9月19日(日)礼拝説教全文

「主の働き人を支える愛」 ヨハネの手紙Ⅲ 1~15

聖書協会共同訳 善を行う者、悪を行う者(:5~12)

本日はヨハネの手紙第一、第二に続いて第三の手紙を読みます。第二の手紙は教会の指導的な婦人たちとその子供たちに(特に婦人たちに)宛てられた手紙でした。きょうだいを愛するとは、「真理の内に歩む」ように互いに教え、祈ることだと聞きました。特に子供たち、若者が「真理の内に歩むように」導く責任が、信仰を持つ親、教会にはあります。

第三の手紙は個人に宛てられた手紙です。教会員のガイオという人物に向けて書かれたものです。ガイオについては、引照にありますように、使徒言行録、ローマ人への手紙、第一コリントに同じ名前の人物達が書かれていますが、はっきり誰であるかはわかりません。ただ、ヨハネが彼の健康を気遣い、彼の主に在る生き方やその奉仕を喜んでいることがわかります。「私のこどもたち(:4)」とあるので、ガイオもヨハネが福音を伝え、教導した霊的な子どもの一人であったかも知れません。

第二の手紙と同様に、結びの言葉にありますように、手紙の宛先の人物としばらく顔を合わせていない、会っていない状況の中で、再会する願いを書いています。(:14)

教会で共に働きをしていた若いきょうだいが成長して、数十年後、教会の指導者として「真理の内を歩んでいる」としたら、それはどんなに大きな喜びでしょうか。私もそのような経験を何回かしたことがあります。大学時代聖書研究会に入っていましたが、そこには10名ほどの学生がいました。その中の一人は大学卒業後、神戸の塩屋の聖書学校に入って牧師になっていました。聖書学校の建て替えの為に、献金を集める為に全国を巡回し、又、塩屋の卒業生たちを励ます働きをしていました。そして30数年ぶりでしたが、彼が成田空港に近い勝田台教会を何度か尋ねてくれました。大学時代のクリスチャンの同級生のほとんどは、今は教会に行っていません。しかし、ああ、彼も信仰の道を今も歩み続けている、さらに教会で素晴らしい働きをしている。このことを聞くのは、何と嬉しいことでしょうか。同様に、教会に来ていた子供や青年たちが、数十年後「真理の内に歩み」、教会の力強い働き人になってくれているならば何という喜びでしょう。

* 私は教団のキャンプ委員会で、大島の中学生キャンプを20年間担当してきましたが、その時に参加していた子供たちが、しっかりとキリストに結びついて「真理の内に歩んでいる」のを知ることはどんなに大きな喜びでしょう。

ガイオのもとからヨハネのもとに来たきょうだい(真理のために働く者)が、ガイオの働きについて話しました。ヨハネはそれを聞いて喜び、この手紙を書きました。

ガイオが真理の内に歩み、彼の為した「きょうだい愛」とはどのようなものであったでしょうか。

「よそから来た人たちに(:5)」「御名のために旅立った人たち(:7)」、「真理のために働く者(:8)」に対して誠実を尽くし、もてなし、経済的な支援をしたことでした。

各地の教会を訪れてその地域に対して主にある働きを為す人たち、そしてまた、「御名のために旅立った人たち」とは、どのような人たちのことでしょうか。パウロが三度の伝道旅行をしたように、バルナバ、そしてテモテやテトス、アポロもペテロもピリポも、そしてヨハネも巡回伝道をしました。イエスの使徒以外にも、迫害によってエルサレムから散らされていった人たちの中に、巡回伝道の働きをした人たちが多数います。

巡回伝道者はその地域でキリストを信じた人たちによって支えられました。その地域に教会があれば、教会のきょうだいたちが彼らを迎え、支えました。エルサレム、そしてアンテオケの教会を中心に、「全ての造られた者に福音を宣べ伝えよ」との大宣教命令を受けたキリストの弟子たちは、イエスを宣べ伝える働きを各地に繰り広げました。

当然のことでありますが、日本にキリスト教が伝播されたのは、ヨーロッパ、アメリカ等の宣教師の働きによるものでした。彼らはまさに「よそから来た人たち」です。

私たちの国日本は、海外から多くの神の祝福を受けて来ました。今も尚受けています。勝田台キリスト教会の短い歴史の中においても、「外から来られた」宣教師の働きはどんなに大きかったことでしょう。それを決して忘れてはなりません。今、私たちが神の祝福を受け取っているのも、彼らの宣教と、それを受けた人たちからの継承です。

きょうだいを愛するとは、「真理のために働く者」を、祈りをもって、もてなしをもって、支援をもって支えることです。行いと真実をもって愛することです。

主の働き人をもてなすこと、主の働きをする者を支援すること、それは主の働きに共に参加することです。

* アンテオケ宣教会 アルゼンチンの奥地で宣教している在原繁、津紀子先生の証し

「この人たちは異邦人から何ももらっていません(:7)」

ヨハネを訪ねてきた巡回伝道者たちは、異邦人からは何ももらっていません、とあります。これはどういう意味でしょうか。きょうだいがきょうだいを支援することは、キリストにある者として麗しい、神の栄光をあらわすものであることがわかります。心無い人の中には、彼らは教会から金をもらうために来ている、などと非難する者もいました。パウロは、霊的なことで働いている人は当然物質的な支えを受ける権利を持っていることを話しています。第一コリント9:3~14参照。パウロはこの権利さえも放棄しています。パウロはエルサレム教会が生活に困難な中にある時、異邦人教会を周って献金を集める働きもしました。(第一コリント16:1~4)金銭的な意味でパウロを誤解し、非難する人もいました。

キリスト者である私たちが、教会を訪ねてきた宣教師、牧師、伝道者を大いにもてなし、彼らを支援することは、「きょうだいを愛する」という御父の戒めを行うことになり、主の働きに参加することになります。

ここまでが手紙のメインでありますが、この手紙にはもう2人、個人名が書かれています。1人は、ディオトレフェスです。彼は「頭になりたがっている」「私たちを受け入れてくれません」「口汚く私たちを罵り」「きょうだいを受け入れず」「受け入れようとする人たちの邪魔をし」「教会から追い出しています」

彼のような人が教会にいたら、その教会はどんなに大変なことでしょうか。ヨハネは「彼のところへ行って、彼のしていることを指摘しようと思います」と言っています。

悲しいことではありますが、今日の教会においてもこのような人はいます。

上に立とうとする者は退けられ、低くへりくだって人に仕える人を神は高く上げられます。又、高く上げられた時、尚もその人は、前にも優って自らを低くすることを、自分自身に良く良く注意して、神の前にそのような者であることを願わなければなりません。人は先生と呼ばれると、高慢という誘惑に脆い者だからです。

又、ここで何度もくりかえし言われているきょうだい・主の働き人を「受け入れる」ことを教会は極力勧めなければなりません。なぜなら、キリストが私たち罪深い者を受け入れて下さったからです。イエスが私たちを愛して下さったように、私たちも互いに愛し合いましょう。

もう1人の人物は、デメトリオです。デメトリオは、ガイオと彼の所属する教会へ、この手紙を運んだ人だと言われています。ヨハネは、「私は彼をあなたがたのところへ手紙を持たせて遣わします。彼を『真理のために働く者』として温かく迎えて下さい」と述べています。

日本において長年ご奉仕くださり、又、日本ホーリネス教団の働きを共に歩んでくださった、元OMS駐日代表でもあったアーサー・シェルトン宣教師が、2021年8月30日(月)午前8時30分(現地時間)に召天されました。93歳でした。以下が、娘のディアン・シェルトンさんからのメールでの知らせです。

「キリストにあってご挨拶申し上げます。丁度1週間前に、父は敗血症のため、それまで以上に体調が悪くなり、応答しなくなりました。 (医師である弟の)アランが抗生剤を投与後、父は意識を取り戻しました。(妹の)バーバラと私は、 日曜日の午後に父の元に着き、共に讃美歌を歌い、祈る最期の心満たされる時を過ごしました。孫たちもひ孫たちも、別れを告げることができました(「またね」と)。

父は8月30日午前8時30分に召されました。 私たちは、父が御国で、完全な肉体と魂で、再会と賛美の時を過ごしていることを信じます。どうぞ、アート・シェルトンをご存知の方々に、このことをお知らせくださいますようお願いいたします。」

海外から遠い地日本で、「真理のために働く者」として長年主の働きをされた多くの宣教師によって、今日の日本の教会があり、私の救いがあります。「真理のために働く者」をこれからも快く迎え、支えていきましょう。

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

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