10月10日(日)礼拝説教全文

「燃え尽きない柴」 出エジプト記3:1~12

聖書協会共同訳見出し モーセの使命

序 ミデアンの地での40年

モーセが40才の時、エジプトから逃亡してミデアンの地に到着し、以後、エトロの羊を飼う羊飼いとなって40年が経ち、80歳の時でした。

モーセは、ミデアンの地から、シナイ半島の広い範囲に羊の群れを導いています。彼は羊の群れを連れて、荒野の奥、「神の山ホレブ」(シナイ山)に来ました。ミデアンはアラビア半島北西部の地域であり、ミデアンからホレブ山まではかなり距離があります。アラビア半島から紅海の向こうのシナイ半島にかけてはかなりの広範囲になります。

* かつて私はイスラエル旅行で、エジプトからシナイ山を経てイスラエルに入るコースをバスで辿りましたが、非常な乾燥地帯です。熱中症にならないように、喉が渇いていなくても水分を定期的に摂って下さいと案内されました。バスで、行けども、行けども荒野地帯で、所々に草木や水、町もありますが、赤土の山肌がむき出しになった山脈が拡がっているような場所です。

羊を飼うのにどうしてこんなに遠出しているのかというと、羊の群れに十分に餌を与える場所が限られていて、転々と移動していたことがわかります。「緑の牧場、いこいのみぎわ」が多くある地域でないことがわかります。又、羊飼い同士が、自分の羊の群れを飼うために、井戸について争う事も想像できます。

実は、モーセがこれまで40年間、アラビア半島北西部からシナイ半島にかけて、東の荒野、チンの荒野、パランの荒野、シナイの荒野、シンの荒野、エタムの荒野、シュルの荒野で、羊飼いとして羊を導いた地域は、その後、40年間イスラエルの民を導く地域になります。

まさか、羊を導く羊飼いとしてではなく、神の民の指導者としてこの荒野で40年間導かなければならないとは、モーセも(誰にも)想像できなかったことでしょう。

モーセの、40年間のミデアンでの羊飼いの生活は、40年間イスラエルの民をこの荒野で導くために神がお与えになった準備期間とも言うことができます。モーセにはその時は分かりませんでしたが、神の救いのご計画です。

1、神の山ホレブ

ホレブ山で、モーセは不思議なものを目撃します。先方で柴の木が火で燃えていました。すぐに燃え尽きるかと見ていると、火はずっと燃え続けていました。どうして柴が燃え尽きないのか不思議に思い、モーセは柴に近づきます。

主は炎の中におられ、モーセが近づいて来るのを御覧になります。そしてモーセに呼びかけられます「モーセ、モーセ。」モーセは答えます「御前におります」。主がモーセの名を呼ばれます。それは彼の名を知っておられるだけでなく、モーセの80年間の全てを知っておられる呼びかけです。主は人の名を呼ばわれる神です。主はキリストにある私の名をも呼んでくださいます。

神は言われます「こちらに近づいてはならない。履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地である。」(:5)聖なる土地は、ホレブ山であるからではなく、神が御臨在される場所であるゆえにです。私たちは特定の場所を聖地という言い方をしますが、知って下さい、神の御臨在の場所はどこであっても聖地です。今、礼拝のために会堂に集う私たちもそのような思いをもって臨みたいです。

「履物を脱ぎなさい。」と神は言われます。何ゆえに履物を履いたままで近づいてはならないのでしょうか。履物を脱ぐのはひとつの象徴です。

履物を脱ぐのは、「へりくだり」です。「主人の前にしもべが畏れをもって侍る(はべる)様に」、ということです。土足で聖なる場所に立ち入ってはならないのです。神の前に立つということは、正にそういうことです。

モーセは初めて、主の前に身を置く経験をします。

主はご自身をモーセに示されます。「私はあなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは履物を脱ぎ、自らの顔を隠し、神を直接見ることを恐れます。頭を下げて、へりくだって、畏れをもって神の御前に出る人の姿がここにあります。礼拝の礼とは、時代や文化や形は違っても、本質は同じです。

「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神。」2章の最後に、「神はアブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。」(2:24)とあります。神は、選び、契約を結ばれた個人の名の神となってくださり、その個人がいかなる者であっても、神ご自身の名による契約のゆえに、その者の神と呼ばれることを恥とされません。

2、神の御思い

主はモーセに言われます。

「私はエジプトにおける私の民の苦しみをつぶさに見、追い使う者の前で叫ぶ声を聞いて、その痛みを確かに知った。」「今、イスラエルの人々の叫びが私のもとに届いた。私はエジプト人が彼らを虐げているのを目の当たりにした。」

神は私たちの苦しみをつぶさに見、その痛みを確かに知ってくださいます。

「それで、私は下って行って、私の民をエジプトから救い出し、その地から、豊かで広い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、そしてエドム人の住む所に導き上る。」

エジプトからの救済、約束の地カナンへ導き上る計画を告げられます。

「さあ行け。私はあなたをファラオのもとに遣わす。私の民、イスラエルの人々をエジプトから導き出しなさい。」主はモーセを、エジプトからイスラエルの人々を救済する者として任命し派遣されます。

神は、ご自身の働きの為に、人を任命し、派遣されるお方です。礼拝は第一に祝福、そして聖別、任命、派遣の場です。ここ(礼拝の場所)から主によって、それぞれの場に遣わされて行くのです。

今日、主の御声を聞く人は幸いです。

3、神の保証

モーセは神のことばをどのように思い、どのように受け止めたでしょうか。

モーセでさえそうです。私たちも同じです。

「私は何者なのでしょう。この私が本当にファラオのもとに行くのですか。私がイスラエルの人々を本当にエジプトから導き出すのですか。」これは尻込みする者の言葉です。私には無理です、という者の言葉です。(「既に失敗しています。40代ならともかく、80代になった今、羊飼いである私の智も武も錆びています。・・・」)

しかし、神は言われます「私はあなたと共にいる。これが、私があなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたがたはこの山で神に仕えることになる。」(:12)

「私があなたの口と共にあり、あなたに語るべきことを教えよう。」(4:13)

良く聞いて下さい。神が私たちを遣わすしるし、保証は「私はあなたと共にいる。」です。私たちはひとりで行くのではありません。神が私と共に行って下さいます。インマヌエル。神我らと共にいます。この保証をしっかりと堅く握って下さい。「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。」(詩編23:4 口語訳)勇気を出してください。主があなたと共におられます。

燃え尽きない柴。神は『燃え尽きない、憐みの愛』のお方です。私たちを救うのに熱心なお方、熱いお方です。その炎を私たちの内にもいただきましょう。私たちの信仰の灯、宣教の使命を、あらゆる世の波風が吹き消そうとして押し寄せて来ます。時にその灯が燃え尽きそうになります。しかし、知って下さい。神の救霊の熱い炎は燃え尽きることがないのです。燃え尽きない柴、それが私たちの神です。

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

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