身のひとり子を、どの時代の、どの場所へ遣わされたのか-

よく私達も、最終的なこの場所に到達するまで、その時にはわからなかったが、後に、このことがなければこの事は実現しなかった(これがあったから実現した)、とその経過を再解釈することがあります。そして、それは偶然ではなく、神の大いなる導きです、と告白します。

① ローマの人口調査の勅令が皇帝アウグストから出た(ローマの徴税・徴兵のため)(:1~3)

② 人口調査の登録の為に、ヨセフとマリヤはベツレヘムへ上った(:4) 約140キロ(八千代市から

③ 宿屋には彼らのいる場所がなかった(:7) 夫婦共にみ使いのお告げは受けていたが   富士山位)

④ 羊飼い達への知らせ 喜びの知らせ(NEWS) GOSPEL、GOODNEWS(:10、11)

第一報はベツレヘムで夜、 野宿をしていた羊飼い達に

「今日、ダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。・・・」

⑤ ①~④の全ては、この馬小屋の飼い葉桶へと私達を導きます。クリスマスのクライマックスです。(:12)

Q、救い主としてお生まれになったお方はどこにおられるのか

A、ベツレヘムの家畜小屋の飼い葉おけの中に布にくるまって寝ておられる(:12)

* きよしこの夜の歌詞「…まぶね(馬槽)の中に」。まぶねとは、家畜の飼い葉おけ、えさ箱です。

ルカのクリスマスメッセージは、「救い主誕生のしるしは、飼い葉おけ(えさ箱)の中の幼子」です。

なぜ、神は救い主を、あえて、人々に迎えられず、貧しい、みすぼらしい飼い葉おけの中に、お与えになったのか。何ゆえに、神は、このようなご計画を立てられたのか。そこに、神のおこころがあり、クリスマスメッセージ、クリスマスの意味があります。

その意味

① 神の御子が、自ら低く貧しくなられて、私たちに豊かさを与えて下さった。それは、私たちに神の豊かさ、命に預からせるために、最も低いところへ降りて来て下さった。(第二コリント8:9)

② 罪人の友となられた 私達の間に住まわれた

③ 貧しさの中に神は住まわれる 

山上の説教の中でイエスは、ルカでは「貧しい者は幸いである」、マタイでは、「心の貧しい者は幸いである」、と言われており、豊かさの中にあっても自らが貧しい者であることを自覚すること、心の貧しさの大切さを説いておられる。イエスが言われたのはどちらだろうか。どちらの意味も意義深い。ただ、わかるのは、イエスは心のことだけを言っておられるのではなく、経済的に貧しい人々のところに行って友となられるお方です。それが、飼い葉おけのしるしであると思います。*日系ブラジル人兄弟姉妹との交わり

イエスは、私たちの苦しみの中に、悩みの中に、悲しみの中に、しえたげの中に

病人の中に、不自由な中に、経済的な貧しさの中に

今日食べるものもなく、貧しさの中に死んでいく者の中に 

希望を持てない暗闇の中に

そして、自らぬぐうことのできない汚れ、罪の中に悩める者の中に

この神の御子イエスは、住まわれるのです。

④ 飼い葉おけが置かれてある家畜小屋であるからこそ、全ての人々(身分の貧しい者、羊飼い)が会いに行ける。全ての民に与えられる喜びの知らせである。 ユダヤ人も日本人も、白人も黒人も

汚い、貧しい、むさ苦しい家畜小屋に、救い主を訪ねに行く

きらびやかな王宮や、豊かな神殿に主はおられない。そのような場所であったら、私達は誰もイエスに会いに行くことは出来ない。

クリスマスを迎える覚悟は、家畜小屋におもむくことです。

身分の高い立場にある者は、尚も、いっそうへりくだって

へりくだって、へりくだって、へりくだって、貧しさの中へ イエスを見出すのです。

* 千利休の考案した茶室の入り口は「にじり口」と呼ばれ、低くて狭く、頭を低く下げなければ入ることが出来ない構造になっています。「天下人でも一旦にじり口を通った後は、全て平等の人間になる」として、茶室の中ではすべての人が平等という茶を嗜む者の心があります。身分制度が厳しい戦国の武家時代において、武士は刀を置いて、頭を下げて、茶室に入らなければなりませんでした。

⑤ 飼い葉桶は私達の心

家畜小屋、飼い葉桶は

最も暗く、貧しく、汚れた(匂って来る)場所。それは、罪に汚れた私達の心、内側を示している。

そこに!光と命を与えるために 主は来られた!

私たちは、私たち自身の闇(罪)に目を留める覚悟が必要です。

私達の闇、それは、自分の罪深さ、愛のない貧しさ、定められた逃れることのできない死です。

しかし、そこに光と命を与えるために、まさに飼い葉おけの中に救い主はお生まれ下さったのです。                            

神様はクリスマスの出来事を通して、私達をどこへ連れて行かれるのでしょうか。貧しい家畜小屋です!行きたくはない。しかし、そこは、私達の救い主イエス・キリストのおられる家畜小屋です。

イエスは、どこまでもへりくだって来て下さいました。へりくだって へりくだって、ついに飼い葉桶にまで。

私達の神は 私たちの貧しさの中に住まわれるお方です。


【消息・報告】

〇 クリスマスおめでとうございます。主イエス・キリストのご降誕を心からお祝い致します。

〇 新型コロナ感染第三波の急速な感染拡大により、今年いっぱい(二〇、二七日)の会堂で集まっての礼拝は中止となります。動画、カセット、文書により、自宅礼拝を行って下さい。感染が収束し、再び会堂に集まって礼拝をささげる事ができるように祈りましょう。元旦礼拝も中止となります。来年からの礼拝については、後日皆様にご連絡いたします。コロナ感染の収束の為、又、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにもお祈り下さい。 

〇 「おうちdeクリスマス」の動画配信中です。一二月一四日~三一日まで配信しています。ご家族、友人、知人にもお勧め下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二〇年一二月一三日 第四九巻 第五〇号

(アドベント第三週)

礼 拝 順 序     

前  奏  清らに星住む今宵

招  詞  第二コリント一・三~五

頌  栄  六〇 

賛  美  八二 牧人羊を

交 読 文 四九 イザヤ四〇(八六六~八六七頁)

公同祈祷           

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷           

賛  美  八四 ああベツレヘムよ

聖  書  イザヤ四〇・一~八

メッセージ 「慰めよ、わたしの民を」 竹田広志牧師

祈  祷

賛  美  七九 天には栄え

頌  栄  六三

祝  祷           竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 九六 我らは来たりぬ )


【説教全文】(訂正箇所:第三イザヤの区分 56~66章)

「慰めよ、わたしの民を」(アドベント第三週) イザヤ40:1~8

聖書協会共同訳見出し 主の民への慰め

「慰めよ、慰めよ、わたしの民を」

「ナハムー、ナハムー、アンミー(ヘブル語)」 ナーハム(慰め)

クリスマスのシーズンにはヘンデルのメサイヤが良く歌われます。メサイヤ(メシヤ:救い主)はキリストの生涯をテーマに演奏され、歌われています。預言とキリストの降誕(1~24)・苦難と贖罪(十字架)(25~44)・復活と永遠の命(45~53)について歌われていますが(因みに有名なハレルヤコーラスは、第二部、苦難と贖罪の最後44曲目)、第一部の楽器による序曲の演奏シンフォニアの後、まず、最初に歌われるのが、イザヤ書40篇の1節、「慰めよ。慰めよ。わたしの民を。」です。Comfort, comfort my people!

* イザヤ書は、歴史批評的立場では、1~39章、40~55章、56~66章に、第一、第二、第三イザヤと時代を分けて読む人もいます。内容が、神の裁き、バビロン捕囚、捕囚からの解放、第一だけがイザヤの書いたもので、第二と第三はイザヤの弟子が書いたものだと言われたりもします。どうしてかというと、イザヤの後の出来事が、克明に書かれている、つまり預言されているからです。それは聖書の未来に対する神の預言を信じない、起こってから書かれたものであるとする立場で、私達の聖書の読み方とは違うものです。39章と40章の間には時間の大きな隔たりがあるのか。教団の小林和夫先生からイザヤ書を学びましたが、小林先生は、イスラエルに行かれた時、イスラエル博物館でイザヤ書の写本を自分の目で見ることを楽しみにしていたとおっしゃっていました。確かに、39章と40章はそのまま繋がっていたと私達に力説してくださいました。私が行きました時は、どれがそれなのか全然わかりませんでしたが。

イスラエルの歴史背景  

サウル、ダビデによって建国されたイスラエル王国は、ソロモンの死後、BC922年に、南北に分裂しました。 北イスラエル王国9部族と、南王国ユダ2部族、ユダ(シメオン吸収)、ベニヤミン(エルサレムを中心とした小地域)に分裂しました(レビ族は数えられない)。その後、BC721年、北イスラエル王国はアッシリアによって陥落、捕囚されて行きます。

後に、南王国ユダもBC586年に、バビロンによって陥落、捕囚されて行きますが、その差は135年あります。

イザヤの活躍した時代は、ウジヤ、ヨタム、アハブ、ヒザキヤの時代でした。彼は南王国ユダ、エルサレムにおいて(1:1)語った預言者で、北イスラエル滅亡から、南王国ユダ滅亡にかけての時代でした。

北イスラエル王国、すなわちサマリヤを中心とするガリラヤは、律法を守らず、神に従わなかった故に滅ぼされ、はずかしめを受けました。一方、南王国ユダは、自分たちの国は神の祝福の下にある、万軍の主が共におられる故、滅ぼされることなく堅く建つと信じていて(事実135年間 南王国ユダはアッシリアの猛威から守られ、支えられていた)、しかし、兄弟を憐れまず、神に仕える民としては中身のないものでした。…それゆえに、彼らにも近づきつつある滅亡。

イザヤは39章まで、南王国ユダに対して、心かたくなな民、そして民に対する神の懲らしめについて主に語られますが、40章以降は主に「回復」について語られています。「バビロン捕囚の預言」と、「さばきと捕囚からの解放・回復の預言」です。

イザヤの歴史観 

その時代(サマリヤ陥落)、すぐ先の時代(バビロン捕囚)、キリスト到来の時代、そして終末。

40章は、神のことば「慰めよ。慰めよ。」(:1)で始まります。

繰り返し、二度呼びかけられています。「神の慰め」、やがて来られる救い主の到来によって慰められるという預言です。

あなたを罪と滅び、暗闇の中から救って下さるお方が来られる!

回復のために、私達に必要なのは、まず、「慰め」です。傷ついた心、衰退してしまった家、暗闇に落ち込んでしまった世界。その回復のために必要なのは、最初は内なる「慰め」です。うつむいた顔が上を見上げる、新しい心・希望の到来です。「かしらを上げよ、こうべを上げよ!」

クリスマスのメッセージは、時代や、今の私がどんな暗闇の中にあっても、救い主イエスの誕生こそが、私達の動かない慰めである、ということを知って下さい。

「エルサレムに優しく語りかけよ。これ(彼女)に呼びかけよ。」(:2)

優しくというヘブル語は、直訳ですと「心に」という言葉です。心に届くように、心に響くように語りかけよ。反発を呼び起こすような、委縮してしまうような語りかけ、絶望を感じるような呼びかけではなく、優しく。「彼は傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯心を消すこともない」(イザヤ42:3)…主イエスはこのようなお方です。「やわらかいことばで、憐みと愛を込めて語りかけなさい、呼びかけなさい。」

慰め  どのような回復のための慰めの呼びかけか

① 「その労苦は終わった、戦いは終わった。」 救い主の到来によって、(それを信じる私達において、そして終末において)重労働が終わった解放感、戦争が終わった安堵感、争いが終わった静けさが与えられる。

「すべて重荷を負って苦労している者は、わたしのもとへ来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」

② 「その咎は償われた(贖いのための支払いは完了した、罪は赦された)。」

借金が無くなって完済した喜び、無罪放免とされた囚人、(罪の)奴隷から解放された自由人の喜びが与えられる。

③ そして、「そのすべての罪に引き換え、二倍のものを(報いを祝福として)主の手から受けた。」(:3~5)

咎が償われ、罪が赦されただけでない!そのすべての罪に引き換え、二倍のものを主の手から受けた。

ありえない事、それが、イエス・キリストの十字架による贖い、清算によって与えられた、と言う神の恵みの宣言。

「荒野に呼ばわる者の声がする。」(:3~5) 備えられた道、平らに準備された道に、そのお方が来られる。そして、その時、私達は、主の栄光を見る。バプテスマのヨハネの記事でもあり、バビロン捕囚からの解放の記事でもあり、終末の記事でもあります。そして、今、今年のクリスマスにも私たちが受け取る福音です。

「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」

人の命ははかなく、虚しいものである。私達はそのような存在です。しかし、その只中にあって、神のことば、永遠の命である主イエスが、私達のこの世界に、私の人生に堅く立っていて下さいます。


【消息・報告】

〇 新型コロナ感染第三波の急速な感染拡大により、今年いっぱい(一三、二〇、二七日)の会堂で集まっての礼拝は中止となります。動画、カセット、文書により、自宅礼拝を行って下さい。感染が収束し、再び会堂に集まって礼拝をささげる事ができるように祈りましょう。元旦礼拝も中止となります。来年からの礼拝については、後日皆様にご連絡いたします。コロナ感染の収束のため、又、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにもお祈り下さい。 

〇 教会近隣への「おうちdeクリスマス」のチラシ配布は完了しました。本日は、チラシ配布はありません。個人的にチラシを希望される方は残してありますので、必要部数を教会に取りに来て頂くか、又は郵送します。

〇 「おうちdeクリスマス」の動画が完成しました。一二月一四日~三一日に配信されます。ご家族、友人、知人にもお勧め下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二〇年一二月六日 第四九巻 第四九号

(アドベント第二週)

礼 拝 順 序     

前  奏  八二 牧人ひつじを

招  詞  ゼカリヤ九・九~一〇

頌  栄  六〇 

賛  美  八六 み使いのたたえ歌う

交 読 文 八 詩篇二四(八三四~八三五頁)

公同祈祷           

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷           

賛  美  六九 エサイの根より

聖  書  マルコ一一・一~一四

メッセージ 「主がお入り用なのです」 竹田広志牧師

祈  祷

賛  美  八〇 天なる神には

頌  栄  六三

祝  祷           竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 七五 神の御子は )


【説教全文】

「主がお入り用なのです」 マルコ11:1~14  (アドベント第二週)

並行箇所 マタイ21:1-11 ルカ19:28~40 ヨハネ12:12~19

参照:エペソ5:15~17

聖書協会共同訳見出し エルサレムに迎えられる

まず皆さんに質問します。あなたは、イエスのお役に立ちたいですか。

エルサレム入城(入場)。なぜ入城なのか。エルサレムはその町の周囲が壁で囲まれており、門を通って入らなければならなりませんでした。主であり王であるイエスが、最後に多くの人々に迎えられてエルサレムの門をくぐられるのは、まさに王としての入城の姿と言うことができます。

1、主のお入り用に応えた「ろばの子」(:1~11)

この場面から、エルサレム入城によって始まるイエスの生涯の最後の一週間が進行します。

マルコによる福音書の約3分の1(福音書全体でも約3分の1)は、イエスの生涯のエルサレムにおける最後の一週間の出来事の記述です。イエスは生涯の最後の3年間を公生涯として過ごされ、公生涯の中でも、エルサレム入城とそれに続く十字架、そして復活がどれだけ重要であったかがわかります。十字架への出来事をどの福音書も詳しく記しています。

先週は先頭に立ってエルサレムへ向かって行かれたイエスを読みました。

イエスはエルサレムに入られる前に準備をされます。

「向こうの村へ行きなさい。ろばの子が繋いであります。それをほどいて、引いて来なさい。『なぜそんなことをするのか』と聞かれたら、『主がお入り用なのです。すぐに返します』と言いなさい」。弟子たちが行ってみると、ろばの子が繋いであり、ろばの子の所有者は許してくれました。

ろばの所有者も、ろばの子も、主の必要に応えました。

弟子たちはろばの子に自分たちの上着をかぶせ、イエスはその上に乗られました。そして、ろばの子に乗ってイエスはエルサレムに入られます。

このような子供賛美歌があります。

「私達はろばの子です」  作詞 植木真子 作曲 早川佳身

「私達はろばの子です。馬のように早く走れない、ライオンの様な力なんかない、ただのちっぽけなろばの子です。だけど、あなた知っていますか。ろばが主のお役に立ったこと。イエスさまを背中にお乗せして、エルサレムにお連れしたことを。走れなくても強くなくても、いつもイエスさまがいてくれます。私達はろばの子です。神様のために、神様のために、働きます。」

マタイによる福音書では、救い主がエルサレム入城される時には、ろばの子に乗って入られる、これはゼカリヤの預言の成就であると記されています(マタイ21:4、5)。「見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも雌ろばの子の子ろばに」(ゼカリヤ9:9)。

どうして「ろばの子」なのか。

馬は戦いのしるし、鳩は平和のしるし、ろばは柔和のしるし。「ろばの子」はへりくだって黙々と忠実に働くしもべの象徴です。イエスは、力による勝利者、支配者ではなく、愛による勝利者、支配者です。

武力や権力によって戦い勝ち取ったもの・国は、やがて戦いによって滅びていきます。それは世界の歴史が証明しています。心に留めましょう。神の愛によって勝ち取ったもの・国は滅びることも衰退することもありません。

* 中世のローマにおいて、大迫害の後にキリスト教が国教となっていった経緯について。もちろん政治的な意図もあったかも知れませんが、殉教したキリスト者の愛と忍耐が勝利をもたらしました。

* 「ミッション」という映画 18世紀の南米パラグアイへイエズス会が布教したドラマ映画。

そこには二人の主人公が描かれており、原住民の為に武器を取って戦う宣教師の弟子と、無抵抗で十字架を掲げて戦う宣教師の姿があります。

私達の王イエスは柔和の王です。柔和で、「ろばの子」のようにへりくだり仕えてくださった(クリスマスの意味)、あわれみといつくしみ深い王、愛の王なのです。

多くの群衆が叫んでイエスを迎えます。

「ホサナ。」(Hosanna ヘブル語「どうか救ってください」「今、救ってください」の意味)。「祝福あれ。主の御名によって来られる方に。祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所に。」

イエスはエルサレムに入城され、そして宮に入られました。

* 夕刻ベタニヤへ

2、主のお入り用に応えられなかった「いちじくの木」(:12~14)

並行箇所 マタイ21:18~22 聖書協会共同訳見出し いちじくの木を呪う

酷な話ではありますが、翌日、イエスとその一行が、ベタニヤ村(マルタとマリヤ、ラザロの家)からエルサレムに行かれる途中、空腹で、葉の茂ったいちじくの木を見ると、いちじくの実がなっていませんでした。「いちじくの季節ではなかったから」とあります。ところが、主イエスは「今後、この木から誰も実を食べることがないように」と木に向かって言われました。…お腹が減って八つ当たりした、というのではありません。

その翌日、イエスにのろわれたいちじくの木は根まで枯れていました(:20~21)。

「ろばの子」と「いちじくの木」は何を私たちに教えているのでしょうか。

主のための働きは、「時が良くても、悪くても」(第二テモテ4:2)とあります。

主が必要とされる時に、すぐにそれに応える者でありたい。

「私はまだその時ではありません」「今は無理なので後にいたします」「別の用事がありますので、後で」後で、後で、後で。それで良いのでしょうか。

「あなたを、あなたの働きを、今、主がお入り用なのです」というメッセージを私達はこの朝、聞きます。私たちの主イエスに必要とされ、主のお役に立てるとは何と光栄なことでしょうか。

*  ある宣教大会で示された「招きのことば」

イエスは柔和の王

柔和の王が、主が、お入り用なのです。私たちを入り用としておられます。そのままで、すぐに(ただちに)イエスの招きに応える私達でありましょう。機会を逃してはなりません。


【消息・報告】

〇 新型コロナ感染第三波の急速な感染拡大により、会堂で集まっての礼拝を中止しています。動画、カセット、文書により、自宅礼拝を行って下さい。動画を見る環境がなく、カセットが必要な方は、役員に申し出て下さい。感染が収束し、再び会堂に集まって礼拝をささげる事ができるように祈りましょう。次週からの礼拝については、後日皆様にご連絡いたします。コロナ感染の収束の為、又、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにもお祈り下さい。

〇 本日午前十一時半より、役員会を行います。

〇 本日と次週一三日(日)、午後一二時半より「おうちdeクリスマス」のチラシ配布を教会近隣に行います。素敵な案内が出来上がりました。チラシ一五〇〇枚、ハガキ三〇〇枚を準備しています。会堂に集まっての礼拝はありませんが、有志の方々、予防対策を十分取りながら奉仕にご協力下さい。それ以外に、個人的にチラシを希望される方は必要部数を教会に取りに来て頂くか、又は郵送します。

〇 「おうちdeクリスマス」の動画の会衆賛美は、今までの礼拝で撮影したものを使用する予定です。マスク姿・遠目に撮られていますが、プライバシー侵害を感じる方は、役員まで申し出て下さい。限定公開で流しますのでご確認下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二〇年一一月二九日 第四九巻 第四八号

礼 拝 順 序     

前  奏  六八 久しく待ちにし

招  詞  第二コリント六・一~二

頌  栄  六〇 

賛  美  七七 きよしこの夜

交 読 文 一一 詩篇三二(八三七頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷           

賛  美  二八三 主よわがそばをば

聖  書  マルコ一〇・四六~五二

メッセージ 「見えるようになることです」 竹田広志牧師

祈  祷

賛  美  二八四 ひたすら求めよ

頌  栄  六三

祝  祷           竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 二〇九 いつくしみ深き )


【説教全文】

「目が見えるようになることです」   マルコ10:46~52

並行箇所 マタイ20:29~34(ふたりの盲人が) ルカ18:35~43(ある盲人が)

聖書協会共同訳見出し:盲人バルティマイを癒す

信仰によって救われるとは、「あなたの信仰があなたを救った」とイエスの言われる信仰とは何でしょうか。

イエスはこの同じ言葉を、何度か福音書の中で言われています。(参考 マルコ5:34 長血の女に対して)

①  イエスに叫び続けた(:46~48)

イエスが、弟子たちや群衆と一緒にエリコの町から出られると、バルテマイという(テマイの子の意味)目の見えない物乞いが、道端に座っていました(名前を記すのはマルコの福音書だけ)。

彼はナザレのイエスが通られると聞いて、千載一遇のチャンスとばかりに、「ダビデの子のイエスさま、私をあわれんで下さい」と叫び始めました。

彼は、イエスが多くの病人を癒し、自分と同じ盲人の目を開かれた噂を耳にしていたのかも知れません。

私達の人生にも「神の祝福のチャンス」があります。例えば、クリスチャンと出会ったとか、誰かに教会に誘われた、一通の教会案内、トラクトを見た、あるいは最近ではホームページで見かけたとか、また、たまたま通りかかったら教会があった、ということもそうでしょう。 * 教会が隣に引っ越してきた。 

大声で叫び続けている彼を、大勢の人々は黙らせようとします。大勢で彼をたしなめ、叱って黙らせようとします。周りの者たちが寄ってたかって。

神の祝福を受けるチャンスを潰そうとする働きがあります。神の祝福に無関心で通り過ぎてしまう人もいますが、周りの目、世のしがらみが気になって祝福を受ける決断ができない人がいます。困難があるのであきらめてしまう人がいます。この世の様々な楽しみ、忙しさが、信仰の芽生えを塞いでしまうのです。

信仰に入らせまい、神の恵みに与らせまいとする働きです。確かに悪魔は血眼になって、世の終わりに、人を神の恵みから、その機会から人を引き離そうとします。

人が神に求める時に、いろいろな声、雑音が聞こえて来ます。

「求めてもあなたは何も変わらない」「あなたには求める資格はない」「やめておきなさい。きっと後悔するから」「あなたにはあなたの宗教があるでしょう」「お墓はどうするの、あなたの家族はどうするの」「騙されてはいけない」。

しかし、バルテマイはますます(激しく)叫び立てました、「ダビデの子よ、私をあわれんで下さい」。

信仰とは、イエスに求め続けることです。求め続けなさい、捜し続けなさい、叩き続けなさい。与えられるまで求めることです。失望せずに常に祈り続けることです。主に期待し、信頼して 主の全能のみうでに飛び込むことです。 * コロナ感染の収束のための祈りもそうです。決して無駄ではありません。

②  イエスのもとへ来た(:49~50)

するとイエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい」と言われました。

彼らは盲人を呼んで、「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたを呼んでおられる」と伝えました。

すると盲人は上着を脱ぎ捨て、すぐ立ち上がって(踊りあがって:口語訳)、イエスのところに来ました。

信仰とは、イエスの前に立つことです。そして、キリスト者の生涯とは、イエスの前に立ち続けることです。

③ イエスによって目が開かれた(:51~52)

イエスは彼に「わたしに何をして欲しいのか」と尋ねられました。

私達は主イエスに何を願っているだろうか?

今日の食べるものを下さい。数週間生活できるお金を下さい。有名にして下さい。良い仕事を与えて下さい。良い配偶者を与えて下さい。健康を与えて下さい。家族の平和を与えて下さい。人の願いはいろいろあります。無病息災・家内安全・商売繁盛・学業・恋愛成就・交通安全・大願成就、等々。

彼の願ったことは、もちろん 目が見えない疾患が癒されることではありました。

「目が見えるようになることです」。目が開かれることは、聖書の中では特別な意味があります。目が開かれることには、肉体の目と共に、心の目(信仰の目)が開かれることを示唆しています。

「あなたがたの心の目が明らかにされて」、神の国と神の義が、私達の人生において明らかにされていきます。

神の召し(私達の生きている意味・使命)、受け継ぐべき祝福(天国)、今生きて働かれる神の絶大な力が明らかにされていきます。(エペソ1:18、19)

神ご自身が、私の人生における神の御愛と、御支配の力の大きさ、これに目を開いてくださったら、どのような困難も試練も恐れることはありません。たとえ死の陰の谷を歩むとも恐れません(詩編23:4)。

「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」。すると、すぐさま、彼は見えるようになりました。

信仰の結果(信仰による救い)とは、目が開かれることです。まさに今、彼の目は開かれた!イエスが見えない目を開いて下さいました! 信仰による救いとは、信仰の結果、目が開かれることです。まさに今、彼の目は開かれました!イエスが見えない目を開いて下さいました!

④ イエスについて行った(:52)

バルテマイはイエスの行かれる所について行きました。

ルカの福音書では、「彼は・・・神をあがめながらイエスについて行った」とあります(ルカ18:43)。

エリコの入り口近くで彼が物乞いをしていた場所から、彼は立ち去った。彼のいる場所はもうそこではないのです。

神をあがめながら、イエスについて行く。まさに、信仰とは、イエスに従うことです。

イエスに求め続ける者の幸い。イエスの前に近づく者の幸い。イエスに目を開かれた者の幸い。イエスに従う者の幸い。神は救いを私たちに与えてくださいます。神と私たちを隔てている壁、(すなわち)罪を、イエスによって取り除いていただきましょう。イエスの十字架の血潮が、あなたの罪を赦し、罪を取り除き、見えない目を開きます。

神の機会・チャンスを私達は常に与えられています。あなたは、それを逃してはなりません。見よ、今は神の恵みの時、今があなたの救いの日です。


【消息・報告】

〇 新型コロナ感染第三波の急速な感染拡大により、先週から会堂で集まっての礼拝を中止しています。動画、カセット、文書により、自宅礼拝を行って下さい。動画を見る環境がなく、カセットが必要な方は、役員に申し出て下さい。感染が収束し、再び会堂に集まって礼拝をささげる事ができるように祈りましょう。「のぞみカフェ」も暫く中止します。コロナ感染の収束のために、又、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにもお祈り下さい。

〇 一二月六日(日)と一三日(日)、午後一二時半より「おうちdeクリスマス」のチラシ配布を教会近隣に行います。チラシ一五〇〇枚、ハガキ三〇〇枚を準備しています。一二月には準備できています。それ以外に、個人的にチラシを希望される方は必要部数を教会に取りに来て頂くか、又は郵送します。

〇 「おうちdeクリスマス」の動画の会衆賛美は、今までの礼拝で撮影したものを使用する予定です。マスク姿・遠目に撮られていますが、プライバシー侵害を感じる方は、役員まで申し出て下さい。限定公開で流しますのでご確認下さい。

〇 一二月五日(土)の「子供クリスマス会」は中止します。プレゼントはお届けします。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二〇年一一月二二日 第四九巻 第四七号

礼 拝 順 序     

前  奏  一九九 主を仰ぎ見れば

招  詞  使徒行伝二〇・三二~三五

頌  栄  六〇 

賛  美  二五七 キリストは生きておられる

交 読 文 一〇 詩篇三一(八三六~八三七頁)

公同祈祷           宮添 育代姉

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷           

賛  美  七八 荒野の果てに

聖  書  マルコ一〇・三二~四五

メッセージ 「受けるよりも、与える幸い」 竹田広志牧師

祈  祷

賛  美  三九六 慕いまつる主の

頌  栄  六三

祝  祷           竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 二九一 神の国と神の義を )


【説教全文】

「受けるよりも、与える幸い」 マルコ10:32~45

並行:(ヤコブとヨハネの願い)マタイ20:17~28

①  聖書協会共同訳見出し【イエス、三度自分の死と復活を予告する】(:32~34)

エルサレムに向かうイエスの決意

エルサレムに自ら先頭に立って上られるイエス。そこには、エルサレムに行こうとされるイエスの今までにない特別な意味の決意が感じ取れます。

そのイエスのいつもと違った様子に、弟子たちも驚き、従う者たちは恐れを覚えます。かつて二度も、ご自身のエルサレムでの苦難と死、復活について予告されていたからです。

そして、もう一度、苦難と死、復活の予告をされます(:32~34)

8章31節、9章31節に続いて三回目の予告です。イエスの三度の予告を比較してみますと、その内容が今回は更に具体的になっていることがわかります。(当時の宗教的指導者に引き渡され、死刑を宣告され、)異邦人の手に引き渡され、嘲られ、唾をかけられ、鞭打たれ、(殺される。そして、三日後に復活する)。

「人の子が来たのは…多くの人のための、贖いの代価として、自分の命を与えるためなのです」(:45)。

イエスがエルサレム(十字架の苦難の場所)に向かわれるのは、私たちにご自身の命を与えるためです。

イエスは、ご自身が何かを得るため、この世の王となるためではなく、却ってしもべとなり、仕え、与えるために尽くされるお方です。

全ての人の罪の贖いの代価としてご自身の命を与えるために、エルサレムへ、十字架へ向かわれる。全てを与えるイエスの生涯があります。

この聖書の記事と重なる聖書の箇所

使徒行伝20章に、エルサレムへ向かう決意を述べるパウロの様子が記されています。彼は自分が捕らえられ、囚人としてローマへ護送され、ローマで殉教の死を遂げる未来が待ち受けていることがわかっていました。彼はその状況でイエスの言葉を引用してエペソ教会の長老たちに告げます。

「主イエスご自身が『受けるより与えるほうが幸い(祝福された者)である』と言われたみことば(精神)を思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです」(使徒行伝20:35)。「イエスが私のためにご自身の命を、全てを惜しみなく与えて下さったように、そのイエスに倣う私も、イエスのために命を失うことは少しも惜しいとは思いません」(同20:24)。

〈「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」「惜しみしみなく与える人になりなさい。」イエスがそうであられたように、私も・・・。〉

②  聖書協会共同訳見出し【ヤコブとヨハネの願い】(:35~45)

ヤコブとヨハネ(マタイの福音書では彼らの母)が来て、「ひとりを右に、ひとりを左に」とイエスに願いました。

他の十人の弟子たちは、自分たちを出し抜いて、そのような事をイエスに願い出た事に対して腹を立てました。

誰がイエスのそばに座るかでもめていたイエスの弟子たち。

十字架へ向かわれる師の心を弟子知らず、がここにもあります。

イエスの弟子たちと同様に、パウロの弟子たちと人々も彼にエルサレムに上っていかないように忠告、懇願した様子が記されています(使徒行伝21:4、12、13~14)。

「イエスの心、キリスト者知らず」に私達もならないことを願います。

③ みなのしもべとなり、仕える者になりなさい(:42~45)

マルコ9:31に第一回目の十字架と復活の予告があり、そのすぐ後に、イエスの弟子たちは誰が一番偉いかと論じ合っている場面があります。前にも同じようなことがあったような気がするのですが、その時にも、イエスは「人の先に立ちたいと思う者は、みなのしんがりとなり、仕える者となりなさい」、また、「わたしの名のゆえに、おさなご(小さい者)を受け入れなさい」と言われました。

「しもべになりなさい」とは身分の低い者になって、卑屈になってというのではありません。

世の偉い人、主人は、受けることを当たり前のように求めますが、そのような者ではなく、

愛をもって、喜んで主人に仕えるしもべのように、自らの持つ全ての良いものを主人にお返しする、そのような歩みをしたいと思います。

パウロの言葉;「主イエスご自身が、『受けるよりも、与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです」(使徒行伝20:35)。パウロ自身、キリストと同じ考え・心をもって、苦難の待ち受けるエルサレムに、人々が必死に止めようとする中にあっても上っていったことがわかります。

十字架を負ってゴルゴダの丘をのぼられるイエス。そして、自分の十字架を負ってエルサレムに向かうパウロ。私達もイエスのおこころを知り、全ての事において「受けるより、与える方が幸いである」と考えて、十字架を負うイエスの御姿に目を留めて、後に続きたいと思います。

私たちは何を人々に「与える」ことができるだろうか。

時間、お金、贈り物、ことば、労、知識、情報、祈り、みことば、聞く、お便り、訪問、とりなし、命、等々。

イエスの弟子ペテロは、宮の門のそばで施しを求めていた男に「金銀は私にはないが、私にあるものを上げよう。主イエスの御名によって歩きなさい」と言って、癒しと、賛美と、新しい人生を手渡しました。

私にあるもの

主イエスからいただいた全ての祝福  愛・赦し・福音・力・みことば・祝福。

これらの祝福を、私が通り良い管となって(用いたまえわが主よ)、隣人に分かち与えましょう。

回復には、肉体の癒し、経済の回復、社会的回復 そして霊的な回復(神との交わりの回復)があります。

そして、それは、イエスにあり、聖書の福音にあり、神の国にあります。

教会は、そして、キリストにある者は、福音を手渡す(与える)日々を歩む者でありたい。

みなのしもべとなり、仕える者になりなさい。

受けるよりも、与える方が幸いである。

イエスの心、私の主であるイエスのみこころがこれらの教えにあるように、私の心も同様となって、

仕えるため、与えるため(:45)に歩み、生きる者でありたいと願います。


【消息・報告】

〇 新型コロナ感染の第三波、急速な感染拡大により、本日から会堂で集まっての礼拝を中止しています。動画、カセット、文書により、自宅礼拝を行って下さい。動画を観る環境がなく、カセットが必要な方は、役員に申し出て下さい。感染が収束し、再び会堂に集まって礼拝をささげる事ができるように祈りましょう。「のぞみカフェ」も暫く中止とします。コロナ感染の収束のために、又、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにもお祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。

二〇二〇年一一月一五日 第四九巻 第四六号

礼 拝 順 序     

前  奏  七〇 朝日はのぼりて

招  詞  第二テモテ一・五~七

頌  栄  六〇 

賛  美  一九八 God bless you

交 読 文 九 詩篇二七(八三五~八三六頁)

公同祈祷           

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷           

賛  美  七六 もろびとこぞりて

聖  書  ルカ二・二一~二四、五二

メッセージ 「どんな将来を願うのか」 竹田広志牧師

祈  祷

賛  美  三九一 皆献げまつり

頌  栄  六三

祝  祷           竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 三〇二 恵みある主 )


【説教全文】

「どんな将来を願うのか」 ルカ2:12~24、52

聖書協会共同訳見出し(:22~28) 神殿で献げられる(父ヨセフ、母マリヤよって赤子イエスが)

本日は子ども祝福式と献児式を行います。この度の献児式は、お子さんが生まれて、もう少し早い時期にと考えていましたが、コロナの関係で式の日が伸びて今日となりました。短い式辞の中でも、献児式の意味が語られますが、神様の導きによって本日行われ、それほど度々あることでもないと思いますので、聖書の中からじっくりとその意味と内容を見て、神による祝福の大きさを共に受け止めたいと願っています。

日本にも昔からお宮参りと言う習慣があります。生まれた赤子の健康、長寿を願って神社に参拝します。日本には八百万の神々がありますので、何の神に対してというのは定かではありませんが、生後一か月に行くことが多く、生まれた子がすくすく成長するようにという親の願いによるものです。

割礼について(:21)

イエスがお生まれになって、8日が満ちて幼子に割礼を施したとあります。これは、旧約聖書の創世記17:12の規定に従ったものです。割礼は神によるイスラエルに対しての聖別、「神の民、神の所有のしるし」を付ける儀式です。聖別とは、神のものとして、世のものから分かたれる、分離されるという意味があります。たとえば、聖餐式の器は、聖餐のためだけに使われます。飲み物を入れる器ではありますが、他の事のためには使用されません。聖別は道徳的・倫理的に世俗の悪い習慣から離れるというイメージがありますが、大事なのはむしろ、神の所有となるという意味で、聖別は、悔いて改めることと共に、神に自分自身を献げるという心と告白が必要です。

その名はイエス(呼び名)(:21)

幼子は「イエス」(ギリシア語)と名がつけられました。意味は「主は救い」です。呼び名については、ギリシア語・新約聖書では「イエスース」、ヘブル語・旧約聖書では「ヨシュア」。「イエス(様)」は日本人の呼び方で、ご存じのように英語ですと「ジーザス・クライスト」となり、世界各国発音は異なります。日本でもカトリック教会では「イエズス・キリスト」、又、日本ハリストス教会では、「イエスス・ハリストス」と呼びます。(イエスが人々から直接呼ばれていたアラム語では、「イエーシュア」)

当時ヨシュア(ジョシュア)は一般的な名前でありましたが、「主は救い」というまさにその名はイエスの生涯を表しています。

イエスという名がつけられた理由については、名付け親はその両親ではなく、イエスが生まれる前に御使いが告げた、神がお付けになった名前でした。イエスの誕生については、クリスマスで触れますが、両親となったヨセフとマリヤは、御使いから告げられた(神が告げられた)通りにしたということです。

* 私も3人の子がいますが、3人共に聖書から名前をいただきました。名の意味にふさわしい歩みであってほしいと思います。

* イエスは弟子のシモンにペテロ(岩)と名を付けられました。

* 日本のカトリック教会では、洗礼名(クリスチャンネーム)を新しく付けます。

エルサレムの神殿に連れて行く(:22~23)

さて、モーセの律法による彼らのきよめの期間(7日+33日=40日)が満ちて。

レビ記12章に記されている規定に従い、男の子の場合、生まれて7日過ぎて8日目に割礼を施し、さらに33日を経た40日後、聖所に入ることが許されます(女の子の場合は男子の2倍、14+66日=80日後)。

両親は幼子を主にささげるために連れて来た、とあります。出エジプト13:2にある旧約の律法に従って。

聖書では初子の男子とありますが、全ての子供たちが「主に聖別された者」と呼ばれるものであって欲しいと願います。

献児式で大事なのは、この「幼子を主にささげるために」という親の願いと、子どもの将来のためのものです。プロテスタントでは幼児洗礼というものは行いませんが、信仰ある親が、何を彼らに願う、遺すに優って、「神のもの(所有)としての人生」を手渡したい、継承させたいという神への願いです。

献児式は、この子の人生は最初から最後まで神のものである、という告白です。

やがて、親の信仰ではなく、自らが罪を悔い改め、イエスを信じて、キリストのものとして、その生涯を歩むことができるようにと願います。

貧しい家庭に(:24)

レビ記12:6~8の律法に従って、彼らは「山鳩一つがい、又は、家鳩のひな二羽」をささげました。これは母マリヤのきよめのための全焼の犠牲(いけにえ)として、本来は一歳の子羊一頭ですが、経済的に買えない者は鳩でよいと定められていたからです。イエスの両親の家庭は貧しかったことがわかります。

8日目の割礼、40日目の宮もうでと、きよめのための山鳩の捧げもの、どれも主の律法に従って行われました。ヨセフ、マリヤという人物が、経済的に貧しい者であっても、神に従い、神の戒めに忠実な人であったことがわかります。

* イエスに東方の博士によって贈られた「黄金・乳香・没薬」は、これらの儀式の後に与えられたものでした。贈り物はヘロデの大虐殺によってエジプトへ逃れるための資金になったのではないかとも考えられます。

神と人とに愛された(:52)

40節、52節には幼子から少年へ、そして成人へと、その成長が短い言葉で書かれています。

「幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちて行った。神の恵みがその上にあった」

「イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された」

どのような子に成長してほしいですか?

神の恵みがその上にあり、神と人とに愛される者に。

キリスト者として、どんな人生を歩みたいですか? 

神の恵みがその上にあり、神と人とに愛される者に。


【消息・報告】

〇 会堂での礼拝を再開しています。ステップ二の動画による二部制礼拝を行っています。今後、第三波、急速な感染拡大が起こりましたら、自宅礼拝のみとなります。会堂での礼拝参加は、積極的にお勧めするものではありません。会堂での礼拝に参加するか自宅で礼拝するかは、祈りつつ熟考してそれぞれが自己判断してください。会堂での礼拝、動画での自宅礼拝は並行して行ってまいります。

コロナ感染の収束のために、又、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにもお祈り下さい。

〇 本日礼拝後、子ども祝福式を行います。教会学校からささやかなプレゼントを差し上げます。又、二部礼拝後、佐藤愛ちゃんの献児式を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二〇年一一月八日 第四九巻 第四五号

礼 拝 順 序     

前  奏  

招  詞  マルコ一六・一五~一六

頌  栄  六〇 

賛  美  生ける水の川(ワーシップ)

交 読 文        五〇 イザヤ五三(八六七~八六八頁)

公同祈祷           

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷           

賛  美  四三 わが君イエスよ

聖  書  使徒行伝八・二六~四〇

メッセージ 「決断の時」   竹田広志牧師

祈  祷

賛  美  二四四 信ずる者は何びとも

頌  栄  六三

祝  祷           竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時 )


【説教全文】

「決断の時」  使徒行伝8:26~40

「信じてバプテスマを受ける者は救われる」(マルコ16:16)

ピリポ(英:フィリップ)について、その人物像を見てみましょう(使徒行伝6:1~6)。

彼は、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人です。信仰と聖霊に満ちた人で、7人の執事のひとり(ステパノ、ピリポ…)でした。

背景(使徒行伝8章):大迫害と、散らされた人々による福音宣教

ステパノの殉教(7章)の後、エルサレム教会に対する大迫害が起こります。その首謀者で迫害の先頭に立ったのはサウロ(パウロ)でした。エルサレムにいたキリスト者は、この迫害によって全国に散らされて行きました(:4)。 

しかし、散らされて行ったキリスト者たちは、主の力に満たされて、行く場所、行く場所で御言を宣べ伝え、巡り歩きました(:4)。

ピリポも散らされた人々の一人で、彼はサマリヤに赴き、そこで人々にキリストを宣べ伝えました(:5~13)。その結果、サマリヤで信仰復興(リバイバル)が起こりました(:14~25)。

迫害によって、爆発的に全世界にキリストの福音が宣べ伝えられていったことがわかります。ユダヤ教から世界宗教へ。必ずしも良い環境が福音宣教を拡げていくとは限りません。神様のご計画は人には計り知ることが出来ません。今日においてもそうです。個人の出来事の中にも、苦しみや悩みが主の栄光に変えられていくことが多いのです。

1、主の熱心と救いの計画(:26)

主はピリポをガザ方面に遣わすとき、「主の使いがピリポに言った」とあります(:26)。また、「御霊がピリポに言われた」とあります(:29)。神はご自身の計画成就のために人に語りかけられます。「御霊の言える如くせよ」と聖歌にありますが、聖霊は私たちに語って下さいます。今日、主は聖書のみことばをもって語られ、時に私が実際にどうするべきかを御霊が聖書を通して語って下さいます。キリスト者としてのあなたの生活はどうでしょうか。いつも聖霊の導きを仰ぐ者でありたいと思います。

* 「みことばが与えられる」という表現について。神(のため)の全ての働きは、神のGOサインである「みことば」によって始まります。

ピリポがエルサレムからガザへ下る道へ遣わされたことは驚くべき不思議な事ですが、それはある一人の人の救いのためでした。

「万軍の主の熱心がこれをされる」(イザヤ9:7)とありますが、それは一人の人を救いたい神のおこころです。人の子が来たのは失われた一人の人(迷い出た一匹の羊)を探し出して救うためです。

2、エチオピアの宦官(:27~28)

ピリポが遣わされた相手は、エチオピア人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた人物です。エルサレム神殿で礼拝をささげ、エチオピア(東アフリカ)へ帰る途中でした。彼は馬車に乗って、聖書を読んでいました。

 彼は「改宗者」「巡礼者」であったと思われます。

 偶像の神に仕える者から、ユダヤの神、すなわち、天地創造の神を信じる者へと改宗した人物。そして、聖書の教え(ユダヤ人の信じる神に従う教え)に熱心な人でありました。別の言い方をすれば、神を求めていた人、真理を求めていた人です。そして、何よりも幸いなことはすでに聖書のみことばに触れ、耕された心を持っている人でした。

ここに、一人の人の救いに熱心な主、主に遣わされる宣教者ピリポ、そして、耕された心のエチオピアの宦官という関係図があります。  * ある兄弟の証詞

耕された心を持つ者は、何と幸いな人でしょう。人の心を耕す働きは何と大事なことでしょう。

3、聖書の解き明かし(:28~35)

馬車の上で、エチオピアの宦官が声に出して読んでいた聖書の箇所は、イザヤ書53章に「苦難の僕」が歌われている詩です。「ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。…」。人々の罪の身代わりに犠牲となって、命が取り去られるひとりの人についての詩です。彼はこれを読みながら、これは誰のことであるのか考えていました。

丁度その時、ピリポは彼に近寄って、馬車と並んで歩きます。「あなたは読んでいることがわかりますか」「導く人がなければ、どうしてわかりましょう」。聖書のみことばを教え導く人の存在は何と麗しいことでしょう。

ピリポはこの聖句から説き起こして、イエスのことを宣べ伝えました。

何が解き明かされるに優って、聖書、神のみことばが解き明かされることほどすばらしいことはありません。聖書はイエスについて書かれたものです。聖書を通してイエスを知る。それ以上の知るべきものはありません。

4、エチオピアの宦官の応答(:36~40)

 彼は聞くだけの者ではなく、2つの応答をしました。

イザヤ書を通して、イエス・キリストが私の罪のために死んだこと、そして、イエスこそが神の御子であることを心底から信じました。

そして、自ら進んでバプテスマを受けました。

異本(:37):「あなたがまごころからイエスを信じるなら、バプテスマを受けてよいのです」「わたしはイエス・キリストが神の御子であると信じます」

ハレルヤ!「信じてバプテスマを受ける者は救われます」。

これはイエスを信じて救われた一人の人の記事であり、彼のターニングポイント(転換点)、回心の出来事です。

彼は、「喜びながら」、旅(人生)を続けます。エチオピアへイエスの救いを受けて戻っていく宦官。彼の家族へ、女王へ、エチオピアの国の人々のために。

イエスを信じて、洗礼を受けてください。そして、「神と共に喜びながら生きる人生」の旅を歩み出しましょう。


【消息・報告】

〇 会堂での礼拝を再開しています。ステップ二の動画による二部制礼拝を行っています。今後、第三波、急速な感染拡大が起こりましたら、自宅礼拝のみとなります。会堂での礼拝参加は、積極的にお勧めするものではありません。会堂での礼拝に参加するか自宅で礼拝するかは、祈りつつ熟考してそれぞれが自己判断してください。会堂での礼拝、動画での自宅礼拝は並行して行ってまいります。

コロナ感染の収束のために、又、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにもお祈り下さい。

〇 次週一五日(日)子ども祝福式を行います。教会学校からささやかなプレゼントを差し上げます。又、二部礼拝後、献児式を行います。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

「生ける水の川」 作詞・作曲 小坂 忠

主の御座から流れる 生ける水の川

今その流れの中で 

① めぐみ受けよ ②救い受けよ ③癒し受けよ

(おりかえし)

あふれて、流れて いのちを与える

全てのものが生きる いのちの水の川

二〇二〇年一一月一日 第四九巻 第四四号

礼 拝 順 序     

前  奏  一六八 ハレルヤと歌え

招  詞  マタイ六・一九~二四

頌  栄  六〇

賛  美  命の水 (ワーシップ)

交 読 文  八 詩篇二四(八三四~八三五頁)

公同祈祷           

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷           

賛  美  一〇二 主は命を

聖  書  マルコ一〇・一七~三一

メッセージ 「人にはできないが  神にはできる」  竹田広志牧師

祈  祷

賛  美  二〇一 イエスはわがいのち

頌  栄  六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

(祈りの時 三八四 主よ御手もて)


【説教全文】

「人にはできないが、神にはできる」 -永遠の命を得るために- マルコ10:17~31

(並行個所 マタイ19:16~30、ルカ18:18~30)

聖書協会共同訳の見出しは、「金持ちの男」。

本日の箇所は、並行箇所を読んで比較してみることで、違った角度からこの出来事が良く見えてきます。

聖書は、救いの道・(永遠の)命への道を示しています(ヨハネ20:30~31)。

命にまさるものはありません。死に定められた私たちが、どのようにして死の解決を得ることができるのか。救い(よみがえりの命、永遠の命)は神によるものであって、人が何かをして獲得するのではありません。本日の箇所で、そのことをイエスはひとりの青年に、又、弟子たちに、そして私たちに教えておられます。

イエスのもとに、ひとりの人が尋ねて来ました。

著者によっては、ひとりの人(マルコ)、ひとりの青年(マタイ)、ひとりの役人(ルカ)、となっています。

彼は、意気揚々と自信にあふれてイエスを訪ねて来ました。若くして、地位があり、非常に裕福で、道徳的にも非常にすぐれ、満足した生活を送ってきたと思われる青年です。イエスと同じ位の年齢であったかも知れません。とても礼儀正しい好青年。イエスの弟子になったら、きっと素晴らしい働きをするにちがいない人物であったかも知れません。

青年はイエスに言います。あなたの教えは素晴らしい、あなたは「尊い」「善い」先生です、と。

(そのようにイエスに言う彼も、彼なりに自信があったのだと思います。)

するとイエスは、「尊いお方は神以外におられない」と言われます。それはどういう意味でしょうか。

イエスは御自身が「尊い」と人から言われることを否定されます。

それは、神に目を向けさせるためであり、すなわち、自分の「良さ」ではなく、神の「良さ」「尊さ」に目を向けさせるためです。他人に褒められた時は注意しましょう。いつも私たちは、「良い」お方、すなわち神に隣人の目を向けさせるべきです。 *礼拝の後に「わたしはただの人間です」と宣言した牧師。

栄光は神に。それがイエスの生涯であり、イエスに従う者の歩みです。

青年の質問

「何をすれば永遠の命を得ることができるでしょうか」。永遠の命を得る、救われるためには何をすればよいのか、という問いです。

「永遠の命を得る」ことは、ユダヤ人が求める最大の神の賜物であり、それは、「救いにあずかる」、「天国に入る」、「神に義と認められる」と同義語です。

日本では(日本に限らず)多くの人々には、それが素晴らしいものであることが今一つピンとこない。「永遠の命」を求める日本人はほとんどいない。いや、「永遠の命」は、迷信的な架空のものとして信じようとさえしない。多くの日本人が求め、手に入れたいと願うものは何でしょう。それは、健康、美貌、お金、おいしい物、高価な物、楽しい時間、便利な物、豊かな暮らし、良い仕事、知識、スキル、地位、名声、平和な家庭、等々です。永遠の命、罪からの救い、神に義とされること、救われること、ではありません。

イエスのことばに耳を傾けましょう。「人がたとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう」(マタイ16:26)。

この青年は、良い行い(聖書の律法を守ること)によって、永遠の命が得ることができると考えていました。

まず、イエスは青年に「良い方は神おひとりです。戒めを守りなさい」(マタイ)と言われます。そして、モーセの10戒の後半6戒を青年に告げます。

すると、殺したこともない、盗んだこともない、偽証をしたこともない、父と母を敬っている、むさぼったこともない(隣人を愛している(マタイ)、と考えたこの青年は「小さい時からみな守っています」と答えます。その上で、他に何か欠けているもの、足りないものはあるでしょうか(マタイ)とイエスに尋ねます。あなたには欠けたところがない、と言ってもらいたかったのでしょうか。立派な青年です。

イエスは青年を好感のまなざしで見つめ、いつくしんで言われます。「完全になりたいなら(欠けているところを満たしたいと思うなら)、持ち物をみな売り払い、貧しい人々に与えなさい。そうすれば、天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい」。イエスから「わたしについて来なさい」」と直接声を掛けられるとは何と幸いな人でしょう。

しかし、今まで意気揚揚としていた青年の顔は、みるみるうちに曇っていきます。青年は悲しみながらイエスの許を去って行きました。何故か。「なぜなら、この人は多くの財産をもっていたからである」と記されています(:22)。青年が「貧しい者」(おさなごの心を持つ者)であったら、イエスのことばに従っていたかも知れません。

「全てを捨てて、主イエスに従いなさい」という命令は、どれほどに高いハードルでしょうか。誰がその命令に応えることができるでしょうか。しかし、イエスに従うことこそが、永遠の命を得る唯一の道です。

なぜイエスはこのようなことを、この青年に求められたのでしょう。

人はたくさんの物を持ちすぎていて、大事なものが埋没してしまっています。

今はものの豊かさ=人の豊かさという時代にあります。確かに富も神様の祝福ではあります。益々、神があなたの経済をも祝福して下さるように願います。

しかし、ものの豊かさは常に人の心を曇らせます。それは、ものの豊かさによって人が天の豊かさを求めなくなってしまうからです。神と富とに兼ね仕えることはできません。 *内村鑑三 「後世への最大の遺産」

何かをして人は救いを得るのではありません。イエスが私の救いのために、私の罪を背負って十字架で死んでくださり、私たちの死に対する勝利を与えるために三日目によみがえってくださいました。イエスが私のために、命を捨てて救いを成し遂げて下さったゆえに、私たちは神からの救いを得るのです。

「金持ちが天国に入るのは、らくだが針の穴を通るより難しい」とイエスは言われます。誰が救われることができるのでしょう。どれだけ努力して、どれだけ神の戒めを守って、正しく生きようとすれば人は救われるのでしょう。「人にはできません」「しかし、神にはできる」のです、万軍の主の熱心がこれを成し遂げられます(イザヤ9:7)。神が、イエスが私たちを愛し、救うことに熱心であられるゆえに、人は救いを得ることができます。

イエスの弟子ペテロは、弟子たちを代表して、「私たちは何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました」と言います。それを聞かれたイエスは、「わたしのために持っている物を捨てた者は、それを百倍になって受けます。そして、後の世では、永遠のいのちを受けます」、と答えられました。イエスを受け入れ(得)て、生涯イエスに従い、その結果受け取ることができるものが永遠の命です。

教会は永遠の命を受け取る場所です。そして、永遠の命とは、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」(ヨハネ14:6)と言われるイエスご自身です。

次の聖書の箇所も読みましょう。ヨハネ5:39、ヨハネ17:3。

御子イエスを信じる(受け入れる、受け取る、自分の人生に迎える)者は、ひとりも滅びないで永遠のいのちを得ます(ヨハネ3:16)。

先のものが後になり、後のものが先になる。「永遠の命を得る」ということにおいては、人の働きの多さは関係ありません。それは報酬ではなく、神の恵みだからです。


【消息・報告】

〇 会堂での礼拝を再開しています。ステップ二の動画による二部制礼拝を行っています。今後、第三波、急速な感染拡大が起こりましたら、自宅礼拝のみとなります。

会堂での礼拝参加は、積極的にお勧めするものではありません。会堂での礼拝に参加するか自宅で礼拝するかは、祈りつつ熟考してそれぞれが自己判断してください。会堂での礼拝、動画での自宅礼拝は並行して行ってまいります。

コロナ感染の収束のために、又、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにもお祈り下さい。

〇 今週一一月五日(木)から「のぞみカフェ」を再開します。予防対策を十分とりながら、二時~三時半とし、短縮して行います。 

〇 礼拝動画のインターネット配信は暫く続けます。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

「命の水」 作詞・作曲 Michiya Tanaka

ここに命の水があふれ流れる 

罪もけがれも洗い清められる

飢え渇く者全て満たされてゆく

命なき者全て花を咲かす

(おりかえし)

あなたがみなもと わが命、力、永遠{とこしえ}に

あなたがみなもと あふれ流れ 川となる

決して渇かない命の泉 信じる者みな生き返る

決して揺るがない命の泉 全て麗しく生き返る

二〇二〇年一〇月二五日 第四九巻 第四三号

礼 拝 順 序     

前  奏  三三四 朝静かに

招  詞  ルカ一〇・二一

頌  栄  六〇

賛  美  子どもの友は(子どもさんびか)

交 読 文  七 詩篇二三(八三四頁)

公同祈祷           

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷           

賛  美  旧聖歌 四九〇 我はおさなご

聖  書  マルコ一〇・一三~一六

メッセージ 「子どものように神の国を受け入れる」  竹田広志牧師

祈  祷

賛  美  五〇五 主われを愛す

頌  栄  六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

(祈りの時 三二二 主はまことのぶどうの木)


【説教全文】

「子どものように(神の国を受け入れる)」 マルコ10:13~16

(並行箇所:マタイ19:13~15、ルカ18:15~17)

イエスは子どもを愛し、祝福されるお方です。

教会は子どもを愛し、受け入れ、祝福する。教会に子供が来ることはイエスの喜びです。

「高齢の者から、幼子に至るまで」教会に集う者たちが神によって祝福されますように。

子供たちにさわっていただこうとして、それは、イエスから祝福を受けるために、人々が子供たちを連れて来た。

* 日本では、お相撲さんに触ってもらって、赤ちゃんがお相撲さんのように健康で元気に育つようにというものがある。

しかし、イエスのみもとに来るのを妨げるイエスの弟子たち。彼らは忙しい主を、子どもの事で煩わせたくないと考えたのでしょうか。「子どもだから」という軽視が、彼らの思いの中にあります。

これに対して、珍しくイエスは「憤られ」ます。イエス様も 怒るときにはお怒りになります。

「子供たちをわたしのところに来させなさい」(:14)。

イエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福されました。

* 一枚の絵を紹介します

その時イエスが言われた言葉を良く考えてみましょう。

「まことに、あなたがたに告げます」(イエスが大事な事を話す前によく言われるフレーズ)。(良く聞いて、心に留めて置きなさい、の意)

「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません」(:15)。

1、子どものように

私たちが子供から学ぶものとは何でしょうか。大人になると無くなってしまう、子供の時に持っていた性質とは何でしょうか。

子どもは、知識も財も何も持たず、ただ受ける者(謙遜にならくても、謙虚な立場にある者)です。

教えられたら、そのまま信じる力があります。これには良い面と悪い面とがありますが、こと、聖書の約束を信じることと、イエスを信じることにおいては、最大の信仰者となります。信じて疑うことのない純粋な信仰には世の知識、常識、慣習などが混じっていません。単純で一点も疑うことがない信仰です。自分の知恵や、立場、誇りというものがありません。

子どもはおおよそ、素直な存在です。

* バイブルキャンプで招きをすると、子供たちは皆「イエスを信じます」と手を上げます。しかし、大人に問うと、多くの人は手を上げません。

福音を信じる決断を人々に促す時に、「ただ、聖書の福音を、イエス・キリストを信じるだけで良いのです」と勧めますと、牧師さん、信じることが難しいのです、と言われます。確かにイエスの全生涯は知識や常識では信じられないようなこと、現代良く使われる「科学的には」理解できないことが多くあります。大人にとっては「ただ信じる」ということが難しい。しかし、子どもにとっては容易いことです。そういう性質を有する子どものように「神の国を受け入れる」ことは、イエスが求めておられる信仰と言えます。

素直 →(その反対は)頑な。子供は知識や経験がない無知な者、と否定的な表現がなされますが、彼らは真っ白で、他の何かに染まっていません。真っ白な用紙には、何でも書き込むことができます。

* ルカ14:18~20 神の国の宴会の招待を何かと理由をつけて断る人々。

2、神の国を受け入れる

⦅神の国⦆を【受け入れる】=⦅イエス⦆を【信じる】

神の国を受け入れるとは、イエスを信じること、イエスをあなたの人生に受け入れる、お招きすることです。

「神の国」は英語ではKingdom of God、直訳すると「 神の王国」と言う意味です。すなわち、神が王として支配される国です。

それは私たちを愛し、良いまつりごと(政治)を行って下さる神の国です。

イエスをお招きした人生が神の国の人生であり、イエスを受け入れた人の心に神の国が到来します。

イエスは、イエスを受け入れた人の王の王、主の主として、導き、守り、養ってくださいます。

3、神の国に入る

 神の国に入ると、「神と共に生きる」人生がスタートします。教会において(また、家庭においても)礼拝を献げ、聖書・祈り・賛美・クリスチャンの兄弟姉妹との交わりを通して、神と交わり、神を深く知っていきます。神を賛美し、神に祈り、感謝をささげる人生に変わります。その道は、やがて聖書に約束されている天国に続いています。

私達はこのように、この朝、礼拝を献げています。

礼拝には、壮年、婦人、年配の者、若者、そして子供たち、幼子と様々な年代の者が集っています。それが礼拝の場にふさわしいあり方です。なぜなら、イエスは全ての人を、ご自身の許に招いておられるからです。ここは、イエスが招いて下さっている場であり、イエスが祝福して下さっている場です。

「クリスチャンでない者が、礼拝に出席していいのでしょうか」とお聞きになる方がおられます。イエスは喜んで迎えて下さいます。

「外国人ですが、肌の色が違いますが、この教会に参加していいでしょうか。」イエスは喜んで迎えてくださいます。

「前科がありますが、とんでもない罪深い歩みをしてきましたが、私のような者は出席して良いでしょうか。」イエスは喜んで迎えて下さいます。

「子どもがぐずって迷惑かけるかも知れませんが・・・。」ちょっとぐずるのが止まるまで下の階で聞いてもらうことになるかも知れまんが、大歓迎です。

* 私が牧師になって2年目、会堂建築をする時、母子室はどうするかということについて話し合って、母子室は用意するが、母子室という形では造らない、ということに決めました。

主イエスは、全ての者を招いておられます。

神の国はどのような者のものなのか。 

「神の国(天国)はこのような者たちのものです」 イエスは、子供たちを前に置いて、彼らを模範に示され、この「子供たちのように」と話されました。

子どもたちのように、神の国を、この朝、受け入れましょう!

イエスが、あなたの人生に、これからの新しい一週間にも「神の国」を力強く与えて下さいます。


【消息・報告】

〇 会堂での礼拝を再開しています。ステップ二の動画による会堂での二部制礼拝を行っています。一部、九時半~一〇時半、二部、一一時~一二時。班分けに従って礼拝に出席して下さい。班を変更したい場合は、役員まで申し出て下さい。今後、第三波、急速な感染拡大が起こりましたら、自宅礼拝のみとなります。

会堂での礼拝参加は、積極的にお勧めするものではありません。未だ不安な方々、自分自身の健康状態、家族に不安をかけたくない、職業柄仕事以外の集まりは避けたい等の理由で、会堂での礼拝に参加するか自宅で礼拝するかは、祈りつつ熟考してそれぞれが自己判断してください。会堂での礼拝、動画での自宅礼拝は並行して行ってまいります。

コロナ感染の収束のために、又、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにもお祈り下さい。

〇 礼拝動画のインターネット配信は暫く続けます。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

「子どもの友は」(子どもさんびか)gospel rhythm

1 子供の友はどなたどなた 子供の好きなイエス様よ

(おりかえし)

ホサナと歌え ホサナと歌え

子どもの好きなイエスさまを

2 子供の王はどなた どなた 子供を守るイエス様よ

3 子供の神はどなた どなた 子供を救うイエス様よ

二〇二〇年一〇月一八日 第四九巻 第四二号

礼 拝 順 序     

前  奏  三三四 朝静かに

招  詞  創世記一・二六~二七

頌  栄  六〇

賛  美  静まって知れ

交 読 文  六 詩篇二二(八三三~八三四頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷          

賛  美  二一一 天なる喜び

聖  書  マルコ一〇・一~一二

メッセージ 「神によって結ばれる関係」  竹田広志牧師

祈  祷  

賛  美  二一六 ここに真の愛あり

頌  栄  六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

(祈りの時 一九九 主を仰ぎ見れば )


【説教全文】

「神によって結ばれる」 マルコ10:1~12  デリケートな課題ではあります。

(並行箇所:マタイ19:1~12)

離縁の課題を通して人間(私達)の根本問題に迫ります(離婚問題を考えていたら実は私の問題だった)。

結婚生活における愛し合うことの困難、赦しあうことの困難。夫婦は最も身近な人間関係の単位。愛の危機と訓練。

離縁・離婚は、聖書の時代のものではなく、今の私達の問題です。

日本では離婚率は3組に1組、35%前後です。成田離婚、結婚してすぐに離婚するカップルや、熟年離婚、晩年になって離婚するカップルもあります。世界で一位はロシア、次いでアメリカ、イギリスとなりますが、どこもキリスト教圏の国であり、アメリカでは2組に1組と言われています。

離婚は大きな社会問題でもありますが、そもそも、離婚はしていないものの、結婚生活において「離婚の危機」にあるものを考えれば、離婚は氷山の一角のようにも考えられます。

とすると、ここで、いかに結婚生活を維持していくことは困難であるかがわかります。

2000年前の主イエスの時代もそうでした。さかのぼってモーセの時代3600年前の時代もそうでした。

いつの時代にあっても、結婚生活の破綻は、人類にとっての課題です。

* 私が青年の時、クリスチャンキャンプで、結婚についてグループミィーティングを行っていた時に、ある牧師が「結婚は人生の墓場だ」と言っていたのを聞いて、「先生、本音としても、そんなことは言っては駄目ですよ」、とたしなめた事を思い起こします。

何ゆえに結婚生活は それほどに困難なのか。

イエスは「人の心のかたくなさのゆえに(:5)」、と言われています。そのメッセージを聞きましょう。

パリサイ人たちがイエスをためそうとして来て、イエスに質問しました。

パリサイ人、律法学者、当時の宗教的指導者たちは常にイエスに敵意を抱いていた人々です。

彼らは度々、イエスを試そうと質問しにやって来ました。

* 姦淫の女を連れてきて、この女を石で打ちましょうか、それとも赦しましょうか。ローマに税金を納めるべきでしょうか。律法で一番大切な戒めは何ですか。結婚とやもめを繰り返した女の、天国での夫は誰ですか、と問い詰めました。

しかし、イエスはことごとく、彼らの心を見抜かれて(イエスの言葉尻を捉えようとしている悪意に満ちた質問であることを知られて)、どれも見事に、巧みに答えておられます。どんな質問をしても、イエスが見事に答えられるその知恵のゆえに、イエスを試しにやって来る質問者はやがていなくなりました(マルコ12:34)。イエスの生涯には、このようにイエスに敵対するパリサイ人・律法学者の存在の構図があります。

1、あなたがたの心がかたくななので(:1~5)

「夫が妻を離別することは赦されるか」(:2) 

「モーセは何と命じていますか」(:3)

「モーセは離縁状を書いて妻を離別することを赦しました」(:4) 申命記24:1~4

離縁状を書けば、妻と離別できます、という律法による彼らの回答です。

するとイエスは「モーセは、あなたがたの心がかたくななので、この命令をあなたがたに書いたのです」(:5)と言われます。

* 今日の離婚の課題と、聖書の教えを調べてみると、旧約聖書の教えの中に、夫が妻に離縁状を書いてとはありますが、妻が夫に離縁状を書いてというのは見当たりません。妻の恥ずべきことを発見し、気に入らなくなった場合に、と非常に男性本位の戒めです。一方的に夫が妻を離別できるという教えです。

聖書の教えの背景に、妻や子供は、男性の所有のように考えられていました。昔の日本も女性や子供の人権は希薄なものでありました。

「心がかたくな」とはどんな心でしょう。それは、赦し合えない、理解し合えない、愛し合えない心です。このどれか一つでも残っていたならば、離縁する必要はありません。

律法とは、本来何のためのものでしょうか。

「目には目を、歯には歯を」(出エジプト21:24)という戒めは復讐を行えるという律法ではなく、復讐をとどめるための律法です。「償わなければならない」という戒めであり、常に神の愛から出ています。

この離縁状の戒めの意味も、女性を保護するための律法です。本来、姦淫の罪は旧約の時代のユダヤでは、死罪にあたります。大昔の聖書の時代、男性社会の中で、女性を保護する戒めです。女性の不貞を責めるものでもなく、赦免と自由を与える決断です。(旧約の時代は残念ながら、男性の問題については触れられることがない、一夫多妻制の時代でした。)

2、神のかたちに 神によって創造された男と女(:6~9)

イエスは創世記の創造についてのみことばを用いて、神が造られた男と女の原則について語られます。

「神は創造のはじめから 人を男と女に造られたのです」(:6、創世記1:27)。

「人がひとりでいるのは良くない。彼にふさわしい助け手を造ろう」。こうして、男(イシュ)と女(イシャ)が造られました(創世記2:18、23)。

結婚とは、父母を離れて、① 一心同体となる。ふたりがひとりになる。新しい家族 ② 神が結び合わせたものである ③ それが夫婦であり 結婚である  * 結婚カウンセリングで年間50組

神によって神のかたちに造られた、人の本来の神のかたちとは何か。

古典的神学的見解:自由意思(カルヴァン)、原義(ルター)、道徳的属性(ウエスレー)を示します。

現代の神学的見解:神のかたちとは、関係性を示します。

神との関係を持つ能力(p・ティリッヒ)、男と女(交わる能力)(k・バルト)、応答する能力、(e・ブルンナー) 

現代の神学者を代表する3つのB。 バルト、ブルンナー、ルドルフ・ブルトマン 

人には、人が罪ゆえに(その大半を)失ってしまっているけれども、交わる力、理解し合う力、愛し合い、いたわり合い、赦し合い、信じ合う力がある。

しかしながら、人の罪(かたくなさ)ゆえに、愛を結ぶこと、関係・交わりを保つことが極めて困難になっている。結論としては、「神が結び合わせてくださったものを、人は引き離してはならない」(:9)。

3、イエスの厳しい戒め(:10~12)

弟子たちはイエスに「この問題」について更なる回答を求めてもう一度尋ねます。それに対するイエスが語られることばは厳しいものです。離婚して他の異性と結ばれるなら、それは姦淫と同じ行為です。

「離婚してはならない」(第一コリント7:10~11)は大前提です。異邦人に向けてパウロは女性にも男性にも厳しい。

しかし、私たちはそのような神の戒めに従うことのできない、人は自らを律することができない現実があります。

性格の不一致。子供を大事にしない。夫や妻の浮気。夫や妻の実家と折り合いが悪い。モラルのない言葉や態度。生理的に受け付けない。夫や妻の浪費癖、借金、暴力、DV、等。

私も離婚したほうがいいのではないかと思う場合も数多くあります。人と人との不一致は尽きません。

イエスの戒めは、いつもモーセの律法よりも厳しいものです。

イエスは人に完全を求められるお方です。「あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい」(マタイ5:48)。

私たちは主イエスのもとに行き、パリサイ人・律法学者だけでなく私達も同様にかたくなな罪人(赦し合えない、理解し合えない、愛し合えない者)であることを認め、そして、その罪人である私のために十字架で命を捨てて下さった主イエスの十字架を見上げる者でありたい。

夫も妻も、全ての人にとっても、人との関係の回復は、ただひとりの神と人との仲保者であられる、救い主、キリスト・イエスにあります。

* イエスの十字架は縦の木が「神と人」との関係の回復、横の木が「人と人」との関係の回復です。


【消息・報告】

〇 会堂での礼拝を再開しています。ステップ二の動画による会堂での二部制礼拝を行います。一部、九時半~一〇時半、二部、一一時~一二時で行います。班分けに従って礼拝に出席して下さい。班を変更したい場合は、役員まで申し出て下さい。今後、第三波、急速な感染拡大が起こりましたら、自宅礼拝のみとなります。

会堂での礼拝参加は、積極的にお勧めするものではありません。未だ不安な方々、自分自身の健康状態、家族に不安をかけたくない、職業柄仕事以外の集まりは避けたい等、会堂での礼拝に参加するか自宅で礼拝するかは、祈りつつ熟考してそれぞれが自己判断してください。会堂での礼拝、動画での自宅礼拝は並行して行ってまいります。

コロナ感染の収束のために、又、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにもお祈り下さい。

〇 礼拝動画のインターネット配信は暫く続けます。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【本日のワーシップ】

「静まって知れ」   作詞・作曲 Reuben Morgan

1、みつばさの陰に隠し 力あるみ腕の中に

さかまく大海を越え 主と共にはばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

2、キリストの中に憩い 信頼と主の力知る

いかずち鳴り渡る中 主と共にはばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

二〇二〇年一〇月一一日 第四九巻 第四一号

礼 拝 順 序     

前  奏  三〇三 安かれ、わが心よ

招  詞  エペソ二・八~一〇

頌  栄  六〇

賛  美  夜も昼も

交 読 文  五 詩篇一九(八三二~八三三頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷          

賛  美  五 み使いよ伏して

聖  書  ローマ一・一八~三二

メッセージ 「私たちは神の作品」 竹田広志牧師

祈  祷  

賛  美  一八 おお御神をほめまつれ

頌  栄  六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

(祈りの時 二〇九 慈しみ深き )


【説教全文】

「私たちは神の作品 (神を神としてあがめ、感謝せよ)」ローマ1:18~32

人間は、猿の子孫か、神に造られた者か。

聖書は、万物が、宇宙も太陽・月・地球も、また、地上の全ての生物、動植物・魚・鳥、そして人間も、神によって造られたと教えています。全ては神の作品であり、私たちも神の作品です。世界は神によって造られました。

私たちは大自然を見て、神の創造の素晴らしさを感じます。

聖書は、神が造られた作品の中で、人を特別に、神のかたちに、神に似せて造られたと教えています。神の造られた全てのものは素晴らしく良いものでしたが、中でも、人は極めて良いものでした。

* 人は猿の子孫ではなく、また、生物として突然沸いて出て進化して存在しているものではない。聖書が示しているように、人は神によって造られたものであるという自己認識は、「生きる意味・目的」を感じて生きるために、人生にとても重要です。なぜなら、造られたものには造られた目的があるからです。人の尊さの基盤となるからです。

しかし、自分自身を見、周りの人を見る時、人は神が造られた極めて良いものでしょうか。

人は素晴らしい、人の歩み(歴史)は素晴らしい、と胸を張って心から言えるでしょうか。

胸を張って言えないとしたら、人の、私の何が問題なのでしょうか。

今日の聖書箇所のローマ人への手紙1:18~3:20は「人間の罪」がテーマになっています。

罪とは何なのか。

人間の罪についての説明1:18~3:20の区分 


人間の罪(1:18~2:16)ユダヤ人の罪(2:17~3:8)人間の罪(3:9~3:20)

聖書では、ユダヤ人以外の人を異邦人と呼んでいます。

啓示: Q どうすれれば私達人間は神を知ることができるか

    A 神がご自身を私達に現して下さったときに私達は神を知ることができる

神は啓示の神であられる 世界を創造された神は、この世界にご自身を豊かに現したもう神です。

旧約の時代

神は異邦人にもユダヤ人にも、自然、歴史(出来事)、人を通して、語りかけられました。⇒一般啓示

ユダヤ人には、直接神が語りかけられました。また、聖書を通して語られました。⇒特殊啓示(特別啓示)

ユダヤ人は神に直接語りかけられた者として、それを異邦人に知らせる使命がありました。

新約の時代(今)

ユダヤ人にも異邦人(私たち)にも、〈一般啓示〉と共に、聖書を通し、イエス・キリストを通して神が人に語って下さっています〈特殊啓示〉(特別啓示)。

神は、創造と摂理の御業によってご自身を現されます。自然を造り、人間を造り、歴史を支配されて。神をはっきりと認めるには至っていませんが、聖書は「神の本性は、はっきりと認められる。弁解の余地はない」と告げています(:20)。

「人間の不敬虔と不正(不義)に対して、神の怒りは天から啓示されている」(:18)

世界を創造された神は、造られた人間の罪に対して無関心なお方ではない。罪に対して罰と裁きを下す、怒りの神です。

人間の罪に対する神の怒りは、自然と歴史を通して絶えず示し続けられている。(例:ノアの洪水、聖書に預言されている終末「世の終わり」)

*黙示録を講解説教している時、「世の終わりについて聞いていると恐ろしくなり、気分が悪くなってきた」、と言われた方がいます。「飢饉があり、地震があり、疫病があり、戦争があり、愛が冷め、偽預言者が現れ…天変地異が起こり…」。 私達は罪に対する神の怒りを侮る者であってはならない。 但し、十字架の故に恐れる必要はないが…。

神に対して不敬虔

偶像礼拝の罪(:21~23)

私達には宗教心というものがある。しかし、生きておられる神を捨てて、死んでいる偶像を礼拝している。万物を造られた神をではなく、人が作った、それぞれに都合の良い神(偶像)を拝んでいる。今や世界中の人々が作られた像を拝んでいる。十戒の最初の2つ、「わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」「自分のために、偶像を造ってはならない。」(出エジプト20:3、4)に背いている。

この罪こそが罪の根源であり、これを守らない者は、神に対して不敬虔な者です。

神に対する不敬虔が、罪(ハマルティア)であり、すなわち、的外れな人生 曲がった、方向違いの、迷い出た、本質からはずれた罪の人間の姿なのです。

それぞれの作られたものには、作られたものとしての役割がある。その付加価値がどんなに高価であっても、それ自体は何の役にも立たない。* ある人が死のうとして腕時計が壊れている事に気づいた。時計は作った人に持って行けば直せるが、人はどこに行けば治されるのだろうか。 (聖書は人間のトリセツ「取扱説明書」であると言える。)

神は人をどのように造られたのか。

① 神を愛し、礼拝する者として ② 隣人、世界を愛する者として そして③(自分を愛する者として)

が人の最大の使命・役割である。

* 私達が真の神をほめたたえる時、私達は 人間の本分を十分に機能させて本来の目的を果たしている、という充実感と根源的な喜びを味わうことが出来る。「人は神によってしか埋められない空洞がある」と言われるが、神を賛美する時に神に造られた人としての満足感がある。 

人に対しての不正・不義(何が正しいこと、または、正しくないことなのか)

「欲望のままに生きる」という罪がある(:24)。しかし、他方で、正しく生きようとする良心がある。

人の生きる基準は、あえて正しいか正しくないかではなく、自分にとって心地良いか良くないか、もうかるかもうからないか、得か損か、自己実現できるか出来ないか、楽かしんどいか、楽しいか楽しくないか、便利か不便か、美しいか醜いか…ではないでしょうか。(一年を始める時の願いに、正しく生きることを目標とする人は少ないのでは?)そのような基準の連続で、良心は鈍り、腐って行きます。どんなに成功したと言われる人も然り。

「神について知りうることは、神が明らかにされた。神の本性は、被造物によって知られる」(:19~20)

異邦人には直接神がご自身をお示しになることが無いにしても、「しかし、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、その思いは虚しくなり、その無知な心は暗くなった」(:21)。

かつての私たちも神を神としてあがめず、感謝もしなかった罪深い者でした。

ところが、ユダヤ人も異邦人も、神を神としてあがめ、感謝を捧げ、その思いは喜びに溢れ、その心は神のみ光りにより明るくなったのです。その恵みは、キリスト・イエスによって与えられたのです。

私達は、自分の内にある罪、他者に対する様々な罪(:29~31)を悔い改めると共に、神を神としてあがめず、感謝もしなかった者である事を、神の前に深く悔い改めなければなりません。

そして、そんな罪深い者の罪を赦し、人として回復するために、主イエス・キリストが十字架でその罪を背負い、命を捨ててくださったことを覚えなければなりません。私達が、神を神としてあがめ、心から神に感謝を捧げる人生を送れるように、キリストが私たちを愛し、罪から救うために、十字架の上で、神の怒りを受けて下さいました。


【消息・報告】

〇 先週一〇月四日、役員会を行いました。役員会報告書を良くご覧くださり、コロナ制限の中にありますが、今後の教会の働きに共に取り組みましょう。

〇 会堂での礼拝を再開しています。ステップ二の動画による会堂での二部制礼拝を行います。一部、九時半~一〇時半、二部、一一時~一二時で行います。班分けに従って礼拝に出席して下さい。班を変更したい場合は、役員まで申し出て下さい。今後、第三波、急速な感染拡大が起こりましたら、自宅礼拝のみとなります。

会堂での礼拝参加は、積極的にお勧めするものではありません。未だ不安な方々、自分自身の健康状態、家族に不安をかけたくない、職業柄仕事以外の集まりは避けたい等、会堂での礼拝に参加するか自宅で礼拝するかは、祈りつつ熟考してそれぞれが自己判断してください。会堂での礼拝、動画での自宅礼拝は並行して行ってまいります。

コロナ感染の収束のために、又、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにもお祈り下さい。

〇 礼拝動画のインターネット配信は暫く続けます。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【本日のワーシップ】

「夜も昼も」   作詞・作曲 Rebecca Hwang

わが希望の主 主を見上げます

また来るわが王イエス 主を待ち望む

夜も昼も 昨日も今日も永遠(とわ)に主をたたえ

つらい時も 倒れる時でも いつも主をほめ歌う

二〇二〇年一〇月 四日 第四九巻 第四〇号

礼 拝 順 序     

前  奏  一六九 心を尽くして

招  詞  マタイ五・七~九

頌  栄  六〇

賛  美  注ぎたまえ主よ

交 読 文  四 詩篇一八(八三〇~八三一頁)

公同祈祷           

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷           

賛  美  二九〇 「野の花を見よ」と

聖  書  マルコ九・三八~五〇

メッセージ 「寛容・自由・平和」 竹田広志牧師

祈  祷  

賛  美  三七五 全き平和

頌  栄  六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

(祈りの時 四八五 小さい羊が )


【説教全文】

「寛容・自由・平和」 マルコ9:38~50

(並行箇所:ルカ9:49~50)(並行箇所:マタイ18:6~9、ルカ17:1~2)

本日はこの聖書の箇所から3つの勧告を読みます。

イエスの説教は、確かに先の記事と連続して同じ場所で語られています。しかし、イエス語録集のようなものがあって、(関連性のある)短い内容のイエスのことばが連続して語られているように表現されているという立場で見る学者たちもいます。

① 9:38~41  イエスの寛容とは何か  (並行箇所:ルカ9:49~50)

聖書協会共同訳聖書の見出し「逆らわない者は味方」 

イエスの弟子ヨハネは、自分たちの仲間でない者がイエスの名によって悪霊を追い出しているのを見て、やめさせた、とイエスに言いました。他の弟子たちも、イエスの働きは自分たちだけに託されていて、イエスに従わない者はすべきでない、と思っていたのでしょう。しかし、イエスは「やめさせてはならない」と言われます。イエスに従わない者がイエスの名によって悪霊を追い出すというのも不思議な話ですが、イエスは神の働きに参加する者は味方である、と言われます。「広い心を持ちなさい。間違った仲間意識は時に争いをもたらします。わたしたちに反対しない者は、わたしたちの仲間です」と。

ともすると、教会では信者と未信者を、クリスチャンとそうでない人を区別します。秩序は必要ですが、教会の奉仕はクリスチャンだけがするものだと考える人が多いようです。しかし、キリスト者でなくても、神の働きに加わる者に神は報いて下さいます。

* 例えば、東京仲良し教会はユニークな教会で、もちろん教会員の方々は良く教会の奉仕をしますが、多くのクリスチャンでない方々も奉仕をします。駅前や公園で一緒にトラクト配布をします。食材を運び、食事作りと配給の働きをしてくれます。良く新しい方々を誘って教会に来られます。その中のある方から、「私はクリスチャンではないですが、私達は教会の役に立って、神様は喜んで下さっていますか」と尋ねられた事があります。勿論神様は喜んで下さり、彼らに報いて下さいます。

* また、クリスチャン以外の人が青年のワーシップの奏楽者に加わったり、聖歌隊に加わったりすると、時に、「信仰のない人が本当に神様を賛美できるはずがありません。彼らを入れるべきではない」と言うクリスチャンの方がおられます。しかし、イエスは「やめさせてはならない」と言われます。彼らは決して神様からの報いを失う事はありません。

教会の働きに、クリスチャン以外の人が参加することについて。又、クリスチャンだけが神の働きをするのに相応しいと考える特権意識と、排他的な聖について。

クリスチャンの間違った仲間意識に注意しなければなりません。ユダヤ人が全世界の祝福の基とならずに、人々を祝福から締め出した失敗があります。確かに世の人々に迎合したり、妥協したりはいけないと思います。繰り返し言いますが、教会の秩序は必要です。聖餐(パンとぶどう酒)に与かるのは洗礼を受けたクリスチャンのみです(勿論イエスは全ての人が救われて、聖餐に与かることを願っておられます)。しかし、クリスチャンが、何か特権意識を持っていたとするならば、このイエスのことばに耳を傾けるべきです。

② 9:42~48  イエスの自由とは何か (並行箇所:マタイ18:6~9、ルカ17:1~2)

私たちはキリストにあって自由です。何をしても、どこへ行っても、何を見ても自由です。何を食べようが、何を飲もうが、どこへ出かけようが、何を見ても自由です(もちろん法律で禁じられていることは別ですが)。誰かから、誰かの価値観によって責められるものでもありません。しかし、人につまずきを与えないことは私たちの重要課題です。誰もゲヘナ(滅び、地獄)に落ちてはなりません。たとえ、手・足・目を犠牲にしても(3つとも同様の表現で言われている)滅んではなりません。ゲヘナ(地獄)では彼らを喰らう「うじ」は尽きることがなく、その火は消えることがない、とイエスは言われます(:48)。神の国に入るのは、どんなに大切に思えるものをも投げ捨てても得るべき最も価値あるものです。

人をつまずかせないために選ぶ自由

* 私が礼拝でスーツを夏でも着る理由。酒もたばこもたしまない理由。困った人に一度援助をする理由。それは、自分の好きなものを持ったり、食べたり、自分の好きなことをするのが自由ではなく、自分の自由を、隣人をつまずかせないために、愛のために、「捨てる自由」が私にあるからです。自由とは本来縛られていないことです。自分の欲求・自分の価値観と、隣人をつまずかせないこととを秤(はかり)に掛け、隣人をつまずかせない自由を選択しましょう。「自分を捨て、自分の十字架を負ってわたしに従って来なさい」というみことばがあります。

③ 9:49~50  イエスの平和とは何か

「人は皆、火で塩気を付けられなければならない」とイエスは言われます。

火は、聖霊を意味します。聖霊は私たちをきよめます。

塩には、腐敗を防ぐもの、きよめるもの、又、味付けをするもの、和合・平和の意味があります。

自分自身の内に塩気を保つことと、隣人・社会に向けて塩気を保つことです。

塩にしか、塩の働きはできません。又、キリスト者にしか、キリストの愛を隣人に示すことはできません。キリスト者にしかできない効き目、働きがあります。それは、キリストを、キリストの愛を知らせることです。

キリストを宣教することは、和らぎ(平和・平安)を与え、罪の赦しときよめを与えます。

「塩に塩味がなくなったら、何によって塩気をつけることができるでしょう。」(:50)

キリスト者に、キリストがなくなって、誰がキリストを伝えられるでしょう。

自分自身の内に火で塩気を保つというのは、聖霊によって、まさに、キリスト者が内にキリストを迎え入れる以外にはありません。

〈応答の祈り〉今日、私の心の王座にイエス様、あなたをお迎えします。今、聖霊を私に満たしてくださって、私の内にキリストがおられることを教えてください。キリストにある寛容、自由、平和を、私の人生に実現して下さい。


【消息・報告】

〇 本日から予防対策を十分取りながら、ステップ二の会堂での動画による二部制礼拝を再開します。第一部、九時半~一〇時半、第二部、一一時~一二時です。登録された時間帯に従って礼拝にご出席下さい。変更したい方は、役員まで申し出て下さい。今後、第三波、急速な感染拡大が起こった場合は全員が自宅礼拝となります。

会堂での礼拝参加は、積極的にお勧めするものではありません。未だ不安な方々、自分自身の健康状態から、または、家族に不安をかけたくない方、職業柄仕事以外の集まりは避けたい等のお考えの方は、会堂での礼拝に参加するか自宅で礼拝するかは、祈りつつ熟考してそれぞれが自己判断してください。会堂での礼拝と動画での自宅礼拝は並行して行ってまいります。

コロナ感染の収束のために、又、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにもお祈り下さい。

〇 礼拝動画のインターネット配信は暫く続けます。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

【本日のワーシップ】

「注ぎたまえ主よ」   作詞・作曲 Kim Bollinger

一、注ぎたまえ主よ 恵みと憐みを

天が開くため祈る 聖霊の力を

(おりかえし)

主の御霊よ触れたまえ 我が心に主の教会に

雨を降らせリバイバルを 

来たらせたまえ この地の上に

二、受ける価値なき我ら みまえに進み祈る

ああ 栄光のみわざ 見させたまえ

二〇二〇年九月二七日 第四九巻 第三九号

礼 拝 順 序     

前  奏  一九九 主を仰ぎ見れば

招  詞  ヨハネ一三・一四~一五

頌  栄  六〇

賛  美  夜も昼も

交 読 文  三 詩篇一六(八三〇頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷          

賛  美  三八二 心から願うのは

聖  書  マルコ九・三〇~三七

メッセージ 「イエスがそうされたように」 竹田広志牧師

祈  祷  

賛  美  三七三 主ひとり

頌  栄  六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

(祈りの時 三八四 主よ御手もて )


【 説教全文 】

「イエスがそうされたように」 マルコ9:30~37

(並行箇所:マタイ17:22~18:5、ルカ9:43~48)

(参照:マルコ8:31)

30~32節は、聖書協会共同訳の表題には、「再び自分の死と復活を予告する」とありますように、苦難と復活の二度目の予告であります。(一度目は8:31、ピリポカイザリヤでペテロの信仰告白の後。)ペテロの信仰告白を境として、以後、弟子たちが理解できない中にも、イエスの生涯が十字架に向かっていることがわかります。

「自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい」と言われたイエスのことばを心に留めましょう。

イエスは人目を避けて、ガリラヤを通ってカペナウムに向かわれます。イエスが苦難を受ける時はまだ来ていません。

33~37節は、同じく聖書協会共同訳の表題では、「いちばん偉い者」とあります。弟子たちは道々、誰が一番偉いかと論じ合っています。イエスが「何を論じ合っていたのか」と尋ねられると、彼らは自分たちのしていたことを恥じて黙ってしまいます。とかく人は評価されたい、偉くなりたいと願っています。この世の価値ある立場は、偉くなって、人の上に立つことです。

しかしイエスは、「だれでも人の先に立ちたいのなら、みなのしんがりとなり、仕える者となりなさい」、と言われます。

① しんがりとなりなさい

一番後ろの人とは誰でしょうか。

歩みの遅い者、小さい者、働きのない者、世間では後ろに追いやられる者、厄介者、未熟な者、弱い者ではないでしょうか。その更に後ろを歩き、その者を支えなさいと言われます。小さい者、弱い者を憐れまない指導者を、イエスは最も叱責されます。

* 行進、山登りの時に、一番足の速い、確実に体力のあるものが一番後ろとなります。

一番後ろから二番目でもいけない。一番うしろ。それは誰ひとり脱落しないためです。

この集団の目的は、早く目的地に到達することではなく、全員が到達することです。

イエスの言われる偉い人は 最後まで弱い者を支えます。私は支えます。イエスがそうされたように。

人は偉くなると、人に仕えてもらうことに慣れてしまいます。(誰が一番偉いかと論じ合っていた弟子たちのように。)

② 仕える者となりなさい  

「仕える者」=ディアコノス(ギリシア語)は、教会の執事・役員を示します。その本来の意味は仕える者です。「仕える者」は聖書の中では、給仕、足を洗う者、しもべや、卑しい仕事をする者が挙げられます。あえて最も人の嫌がる仕事をする者でありたいです。 *尾花晃牧師(横浜教会牧師) トイレ掃除を晩年までされた。

* 仕えられる者ではなく、仕える者になりなさい。洗足の記事(ヨハネ13章)を通し、手本を示されたイエスを見ます。私は仕えます。イエスがそうされたように。

人は偉くなると、小さい働きや、人の嫌がる働きをしなくなります。(足を洗う仕事を率先して引き受けなかった弟子たちのように。)

③ 受け入れなさい

イエスは幼子を真ん中に立たせ、抱き寄せて、「わたしの名のゆえに、このような幼子たちのひとりを受け入れる者は、わたしを受け入れるのです」と言われます。小さい者を受け入れるのは、わたしを受け入れること。又、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方(父なる神)を受け入れることです、とイエスは言われます。

幼子のように小さい者とは誰なのでしょうか。文字通り「赤ちゃん、幼児、子供」しかりです。教会は子供たちを大切にします。

ユダヤの社会では、特に憐みをかけるべき社会的弱者について三者を示しています。孤児、身寄りのない寡婦、在留異国人です(出エジプト22:21~22、エレミヤ7:6~7)。

* 旅人をもてなす(在留異国人、日本在住の外国人)。

イエスの時代にあっては、社会的弱者は、女性・子供、取税人・罪人・遊女、汚れた病といわれる病人。(又、別の意味ではユダヤ社会から拒絶されていた異邦人)

イエスはそのような人たちと交わりを持ち、食事をされました。(イエスは異邦人との交わりを拒絶はしておられませんが、神様のご計画の中にあって、避けておられます。)

受け入れるとは、人生を共に生きる者として歓迎する、迎えることを意味します。 *食事を共にする

私は受け入れます。主イエスがそうされたように。

人は偉くなると貧しい者や、身分の低い者との付き合いを避けます。(子供を追いやろうとした弟子たちのように)

何とイエスのなされたことは、この世の価値観と逆のものでしょうか。

しんがりとなることも、仕えることも、受け入れることも、簡単なことではありません。

時には、それが苦痛になることもあるかも知れません。 * ホームレスの人、刑務所から出てきた人

しかし、喜んでしんがりとなり、仕え、受け入れる道があります。イエスの歩まれた道であり、十字架の道です。イエスが私の為にそうされたのだから、私もそのように〈主に倣う者に〉されているのだから。

イエスの生涯を見、イエスの言われたおことばに従って行く時に、主と共に歩む喜びがあります。私の生き方ではなく、主の生き方があります。

「人の子が来たのが、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためである」(マタイ20:28)。それは、十字架の道です。

あなたにとって仕える人は誰でしょう。あなたにとって受け入れる人とは誰でしょう。

イエスは、道徳を教えているのではありません。少々謙遜そうな人になりなさい、というのではありません。神の愛を教えておられます。

イエスがしてくださった事に気づき、イエスに感謝し、イエスのように生きる。

さあ、あなたの番です。身近な人に仕え、自分の場所、囲いを出て、小さい者を受け入れましょう。

神を愛する者は、主にある兄弟を愛します(第一ヨハネ4:20~21)。


最後にマザー・テレサの言葉を読みます。

「あなたは、あなたであればいい」 マザー・テレサの言葉

人はしばしば不合理で、非論理的で、自己中心的です。それでも許しなさい。

人にやさしくすると、人はあなたに何か隠された動機があるはずだ、と非難するかもしれません。それでも人にやさしくしなさい。

成功をすると、不実な友と、本当の敵を得てしまうことでしょう。それでも成功しなさい。

正直で誠実であれば、人はあなたをだますかもしれません。それでも正直に誠実でいなさい。

歳月を費やして作り上げたものが、一晩で壊されてしまうことになるかもしれません。それでも作り続けなさい。

心を穏やかにし、幸福を見つけると、妬まれるかもしれません。それでも幸福でいなさい。

今日善い行いをしても、次の日には忘れられるでしょう。それでも善を行い続けなさい。

持っている一番いいものを分け与えても、決して十分ではないでしょう。それでも一番いいものを分け与えなさい。


【消息・報告】

〇 関東圏、千葉県、八千代市・佐倉市などの新型コロナ感染はまだ終息に至っていませんが、幸いに拡大にも向かっていません。一〇月から、これまでのように予防対策を十分取りながら、会堂での礼拝再開へ向けていきたいと思います。今後、第三波、コロナ感染が拡大に向かわなければ、次週からステップ2の動画による会堂での二部制礼拝を行いたいと思います。以前の通り、一部、九時半~一〇時半、二部、一一時~一二時で行います。

会堂での礼拝参加は、積極的にお勧めするものではありません。未だ不安な方々、自分自身の健康状態、家族に不安をかけたくない、職業柄仕事以外の集まりは避けたい等、会堂での礼拝に参加するか自宅で礼拝するかは、祈りつつ熟考してそれぞれが自己判断してください。会堂での礼拝、動画での自宅礼拝は並行して行ってまいります。

コロナ感染の収束のために、又、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにもお祈り下さい。

〇 礼拝動画のインターネット配信は暫く続けます。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

「夜も昼も」   作詞・作曲 Rebecca Hwang

わが希望の主 主を見上げます

また来るわが王イエス 主を待ち望む

夜も昼も 昨日も今日も永遠(とわ)に主をたたえ

つらい時も 倒れる時でも いつも主をほめ歌う

二〇二〇年九月二〇日 第四九巻 第三八号

礼 拝 順 序     

前  奏  三八二 心から願うのは

招  詞  イザヤ四一・一三~一四

頌  栄  六〇

賛  美  御腕に抱いて(ワーシップ)

交 読 文  二 詩篇八(八二九~八三〇頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷          

賛  美  二八五 心くじけて

聖  書  マルコ九・一四~二九

メッセージ 「信じます。不信仰な私をお助け下さい」 竹田広志牧師

祈  祷  

賛  美  三四 主よ汝が前をば

頌  栄  六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

(祈りの時 二三三 驚くばかりの )


【説教全文】

「信じます。不信仰な私をお助け下さい」マルコ9:14~29

(並行箇所 マタイ17:14~19 ルカ9:37~42)

山の上での「イエスの変貌」は3人の弟子たちにとって、素晴らしい出来事でした。まるで天国にいるような、そして、圧倒的な主の栄光のお姿を見た夢のような素晴らしい時間でした。しかし、山から降りてみれば、下の世界は一転して問題が山積していました。

私達も、教会で大いなる主の臨在と栄光に触れても、その場所から一歩外に出ると、そこはまさに、問題・課題が山積みの世界。そこにあるのは「不信仰との戦い」の場ではないでしょうか。

イエスが山から下りてみると、弟子たちが律法学者たちと論じ合っていました。そのまわりを群衆が囲んでいました。何を論じ合っていたのでしょうか。

「おしの霊」に憑かれて、倒れて泡を吹き、歯ぎしりしてからだをこわばらせる子供をイエスのもとへ連れて来た父親。しかし、イエスは不在でした。癒しをいろいろ試しても、何もできない弟子たち。どうしていつものように治して、悪しき霊を追い出すことができないのか、焦りと落胆がありました。

一方、その弟子たちの様子を見て、ただ議論だけを仕掛けてくる律法学者たちがいました。

どちらも苦しむ人の前で無力な、イエスの弟子たちと律法学者たちでした。

そこにイエスが戻って来られました。

弟子たちも、群衆もイエスの戻って来られるのを心から待っていたことでしょう。

1、 弟子たちの不信仰

事情を聞いて、イエスは言われます、「ああ、不信仰な世だ」(:19)。何をイエスはがっかりされたのでしょう。イエスの言われる「不信仰」とは何でしょう。

弟子たちは、以前、イエスの権威をいただいて、村々、町々に派遣されて、病を癒し、悪霊を追い出し、神のみわざを行ってきました。以前に出来たことは、今もイエスが傍にいなくても自分たちに出来ると思っていました。ところが、何もできませんでした。そして果てには、子供と父親を置き去りにして、律法学者と論争していたのです。イエスはその様子をご覧になりました。

どうして弟子たちは子供を癒すことが出来なかったのでしょう。 

弟子たちは密かにイエスに質問します、「どうしてでしょう、私たちには追い出せなかったのですが」(:28)。この質問には、今回もできると思っていたのですが、という思いが含まれています。イエスは「この種のものは、祈り(と断食)によらなければ、何によっても追い出せるものではありません」(:29)と答えておられます。

「どうしてでしょう。病人に手を置いて祈ったのに病が癒されません。」「どうしてでしょう。イエスの名によって命じたのに、悪霊は出ていきません。」彼らに落胆と不信仰な思いが湧き上がっていました。

どうして出来ないのか。人には出来ないのです。全ての力は神にあり、人にはありません。

「祈り(と断食)によらなければ、何によっても・・・できるものではありません」。「何によっても」という言葉から、イエスの弟子たちがこの子供の解放のためにとった方法は、「祈り(と断食)以外の何か」であったことがわかります。そしてその何かとは、信仰によるものではなかったことがわかります。

「信仰でないもの(不信仰)」とは何でしょう。自分の知識、経験、自分に属するものではないでしょうか。人はどこまで行っても自分、自己中心です。自分を捨てることができません。神の働きは、自分で何かが出来ると思った瞬間から転落していきます。本当にそういう意味では「不信仰との闘い」は厳しいものです。

「祈りと断食による」とは、あなたは一切他の何かを頼みとせず、一心に神にのみ望みをおいて、神に願ったのですか、と問われる内容です。混ざりものの無い心です。ただ、主のみを信じたのか。

祈って癒される現実と、祈っても癒されてはいない現実が、私たちの目の前にあります。結果はすぐには出ないものでもあります。あるいは「あなたの信仰が足りないから癒されない、悪霊は出ていかない」と悪魔が訴えることがあります。この言葉にも、同じく神に信頼していない不信仰があります。私の何かが、私の信仰が不足しているから、などと、たとえ、私の信仰であっても、私の何かを拠り所とするのは実は不信仰なのです。人間の強い信仰の徳によって、病は癒されるのではありません。

では、信仰とはどのようなものなのでしょうか。私は虫に等しいものです。ただ、あなたに憐みを求めます。もちろん卑下することではありません。私たちは神の目に高価で尊い存在ですから。ただ、初心(何の経験も力も無くただ神に信頼する、我はおさなご、という意識)を忘れてはならない。神に奉げる働きは、慣れた後にできるものではない。説教もそう。賛美もそう。全ての奉仕がそう。その都度、毎回、毎回、主の助けを仰ぎつつ向かい、当たるべきものです。

2、父親の不信仰

父親は「もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助け下さい」(:22)とイエスに願います。体裁の良い言葉です。イエスの弟子たちにもできなかったので、無理は言えない。息子は幼い時から今まで治ることはなかった。それは難しく、たやすく治るとは考えられない。この父親は、目の前の厳しい現実にイエスを過小評価していたかも知れない。また、何の関係もなかったお方に虫のいいお願いをすることを謙遜して、そのようなかしこまった表現をしたのかも知れない。

これまで、マルコの福音書を読んできて、イエスに求めた人はどうだったでしょう。しばしば私達も取り繕った祈りを主にする。しかし、赤裸々に神に訴える祈りこそ真実であり、神の求めておられる祈りではないでしょうか。詩篇の歌しかり。心を神に注ぎ出し、人に向かった祈りではなく、神に向かった祈り。

イエスは言われます「できるものなら、と言うのですか。信じる者には、どんなこともできるのです」。

以前に、「恐れないで、ただ信じていなさい」(5:36)と、会堂司ヤイロに娘の死の知らせが届いた時、イエスが彼に向かって言われたことばが思い起こされます。

神には出来ないことは何もない。私たちはただイエスを信じておれば良いのです。世の人々はそれを愚かと言うかも知れない。しかし、イエスを信じる者は、イエスが救ってくださいます。

3、不信仰を認める信仰

するとすぐに、その子の父親は叫んで(体裁ではない。構わず)言います「信じます。不信仰な私をお助け下さい」(:34)。それでいいのです。

イエスは父親の信仰を引き出されます。そして、彼の不思議なイエスへの応答の言葉、「信じます。不信仰な私をお助け下さい」は、矛盾しているような告白です。人は、自分の不信仰を知ることによって、信仰という神の恵みを受けることができます。「信じます」は精一杯の告白です。そして「信仰のない私を助けてください」と言って自分自身の不信仰を認めるのです。これこそ、私たちのなすべき祈りではないでしょうか。自分の弱さ、不信仰を認めること。そこに神の力が働きます。神は、悔いた砕かれた心を、ご自身の憐みをもって受け入れて下さいます。(詩51:17)

自分にある何か、信念の堅さや、信心深さ、頑張りは信仰ではない。私は何も持っていない者、弱い者、不信仰の弱い者です。だから、私は祈ります。すべてはあなたから来るのです。強さではなく、弱さの中で私たちはイエスに出会い、そしてイエスから救いをいただくのです。

「信じます。不信仰な私をお助け下さい」(:24)と、主イエスに祈りをもって切に叫びましょう。


【消息・報告】

〇 明日は「敬老の日」、高齢者をお祝い致します。祝福該当者(八〇歳以上の方)には、竹田牧師直筆のみことばの短冊をお渡しします。

〇 関東圏、千葉県、八千代市・佐倉市などの新型コロナ感染拡大の動向を鑑みて、本日と次週の二七日の礼拝は自宅礼拝とします。このまま収束に向かえば、一〇月四日(日)からの礼拝は、ステップを踏まえて、会堂での礼拝を再開します。コロナ感染の収束のために、又、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにもお祈り下さい。

〇 礼拝動画のインターネット配信は暫く続けます。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

『御腕に抱いて』 (作詞・作曲 中山有太)

(おりかえし)

いま主よ わたしの心に触れて

あなたの御腕に抱いてください

全ての疲れた人よ、重荷、悩み負う人よ 

イエスの前に出て行こう 全てを今手放そう

(おりかえし)

あなたの愛に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから 

あなたの腕に飛び込みます。必ず受け止めてくれるから

(おりかえし)

二〇二〇年九月一三日 第四九巻 第三七号

礼 拝 順 序     

前  奏  二〇一 イエスは我がいのち

招  詞  マタイ五・一七~一八

頌  栄  六〇

賛  美  十字架の贖い(ワーシップ)

交 読 文  一 詩篇一(八二九頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷          

賛  美  二一 輝く日を仰ぐとき

聖  書  マルコ九・一~一三

メッセージ 「神の国が力をもって到来する」 竹田広志牧師

祈  祷  

賛  美  三六〇 まどいの雲消えて

頌  栄  六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

(祈りの時 一九一 慕いまつる主なるイエスよ )


【説教全文】

「神の国が力をもって到来する」マルコ9:1~13

(並行箇所:マタイ17:1~8 ルカ9:28~36)

本日の聖書箇所は、イエスが3人の弟子と山に登られ、その御姿が変わったという出来事についての、「変貌」という言葉の使われる記事です。聖書協会共同訳聖書の表題では、「イエスの姿が変わる」として、1節までが前章の記事の続きとし、2節から13節までの内容と区分しています。区分としてはそのようになりますが、本日は9章1節のみことばをテーマとして、13節までの内容を読んでいきたいと思います。

聖書は、イエスは天から下って来られた神のひとり子(神の御子)であり、人となられたお方であると証言しています。十字架の死に至るまで、神としてではなく、徹底的に人としてその生涯を歩まれたお方です。

私たちと同じようにお腹が空き、疲れ、打たれれば痛みがあり、血が流れます。「罪がない」という一点の外は私たちと全く同じ人間です。

しかし、ただ一度、イエスがその生涯で、神の栄光に輝ける本来の姿に戻られた出来事がマタイ、マルコ、ルカによる各福音書に記されています。それが本日の山の上での変貌の記事です。

「それから6日たって」とあります。「それから」とは、ペテロの信仰告白に続いて、イエスがご自身の苦難の道と復活について、あからさまに弟子たちに話され、「自分を捨て、自分の十字架を負ってわたしについて来なさい」と言われてから6日の後の出来事です。イエスの変貌の記事は、十字架と復活に向かわれることと深い関りがあります。

いよいよイエスの最大の使命である、私達のために新しい「救いの道」を開く、そのご計画に向かって進まれる時であります。

私達は何か大切な計画を実行するに当って、会議や話し合いをしたりします。もちろん、イエスは神の御子であられますから、誰か人に相談する必要はありません。しかし、人となられて 父なる神に従う人として、語る時を持たれました。

「神の国が力をもって到来する時」(:1)。「神の国の到来」、それは、神の大いなるご計画の、新しい時代の幕開けであります。神の国(Kingdom of God)については、「やがて来るべきもの、既に来ているもの」という表現が聖書の中にあります。 

日本や多くの国で使っています西暦は、BC(Before Christ)とAD(anno Domini「主の年の」の意味)によって歴史を二分しています。イエスが来られる前と、来られた後です。世界は変わりました。2020年という年号は、違った意味では世界が変わった日以来の年数、と考えることができるでしょう。イエスが来られて、新しい時代が来たのです。「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救いの日です」(第二コリント6:2)。

あなたは、あなたが生活している今の時をどのように見ていますか。「神の国が力をもって到来している」時だと知って生活していますか。

イエスは、ペテロとヨハネとヤコブだけを連れて高い山(ヘルモン山とタボル山のどちらか、不明)に登られました。十二弟子の中からこの3人を連れて、という記述は他にもあります。又、これまで何度も、神のみわざを公にされることを望まれず、誰にも話してはならないとイエスが言われたことがありました。

変貌の出来事

彼らの目の前で、イエスの御姿が変わり、その御衣の白さは光り輝くものでした。

ここには神本来の栄光(威光)、神の御子であるイエスの御姿があります。

イエスの描かれた聖画などには、頭の後ろに光輪のようなものが描かれているものがあります。

「神は光であって、神のうちには少しの暗いところもない」(第一ヨハネ1:5)。神の御性質は「光」です。

イエスと語り合う人たち

モーセ(律法の代表者)とエリヤ(預言者の代表者)がイエスと語り合います。モーセとエリヤは旧約聖書を示す代表者と言えます。イエスは、旧約聖書の律法と預言(者)の成就者(完成者)です。「わたしが来たのは、律法や預言者を廃棄するためにではなく、成就するために来たのです」(マタイ5:17)

旧約聖書=律法(トーラー)、預言者(ネビーム)、諸書(その他の書、ケトゥビーム)で構成されています。

律法と預言者の果たすべき役割について考えてみましょう。

「律法と預言者」に関するイエスのことば

「何事でも自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です」(マタイ7:12)

 「律法と預言者は(バプテスマの)ヨハネまでです。それ以来、神の国の福音は宣べ伝えられ、…」

(マタイ11:12~14、ルカ16:16~17)

「律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです」(マタイ22:40)

律法=神の戒め(契約) 預言者=神のみこころ(ご計画)・神のことばを民に伝える者

イエスが二人と語り合ったその内容は何であったでしょうか。ルカ9:31では、「エルサレムで遂げようとしておられるご最期について」と書かれています。それは、イエスの十字架と復活による新しい契約について、です。イエスの十字架と復活の出来事は、旧約聖書の律法と預言者の成就を意味します。

いよいよ十字架による、イエスの贖いの血による神の新しい契約が始まろうとしています。律法と預言者を遙かに超えた、力ある 新しい救いの道です。律法によっても、預言者によっても到達することのできなかった、完全なる「救い」と「救いの計画」です。イエスとモーセとエリヤの3人がどのような話をされたのかは記されてはいませんが、新しい契約による新しい時代、「神の国が力をもって到来する時」、それはどんな内容であったのでしょう。そして、ここで話し合われた内容、神のご計画「イエスの血による新しい契約」の中に当時から2000年後の私も、あなたも入れられているというのは何という驚くべきことでしょう。

父なる神の証言があります。(参照「これはわたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」1:11…洗礼の時の証言)

「これはわたしの愛する子。これに聞け(シェマー)」(:7)と言われます。

(すなわち)律法と預言者とは成就した。神の国は近づいた。これに従え。私の愛する子、イエスに聞け。十字架の道を共に歩め。その十字架の道は、あなたの唯一の救いの道なのだから。


【消息・報告】

〇 次週、敬老者祝福式を行う予定になっています。祝福該当者(八〇歳以上の方)には、竹田牧師直筆のみことばの短冊をお渡しします。お名前を教会の方々に配布する説教全文の中に記載致します。

〇 関東圏、千葉県、八千代市・佐倉市などの新型コロナ感染拡大の動向を鑑みて、本日の会堂に集まっての礼拝は中止とします。次週、二〇日(日)からの礼拝については、再度役員会で検討し、九月一七日(木)に決定し、教会員の皆様へご連絡致します。コロナ感染の収束のために、又、医療従事者、病院・施設・学校関係者のためにもお祈り下さい。

〇 礼拝動画のインターネット配信は暫く続けます。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

『十字架の贖い』 (作詞・作曲 長沢崇史)

キリストの血によって 回復が与えられ

主との壁取り壊された

キリストの愛からは 引き離すものはない

大胆に恵みの御座へ

(おりかえし)

十字架の贖い 我が罪のため

惜しまずささげた 小羊主イエス

二〇二〇年九月六日 第四九巻 第三六号

召天者記念礼拝順序   

前  奏  二八六 シャロンの花

招  詞  イザヤ二五・六~九

頌  栄  六〇

賛  美  二五七 キリストは生きておられる

交 読 文  五八 第一コリント一五

(八七四~八七五頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷          

賛  美  四七一 我聞けりかなたには

聖  書  第一コリント一五・五〇~五八

メッセージ 「死は勝利にのまれた」  竹田広志牧師

祈  祷  

賛  美  四六五 いつかは知らねど

頌  栄  六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

( 祈りの時  一九〇 静けき祈りの )


【説教全文】

「死は勝利にのまれた」 第一コリント15:50~58 (参照:イザヤ25:8)

勝田台教会での召天者記念礼拝は、私にとっても早いもので4回目となります。平常なら今年も例年通りこれまでの49年間の勝田台教会の歩みの中で、天に召された方々の写真を講壇前に置いて、おひとりおひとりの名前をお呼びして、ご遺族の方々と共に故人を偲ぶところですが、コロナ禍により、礼拝を動画で一般公開していますので、お名前を呼ぶことはしません。

しかし、やがて復活の日には、主イエスが名を呼んで、「起きなさい」と声を掛けて下さるでしょう。又、私たちもいつか、召天者記念礼拝で、自分の写真を置いていただき、名前を呼んでもらう日が来ることでしょう。その復活の日、イエスに名を呼んでいただける者は幸いです。

私たちの教団の墓地が八王子にあります。私は板橋教会在任中、毎年2回、教団の合同記念会に参加していました。板橋教会の多くの教会員がここに納骨されていたからでもあります。東京霊園にある教団の墓には「死は勝(かち)に呑まれたり」(第一コリント15:54)という聖書の言葉が刻まれています。いつもその墓標を見ながら、追悼、納骨の時を持ちました。いつか勝田台教会も、教団の合同記念会に参加したいと召天者記念の日を覚えて、願っています。

本日は召天者記念の日を覚えて、この第一コリント15章54節、「死は勝利にのまれた」というみことばを中心に、メッセージお取次ぎしたいと思います。

死は何歳だからということではなく、年老いた人にも、若い人にも、ある人には突然、ある人には長い闘病生活をしてやって来ます。私達の人生の最後は、例外なく、全ての人が「死」を迎えねばなりません。そして人類はいつもこの「死」に向き合ってきました。全ての人、誰もが避ける事のできないものです。

そして、それは私やあなたにとっても必ず向かい合うべき最期の課題であります。どんなに健康で頑丈な身体を持っていても、どんなに最先端の医療をもってしても、多少寿命は伸ばすことができたとしても、人は必ず死を迎えます。

「死」の前には人は無力であり、「死」は人の力の及ばない領域です。

東日本大震災の時には、多くの人々が当たり前の日常から「死」と向き合う時でもあったと思います。

「死」はまさに津波、川の氾濫のようなもので、いかに抗(あらが)おうとも、必ず私達の人生に追いつき、私達の人生の全てを呑み込んでしまう、そのようなものだと思います。

死ぬとどうなるのか。暗闇の中に入るのか。何も見えない、何も感じない。何もかも無くなってしまうのか。その先にある「闇」に、私達は恐れを抱く者たちであります。

本日、召天者記念礼拝において、私たちは共に希望のみことばを聞きましょう。

聖書は、キリスト者の「死」についてこう約束しています。

「終わりのラッパと共に、たちまち、一瞬のうちに変えられる」「死者は朽ちないものによみがえる」「朽ちるものは朽ちないものを着、死ぬものは不死を着る」「その時が来る!」

キリストの復活を根拠に、イエスを信じる私も、あなたも、みな一瞬のうちに変えられる時が来ます。それは、遠い未来ではない。そして、今日ここに開かれている聖書の約束のことばを、私たちは信じています。

私達は毎週礼拝で告白します。「身体のよみがえり、永遠の命を信ず」と。

「死は勝利にのまれた」。その時、死が私たちの人生を呑み込むのではない。キリストにある勝利が、死を呑み込んでしまうのだというのです。私たちには確かに、キリスト・イエスによって、その日が来ます。

イエス・キリストはこの救い、よみがえりの命、永遠のいのちを与えるために、この地上に来られました。

今の私たちにある寿命の尽きてしまう命ではなく、新しい命をイエスが下さいます。

よみがえりの命を、「死」に対する勝利を私たちに与えるために、キリストは死から復活されました。死に対してご自身が勝利されました。

神・キリストについて正しい知識を持たない人たち(:34)は言うでしょう。キリストがよみがえられたと言うが、それは2000年前に起こったイエスの奇跡のひとつ、不思議な出来事なのだろうか。そんな非常識なおとぎ話は私には信じられない。それが私に何の関係があるのか。

知ってください。

キリストの復活は、ここにいる私の人生に深い関係のある「死」、私の「死」に対する勝利なのです。

キリストの十字架は、ここにいる私の罪の赦しのためであり、キリストの復活は、ここにいる私の死に対する勝利のためであります。

キリストは私の救いのために、十字架で死んで、よみがえられました。

復活とはなんでしょうか。

復活は単に息を吹き返すのではない。朽ちないものによみがえるのであります。それは、罪とは無縁のからだです。決して死ぬことのない(死は罪に対する神のさばきであるから)からだによみがえります。

死に対する私たちの備え(終活)は、

多くの人々の願いは、苦しまないでぽっくり逝きたい、家族に囲まれて死にたい、畳の上で死にたい、自宅で死にたい、ひっそりと誰にも知られずに逝きたい、葬式代は準備しておきたい、というものでしょうか。しかし、苦しまないで死ぬこと、親しい者に囲まれて死ぬこと、穏やかに死を迎えることが決して死の解決ではありません。

人間に解決しなければならない二つの事があります。それは、死の問題と罪の問題です。

「彼の罪は取り除かれ、彼女の死の問題は解決している」

私達キリスト者の生涯が、総括して(葬儀の際など)そのように語られるものでありたいです。

* 昨年の11月に、K姉が召天されました。11月10日にT病院の病室で洗礼を受けられ、11月19日に天に召されました。聖書の約束の通りに、イエスに迎えられました。洗礼を受けられ、喜びに輝いておられた彼女の姿を忘れられません。

牧師生活31年間で、多くの方々を天国へお送りしました。

「ゆりかごから墓場まで」は、イギリスの社会福祉のスローガンです。しかし、キリスト教会のスローガンは、「ゆりかごから天国まで」であります。教会の使命は、キリストにある救いを手渡すこと、そして、しっかりと天の御国へと見送ることです。地上での信仰の生涯を走り抜き、天の御国の門を通るその時まで。

「死は勝利にのまれた」

知って下さい。それほど遠い未来ではない。私たちはその日、よみがえりの日、この御言葉がまさに私の上に成就したのを知ります。


【消息・報告】

〇 本日の礼拝は、召天者記念礼拝です。天国に凱旋された兄弟姉妹を覚え、私達も信仰者としての道のりを最後まで走り抜きましょう。

〇 関東圏、千葉県、八千代市・佐倉市などの新型コロナ感染拡大の動向を鑑みて、本日、九月六日、次週一三日、会堂で集まっての礼拝を中止と致します。九月二〇日(日)からの礼拝は、再度役員会で検討し、九月一七日(木)に決定し、教会員の皆様へご連絡致します。コロナ感染の収束の為に、又、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にもお祈り下さい。

〇 礼拝動画のインターネット配信は暫く続けます。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二〇年八月三〇日 第四九巻 第三五号

礼 拝 順 序    

前  奏  

招  詞  ピリピ二・五~九

頌  栄  六〇

賛  美  十字架の贖い(ワーシップ)

交 読 文  六〇 黙示録二一(八七七頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷          

賛  美  二二七 キリストの愛、我に迫れり

聖  書  マルコ八・二七~三八

メッセージ 「自分の十字架を負う」  竹田広志牧師

祈  祷  

賛  美  一〇五 栄えの冠を

頌  栄  六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告


【説教全運】

「自分の十字架を負う」 マルコ8:27~38

(並行箇所:マタイ16:13~28、ルカ9:18~27)

本日の箇所は、キリストの生涯の折り返し地点となります、マルコによる福音書では16章の丁度半分に位置します。イエスはその生涯を通して、権威あることばと力ある多くの業(奇跡・しるし)によって、人々にご自分が神の御子であることを示されました。そして、いよいよ、イエスはご自身の最大の使命である十字架へと向かって行かれます。

聖書が(そしてイエスが)私たちに問う、最も重要な質問は、「イエスは誰か?」です。弟子たちは今まで、はっきりと答えることができませんでした。しかし聖書のこの箇所で、「あなたは、キリスト(メシヤ=救い主)です」とペテロが告白します(マタイ16:16では「あなたは、生ける神の御子キリストです」)。

そしてこれ以後弟子たちは、イエスの十字架の道に従って行くことになるのです。信仰告白する者は、イエスと共に苦難を背負う道を進みます。

ところが、ペテロはそれは完璧な素晴らしい信仰告白をしましたが、イエスが十字架の苦難と死の予告をされると、直ちにイエスをいさめようとしました。イエスは厳しくそのペテロの言動を叱責されました。

聖書協会共同訳聖書表題では、「ペテロ、イエスがメシアであると告白する」「イエス、死と復活を予告する」とあります。信仰告白と十字架の苦難の道はひとつであると知ってください。

イエスはどんな病も癒される。悪霊に命じると悪霊は出て行く。嵐を静められる。湖の上を歩かれる。多くの人にパンを分けられる。どんな世の権威にも屈しません。どんな悪意の中にあっても揺るぎません。連戦連勝のこのお方に従うことは、弟子たちにとって意気揚々、鼻高々であったでしょう。素晴らしい神のみわざ、奇跡の連続の中で、イエスに従うことはどんなに大きな喜びだったことでしょう。しかし、今日、問わなければならないのは、私達は癒し、解放、満たしは喜んで受け取りますが、しかし、イエスと共に苦難を背負う覚悟はあるのか、ということです。

イエスは「わたしについて来たいと思うなら」。わたしの後ろに従いたいと願っていますか。そうであるならば、「自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい」と言われます。

「自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい」とイエスが言われ箇所は、マタイ、マルコ、ルカにあります。

その中で「自分の十字架を負う」の意味が、文脈の中で2通りに分かれます。

ひとつは、ペテロの告白、苦難の予告の後に、本日の並行箇所となります。もうひとつは、キリストの弟子(ふさわしい者)になるために背負う十字架です。いのちがけの信仰告白であり、キリストを第一(優先順位)とする信仰告白です。

ルカによる福音書だけは、自分を捨て、自分の十字架を負ってのことばの中に「日々」と書かれています。この御言、イエスの招きは、私達の信仰生活の節目・要(かなめ)のような言葉であり、絶えず確認しておきたい内容です。

① 誰でもわたしについて来たいと思うなら

あなたは、真剣に、真実に、心から、イエスについて行きたいと思っていますか。

あなたは、誰に、何に従って生きていますか。

② 自分を捨て

神のために、隣人のために、自分を捨てる覚悟はありますか。

自分を捨てるのは、自分の夢や、やりたいことを無理して捨てるのではありません。自分を捨てるには痛みを伴います。しかし、我慢して、無理をして捨てるのではない。私のために命を捨てて下さったイエスの十字架の前で、自己中心、自我から解放され、自分を捨てることができます。自分を捨てる場所は、いつもキリストの十字架です。

③ 自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい

主イエスに従うために 自分の十字架を背負う覚悟はありますか。苦難という意味での自分の十字架を負わないで、イエスに従う道もあるかもしれません。

自分の十字架の3つの意味

1、自分の十字架は苦難 

  十字架を背負うのには、確かに苦しみが伴います。しかし、イエスと共に背負う十字架の喜びはそれに優ります。

2、自分の十字架は救い 

  わたしは主イエスの十字架の贖いによって罪赦され、救われました!私の救いの出来事、経験を証詞する。福音を恥としない。イエスの十字架と復活の栄光を升の下に置かない。自分がキリスト者であることを隠さない。福音のために命をかけて、殉教の覚悟をもって宣教していく。

3、自分の十字架は神の使命 

  人の救いのために、自らを犠牲としても生きる

  自己中心な生き方を捨てて、私に対する神の使命に生きる

  (神の使命に生きないで、自分の生き方に生きるクリスチャンの道もあるかもしれない)

  神の使命に喜びをもって生きる

「自分を捨て、日々自分の十字架を負って」。まさに、それは主イエス・キリストご自身の姿です。キリストに従う者は、キリストの道を進みます。キリストが私たちのために、ご自身を捨てて下さった。命までも捨てて下さいました。私達は、キリストのために何を捨てていると言うのでしょうか。

私達はさまざまな祝福を得るために神を信じてはいます。しかし、神のために何を捨てているでしょうか。

キリストの徹底した自己犠牲。それに対して、私達の自己犠牲とは何でしょうか。

神はそのひとり子をお与えになった程に、主イエスはご自身の命を与える程に、私たちを、あなたを愛して下さいました。私達は、神のために何を捧げるのでしょうか。

イエスは私たちが無理をして捨てることは望んでおられない。喜んで捨てることを望んでおられます。なぜなら、私達は既に、キリストの十字架の贖いによって、永遠の命、救いを持っているからです。

今、聖霊によって確かめましょう。私の人生は、自分の十字架をしっかりと、日々背負って、イエスに従うものである、と。


【消息・報告】

〇 関東圏、千葉県、八千代市・佐倉市などの新型コロナ感染拡大の動向を鑑みて、本日八月三〇日、九月六日、一三日の三週、会堂で集まっての礼拝を中止と致します。九月二〇日(日)からの礼拝は、再度役員会で検討し、九月一七日(木)に決定し、教会員の皆様へご連絡致します。コロナ感染の収束の為に、又、医療従事者、病院・施設・学校関係者の為にもお祈り下さい。

〇 次週の礼拝は、召天者記念礼拝です。天国に凱旋された兄弟姉妹を覚え、私達も信仰者としての道のりを最後まで走り抜きましょう。

〇 礼拝動画のインターネット配信は暫く続けます。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

「十字架の贖い」

キリストの血によって回復が与えられ

主との壁取り壊された

キリストの愛からは引き離すものはない

大胆に恵みの御座へ

(おりかえし)

十字架の贖い我が罪の為

惜しまず捧げた小羊 主イエス

二〇二〇年八月二三日 第四九巻 第三四号

礼 拝 順 序    

前  奏  三八六

招  詞  エペソ一・一七~一九

頌  栄  六〇

賛  美  その日全世界が

交 読 文  五九 第一ヨハネ四

(八七四~八七五頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷          

賛  美  三一六 御言葉なる

聖  書  マルコ八・二二~二六

メッセージ 「はっきりと見えるようになって」  竹田広志牧師

祈  祷  

賛  美  三五六 目には見えねども

頌  栄  六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告


【説教全文】

「はっきりと見えるようになって」 マルコ8:22~26   

イエスが生まれる約700年前、イザヤは預言の中で、救い主(キリスト)が来られるとき、そのお方によって、「目の見えない者の目は開かれ、耳の聞こえない者の耳は開けられる。そのとき、足なえは鹿のように跳び跳ね、口のきけない者の舌は喜び歌う」と語りました(イザヤ35章5~6)。

以前礼拝において、耳が聞こえず、口のきけない男の癒しと解放の記事を読みました。

本日は、目の見えない者の癒しの記事を読みます。目の見えない者の目が見えるようになる。それが成されるのは「救い主」のしるしです。

はじめに、本日の記事を、マルコ7章の耳が聞こえず、口のきけない男の記事と比較してみたいと思います。

マルコ7:31~37               マルコ8:22~26

イエスはデカポリス地方のガリラヤ湖に到着して   イエスと弟子たちはベツサイダに到着して

人々は耳が聞こえず、口のきけない人を 連れて来て 人々が目の見えない人を連れて来て

彼の上に手を置いて下さるように願った       触ってくださるように願った

そこでイエスは群衆の中から、           イエスは盲人の手を取って

その人だけを連れ出し、              村の外に連れて行かれた

その両耳に指を差し入れ、             その両眼に唾をつけ

そしてつばきをして、彼の舌に触られた       両手を彼に当ててやって、

                         もう一度、彼の両眼に両手を当てられた

誰にも言ってはならないと言われた         村に入って行かないように言われた


目の見えない人のイエスの癒しの記事は、

マタイ9:27~31「二人の盲人のいやし」。マタイ12:22「目が見えず、口のきけない人の癒し」。

☆マタイ20:29~34「エリコを出て、二人の盲人のいやし」。 ☆マルコ10:46~52「エリコを出て、盲人バルテマイのいやし」。 マルコ8:22~26「ベツサイダでの盲人の癒し」。

☆ルカ18:35~43「エリコ途上で、盲人のいやし」。

ヨハネ9:1~41「エルサレムで、生まれつきの盲人のいやし『シロアムの池へ行って洗いなさい』」。

(☆箇所は、並行記事)

目が見えないとは、闇に閉ざされた世界です。その暗闇の中に神が光を与えてくださる。闇の中に輝く光はイエスであり、目の見えない者の目が開かれるというイエスのみわざは、肉体の目が見えるようになること以外に、イエスの力強いメッセージ性があります。私たちの人生の暗闇に光を与える方こそが救い主です。

太陽の光ではなく、神御自身のみ光によって、見えないものを見えるようにされるというものです。

先週の礼拝で「わからないのですか 悟らないのですか 心が堅く閉じているのですか。見えないのですか 聞こえないのですか 覚えていないのですか。」(:17~18)とおっしゃったイエスの「見えないのですか」は単に身体の目が見えないことを言ってはいません。「見える」ことは、イエスが私たちに願っておられることです。福音を信じて、救われて、救い主イエスによって、「新しい世界に目が開かれる」ことを示唆しています。

それは、暗闇から光へ、死から命へ、神なき世界から神の支配される世界へ、と開かれます。

世界は、人は、そして私は神によって造られたものであり、神のご支配の領域の外では何事も起こらない。そして、イエスは今も生きておられて、イエスが私の人生を共に歩んで下さるという神が支配される世界です。

神は聖書を通して、みこころを私に語られて、神は私を、世界を愛して下さっています。

この目の見えない者の目が、イエスによって開かれる記事は特徴的です。

一度目、イエスがつばきをつけて、両手を当てられた時 「何か見えるか」と尋ねられ、すると彼は見えるようになって「人が見えます。木のようですが歩いているのが見えます」と答えています。ぼんやりと見えているということです。私は視力が0.1(しか)ありませんので、めがねをはずせば、丁度このような状態になります。「前に木のようなものが見えます」。

そして、ここが特徴的なところですが「それから、イエスはもう一度彼の両眼に両手を当てられた」というものです。一度目はうまくいかなかったのか?見えるようにはなったが、ぼんやりしているのは不完全だったのか?今までにはないこと。もう一度というのは、やり直しなのか?いや、そうではないでしょう。

「そして、彼が見つめていると、すっかり直り、すべてのものがはっきり見えるようになった。」とあります。完全な癒しです。

はっきりとしていますことは、イエスは不完全な癒しは成されないお方です。完全に癒されます。天国には欠けているものはありません。しかし一度目、見えないものが見えるようになったが、ぼんやりとしています。そして二度目、すっかり良くなってはっきり見えるようになりました。

目の見えない者が見えるようになる、これは様々な角度から考えられる、私たちへの強いメッセージであり、救い主の癒しと解放です。

見えてはいる、開いてはいるがぼんやりとしている。なんとなくわかっているがはっきりとしていない。このような信仰者(「まだ悟らないのですか」とイエスから言われる者)が私たちではないでしょうか。

エペソ1:17~19から

父なる神が、神を知るための知恵と啓示の 御霊によって はっきりと見えるようにして下さるとあります。

① 救われているがその使命がはっきりしない。だから、救われてはいるが力強い信仰生活が歩めない

② 天国への望みはあるが、期待と喜びがない

③ 神が全能のお方だと知っているが、自分の人生に力強く働いているのかわからない

救われてはいるが確信がない。神様は信じてはいるが、実感がない。力強い臨在がない

今年7月19日の創立記念礼拝で、マタイ16章から「告白する教会」と題して、ペテロの信仰告白を読みました。「あなたこそ、生ける神の御子、キリスト(救い主)です。」

マルコによる福音書では、この目の見えない人の癒しの後に、弟子たちの信仰告白の記事があります。悟らない弟子たちではなく、はっきりと生ける神の御子キリスト・イエスを告白しています。そして、イエスは御自身の十字架への道を弟子たちに告げられます。

見えなければいけないのは何でしょうか。

私の罪の為に十字架で命を捨ててくださった、そのイエスの限りない愛。生けるイエスの背中ではないでしょうか。私たちはこのお方のうしろに従っていく者たちです。

【消息・報告】

〇 本日の礼拝は、会堂で集まっての礼拝を中止します。八月三〇日(日)からの礼拝については、今週、二部制を再開するか役員会で検討し、結果を皆様に連絡致します。

〇 礼拝動画のインターネット配信は暫く続けます。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。


「その日全世界が」 作詞・作曲 長沢崇史

我が神主よ 見させたまえ 偉大なるその計画

天が開き 光が満ち シオンの上にとどまる

救いのみわざ 全地を覆い 喜びの歌響かせ

その正義は平和をよぶ 主の御霊が流れる

(おりかえし)

その日全世界が 主の御名高くかかげる

叫べ王の王イエスに ハレルヤ 栄光とわにあれ

王の王なる主イエスに 全能なる主イエスに

勝利者なる小羊に 栄光 とわにあれ

二〇二〇年八月一六日 第四九巻 第三三号

礼 拝 順 序    

前  奏  二五六

招  詞  ヨハネ 六・四八~五一

頌  栄  六〇

賛  美  一六五 栄光イエスにあれ

交 読 文   五八 第一コリント一五(八七四~八七五頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷          

賛  美  讃美歌二一 五六番(歌詞下記)

聖  書  マルコ八・一~二一

メッセージ 「まだ悟らないのですか」   竹田広志牧師

祈  祷  

賛  美    三五五 主と共に歩む

頌  栄  六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告


【 説教全文 】

「まだ悟らないのですか」 マルコ8:1~21  ― パンを求めるか、イエスを求めるのか ―

(並行箇所:マタイ15:32~39、参照:6:34~44)

イエスの生涯の中で、群衆にパンと魚を分け与えた出来事が二度記録されています。5千人の給食(ベツサイダ地方)と、4千人の給食(デカポリス地方)で、場所も違う別々の記事です。

この二つを比較してみますと、マルコ6章34~44の5千人の給食では、5つのパンと2匹の魚、パンの残りが12のかごにいっぱいになったとあり、全ての福音書にこの並行記事があります。そして、マルコ8章1~9の4千人の給食では、7つのパンと少しの魚、パンの残りが7つのかごにいっぱいになったとあり、マタイの福音書にこの並行記事があります。二度目の時、「三日もイエスと一緒にいて、食べる物を持っていない(:1)」のですから、当時の人々の貧しさがどれほどのものであったかが想像できます。

『5千人の給食』の出来事の後の弟子たちについて、「彼らはまだパンのことから悟ることがなく、その心は固く閉じていたからである。」(6:52)と書かれています。素晴らしい神の御業と、弟子たちの悟ることのできない鈍さとの明暗があります。『4千人の給食』の記事の後も、イエスは弟子たちに対して「まだ、わからないのですか。悟らないのですか。心が堅く閉じているのですか。目がありながら見えないのですか。耳がありながら聞こえないのですか。あなたがたは、覚えていないのですか。」(8:17~18)と言われました。ここにも、素晴らしい神の御業と、弟子たちの悟らない鈍さとの明暗があります。

いずれも、「悟ることのできなかった主の弟子たち」でした。「パンのしるし」を通してイエスは何を悟って欲しかったのでしょう。イエスは、今も、私たちが見て、聞いて、思い出して、心を開いて悟ることを求めておられます。

イエスは、私たちの生活、暮らしのために、パン(食物)が必要であることをご存じであり、満ち足りるように与えてくださるお方です。私たちも経験し、感謝しましょう。この給食の記事を通しても、神が今も私たちに必要な日々の糧を与えてくださると信じます。しかし、この「パンのしるし」のイエスの真意(悟るべきこと)は、人々がパンを求めて、神からパンが与えられることなのでしょうか。私たちは、日々の生活において、パンに限らず、様々な私たちの必要を神に求める者です。

5千人、4千人の給食の後に、パリサイ人(当時の宗教的指導者)がイエスを訪ねます。イエスの敵対者は、この様な大きな出来事を放ってはおけないからです。

パリサイ人はイエスをためすために、議論をしかけて、天からのしるしを求め、詰め寄ります。

イエスは深く嘆息して「今の時代には、しるしは絶対に与えられない。」と答えられます。

天からのしるしとは、新改訳聖書の注には、天からの証拠としての奇跡とありますが、パンを与えられたイエスの奇跡と対比して、旧約聖書の、モーセの時代、天から下ったパン(マナ)の奇跡のようなしるしが思い起こされます。

「しるしは絶対に与えられない」。イエスはパリサイ人の求めをはっきりと拒否・否定しています。

パリサイ人はしるしを求めたとありますが、5千人の給食も4千人の給食も、群衆がパンをイエスに求めたのでしょうか。違います。イエスが群衆をかわいそうに思って与えてくださったのです。私たちに全てのものが神によって与えられる根拠は、私たちの救い主イエスが憐み深い愛のお方であることにあります。

イエス一行が再び舟に乗って向こう岸、デカポリス(ガリラヤ湖南東)からダルマヌタ(ガリラヤ湖西北)に渡ろうとされた時に、弟子たちはパンを用意するのを忘れました。一つのパンしかありませんでした。そのときイエスは「パリサイ人、ヘロデ(マタイによる福音書ではサドカイ人)のパン種に警戒しなさい。」と弟子たちに命じます。弟子たちはパンがないことをイエスが言われたのだと思い、議論を始めました。全くイエスの言われたことに対して、見当違いの議論です。

イエスの成された「パンのしるし」を知る上で、ここでイエスが言われた、パリサイ人のパン種とヘロデのパン種について考えてみたいと思います。

パン種とは、その「教え」のことだとマタイによる福音書では説明されています。(マタイ16:12)

パリサイ人のパン種(教え)とは、

聖書の戒めを自分たちの都合の良いように解釈し、様々な解釈・形式・作法(口伝律法)を加え、それを文字通り守ることを人々に押し付け、神の義とする律法主義です。特に律法を守らない民、律法とは無縁の異邦人を断罪する愛なき裁き人になります。イエスはその生涯の中で、パリサイ人を最も厳しく非難しています。

律法主義は、一見、聖書的で信仰的な生き方でもあるので間違いやすいのです。聖書を学び、神の前に正しく生きたいと願うキリスト者も陥りやすい。神に従っているというより、文字に従っているような人、神の義ではなく、むしろ自分の義に固執する人のことです。聖書は確かによく知っている。学んでいるかも知れない。しかし、謙虚さに欠け、愛に欠け、喜びに欠け、主と交わり、主を知るという霊性に欠けているのです。

ヘロデ(マタイによる福音書ではサドカイ人)のパン種(教え)とは、

ヘロデは、以前説教で聞いたように、ヘロデ・アンティパスのことで、バプテスマのヨハネの殺害者であり、欲望と権力、地位保身にまみれた人です。マタイではサドカイ人のパン種となっていますが、いずれも現実主義で日和見主義的な人。目に見えるものが全て。死者の復活もない。奇跡もない。今の自分の生活・地位・安全が守られればそれで良い。求めるのは、お金、豊かな生活、贅沢、権力や地位の安泰。処世に長けて、政治的な力も軍事的な力も持っているかも知れない。しかし、どこまでも人間中心、人の知恵・知識中心、自分中心で、決して神の下に自らを置くことをしません。

* パン種は小さな種であるが、パン全体を膨らませます。私たちの心や内に、このパン種が入ると、最初は小さなものであっても、それは全体を大きく膨らませます。イエスはこれに警戒しなさいと言われます。

主イエスの教えは、

律法の文字を守り、自分の義を追求し、他者を排斥するパリサイ人の教えでもなく、また、復活も永遠の命も無智として、目に見えるものしか信用しないヘロデ(サドカイ人)の教えでもない。 

イエスの教えは、神の国、神の義を第一とすることであり、イエスが私の人生に共にいて下さるという福音である。臨在のイエスゆえの義の勝利、臨在のイエスが中心にいてくださる生活である。相も変わらず、弱い、土の器の私ではあるが、大事なのは、私の罪のために十字架で死に、三日目によみがえられ、今も生きておられるイエスが、今、私と共にいてくださるということです。これが命のパンをいただいて生きる者の心・信条です。

第一コリント4:20 「神の国はことば(文字)ではなく、力(臨在のイエス)です。」

私達はいつも現実的な、理性的な、常識的な、目に見えるものだけに目を向けているのではないでしょうか。そこに主がおられることを、いつも悟らない。コロナの嵐の中にも、そこに主がおられることを悟らない。

しかし、全ての課題を解決し、真に人をあふれるほどに満たされるのは、命のパンであるイエスであります。

天からのパン、命のパン、それはイエスご自身です。

私たちが、心を開いて、へりくだって、求めて、神から頂くべきパンであります。

「私が命のパンです。」「誰でもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。」(ヨハネ6:48、51)


【 消息・報告 】

〇 本日の礼拝、次週二三日の礼拝は、会堂で集まっての礼拝を中止します。八月三〇日(日)からの礼拝については、二八日(金)に二部制を再開するか役員会で検討し、結果を皆様に連絡致します。

〇 礼拝動画のインターネット配信は暫く続けます。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

讃美歌二一 五六番 主よいのちのパンをさき

(新聖歌三七の楽譜)

一、主よいのちのパンを裂き 与えたまえ我らに

祈り求むひたすら 主のいのちのみことば

二、ガリラヤにて親しく パンを祝し主イエスよ

  示したまえ我らに 主のまことのみことば

三、主よいのちの聖霊を 送りたまえ我らに

  語りたまえみことば 見させたまえ みすがた

二〇二〇年八月九日  第四九巻 第三二号

礼 拝 順 序    

前  奏  三五六

招  詞  イザヤ三五・五~七

頌  栄  六〇

賛  美  我が心の目を開いてください

交 読 文  五七 第一コリント一三

(八七三~八七四頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷          

賛  美  四二〇 雨を降り注ぎ

聖  書  マルコ七・三一~三七

メッセージ 「エパタ、開け」竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美    三八 わが目を開きて

頌  栄  六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

【 我が心の目を開いてください ~ワーシップ歌詞~ 】

我が心の目を開いてください 主イエスを見るために (×2)

高く上げられた栄光に輝く 主イエスあなたに愛をささげるため

聖い御名をほめたたえる時に 愛と力注いでください主よ

(*おりかえし)

ホーリィ ホーリィ ホーリィ  ホーリィ ホーリィ ホーリィ

ホーリィ ホーリィ ホーリィ  アイ ウォン トゥ スィー ユー (×2)


【 説教全文 】

「エパタ、開け」 マルコ7:31~37

(並行箇所:マタイ15:29~31、参照:イザヤ35:5~6)

イエスが大事なお話をされる前、また、後に言われる口癖があります。「まことに、まことにあなたがたに告げます」「聞く耳のある者は聞きなさい」。あなたがたにとってとても大事な話なのです、心を開いて、耳を傾けて悟りなさい、という意味のことばです。

イエスはガリラヤ湖を渡らずに、陸地を迂回してデカポリス地方のガリラヤ湖岸に来られました(:31)。ツロ、シドンでの休息を終えて、宣教の働きはすぐに再開されました。

1、救い主の根拠

大勢の人の群れがいつもイエスのみもとに集まり(マルコ8:1)、また病の中にあるたくさんの人がみもとに連れて来られました(マタイ15:30)。それは、口のきけない人たち、手足の曲がった人たち、足の不自由な人たち、目の見えない人たちでした。様々な病で体が不自由な人々が集まって来る中で、特にマルコによる福音書では、耳が聞こえず、ものが言えない人の癒しの記事が詳しく取り上げられています。

イザヤ35章の預言には、キリスト(メシヤ)が来られるその日、「彼らは主の栄光、神の威光を見る」(イザヤ35:2)、「そのとき、目の見えない者の目は開かれ、耳の聞こえない者の耳は開かれる。そのとき、足の萎えた者は鹿のように飛び跳ね、口のきけない者の舌は喜び歌う」(:5~6)とあります。救い主が来られて何をして下さるのですか――人々の目を開き、耳を開き、足の萎えた者を立たせ、口のきけない者をもの言う者として下さいます。このお方こそが、私たちが待ち望んでいる救い主です!と私たちに明確に伝える預言です。

福音書にはイエスが現してくださった多くの癒しのみわざが記録されています。

目の見えない者の目が開かれた(マタイ9:27~31、12:22、20:29~34、マルコ8:22~26、10:46~52、ルカ18:35~43、ヨハネ9:1~40)。

足の萎えた人が立たせられた(マタイ9:2~7、マルコ2:3~12、ルカ5:18~25、ヨハネ5:1~9)。

耳の聞こえない者、口のきけない者が癒された(マタイ9:32~33、ルカ11:14)。

これについて詳細を記しているのは、マルコのこの箇所のみです。

2、耳、口が開かれる

耳が聞こえず、口がきけないとはどういうことか。

もちろんその言葉の通りではあります。キリスト(救い主)が私たちの人生に来られると何が起こるのか。先ほど申し上げたように、目が見えるようになる、耳が聞こえるようになる、もの言うことができるようになる、しっかりと立って歩くことができるようになります。

しかし、それだけでなく、福音を聞くことができない者の耳が開かれる。福音を語ることができない、賛美も祈りも神にささげることのできない舌が喜び歌い出す、と言うのです。

私たちは生まれながら、見えない、聞こえない、歩けない、話せない者です。しかし、救い主イエスが全てを解決して下さいます。 * 聞く喜びの例 竜ケ崎シオン教会であった出来事

「その両耳に指を差し入れ、それからつばきをして、その人の舌にさわられた」

病むところ、機能していないところに触れてくださるイエス。イエスは、私たちの耳に、口に触れてくださいます。

「そして、天を見上げ、深く嘆息して」

舌のもつれ(束縛されている舌)に対して、解放のための霊的な戦いがあります。

「その人に『エパタ。』(アラム語)すなわち、『開け。』と言われた(宣言された)」

* マルコ5:41 「タリタ・クミ」のように、イエスの言われた印象的なことばは、そのままアラム語で書かれています。(「少女よ、起きなさい」という意味)

「すると彼の耳が開き、舌のもつれもすぐに解け、はっきりと話せるようになった」

耳は完全に開かれ、舌も完全に束縛から解放されました。

3、開かれた者の喜び

イエスはこのことを誰にも言ってはならない、と言われます。この出来事は、その人だけを群衆の中から連れ出して行われました。人々の面前でされたことではありませんでした(:33)。

「誰にも言ってはならない。」しかし、彼は口止めされればされるほど、かえって言いふらしました。

新改訳「言いふらした」→新改訳2017・協会共同訳・新共同訳「言い広めた」

この出来事を、誰かに言う事を禁じられたのに、彼がそれに従わなかったのは、良い事なのか、良くなかった事なのか。新改訳聖書だけが、黙っていなかったことが良くなかったように解釈されています。しかし、イエスのしるし(奇跡)のお陰で、癒され、解放され、救われた人が自分に起こった出来事を隠していられるでしょうか。主はご自身の評判が広がることをいつも制限されておられますが、救われた者は黙っていられないでしょう。

喜ばずにおれない。賛美せずにおれない。感謝せずにおれない!それが救われた者の姿、生き方です。

イエスによって解かれた舌は、黙っていられないのです。

そして、人々は彼の口からイエスのなされたことを聞きました。

人々は非常に驚いて言いました、「この方のなさったことはみなすばらしい!」

私たちのイエスとの出会いが、周りの人々に驚きとなり、神の栄光がほめたたえられるようになりますように。

イエスのことば、聖書のことばを聞く耳が開かれ、

神の恵みの素晴らしさを語ることのできない束縛にあった舌が解放され、

イエスの救いと癒しによって開放された者が、素晴らしい神のみわざを告げ知らせることが出来ますように。

私たちも主イエスと出会うまでは、耳の聞こえない、ものの言えない者でした。

「エパタ!」 私たちは主イエスによって罪の束縛から解放されて、神のみことばを聞き、語る者と変えられたのです。

主イエスの御声を今日も聞きましょう。「エパタ」。


【消息・報告】

〇 本日の教会での礼拝は、新型コロナウイルス感染拡大のために中止致しました。動画、文章による自宅での礼拝を行うこととなりました。本日九日から、一六日、二三日の三週間の会堂での礼拝を中止し、八月三〇日(日)からの礼拝については、二八日(金)の役員会で二部制を再開するかどうかを検討致します。

〇 礼拝動画のインターネット配信は暫く続けます。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二〇年八月二日  第四九巻 第三一号

礼 拝 順 序    

前  奏  一九七

招  詞  ルカ一一・九~一〇

頌  栄  六〇

賛  美  二九一 神の国と神の義

交 読 文  五六 ローマ一二(八七三頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷          

賛  美  二八三 主よわがそばをば

聖  書  マルコ七・二四~三〇

メッセージ 「門はすでに開かれている」 竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美  二三九 与えよただ主を

頌  栄  六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告


【 説教全文 】

「門はすでに開かれている」 マルコ7:24~30(並行箇所 マタイ15:21~28)

並行箇所を毎週載せているのは、福音書で最初に書かれたのがマルコによる福音書で、他の福音書はマルコによる福音書を目にした後に、別の著者が新たにイエスの生涯について書いたとも考察でき、並行箇所(同じ出来事について書かれたもの)を比較する事は、出来事をさらに深く読む手掛かりとなります。マタイ、マルコ、ルカによる各福音書は共観福音書と呼ばれ、マルコの90%がマタイに書かれており、45%がルカに書かれています。

又、福音書のようにまとまった形でイエスの生涯が書かれた書物の他に、イエスの語録集というものがあったという説もあります。

今回は特にマタイによる福音書と比較しながら読んでみるのが良いと思います。

私たちの人生には様々な苦しみ、悩みがありますが、家族のひとりが病気であるという痛みがあります。親であったり子であったり、兄弟であったり…。

小さな自分の娘が苦しんでいる、悪霊につかれていて何も対処出来ず、ただ見ているしかない。我が子が苦しんでいるのを見る母(家族)の苦痛とはどんなに大きなものでしょうか。それは愛して止(や)まない愛ゆえの苦しみです。

* 子供病棟で病気と闘う小さな者達。

1、異邦人の女

スロ・フェニキア生まれのギリシア人である女 (:26)がイエスを尋ねて来ました。ユダヤ人ではなく、異邦人であることが強調されています。(マタイによる福音書では「カナン人」となっています。)

ここにはユダヤ人が投げ捨てた命のパンを、異邦人が切に求め、得るという構図があります。パンの奇跡の後、どこでも群衆に囲まれて休むことのないイエスと弟子たちの様子を私たちは福音書の中に見ます。主イエスを拒絶するユダヤ人指導者、パリサイ人、律法学者との論争の末、イエスはその身をしばらく静かな場所に潜めようとして、弟子たちと共にツロとシドン地方に来られた時の事でした。

2、求め続けた女(母の愛) 何が彼女をここまで突き動かしていたのか 

小さい娘が汚れた霊(悪霊)につかれていた、と記されています(:25)。

女の心に満ちていたものは何だったのでしょうか。小さい娘をなんとか治してやりたいという一心、母としての愛です。この方にすがる以外に道は無い。弟子たちに退けられても(マタイではそのように記されています)、そして、イエス本人に退けられても、彼女はあきらめませんでした。女はイエスの足もとにひれ伏して願い続けました。

3、イエスの対応

ここには、今まで私たちがマルコの福音書を通して見て来たイエスとは違った、いつものイエス様らしくない対応があります。多くの悪霊を追い出し、病人を癒し、人々の悩み・苦しみに応えて来られたイエスでしたが、ここでは、女の求めに応じられません(:27)。イエスは女にご自身の使命について説明を始められます。

イエスと女の間にこのようなやりとりがあります。

イエスは「子供たち(ユダヤ人)のパンを取り上げて、小犬(異邦人の女)に投げてやるのは良くないことです」と言われます。「しかし、女は言った。『主よ、その通りです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちたパンくずはいただきます。』」

マタイによる福音書には「しかし、しかし、しかし」と、イエスと女の対話が書かれています。そして最後に、食い下がる女に対して、イエスは「そうまで言うのですか。」(:29)と言われます。マタイの書では「ああ、」と声を発せられ、イエスが折れるようにして(折れていらっしゃるのではないが)女に「あなたの信仰は立派です。その願い通りになるように」(マタイ15:28)とお応えになります。彼女の娘はその時に直りました。

4、イエスの真意

「子犬」という響きは、「小さい娘」に重なることばです。犬というのは、異邦人をさげすむ言葉でありますが、「子犬」とおっしゃいました。イエスの返答は、確かに女の求めを拒んでいます。しかしそこには、いつものように変わらない愛情を含んだイエスの言葉の響きがあります。「子犬」は犬ということばから毒気、とげを抜いた表現です。イエスがこう言われた時の表情を想像できるでしょうか。イエスは顔をしかめて拒絶されているのではなく、愛を込めながら拒絶しておられます。今はその時ではない、と。

イエスは、門を堅く閉じてはおられない。すでに門を開いておられます。

「子犬でも食卓から落ちたパンはいただきます」というギリシア人の女の機転の利いた言葉によって、みごとに門が開いたようにも思える記事ですが、実は、イエスの側に、既に女のために押せば開かれる門は用意されていました。

私たちがイエスに求める時にも同じです。叩き続けていく時、必ず門は開かれるのです。それは、私たちがしつこく(粘り強く)求め続けたから、ということもありますが、既に門は開かれるように用意されているからです。

イエスの使命は、まずユダヤ人に救いを宣べ伝えることでした。「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません」(マタイ15:24)。

神は、決まったことだから、計画だから変えないと言われるお方でしょうか。イエスの行動の優先順位は、いつもあわれみです。イエスは誰に対しても愛とあわれみに満ちたお方です。

イエスは、へりくだって神の恵みを求めて来る者を、誰であっても拒絶されることは決してありません。

5、女の信仰

マタイによる福音書では、イエスが女の対応に感心されたと書かれています。「ああ、あなたの信仰は立派です。その願い通りになるように」(マタイ15:28)。イエスがお褒めになった「りっぱな信仰」とは何でしょうか。

それは女が他の何か、誰かでなく、イエスに求めたことです。あきらめずに、やめずに、熱心に求めたことです。そして、自分の全存在を投げ出して、「ひれ伏して」、ヘリ下って求めたことです。

ここに見られるのは、イエスのあわれみの中にある女の、イエスへの願いです。割礼があるから、ユダヤ人であるから、洗礼を受けたから、クリスチャンであるから、「・・・であるから自動的に」ではなく、むしろ、パンを受ける資格がない(「子どもたち」〈ユダヤ人〉ではない)と十分に知った上で、宣言した上で、食卓の下にある子犬であることを認めつつも、尚もイエスに願う女の「りっぱな信仰」です。資格がない、相応しくないという姿がへりくだりです。自分は当然主の恵みを受けるに相応しいと思って胸を張ってイエスの前に出る人は誰でしょうか。

私達は日々の歩みの中で、目を、心をどこに向けているでしょうか。イエスに向いているでしょうか。

この女のように、体当たりでイエスに向かっているでしょうか。

与えられないのは、求めないから、そして、途中であきらめてしまうからではないでしょうか。

イエスは生ける神の御子、私たちの救い主です。あなたは、このお方に求めていますか。あわれみに満ちたイエスに信頼して求めていますか。


【消息・報告】

〇 新型コロナウイルス感染予防対策に、今後もご協力下さい(マスク着用、集会出席前の検温記入、間隔を空けての着席など)。特に玄関で密にならないようにご注意ください。

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二〇二〇年七月二六日 第四九巻 第三〇号

礼 拝 順 序    

前  奏  二三五

招  詞  ヘブル九・一三~一四

頌  栄  六〇

賛  美  四八三 両手いっぱいの愛

交 読 文  五三  ルカ二二(八六九~八七〇頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷          

賛  美  三八二 心から願うのは

聖  書  マルコ七・一~二三

メッセージ 「あなたの内側をきよめなさい」 竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美   三七四 来れ、汝をきよむれば

頌  栄  六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告


説教全文

「あなたの内側をきよめなさい」 マルコ7:1~23

並行箇所:マタイ15:1~20 ルカ11:37~44

イエスの時代、宗教的指導者として、サドカイ派と言われている神殿で祭儀を行う祭司のほかに、会堂を働き場として、律法(旧約聖書に教えられている口伝の律法)を教えるパリサイ人たちや律法学者がいました。

イエスを偵察告発するためにエルサレムからガリラヤに来ていた律法学者らは、食事の前に手を洗わないイエスの弟子たちを見て、イエスを非難しました。手を洗って食事をすることは、今日の衛生的な教えというより、宗教的な教えによるものであり、食べ物と一緒に身体の中に汚れたものを入れないという考えがありました。それは言い伝え(口伝律法)として堅く守られてきた(:3)ユダヤ人の正式、常識的な作法でした。手を良く洗う、市場から帰った時は身体をきよめたりしてからでないと食事をしない、食器はしっかりと洗う、など、たくさんのしきたりがありました。

1、言い伝えと神の律法(1~13)

イエスは、言い伝えを行うことと、神の戒めを守ることとを区別しています。

たとえば、今日私達が行っている礼拝について

聖書に「安息日(旧約では土曜日)を聖とすべし」という戒めがあります。私達の教会も日曜日に礼拝をささげることを大事な戒めとして守っています。それはどういう意味でしょうか。日曜日には教会に必ず行きましょう。礼拝の時間を厳守しましょう。礼拝の15分前には私語をつつしみましょう。正装で礼拝に臨みましょう、等でしょうか。 

いずれも大事なことではあるかもしれません。しかし、礼拝を神の前に重んじることと、形式を守ることとは共通するものはありますが、決して同じではありません。形式を軽んじていいというのではありません。却って、私も、イエスの弟子たちは食事の前に手を洗った方が良かったと思っています。しかし、形式を守り、それが神の戒めだと思っている人は、形式を守らない人々を非難し、裁く傾向があるのではないでしょうか。

礼拝を重んじている人は、神の憐みによって礼拝に出席している自らを思い神に感謝します(私などは、牧師なので礼拝をこのように守ることのできることを大変幸いなことと思っています)。神のみこころは、礼拝に来ることのできない人々を断罪するのでなく、彼らに恵みがあり、礼拝に来ることができますようにと、私たちが心からとりなしの祈りをささげる者となることではないでしょうか。

2、外側と内側(:14~23)

イエスは「外側から人にはいって、人を汚すことのできる物は何もありません。人から出て来るものが、人を汚すものなのです」(:15)と言われました。イエスは何を言おうとしておられたのでしょうか。弟子たちも「このたとえについて尋ねた」とあります。

イエスは、食事や排泄について言っているのではありません。「人は外側を見るが、神は内側を見られる」ということです。きよい外側も大事です。しかし、内側がきよくなく、外側がきよい人は、人を裁く者になります。イエスが叱責されていた、律法主義というのは、いつもそのような心の状態から出て来るものであり、神の愛、あわれみでなく、人を見下したり、裁いたりします。

イエスは、「人を汚すのは外から入ってくる物ではなく、内側から出てくるものです。すべての食物はきよく、食べ物が人を汚すことはありません」と言われました(:15~20)。

イエスが私たちに語られるのは、「あなたがたの内側をきよめなさい」というメッセージです。

「人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ(悪い目)、高ぶり(誇り)、愚かさであり、」。ここに12個の悪のリストがあります。これらの悪が内側から出て、人を汚します。又、その人自身を汚します。

12の悪のリストを「十戒」に当てはめて分類してみますと、

1-5戒

高ぶり(高慢)、愚かさ(「神はいない」と思い、神を無視している罪 詩篇14:1)

6-10戒

殺人         殺してはならない

不品行、姦淫、好色  姦淫してはならない

盗み、よこしま    盗んではならない

悪い考え、欺き    偽証してはならない

貪欲、ねたみ     むさぼってはならない

私たちの身に覚えのないものはありますか。ないでしょう。私達の内から出て来るものが人を汚します。

どうすれば、私達の内側がきよくなるのでしょうか。洗えるのでしょうか。私達の汚れた手は水で洗って落とせます。しかし、私達の内側は水によっては洗い流せません。

① 十字架の血潮によって (第一ヨハネ1:7)

② 聖霊(の火)によって   (第二テサロニケ2:13、第一ペテロ1:2)

③ 神のことば(みことば)によって (ヨハネ15:3)

神が、イエス・キリストが、私たちに与えて下さいます。これらは、毎週、礼拝をもって、毎日、神の前に立って私達が受けるものです。礼拝の度(たび)に、みことばをいただく度(たび)に、聖霊が私達の内側をきよめ、新しい心が造られていくのがわかります。

あなたは食事をするとき、泥に汚れた金の器と、きれいに洗われた木の器とどちらを使いますか。主の用いたもう器は金や銀の外側の材質や輝きではない。内側がきよめられた器です。


【消息・報告】

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二〇二〇年七月一九日 第四九巻 第二九号

創立記念礼拝順序   

前  奏  四二三

招  詞  エペソ二・一九~二二

頌  栄  六〇

賛  美  三三二 主はまことのぶどうの木

交 読 文      五五 ヨハネ一五(八七一~八七二頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷          

賛  美  一四三 いとも尊き

聖  書  マタイ一六・一三~二〇

メッセージ  「告白する教会」   竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美    四二八  キリストには代えられません

頌  栄  六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告


勝田台キリスト教会 創立49周年記念礼拝 (創立日 1971年7月18日)

「イエスを告白する教会」 マタイ16:13~20

並行箇所  マルコ8:27~30 ルカ9:18~20

勝田台キリスト教会は、中居豊・栄子師が1971年3月日本ホーリネス教団から佐倉地域に任命され、何も無いところから宣教をスタートしました。修養生4名(小林・水間・溝口・山脇師)が短期宣教で応援をし、佐倉・八千代・米本・大和田で天幕集会を行いました。同年12月、八千代高校の前にプレハブの会堂が建てられました。この時、無から有を呼び給う神様を体験されたことにより、1979年11月手狭になった会堂から、現在の場所に建てられたプレハブの新会堂に移転し、その後間もなく隣接地とその家屋も与えられました。そして、1998年12月、現在の会堂が完成しました。

勝田台教会の歩みは今年で49年、来年は50年を数え、半世紀の歩みとなります。ここに至るまで、父、御子、御霊の神様が、教会を祝福し、導いて下さったことを感謝します。

近年、私たちは東日本大震災や、多くの自然災害に遭い、昨年の千葉の甚大な台風被害も含めて、経験した事の無いような困難を経験しました。

今年2020年に入り、世界にとっても、私たちにとっても、新型コロナウィルス感染拡大により大きな変換を迫られています。

世界中の人が「新しい生活様式」に変えなければならないと共に、私達キリスト教会も、新しい宣教と教育、奉仕の在り方を工夫しなければならない時を迎えています。本質を変えずに、方法を変える。不要・不急の外出自粛と、3つの「密」を避けねばならない生活の中、どのように宣教していくことが出来るのでしょうか。その方法について考え、これから取り組まなければならない事は山積しています。

本日は教会創立49周年を記念して、今一度、教会の本質について聖書から聴きたいと願っています。

本日のこの聖書の記事は、キリストの生涯において折り返し地点のような箇所と言えます。これまではイエスは、御自分が神の御子であることを数々のしるしを通して(ことばとわざによって)示して来られましたが、ここからは、イエスの最大の使命である十字架へと向かって行かれます。それは弟子たちが、イエスが誰であるかを明確に「告白」したことが起点となっています。

1、私の告白(信仰告白)

イエスはまず、(1)「人々は(第三者は)わたしのことをだれだと言っているか?」と問われます。いきなり弟子たちの考えを尋ねないで、まず周りの人々は何と言っているのか、世間の人々はどうわたしを見ているのかと問われます。これはある意味で、第3者のことです。人々はイエスを「バプテスマのヨハネ、エリヤ、エレミヤ、預言者の一人である」言っていました。弟子たちはそれをお伝えしました。

今日、世間の人々にとっては、イエスとは誰でしょうか。教科書に出て来る昔の偉人のひとり、キリスト教の創始者、たくさんの奇跡を起こした人、クリスマスの人、十字架で処刑された人、ユダヤ人、世界の多くの人々に影響を与えた人、見習うべき愛を説いた人格者、等々、でしょう。

(2)「あなたがたは、わたしをだれだといいますか」。ここで、弟子たちに対して、今までイエスに従って来て、何を見て来たのか、と問われます。

(先週は、悟らず、心が固く閉じられていた弟子たちの姿を見ましたが)シモン・ペテロが答えて言いました。

「あなたは、生ける神の御子キリストです」(:16)この回答はどうだったのでしょう。合格でした。イエスは、「シモン。あなたは幸いです。これらのことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です」(:17)と言われる程に合格です。

キリスト(ギリシア語)・メシヤ(ヘブル語)=救い主

イエスキリストは神の御子 救い主 IXTHUS=魚(イエス、キリスト、神、御子、救い主)

参照:「あなたはキリストです」(マルコ)。「神のキリストです」(ルカ)。

重要なのは、 (3)「あなたはわたしを誰と言うのか」という、あなたに対するイエスの問いです。

これは、私達の人生における、最も重要な問いです。

私たちが、礼拝においてマルコによる福音書を通してイエスの生涯を読み、十字架、復活、そのメッセージと福音を聞いて、何と答えるのか。「あなたはわたしをだれだと言いますか?」

イエスはまさに、私にとって、「生ける神の御子キリスト」です。ここに、この告白に、救いがあります。

《あなたこそ、私の救い主です。あなたが十字架で流された血は、ここにいるわたしの罪のゆるしのためです。》

2、私たちの告白・教会の告白 

ペテロの告白を聞いて、イエスは言われます。「わたしはこの岩の上に教会を建てます」 

「この岩の上に」。教会の立つべき土台、岩とは何でしょうか。カトリック教会では岩をペテロとして、教会を使徒の権威の上に建てるとします。プロテスタント教会では「この岩」とは、使徒ペテロではなく、ペテロの信仰告白とします。

「あなたこそ、生ける神の御子キリストです」。これが教会の土台です。教会とは、「主イエスこそが、生ける神の御子、キリスト(救い主)です」と、世に告白し続けていく共同体なのです。

この信仰告白(岩)の上に建てられた教会は、ハデス(地獄)の門もそれに打ち勝てません。歴史の中にあったどのような激しい迫害にも、この告白は揺るぐことはありませんでした。

「あなたこそ、生ける神の御子キリストです」と時代の嵐の中にあっても告白する教会に、主イエスは天の御国のかぎを授けて下さいます。教会は天国の鍵を託されている驚くべき存在です。

天の御国の門が開かれる鍵とは、私たちの罪の為に身代わりとなって十字架に死に、三日目によみがえって下さった主イエスに向かって、「わたしにとって、あなたこそ、生ける神の御子、私の救い主です」と心から信じて、告白することです。ここに救いがあります。

信仰・告白、「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われる」(ローマ10:10)

教会の使命は、主イエス・キリストこそ!今も生きておられる(よみがえられた)神の御子、救い主であることを、世に向かって告白し続けていくこと。これが教会の使命であり、キリスト者の使命です。

3、その告白は、存在をかけて

口先だけでなく、歴史の中で、社会の中で、生き方を通して告白していくことが大変重要です。歴史や社会や生活と関係なく、乖離(かいり)して、心の中だけで思っているのは告白ではありません。

自分の十字架とは、命がけの信仰告白です。殉教者(マルチュレオー)とは、信仰告白(キリストの証人、マルチュレオー)に命を懸ける者達です。

時にそれは、時代や社会の中にあって苦難を伴う道です。しかし、その道は苦難よりも、イエスによる救いの喜びが大きいのです。そして、それはイエスが教会にお与えになった神の使命なのです。

「ペテロ、信仰を言い表す」「イエス、死と復活を予告する」と新共同訳聖書の小見出しに記されています。信仰告白とは、イエスの苦難の道を続いて従って行くことです。

イエスを明らかにしたのは人間ではなく天の父です。信仰告白は決して、私たちの知識や経験によって告白できるものではありません。

神の御力によって、聖霊の力によって、イエスの愛と恵みによります。イエスと共に苦難を背負う道を歩むことは、人の力では従うことはできません。

後に、聖霊に満たされた弟子達は、事実、殉教の死を遂げたほどにイエスに従い通しました。迫害の中でイエスの足跡を踏んだ弟子たちがいます。

私達の勝田台教会は、世に向かって、八千代、佐倉、千葉の地に向かって、イエスを告白し続ける教会でありたいと願います。「イエス・キリストは、生ける神の御子、救い主である!」と。


【消息・報告】

〇 本日は教会創立四十九周年の記念礼拝でした。ここまで祝福し、導いて下さった主に心から感謝し、賛美をおささげします。

〇 イースターで皆様に用意致しましたチョコ・エッグを、本日記念にお持ち帰り下さい。

〇 新型コロナウイルス感染予防対策に、今後もご協力下さい(マスク着用、集会出席前の検温記入、間隔を空けての着席など)。特に玄関で密にならないようにご注意ください。

〇 礼拝動画のインターネット配信は暫く続けます。

https://katsutadai-ch.amebaownd.com/

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二〇年七月一二日 第四九巻 第二八号

礼 拝 順 序     

前  奏  二五二

招  詞  ヨハネ一四・二七

頌  栄  六〇

賛  美  二五七 キリストは生きておられる

交 読 文   五四 ヨハネ一四(八七〇~八七一頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷          

賛  美  三四一 恐れなく近寄れ

聖  書  マルコ六・四五~五六

メッセージ 「わたしだ、恐れることはない」 竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美  二五〇 世の波風いかに荒れて

頌  栄  六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告


説教全文は、別紙・ホームページに掲載しています。

「わたしだ(エゴー・エイミー)。恐れることはない」 マルコ6:45~56

(並行個所 マタイ14:22~36、ヨハネ6:15~21)

5千人の給食の奇跡の反響は大きく、群衆とイエスの弟子たちの驚き、興奮は冷めやらず、であったと思います。悪霊を追い出し、病人を癒すばかりか、今日のパンの奇蹟によって空腹をも満たしていただいた群衆は、ヨハネによる福音書では、イエスを王に祭り上げようとしました(ヨハネ6:15)。群衆は興奮すると恐ろしい暴動を起こしかねません。

1、 ひとり山に退かれるイエス(:45~46)

イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませ、ベツサイダ(ガリラヤ湖北部、カペナウムの町の東)へ向かわせます。イエスは残られ、群衆を解散させます。その後、群衆と別れ、ひとり山に向かわれます。

何のためにひとりになられたのでしょう。「祈るために」とあります(:46、1:35)。

大きな神の働きの後に、幾度もひとり寂しいところへ行き、祈られるイエスの姿が聖書の中にあります。

大きな業・成功の後には、大きな誘惑・罠があります。非常に無防備で危険な状態でもあります。どんな誘惑があるのでしょう。神に栄光を帰すことをせず、自分の誉れとする誘惑です。褒められると、鼻が高くなり、高慢になり易いのが人の常です。

イエスが私たちに見せて下さるのは、「へりくだった祈りの人」の姿です。神の働きをする前に祈られます。そして、神の働きの後にも祈られます。私たちのイエスでさえも、父なる神に祈られました。私たちは祈りなしで、神のみこころに生きることは決してできません。

静まって祈る。ひとりで神の御前に自分の身を置く場所、時間を聖別しましょう。

2、逆風の中の弟子たち(:47~48)

イエスが移動手段によく舟を使っておられるのがわかります。カペナウム、ゲラサ、ベツサイダ、ゲネサレ、テベリヤ。十二弟子の中4人がガリラヤ湖の漁師ですから、舟の調達、操作も手慣れたものだったと思います。

以前もゲラサに舟で向かう途中、大嵐に遭遇した事がありましたが(4:35~41)、今回も逆風の突風で進むことができませんでした。夕方には(:47)湖の中央まで漕ぎ出したのに、午前3時になっても向こう岸に到着しない。舟が進まなくて、疲労困憊している弟子たちでした。ガリラヤ湖は対岸が目視できる位の湖で、大きな湖ではありません。 * ガリラヤ湖の大きさ 南北21㎞、東西13㎞。広さ166K㎡(比較:霞ヶ浦168㎢)。

3、湖の上を歩くイエス(:48)

イエスは、湖の中央で舟を漕ぎあぐねている弟子たちを岸からご覧になり、真夜中の3時頃、荒れ狂う波の湖の上を歩いて、弟子たちの舟の方に向かわれます。そして、舟のそばを通り過ぎようとされました。人が湖の上を歩くなんてあり得ない。だから聖書は信じられない、という人も少なくないかも知れません。ある学者は、ただ湖畔を歩いておられただけだとか、そこだけ浅瀬になっていたとか苦しい説明をします。しかし私たちは、イエスは神の御子であられ、お出来にならないことは一つもありません、と今日も告白します。何でもかんでも信じるのではありません。イエスであられるからこそ信じます。

4、怯え、取り乱す弟子たち(:49~50)

弟子たちの反応はどうだったでしょう。波立つ湖の上を、歩いて近づいて来る白い人影を「見て、幽霊だと思い」、恐れ、怯え、「叫び声を上げ」ます。大の大人が怯えて大声を出しているのもみっともない様にも思います。闇を恐れ、風を恐れ、波を恐れ、幽霊だと言って恐れます。「幽霊」(ギリシア語:ファンタズマ=ファンタジーの語源)とは聖書の中でも不思議な表現ですが、人は得体の知れないもの、未知のものを恐れます。

人は、私たちは恐れます。恐れは、平安を奪い、安心・勇気・愛・休息・自信・光りを失わせます。

人は何に恐怖を抱くのか。病気・悪霊・死・裁き。自然災害・疫病・戦争、そして痛み、等々。

幽霊がいるのかいないのかはわかりません。一度も見たことのない幽霊(悪霊・汚れた霊とは別)になぜ人は恐怖を抱くのでしょうか。それは死と闇に誘われる恐怖です。

何かによって恐れに支配される時、私たちは闇の中に閉じ込められてしまいます。

聖書の中でイエスは「恐れるな」と何度も言われていますが、それは私たちが恐れに支配されやすい、弱い人間であることを知っておられるからです。私たちの住む世界は、恐れ、思い煩い、不安の材料に満ちています。

5、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」(:50~51)

しかし、イエスは「すぐに」(:45)彼らに話かけられ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われました。(「すぐに」参考 :50、54)

私達はこの時代の中にあって、今ある私の生活の中にあって、また未来に向かっても、今日も、イエスのこのおことばを聞きます。

キリストを信じているから、恐れ、不安、思い煩い、孤独、絶望を引き起こすような出来事は起こらないのではない。恐れを抱かせるような出来事が私たちの人生から無くなってしまうのではない。しかし、私たちはキリストを持っています。どんな逆風にも、未だ経験した事のない災禍の中にも、既に、キリストという平安(シャローム)を持っています。そしてそれを奪うものは何一つないのです。

⦅ローマ8:35~39⦆

イエスが舟に乗り込まれると、風はやみました。

6、パンのこと(奇蹟)から悟ることなく、その心は固く閉じていた(:51~52)

弟子たちの心中の驚きは非常なものでした。

師の心、弟子知らず、という言葉がありますが、未だイエスがどのようなお方であり、何を成そうとしておられるかを理解していない弟子たちの姿がここにあります。

キリストのお心・使命、キリスト者知らず、でありましたら、誰が世にキリストを知らせることができるのでしょうか。

キリストの御思いを求め、聖霊によって知らせていただき、日々を生きましょう。

7、ゲネサレの地での働き(:53~56)

イエス一行はゲネサレの地(ガリラヤ湖北西部、カペナウムの西の地方)に到着します。

イエスの働きは休むことなく続きます。町でも村でも部落でも、イエスがはいって行かれると、多くの病人たちが連れて来られ、また、広場に寝かせられます。病人を連れて来た人々はイエスを待って、せめてイエスの着物の端にでもさわらせてくださるようにと願います。そして、さわった人々はみな、癒されました。


【消息・報告】

〇 新型コロナ感染は関東地方では未だ収束に向かっていません。七月中は二部制の礼拝を続けます。玄関で密にならないように、すみやかにご入場、ご帰宅下さい。検温した体温は、受付で自分で記入し、週報などもご自分でお取り下さい。密接した会話もご遠慮下さい。又、礼拝後互いに祈り合う時は、密にならず間隔をしっかりと空けて、向き合わないでお祈り下さい。

〇 本日礼拝後、役員会を行います。ZOOM(インターネット会議)を併用して行います。

〇 次週は創立記念礼拝です。教会の歩みが四九年間守られています事を主に感謝します!イースターで用意しましたチョコ・エッグをお持ち帰り下さい。

〇 礼拝動画のインターネット配信は暫く続けます。

https://katsutadai-ch.amebaownd.com/

〇 新型コロナウイルス感染予防に尚、ご協力下さい(マスク着用、集会出席前の検温など)。ガイドラインは別紙、ホームページをご覧ください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二〇年七月五日 第四九巻 第二七号

礼 拝 順 序     

前  奏  四〇七

招  詞  ローマ一二・一

頌  栄  六〇

賛  美  一六三 くすしきかな主の御名

交 読 文  五二 ルカ一(八六九頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷          

賛  美  四〇六 主にありて生くるとき

聖  書  マルコ六・三〇~四四

メッセージ「イエスに自分をささげなさい」  竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美  三九九 この身の生くるは

頌  栄  六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告


説教全文は、別紙・ホームページに掲載しています。


「イエスに自分をささげなさい」 マルコ6:30~44

(並行箇所 マタイ14:13~21 ルカ9:10~17 ヨハネ6:1~15)

序 飼う者のいない羊(:30~34)

二人一組で派遣された十二弟子は、短期宣教(6:12)から帰って来て、自分たちのしたこと、教えたことをイエスに報告します。弟子もイエスも休息が必要でした。しかし、イエスの周りには多くの人々が押し寄せ、食事をする暇もない程でした。イエスは弟子たちを休ませるために、わざわざへんぴな場所に舟で移動されます。町を離れ、青草以外何もないガリラヤ湖岸のなだらかな丘を目指して。しかし、舟が寂しい場所に到着すると、既に岸にはイエスを探し求めて、多くの群衆が先回りをして集まっていました。

イエスは、「飼う者がいない羊のような群衆をご覧になり、そして彼らを深くあわれみ、いろいろと教え始められた」(:34)。

イエスがご覧になったのは、肉体的、霊的に飢え、疲れ果てている群衆の姿です。成人男子だけで五千人、女性や子供を合わせると一万人以上の人々の姿でした。

イエスの目は、今、この世界、この日本、私たちをどのようにご覧になっておられるでしょうか。

コロナ禍、自然災害によって不安の中にいる人々。目的も到着先もわからず、迷いの中にいる人々。身体や心を病んで悩んでいる人々。社会に馴染めず、生きづらさを感じている人々、何をしても満たされない心で歩んでいる人々。自らの力ではどうにもならない困難や悩みの中で、弱り果てている人々。

私たちは弱い羊であり、私たちには、導き、養い、守っていただく羊飼いが必要ではないでしょうか。

1、あなたがたの手で食物を上げなさい(:35~40)

町から離れたへんぴな場所で群衆に教えておられるうちに、夕方になり、しかし食べる物が何もない状況でした。誰も食べ物を持っていなかったのは、人々が貧しかったせいかもしれません。

弟子たちは「群衆を解散させ、自分たちで食べる物を買うようにさせてください」とイエスに進言します。

するとイエスは、「あなたがたの手で食物を上げなさい」と言われます。

イエスは私たちの必要を知っていてくださいます。そして、精神的、霊的な心の糧だけでなく、実質的にパンも与えて下さるお方です。

イエスが弟子たちに命じられたことは、無謀なチャレンジのようにも思えます。

私たちは「できない、足りない」(不可能)を計算します。

「200デナリでパンを買って来ても足りません」

* 1デナリ=当時の1日の給料、日当に相当

現在の千葉県の最低賃金 時給923円 8時間労働で1日8,000円とすると、その200倍は160万円、それを1万人に分けると一人=160円

200デナリあっても、ひとり160円分のパンしか食べられない(円で換算はできないかも知れませんが)。

手もとにある5つのパンと2匹の魚(子供が持って来ていた弁当 ヨハネ6:9)では、何の役にも立たない。

2、イエスのもとへ(:41)

ああ、私たちの手持ちはいかに乏しく、自分も家族も、周りの人々の空腹も満たすことのできない者でしょうか。しかし、そのわずかな私たちの持てるものを、イエスは「わたしのもとに持って来なさい」と言われます。

自分はそのままでは、何の役にも立たない者ですが、全てをイエスに献げるとき、素晴らしい神のみわざが起こります。

5つのパンと2匹の魚は、(弱くて小さな、足りない者であっても)

イエスの手に渡され、(イエスの手に献げられる時に)

イエスがそれを祝福し、(イエスがその者を祝福し)

それは裂かれ、(イエスと共に十字架を負う者として)

弟子たちに渡され、(イエスの祝福を託され)

全ての人々に配り、分けられます。(イエスの祝福を多くの人々に分かち合う者となります)

「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい」(ローマ12:1)。

3、あり余る祝福(:42~44)

 その結果はどうだったでしょうか。

人々はみな、食べて満腹しました。

残ったパン切れを拾い集めると12の「大型のかご」にいっぱいになりました。

あなたが神の祝福を多くの人に分かち合うために、今、自分をイエスに献げなさい。イエスがあなたを祝福の器として豊かに用いてくださいます。


【消息・報告】

〇 次週から通常通りの午前一〇時から、一階と二階に分かれて礼拝を行う予定にしていましたが、関東地区の感染状況を踏まえ、7月中はこれまで通りの2部制(9:30~10:30、11:00~12:00)の礼拝を続けます。一部礼拝後は、二部の方と重なって密にならない様にすみやかに帰宅下さい。検温した体温は受付で自分で記入し、週報などもご自分でお取り下さい。密接した会話もご遠慮下さい。

〇 礼拝後互いに祈り合う時は、密にならず間隔をしっかりと空けて、向き合わないでお祈り下さい。

〇 次週礼拝後、役員会を行います。各集会の再開と行い方について検討いたします。

〇 礼拝動画のインターネットでの開示も暫く続けます。

https://katsutadai-ch.amebaownd.com/

〇 新型コロナウイルス感染予防にご協力下さい(マスク着用、集会出席前の検温など)。ガイドラインは別紙、ホームページをご覧ください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二〇年六月二八日 第四九巻 第二六号

礼 拝 順 序     

前  奏  五一〇

招  詞  ローマ一二・二

頌  栄  六〇

賛  美  一八八 救い主は待っておられる

交 読 文  五一 マタイ五(八六八~八六九頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷          

賛  美  四五七 憂いと罪より

聖  書  マルコ六・一四~二九

メッセージ「殉教者バプテスマのヨハネ」  竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美  二四九 貧しくあれども

頌  栄  六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告


説教全文は、別紙・ホームページに掲載しています。


「殉教者バプテスマのヨハネ」 マルコ6:14~29

(並行箇所:マタイ14:1~12 ルカ9:7~9)

 本日の聖書の登場人物:バプテスマのヨハネ、国主ヘロデ、ヘロデヤ、ヘロデヤの娘(サロメ)。

これまで、マルコによる福音書からイエスのことばと行いを読んできましたが、挿入されるようにしてバプテスマのヨハネの死が記されています。イエスの働き、評判の拡大に従って、交代するかのようにバプテスマのヨハネの働き、使命が終わって行きます。バプテスマのヨハネの死、そしてその死の事情が書かれています。「私は救い主ではなく、『声(証言者)』である」としていたヨハネの徹底した姿を見ていきましょう。

ヨハネが捕えられ(1:14)、(投獄期間約1年?)、そして彼の死後、代わってイエスの名が知れ渡ると、人々は「バプテスマのヨハネが死人の中からよみがえったのだ」と言い、ヘロデ王も「私が首をはねたあのヨハネが生き返ったのだと」言いました(6:14~16)。バプテスマのヨハネの働きは、イエスの生涯にとても大事な位置を占めています。イエスの生涯を記す4つの福音書全てにバプテスマのヨハネの記事が記されています。

バプテスマのヨハネについて

彼の使命の第一は、「荒野に呼ばわる者の声がする。主の道を整えよ」(イザヤ40:3)の預言にあるように、イエスの来られる道を備える人物、旧約と新約を結ぶ最後の預言者でした。彼はイエスを指さし、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)と証言する者であり、又、イエスに洗礼を授け、イエスの公生涯のスタートに重要な役目を担った人でした。

第二は、罪の赦しの為の「悔い改めのバプテスマ」を説き、ヨルダン川で人々に洗礼を授けていました。自ら、荒野で禁欲生活をし、富・欲・世の快楽から身を遠ざけていた人でした。当時のエッセネ派、クムラン教団に属していたという説もあります。彼のメッセージは聞く者の罪を浮き彫りにし、人々を悔い改めに導きました。

その誕生については詳しくルカによる福音書1章に書かれています。

彼は祭司ゼカリヤとエリサベツ夫婦の晩年の子供(対照的にマリヤは10代でイエスを生んでいる)。父ザカリヤの祭司職の跡継ぎになった様子はない。イエスより半年先に生まれ、イエスにとってはいとこにあたります。母の胎にいる時から聖霊に満たされ、イスラエルの多くの民を神に立ち返らせました。

ヘロデについて (ヘロデ大王の息子 ヘロデ・アンティパス)

父、ヘロデ大王は、自らの権力保持のため、兄弟、妻や息子たちをさえ処刑しました。血塗られた王の一族の道、権力争いの道を息子のヘロデ・アンティパスも進みます。

ヘロデ大王の死後、ユダヤの領地は4分割されました。ガリラヤとぺレヤはヘロデ・アンティパスが領主(国主)として治め、ユダヤ、サマリヤ、イドマヤは領主ヘロデ・アケラオが(しかし失脚後、総督ポンテオ・ピラトによるローマの直轄地となる)、ガリラヤの北東部は国主ヘロデ・ピリポが治め、そして、ユダヤの部分的な一部をサロメ(大王の妹)が受け継ぎます。聖書の中に「ヘロデ」と呼ばれる王が出てきますが、全て同一人物ではありません。ヨハネを殺害したヘロデは、ガリラヤとペレヤの領地を治めていたヘロデ・アンティパスでした。(ルカ3:1にその4分割が記されています)

彼は、ローマの支配下の領主であること、ヘロデ大王の王権を争う中にいること、貴族の後ろ押しが必要なことから、父と同じく権力に固執し、ローマの支配下で実権を持って居なくとも横暴で、自己中心で、見栄を張り、人目を気にする王でした。民衆の評判、ローマの評判、貴族の評判、いつも周りを気にしていた人でした。イエスはヘロデを「狐」と呼びました(ルカ13:32)。狡猾、ずる賢さ、家畜泥棒、臆病な人物像が浮かびます。

ヘロデヤ(ヘロデ大王の孫、ヘロデの兄弟ピリポの妻であった女性)について

ヘロデヤは元々、ヘロデの異母兄弟ピリポの妻でしたが、ヘロデと恋仲になり、彼の元へ行き妻となります。ヘロデヤの娘も母と共にヘロデのもとに行きます。ヘロデは異母兄弟ピリポの妻と娘を奪い取っていました。そのようなヘロデの暴挙に対して、王宮の者も、誰もそれを諫(いさ)める者はいませんでした。

ヘロデヤの娘「サロメ」について 

* オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」、シュトラウスのオペラ「サロメ」が有名。

有名な戯曲の中では、サロメがヨハネ殺害の首謀者のように描かれています。

ヨハネは声を大きくして、このヘロデ王を非難した   レビ20:21

イエスの道備えの使命を果たしたヨハネにとって、どうしてもそのままにしておけない事がありました。それは、ヘロデ王に対するメッセージに込められていました。彼は、ヘロデ王とヘロデヤの非道、罪をまっすぐに非難しました。

* たとえば、現在北朝鮮で、金正恩を非難する人がいたら、その人は投獄され、処刑されるかも知れません。

その王に対する非難にはどれだけの覚悟が必要だったでしょう。地の塩として、忖度なく、世の誤りを正し、曲がったものを真っ直ぐにする、王にさえ進言するバプテスマのヨハネの預言者としての覚悟があります。

ヘロデにとっても、ヘロデヤにとっても、ヨハネは目の上のたんこぶのような存在であったでしょう。

ヘロデヤは自分の罪を指摘されて、夫を侮辱されて、ヨハネを憎み、殺したいと思っていました(19)。

ヘロデは若干違って、ヨハネを正しい聖なる人と知って、彼を恐れ、保護を加えていました(:20)。民衆の評判もあり、牢に入れたまま、その処分を躊躇していました。

そのような時、ヘロデ王が誕生日に設けた祝宴で出来事がありました(:21~28)。

結論

ヨハネの死を通して

バプテスマのヨハネは、首をはねられ、首が盆にのせられ、悲惨な死を遂げました。何故、神の預言者がこのような悲惨な最期を迎えねばならないのでしょう。旧約聖書の預言者たちも、新約聖書のキリストの聖徒たちもそうでした。そして、誰よりも主イエスがそうでした。世にあっては悩みがあります。自分の十字架を負ってイエスに従うその十字架には迫害、苦難も伴います。

しかし、この朝、皆さんに知っていただきたいのは、バプテスマのヨハネは生きているが、ヘロデは死んでいる、ということです。神の前にまっすぐに生きた人と、自らの権力と欲に迷った人の対照的な姿です。

皆さん、神の御前に生きた、命のある人生を歩みましょう。

確かに私達は、やすらかな死を迎えたい。ああ、これぞ神に祝福された者の最後だと言われるような穏やかな死を迎えたい。しかし、大事なのはむしろ、ヘロデとバプテスマのヨハネの記事を読み、穏やかな死を望むよりむしろ、「神の前にどのように生きたのか」を求めましょう。

「荒野に呼ばわる者の声」に徹したバプテスマのヨハネは首を切られたが、神のもとに勝利の凱旋をしました。ヘロデは後に王権を失って、ヘロデヤと共にユダヤからの追放者となります。


【消息・報告】

〇 先週からコロナ対策ロードマップ(予定表)の第二段階に入り、二部制礼拝を動画をもって行っています。礼拝時間は第一部、九時半~十時半、第二部、十一時~一二時です。一部の礼拝が終わりましたら、二部の方々と重ならないようにすみやかにご帰宅下さい。コロナ感染状況の動向を踏まえながら、七月一二日(日)から「第三段階、通常の一〇時~、一階、二階に分かれて礼拝を行う」に移行する予定です。教会学校、祈祷会、聖書学び会、のぞみカフェの再開も検討していきます。お祈り下さい。動画による礼拝は暫く継続いたします。

https://katsutadai-ch.amebaownd.com/

〇 新型コロナウイルス感染拡大防止のガイドラインを作りました。良く読んでいただき、予防にご協力下さい(マスク着用、集会出席前の検温など)。 ロードマップ、ガイドラインは別紙、ホームページをご覧ください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二〇年六月二一日 第四九巻 第二五号

礼 拝 順 序     

前  奏  四三二

招  詞  第二テモテ四・一~二

頌  栄  六〇

賛  美  一六六 威光・尊厳・栄誉

交 読 文  五〇 イザヤ五三(八六七~八六八頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷          

賛  美  二五一 主イエスの御側に

聖  書  マルコ六・七~一三

メッセージ「派遣される者の心得」  竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美  四三六 未だ見ぬ地

頌  栄  六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告


説教全文は、別紙・ホームページに掲載しています。


「派遣される者の心得」 マルコ6:7~13

(並行箇所:マタイ10:1、9~14、ルカ9:1、3~5)

ことばと行い

『私たちと共にいてくださるイエス』というお方を知る上で、そのみことばとみわざをマルコによる福音書から読んでいます。イエスは、「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」と言われました。権威ある教えをもって「わたしに従って来なさい」と人々を招き、神の国についてたとえで話されました。又、その神の国の主権者として、嵐を静め、悪霊を追い出し、病を癒し、死人を生き返らせられました。

イエスの周りにはいつも多くの群衆が押し寄せていました。イエスはひとりで、「神の国」の働き、宣教活動をなさらず、十二弟子をお選びになります(3:13~19)。イエスは常に身近に十二弟子を置かれました。それは、彼らにご自身の権威を持たせ、福音宣教に遣わすためでした(3:14)。

時が来て(これまでイエスの側にいて、そのみことばと、働きを経験してきた弟子たちでしたが)、いよいよ十二弟子がイエスの許から派遣されます。数週間、数か月間でしょうか、短期宣教。イエスの働きをするために。

本日は、十二弟子を派遣するにあたって、どんな心得をイエスが語られたのかを読みます。

これは、今、私たち、イエスによって世に派遣されるキリスト者にとって、しっかりと受け止め、自覚しておくべき事であると思います。

1、 ふたりずつ遣わされた

イエスは十二弟子を二人一組に分けました。チームを作ります。一人と二人は何が違うでしょうか。二人ですと、協力し、互いに祈り合い、支え合うことが出来ます。くじけそうになった時、不安になった時、信仰が無くなりそうになった時も、祈り合い、励まし合うことができます。互いに愛し合い、祈り合い、支え合う訓練の時でもあります。信仰の友、神の働きの同労者はいかに必要なことでしょう。

 * 板橋教会で行っていた祈りのパートナーシップ * パウロによる宣教の同労者たち

 東京聖書学院では、夏期伝道というものがあり、夏の期間、修養生たちが全国へ派遣されて行きます。私が入学して間もない1年生の夏、「伝道チーム」に任命されて、現在福岡教会、柳川教会で牧師をしておられる江副謙一牧師(当時2年生)と2人チームで、成田、武蔵村山、久喜、海老名(現在のひばりが丘)に遣わされました。

 成田では2万枚の教会案内を配布し、各教会へ移動しながら、音楽集会、映画会、伝道集会、子供会などを行いました。朝毎に共に祈り合い、なすべき教会の働き、今日1日の働きのスケジュールを確認し、話し合って一ケ月半の期間を過ごしました。

 夏期伝道を終えた修養生たちは、聖書学院へ帰って来て、リトリート(退修会)を行い、それぞれの派遣された場所での経験を分かち合い、証詞します。いろいろな意味で、大きな成果を上げて帰って来る者、傷つき疲れ果てて帰って来る者、様々であったと思います。

 * 勝田台教会の開拓当時も、聖書学院から伝道チームが遣わされています。小林重明師・溝口寛師・水間照弥師・山脇満師の4人。

 主の働き、宣教は一人でするものではない。チームで心を合わせてその働きをすることが求められています。互いに意見が対立することもあるかも知れない。しかし、私たちはキリストにあるワン・チームです。

2、権威をお与えになった

イエスは弟子たちを派遣するに当り、ご自身の権威を弟子たちに与え、委任されました。悪霊を追い出し、病人を癒す権威でした。それはイエスが行なっておられたのと同じ神のみわざです。アンバサダー(大使)は、その国の様々な特権を代行します。

* マタイは特に詳しく書いています。「病人を直し、死人を生き返らせ、ツアラアトを患っている人をきよめ、悪霊を追い出しなさい」。そして、お金を取ってはならない「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」(マタイ10:8)。

ルカによる福音書では、イエスの「力と権威をお与えになった」(ルカ9:1)とあります。イエスがキリスト者に委任しておられる権威、力の大きさを知ります。私たちはそれをどれくらい自覚しているでしょうか。

3、 何も持って行くな

 私たちは旅をするために様々な準備をしますが、食べ物、カバン、お金、着替えも何も持って行くな、とイエスは言われます。私たちは日々生活するための必要があります。一ヶ月の派遣期間をどのように過ごせばいいのでしょうか。どうしてイエスはそのように、あえて命じられたのでしょう。全てを神に求め、神が与えて下さったという経験をいただくためにではないでしょうか。決して容易い命令ではありません。

 * ゼロからの開拓に任命された牧師たち

* カラスと貧しいやもめの女に養われたエリヤ(第Ⅰ列王記17章)

* 大先輩の牧師の証詞 米びつに米が尽きてしまった時の証詞

4、足の裏のちりを払い落としなさい

ユダヤ人の習慣に旅人をもてなすというものがありました(ヘブル13:2)。神のみわざを受け、福音を信じ受け入れる人がいたら、その一軒の家にとどまりなさい。それは、神が備えて下さった人、家だからです。派遣された者は、神が備えて下さったという経験を繰り返します。

「主の山に備えあり」。私たちの人生には神の備えがあり、導き、守り、養いがあります。

その地が、町が、人々がイエスを受け入れないなら、足の裏のちりを払い落としなさい、とイエスは言われました。それは抗議のしるしではありません。

足の裏のちりを払い落す時は、その祝福があなたに帰って来る時です。拒絶されたなら、怒ったり、裁いたり、失望せず、又、自らを責めることなく、全ての責任を彼らに委ねなさい(神に委ねなさい)。

結び 遣わされた弟子たちの成したこと(:12~13)

悔い改めの福音(みことば)を宣べ伝え、悪霊を追い出し、大ぜいの病人に油を塗って癒した(神のわざ)。イエスのメッセージとわざを代行した。

私達キリスト者、キリストの教会のすべきことの考察

・ イエスに遣わされている者であることの自覚

・ 教会の働きに私もチームとして共に加わること

・ イエスの権威を託された者として、信仰と期待を持つこと

・ みことばを宣べ伝え、そのわざをすること(福音宣教と、解放・癒し)

悪しき力(悪霊・汚れた霊)からの解放

文明・科学が進んで、私たちの暮らしは変わったが、人そのものは変わらない。紛争、虐殺、テロ、環境破壊、飢餓、人身売買、拉致・誘拐、人種差別、略奪、児童虐待、不正・ワイロ、不倫、ハラスメント…世界は、人は、何か目に見えない悪しき力(悪霊)に捕らわれている。

聖い霊、キリストの権威による解放

様々なあらゆる患いからの癒し 身体的・心的・社会的に傷ついた体と心の癒し。

イエスは身ひとつであられるが、主は村や町にその弟子たちを遣わされる。

主イエスはおひとりだが、主の弟子たちが世界中に、町に、家に、福音を知らない人に遣わされる。


【消息・報告】

〇 本日からコロナ対策ロードマップ(予定表)の第二段階に入ります。三週に亘り、二部制の礼拝を動画をもって行います。礼拝時間は第一部は九時半~十時半、第二部は十一時~一二時となります。一部の礼拝が終わりましたら、二部の方々と重ならないようにすみやかにご帰宅下さい。コロナ感染状況の動向を見ながら、「第三段階、通常一〇時~、一階、二階に分けて礼拝を行う」に移行する予定です。徐々に諸集会を再開していきたいと計画しています。お祈り下さい。動画による礼拝を暫く継続いたします。

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〇 新型コロナウイルス感染拡大防止のガイドラインを作りました。良く読んでいただき、予防にご協力下さい(マスク着用、集会出席前の検温など)。 ロードマップ、ガイドラインは別紙、ホームページをご覧ください。

〇 先週は「花の日」でした。教会学校から健康の優れない方々八名に励ましのお葉書を送りました。病い、弱さの中にある方々のためにお祈り下さい。

〇 新しい教会の電話連絡網ができました。又、速やかに教会の情報をお知らせするためにメーリングリストを作りたいと思います。メールアドレスを持っておられる方はお知らせ下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二〇年六月一四日 第四九巻 第二四号

礼 拝 順 序     

前  奏  一六六

招  詞  ヨハネ六・二八~二九

頌  栄  六〇

賛  美  四三一 主と

交 読 文  四九 イザヤ四〇(八六六~八六七頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷   

賛  美  三五〇 主の恵み語るは楽し

聖  書  マルコ六・一~六

メッセージ「神のみわざの起こる場所」 竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美  二八一 疑い憂いに

頌  栄  六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告


説教全文は、別紙・ホームページに掲載しています。

「神のみわざの起こる場所(心)」マルコ6:1~6 -郷里宣教-イエスの力と、私たちの信仰

(並行箇所:マタイ13:54~58、ルカ4:16~30)

ここまでのマルコによる福音書(イエスの公生涯を再度思い返してみましょう)。

イエスの宣教開始のことばは「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」でした。

そしてイエスはその神の国について、多くをたとえで話されました。

後、その神の国の主権者、神の御子、救い主としての、4つのしるし(奇跡)の記事を読み進んで来ました。

その続きの本日の聖書箇所を見ますと、イエスは郷里に戻られ、郷里で宣教されます。


郷里での宣教(:1~6)  

(* 郷里への宣教を神様から与えられ、そこで宣教する牧師も多くいます)

ナザレの地は、イエスがヨセフとマリヤの子・長男として、約30年間大工として生活された場所です。大工といっても、家を建てるというよりは、家財道具・農耕具等を作る大工の仕事だったと言われています。

イエスと共に弟子たちもイエスの郷里ナザレについて行く。故郷に錦を飾るという言葉がありますが、様子は違っていました。

安息日にナザレの会堂で教えられるイエス(:2)

人々はこれまでと同じく、イエスの知恵(ことば)と力あるわざ(行い)に驚きました。他の場所と変わらない人々の反応、主の宣教とみわざでありました。

しかし、人々の反応が違ったのは、この地の人々がイエスを小さい時から知っていた人たちでした。「この人は大工ではありませんか(大工の息子は大工、奴隷の子は奴隷)。そして、マリヤの子で、兄弟はヤコブ、ヨセ、ユダ、シモン(そして妹たち)ではないですか」(:3)。(兄弟姉妹は「いとこ」とも訳せる言葉です。)私たちとここに住んでいる者ではないか。30年間、人々はイエスの成長も、暮らしぶりも良く知っていた。つい最近まで見ていた自分たちの隣人の姿。

人々がそうであれば、なおさら兄弟姉妹たちは、イエスへの信仰を持てなかったと思います。

「こうして彼らはつまずいた」とあります。


イエスは言われます「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里・親族・家族の間だけです」(:4)。


郷里での宣教の結果(:5)

そこでは、何一つ力あるわざを行うことができず、少数の病人に手を置いていやされただけだった。

「イエスは彼らの不信仰に驚かれた」(:6)とあります。  信仰のない場所。

①  ナザレの空気

人の固定観念は、イエスは大工の息子。大工の息子に何ができるのか、というものです。ここには、日常生活の自分達の経験や常識に縛られた人々の姿があります。イエスは救い主ではなく、知人のひとりでしかなかったのです。

イエスを信じない人々。その権威、救いを信じない、認めない人々がいます。

嵐を静める、悪霊を追い出す、病人を癒す、まして、死人を生き返らせる、など、大工の息子にできよう筈もない。

イエスの力あるわざ(奇跡)の起こる場所では、多くの者にしるしが起こります。そうでない場所では、少数の者にしか起こらない(全くないわけではない)。

恵まれた集会(場所、その心)とは、主イエスの権威を、常識の外に見出します。必ず主は不可能を可能にして下さるという熱い期待があり、イエスへの期待と信仰が満ちています。

主イエスの権威が苦しむ者たちに力強く働いてくださるのは当たり前、当然のこと、という人々の空気がその中にあります。

実はこの霊的な環境・空気が最も必要です。(私達の、私達ひとりひとりの、信仰が必要です。)

非常識な行動、考え方を持てというのではない。全能の神を信じる信仰をみなが心底から持つことが必要なのです。

* 韓国に30年前に働いていた聖霊の働き。日本の戦前・戦後のリババル。霊的覚醒運動。

この霊的覚醒は家族に、親族に、街に、国に世界に起こる出来事です。

国が、街が、親族が、家族が 祝福されることです。祝福とはそこにいるキリスト者が、みな、霊の目が開かれて、主の力強い権威(神の国)を熱く期待し、感じ、求めることなのです。

② 聖霊の好む場所(ヨハネ3:8)

祈りは世界を変えます(空気を変えます)。重い・閉塞的な・懐疑的な空気を変えます。

祈りの中に聖霊が働くからです。空気が変わらない筈がない。

* 教会は多くの祈りがささげられ、そのために建てられた場所であり、聖なる地(ホーリーランド)です。

(大島泉の家の証し)

聖霊が働いて下さるのでなければ、何も神のわざは起こりません。私たちは神、イエスの力あるみわざを信じます。

③ 神のみわざは、イエスを信じること(ヨハネ6:28~29)

最後に、何が最も大きな神のみわざでしょうか。それは何か目を見張るような奇跡のように思いますが(それも必要なら主が与えて下さいます)、主イエスが言われたのは、「神が遣わした者(イエス)を信じること」です。

人が目をみはるような奇跡が起こっても、イエスを信じなかったなら、それはまことに神のみわざと言うには小さな出来事です。

 私たち勝田台キリスト教会が、私たちの心が、イエスの大いなるみわざの起こる、聖霊が力強く吹いているところでありますように。


【消息・報告】

〇 本日礼拝後、ソーシャル・ディスタンスを保ちながら、次週の礼拝に向けて短く役員会を持ちます。

〇 日本国政府の「全国緊急事態宣言解除」を受けて、私たちの教会もロードマップ(活動再開復帰の予定表)を作成しました。段階を踏まえて、新しい集会形式を考え活動を再開していきます。本日までを第一段階、人数制限を行なっての会堂での動画礼拝、次週から第二段階として二部制の動画礼拝を行います。その後、新型コロナ感染状況の動向を見ながら徐々に諸集会を再開していきたいと計画しています。お祈り下さい。動画による礼拝は暫く継続していきます。

https://katsutadai-ch.amebaownd.com/

〇 新型コロナウイルス感染拡大防止のガイドラインを作りました。このガイドラインに従って礼拝、諸集会を行いたいと思いますので、良く読んでいただいて予防にご協力下さい(マスク着用、集会出席前の検温など)。 ロードマップ、ガイドラインは別紙、ホームページをご覧ください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二〇年六月七日 第四九巻 第二三号

礼 拝 順 序     

前  奏  四五三

招  詞  イザヤ四一・八~一〇

頌  栄  六〇

賛  美  一七〇 マジェスティ

交 読 文  四八 イザヤ三五(八六五~八六六頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷          

賛  美  三五五 主と共に歩む

聖  書  マルコ五・三五~四三

メッセージ「恐れるな、ただ信じなさい」  竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美  一八二 ただ信ぜよ

頌  栄  六三

祝  祷                 竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息・報告

 

説教全文 別紙記載・ホームページ掲載


「恐れるな、ただ信じなさい」  マルコ5:35~43

(並行箇所 マタイ9:18~26 ルカ 8:41~56)…比較してみると全く同じではない。

人はそのことばと行いによって、どのような人物か判断できます。何を語り、何を成したのか。

イエスの公生涯は、イエスの権威ある教えと、力ある業に満ちていました。

この世に「神の国」をもたらされた、神の国の主権者イエス。このテーマで私たちはマルコによる福音書を読み進んでいます。

神の御子がこの世界に来て下さり、神の国が到来した。そして、今も力強い神の国の主権者イエスのことばと、みわざが、私たちと共にあります。2000年前に数々のみわざを現して下さった同じイエスが、私の人生にも素晴らしい恵みを現して下さいます。

神の国(王国)とは、神の支配(Kingdom of God)を意味します。

それは、あらゆる私たちの世界の領域に及びます。自然界に(嵐を静める)、霊の目に見えない世界に(多くの悪霊を追い出す)、あらゆる患い・病気に(病を癒す)、そして「死」に対してもその支配が及びます。このイエスが、この世界に生きて歩まれる。イスラエルの特定の場所だけではなく、聖霊によって、イエスを信じる者がいる全世界のどこでも。

ここ(マルコ5章後半)では、群衆が押し寄せてイエスと弟子たちがなかなか前に進めない様子が書かれています。又、長血を患った女の出来事もあって、どんどん時間が過ぎてしまう。急がなければならないのになかなか前に進めない。焦りといらだちの中、刻々と時間だけが過ぎていく中に、一報が届きます。

「お嬢さんがなくなられました。なぜ、このうえ先生を煩わすことがありましょう。」(:35)

この言葉の意味するものは何か

① もう手遅れです。

② 死んでしまったら どうにもなりません。

③ イエス様に来ていただいても どうにもなりません。

会堂管理者ヤイロはその知らせを聞いて、どのような思いになったでしょうか。

当初は(:22~23節)、イエスの足元にひれ伏して、一生懸命に願い、懇願する、娘の父ヤイロの姿がありました。なり振り構わず、立場もプライドもかなぐり捨てて、一心に主イエスに願ったヤイロ。それは、ただ愛する愛娘のためでした。それもむなしく、この知らせはヤイロにとって、目の前が真っ暗になったような思いにしたのではないでしょうか。

私たちも人生で、何度かそのような経験をします。

・どうすることもできない事態。遅すぎました。取り返しがつきません。望みがありません。やり直しができません。

・一縷の望みが断たれるという経験。どんなに厳しい状況でも、命があれば望みはあるかも知れない、助かるかも知れない。しかし、娘は死んでしまった。

これまでに読んで来ました、人の手の及ばない第四番目の絶望、死です。

今日、イエスのことばに耳を傾けてください。

望みが完全に断たれたという、人が絶望している真中に、イエスは立たれ、宣言されます。

「恐れないで、ただ信じなさい(信じていなさい・信じ続けなさい―新改訳聖書欄外注)。」

ただ主イエスを信じる。そこに全ての解決の道があります。イエスにある者には、手遅れ、絶望という文字はありません。イエスは、人がどうすることもできない「死」という現実・苦悩にある時、その真中に立って、「命」を宣言される唯一のお方です。

「ただ信じなさい。」それは、なんでもいいから信じなさいという意味ではない。

イエスを信頼しなさい。イエスを信じなさい。イエスに頼りなさい。イエスに望みを持ちなさい(置きなさい)という意味です。主イエス・キリストこそが私たちの望みです。

私達に必要なのは、そのような時、又、どのような時にも、「死」にも打ち勝つイエスに望みを置き続けることなのです。イエスへの信頼こそが、私達と主イエスとを結ぶもの、私たちの信仰です。

イエスの一行はいよいよ会堂司ヤイロの家に到着します。そこには 「人々が取り乱し、大声で泣いたり、わめいたりしている」姿があります。泣き女と言われる女たち(仕事として悲しみを誘う女たち)と、共に本当に悲しみにくれる人々でした。

そのような悲しみの喧騒の中にあって、ヤイロの耳に、心に静かに響いていたであろう言葉が、イエスの語られたおことば、「恐れないで、ただ信じていなさい」でした。

イエスは、最少の人数を選んで(娘の父母、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ⦅ルカによる福音書⦆)、部屋に入られます。そして、少女の手を取って「タリタ、クミ」(アラム語=マルコによる福音書だけの記述.)、すなわち、「少女よ、起きなさい」と言われます。

「タリタ・クミ」これは、死に定められた私たちも、やがてイエスからかけていただくおことばです。

主イエスを信じる者は、たとい死んでも生きます。(参照 ヨハネ11:25)

「すると、」少女は「すぐさま」(この言葉はマルコによる福音書独特の表現法のKEY WORD)起き上がり、歩き始めた。十二歳にもなっていたからである。計らずも長血を患った女の闘病歳月も12年。

イエスが言われた2つのこと

① この出来事を誰にも知らせないように 厳しくお命じになった。

② 少女に食事をさせるように言われた。

* ただ信ぜよ、ただ信ぜよ、信ずる者は誰もみな救われん! イエスの名を呼び求める者は、誰でも救われます。「ただ信ぜよ」は、ホーリネス教団の開設当時のキャッチフレーズのようなみことばでもあった。

当時、学識のない愚かな人々だと、非難されることもあったようですが、最も強いのは、人の知識・力ではなく、「ただ主イエスを信じる」信仰による力です。ここに救いが、癒しが、解放があります。

「恐れないで、ただ信じなさい。」このみことばで、幾度となく私たちは救いを受けます。

主イエスが私にそうおっしゃってくださるのですから。


【消息・報告】

〇 五月二五日(月)、日本政府から「全国緊急事態宣言解除」が出されました。私たちの教会もロードマップ(活動再開復帰の予定表)を作成しました。段階を踏まえて、新しい集会形式を考え活動を再開していきます。第一段階として、人数制限を行なっての会堂での動画礼拝、二部制の時間短縮した礼拝、その後、新型コロナ感染状況の動向を見ながら徐々に諸集会を再開していきたいと計画しています。お祈り下さい。動画による礼拝は暫く継続していきます。

https://katsutadai-ch.amebaownd.com/

〇 勝田台キリスト教会は新型コロナウイルス感染拡大防止のガイドラインを作りました。このガイドラインに従って礼拝、諸集会を行いたいと思いますので、良く読んでいただいて諸集会にご出席下さい。 ロードマップ、ガイドラインは別紙をご覧ください。ホームページにも掲載しています。

〇 先週五月三一日(日)の礼拝は、動画を観れない方々のために、会堂で動画をもって礼拝を行いました。一八名の方々が参加されました。感謝します。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二〇年五月三一日 第四九巻 第二二号

ペンテコステ記念礼拝順序     

前  奏  四〇九

招  詞  ヨエル二・二八~二九

頌  栄  六〇

賛  美  二〇八 イエスは愛で満たす

交 読 文  一九 詩篇五一(八四三~八四四頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷          

賛  美  一三三 約束の賜物をば

聖  書  使徒行伝二・一~四

メッセージ「聖霊に満たされよ」 竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美  一三六 御霊よ降りて

頌  栄  六三

祝  祷                  竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息報告


説教全文 別紙記載・ホームページ掲載

「聖霊に満たされよ」 使徒行伝2:1~4

キリスト教会の三大行事は、クリスマス、イースター、そしてペンテコステです。

日本ではクリスマスは誰もが知っています。最近ではイースターも有名になりましたが、ペンテコステを知る人は少ないかと思います。ペンテコステって何ですかと、たまにクリスチャンの方にも聞かれます。

簡単にいうと、学校や、企業などにも創立記念日というものがあるように、世界で初めてキリスト教会が誕生、創立した日です。エルサレムで、120名ばかりの人々が集まって、初代キリスト教会が誕生、スタートしました。

ペンテコステという言葉の意味は、ギリシア語で、50日目という意味です。何から数えて50日目かと言いますと、ユダヤの最大のお祭り、過ぎ越しの祭りから50日目となります。その規定は、レビ23:16に書かれています。過ぎ越しの安息日の翌日すなわち日曜日から、7週間後の日曜日です。イエスの復活された日曜日から50日目の日曜日となります。この日、イスラエルでは収穫感謝祭「初穂の日」を祝い、大麦の収穫の初穂を捧げます。

*過ぎ越しの祭=出エジプトを記念したイスラエルの祭。

しかし、ペンテコステはただの記念日ではなく、大事なのは、イエスの約束を信じ、集まり、祈っていた人々に、聖霊が注がれた日であることを忘れてはなりません。

その日を記念するのも、また、その意味を知るのも大事ですが、知識や、理解にとどまらず、私たちが聖霊をイエスから受け、満たされること、経験することが大事です。今日、聖霊の注ぎ、満たしを受けることがペンテコステの礼拝にふさわしいのです。

1、 聖霊とは何でしょう。「何」というより、「どういうお方でしょう」と問うのが正解です。聖霊は神です。お方ですから聖霊様と呼んで良いと思います。

私たちは毎週の礼拝の信仰告白の中で、「我は信ず」と告白しています。父なる神、御子イエス・キリスト、聖霊を信ず、と告白しています。三にして一、三位一体の唯一の神を私たちは信じています。礼拝の最後の祝祷の中でも「主イエス・キリストの恵み、父なる神の御愛、聖霊の親しき御交わりが、御前に集う一同の上に」、と祈ります。

* 三位一体とはどういう意味ですか。私たちはまず、神様の全てを知ることはできません。測り知れないお方である故に信じます。人が全て捉えることのできるものは既に神ではありません。そのうえで三位一体を説明するならば、たとえば、三つ葉のクローバーの葉のような、命・愛で繋がっておられるお方です。一枚の葉でクローバーとは言いません。三枚揃って1本のクローバーです。

復活されたイエスは弟子たちにこのように言われました「わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい」(ルカ24:49)。

120名程の人が、イエスの約束を信じて、エルサレムにとどまり、約束の実現を待って祈っていました。ユダを除くイエスの11人の弟子、イエスに従った女たち、イエスの母マリヤ、イエスの兄弟たち、とそのメンバーが書かれています(使徒行伝1:13~14)。そして、使徒行伝2章。時が来て、一同は聖霊に満たされました。

もう一度、この箇所を読んでみましょう。ここにキリスト教会が誕生し、キリスト教会の働き(それは聖霊による働き)が世界に向けてスタートします。

2、私が、教会が、聖霊に満たされると、どんな変化が起こるでしょうか。

・聖霊は(宣教の)力を与えます。キリスト者として生きる力を与えます。聖霊の満たしなしに、キリスト者はキリストの証人として力強く生きることはできません。

・聖霊は使命・ビジョン(夢・幻)を与えます。それは生きる指針、神から与えられる使命です。

・聖霊は喜びを与えます。それは神と、イエスと共にある喜びです。

・聖霊は私たちに新しい心を造ります。それは神を崇め、尊び、礼拝する心です。神を愛し、自分を愛し、人を愛する心です。

聖霊は神の愛、聖霊は慰め主、聖霊は真理の(みことばの)啓示者、聖霊は導き手、聖霊は交わり(コイノニア)の付与者、聖霊は普遍(人となられたキリストは時代も位置も限定)、聖霊は霊的改革者、聖霊は信仰告白の執り成し手、聖霊は祈りの執り成し手、聖霊はキリストのバプテスマ、聖霊はキリストの御霊(イエスのおこころを共有させる)…そして、聖霊は「よみがえり、生きておられるイエス・キリスト」を知らせる最も大きな助け主です。

今は聖霊の時代です。神を知らない私たちに、父なる神をあらわされたのがイエスであるなら、イエスをあらわすお方が聖霊です。聖霊は何にも優って、〈イエスが生ける神の御子、救い主であり、世の終わりまでいつも私と共にいてくださる主である〉ことをあらわしてくださいます。

イエスが、ご自身がほめたたえられるよりも、父なる神がほめたたえられることを喜ばれたように、聖霊は、ご自身がほめたたえられるよりも、御子イエス・キリストがほめたたえられることを喜ばれるお方です。

「風」のようなお方で、主イエスの名を呼び求めるところに吹きます。

3、どのようにするなら、私たちは聖霊を受けることができるのでしょう。

主の名による交わりの中にいることです。一人では教会とは言いません。一同が集まり、心を合わせ、主の約束を信じ、待ち望み(求め)祈っているところに聖霊は注がれました。

心を合わせる。集まる。主の約束を信じる。聖霊を待ち望む。祈り求める。これらは教会の本質です。

今、集まることはできませんが、同じ時間に、同じ賛美を歌い、同じみことばを開いているのには意味があります。それは私たちが心を合わせて主の前に出ている時だからです。

「求めなさい、そうすれば与えられます…天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう」(ルカ11:9~13)。

神がくださる最高の贈り物、賜物―それは、聖霊様です。

何よりも私たちが教会の礼拝で求めるのは、聖霊の満たしです。聖霊によって、みことばによって新しい心を造っていただくことです。

私が説教者として牧師として、そして何よりキリスト者として、ただ求めるのは、聖霊に満たされることです。

ホーリネス(潔めの恵み)とは、キリストの大使として生きる力を与える、聖霊に満たされて歩む生き方です。

私達はいつも、イエスがくださる聖霊に満たされることを求める集団でありたいと願っています。

その経験をいただいて、以後継続して、日々新しく聖霊に満たしていただきましょう。

生まれるのは一度、生きるのは継続です。救いの経験は一度です。しかし、潔めの経験、聖霊に満たされる経験は、一度目、そしてその後も、何度も何度も続きます。日々、御霊に満たされて歩み続けましょう。


【消息報告】

〇 本日の礼拝はペンテコステ記念礼拝でした。今日も求める者に主イエスが聖霊を満たして下さることを感謝します。聖霊に満たされて歩みましょう。

〇 五月二五日(月)、日本政府から「全国緊急事態宣言解除」が出されました。教会も段階を踏まえて、新しい集会形式を考え活動を再開していきます。第一段階として、人数制限を行なっての会堂での動画礼拝から、二部制の時間短縮した礼拝、その後、新型コロナ感染状況の動向を見ながら徐々に諸集会を再開していきたいと計画しています。お祈り下さい。動画による礼拝は暫く継続していきます。

https://katsutadai-ch.amebaownd.com/

〇 勝田台キリスト教会は新型コロナウイルス感染拡大防止のガイドラインを作りました。このガイドラインに従って礼拝、諸集会を行いたいと思いますので、良く読んでいただいて諸集会にご出席下さい。

 ガイドラインは別紙をご覧ください。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二〇年五月二四日 第四九巻 第二一号

礼 拝 順 序     

前  奏  三九六

招  詞  エレミヤ書一七・五~八

頌  栄  六〇

賛  美  一六八 ハレルヤと歌え

交 読 文  四七 出エジプト二〇(八六四~八六五頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷          

賛  美  四五二 イエスは通り給う

聖  書  マルコ五・二一~三四

メッセージ「信仰とはイエスへの期待」 竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美  四二六 世には良き友も

頌  栄  六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息報告



説教全文 別紙記載・ホームページ掲載

「信仰とはイエスへの期待」 マルコ5:21~34

(並行箇所:マタイ9:18~26 ルカ8:41~56)

序 主権

「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」。イエスの説教のテーマは「神の国」です。「神の国」に生きる素晴らしさを話されました。神の国の話を数多くたとえで話されました。

また、イエスは「神の国」の主権者として、その「しるし」を数多く行われました。「嵐を静めるイエス」は、自然界(創造物)に対する主権者の姿です。「悪霊を追い出すイエス」は目に見えない霊の世界に対して、「病を癒すイエス」は、あらゆる病・患いに対して、「死人を生き返らすイエス」は生と死、命に対しての主権者の姿です。

イエスの臨在、すなわちイエスの権威あることばと、力ある御業こそが、神の国の到来であります。

人間の前に立ちはだかる大きな困難、自然界、目に見えない霊の世界、あらゆる患いと病、そして死に対しても、「イエスは…」とマルコによる福音書は続きます。

本日の聖書箇所(:21~24) 評判が評判を呼んで、イエスのまわりに群衆が押し寄せていました。群衆に遮られて、イエスは会堂司の家に急ぎ間に合うことができませんでした。前に進めず、イエスの近くに寄ることもできない状況の群衆に紛れて、長血を患った女がイエスに触れることができました。この状況も神の栄光が現される大きな神のご計画の伏線となっています。

 自分の思う様に物事が前に進むことができない時、そこにも素晴らしい神の御計画があることを静かに受け止めましょう。

1.どうすることもできない絶望(:25~26)

ガリラヤ湖の嵐、多くの悪霊につかれた男、12年間長血を患っていた女、会堂司ヤイロの娘の死、これらのことに共通していることは、人の力ではどうすることもできない絶望感です。

長血を患っていたこの女はどれほど深い苦しみを抱えていたのでしょうか。

*病の特有性―長血という病気は、一種の婦人病で、女性特有の出血が止まらない病です。レビ記15章では、女性の生理的出血の期間は、女性に触れてはいけない、汚れているからと記されています。先週学んだ汚れた動物「豚」もそうですが、汚れているわけではない。旧約聖書を今日的に解釈すると「衛生的」な生活を勧めているのがわかります。

*12年間の苦しみ―病気そのものの痛みと共に、汚れた者として旧約聖書の厳しい律法の下で12年間も苦しんでいました。ある面では、ツアラアトの苦しみに似ています。

*現在の状況―多くの医者・占い師からひどい目にあわされ、持ち物を使い果たし、かえって悪くなる一方でした。そこには、絶望・不安・涙・悔しさ・悲しみ、怒り・憎しみ、医者や占い師から受けた理不尽な苦しみがありました。

2.イエスへの最後の望み(:27~29)

群衆がイエスに押し寄せていた状況の中で、女は、ひそかに、隠れてイエスの着物に触ろうとしました。イエスの着物の裾にでも触ることができれば、きっと直る(救われる)と思った(言われていた)からです。イエスの評判、それはどんな病も患いも癒される、いや、彼の着物に触っただけでも癒されるというものであったかも知れません。そんな噂話とも都市伝説とも思われる薄い望みに、女は願いの全てを託しました。

手を伸ばして、はやる鼓動を抑えながら、誰にも気づかれないように。そしてイエスの着物に触れます。すると、出血が止まって、ひどい痛みがひきます。どんなにか女にとって驚きであったでしょう。誰も知らない、女だけが知っている、イエスの癒しの力が、今働いたのです。

イエスの主権・力を引き出したのは、女の純粋な、強いイエスへの期待であったと思います。

3.「だれがわたしの着物にさわったのか」(:30~33)

イエスはご自身から力が出たことを気づいて、(きっと誰が触ったのかも知っておられたに違いない)自分から進んで、前に出て来ることを求められます。「群衆の中を振り向いて」(:30)「見回して」(:32)と記されています。主イエスが探しておられたのは、長い苦しみの中にあったその女でした。

弟子たちは、誰が触ったなど群衆が押し寄せていてわかりません、とちぐはぐな答えをします。

女は、自分のことを探しておられることを知り、恐れおののいてイエスの前にひれ伏し、真実を余すところなく打ち明けます(:33)。

 女は誰にも知られずに、イエスにも知られずに、その場を去ろうとしていたかもしれません。しかし、もし、このまま帰っていたなら、彼女には本当にイエスが直したのだろうか、これから先ずっと再発せずにいられるのだろうか、という不安も残ったかも知れません。大事なのは、救ってくださったイエスと救われた女の明確な関りです。深いイエスとの関りこそが重要です。イエスに話し、イエスからおことばをいただき、イエスを信じて生きていくことが大事なのです。

 女は自分の身の上と、イエスを証詞することとなります。

 

結び

 イエスからいただいたおことば、「娘よ、あなたの信仰があなたを直したのです(救ったのです)。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい」。何と愛に溢れたおことばでしょうか。これがイエスのおこころです。神の国(の姿)です。安心して、病にかからず健やかに生きる。天の国には病も不安もありません。御国が来ますように。

 

イエスは、「あなたの信仰があなたを救った」と言われました。主イエスの言われた、この女を救った「信仰」とはどのようなものでしょう。それは難しい何かではない。イエスへの期待です。私たちは何に期待しているでしょうか。エジプトでしょうか、アッシリアでしょうか、バビロンでしょうか。鼻から息する者にではなく、神に、イエスに期待します。

イエスに近づき、イエスに触れた女。しかし、女がイエスに触れたのではなく、イエスが女の魂、生涯に触れてくださり、救いを与えてくださったと、この記事を読むことが出来ます。

信仰とは難しいことではない。主イエスに期待すること、イエス様は必ず成して下さると期待することです。主に信頼する者は失望に終わることがない。あなたのあらゆる課題に対して、主に期待しましょう。


【消息報告】

〇 「緊急事態宣言」が延長され、五月七日~五月三一日まで外出自粛が続きます。この期間、教会堂に集まっての礼拝、全ての集会は中止致します。「自宅礼拝の持ち方」「週報」「説教全文」別紙案内をご覧下さり、礼拝時間に合わせてご自宅で礼拝して下さい。毎週の礼拝説教動画を教会のホームページから観る事ができます。カセットテープをご希望の方は土曜日に宅配いたします。

https://katsutadai-ch.amebaownd.com/

〇 次週の礼拝はペンテコステ記念礼拝です。豊かな聖霊の満たしをいただき、真理の御霊によって「神の国」に目を開いていただいて信仰生活を歩みましょう。

〇 新年度がスタートしました。新役員の働きの為にお祈り下さい。皆様からの新年度に向けてのご意見・ご要望について役員会で討議いたしました。議事録を後にお送りいたします。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二〇年五月一七日 第四九巻 第二〇号

礼 拝 順 序     

前  奏  五〇三

招  詞  ローマ人への手紙一〇・一三~一五

頌  栄  六〇

賛  美  一六五 栄光イエスにあれ

交 読 文  四六 詩篇一四八(八六四頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷          

賛  美  一九一 慕いまつる主なるイエスよ

聖  書  マルコ五・一~二〇

メッセージ「神の救い、あわれみの大きさ」 竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美  四三四 語り告げばや

頌  栄  六三

祝  祷                 竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息報告


説教全文別紙記載  ホームページ掲載

「神の救い、あわれみの大きさ」マルコ5:1~20

(並行箇所:マタイ8:28~34、ルカ8:26~39)

序 イエスの主権について   *「神の国」では、国民主権ではなくイエス主権。

・ マルコ4章 5つの「神の国」のたとえ

① 種まきのたとえ」②「灯りのたとえ」③「量りのたとえ」④「自然に成長する種のたとえ」⑤「からし種のたとえ」。

・ マルコ4~5章 4つの神の御子、救い主のしるし 

① 「嵐を静めるイエス」②「悪霊を追い出すイエス」③「病を癒すイエス」④「死人を生き返らせるイエス」。その主権の領域――自然、目に見えない霊の世界、あらゆる病と患い、そして死。

・ マルコ6章 イエスの権威の十二弟子への付与と派遣。

神の国(イエス)が到来した今、誰が世界の「王」「主」であるのか。その主権、権威はどのようなものなのか。聖書の時代も、今も、神の御子イエスの主権、権威、その力強い働きはどこにまで及ぶのか。私たちは聖書のみことばによって、日々主イエスと共に歩む信仰生活の中でそれを知る者です。


1、 ゲラサ人の地(:1) イエスが「向こう岸へ渡ろう」と言われた地とは。

ゲラサ、デカポリス地方(:20)と呼ばれる所は、ユダヤ人が好んで行かない地方でした。ユダヤ人は豚肉を食べません。律法により豚は汚れた動物とされているからです(レビ11:7)。レビ記11章、申命記14章には、食べてはいけない動物のリストが記されています。

2千匹もの豚を飼い、売って糧を得ていた町の人々。ユダヤ社会の中にあってはアウトロー(無法者)の場所(サマリヤ地域もそうであった)でありました。

2、汚れた霊につかれた男(:2~5)

イエスが「向こう岸」に到着すると、すぐにイエスを迎えたのは、汚れた霊(悪霊)につかれた男でした。彼の中に入っていた悪霊はイエスを知っていました。

悪霊につかれた人、汚れた霊につかれた人とはどのような人なのでしょうか。

彼は町ではなく、墓場に住んでいました。暴れるので、町の人が彼を足かせし、鎖でつなぎましたが、鎖を引きちぎり、誰も彼を押える事ができませんでした。裸で、夜昼となく墓場や山で叫び続け、石で自分を傷つけていました。この様子を通して知るのは、

 悪霊は聖い場所を好みません。そこには、不品行、汚れ、好色があります。

 悪霊は光を好みません。そこには、闇、偶像礼拝、魔術があります。

 悪霊は平安を好みません。そこには、混乱と争い、敵意・争い・そねみ・憤り・党派心・分裂・分派があります。

 悪霊は健康・命を好みません。そこには、酩酊・遊興があります。

 悪霊は愛を好みません。そこには、憎しみ、無関心があります。

(ガラテヤ5:19~21)

悪霊の好む場所・心の部屋を知りましょう。私たちの生活の場、心の部屋の状態はどのようなものでしょうか。(どのようなものにいつも関心をもって暮らしているか。)

悪霊は神を崇めず、神に逆らい、みことばを嫌っていますが、神がどのようなお方か良く知っています。みことばも良く知っています。神には従わず、礼拝はしませんが、恐れています。

私はどのような人が悪霊につかれているのかを、(牧師ではありますが)判断することができません。特別に判断できる時を神様がくださるかも知れませんが。どこかの人が言うように、何か悪いことが起こると悪霊によるとか、心が病むと悪霊によるとか、神社・仏閣の近くに悪霊がいるとか、超常現象が起きると悪霊のしわざであるとか、そのような判断をくだす霊感は私にはほとんどありません。

しかし、悪霊は何を好み、何を嫌うかは知っています。即ち、悪霊は神を崇める場所を好まない。

私たちが信じる十字架による救い、神を褒め称える賛美、神の戒めであるみことばに聞き、従うこと、神に求める祈り。しかし、悪霊は、みことば、祈り、賛美、礼拝、教会生活、信仰生活を嫌います。神への信頼を最も嫌います。

そして、悪霊が好むものとは、悪霊は、神に逆らい、神に無関心な者、神の前に不信仰・不敬虔で、高慢な人を好みます。欲のままに、自分の思うがままに、自己実現のために生きる人を好みます。

3、彼らの名はレギオン(:6~13)

男にとりついた悪霊は、イエスに、その男から、その地方から追い出さないように願います。

その願い求め方も、イエスに駆け寄って来て拝し「いと高き神の子」とイエスに叫び、「神の御名によってお願いいたします」と言っています。悪魔は偽りを好みます。そこには真実も誠実もありません。

イエスは、彼の中に入っている悪霊に名を問います。彼らは「レギオン(ローマ帝国の1兵団 5000~6000)」と答えます。

ただの悪霊につかれている男ではなかった。一人の人に何千ともいう悪霊が入っていたのです。

彼らは、山腹で飼っていた豚の群れに移ることを求めます。イエスはそれを許されます。

2千もの豚の群れは、険しい崖を駆け下り、湖になだれ落ちて、おぼれ死にます。

4、町の人々の反応(:14~17)

この地方から離れてもらうように願った。

悪霊につかれていた、あの誰もが知っている男が、正気になったことを知って

飼っていた豚が、全て死んでしまったことを知って

悪霊につかれた男が解放された喜びではなく、豚を失ったことへの失望、怒り。

5、悪霊から解き放たれた男(:18~20)

解放された男は、イエスについて行きたいと願い出るが、イエスはお許しにならず、「あなたの家、あなたの家族のところへ帰り、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい」と言われた。

「彼はデカポリス地方に、イエスが自分にしてくださった、【大きなこと】を言い広めた」、とあります。

墓場から家族の元へ

 男は悪霊につかれ、町の誰も彼を押えることが出来なかった。彼と家族はどんな関係であったでしょう。彼の責任ではないと言え、家族にも苦しみを与え、町中の人に迷惑をかけたでしょう。その回復、復帰を誰もが喜んで迎えたかどうかはわかりません。またおかしくなるかも知れない。そんな不安もあったかも知れません。

 しかし彼は正気に戻っただけではなかった。自分の身に起こった、イエスの大きな力、あわれみを人々に知らせたのです。病気が治っても、悪霊が出て行っても、災いが過ぎても、大事なのは、イエスに救いを受けた者の新しい歩みです。

「主があなたにどんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったか」、それを知らせるのが、主に救われた者の生涯です。


【消息報告】

〇 「緊急事態宣言」が延長され、五月七日~五月三一日まで、外出自粛が続きます。この期間、教会堂に集まっての礼拝、全ての集会は中止致します。「自宅礼拝の持ち方」「週報」「説教全文」別紙案内をご覧下さり、礼拝時間に合わせてご自宅で礼拝して下さい。毎週の礼拝説教動画を教会のホームページから観る事ができます。

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〇 教会総会資料をご覧下さり、書面表決書を返送下さりありがとうございました。昨日五月一六日(土)、ZOOM(インターネット会議)によって新年度役員会を行いました。書面表決書の委任決議とご意見・ご要望を踏まえて、新年度、新役員体制によってスタートいたします。集まっての教会活動をいつから再開できるかは未定ですが、当面、集まらない形での教会運営を知恵を出し合って進めます。ご協力とお祈りをお願い致します。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二〇年五月十日 第四九巻 第一九号

礼 拝 順 序     

前  奏  三四九

招  詞  詩篇四六・一~三

頌  栄  六〇

賛  美  二〇八 イエスは愛で満たす

交 読 文  四五 詩篇一四六(八六三~八六四頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷          

賛  美  二八三 主よわがそばをば

聖  書  マルコ四・三五~四一

メッセージ「嵐を静めるイエス」 竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美  二四八 人生の海の嵐に

頌  栄  六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息報告


説教全文別紙記載  ホームページ掲載

「嵐を静めるイエス」  マルコ4:35~41

(並行箇所 マタイ8:23~27 ルカ8:22~25)

①  「向こう岸へ渡ろう」(:35~36) ひとりの人の救いの為に

 イエスは多くの群衆をあとに残して、ガリラヤからデカポリスへ向かいます。あまりに多くの群衆がイエスに押し寄せていたので、イエスは時に身を避けるようにして、寂しい場所へ向かいます。休む暇もなく、人々の求めにお応えになっていたと思われます。

ガリラヤ湖の向こう岸には何があったのでしょうか。次の5章を見ますと、ひとりのひどく悪霊につかれた人と出会い、彼を解放する為であったことが分かります。イエスのお心を考えましょう。

 イエスの宣教の方向性は、効率的ではない、最も困難な地、どうにもならない暗闇の地に向かっています。あそこには行かない方がいいですよと、人々が口を揃えて言いそうな地に向かって進まれるイエス。ひとりの人の救いの為に湖を渡ります。

②  経験したことのないような嵐(:37) 未曾有、想定外、甚大な、経験したことのない災害。

 ガリラヤ湖は弟子たち、特にペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネにとって、漁師である彼らの庭の様なものでした。しかし、その彼らが恐れる程の突風(マタイでは大暴風雨)が起こります。彼らが、そのガリラヤ湖にあっても未だ経験のしたことのない様な嵐でした。

 

* 私たちは今、私たちの人生においては誰も経験したことのない、世界規模の「嵐」に遭遇しています。

人の手によって解決のできないような課題であり、私達の経験や能力を越えています。「人生の海の嵐にもまれ来しこの身も」。抗うことの出来ない逆風・暴風雨の中にあって私たちはどうすれば良いのでしょうか。私達教会は、この新型コロナウイルス感染症の危機に対して、健康・経済・日常生活の危機に対して、共に取り組む「祈り手」となる必要があります。

② イエスは寝ておられた(:38)

暴風雨の大波に揺られても、起きることのない程に熟睡しておられた。いつも群衆に囲まれていたイエスがどんなに肉体的に疲れておられたかがわかります。

イエスは全き人です。弟子たちに無関心で寝ておられたわけではないと思います。限界まで、人々の為に働いておられたイエスのお姿を見ます。

③ つぶやく弟子たち(:38)

  どうにもならなくなった(漁師であった)彼らは、ついにイエスを起こしにかかります。「先生、私たち

  がおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか」。

  これはイエスへの信仰でも、信頼でもなく、どうして寝ているのですかというつぶやきのことばです。どうして神と共にいる私の人生にこのような事が起こるのですか、と私たちもつぶやきます。

あなたは助けて下さらないのですか。こんな場所へ私達を連れて来て、私たちをどうするおつもりです

か、のような言葉です。

旧約聖書においても、エジプトから解放されたイスラエルの民は、どうしてこんな荒野に連れて来たの

か、ここで飢えて死なす為なのかと、モーセにつぶやいています。神の人と共にいるイスラエルでさえ

そうです。

④ 嵐に一喝するイエス(:39)

  風、湖をしかりつけるイエスの姿があります。私たちの目に焼き付けましょう。

  イエスは、私たちの人生に打ちつける嵐に向かって「黙れ、静まれ」と宣言して下さるお方です。

  イエスの力強いことばに耳を傾けましょう。

すると風はやみ、大なぎになった。

⑤ どうしてそんなに怖がるのか(:40)

私たちは経験したことのない嵐に、恐れを抱きます。

「信仰がないのは、どうしたことです」。弟子たちにどのような信仰をイエスは望んでおられたのでし

ょうか。今コロナ禍の激流の中で、イエスは私たちにどのような信仰を求めておられるのでしょうか。

どうにもならない現実と目の前にある人生の大嵐の中で、嵐を静められるイエスが共にいて下さることを、私達は知りたい。怖がるのも無理はない。私達は弱い者、小さい者ですから。

しかし、この舟の中には、主イエスが乗っておられることを知る者でありたいのです。

私に吹き付ける嵐に、正面から御手を拡げて、「黙れ、静まれ」とおっしゃって下さる、主のお姿とお声を、今この時に聞きましょう。

先週は「神の国」についてのメッセージを聞きました。神の支配の領域は、風や湖その隅々にまで及びます。イエスに静めることのできない嵐はない! 嵐を静めるイエスは、私たちの嵐も静めて下さるお方であることを信じましょう。

⑥ 弟子たちは大きな恐怖に包まれた(:41)

「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう!」驚嘆の言葉です。

 どのような災いの中にあっても、いついかなる嵐の時も、大事なのは、信仰と希望と愛です。信仰は平安を与え、希望は生きる力を与え、愛は隣人を生かす力を与えます。先行きの見えない嵐を見ておびえるよりも、嵐をお叱りになり、静めるイエスに信仰の目を注ぎましょう。

 


【消息報告】

〇 国から全国に「緊急事態宣言」が延長されました。五月七日~五月三一日まで、外出自粛が続きます。この期間、教会堂に集まっての礼拝、全ての集会は中止致します。「自宅礼拝の持ち方」「週報」「説教全文」別紙案内をご覧下さり、礼拝時間に合わせてご自宅で礼拝して下さい。礼拝説教動画は毎週教会のホームページから観る事ができます。

https://katsutadai-ch.amebaownd.com/

〇 総会資料を皆様に郵送しました。良く目を通して、書面表決書を5月16日(土)までに郵送または、教会のポストにお入れ下さい。集まっての教会総会は行えませんが、新年度をすみやかにスタートできるようにお祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二〇年五月三日 第四九巻 第一八号

礼 拝 順 序      

前  奏  

招  詞  マルコ一・一五

頌  栄  六〇

賛  美  二九一 神の国と神の義

交 読 文  四四 詩篇一三九(八六二~八六三頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷        

賛  美  一四六 昔主イエスの

聖  書  マルコ四・二一~三四

メッセージ「神の国の豊かさに生きる」

              竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美  二六八 御国の心地す

頌  栄  六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息報告


礼拝説教全文

「神の国の豊かさに生きる」  マルコ4:21~34

イエスのお話、教えの中心は、「神の国」kingdom of God 神の王国(支配)についてです。

「神の国」とは何であり、それはどんなに素晴らしく豊かな世界であるかを説き、そして、あなたも、この「神の国」に入りなさい、得なさい、という勧めでした。

 「世」とは、神から離れた、まことの神(天地を造られ、ひとり子を世に遣わされた神)を知らない、神を信じない世界です。「神の国」とは、罪の悔い改めと、十字架につけられ、三日目によみがえられたイエスへの信仰によって入る、それは神を信じ、神を礼拝し、神に従う世界です。

 愛する人々に対するイエスの願いは、まさに人々がこの「神の国」に入ることでした。

 罪がゆるされ、イエスに従うことがどんなに素晴らしいことなのか、私たちはもっともっと、その恵みの深さを、日々の生活の中で味わう者でありたいと思います。

 本日の招詞は、イエスの最初の宣教のことば、「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)でした。

この意味は、旧約の時代から預言されていた、神がご計画されていた時は来ました。神の国は既に到来しました。すぐあなたの前に来ています。罪を悔い改めて、ただそれを信じ受け取るだけです、というものです。本日の招詞、「時が満ち、神の国は近くなった」とは、イエスがこの世に来られたことこそ、「神の国」の到来であり、そして、「神の国」とはイエスがおられるあらゆる場所です。

マルコ4章は、主イエスの説教を主題的にまとめて、5つのたとえが記されています。

①種まきのたとえ(:1~20)、②明かりのたとえ(:21~23)、③量りのたとえ(:24~25)、④自然に成長する種のたとえ(:26~29)、⑤からし種のたとえ(:30~32)、そして、たとえのまとめ(:33~34)となっています。いずれにしても、ここで話されているたとえは「神の国」のたとえ(奥義)(:11)(:13)です。

「聞く耳のある者は聞きなさい」(:9、23、24、33)。

種まきのたとえ話が最初に来ているのは、まさに、「聞く耳を持ちなさい」ということでしょう。

先週の礼拝において「種と畑」と題して「みことばを聞いて受け入れ、30倍、60倍、100倍の実を結ぶ」ことをたとえで学びました(マルコ4:20)。

* マタイによる福音書の中のイエスの山上の説教では、イエスは最後に、「わたしのことばを聞いて行う者」は、砂の上と岩の上に家を建てた二人をたとえて比べ、「賢い人」として語られています(マタイ7:24~27)。

 マルコ4章の2つ目のたとえ話は、明かりのたとえです。

神の国とは、神の光(イエス)に照らされて、今まで隠されてきた神の奥義が明らかにされることです。そして、明かりは部屋全体を照らせる場所に置かれます。

神の光に照らされて、自分の罪深さ、愚かさ、みじめさを知る人は何と幸いな者でしょう。

神は目に見えないお方ですが、イエスによって神を見ることのできる私たちは何と幸いな者でしょう。

旧約時代の預言者たちは、何よりもイエス(救い主・神の御子)を見たかったのですから。

 3つ目のたとえ話は、量りのたとえです。

 神の国とは、イエスの量りを持つことです。私たちはどのように人を見て、評価するでしょうか。裁きの量りでしょうか。愛の量りでしょうか。人の世界は、憎しみと、復讐と、ねたみに満ちています。自分以外の誰かが富むことは嬉しくないのです。

人を量ってあげると、その量りで自分も量られ、さらにその上に増し加えられるとはどういうことでしょうか。あなたが人を裁き、赦さないならば、同じ量りで神に裁かれる。あなたが人を祝福するならば、同じ量りで神に祝福され、さらにその祝福は増し加えて与えられます。

神の国では、神の恵みの尺度で人を量ります。イエスは人をどのように見られ、愛されたか。神の国では、私たちもいつもその心で隣人を見ようとします。

持っている者はさらに与えられ、持たない者は持っているものまで取り上げられます。

 祝福する者は、さらに祝福を与えられ、裁く者は、持っている祝福さえ取り去られます。

 あなたはどのように人を量っていますか。

 4つ目のたとえと5つ目のたとえは、「成長」がキー・ワード(KEYWORD)です。

命あるものは成長します。キリスト者は成長します。教会は成長します。

蒔いた種は人手によらず自然に成長して実を結びます。成長させて下さるのは神です。

神の国とは、神の恵み、力、おことば、聖霊の力強い働きによって、神の民が神の民としてふさわしい者へと成長することです。誰かが、何かがではなく、神が私たちを成長させて下さいます。それこそが神の国の住人の姿です。

 やがて豊かな実りを刈り取る時が来ます。

 5つ目のたとえ。神の国は、からし種のようなものです。粒のような小さな種が、鳥を宿らせるような大きな木に成長します。からし種のような、もっとも小さな者が、神の国ではもっとも大きな者になります。

 どれほどに人は変えられるでしょうか。キリストにある者は、すでに新しい人です(2コリント5:17)。

 イスラエルのガリラヤの田舎町で始められたイエスの宣教は、今、世界中に拡がり、東のはずれの私たちの国日本にまで及んでいます。

「祈り」はひとりの部屋でなされる小さな神の働きであるかも知れません。しかし、やがて世界を変えていきます。

 命があり、健全であるなら、自然に、人や何かの力ではなく、神の御力によって、成長していきます。神の御力は私たちの人生を全く新しく造り変え、大きく成長させていきます。同じところにとどまっていません。日々、日々、新しく造られていくことこそが神の国です。年を取っていても、神の国の成長は止まりません。内なる人は、日々新しく造られて成長します(第二コリント4:16)。

イエスは「神の国」について多くのたとえを用いて、聞く力に応じて話されました。内容は分り易いものですが、その奥義は深いものです。たとえ以外では話すことがなかったとまで書かれています。

今私たちには、その奥義が開かれています。聖霊によって、その意味を知り、経験できます。

弟子たちにはたとえの意味を全て解き明かされたとありますが、主イエスに弟子として従う者(キリスト者)には、イエスは聖霊を与えて下さり、覆いに隠さず、全てを明らかにして下さいます。ハレルヤ。



【消息報告】

〇 国から全国に「緊急事態宣言」が出されています。四月八日~五月六日まで一か月間、外出自粛が続いています。この期間、教会堂に集まっての礼拝、全ての集会は中止致します。「自宅礼拝の持ち方」「週報」「説教全文」別紙案内をご覧下さり、礼拝時間に合わせてご自宅で礼拝して下さい。礼拝説教動画は毎週教会のホームページから観る事ができます。

https://katsutadai-ch.amebaownd.com/

〇 教会総会資料の作成、準備を進めています。集まっての教会総会は行えませんが、新年度をすみやかにスタートできるようにお祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二〇年四月二六日 第四九巻 第一七号

礼 拝 順 序     

前  奏  八九

招  詞  ヤコブ一・二一~二二

頌  栄  六〇

賛  美  三三二 主はまことのぶどうの木

交 読 文    四三 詩篇一三六(八六二頁)

公同祈祷         

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷      

賛  美  三七 主よ命の言葉を

聖  書  マルコ四・一~二〇

メッセージ 「種と畑」   竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美  三二四 主と主の言葉に

頌  栄  六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏  五九 Ⅴ

消息報告


2020年4月26日(日)礼拝説教全文

「種と畑」 マルコ4:1~20 (並行個所:マタイ13:1~9 ルカ8:4~8)

イエスの周りには、いつもおびただしい数の群衆が集まっていました。イエスの人気と評判は桁違いでした。時には何万人という人が集まっています。群衆が押し寄せるので、湖の上の舟に乗って話されました(:1、3:9)。

イエスのもとに集まる群衆、人々の動機やその心は様々であったでしょう。病、悪霊に悩まされてイエスに助けを求める人。奇跡を見るために興味本位で来た人。食べ物をもらい満腹するために来た人(5千人の給食以後)。ただ周りの人たちに付いて来た人、イエスを批判するために来た反対者。へりくだった心でイエスのみことばを慕い求めて来た人。

 数年前、武道館でフランクリン・グラハム大会があり、そのお手伝いをしましたが、数万人の人々が集まっているのを見て、イエスのみもとに集まっているのだなと思いました。集まった人々の動機もそれぞれだったでしょう。ある人は誘われて渋々来ていたかも知れません。その後、世界各地で持たれている大会の様子を知り、他の国々では数十万の人々が集まっている様子も写真で見ました。

 

イエスのお話は、多くがたとえ話でした(:2)。当時の宗教指導者(パリサイ人、律法学者)は旧約聖書、口伝律法から神の戒めを守るように民を教えましたが、イエスは、自然や、身の回りの物、また生活の出来事を通して、自分で創作されたたとえ話で話されています。そして、「わたしのことばに聞き、わたしに従って来なさい」と力強く言われています。

種と4つの畑のたとえ話

 種を蒔く人が種を蒔きます。

① 道端に種が落ちます。すると鳥が来て食べてしまいます。

② 岩地に種が落ちます。するとすぐに芽を出しますが、根を張れず、日が上ると枯れてしまいます。

③ いばらの中に種が落ちます。すると芽を出しますが、いばらが塞いで、実を結ぶに至りません。

④ 良い地に種が落ちます。すると芽を出し、育ち、実を結び、30倍、60倍、100倍になりました。

その意味は、

種とは、(神の)みことば(イエスのお話、聖書のことば)です。

畑とは、みことばを受け取る人の心です。

① 道端に種が落ちた人とは、すぐにサタンが来て、蒔かれたみことばを持ち去られる人の事です。最初からイエスのことばや教えには何の関心もない、受けつけないかたくなな人です。右の耳から声が入って、左の耳に抜けていく人です。

② 岩地に種が落ちた人とは、喜んでみことばを受けますが、時間がたつと喜びは薄くなっていき、みことばのために、困難・迫害が起こるとすぐにつまずく人です。人生に試練は無くなりません。試練によってイエスのもとを去って行く人がいます。しかし、本来みことばは、試練に打ち勝つ力を与えるものです。

 コロナ感染で教会に行けない事は、大きな試練です。しかし、今日もみことばをしっかりと受け止めましょう。時に「つまずき」は、この世の災いのみならず、教会やキリスト者、牧師にということもあります。キリスト者は神の愛・恵みを表現すべき存在ですが、時に人を見ず、ただ神のみ、イエスのみに目を向けましょう。

③ いばらの中に種が落ちた人とは、みことばを聞いて信仰が芽生えますが、世の心遣い、富の惑わし、いろいろな欲望が入り込んでみことばを塞ぐ人です。忙しくて聖書を読む時間がありません。祈る時間がありません。賛美する時間がありません。礼拝に行く時間がありません。仕事・趣味・嗜好、生活の心遣いによって、イエスのみことばを聞き、従うことに心が向きません。本当に自分に大切なものは何なのか。優先順位が逆で、実を結ぶに至りません。

④ 良い地に種が落ちた人とは、みことばを聞いて受け入れ、多くの実を結ぶ人です。素直な心(反対:かたくなな心)、へりくだった心(反対:自己中心、高慢な心)、そして、耐え忍ぶ心(反対:あきらめ、絶望)。イエスの前に持つべき、この3つの心を覚えてください。

 一番はへりくだった心、二番は素直な心、三番目には耐え忍ぶ心です。

 * 三番目について。信仰生活は短距離走ではなく、持久走。早く走るのではなく、走り切る事が重要。

結び 結ぶ実とは何か

 イエスのことばを、へりくだった心で信じ、受け入れた人はどのような実を結ぶでしょうか。仕事で成功するでしょうか。繁栄してお金・権力を得るでしょうか。心身共に健康になるでしょうか。それもあると思います。しかし、30倍、60倍、100倍に結ぶ多くの実は、一番は愛、そして喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制という実を次々に結びます。(「聖霊の実」ガラテヤ5:22.23)

 愛(イエスの愛)という実が私達の人生に結ぶことは、何よりも大切です。なぜなら、「神は愛である」からです。(1ヨハネ4:7,8,16)

* 種の持つ力

1951年千葉県の遺跡で2000年前(弥生時代)の木の舟が発見されました。東京大学農学部の教授大賀一郎氏はそこに3つの種を見つけました。それを慎重に育てたところ、その種は綺麗なハスの花を咲かせました。「大賀ハス」と呼ばれ、千葉公園で見る事ができます。

2000年前の種ではあるが、大輪の花を咲かすことができたのはなぜか。種の中には命があるからです。そして、たとえ2000年前の種であっても、適切な場所に種は植えられると花を咲かせます。


【消息報告】

〇 国から千葉県に対して「緊急事態宣言」が出されました。四月八日~五月六日まで一か月間、外出自粛が続きます。この期間、教会堂に集まっての礼拝、全ての集会は中止となります。「自宅礼拝の持ち方」「週報」「説教全文」別紙案内をご覧下さり、礼拝時間に合わせてご自宅で礼拝して下さい。礼拝説教動画は毎週教会のホームページから観る事ができます。又、スマホ、アイフォンをお持ちの方は、携帯番号を教会までお知らせ下さい。動画が簡単に見れる様に、クリック一回で簡単に開くことが出来るアドレスを竹田牧師がメールでお知らせいたします。

https://katsutadai-ch.amebaownd.com/

〇 本日の教区総会、五月~六月の牧師会、賛美講習会、講壇交換など、教区の行事は全て中止になります。

〇 教会総会資料の準備を進めています。集まっての教会総会は行えませんが、新年度をすみやかにスタートできるようにお祈り下さい。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二〇年  四月一九日 第四九巻 第一六号

礼 拝 順 序     

前  奏  

招  詞  詩篇八六・一~七

頌  栄  六〇

賛  美  一九八 ゴッド・ブレス・ユー

交 読 文  三八 詩篇一二一(八五九頁)

公同祈祷         

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷         

賛  美  三一一 いかに恐るべき

聖  書  詩篇一二一・一~八

メッセージ「夜は月があなたを打たない」

              竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美  二九九 山辺に向かいてわれ

頌  栄  六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏  

消息報告


礼拝説教全文 2020年4月19日(日)

「夜は月があなたを打たない」 詩篇121:1~8

イギリスの首相ジョンソン氏(55)は新型コロナウイルスに感染し、入院していましたが、退院し、4月13日に動画メッセージを流しました。命が助からない可能性があった自分を救ってくれた医療従事者に感謝の意を述べました。自らが感染者となり集中治療室に入って治療を受けた彼は、最前線で新型ウイルス危機に対応する病院職員「1人1人の勇気」を目の当たりにした、と言いました。「医療従事者は自らを危険な状況に置き、この致命的な新型ウイルスにさらし続けている」「我々の国民保険サービスが打ち負かされずにいるのは、こうした勇気や献身、務め、そして愛情のおかげだ」と述べました。つい先日の一国の首相のコロナ感染体験談です。

今、私達は経験した事のない、世界規模の感染病に直面しています。しかし、恐れず、慌てず、忍耐をもって最善の選択をし、平常心で行動し、この課題を乗り越えていきたいと願っています。

感染の終息を祈りながら、この事態の中にあって、私達は聖書から主の御声に耳を傾けるばかりです。

受難週では主イエスの十字架の出来事を読み、又、先週のイースターでは、「主はよみがえられ、主にお会い出来ます」というメッセージを聞きました。この数週間・数か月間、新型コロナウイルス感染拡大の中にあって、私たち信仰者に何が問われているのか、何が必要なのかを思い巡らしました。

そして示されているのは、「主に信頼せよ」です。今こそ、へりくだって自らが無力な小さい者であることを認めて、「主に信頼する」時なのです。

生活の中での感染予防対策は、手洗い、マスク着用、3つの密を避ける、新型コロナに関する知識、ソーシャル・ディスタンス(人と人との間隔をあける)、人との接触を8割減らす、等が挙げられています。益々コロナ予防に関する知識が増えています。情報を得て、良い選択をするのは大事なことです。良く耳にする「命を守る行動を」というのは、自分の命だけではなく、他者、弱者の命を守る行動が求められています。とても大事なことです。

しかし、今、主の前に身を置く礼拝の時、私達はあれやこれやの考えを全て一旦下ろして、主を見上げて、このお方に信頼する、一心になって主に信頼する時としたいと思うのです。

詩篇121篇のテーマは、「主への信頼」です。120~134篇の15の歌は、「都のぼりの歌」と表題がついています。いくつかはダビデによる、ひとつはソロモンによる、と書いてあるのもあります。121篇はダビデによるとは書いてはありませんが、ダビデの書いたものであるかも知れません。

「都のぼり」 都・エルサレムにある神殿に、巡礼に向かうユダヤ人が、旅をしながらこの歌を歌いました。巡礼に出発し、そして礼拝をささげ、帰途につく。出ると入るとを守り、とこしえに守って下さる主を歌っています。

1、山(:1~2)

「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか」。

助けを求めている人の歌です。「山」は、実際に詩人が見上げている「山」であると、この詩を解釈する人が多いかも知れません。この続きにある「私の助けは天と地を造られた主から来る」に繋げて、「山」を見て詩人は、その雄大さ、神の創造物の偉大さを感じていると。

しかし、「山」は時として、乗り越えなければならない幾つもの「山」とか、私の前に立ちはだかる大きな「山」、小さな自分には立ち向かえないような強大な敵、また、大きな試練・課題等と読む事もできます。詩の作者が誰かは定かではありませんが、ダビデにとっては、「山(緑生い茂る山でなく岩山)」とは、サウル王が幾度も自分の命を狙って来る、自分の力ではどうにもならない戦いの連続の場所であったと思います。そのような角度からこの詩を読みますと、「わたしは山に向かって目を上げる」という響きが変って来ます。

自分は小さな者です。大きな試練が私に迫っています。主よ、私を守ってください。私たちは人生で何度もそのように祈るでしょう。「私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天と地を造られた主から来る」。

2、足(:3~4)

私たちの足はよろけます。山を登り下りする過酷な道は、心身共に疲れ果てます。いつまでこの登り坂は続くのか。しかし、「主はあなたの足をよろけさせず」、時に支え、時には背負って下さる。そして目覚めている時も、眠っている時にも、主は寝ずの番をして下さる。ダビデにとっては、眠っている時が一番危険な時だったでしょう。ぐっすり眠ることもできません。あれこれ考えて眠れなくもなったでしょう。

「あなたを守る主は、まどろむこともなく、眠ることもない」。人生の3分の1、私達は寝ています。寝る前に、宣言し、主をたたえましょう。「私を守るお方は、まどろむことも眠ることもない」と。

3、太陽、月(:5~8)

121篇はわずか8節の短い歌ですが、「守る(ヘブル語、シャーマルשָׁמַר)」ということばが6回出てきます。繰り返し、主はあなたを守ってくださる、と歌っています。

「主は右の手をおおう陰」(:5)。少し難しい表現ですが、右というのは権威・力を表します。右の手は私達の、成すべき全ての業、働きを示しています。ダビデは王権を遂行するのに、どれほど自分の無力さを感じたことでしょう。息子のアブサロムに反旗を翻された時、都落ちをする時、どれほど無力さを感じたことでしょう。力のない私の右の手。しかし、主は隠れ場を、休み場を用意して下さっている。主が力ある御手でしっかりと覆って下さって、私の右の手に力を与え、勢いを与えて下さる。

「昼は太陽が、夜は月が、あなたを打つことはない」(:6)。日中、太陽が打つというのはなんとなくわかりやすい。照り付ける太陽の暑さ。乾燥地のイスラエルでは、水は貴重な資源、井戸は命に欠かせない場所です。巡礼者にとって、厳しい日差しを避け、日射病にならないことは、旅する上で重要なことだったでしょう。照り続ける太陽の暑さに、私達は渇き切ってしまいます。

「月が打つ」とは何でしょう。本日の説教題にしました。

太陽はエジプトの神、月はバビロン、ペルシャの神という解釈もありますが、「月」はまるで夜の支配者のようです。夜の象徴、「海」もそうですが(黙示録21:1)、死、悲しみ、嘆き、暗闇のシンボルのように語られています。月は時に、目に見えない闇のシンボル、「えやみ、疫病」に譬えられることもあります。詩篇91の「えやみ」(文語)は「疫病み」と書きます。えやみ、疫病、伝染病、感染症。

現在の新型コロナウイルス感染拡大の不安の中で、聖書のみことばから励ましを受けたいとの要請を受けた時、「月はあなたを打たない」というみことばが示されました。

主に信頼して、みことばを信じましょう。神の守りを信じましょう。それが主に対する信頼です。

結び

主はすべての災いからあなたを守られます。そしてあなたの命を守られます。

 私達は永遠の都へ向かって歩む巡礼者、旅人です。その旅の間、力強い主の守りがあります。

 決してひとりでたどり着くことのできない道のりも、山坂も、主イエスが共に歩いて下さり、守って下さいます。

* いとこが交通事故で首の骨を折ったとの知らせに、「主はあなたのいのちを守られる」のみことばが私に示され、詩121篇のみことばを覚え、携えて名古屋へ向かいました。病室でこのみことばを彼に語り、祈りました。主は、憐れんでくださって、命ばかりか、奇跡的にどこも麻痺することなく癒して下さいました。癒された彼は今、牧師として、与えられた命を主の為に用いています。


【消息報告】

〇 国から千葉県に対して「緊急事態宣言」が出されました。四月八日~五月六日、一か月の期間、外出自粛が続きます。その期間、教会堂に集まっての礼拝、全ての集会は中止となります。「自宅礼拝の持ち方」「週報」「説教全文」別紙案内をご覧下さり、礼拝時間に合わせてご自宅で礼拝下さい。礼拝説教動画は毎週教会のホームページから観る事ができます。

https://katsutadai-ch.amebaownd.com/

〇 四月二六日(日)教区総会、五月~六月の牧師会、賛美講習会、講壇交換など、教区の行事は全て中止になります。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二〇年 四月一二日 第四九巻 第一五号 イースター礼拝順序  

前  奏

招  詞  使徒行伝二・二三~三二

頌  栄  六〇

賛  美  二五七 キリストは生きておられる

交 読 文  三 詩篇一六(八三〇頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷          

賛  美  一二八 イースターの朝には

聖  書  マルコ一六・一~八

メッセージ「イエスはよみがえられました」 竹田広志牧師

祈  祷 

賛  美  一二六 地よ声高く

頌  栄  六三

祝  祷          竹田広志牧師

後  奏

消息報告

 

ホームページ Blog 説教全文記載

【消息報告】

〇 イースターおめでとうございます。主の御復活を心からお祝い致します。

〇 国から千葉県他、六ケ所の地域に「緊急事態宣言」が出されました。四月八日~五月六日、一ケ月の期間、外出自粛が続きます。教会堂に集まっての礼拝、全ての集会は中止となります。「自宅礼拝の持ち方」「週報」「説教全文」別紙案内をご覧下さり、礼拝時間にご自宅で礼拝をして下さい。礼拝説教動画は毎週ホームページから観れます。

https://katsutadai-ch.amebaownd.com/

〇 今年のイースター・エッグは中止です。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

二〇二〇年四月五日 第四九巻 第一四号 棕櫚の聖日 受難週

礼 拝 順 序     

前  奏

招  詞  ローマ五・八~一〇

頌  栄  六〇

賛  美  二九一 神の国と神の義

交 読 文  六 詩篇二二(八三三~八三四頁)

公同祈祷          

信仰告白  使徒信条

献  金  五七      

奉献祈祷          

賛  美  一一七 栄えの主イエスの

聖  書  マルコ一五・二二~三九

メッセージ 「なぜイエスは神に捨てられたのか」  

祈  祷 

賛  美  一一二 カルバリ山の十字架

頌  栄  六三

祝  祷          

後  奏

消息報告


礼拝説教要約   マルコ一五・二二~三九

「なぜイエスは神に捨てられたのか」 

本日から受難週。次週はイースター(復活祭)。淡々と十字架の出来事を記していくマルコ。

(参照。詩篇二二・一)詩人は自身の罪故にではなく、肉体的苦痛と、敵による迫害の中で、自分の祈りがまるで答えられない者のように悩む。神の沈黙と人々の嘲笑の中で歌われた詩。

「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(・三四)。十字架上のイエスの言葉は、マルコ(そしてマタイ)の書にはこの一つだけ。

十字架(木)に架けられた者は、「神に呪われた者、捨てられた者である」(ガラテヤ三・一三、申命記二一・二三)。

① ゴルゴタ(どくろ)の場所。神に呪われた場所(・二二) ② イエスは没薬をまぜたぶどう酒(麻酔薬)を飲まれなかった(・二三)③ くじ引きで一つの着物を分け合う。(・二四、詩篇二二・一八の預言の成就)④ 九時から一二時、そして午後三時。計六時間(・二五、三三) ⑤ 罪状書き「ユダヤ人の王」(・二六) ⑥ 二人の犯罪人の真ん中に(・二七) ⑦ 人々がイエスをののしる(・二九~三二) ⑧ 三時に、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」。(・三四) ⑨ 酸いぶどう酒を差し出す役人(・三五~三六)激しい渇きを覚えるイエス。 ⑩ イエスは大声を上げて(「完了した」ヨハネ一九・三〇「わたしの霊を御手にゆだねます」ルカ二三・四六)息を引き取られた(・三七) ⑪ 神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた(・三八) ⑫ 一部始終を監視していた百卒長は「この方は、まことに神の子であった」(・三九) ⑬イエスに従ったマグダラのマリヤと他の女たち(・四〇~四一)

なぜ病人を癒し、悪霊を追い出し、人々に命と希望を語られたイエスが、ツアラアトの人に触れ、罪人、収税人、遊女、社会から排斥されている人々の心に触れられた愛に溢れたお方が、神から捨てられなければならなかったのか。

「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」。わたしたちはこの受難週に、主イエスの御ことば、「どうして」を問わなければならない。何ゆえに神の御子・罪のないお方が、神から捨てられ、十字架で呪われて下さったのか。わたしの、あなたの罪ゆえです。

【消息報告】

〇 教会では新型コロナウイルスに細心の注意、対策を行っています。教会出入りの際の両手の消毒、マスク着用、座席も詰めないで着席下さい。又、体調のすぐれない方はご自宅にて礼拝下さい。「自宅礼拝の持ち方」の別紙案内をご覧下さい。礼拝説教動画がホームページから観れます。https://katsutadai-ch.amebaownd.com/

〇 本日から受難週に入ります。十字架を背負われた主イエスに心を向けましょう。

〇 次週の礼拝は、イースター礼拝です。主の御復活を心から喜び迎えましょう。

〇 御入学おめでとうございます。新生活が神様に祝福されます様に。

〇 洗礼希望者は牧師に申し出て下さい。準備会を行います。

各集会案内(毎週)

礼拝     日曜 午前十時~一一時半

教会学校   日曜 午前九時~十時 中止

聖書学び会  火曜午前十時~一一時半中止

祈祷会    水曜午後二時半~三時半中止

のぞみカフェ 木曜 午後二時~四時 中止