6月20日(日)礼拝説教全文
「イエスが愛したように」 第一ヨハネ1:1~4
マルコによる福音書を読み終わり、その最後にイエス・キリストの麗しい生涯を読み、このイエスを信じてバプテスマを受け、神からの救いを受けるようにと勧めを受けました。
イエスの十二弟子の中で、最もイエスの近くにいて、イエスに愛された弟子と言われるのが、この手紙の著者ヨハネです。イエスの弟子たちが迫害を受け、次々に殉教する中、ヨハネは晩年はパトモス島に流刑にされますが、弟子たちの中で最後まで生き延びます。そして新約聖書の中のヨハネによる福音書、ヨハネの手紙1,2,3、ヨハネの黙示録を書いた人です。晩年のヨハネは、教会の指導者として兄弟姉妹に向けて、口癖のように「兄弟姉妹、互いに愛し合っていますか」と語ったと言われています。
聖書協会共同訳聖書の見出し 命の言
「初めからあったもの、聞いたもの、よく見て、手で触れたもの、すなわち、命の言について。」ヨハネが愛し、従い、共に生きたイエスを「命の言」、「永遠の命」と書き出します。このイエス、永遠の命を証しし、告げ知らせています。
この手紙の書かれた目的(~のため)の3つのキーワードは、「永遠の命」、「交わり」、「喜び」です。
① あなたがたが「永遠の命」を受け取るため(:2) 永遠の命のない私
生まれながらの私達の人生は永遠の命とは縁もゆかりもない人生を歩んでいます。何に縁があるかというと逆に死(と罪)に結びついた人生を歩んでいます。これが現実です。ヨハネは、永遠の命とはイエス・キリストご自身のことであり、この命に結ばれる事が「唯一の救い」であると伝えています。
イエス・キリストは、永遠の命(ご自身の命)を与える為に、十字架で命を捨てて下さいました。死をもたらす原因である私達の罪を取り除く為に、私達の罪を身代わりに十字架で引き受け、背負って下さいました。
* 人は生まれながらに、どこにもつながっていない枝のようなもの 時間がたつと枯れて、火にくべられてしまいます。(ヨハネ15章、ぶどうの木のたとえから。)イエス・キリストをあなたの人生に迎え入れるならば、永遠の命を得ます。死から永遠の命へと移されます。唯一永遠の命は、キリストに結ばれることです、とヨハネは言うのです。
② あなたがたが「交わり」を持つようになるため(:3) この交わりのない私
ヨハネは、「私達の持っている交わりに、あなたがたも加わるため。その交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わり(コイノニア)である」と言います。
私達は元々、神との交わりには縁もゆかりもない者です。イエス・キリストは何の為にこの地に来られたのか。神と私たちとの交わり(結びつき)を回復するために来られました。罪により離れていたものを結ぶ。
* 人間関係の苦難
私達の交わり(関係)の崩壊(関係が壊れてしまっています) 夫婦・親子・兄弟・親族・男女・友人・同僚・隣近所・国々… 親が子を殺し、結婚は破綻し、戦争は絶えない。
関係の崩壊の歴史 旧約聖書・創世記 神との関係の崩壊(契約を守らなかった、破った)から、人と人との関係の崩壊へと歴史は進んでいきます。人が最も悩む問題の一つは人間関係です。それは「愛する」という人生最大の課題です。
私達は分かり合えない、交われない、愛の限界、愛し合えない事を実感します。
すべての関係の壊れてしまっている人々へ、限界を感じている人々へ。勧めのことばは、神様との関係を回復しなさい、いうことであります。 * バベル=ことばによる関係の崩壊 同じ日本語でもことばが通じない
ヨハネの言う教会の交わりの本質とは、教会の交わりは世の交わりとは異なり、「それに触れ、見、聞く」ことがなければ、他の団体・集まりと何の変わりもありません。そこには愛の神があります。その交わり(Fellowship)とは神(父・御子・御霊)の交わりです。三位一体の神、そのお方ご自身が愛であり、交わりの神です。参加、関係、関与、協力が、神と個人、神と共同体、個人と個人、個人と共同体にあります。
交わりにおいて、聖餐は意味深い。
1、 神(御父)との交わり 礼拝を通しての交わり
2、 御子イエス・キリストとの交わり 聖餐を通しての交わり
3、 教会の交わり(人と人との交わり) コイノニア 聖徒の交わり
礼典(洗礼・聖餐)が正しく執行される事
聖餐 コミュニオンcommunion(→コミュニケーションcommunication) 交わりの礼典 神・キリスト・聖霊との交わり 参考 「ホーリー・コミュニオン」Holy Communion(聖餐式)
聖餐を通してキリストにつながり、人と人との交わりがある。
キリストによる新しい契約(聖餐)
それは、私たちがキリストの身体であり、その枝であり、キリストにあって私たちは一つであるという交わりです。
教会の交わりは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わり(聖霊との交わり)です。そして、それに基づき、それを中心とした信徒の交わりの場です。教会は信徒の交わりの場ではありますが、その性質は、全ての者に開かれた交わりの場であることを忘れてはいけません。ヨハネは「あなたがたも私たちの交わりにあずかるようになるためです。」と勧めています。
信仰告白(洗礼)と聖餐(神と人との交わり) * 教会の聖餐式で呼びかける
お勧めいたします。あなたも、この交わりの中に入りなさい。救いの箱舟に入りなさい。罪を悔い改め、十字架につけられたイエスを信じて、永遠の命に結ばれなさい。洗礼を受けてこの交わり、神との交わり、教会の交わりをスタートさせなさい。それが毎週週報で呼びかけている言葉です。
③ 喜びが満ちあふれる(全きものとなる)ため(:4) この喜びのない私
この世にない喜び。完全な、満ち溢れたもの、神の賜物である喜びはこの世からは受け取れません。
私達は元々、神の賜物(Xaris)である喜び(Xara)には縁もゆかりもない者です。
私達はいつも満たされない空洞を持っています。それは、神によってしか満たされない空洞です。
イエスは何の為にこの地上に来られたのか。私たちが喜びに満ち溢れた人生を生きるためであります。
聖霊が全ての神の賜物で私達を満たして下さいます。私達キリスト者の最大の喜び、それは、キリストの愛がわかるということです。これにまさる神の賜物はありません。それは神にある良い交わり(コミュニオン)の中で受け取れます。神と共有・共存。心から願うのは、教会の本質であるイエスに触れ、この交わりによる喜びが私たちにも満ち溢れることです。
ヨハネの福音書で繰り返し言われる、「神の愛のうちに 神のうちにとどまる(つながる)」というのは、 「この神の交わりの中に入り、いつもこの交わりの中にいる」ことを勧めているのです。
どのようなことで聖霊に満たされることがわかるのでしょうか?いろんな変化があるかも知れませんが、はっきりしているたったひとつの変化は、必ず「喜び」があるということです。
みなさんにお勧めしたいのは、
いつかではなく、今日、
イエスを信じて、永遠の命を受け取って下さい。
イエスを信じ洗礼を受ける決断をし、洗礼を受けて、教会の交わりに入って下さい。
そしてイエスの愛によって、あらゆる人との交わりを回復して下さい。
神の豊かな聖霊を受けて、虚しい望みのない喜びのない人生から、喜びに満ち溢れて下さい。
主イエスだけが、私達に永遠の命を与えることのできるお方です!
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