3月28日(日)受難週 礼拝説教全文
「世の罪を除く神の子羊」 ヨハネ19:14~37
並行箇所:マタイ27:32~56、マルコ15:21~41、ルカ23:26~49
聖書協会共同訳見出し 十字架につけられる
イエスの死
イエスの脇腹を槍で突く
長かった2か月半の緊急事態宣言が解除され、感染予防の徹底と多くの制限の中にありますが、会堂に集まっての礼拝が再開できましたことを感謝します。
本日から受難週に入ります。今週は特に、主の十字架とそのお苦しみを覚えましょう。
金曜日は、主が十字何つけられた日です。
昨年の受難週は、マルコによる福音書から十字架の記事を読み、「どうしてイエスは神から捨てられなければならなかったのか。」マタイ、マルコにあるイエスの十字架上のひとつのことば、「わが神、我が神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」ということばを中心にお話しさせていただきました。
本日は、ヨハネの十字架の聖書の箇所を、少し長く朗読させていただきました。ヨハネ自身が目撃した十字架の出来事ひとつひとつを、私の罪を取り除くために、赦すために、贖う為に、イエスが私の罪を背負って、十字架の苦難を受けられたと覚えて、ゆっくりとイエスの愛を味わい読みましょう。
私は毎年、受難週にイエスの十字架の箇所を読みます。そして、自分のイエスへの愛と信仰をチェックします。十字架の記事を読んで、心が震える、動くか。申し訳なさと、私の為に打たれたその痛みで、心が痛むか。キリストの生涯の映画を観てみるのも良いでしょう。何も感じないとするなら、主よ、あなたの愛を教えてください。そしてあなたを愛する愛で、私の心を満たしてくださいと祈りましょう。
本日は1年ぶりに聖餐式を行います。聖餐には、自分自身を吟味する時をいただきます。いつも、「ふさわしくないままで、パンを食し主の杯を飲む者は、主のからだと血とを汚すのである。」「主のからだをわきまえないで飲み食いする者は、その飲み食いによって自分にさばきを招く」と勧められています。この招きのことばは、自らの罪を示し、私たちを悔い改めに導きます。
ヨハネによる福音書では、イエスの公生涯のはじめに、バプテスマのヨハネが登場し、ユダヤの民にイエスというお方を指し示します。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。」主イエスの生涯の最初からこのお方は、世の罪(私たちの罪)を取り除くために、その身代わり、贖いとなる子羊である、と。それは、過越しの子羊、罪の贖いの為の生贄の子羊を意味しています。
十字架の出来事は、まさにそうです。イエスが私たちの、私の罪を取り除くために、十字架で肉を裂かれ、血を流され、苦しみを受けられたのです。
人々は激しく叫びました「十字架につけろ。」ローマ人に引き出され、鞭打たれ、茨の冠りを被せられ、血に汚れたみじめな姿を見て、ダビデの様な王になると思っていた彼らの裏切られた期待は、憎しみの声に変わります。「この人を見よ!」とピラトは指さします。期待が大きければ大きいほど、イエスのその姿への反動は、激しい渦となっていく。「十字架につけろ」の群衆の声が怒涛の勢いとなっていきます。
ポンテオ・ピラトは、イエスを十字架につける為に彼らに引き渡します。
イエスはゴルゴダの丘へ十字架を背負って向かい、そこで十字架につけられます。
二人の犯罪人の真ん中につけられます。
イエスの十字架の上には「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」とヘブル語、ラテン語、ギリシア語で書かれた罪状書きがつけられます。
ローマの兵士が、イエスの十字架の足元で、イエスの着ていた着物をくじで取り合います。
イエスはイエスの母マリヤに声をかけられます。
イエスは渇かれます。十字架刑は身体の水分を奪い、激しい渇きに襲われます。
イエスは、酸いぶどう酒を受けられ、力を振り絞って叫ばれます「完了した。」
そして父なる神に、ご自身の霊をお渡しになられ、息を引き取られます。
何が完了したのでしょうか。
イエスの十字架の出来事を読むと、十字架にかかられた最初、ローマの兵卒がイエスに没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに与えようとしましたが、イエスはお受けになりませんでした(マルコ15:23)。それは、十字架の痛みを和らげることが無いためです。しかし、最後には、酸いぶどう酒を受けられました。どうしてでしょうか。
詩篇の十字架の預言である22篇ではこのように書かれています「わたしの力は土器のかけらのように、かわききり、私の舌は、上あごにくっついています。」(22:15)まさに、イエスの十字架の最後には、イエスはことばも出ない程に渇いておられたでしょう。イエスは、私たちの罪の赦しの為の新しい契約を宣言しなければならなかった。しっかりと、はっきりと、人々にわかるように。私の耳にも届くように。酸いぶどう酒を受けられ、力を振り絞って「完了した」と宣言されたのです。
この宣言と共に、神と私たちを隔てる神殿の幕は、上から下まで真二つに裂けたのです。イエスによる新しい救いの道が開いたのです。
イエスは最後の食事の席で、杯を取り、言われました「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです。」過ぎ越しの食事は、小羊の血による、神の裁きから救われた、出エジプトを記念する食事です。そして、聖餐式のパンとぶどう酒は、イエスが私たちの罪の赦しの為に裂かれたからだ、流された神の子羊の血による、新しい契約を記念する食事です。
ヨハネはイエスの十字架の足元に、イエスの母マリヤと共にいて、イエスの死を目撃します。釘によって裂かれた身体、流された血潮を目撃します。
さらに、イエスの骨は折られず、最後にローマの兵士が、息を引き取られたイエスの脇腹を槍で突き刺すのを見ます。突き刺し、そして抜かれた槍の刺し口から、血と水とが流れ出たのを目撃します。目撃した者が証言し、その証言は真実です。
「彼の骨は一つも砕かれない」(詩編34:20)
「彼らは自分たちが突き刺した方を見る」(ゼカリヤ12:10)(イザヤ53:5)
ヨハネの第一の手紙1:7にある「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」という証言は、このイエスの十字架を目の前で目撃したヨハネの確固たる、真実な証言です。
主の十字架を見上げましょう。聖霊様に十字架の出来事を目の前に見せていただき、あなたの罪の赦しと救いのための新しい契約が「完了した」というイエスの御声を聞きましょう。力強いイエスのことばを信じて、受け取りましょう。
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