7月26日(日)礼拝説教全文
「あなたの内側をきよめなさい」 マルコ7:1~23
(並行箇所:マタイ15:1~20 ルカ11:37~44)
イエスの時代、宗教的指導者として、サドカイ派と言われている神殿で祭儀を行う祭司のほかに、会堂を働き場として、律法(旧約聖書に教えられている口伝の律法)を教えるパリサイ人たちや律法学者がいました。
イエスを偵察告発するためにエルサレムからガリラヤに来ていた律法学者らは、食事の前に手を洗わないイエスの弟子たちを見て、イエスを非難しました。手を洗って食事をすることは、今日の衛生的な教えというより、宗教的な教えによるものであり、食べ物と一緒に身体の中に汚れたものを入れないという考えがありました。それは言い伝え(口伝律法)として堅く守られてきた(:3)ユダヤ人の正式、常識的な作法でした。手を良く洗う、市場から帰った時は身体をきよめたりしてからでないと食事をしない、食器はしっかりと洗う、など、たくさんのしきたりがありました。
1、言い伝えと神の律法(1~13)
イエスは、言い伝えを行うことと、神の戒めを守ることとを区別しています。
たとえば、今日私達が行っている礼拝について
聖書に「安息日(旧約では土曜日)を聖とすべし」という戒めがあります。私達の教会も日曜日に礼拝をささげることを大事な戒めとして守っています。それはどういう意味でしょうか。日曜日には教会に必ず行きましょう。礼拝の時間を厳守しましょう。礼拝の15分前には私語をつつしみましょう。正装で礼拝に臨みましょう、等でしょうか。
いずれも大事なことではあるかもしれません。しかし、礼拝を神の前に重んじることと、形式を守ることとは共通するものはありますが、決して同じではありません。形式を軽んじていいというのではありません。却って、私も、イエスの弟子たちは食事の前に手を洗った方が良かったと思っています。しかし、形式を守り、それが神の戒めだと思っている人は、形式を守らない人々を非難し、裁く傾向があるのではないでしょうか。
礼拝を重んじている人は、神の憐みによって礼拝に出席している自らを思い神に感謝します(私などは、牧師なので礼拝をこのように守ることのできることを大変幸いなことと思っています)。神のみこころは、礼拝に来ることのできない人々を断罪するのでなく、彼らに恵みがあり、礼拝に来ることができますようにと、私たちが心からとりなしの祈りをささげる者となることではないでしょうか。
また、たとえば、献金について
聖書に什一献金の勧めがあります。かつて、什一献金を忠実に実践していた兄弟が、ある時期教会の会計の仕事を担当しました。彼は教会員の献金の様子を知って、非難し始めました。確かに彼の言うことは正論でありますが、大事なのは金額ではなく、真に感謝と真心をこめた献身・献金こそが神に受け入れられるささげものです。
什一献金は教会員の義務という人もいます。献金の勧めは第二コリント9:7のみことばにあります。それでも具体的にどれくらいの金額ですかと問われたならば、マラキ3:10を読むことをお勧めします。「心で決めたとおりに」は十分の一より下であるのか上であるのか、私にはわかりません。それは神様の前に判断されるものです。
参照:マラキ3:10、ルカ11:42、第二コリント9:7
2、外側と内側(:14~23)
イエスは「外側から人にはいって、人を汚すことのできる物は何もありません。人から出て来るものが、人を汚すものなのです」(:15)と言われました。イエスは何を言おうとしておられたのでしょうか。弟子たちも「このたとえについて尋ねた」とあります。
イエスは、食事や排泄について言っているのではありません。「人は外側を見るが、神は内側を見られる」ということです。きよい外側も大事です。しかし、内側がきよくなく、外側がきよい人は、人を裁く者になります。イエスが叱責されていた、律法主義というのは、いつもそのような心の状態から出て来るものであり、神の愛、あわれみでなく、人を見下したり、裁いたりします。
イエスは、「人を汚すのは外から入ってくる物ではなく、内側から出てくるものです。すべての食物はきよく、食べ物が人を汚すことはありません」と言われました(:15~20)。
イエスが私たちに語られるのは、「あなたがたの内側をきよめなさい」というメッセージです。
「人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ(悪い目)、高ぶり(誇り)、愚かさであり、」。ここに12個の悪のリストがあります。これらの悪が内側から出て、人を汚します。又、その人自身を汚します。
12の悪のリストを「十戒」に当てはめて分類してみますと、
1-5戒
高ぶり(高慢)、愚かさ(「神はいない」と思い、神を無視している罪 詩篇14:1)
6-10戒
殺人 殺してはならない
不品行、姦淫、好色 姦淫してはならない
盗み、よこしま 盗んではならない
悪い考え、欺き 偽証してはならない
貪欲、ねたみ むさぼってはならない
私たちの身に覚えのないものはありますか。ないでしょう。私達の内から出て来るものが人を汚します。
どうすれば、私達の内側がきよくなるのでしょうか。洗えるのでしょうか。私達の汚れた手は水で洗って落とせます。しかし、私達の内側は水によっては洗い流せません。
① 十字架の血潮によって (第一ヨハネ1:7)
② 聖霊(の火)によって (第二テサロニケ2:13、第一ペテロ1:2)
③ 神のことば(みことば)によって (ヨハネ15:3)
神が、イエス・キリストが、私たちに与えて下さいます。これらは、毎週、礼拝をもって、毎日、神の前に立って私達が受けるものです。礼拝の度(たび)に、みことばをいただく度(たび)に、聖霊が私達の内側をきよめ、新しい心が造られていくのがわかります。
あなたは食事をするとき、泥に汚れた金の器と、きれいに洗われた木の器とどちらを使いますか。主の用いたもう器は金や銀の外側の材質や輝きではない。内側がきよめられた器です。
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