11月8日(日)礼拝説教全文
「決断の時」 使徒行伝8:26~40
信じてバプテスマを受ける者は救われる(マルコ16:16)
ピリポ(英:フィリップ)について、その人物像を見てみましょう(使徒行伝6:1~6)。
彼は、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人です。信仰と聖霊に満ちた人で、7人の執事のひとり(ステパノ、ピリポ…)でした。
背景(使徒行伝8章):大迫害と、散らされた人々による福音宣教
ステパノの殉教(7章)の後、エルサレム教会に対する大迫害が起こります。その首謀者で迫害の先頭に立ったのはサウロ(パウロ)でした。エルサレムにいたキリスト者は、この迫害によって全国に散らされて行きました(:4)。
しかし、散らされて行ったキリスト者たちは、主の力に満たされて、行く場所、行く場所で御言を宣べ伝え、巡り歩きました(:4)。
ピリポも散らされた人々の一人で、彼はサマリヤに赴き、そこで人々にキリストを宣べ伝えました(:5~13)。その結果、サマリヤで信仰復興(リバイバル)が起こりました(:14~25)。
迫害によって、爆発的に全世界にキリストの福音が宣べ伝えられていったことがわかります。ユダヤ教から世界宗教へ。必ずしも良い環境が福音宣教を拡げていくとは限りません。神様のご計画は人には計り知ることが出来ません。今日においてもそうです。個人の出来事の中にも、苦しみや悩みが主の栄光に変えられていくことが多いのです。
1、主の熱心と救いの計画(:26)
主はピリポをガザ方面に遣わすとき、「主の使いがピリポに言った」とあります(:26)。また、「御霊がピリポに言われた」とあります(:29)。神はご自身の計画成就のために人に語りかけられます。「御霊の言える如くせよ」と聖歌にありますが、聖霊は私たちに語って下さいます。今日、主は聖書のみことばをもって語られ、時に私が実際にどうするべきかを御霊が聖書を通して語って下さいます。キリスト者としてのあなたの生活はどうでしょうか。いつも聖霊の導きを仰ぐ者でありたいと思います。
* 「みことばが与えられる」という表現について。神(のため)の全ての働きは、神のGOサインである「みことば」によって始まります。
ピリポがエルサレムからガザへ下る道へ遣わされたことは驚くべき不思議な事ですが、それはある一人の人の救いのためでした。
「万軍の主の熱心がこれをされる」(イザヤ9:7)とありますが、それは一人の人を救いたい神のおこころです。人の子が来たのは失われた一人の人(迷い出た一匹の羊)を探し出して救うためです。
2、エチオピアの宦官(:27~28)
ピリポが遣わされた相手は、エチオピア人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた人物です。エルサレム神殿で礼拝をささげ、エチオピア(東アフリカ)へ帰る途中でした。彼は馬車に乗って、聖書を読んでいました。
彼は「改宗者」「巡礼者」であったと思われます。
偶像の神に仕える者から、ユダヤの神、すなわち、天地創造の神を信じる者へと改宗した人物。そして、聖書の教え(ユダヤ人の信じる神に従う教え)に熱心な人でありました。別の言い方をすれば、神を求めていた人、真理を求めていた人です。そして、何よりも幸いなことはすでに聖書のみことばに触れ、耕された心を持っている人でした。
ここに、一人の人の救いに熱心な主、主に遣わされる宣教者ピリポ、そして、耕された心のエチオピアの宦官という関係図があります。 * ある兄弟の証詞
耕された心を持つ者は、何と幸いな人でしょう。人の心を耕す働きは何と大事なことでしょう。
3、聖書の解き明かし(:28~35)
馬車の上で、エチオピアの宦官が声に出して読んでいた聖書の箇所は、イザヤ書53章に「苦難の僕」が歌われている詩です。「ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。…」。人々の罪の身代わりに犠牲となって、命が取り去られるひとりの人についての詩です。彼はこれを読みながら、これは誰のことであるのか考えていました。
丁度その時、ピリポは彼に近寄って、馬車と並んで歩きます。「あなたは読んでいることがわかりますか」「導く人がなければ、どうしてわかりましょう」。聖書のみことばを教え導く人の存在は何と麗しいことでしょう。
ピリポはこの聖句から説き起こして、イエスのことを宣べ伝えました。
何が解き明かされるに優って、聖書、神のみことばが解き明かされることほどすばらしいことはありません。聖書はイエスについて書かれたものです。聖書を通してイエスを知る。それ以上の知るべきものはありません。
4、エチオピアの宦官の応答(:36~40)
彼は聞くだけの者ではなく、2つの応答をしました。
イザヤ書を通して、イエス・キリストが私の罪のために死んだこと、そして、イエスこそが神の御子であることを心底から信じました。
そして、自ら進んでバプテスマを受けました。
異本(:37):「あなたがまごころからイエスを信じるなら、バプテスマを受けてよいのです」「わたしはイエス・キリストが神の御子であると信じます」
ハレルヤ!「信じてバプテスマを受ける者は救われます」。
これはイエスを信じて救われた一人の人の記事であり、彼のターニングポイント(転換点)、回心の出来事です。
彼は、「喜びながら」、旅(人生)を続けます。エチオピアへイエスの救いを受けて戻っていく宦官。彼の家族へ、女王へ、エチオピアの国の人々のために。
イエスを信じて、洗礼を受けてください。そして、「神と共に喜びながら生きる人生」の旅を歩み出しましょう。
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