2022年1月1日 元旦礼拝説教全文

「主の軛(くびき)を負い、主に学ぶ」 マタイ11:29~30

明けましておめでとうございます。昨年も様々な中を通ってまいりましたが、今年の初めも礼拝をもってスタートできます幸いを、主に感謝します。

今年のみことば

2022年は、詩篇16:8です。

「私は絶えず目の前に主を置く。(主が右におられ、私が揺らぐことがない)」

今年は特に、イエスに従い、イエスに学ぶ。一年としたいと願っています。

昨年の6月から大西一功師に「きょうのみ言葉」を書いて頂き、毎日配信して来ました。

大西先生と何か示し合わせたわけではありませんが、礼拝のメッセージと重なることが何度かありました。

そのたびに、ああ、主はこのみことばを勝田台教会に語っていてくださると確信をいただくことができました。

12月28日に、この詩篇16:8~9がありました。又、12月30日には「見えない方を見えるように従うことができるでしょう」とデボーションのことばが締めくくられています。

主を前に置く。

この御言葉の意味するひとつの大事なメッセージの一つは、主のいつも後ろにいること。自分の好きな方へではなく、主の向かう方向へ後ろからついていくことです。 年末のみことば「Follow me 私に従ってきなさい。」と言われる、主の背中を見ながら、ついていくことです。

明日の礼拝で、詩篇16篇からメッセージを語る予定となっていますが、本日は、イエスに従う者、イエスに従う者の祝福を、何度も聞いているイエスの優しい招きの言葉から聞きたいと思います。

イエスの2つの招きのことば

「重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい」「そうすればあなたがたを休ませてあげよう」

「私の軛を負い、私に学びなさい」「そうすれば魂に安らぎが与えられる」

この新しい年が、重荷に押しつぶされてしまうのでなく、いつも平安・平和の中を歩んでいきたい。

重荷がない一年ではない。しかし、主は今日も私たちを招いておられます。

イエスは大工ヨセフの息子として育ちました。30才まで弟や妹の面倒を見ながら、長男としてナザレで育ったありますが、イエスの作る道具や家財、器は、とても素晴らしいものであったと言われます。

軛は 農耕の為の木製の道具です。 *軛の説明 イエスの作る軛は牛や家畜に負担をかけず、素晴らしいものだったという逸話もあります。

「私の軛は負いやすく、私の荷は軽い(:30)」と言われています。

この聖書の箇所で良く聞くメッセージは、イエスと軛を共にする者は、その荷を引くことは軽いというものです。どんな重荷であっても、共に引かれるイエスが力強いので、私たちには軽いというのです。

しかし、今日この軛のメッセージを通して聞きたいのは、イエスの進む方向に 共に進むということです。私の進む方向にイエスがついてくるのではない。イエスの進む方向に私たちは進むのです。それが「私の軛を負って、私に学ぶ」道です。

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

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