1月23日(日)礼拝説教全文

「エジプトへの10の災い③」 出エジプト11:1~1:20

   災 い      エジプト古代神名   災 い     エジプト古代神名

1,ナイル川の水が血に ハピ     6,腫れ物…家畜と人  イムホテプ セクメト

2,蛙         ヘケト    7,雹  …農作物   ホルス、ヌト

3,ぶよ        ゲブ     8,ばった…農作物   イシス

4,あぶ        スカラベ   9,暗闇        ラー

5,家畜の疫病…家畜  アピス ハトホル 10,死      アヌビス


11:1~10 初子の災い

10番目の災い 初子の災い   ファラオ エジプトの王 太陽神ラーの息子 天空神ホルスの化身           アヌビス 冥界の神(死を司る神) 

主はモーセに言われた。(11:1)

最後の災いとなります。この後、ファラオはここからイスラエルの人々を去らせます。

主はイスラエルの人々はこのようにエジプトを去ると言われます。

①  イスラエル人は全員ひとり残らず去る。

②  イスラエル人が所有する僕や家畜、全ての財のみか、エジプト人から多くの金や銀や多くのものを受けて去る。

イスラエルの人がエジプト人から財(贈物)を受けるのは、主が、エジプト人がイスラエルの民に好意を持つようにしたからとあります(12:35~36)。又、ファラオの家臣やエジプトの民から厚い尊敬を受けたからとあります(11:3)。どういうことなのでしょう。

奴隷であったイスラエルの人々が尊敬を受ける何かをしたというよりも、イスラエルの神である主が繰り返しエジプトに起こした災いに対して、かたくななファラオを除いてエジプトのほとんどの人々は、畏れを抱いていたに違いなく、主のようなお方はいないことを知ったのでしょう。エジプトの神々に差し出す贈物にまさって、イスラエルの主に対しての贈物であったのでしょう。

ファラオの前でモーセが言います。「主はこう言われる。『私は深夜、エジプトの中を歩む。そして、エジプトの地の全ての初子は死ぬ。ファラオの初子から最も低い奴隷の初子、家畜の初子も全て死ぬ。エジプト人とイスラエル人を区別して打つ。』」ファラオはなおも心をかたくなにしていたので、モーセは怒ってファラオのもとを出て行きます。

9つのエジプトへの災いのまとめがあります(11:9~10)。

「ファラオはあなたがたの言うことを聞かない。それは、私の奇跡がエジプトの地で増えるためである。」モーセとアロンはこれらの奇跡をすべてファラオの前で行ったが、主がファラオの心をかたくなにしたので、ファラオはイスラエルの人々をその地から去らせなかった。

神の裁きに備える準備 どのようにイスラエルとエジプトの民とを区別されるのか。小羊の血による

12:1~13 主の過越し

主は最後の神の裁き、災いを「過ぎ越す」為の準備の為に、細かい指示を語られます。

主はモーセとアロンに言われます。

① 子羊を用意しなさい。欠陥のない一歳の雄の子羊。

② それを屠り(殺し)、その血を、入り口の二本の柱と鴨居に塗る。

③ 子羊は火で焼いて、種無しパンに苦菜を添えて食べなさい。

④ 残ったものは火で焼き尽くす。

⑤ 食べる時は、外に出掛ける身支度をして(帯、サンダル、杖)、急いで食べる。

準備が整った後に、

エジプト中を主が行き巡り、小羊の血のしるしのない家の、人、家畜の全ての初子を打ち、エジプトの全ての神々を裁く。小羊の血のしるしのついている家は、その血を主が見て、滅ぼす者の災いは過ぎ越す(通り過ぎる)。これが主の過越しです。

続けて主は、これを記念として毎年、主の祭りを行えと言われます。

12:14~20 この日を記念として行う「主の祭り」 とこしえの掟

除酵祭(種なしパンの祭り)=過越しの祭り

7日間の祭り 種入りパンを食べてはならない

       第一日目と第七日目に「聖会」を行う

       第一の月(3月末~4月の満月の日からはじまる月、ニサンの月)14日~21日まで

種なしパンを食べるというのは、どのような意味があるのでしょうか。

イースト菌で膨らませていない硬いパサパサしたパンです。日頃イスラエルの人々が食べているパンではありません。パン種はイスラエルでは「罪の象徴」としての意味があります。パン種を除くとは、罪を私たちの内から取り除く、きよめの意味を表します。

「過越しの祭り」と「除酵祭」はセットとなっています。

小羊の血(命・犠牲)によって、神の怒りは過越し、神の怒りを過越した者は、パン種の除かれたきよい歩みをします。「すくい」と「きよめ」はひとつです。

人は奇跡や不思議なしるしによっても(9の奇跡)、罪の奴隷生活から救出されることはありません。小羊の血による他に、罪からの救い、きよめはありません。

どうしてキリストの血がわたしたちの罪を赦し、きよめるのか。

キリストは罪なき完全な小羊です。

鴨居と柱に塗られた小羊の血によって、神の裁きが過越し、イスラエルの人々は奴隷生活から救出されました。

十字架の上で流されたキリストの血によって、私たちの罪は赦され、私たちは罪の奴隷生活から救出されるのです。

       

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

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