12月13日(日)礼拝説教全文

「慰めよ、わたしの民を」(アドベント第三週) イザヤ40:1~8

(訂正箇所:第三イザヤの区分 56~66章)

聖書協会共同訳見出し 主の民への慰め

「慰めよ、慰めよ、わたしの民を」

「ナハムー、ナハムー、アンミー(ヘブル語)」 ナーハム(慰め)

クリスマスのシーズンにはヘンデルのメサイヤが良く歌われます。メサイヤ(メシヤ:救い主)はキリストの生涯をテーマに演奏され、歌われています。預言とキリストの降誕(1~24)・苦難と贖罪(十字架)(25~44)・復活と永遠の命(45~53)について歌われていますが(因みに有名なハレルヤコーラスは、第二部、苦難と贖罪の最後44曲目)、第一部の楽器による序曲の演奏シンフォニアの後、まず、最初に歌われるのが、イザヤ書40篇の1節、「慰めよ。慰めよ。わたしの民を。」です。Comfort, comfort my people!

* イザヤ書は、歴史批評的立場では、1~39章、40~55章、56~60章に、第一、第二、第三イザヤと時代を分けて読む人もいます。内容が、神の裁き、バビロン捕囚、捕囚からの解放、第一だけがイザヤの書いたもので、第二と第三はイザヤの弟子が書いたものだと言われたりもします。どうしてかというと、イザヤの後の出来事が、克明に書かれている、つまり預言されているからです。それは聖書の未来に対する神の預言を信じない、起こってから書かれたものであるとする立場で、私達の聖書の読み方とは違うものです。39章と40章の間には時間の大きな隔たりがあるのか。教団の小林和夫先生からイザヤ書を学びましたが、小林先生は、イスラエルに行かれた時、イスラエル博物館でイザヤ書の写本を自分の目で見ることを楽しみにしていたとおっしゃっていました。確かに、39章と40章はそのまま繋がっていたと私達に力説してくださいました。私が行きました時は、どれがそれなのか全然わかりませんでしたが。

イスラエルの歴史背景  

サウル、ダビデによって建国されたイスラエル王国は、ソロモンの死後、BC922年に、南北に分裂しました。 北イスラエル王国9部族と、南王国ユダ2部族、ユダ(シメオン吸収)、ベニヤミン(エルサレムを中心とした小地域)に分裂しました(レビ族は数えられない)。その後、BC721年、北イスラエル王国はアッシリアによって陥落、捕囚されて行きます。

後に、南王国ユダもBC586年に、バビロンによって陥落、捕囚されて行きますが、その差は135年あります。

イザヤの活躍した時代は、ウジヤ、ヨタム、アハブ、ヒザキヤの時代でした。彼は南王国ユダ、エルサレムにおいて(1:1)語った預言者で、北イスラエル滅亡から、南王国ユダ滅亡にかけての時代でした。

北イスラエル王国、すなわちサマリヤを中心とするガリラヤは、律法を守らず、神に従わなかった故に滅ぼされ、はずかしめを受けました。一方、南王国ユダは、自分たちの国は神の祝福の下にある、万軍の主が共におられる故、滅ぼされることなく堅く建つと信じていて(事実135年間 南王国ユダはアッシリアの猛威から守られ、支えられていた)、しかし、兄弟を憐れまず、神に仕える民としては中身のないものでした。…それゆえに、彼らにも近づきつつある滅亡。

イザヤは39章まで、南王国ユダに対して、心かたくなな民、そして民に対する神の懲らしめについて主に語られますが、40章以降は主に「回復」について語られています。「バビロン捕囚の預言」と、「さばきと捕囚からの解放・回復の預言」です。

イザヤの歴史観 

その時代(サマリヤ陥落)、すぐ先の時代(バビロン捕囚)、キリスト到来の時代、そして終末。

40章は、神のことば「慰めよ。慰めよ。」(:1)で始まります。

繰り返し、二度呼びかけられています。「神の慰め」、やがて来られる救い主の到来によって慰められるという預言です。

あなたを罪と滅び、暗闇の中から救って下さるお方が来られる!

回復のために、私達に必要なのは、まず、「慰め」です。傷ついた心、衰退してしまった家、暗闇に落ち込んでしまった世界。その回復のために必要なのは、最初は内なる「慰め」です。うつむいた顔が上を見上げる、新しい心・希望の到来です。「かしらを上げよ、こうべを上げよ!」

クリスマスのメッセージは、時代や、今の私がどんな暗闇の中にあっても、救い主イエスの誕生こそが、私達の動かない慰めである、ということを知って下さい。

「エルサレムに優しく語りかけよ。これ(彼女)に呼びかけよ。」(:2)

優しくというヘブル語は、直訳ですと「心に」という言葉です。心に届くように、心に響くように語りかけよ。反発を呼び起こすような、委縮してしまうような語りかけ、絶望を感じるような呼びかけではなく、優しく。「彼は傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯心を消すこともない」(イザヤ42:3)…主イエスはこのようなお方です。「やわらかいことばで、憐みと愛を込めて語りかけなさい、呼びかけなさい。」

慰め  どのような回復のための慰めの呼びかけか

① 「その労苦は終わった、戦いは終わった。」 救い主の到来によって、(それを信じる私達において、そして終末において)重労働が終わった解放感、戦争が終わった安堵感、争いが終わった静けさが与えられる。

「すべて重荷を負って苦労している者は、わたしのもとへ来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」

② 「その咎は償われた(贖いのための支払いは完了した、罪は赦された)。」

借金が無くなって完済した喜び、無罪放免とされた囚人、(罪の)奴隷から解放された自由人の喜びが与えられる。

③ そして、「そのすべての罪に引き換え、二倍のものを(報いを祝福として)主の手から受けた。」(:3~5)

咎が償われ、罪が赦されただけでない!そのすべての罪に引き換え、二倍のものを主の手から受けた。

ありえない事、それが、イエス・キリストの十字架による贖い、清算によって与えられた、と言う神の恵みの宣言。

「荒野に呼ばわる者の声がする。」(:3~5) 備えられた道、平らに準備された道に、そのお方が来られる。そして、その時、私達は、主の栄光を見る。バプテスマのヨハネの記事でもあり、バビロン捕囚からの解放の記事でもあり、終末の記事でもあります。そして、今、今年のクリスマスにも私たちが受け取る福音です。

「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」

人の命ははかなく、虚しいものである。私達はそのような存在です。しかし、その只中にあって、神のことば、永遠の命である主イエスが、私達のこの世界に、私の人生に堅く立っていて下さいます。

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

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