3月14日(日)礼拝説教全文
「主に会う備えをせよ」 マルコ13:28~37 世の終わりについてのまとめ
(アモス4:12)-あなたの神に会う備えをせよ
並行箇所:マタイ24:32~44、ルカ21:29~33
聖書協会共同訳見出し いちじくの木の話(:28~32)
目を覚ましていなさい(:33~37)
世の終わり(終末について)
A 世の終わりの前兆(大患難の時代)
世の終わりの前兆に心を留めなさい。(戦争、戦争の噂、暴動、地震、飢饉、疫病)
偽キリストに警戒しなさい。「荒らす憎むべき者」
世の終わりの時を定めてはならない。
キリスト者は迫害を受けます。(逃げなさい)
(福音があらゆる民族に宣べ伝えられます)
B 主イエスの再臨
天地は滅びます。(太陽は暗くなり、月は光を放たず、天から星は落ち、天の万象が揺り動かされる)
主イエスは再び来られます。
☆ 世の終わりについての2つのたとえ話 (でしめくくる) しっかりと心に留め、イエスのことばに生きるために
1、ここまでのまとめとしての「いちじくの木のたとえ」
いちじくの木 枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。
それは季節や、時を知るための、私たちが目で確認できるものです。日本で言うならば、桜の花が咲くころには暖かな春が近づいていることを私たちは知ります。前兆を覚えなさい。
これまで、聞いてきたイエスの教えの「世の終わりの前兆について」、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいている「イエスの再臨」を知りなさい。
大患難時代。それはとても恐ろしい時代であり、私たちは不安になります。そんな時がやってきたならば、私たちは果たして耐え忍ぶことができるのだろうか、と不安になります。先週は期間が短くならなければ、誰もそれを耐え忍ぶことができない程だとイエスは言われました。
私たちは今、世界的な疫病感染によって、耐え忍ばなければならない時を送っています。
世界に蔓延した新型コロナ感染から約1年。日本の感染者数44万1千人、死者8千3百人。
世界の感染者数11680万人、死者260万人。(NHK統計3/8による)中でも圧倒的に高齢者の死亡率は高い。
私たちのこの世界は、この地球はいつまでも、永遠に続くものではありません。目に見える者はやがて朽ち果てます。東日本大震災から10年を迎えました。亡くなられた方々に哀悼の意を表すと共に、生活と心の復興に取り組む人々の為に祈ります。
私たちは残された繰り返し放送される映像を通して、その恐ろしさを知ります。私たちの生活の数分後の未来が激変する様子を見ました。津波を見て、抗う事の出来ない自然災害、迫まってくる死の力を見ました。まさに、人の未来は予測不能です。イエスは言われます、「天地は滅びます」。
しかし、恐れてはなりません。イエスは続けて言われます「わたしのことばは決して滅びることはありません」。何が変わっても、どんな恐ろしい出来事が起こったとしても、イエスのことばは完全であって私たちを生き返らせます。死の力もそれに勝てません。知恵を与え、私たちの心を喜ばせ、目を開かせます。そして、イエスのことばは真実であり、ことごとく正しいのです。主イエスに、主イエスのことばに、みことばに信頼する者は決して滅びることがありません。
* 繰り返し日を定めることへの警告 その日は定める事はできません。しかし、その日は突然来ます。
その日、その時がいつであるかは、誰も知りません。「天の御使いたちも、イエスご自身も知りません。ただ、父なる神が知っておられます」とイエスは言われています。尚更、人がその日を知って、宣言するとするならば、それは高慢の極みであり、終末に向かう者の最も愚かな発言、行為です。
* しかし、その日がいつであるかわからないからと、眠っていてはなりません。
イエスは「目をさましていなさい。注意していなさい」と言われます。
2、ここまでのまとめとしての、もうひとつのたとえ話 主人を待つしもべ(:34~36)
主人は家のしもべに、それぞれに仕事を割り当て、責任を持たせ、門番には目をさましているように命じます。
目をさましているように、しっかりと割り当てられた仕事を果たし、責任を全うするように。
主人はいつ帰って来るのかは、しもべは誰も知りません。夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か。
主人は不意に(誰ももう戻ると思いもしない、まだ帰って来ないだろうと思うその時に)帰ってきます。
主人を目をさまして、迎えることのできる しもべ は幸いです。
眠っていて、主人を迎えることのできない しもべ はわざわいです。
そして、この「世の終わりについて」の備えは、全ての人がその対象だと言っておられます。わたしは関係がないと例外はありません。キリスト者のみに対してではありません。全ての人にイエスは言っておられます。
目をさましていなさい。(:33、:34、:35、:37) (備えをしなさい…本日の説教題)
最後に、目をさますとはどのような私たちの生活でしょうか。「世の終わりについて」の中で前回も、前々回も、目をさましていなさい、その日を待ち望みなさいとお話ししました。
目をさますとは、イエスが再びこの地に、偉大な力と栄光を帯びて来られるのを、いつも待っているということです。再臨信仰です。眠っているとは、まだ時間がある。今はまだその時ではない。まだ大丈夫、油断していてはなりません。世の終わりの前兆に、終末の日だ!と張りつめて緊張してなさいというのではありません。あわてる必要もありません。神を礼拝し、喜んで待ち望むのです。花婿が到着するのですから、期待してその日を待つのです。もちろん迫害の時代には、耐え忍ばなければなりませんが。
もうひとつは、それぞれに割り当てられた仕事、主人から与えられた使命に対して忠実である事です。時間は自分の為に使います。家族の為に使います。会社の為に使います。自分の属するグループや団体の為に使います。しかし、忘れてはならないのは、主人がそれぞれに割り当てられた仕事、責任についてです。
世の終わりについて話す中で、生活に埋没してしまわないようにと何度か話しました。
何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、(何を買うか、何で楽しむか、誰と会うか、どこへ出かけるか)そのようなもので心の中がいっぱいになっている。神は私たちが日々の生活を楽しむことを禁じてはいません。かえって、私たちの必要をご存じであり、その必要を与え満たしてくださり、経済を祝福して下さるお方です。
しかし、私達には神から託された、キリストの弟子、しもべとしての使命、仕事があります。
キリストの教会を建て上げ、互いがしっかりと組み合わされて、この救いの箱舟に、ひとりでも多くの者が入ることのできるように、イエスの福音を宣教することです。神はすべての人が救われて、真理(イエス)を知るようになるのを望んでおられます(第一テモテ2:4)。
地震や津波、又、新型コロナウィルスへの予防、備えに私たちは一生懸命取り組んでいることでしょう。
共に礼拝する皆様に、又、この動画を観ているあなたに質問します。
世の終わりに対する備え、あなたの死に対する備え、神に会う備えはできていますか?あなたの罪は本当に赦されていますか?
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