11月15日(日)礼拝説教全文
「どんな将来を願うのか」 ルカ2:21~24、52
聖書協会共同訳見出し(:22~28) 神殿で献げられる(父ヨセフ、母マリヤよって赤子イエスが)
本日は子ども祝福式と献児式を行います。この度の献児式は、お子さんが生まれて、もう少し早い時期にと考えていましたが、コロナの関係で式の日が伸びて今日となりました。短い式辞の中でも、献児式の意味が語られますが、神様の導きによって本日行われ、それほど度々あることでもないと思いますので、聖書の中からじっくりとその意味と内容を見て、神による祝福の大きさを共に受け止めたいと願っています。
日本にも昔からお宮参りと言う習慣があります。生まれた赤子の健康、長寿を願って神社に参拝します。日本には八百万の神々がありますので、何の神に対してというのは定かではありませんが、生後一か月に行くことが多く、生まれた子がすくすく成長するようにという親の願いによるものです。
割礼について(:21)
イエスがお生まれになって、8日が満ちて幼子に割礼を施したとあります。これは、旧約聖書の創世記17:12の規定に従ったものです。割礼は神によるイスラエルに対しての聖別、「神の民、神の所有のしるし」を付ける儀式です。聖別とは、神のものとして、世のものから分かたれる、分離されるという意味があります。たとえば、聖餐式の器は、聖餐のためだけに使われます。飲み物を入れる器ではありますが、他の事のためには使用されません。聖別は道徳的・倫理的に世俗の悪い習慣から離れるというイメージがありますが、大事なのはむしろ、神の所有となるという意味で、聖別は、悔いて改めることと共に、神に自分自身を献げるという心と告白が必要です。
その名はイエス(呼び名)(:21)
幼子は「イエス」(ギリシア語)と名がつけられました。意味は「主は救い」です。呼び名については、ギリシア語・新約聖書では「イエスース」、ヘブル語・旧約聖書では「ヨシュア」。「イエス(様)」は日本人の呼び方で、ご存じのように英語ですと「ジーザス・クライスト」となり、世界各国発音は異なります。日本でもカトリック教会では「イエズス・キリスト」、又、日本ハリストス教会では、「イエスス・ハリストス」と呼びます。(イエスが人々から直接呼ばれていたアラム語では、「イエーシュア」)
当時ヨシュア(ジョシュア)は一般的な名前でありましたが、「主は救い」というまさにその名はイエスの生涯を表しています。
イエスという名がつけられた理由については、名付け親はその両親ではなく、イエスが生まれる前に御使いが告げた、神がお付けになった名前でした。イエスの誕生については、クリスマスで触れますが、両親となったヨセフとマリヤは、御使いから告げられた(神が告げられた)通りにしたということです。
* 私も3人の子がいますが、3人共に聖書から名前をいただきました。名の意味にふさわしい歩みであってほしいと思います。
* イエスは弟子のシモンにペテロ(岩)と名を付けられました。
* 日本のカトリック教会では、洗礼名(クリスチャンネーム)を新しく付けます。
エルサレムの神殿に連れて行く(:22~23)
さて、モーセの律法による彼らのきよめの期間(7日+33日=40日)が満ちて。
レビ記12章に記されている規定に従い、男の子の場合、生まれて7日過ぎて8日目に割礼を施し、さらに33日を経た40日後、聖所に入ることが許されます(女の子の場合は男子の2倍、14+66日=80日後)。
両親は幼子を主にささげるために連れて来た、とあります。出エジプト13:2にある旧約の律法に従って。
聖書では初子の男子とありますが、全ての子供たちが「主に聖別された者」と呼ばれるものであって欲しいと願います。
献児式で大事なのは、この「幼子を主にささげるために」という親の願いと、子どもの将来のためのものです。プロテスタントでは幼児洗礼というものは行いませんが、信仰ある親が、何を彼らに願う、遺すに優って、「神のもの(所有)としての人生」を手渡したい、継承させたいという神への願いです。
献児式は、この子の人生は最初から最後まで神のものである、という告白です。
やがて、親の信仰ではなく、自らが罪を悔い改め、イエスを信じて、キリストのものとして、その生涯を歩むことができるようにと願います。
貧しい家庭に(:24)
レビ記12:6~8の律法に従って、彼らは「山鳩一つがい、又は、家鳩のひな二羽」をささげました。これは母マリヤのきよめのための全焼の犠牲(いけにえ)として、本来は一歳の子羊一頭ですが、経済的に買えない者は鳩でよいと定められていたからです。イエスの両親の家庭は貧しかったことがわかります。
8日目の割礼、40日目の宮もうでと、きよめのための山鳩の捧げもの、どれも主の律法に従って行われました。ヨセフ、マリヤという人物が、経済的に貧しい者であっても、神に従い、神の戒めに忠実な人であったことがわかります。
* イエスに東方の博士によって贈られた「黄金・乳香・没薬」は、これらの儀式の後に与えられたものでした。贈り物はヘロデの大虐殺によってエジプトへ逃れるための資金になったのではないかとも考えられます。
神と人とに愛された(:52)
40節、52節には幼子から少年へ、そして成人へと、その成長が短い言葉で書かれています。
「幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちて行った。神の恵みがその上にあった」
「イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された」
どのような子に成長してほしいですか?
神の恵みがその上にあり、神と人とに愛される者に。
キリスト者として、どんな人生を歩みたいですか?
神の恵みがその上にあり、神と人とに愛される者に。
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