9月26日(日)礼拝説教全文

「エジプトでの苦難」 出エジプト記1:1~22

聖書協会共同訳見出し エジプトでのイスラエル人(:1~7)

           イスラエル人への苦役(:8~22)

本日から勝田台キリスト教会では、出エジプト記を礼拝の中で読んでいきたいと願っています。以前、創世記を礼拝で50章全部を読みましたが、出エジプト記は全部で40章あります。聖書の順序としては創世記に続くものとなります。

出エジプト記は、神に立てられたイスラエルの指導者(牧者・解放者)「モーセ(「引き上げる」の意味)」の生涯とその働きが記されています。

出エジプト記を読む上で押さえておきたいテーマは「神は人(私たち)の救いに熱心なお方である」というものです。ご計画をもって、熱心に救いを与える神の愛を常に出エジプト記を読む中で覚えたいと思います。

「出エジプト」の出来事は、ユダヤ人、イスラエル国の記念すべき歴史的重要な出来事です。ユダヤでの最も大きな祭りは「過越の祭り」です。今も毎年ユダヤ人社会の中で守り行われています。これはイスラエルがエジプトの奴隷生活から解放された日を覚える記念日です。たとえば、私たち日本人が大事にしている日本国の歴史的な記念日とはなんでしょうか。1945年8月15日でしょうか。出エジプトから見ると、日本の終戦記念日は最近の出来事かとも思います。1948年の2000年ぶりの「イスラエル建国(再建)」もイスラエルの歴史の中では、最近の大きな神の力強い奇跡の出来事かと思います。

「モーセ」という人物の概要

創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記は「モーセ五書」と呼ばれます。これらの書に書かれていることは天地創造から創世の時代のアダムとエバ、ノア、族長時代のアブラハム、イサク、ヤコブ、十二部族。又、出エジプトの出来事からカナン入り前までの40年の荒野での出来事。そして十戒をはじめとする神との契約・律法。部族ごとの名前や人数の記録など、膨大な精査された情報量となります。モーセ程に親密に神から語りかけられ、その語られたことを記録した人はいません。

どのようにしてモーセはこれだけの情報収集とそれを記録する能力があったのでしょうか。出エジプト記の2章にある、全体ではほんの短い彼の出生と成長の記録の中から、エジプト王宮での40年があったからであろうと思います。彼はヘブライ人でありながら、エジプト王宮であらゆる高度な学問を学びました。古い文献を読んだり、記録したり、王の子としての帝王学を学んだり、多くの研鑽を積んだことでしょう。創世記から申命記までモーセが書いたのではないという歴史批評的な立場の人もいるかも知れませんが、これらは「モーセ」故に書き得た、「モーセ」以外に書けないとも言えます。(申命記34章のモーセの死は、モーセ以外の人が書いたのは間違いありませんが、五書の著者をモーセとしても問題はないでしょう)

新約の雛形としての出エジプト記

旧約聖書を大まかに「律法と預言(者)」と言って分けてみますと、「律法」はモーセによるという事ができます。モーセは神から律法を賜った人物です。そして彼はそれを書き記しました。

モーセ五書は神の古い契約・律法であり、キリストによる新しい契約の雛形です。

エジプトの奴隷生活は、全ての人の罪の奴隷生活として予見する事が出来、子羊の血による(神の怒りの過ぎ越しによる)イスラエルの救済は、キリストの血による全人類の救済の雛形とみることができます。又、紅海を渡ってエジプトから解放された出来事は、水を通過してのバプテスマ、救いの出来事としてみることができます。以前ヨハネの手紙を通して知りました「キリストは水と血を通って来られたお方」(ヨハネの手紙第一5:6)に一致します。

今回、以前の創世記の様に、出エジプト記を全文細かく区切って読むことはしませんが、礼拝で出エジプト記を読んでいる期間に皆様には全文読み終えていただきたいと思います。特に幕屋の建設・祭司の衣服・聖別の指示、準備に関しては25章~31章、そして再び同じ内容が35章~39章まで書かれていますので、特にこのあたりは細かく読むことはしないと思います。それらは40章の内の12章分あります。

出エジプト記、又、モーセについては、全体像として語るべきことは多くあると思いますが、本文を読んでいく中で紹介します。

ヤコブと十一人の息子とその家族(ヤコブから生まれた者は全部で70人…5節)が、7年間の大飢饉からの救済の為に、予めエジプトに先に神によって遣わされていたヨセフによって呼び寄せられます。イスラエルの子らはヨセフによって最良の待遇を受けてエジプトで生活します。大飢饉の後も、430年間(12:40)、イスラエルの人々はエジプトに身を寄せることになります。エジプトで最高の待遇を受け、イスラエルの人々の数はおびただしく増え、ますます強くなって、国中に溢れます(:7)。大飢饉の後、どうして早期に神の約束の地に戻らなかったのか。何故430年間もエジプトに留まったのか、聖書は何も記していません。

《 イスラエル人への苦役 》

やがて長い年月が過ぎて、エジプトのイスラエルに対する態度が急変します。ヨセフを知らない王(ファラオ)の時代になった頃、エジプト人は国内に増え拡がったイスラエルの人々を恐れる脅威が増して、重い苦役を与えて苦しめ、重労働で生活を追い詰め、酷使します。イスラエルの民の弱体化を計るわけですが、苦しめれば苦しめるほど、イスラエルの人々は増え拡がっていきます。エジプトとイスラエルの関係は益々、共存から主従の関係へと変わっていきます。

毎日、体力の尽きるまで働かされ、鞭打たれ、労働するというのは、どんな状況でしょうか。ヨーロッパの人々が、アフリカから多くの人々を奴隷としてアメリカへ開拓の為に引いて行った歴史がありますが、自由も人権もなく、奴隷として家畜のように酷使されるという苦しみは想像を絶するものがあります。

《 王の非道な命令 ⦆

さらにエジプトの王は、非道な計略をします。それは、ヘブライ人の助産婦たちに「ヘブライ人の女の出産の際に男の子が生まれたら殺せ」というものでした。内密に、男の子が生まれたらすぐに殺せということだったのでしょうが、助産婦たちは「子供を取り上げる前に、出産が終わっていて殺すことができない」と告げます。二人のヘブライ人の助産婦シフラとブアは、「神を畏れていたので」(:17、:21…2回書かれている)、王の命令に従わず、赤子たちを救済します。どの時代にも、命がけで、理不尽な死に定められた人の救済の働きをする者がいます。「神は二人の家を栄えさせた(:21)」とあります。モーセはその二人を名もなき助産婦ではなく、名を記しています。

ついにファラオは、民に命じます。「生まれた男の子は一人残らずナイル川に投げ込め」というものでした。イスラエルの人々はこの命令をどのように受け止めたでしょうか。

神の民であるイスラエルが、何ゆえに奴隷となって重い苦役にあえぎ、助けを求めて叫ばなければならない状況(2:23)に陥ってしまったのでしょうか。エジプトを大飢饉から救い、エジプトに世界中の富を引き寄せたヨセフの功労はどうなってしまったのでしょうか。

神がアブラハムと契約を結ばれた記事の中にこのような言葉があります。創世記15章13~16節に、「あなたの子孫は、異国の地で寄留者となり、400年の間奴隷として仕え、苦しめられる。しかし、あなたの子孫を奴隷にするその国民を、私は裁く。その後、彼らは多くの財産を携えてそこから出て来る。― そして、四代目の者たちがここに戻ってくる。―」とあります。

出エジプト記を読み進む中に、後に、このエジプトで生活していたイスラエルの人々がどのような人々であったかが、エジプト脱出後の40年の荒野での記事に出てきます。それは、「つぶやきの民」の姿です。神に立てられたモーセに従わず、エジプトでの生活を振り返り、偶像まで作って祀る、まことに神の民としては堕落した姿です。出エジプト後、カナンに入ることの出来た民はどれほどいたでしょう。民数記14章には衝撃的な主の言葉があります。是非全文をお読みください。

(中略) 「先祖に誓った地を、私を侮る者は誰一人見る事はない ―あなたがたの死体はこの荒れ地に倒れるであろう ―あなたがたの20歳以上で、登録をされ、数えられた者は皆、倒れるであろう ―カレブとヨシュアは別である」

エジプトで生活していたイスラエルの人々は、まことに神の民、アブラハムの子、信仰の民としては、救出されるにふさわしくない罪深い人々です。神による救いは、神のおこころに沿ったふさわしさの故に救出されるのではないのです。「神はその呻きを耳にし、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた。」(2:24)

「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を示されました。」(ローマ5:8)

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

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