6月27日(日)礼拝説教全文

「罪の赦しと清め」第一ヨハネ1:5~10   罪を認め、神の前に告白する=悔い改め

見出し(聖書協会共同訳) 「神は光」

私が出会い、愛し、従ったイエスは、「命の言」「永遠の命」であるとヨハネは伝えています。イエスを信じ、バプテスマを受けて、神の救いを受けた私達。父なる神、イエス・キリストとの交わりを回復され、持っている私達(教会)。この交わりに、あなたがたも加わるように、そして、その永遠の命であるイエスに結ばれ、神との人格的な、霊的な交わりをいただいて喜びが満ち溢れるように、とヨハネは勧めています(:1~4)。

イエスは「救い主」です。

私達を何から救って下さるのでしょうか。

病いの中から、経済的困窮の中から、ストレスを抱えた人間関係の中から。私達が経験する人生のあらゆる苦しみ、悲しみ、悩み、痛み、恥から、私達を救って下さいます。

イエス・キリストは救主です。どのような困難の中からも私達を救い出して下さいます。

しかし、聖書が私達に伝えている「イエスの与える救い」は、私達にとって、実は最も深刻で、致命的で、心して取り組まなければならない未解決の、根本的な「定め」からの救いなのです。

それは私達が抱えている罪、闇であり、死であり、滅びであります。

病から救ってくれる医者はいるかも知れません。

経済的な困窮を援助してくれる人はいるかも知れません。

どうしようもない人間関係のストレスからも逃げ出す事はできるかも知れません。

しかし、私達は、聖書が明らかにする自分自身の真相、自分自身の定めから逃げ出すことはできません。

私自身の罪深さ、抱えている心の闇、そして肉体の死です。又、聖書は、「人間には、ただ一度死ぬことと、その後 裁きを受けることが定まっている」(ヘブル9:27)と間近に迫った私の未来を告げています。

闇から光へ、死から命へ、滅び(第二の死)から命へ移すために、イエスは来られました。

聖書は、私達の闇、死の原因は、罪であると伝えています。

イエスは、私達を罪から救い、解放して下さる「救い主」です。

① 神は光

ヨハネがイエスから聞いた教え。それは、神は光であるということです。このように証言するヨハネの心には、「私は世の光である。私に従う者は闇の中を歩まず、命の光を持つ」(ヨハネ8:12)「私は世にいる間、世の光である」(ヨハネ9:5)「私を信じる者が、誰も闇の中にとどまることがないように、私は光として世に来た」(ヨハネ12:46)何度もイエスの口からヨハネが聞いていた言葉が心に残っていたと思います。闇と光は交わることがありません。神が光の中におられるように、あなたがたも光の中を歩みなさいと勧めます。

イエスと交わりを持つということは、光の中を歩むことです。イエスに従い、イエスと共に歩むということは、御子イエスの血が、その人の生涯のあらゆる罪を清めます。

光=道の光、足元を灯す灯、誰の前にも喜ばれる正しさ、清い行い、罪を明らかにする、清められた良心、命を与えるもの、神の支配

闇=死んだ業、人の前に恥じる隠れた行い、罪を認めさせず、悔い改めさせないサタンの支配

② 罪を認め、神の前に告白すること

自らが神の前に罪深い者であることを認める人は、何と幸いな者でしょう。私達は「自分には罪がない」「罪人ではない」と言い張ります。なぜでしょう?それは聖なる神を知らないからです。「罪を犯したことが無いと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉は私たちの内にありません」。誰かと比べ、あるいは、世の中のもっと罪深い人と比べて、私は「死」や「滅び」を宣告されるような大きな罪を犯してはいないと言います。しかし神は私たちのすべての行いと心をご存知です。聖書は「人間には、一度死ぬことと、死後にさばきを受けることとが定まっている」(ヘブル9:27新改訳)と私達に告げています。聖なる神の前に、私は悔い改めるような罪はひとつもありません、と言える人は誰でしょうか。

神の前に自分の罪を悔いて告白してください。神があなたの罪を赦し、あらゆる不正から清めてくださいます。それがこの聖書の箇所のメッセージです。(1:9)

「死」「闇」「滅び」に至らせるのは、神の前に明らかにされるわたしの罪です。キルケゴールは「本当の自分の姿から目をそらしている、その絶望が、死に至る病である」と言いました。聖書を通して、神の光の中で、自らの罪深い姿を知らされて、神に救いを求める人は何と幸いな者でしょう。

聖書のみことばの光は、神の戒めは、私は何者であるのかを誰よりも詳しく教えてくれます。

私は神の被造物、神に造られたものです。

しかし、私の罪ゆえに、神との関係が断たれた者であり、生まれながらに神を知らず、自分勝手に生きて来た者です。

自分の価値も、生きる意味も、目的も、どこへ向っているのかも知らない者です。

欲望に弱く、我の強い、人を愛せない者です。波風に弱く、流されやすく、不安定な、もろい土の器です。

そして、最期は死に定められた者であることを聖書は私達に知らせます。

繰り返し言いますが、

全ての人は罪人であり、死に定められています。

そして、死んで後、神の前に立ち、神の裁きを受けなければなりません。

「私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、あらゆる不正から清めてくださいます。」(第一ヨハネ1:9)

* 何度もこの個所から個人伝道し、みことばによる救いの約束を手渡して来ました。

神の真実とは、主イエス・キリストです。私の罪の為に、イエス・キリストは身代わりに罰を受け、命を捨てて下さった。御子イエスの贖いの血が、全ての罪から、私たちをきよめます。

十字架を見上げて、そのイエスによる赦しを信じて、自分のこれまでの自分勝手な歩み、罪を、神の御前に悔い改めましょう。

神の前に自らの罪を認め、告白し、悔い改め、イエスの十字架の贖い、罪の赦しを信じて、神からの救いをいただきましょう。

イエスの血によって、罪赦された新しい人生を歩みましょう。

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

0コメント

  • 1000 / 1000