12月20日(日)クリスマス礼拝説教全文

「貧しさの中に住まわれる神」 ルカ2:1~16

聖書協会共同訳見出し 「イエスの誕生」「羊飼いと天使」

クリスマスおめでとうございます。主イエス・キリストの御降誕を心からお祝い致します。

本日はクリスマスの出来事、イエス・キリストの誕生の記事を読みます。

イエスの生涯を記している4つの福音書が、イエスの誕生の出来事から始まって書かれているかというと、歴史的な出来事として書いてあるのは、マタイとルカによる福音書のみです。マルコとヨハネの福音書にはイエスの誕生の歴史的な記述はありません。

マタイ(1~2章)は、旧約聖書にある預言が確かにイエスによって成就した、という視点でイエスを指さしています。イエス以外には救い主はいない!確かにこのお方こそ、あの旧約聖書に預言されている、イスラエルの民が待ち望んでいた、ダビデの子孫としてお生まれになった救い主です。その内容は、「ダビデの子孫として」、「ヨセフへの知らせ」、「インマヌエル預言の成就」、「東方の博士の来訪」です。

ルカ(1~2章)は、イエスの誕生は幻・架空の出来事ではなく、歴史的事実であり、神の御子イエスは人としてこの地に来られた! 世界史の中に、この時に、この場所にお生まれ下さった、という視点でイエスを指さしています。私達を救うために2000年前にベツレヘムで確かにお生まれになったお方です。その内容は「マリヤへの受胎告知」「ローマの人口調査」「飼い葉おけのしるし」「羊飼いへの知らせ」です。

ルカは医者であり、歴史家、学者(ギリシア語に熟練した知識人)でもあり、イエスがどのような時代に、どのような場所で、誰から、どのようにして生まれた(その後、教え、行動された)かをローマの高官テオピロ(ルカ1:3)に献上するために、歴史的に順序正しく書いています。

ルカ2章は、クリスマスに最もよく読まれる聖書の記事です。

神のご計画 -神はご自身のひとり子を、どの時代の、どの場所へ遣わされたのか-

よく私達も、最終的なこの場所に到達するまで、その時にはわからなかったが、後に、このことがなければこの事は実現しなかった(これがあったから実現した)、とその経過を再解釈することがあります。そして、それは偶然ではなく、神の大いなる導きです、と告白します。

① ローマの人口調査の勅令が皇帝アウグストから出た(ローマの徴税・徴兵のため)(:1~3)

② 人口調査の登録の為に、ヨセフとマリヤはベツレヘムへ上った(:4) 約140キロ(八千代市から

③ 宿屋には彼らのいる場所がなかった(:7) 夫婦共にみ使いのお告げは受けていたが   富士山位)

④ 羊飼い達への知らせ 喜びの知らせ(NEWS) GOSPEL、GOODNEWS(:10、11)

第一報はベツレヘムで夜、 野宿をしていた羊飼い達に

「今日、ダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。・・・」

⑤ ①~④の全ては、この馬小屋の飼い葉桶へと私達を導きます。クリスマスのクライマックスです。(:12)

Q、救い主としてお生まれになったお方はどこにおられるのか

A、ベツレヘムの家畜小屋の飼い葉おけの中に布にくるまって寝ておられる(:12)

* きよしこの夜の歌詞「…まぶね(馬槽)の中に」。まぶねとは、家畜の飼い葉おけ、えさ箱です。

ルカのクリスマスメッセージは、「救い主誕生のしるしは、飼い葉おけ(えさ箱)の中の幼子」です。

なぜ、神は救い主を、あえて、人々に迎えられず、貧しい、みすぼらしい飼い葉おけの中に、お与えになったのか。何ゆえに、神は、このようなご計画を立てられたのか。そこに、神のおこころがあり、クリスマスメッセージ、クリスマスの意味があります。

その意味

① 神の御子が、自ら低く貧しくなられて、私たちに豊かさを与えて下さった。それは、私たちに神の豊かさ、命に預からせるために、最も低いところへ降りて来て下さった。(第二コリント8:9)

② 罪人の友となられた 私達の間に住まわれた

③ 貧しさの中に神は住まわれる 

山上の説教の中でイエスは、ルカでは「貧しい者は幸いである」、マタイでは、「心の貧しい者は幸いである」、と言われており、豊かさの中にあっても自らが貧しい者であることを自覚すること、心の貧しさの大切さを説いておられる。イエスが言われたのはどちらだろうか。どちらの意味も意義深い。ただ、わかるのは、イエスは心のことだけを言っておられるのではなく、経済的に貧しい人々のところに行って友となられるお方です。それが、飼い葉おけのしるしであると思います。*日系ブラジル人兄弟姉妹との交わり

イエスは、私たちの苦しみの中に、悩みの中に、悲しみの中に、しえたげの中に

病人の中に、不自由な中に、経済的な貧しさの中に

今日食べるものもなく、貧しさの中に死んでいく者の中に 

希望を持てない暗闇の中に

そして、自らぬぐうことのできない汚れ、罪の中に悩める者の中に

この神の御子イエスは、住まわれるのです。

④ 飼い葉おけが置かれてある家畜小屋であるからこそ、全ての人々(身分の貧しい者、羊飼い)が会いに行ける。全ての民に与えられる喜びの知らせである。 ユダヤ人も日本人も、白人も黒人も

汚い、貧しい、むさ苦しい家畜小屋に、救い主を訪ねに行く

きらびやかな王宮や、豊かな神殿に主はおられない。そのような場所であったら、私達は誰もイエスに会いに行くことは出来ない。

クリスマスを迎える覚悟は、家畜小屋におもむくことです。

身分の高い立場にある者は、尚も、いっそうへりくだって

へりくだって、へりくだって、へりくだって、貧しさの中へ イエスを見出すのです。

* 千利休の考案した茶室の入り口は「にじり口」と呼ばれ、低くて狭く、頭を低く下げなければ入ることが出来ない構造になっています。「天下人でも一旦にじり口を通った後は、全て平等の人間になる」として、茶室の中ではすべての人が平等という茶を嗜む者の心があります。身分制度が厳しい戦国の武家時代において、武士は刀を置いて、頭を下げて、茶室に入らなければなりませんでした。

⑤ 飼い葉桶は私達の心

家畜小屋、飼い葉桶は

最も暗く、貧しく、汚れた(匂って来る)場所。それは、罪に汚れた私達の心、内側を示している。

そこに!光と命を与えるために 主は来られた!

私たちは、私たち自身の闇(罪)に目を留める覚悟が必要です。

私達の闇、それは、自分の罪深さ、愛のない貧しさ、定められた逃れることのできない死です。

しかし、そこに光と命を与えるために、まさに飼い葉おけの中に救い主はお生まれ下さったのです。                            

神様はクリスマスの出来事を通して、私達をどこへ連れて行かれるのでしょうか。貧しい家畜小屋です!行きたくはない。しかし、そこは、私達の救い主イエス・キリストのおられる家畜小屋です。

イエスは、どこまでもへりくだって来て下さいました。へりくだって へりくだって、ついに飼い葉桶にまで。

私達の神は 私たちの貧しさの中に住まわれるお方です。

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

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