10月18日(日)礼拝説教全文

「神によって結ばれる」 マルコ10:1~12  デリケートな課題ではあります。

(並行箇所:マタイ19:1~12)

離縁の課題を通して人間(私達)の根本問題に迫ります(離婚問題を考えていたら実は私の問題だった)。

結婚生活における愛し合うことの困難、赦しあうことの困難。夫婦は最も身近な人間関係の単位。愛の危機と訓練。

離縁・離婚は、聖書の時代のものではなく、今の私達の問題です。

日本では離婚率は3組に1組、35%前後です。成田離婚、結婚してすぐに離婚するカップルや、熟年離婚、晩年になって離婚するカップルもあります。世界で一位はロシア、次いでアメリカ、イギリスとなりますが、どこもキリスト教圏の国であり、アメリカでは2組に1組と言われています。

離婚は大きな社会問題でもありますが、そもそも、離婚はしていないものの、結婚生活において「離婚の危機」にあるものを考えれば、離婚は氷山の一角のようにも考えられます。

とすると、ここで、いかに結婚生活を維持していくことは困難であるかがわかります。

2000年前の主イエスの時代もそうでした。さかのぼってモーセの時代3600年前の時代もそうでした。

いつの時代にあっても、結婚生活の破綻は、人類にとっての課題です。

* 私が青年の時、クリスチャンキャンプで、結婚についてグループミィーティングを行っていた時に、ある牧師が「結婚は人生の墓場だ」と言っていたのを聞いて、「先生、本音としても、そんなことは言っては駄目ですよ」、とたしなめた事を思い起こします。

何ゆえに結婚生活は それほどに困難なのか。

イエスは「人の心のかたくなさのゆえに(:5)」、と言われています。そのメッセージを聞きましょう。

パリサイ人たちがイエスをためそうとして来て、イエスに質問しました。

パリサイ人、律法学者、当時の宗教的指導者たちは常にイエスに敵意を抱いていた人々です。

彼らは度々、イエスを試そうと質問しにやって来ました。

* 姦淫の女を連れてきて、この女を石で打ちましょうか、それとも赦しましょうか。ローマに税金を納めるべきでしょうか。律法で一番大切な戒めは何ですか。結婚とやもめを繰り返した女の、天国での夫は誰ですか、と問い詰めました。

しかし、イエスはことごとく、彼らの心を見抜かれて(イエスの言葉尻を捉えようとしている悪意に満ちた質問であることを知られて)、どれも見事に、巧みに答えておられます。どんな質問をしても、イエスが見事に答えられるその知恵のゆえに、イエスを試しにやって来る質問者はやがていなくなりました(マルコ12:34)。イエスの生涯には、このようにイエスに敵対するパリサイ人・律法学者の存在の構図があります。

1、あなたがたの心がかたくななので(:1~5)

「夫が妻を離別することは赦されるか」(:2) 

「モーセは何と命じていますか」(:3)

「モーセは離縁状を書いて妻を離別することを赦しました」(:4) 申命記24:1~4

離縁状を書けば、妻と離別できます、という律法による彼らの回答です。

するとイエスは「モーセは、あなたがたの心がかたくななので、この命令をあなたがたに書いたのです」(:5)と言われます。

* 今日の離婚の課題と、聖書の教えを調べてみると、旧約聖書の教えの中に、夫が妻に離縁状を書いてとはありますが、妻が夫に離縁状を書いてというのは見当たりません。妻の恥ずべきことを発見し、気に入らなくなった場合に、と非常に男性本位の戒めです。一方的に夫が妻を離別できるという教えです。

聖書の教えの背景に、妻や子供は、男性の所有のように考えられていました。昔の日本も女性や子供の人権は希薄なものでありました。

「心がかたくな」とはどんな心でしょう。それは、赦し合えない、理解し合えない、愛し合えない心です。このどれか一つでも残っていたならば、離縁する必要はありません。

律法とは、本来何のためのものでしょうか。

「目には目を、歯には歯を」(出エジプト21:24)という戒めは復讐を行えるという律法ではなく、復讐をとどめるための律法です。「償わなければならない」という戒めであり、常に神の愛から出ています。

この離縁状の戒めの意味も、女性を保護するための律法です。本来、姦淫の罪は旧約の時代のユダヤでは、死罪にあたります。大昔の聖書の時代、男性社会の中で、女性を保護する戒めです。女性の不貞を責めるものでもなく、赦免と自由を与える決断です。(旧約の時代は残念ながら、男性の問題については触れられることがない、一夫多妻制の時代でした。)

2、神のかたちに 神によって創造された男と女(:6~9)

イエスは創世記の創造についてのみことばを用いて、神が造られた男と女の原則について語られます。

「神は創造のはじめから 人を男と女に造られたのです」(:6、創世記1:27)。

「人がひとりでいるのは良くない。彼にふさわしい助け手を造ろう」。こうして、男(イシュ)と女(イシャ)が造られました(創世記2:18、23)。

結婚とは、父母を離れて、① 一心同体となる。ふたりがひとりになる。新しい家族 ② 神が結び合わせたものである ③ それが夫婦であり 結婚である  * 結婚カウンセリングで年間50組

神によって神のかたちに造られた、人の本来の神のかたちとは何か。

古典的神学的見解:自由意思(カルヴァン)、原義(ルター)、道徳的属性(ウエスレー)を示します。

現代の神学的見解:神のかたちとは、関係性を示します。

神との関係を持つ能力(p・ティリッヒ)、男と女(交わる能力)(k・バルト)、応答する能力、(e・ブルンナー) 

現代の神学者を代表する3つのB。 バルト、ブルンナー、ルドルフ・ブルトマン 

人には、人が罪ゆえに(その大半を)失ってしまっているけれども、交わる力、理解し合う力、愛し合い、いたわり合い、赦し合い、信じ合う力がある。

しかしながら、人の罪(かたくなさ)ゆえに、愛を結ぶこと、関係・交わりを保つことが極めて困難になっている。結論としては、「神が結び合わせてくださったものを、人は引き離してはならない」(:9)。

3、イエスの厳しい戒め(:10~12)

弟子たちはイエスに「この問題」について更なる回答を求めてもう一度尋ねます。それに対するイエスが語られることばは厳しいものです。離婚して他の異性と結ばれるなら、それは姦淫と同じ行為です。

「離婚してはならない」(第一コリント7:10~11)は大前提です。異邦人に向けてパウロは女性にも男性にも厳しい。

しかし、私たちはそのような神の戒めに従うことのできない、人は自らを律することができない現実があります。

性格の不一致。子供を大事にしない。夫や妻の浮気。夫や妻の実家と折り合いが悪い。モラルのない言葉や態度。生理的に受け付けない。夫や妻の浪費癖、借金、暴力、DV、等。

私も離婚したほうがいいのではないかと思う場合も数多くあります。人と人との不一致は尽きません。

イエスの戒めは、いつもモーセの律法よりも厳しいものです。

イエスは人に完全を求められるお方です。「あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい」(マタイ5:48)。

私たちは主イエスのもとに行き、パリサイ人・律法学者だけでなく私達も同様にかたくなな罪人(赦し合えない、理解し合えない、愛し合えない者)であることを認め、そして、その罪人である私のために十字架で命を捨てて下さった主イエスの十字架を見上げる者でありたい。

夫も妻も、全ての人にとっても、人との関係の回復は、ただひとりの神と人との仲保者であられる、救い主、キリスト・イエスにあります。

* イエスの十字架は縦の木が「神と人」との関係の回復、横の木が「人と人」との関係の回復です。

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

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