2021年1月1日(金)元旦礼拝説教全文
「主の心を動かす祈り」第二サムエル記 24:25
「こうしてダビデは、そこに主のために祭壇を築き、 祭壇を築き
全焼のいけにえと 和解のいけにえとをささげた。 いけにえをささげ
主が、この国の祈りに心を動かされたので、 祈りは聞かれ
神罰はイスラエルに及ばないようになった」(新改訳) 疫病はやんだ
「ダビデはそこに主のための祭壇を築き、
焼け尽くすいけにえと 会食のいけにえを献げた。
主はこの国のために祈りに応えられ、
イスラエルを襲った疫病はやんだ」 (聖書協会共同訳)
「ダビデはその所で主に祭壇を築き、
燔祭と酬恩祭をささげた。
そこで主はその地のために祈りを聞かれたので、
災いがイスラエルに下ることはとどまった」(口語訳)
2020年は日本を含め、世界中が拡大した新型コロナ感染(疫病)との戦いの年でした。どこで決着がつくのかは定かではありませんが(収束か、ワクチンか、特効薬か)、2021年もこの戦いは続きます。
そのような中にあって、私たちキリスト者(アンバサダー:神の大使)が何を成すべきなのかを知る上で、この第二サムエル記24章は大きな指針を与えます。
イスラエルに疫病が起こり、7万人が死にます。
これは、神のイスラエルに向かって燃え上がった怒り(:1)であり、神の罰であることが分かります。神がイスラエルの何に向かって怒られたのかはわかりません。第二サムエル記の最後の記事ですが、ダビデは様々な困難な戦いの果てに、その王権は堅固となり、その子ソロモンに王位が継がれようとしていて、国は平穏で隆盛を誇っていた時代と言えます。
神はイスラエルを戒めるために、王であるダビデを動かし(聖書協会共同訳では、そそのかして)、神のおこころに沿わない人口調査を行わせます。ダビデは良心の呵責に悩まされます。神はダビデに3つの選択肢を与えます。7年間の飢饉か、3か月間敵に敗北し逃げ回ることか、3日間疫病が起こることか。
ダビデは、「人の手ではなく、主の手に陥らせてください」と願います。
主は疫病をイスラエルに下されます。7万人が死んで、尚も、疫病がダビデのいるエルサレムに臨もうとした時、『主はわざわいを下すことを思い直し』ます。
ダビデは疫病が国中に拡大して、民が打たれているのを見て、主に言います。「罪を犯したのは、この私です。私が悪いことをしたのです。この羊の群れがいったい何をしたというのでしょう。どうか、あなたの御手を、私と私の一家に下してください」。
主は預言者ガドを遣わし、ダビデに命じます『主のために祭壇を築きなさい』。主の命じられた通りに、ダビデは異邦人の穀物の打ち場と牛とを代金を払って買い取り、そこに主のための祭壇を築きます。
そこでダビデは『全焼のいけにえ(燔祭)』と、『和解のいけにえ(酬恩祭)』をささげます。
主はこの国の(ための)祈りに心を動かされ、疫病はやみます。
疫病の中にあって、ダビデは、①異邦人から祭壇を築く場所を買い取り、②祭壇を築き、③全焼のいけにえと和解のいけにえをささげます。
① 代価を払って買い取ります
ダビデの王宮のとなりにあった天幕ではなく、どうして異邦人の打ち場を買い取って祭壇を築くことを、神は命じられたのでしょうか。エブス人のアラウナは、打ち場も牛もダビデにささげますと申し出ているのに、彼は強いて代金を払って買い取ります。
② 祭壇を築きます
どうして、イスラエルのために祭壇を築く必要があったのでしょうか。
③ 燔祭と酬恩祭をささげます
全焼のいけにえと和解のいけにえは どうして必要だったのでしょうか。
燔祭はレビ記第一章、酬恩祭はレビ記第三章にあります。
燔祭は、贖いの供え物(レビ1:4)です。全焼のいけにえであり、神の前に全てを焼き尽くす、ささげ尽くすものです。自分自身を神の前に焼き尽くす、捧げものとして差し出す、という信仰告白があります。
酬恩祭は、神への捧げものであると共に、自らがその一部を受け取って食するものです。酬恩祭はなだめの供え物(レビ3:16)です。このささげものによって、神との和解が与えられ、会食をすることによって、神との交わりを持ちます。
私達は、燔祭・素祭・酬恩祭・罪祭・愆祭を、祭壇を作ってささげる必要はありません。全てのささげものは、イエスが十字架において、全ての人の罪の贖いとして、ご自身を神にささげられたことによって完成しているからです(十字架の意味を知る上で、レビ記を読むことは非常に有益です)。しかし、もう一度、祭壇を築いて、自らと民をとりなす祈りをささげたダビデを思い起こしましょう。
昨年は、わたしたちは神の使節(アンバサダー)である、と元旦にメッセージを聴きました。それを思い起こして昨年を振り返って下さった兄弟姉妹もいます。
修道院という場所は、俗世間から離れて禁欲的規律を守り、宗教的共同生活を営み、神への信仰を深める場所です。今、私たちの状況である自粛生活において、同様に神への信仰を深める場所をもつことは最も重要であると思います。そこでは、常に礼拝と祈りの祭壇が築かれています。新改訳では、祈りは神の心を動かす、と訳しています。私たちの罪の贖いとして十字架で命を捨てて下さった、私たちの主イエス・キリストの名によって、私たちは神に祈りましょう。
神は私たちの祈りを聞いてくださるお方です。世の雑音・雑事から離れて、祭壇を犠牲を払って買い取り、祈りましょう。
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