10月25日(日)礼拝説教全文
「子どものように(神の国を受け入れる)」 マルコ10:13~16
(並行箇所:マタイ19:13~15、ルカ18:15~17)
イエスは子どもを愛し、祝福されるお方です。
教会は子どもを愛し、受け入れ、祝福する。教会に子供が来ることはイエスの喜びです。
「高齢の者から、幼子に至るまで」教会に集う者たちが神によって祝福されますように。
子供たちにさわっていただこうとして、それは、イエスから祝福を受けるために、人々が子供たちを連れて来た。
* 日本では、お相撲さんに触ってもらって、赤ちゃんがお相撲さんのように健康で元気に育つようにというものがある。
しかし、イエスのみもとに来るのを妨げるイエスの弟子たち。彼らは忙しい主を、子どもの事で煩わせたくないと考えたのでしょうか。「子どもだから」という軽視が、彼らの思いの中にあります。
これに対して、珍しくイエスは「憤られ」ます。イエス様も 怒るときにはお怒りになります。
「子供たちをわたしのところに来させなさい」(:14)。
イエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福されました。
* 一枚の絵を紹介します
その時イエスが言われた言葉を良く考えてみましょう。
「まことに、あなたがたに告げます」(イエスが大事な事を話す前によく言われるフレーズ)。(良く聞いて、心に留めて置きなさい、の意)
「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません」(:15)。
1、子どものように
私たちが子供から学ぶものとは何でしょうか。大人になると無くなってしまう、子供の時に持っていた性質とは何でしょうか。
子どもは、知識も財も何も持たず、ただ受ける者(謙遜にならくても、謙虚な立場にある者)です。
教えられたら、そのまま信じる力があります。これには良い面と悪い面とがありますが、こと、聖書の約束を信じることと、イエスを信じることにおいては、最大の信仰者となります。信じて疑うことのない純粋な信仰には世の知識、常識、慣習などが混じっていません。単純で一点も疑うことがない信仰です。自分の知恵や、立場、誇りというものがありません。
子どもはおおよそ、素直な存在です。
* バイブルキャンプで招きをすると、子供たちは皆「イエスを信じます」と手を上げます。しかし、大人に問うと、多くの人は手を上げません。
福音を信じる決断を人々に促す時に、「ただ、聖書の福音を、イエス・キリストを信じるだけで良いのです」と勧めますと、牧師さん、信じることが難しいのです、と言われます。確かにイエスの全生涯は知識や常識では信じられないようなこと、現代良く使われる「科学的には」理解できないことが多くあります。大人にとっては「ただ信じる」ということが難しい。しかし、子どもにとっては容易いことです。そういう性質を有する子どものように「神の国を受け入れる」ことは、イエスが求めておられる信仰と言えます。
素直 →(その反対は)頑な。子供は知識や経験がない無知な者、と否定的な表現がなされますが、彼らは真っ白で、他の何かに染まっていません。真っ白な用紙には、何でも書き込むことができます。
* ルカ14:18~20 神の国の宴会の招待を何かと理由をつけて断る人々。
2、神の国を受け入れる
⦅神の国⦆を【受け入れる】=⦅イエス⦆を【信じる】
神の国を受け入れるとは、イエスを信じること、イエスをあなたの人生に受け入れる、お招きすることです。
「神の国」は英語ではKingdom of God、直訳すると「 神の王国」と言う意味です。すなわち、神が王として支配される国です。
それは私たちを愛し、良いまつりごと(政治)を行って下さる神の国です。
イエスをお招きした人生が神の国の人生であり、イエスを受け入れた人の心に神の国が到来します。
イエスは、イエスを受け入れた人の王の王、主の主として、導き、守り、養ってくださいます。
3、神の国に入る
神の国に入ると、「神と共に生きる」人生がスタートします。教会において(また、家庭においても)礼拝を献げ、聖書・祈り・賛美・クリスチャンの兄弟姉妹との交わりを通して、神と交わり、神を深く知っていきます。神を賛美し、神に祈り、感謝をささげる人生に変わります。その道は、やがて聖書に約束されている天国に続いています。
私達はこのように、この朝、礼拝を献げています。
礼拝には、壮年、婦人、年配の者、若者、そして子供たち、幼子と様々な年代の者が集っています。それが礼拝の場にふさわしいあり方です。なぜなら、イエスは全ての人を、ご自身の許に招いておられるからです。ここは、イエスが招いて下さっている場であり、イエスが祝福して下さっている場です。
「クリスチャンでない者が、礼拝に出席していいのでしょうか」とお聞きになる方がおられます。イエスは喜んで迎えて下さいます。
「外国人ですが、肌の色が違いますが、この教会に参加していいでしょうか。」イエスは喜んで迎えてくださいます。
「前科がありますが、とんでもない罪深い歩みをしてきましたが、私のような者は出席して良いでしょうか。」イエスは喜んで迎えて下さいます。
「子どもがぐずって迷惑かけるかも知れませんが・・・。」ちょっとぐずるのが止まるまで下の階で聞いてもらうことになるかも知れまんが、大歓迎です。
* 私が牧師になって2年目、会堂建築をする時、母子室はどうするかということについて話し合って、母子室は用意するが、母子室という形では造らない、ということに決めました。
主イエスは、全ての者を招いておられます。
神の国はどのような者のものなのか。
「神の国(天国)はこのような者たちのものです」 イエスは、子供たちを前に置いて、彼らを模範に示され、この「子供たちのように」と話されました。
子どもたちのように、神の国を、この朝、受け入れましょう!
イエスが、あなたの人生に、これからの新しい一週間にも「神の国」を力強く与えて下さいます。
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