10月3日(日)礼拝説教全文
「モーセの出生と成長」 出エジプト記2:1~24
参照箇所 使徒言行録7:17~44(ステパノの説教から、モーセについて)
聖書協会共同訳見出し モーセの生い立ち(:1~10)
ミデアンの地へ逃れる(:11~25)
1、モーセの出生(:1~10) 【出生と王宮での40年間】
エジプトの王ファラオは、イスラエルの人々に非常に重い苦役を与え、又、エジプト全土に「(ヘブライ人の女から)生まれた男の子は一人残らずナイル川に投げ込め」という命令を下しました。そのような中で、ヘブライ人のレビ族の家系に男の子が生まれます。両親は王の命令に従わずに、男の子を隠して育てます。3か月間なんとか隠しおおしますが、隠しきれなくなり、パピルスで編んだ籠を用意し、アスファルトと樹脂で防水を施して、その中に赤子を寝かせ、ナイル川のほとりの水草の茂みに置きます。赤子がどうなるか、遠くから姉(ミリアム)が様子をうかがっていました。
モーセはレビ族に属するヘブライ人です。彼には、後に登場します兄アロン、そして姉のミリアムがいます。生後3か月目に、赤子をナイル川に投げ込むのではなく、籠に入れてナイル川に置いた(流した)と記されています。想像するしかありませんが、両親は神に祈り、人の手によって(人々に隠しておくこと)ではなく、神に全てを委ねる決断をして(しっかりした防水の籠に赤子を寝かせて)ナイル川に置いたのかも知れません。姉のミリアムも両親に言われて、ナイル川に置かれた赤子の様子を監視していたのかも知れません。救済は人の手によるものではありません。神によるもの、神の御計画です。
姉のミリアムが隠れて様子をうかがっていると、驚くべき事でありますが、エジプトの王ファラオの娘が、侍女たちを従えて、水浴びをするために川に下りて来ます。王女は水浴びのために当然人目に触れない水草の茂みの中におり、侍女たちは見張りの為に川岸にいました。その時、王女が茂みの中に籠を見つけて、女奴隷に命じてその籠を取って来させます。籠の蓋を開けてみますと、中に男の赤子が泣いていました。
ファラオの娘は「不憫に思って」(:6)「ヘブライ人の子です」と言います。
離れて様子をうかがっていた姉のミリアムは、勇気を振り絞って、ファラオの娘の前に出ます。そして機転を利かして彼女に申し出ます。「あなたのために、この子に乳を飲ませる乳母を呼んで来ましょうか。」この言葉は、この子はあなたのものです。あなたのために役に立ちたいのです、という内容です。ファラオの娘であっても、不憫に思っても、自分の子供として育てようという決断をすることは難しかったでしょう。しかし、ファラオの娘は、内密にこの子供を自分の子として育てることのできる条件が、このミリアムの言葉によって揃ったのです。後押ししたのは、ミリアムの機転であったと思います。
ファラオの娘は決断します。「(呼びに)行って来なさい。」ミリアムは、乳母として自分の母、すなわち、籠の中の赤子の実の母を連れて来ます。ファラオの娘は、赤子の実の母親とは知らずに彼女に言います、「その赤子を連れて行って、私のために乳を飲ませなさい。私が手当てを払います。」なんと、両親の許に赤子は戻って来ます。
そして、その赤子が乳離れして幼児になる頃(サムエル記上1章参照)、母親はファラオの娘のところへ子供を連れて行きます。
その子供は、ファラオの娘の息子となります。ファラオの娘がその子の名を、彼女が彼を水から引き上げたので、「モーセ(引き上げる)」という名前を付けます。
それから40年間、「モーセはエジプト人の知恵を尽くした教育を受け、言葉にも行いにも力ある者となりました」(使徒言行録7:22)。彼は40年間、エジプトの最高学府であらゆる知識を持ち、肉体の鍛錬を受けます。
2、モーセ、自分の手でヘブライ人を救おうとする(:11~15) 【40歳になったとき】
モーセがエジプトの王族の一員となり、「それから長い年月がたち」(:11)ます。この長い年月は40年であることがわかります(使徒言行録7:23「40歳になったとき、・・・」)。彼は成長の過程で自分がエジプト人ではなく、ヘブライ人であることはわかっていったでしょうし、周りの人達もモーセがヘブライ人であることは分かっていたでしょう。しかし、誰も王の娘の子供である彼を中傷する事は許されなかったと想像します。
モーセは王宮で成長していく間に、自分の同胞のヘブライ人が重い苦役に服しているのを見ていたでしょう。知恵が身につき、エジプトでの同胞の状況を知れば知るほど、彼の心には同胞救済の思いが高まっていったと思われます。「モーセは、自分の手を通して神が兄弟たちを救おうとしておられることを、同胞の皆が理解してくれると思い」(使徒言行録7:25)、そしてついに、エジプト人が同法のヘブライ人を鞭打つのを見た時、密かにそのエジプト人を打ち殺し、誰にも知られないように砂に埋めます。しかし、この行為は、同胞のヘブライ人には受け入れてもらえませんでした。また、ある時、二人のヘブライ人が争っていたので、モーセが、悪い方を諫めようとしたら、その男は言います、「誰がお前を我々の監督や裁き人としたのか。あのエジプト人を殺したように、私を殺そうというのか。」これを聞いてモーセは、自分が誰にも知られないようにエジプト人を殺したことは、既に知られていたことが解り、恐れます。そしてこの出来事はエジプトの王ファラオの耳にも届きます。ファラオはモーセを殺そうと探します。しかし、モーセはおそらく育ての母であるファラオの娘の手引きによってファラオの手を逃れ、ミデアンの地へ逃亡します。
救済は人の手(どんなに知恵と力を身に付けたモーセによってでさえも)によるものではありません。神によるもの、神の御計画です。
3、【ミデアンの地での40年】
ミデアンの地(エジプトの東、アラビア半島北西部)へモーセは逃れます。
モーセがミデアンに到着した時のひとつのエピソードがあります。ミデアンには祭司エトロ(異教の祭司
3:1)が住んでおり、7人の娘が羊飼いをしていました。7人の娘は羊の群れに水を飲ませる為に、井戸に向かいますが、毎回、他の男性の羊飼いたちがやって来ては、彼女たちを追い出し、他の井戸を捜さなければならない日々が続いていました。モーセはそれを井戸のほとりで見ていて、立ち上がり、横取りしようとする羊飼いたちを追い返し、彼女たちを助け、その羊の群れに水を飲ませます。モーセの正義感(エジプトでも、争いをしていたヘブライ人の悪い方の人をたしなめようとしました)、又、その個人的な武力の強さが伺えます。
エトロの娘たちは帰宅して「あるエジプト人が・・・」とその出来事を父に報告します。モーセの身なりや容貌もエジプト人であったことがわかります。
父エトロは、お礼に食事に招くために連れて来なさいと命じます。
モーセはエトロと住むことを望み、エトロは彼の娘ツィポラを与えます。やがて男の子、ゲルショム(寄留者の意味)が生まれます。モーセは異国の地で寄留者となり、祭司エトロの羊の群れを飼う者となります。
モーセがミデアンの地に逃亡して「それから長い年月がたち」(:23)ます。この「長い年月」は40年であることがわかります(参照 使徒言行録7:30「40年たったとき、シナイ山の荒れ地において・・・」)。モーセを追っていた王は死にます。
モーセがミデアンで生活する間も、ヘブライ人に対するエジプトの苦役は重く、助けを求める彼らの大きな叫びがありました。「神はその呻きを耳にし、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた。」(:24~25)
救済には神の時があります。救済は神によるものであり、神の御計画です。
まとめ
出エジプト記2章で、既にモーセの生涯の80年が経過しています。モーセの出生の出来事も、ミデアンの井戸でのモーセの立ち回りも、ドラマチックな出来事です。モーセは「神の目に適った」(使徒言行録7:20)人でしたが、同胞の救済に関して失敗し、敗北感を味わった人です。エジプトの王宮で培った知識も力も、同胞を救うものとはなりませんでした。
「人にはできないが、神には何でもできる」(マタイ19:26)。このみことばを、私たちは心に留めましょう。私を、私たちを、罪の奴隷生活から、死から、暗闇から救うことのおできになるお方は、神、ただおひとりです。
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