7月25日(日)礼拝説教全文
「注がれた油(聖霊)」 ヨハネの手紙Ⅰ 2:18~29
聖書協会共同訳 見出し 反キリスト(:18~27)
神の子どもたち(:28~29)
特にヨハネは、教会のキリストにある兄弟姉妹に、キリストにある一致、兄弟愛を説きます。
教会の中では分裂・分派などが起こっていました。「私はパウロに付く、私はアポロに、私はケファに、私はキリストに。」(第一コリント1:12)。
又、神を愛するのではなく、世と世にあるものを愛する危険を伝えています。肉の欲、目の欲、見栄を張った生活。
ヨハネの手紙の時代背景(新約聖書の書かれた時代背景でもあります)
キリストの十字架の死と復活を起点として、イエスの弟子たち、キリスト者たち、教会に対する迫害が起こります。同族のユダヤ人からの迫害(キリストを信じる者はユダヤ人から異端視されました…パウロが当初の首謀者でした)、異邦人(ギリシアの偶像の神を信じる人々)からの迫害、又、ローマからの迫害(政治的な背景)が起こります。そして、教会内からは異端(曲がった教え)が起こります。
信仰者に対する外側から、内側からの激しい闘いがあります。
ヨハネの言う反キリストについての特徴とは何でしょうか。
1、世の終わりにある顕著な前兆のひとつです(:18)
2、「私たちから出て行った」教会から出て行った人たちによるものだと言います(:19)
新約聖書の中のパウロの書いた手紙の多くは、それぞれの教会に起こっている問題・課題について、パウロが福音的な回答と勧めを与えています。(特にコリントの教会に対しては、多種多様のトラブルが教会の中で起こっていました。)サタンは酒場や歓楽街ではなく、教会を攻撃します。牧師を攻撃します。役員を攻撃します。サタンの常套手段は「教会内に不一致」を起こすことです。
どのようにして私たちは「真理」と「異端」「反キリスト」を見分けることができるのでしょうか。どのようにしてまっすぐな、健全な信仰者として生きることができるのでしょうか。ヨハネは何度も、「油そそぎによって」と言います。
「聖なる方から油を注がれているので」(:20)、「御子から注がれた油がとどまっているので」(:27)、「この油があなたがたにすべてのことを教えます」(:27)、「その油が教えたとおり」(:27)
「油(聖霊)」は、私たちに「真理」を教えます。
私たちはイエスが歩まれたように、自らも歩みます(:6)。イエスが歩まれたようにとは、イエスがキリスト(「油そそがれた者」の意味)であられたように、キリストの弟子も「油を注がれて」活きます。
「油注がれた者」は真理を見分けます。
「惑わす者」(:26)、「異端」は、真理に似ていて非なるものです。やっかいなことは似ていることです。サタンでさえ光の天使に偽装して誘惑すると言われています(第二コリント11:12~15を注意深く読んでください)。
使徒信条は福音を知る正しい定規のようなものです。私たちは使徒信条を礼拝の中で声を合わせて読んでいますが、他にも様々な信仰告白はあります。
* アウグスブルク信仰告白、ウエストミンスター信仰告白、ニカイヤ信条、カルケドン信条、アタナシウス信条、ハイデルベルク信仰問答、ウエストミンスター小教理問答 等 歴史の中でこのような信条や信仰告白をもって異端と闘ってきました。
使徒信条は、これらの信仰告白や信条、問答集の基礎となっているものです。
反キリストは、イエスをキリスト(旧約聖書の預言にある救い主)であることを否定する者、父なる神と、御子イエスを否定する者です。①反キリストは、イエスが神の御子であることを否定します。イエスが人であることを否定します。②反キリストは、三位一体の神を否定します。
「このイエスこそ、我らの主である!」という告白こそ、全てのキリスト者に一致をもたらします。
「我は全能の父なる神を信ず。御子イエス・キリストを信ず。聖霊を信ず。」信仰の対象者として、父、御子、御霊が告白されています。使徒信条は短いもので、明確な三位一体の記述はありませんので、加えるべき告白内容は他にもあるかも知れません。そのような意味で、常に歴史の中で、新しい信仰告白や信条が作られてきました。
私たちの信仰、教会は、違った教え、曲がった教えに傾くことなく、常に使徒信条を教会で告白し続けています。
私たちの教会は、私たちの信仰は、特に牧師は、自らの神に対する信仰・認識を吟味する必要があります。色眼鏡(我が先に、知識や経験が先に立つ誤った眼鏡)で聖書を読むことなく、へりくだって聖書に耳を傾け、他の信仰者、先達者の言葉に謙遜に耳を傾ける者でなければなりません。(*単立の教会が陥りやすい危険)
最も大きな危険は、自分が正しい、自分の教団が正しい、自分の教会が正しいとする「孤立した我の正しさ」です。(揺るぎのない信仰とは似ていて別のものです。)それは、兄弟姉妹を裁き、教会を、交わりを破壊していきます。自分たちの教会には聖霊が注がれているが、あの教会には注がれていない、自分たちは神の使命に生きているが、あの教会は病んでいる、自分たちは神の祝福を受けているが、他の教会は祝福がない、奇跡、洗礼者の起こらない教会は不健全だ、私たち・自分は正しい―これは最も醜悪な信仰者、教会の姿です。そこにはキリスト者の一致も憐みも愛もありません。
私たちは間違えてはなりません。
正しいお方は神おひとりです。「油を注がれる」とは、自らの正しさを神の前に徹底的に砕かれる人です。聖なる神の前に立ち、自分の信仰は正しいと言い得る者がいるでしょうか。油は、神のみが正しいお方であることを示し、このお方に従い、時には悔い改め、軌道修正して従うように、私たちを導きます。神の戒めに従って生きられるようにします。神のおことばに従って生きるならば、私たちは御子と御父の内にとどまります。
御子の内にとどまるなら、御子が正しい方であると知っているなら、義を行う者も皆、神から生まれていることがわかります。
私たちは告白しましょう!賛美しましょう!「正しいお方は神おひとりです」
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