4月4日(日)イースター礼拝 説教全文
「復活の主にある平安(シャローム)」 ヨハネ20:19~23
聖書協会共同訳見出し
復活する(20:1~10)
主イエスが金曜日の午後3時に十字架で息を引き取られて、金、土、日曜、三日目の朝早く、まだ暗いうちに。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ 4つの福音書が、日曜日の明け方の出来事であると声をそろえています。安息日の土曜日が終わり、マグダラのマリヤをはじめとして数人の女たちが、朝一番にイエスの納められた墓へ赴きます。金曜日には、安息日である土曜日(何も働きをしてはならない)が目の前に迫り、十字架から降ろされたイエスの遺体は、急いで、アリマタヤのヨセフの用意した、新しい墓に納められました。イエスの遺体が亜麻布で頭と身体に巻かれ、納められました。
女たちは香料と香油を準備して、安息日が終わるのを待って、イエスの遺体に塗るために、ユダヤ人の習慣に従ったしっかりとした葬りをする為に出掛けます。墓は横穴式のもので、大きな石の蓋で閉じられています。数人の男性で転がして閉じる円柱の大きな石の蓋です。
ここからは、ヨハネによる福音書の記事に沿って話します。マタイ、マルコ、ルカとそれぞれに若干の違いがあります。
ところが、女たちが墓に到着すると、墓石が取りのけてあるのを見ます。マグダラのマリヤはペテロとヨハネに走って行って知らせます。二人も走って、イエスの墓へ行きます。墓の中には、イエスの遺体は無く、イエスの遺体に巻いていた亜麻布だけが残されています。身体に巻いていた亜麻布と、頭に巻いていた亜麻布は別々の場所にあって、頭に巻いていたものは丸めてありました。
墓の中を見たヨハネの目撃証言は、何気ないものではありますが、とても興味深い内容です。後に、イエスの遺体がイエスの弟子たちによって盗まれたというデマを(マタイ28:12)祭司長、長老たちが流します。ユダヤ人の間にそのデマが広がります。しかし、遺体に巻かれた布をわざわざ解いて死体を盗んでいく盗人がいるでしょうか。その墓の様子は、亜麻布が丸めて、たたんで置いてある。イエスがご自身でそれを取られた様子を想像することができます。
イエスマグダラのマリヤに現れる(20:11~18)
ペテロとヨハネは墓を去り、家に戻りますが、そのままマグダラのマリヤは墓に留まります。死からよみがえられたイエスは、一番最初にマグダラのマリヤにご自身を顕されます。他の誰でもなく、マグダラのマリヤ(7つの悪霊を追い出していただいた女)にイエスがご自身を顕してくださったことも、彼女がいかにイエスを愛していたのかがわかります。
イエス弟子たちに現れる(20:19~23)
並行箇所:マタイ18:16~20、マルコ16:14~18、ルカ24:36~49
イエスの弟子たちは、マグダラのマリヤや女たちから、イエスがよみがえられたことを聞きますが、これから何が起こるのだろうかと「ユダヤ人を恐れて」、家の戸に鍵をかけて身を潜めています。イエスがよみがえられた日曜日の夕方のことです。
イエスは鍵をかけて閉じこもっている弟子たちの真ん中に立たれます。
イエスの弟子たちの驚きはどのようなものだったでしょうか。
夢や幻、霊を見ているような感覚だったでしょうか。
イエスは言われます「あなたがたに平和があるように」「安かれ」「平安があなたがたにあるように」平和、平安、安かれ、それはギリシア語ではエイレイネイ、ヘブル語ではシャロームということばです。
イエスが私達と会って、最初に声をかけてくださるのは、「安かれ」か「恐れるな」だと私は想像します。どちらも同じ意味だと思います。恐れないで、いつも平安であること。それも、よみがえり、死に勝利された主、今も生きておられる主がここにおられる、共におられるゆえに平安であること。
経済的に豊かでも貧しくても、主イエスが共にいてくださるゆえに平安であること。健康が良くても悪くても、主イエスが共におられる故に平安であること。大きな問題・悩みが襲ってきても、主イエスが共におられる故に恐れないこと。そして生きるも、死ぬも、よみがえり、今も生きておられる主イエスが共におられる故に平安であること。
シャロームが私たちにもたらすもの
ヘブル語のシャロームの本来の意味は、単に、争いのない、静的な平和な状態を表わすだけでなく、神が共におられる故に、力と生命に溢れた動的な状態を表します。
(1) 平和 (対国、対神、対人) ・・・和平、和解
(2) 平安 (個人的)・・・平穏、無事、安心、安全
(3) 繁栄 (商業的)
(4) 健康 (肉体的、精神的) ・・・健全、成熟
(5) 充足 (生命的) ・・・満足、生きる意欲
(6) 知恵 (学問的) ・・・悟り、霊的開眼
(7) 救い (宗教的) ・・・暗闇から愛の支配へ
(8) 勝利 (究極的) ・・・罪と世に対する勝利
よみがえられた主イエスが、この朝も私達に与えてくれるもの、それは、顕現による確かな主の臨在です。
手と脇腹とをお見せになった(:20) 十字架の赦し
よみがえられた主が、最初に私たちに見せてくれるのは、十字架の釘跡でしょう。
父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わす(:21) 派遣
よみがえられた主は、あなたが復活の証人になることを望んでおられます。あなたは、主に出会った人です。
息を吹きかけられ「聖霊を受けなさい。」(:22) 聖霊による聖別
キリストの証人となりために、主は新しい力を与えてくださいます。
悔い改める者に罪の赦しの宣言を与えなさい(:23) 宣教
教会の使命は、「イエスによる罪の赦しの宣言です」。
主イエスを信じる者は、主イエスを持っています。主イエスのよみがえりの命を持っています。
この朝、主の招きのことばを聞き、それに私達は応えたい。
「私は復活であり、命である。私を信じる者は死んでも生きる。生きていて、私を信じる者は、決して死ぬことはない。このことを信じるか(ヨハネ11:25)」
主よ、信じます。
信じるなら、私達は必ず、神の栄光(復活)を見ることができます。(ヨハネ11:40)
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