1月10日(日)礼拝説教全文

「天からのものか、人からのものか」 マルコ11:27~31  マタイ28:18

並行箇所:マタイ21:23~27、ルカ20:1~8 

聖書協会共同訳見出し 権威についての問答

人は一見、強く賢い者のようですが、大きな試練や、思わぬ出来事に会いますと、その真相は脆く、弱く、愚かな者です。人は自分ではどうにもできないことがあると権威ある者に聞き、従います。そして、教えてくれる相手を「先生」「師」と呼びます。私たちは全ての権威ある者に学びます。自分が本当に困った時、助けが必要な時は、力ある者を頼ります。人はひとりでは生きられません。私たちは誰に聞き、学び、従い、誰に助けを求めたら良いのでしょうか。まことの権威ある者こそ、私たちの助け、力です。

     

イエスの生涯の最後の一週間

ベタニヤとエルサレムを行き来するイエスと弟子たちは、今、またエルサレムに来て、イエスは再び宮の中を歩いておられました。異邦人の庭は、イエスが宮きよめをされた後、以前の喧騒にあふれた場所ではなく、静かに祈りをささげる所になっていました。

両替人や鳩を売る者たち、器具を運ぶ者たちも、宮で商売をすることは許可されていましたが、それをやめていたのは、イエスを恐れたのだと思います。本来の過ぎ越しの祭りを行う「祈りの家」としての宮の様子になっていました。

神殿の管理者である祭司長、そして律法学者、長老たちがやって来て、イエスに言います。

「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。だれが、あなたにこれらのことをする権威を授けたのですか」。神殿の管理者としては当然の言い分です。とても丁寧な言い方で書かれていますが、そんな謙った穏やかなものではなかったと想像します。ガリラヤ出身の大工の息子、30代の青年イエスよりも彼らの方が、年齢においても、世においても権威を持っていたからです。

「誰の許可を得て、どんな権威でこんな身勝手なことをするのか」と憤慨して、神殿の管理者である彼らの立場をもってイエスに詰め寄った言葉だと思います。イエスを捕らえて獄に入れるのは当然だ、神殿と祭りの治安を乱したのだから、と。

このような人々にアウェー(敵地)で囲まれて、堂々としていられるでしょうか。

イエスは質問にはお答えにならず、逆に「わたしの質問に答えるなら、何の権威によってこれらのことをしたかを話しましょう」と言われます。その質問とは、バプテスマのヨハネについての質問です。「ヨハネは何の権威によってバプテスマ(洗礼)を授けていたと思いますか。天から授けられたものですか、それとも誰か人から授かったものですか」。

イエスに問われた彼らは、論じ合います。「その権威が天からのものだと答えるなら、『なぜ、あなたがたはヨハネを信じなかったのか』とイエスは言うだろう。人からのものだと言えば、群衆が自分たちを赦さないかも知れない。暴動が起きるも知れない」。バプテスマのヨハネは、生前悔い改めの洗礼を多くの人々に授けていました。群衆の中にもヨハネから洗礼を受けた人がいたかも知れません。ヨハネはヘロデ王に対して、人が言えない正しい事をはっきりと言い、そのために殉教した真の預言者である、と群衆は信じていました。

彼らは返答に困って「わからない」とイエスに答えます。

彼らの返答に対してイエスは、「わたしが何の権威によって、このようなこと(宮きよめ)をするのか、わたしも言わない」と答えられます。

彼らの中の誰も、自分たちの管理する神殿の中にあっても、イエスに手を出せる者はいませんでした。

人を恐れず、動揺せず(私たちならビビってしまいますが)神のおこころを行うイエスの姿を心に留めましょう。イエスはそのようなお方であり、そのようなお方が私たちと共にいて下さいます。恐れることはない。雄々しくありなさい。勇気を出しなさい。

* 「たといそうでなくても」安利淑の自伝

「何の権威によってですか」がこの個所のテーマです。イエスの権威は誰が与え、どのようなものなのか。

これまでの礼拝で、イエスの「権威ある教え」と「力あるわざ」という視点で、イエスのことばと行動を読んできました。イエスの権威とは何か。

権威(authority)という言葉の意味(辞書)

① 他の者を服従させる威力

② ある分野において優れたものであるとして信頼されていること。その分野で、知識や技術が抜きんでていて優れていると一般に認められていること。また、その人。

イエスと祭司長たちとの問答の中の、「権威は天からのものか、人からのものか」についてであります。興味深い内容です。私たちは人からの権威を知っています。社会的な権威も、政治的な権威も、専門的な権威もあります。人は自分で意識することなく、時には意識して権威あるものに従います。祭司長、律法学者、長老は、当時の宗教的指導者であり、権威者でした。まして、神殿は祭司長のテリトリー(勢力下のもの)です。しかし知ってください。人からの権威以上のものがあります。それが天からのものです。聖書は「鼻から息をするもの(の権威・力)に頼るな、それを恐れるな」と言います。

* 聖書は人の権威が悪いと言っているわけではありません。人の権威については、パウロは、ローマ13:1~7、テトス3:1で「上に立つ権威に従うべきです」と勧めています。基本的なキリスト者の立場は、その国の法を守り、国のため、人のために良い行いを続けていくことです。

イエスの権威とは何でしょう。

イエスはご自身の権威について「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています」と宣言されています(マタイ28:18)。天においても、地においてもいっさいの権威です。イエスの権威の及ばない領域はありません。

イエスの権威は天からのものです。

罪を赦し、永遠の命を与える権威です。

悪霊を追い出し、病を癒す権威です。

新しい言葉(神の愛とその偉大さ)を語り、世の力に打ち勝つ権威です。

(マルコ16:15~18)

これが天からの権威によるイエスの福音です。

イエスに従う者は、イエスのわざを行います。

キリストの使節・アンバサダーとして、「イエスの名によって」、このイエスの権威を、天からのものを、私たちの周りに、世界に表していきましょう。

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

0コメント

  • 1000 / 1000