1月30日(日)礼拝説教全文
「エジプトへの10の災い④」 出エジプト12:21~36(12:29~36)
前回は、エジプトへの十番目の災い、最後の災いとなる「初子の災い」、そして、その災いに対する備えとして、「主の過越し」とこれを記念とする「除酵祭」について、主がモーセとアロンに告げられた内容を読みました。
小羊をほふり、その血(犠牲)によって神の裁きが過ぎ越すことと、除酵祭(種入れぬパンの食事)を通してイスラエルの民の中から罪のパン種を全て取り除き聖別をいただくこと、それを記念して祭りとして毎年行うことを聞きました。
神がモーセとアロンに語られ、モーセとアロンはイスラエルの長老たちと民とに語る(ファラオにも語る)。そしてイスラエルの民は、(モーセとアロンの言葉に従い)それを全て行う、という内容が続きますので、同じ内容が繰り返し聖書の中に記されます。
先週は、主が「主の過越し」について、その準備について語られた内容を学びましたが、本日は、その実行の内容となります。
旧約聖書を読みますと、特に、出エジプト記、レビ記に書かれている戒めが申命記(繰り返し命じるの意味)に再び同じことが書かれています。私たちにとって時々、「それは以前に聞いた」、「また同じ内容か」と思う聖書の箇所があるかもしれない。しかし知っていても、その本質を受け止め、そのように実際生きているかと問われるとそうではなく、私たちは何度も同じ聖書のことばに立ち返り、耳を傾けていく必要があります。
モーセとアロンがイスラエルの長老(部族の代表者)たちを集めて「主の過越し」の内容を告げます。
① 羊を選び、過越しのいけにえとして屠ること
② 平鉢に入れたその羊の血をヒソプに浸して、家の入口の鴨居と二本の柱に塗ること
ヒソプ…細かい枝葉のある植物で,清めの儀式の際に血や水を振り掛けるために使う。
レビ14章、民数記19章、詩篇51:9「ヒソプで私の罪を取り払ってください。私は清くなるでしょう」
③ 朝まで外に出てはならないこと
④ この儀式を、子孫たちが掟として、記念とし守り行うこと
主がモーセとアロンに告げられたことばとの比較
① 子羊を用意しなさい。欠陥のない一歳の雄の子羊。
② それを屠り(殺し)、その血を、入り口の二本の柱と鴨居に塗る。
③ 子羊は火で焼いて、種無しパンに苦菜を添えて食べなさい。
④ 残ったものは火で焼き尽くす。
⑤ 食べる時は、外に出掛ける身支度をして(帯、サンダル、杖)、急いで食べる。
④ 過越しに羊を屠って、その血を注ぐ、この儀式を掟としてとこしえに守り行うこと
子どもたちが「この儀式の意味は何ですか」と尋ねる時、「それは主の過越しのいけにえであり、この主の過越しによって、主はイスラエルをエジプトから救われた」ことを語る。それで、祭りの度にイスラエルの民はひざまずき、ひれ伏す。「主の過越し」「除酵祭」を祭りとして行うことが命じられます。
イスラエルの人々は、「主の過越し」のためにモーセとアロンの命じたとおりに行います。
いよいよ、その時が来ます。
深夜になって、主はエジプトの地の全ての初子を打たれます。
王ファラオの初子から、地下牢にいる捕虜の初子、さらに、家畜の初子も全て打たれ、死にます。
エジプトの町中で悲惨な叫びが真夜中に上がります。その夜、死人のない家はありませんでした。次々に人が死んでいきます。
ファラオはその深夜、モーセとアロンを呼び寄せます。
「あなたがたもイスラエルの人々も、羊も牛も、エジプトから出て行きなさい。主に仕えなさい。そして、私のことも祝福して欲しい。」
ついに、ファラオの心が砕ける時が来ました。
エジプト人はせきたてて、急いでその地からイスラエルの人々を去らせようとします。
「エジプト人は、皆死んでしまう」と思ったから。王の心がまた変わると大変だから。もうエジプトへの災いはたくさんだから、イスラエルの神、主に畏れを抱いていたから…。様々な理由が伺えます。
イスラエルの人々は、モーセの命じた通り、種入れぬパンを作ろうとしていましたが、その途中でパンの生地をこね鉢に入れたまま外套にくるみ、肩にかつぎます。急いでエジプトを出たことが良くわかります。
モーセがイスラエルの人々に命じた通り、イスラエルの人々はエジプト人から、銀、金、飾り物、服を求め、エジプト人は好意をもって彼らに渡します。
イスラエルの人々は、このようにしてエジプト人のものを奪い取ります。
現在の過ぎ越しの祭り(除酵祭の食事)
期間:ニサンの月の14日~21日
内容:出エジプトを記念して行う
詩篇、出エジプト記を朗読する。男性は神への敬虔の証としてふちなし帽子(キッパー)を被る
過越しの食事:
小羊の肉(ラム肉)。…犠牲となった小羊
種(イースト菌)なしのパン。…罪の生活、エジプトの奴隷生活からの解放 マッツアー
苦菜(西洋わさび)と塩水…エジプトでの奴隷生活の苦難 マーロール
果物を練ったもの…エジプトでの苦役の煉瓦
ゆでたまご…神殿崩壊の嘆きの代用
野菜(レタス、セロリ、じゃがいも等)…季節の春を象徴する緑の野菜
赤ワイン
ユダヤ人の過越しの祭りは、宗教的な厳粛な意味としても、又、それを記念する意味も込めて、エジプト脱出以来今日に至るまで守られてきている。ユダヤ人の歴史は、聖書の中でも、又、聖書が書かれた時代の後の歴史においても、その試練と困難は計り知れない。約2000年間、国を失い、今日でいう難民としての生活をして来たようなものです。その難民生活は過酷な言われなき差別と向き合う生活であったと思います。その中で、彼らの歴史における出エジプトの出来事、それを覚える「主の過越し」はどれ程に彼らを勇気付けたことでしょう。
私たちキリスト者も、違った形ではありますが、主の過越しをキリストの十字架、復活の出来事として、記念として教会で守り行っています。
ラム肉は食べませんし、その血を家の玄関にも塗りませんが、私たちの罪の贖いとして十字架で流された「神の小羊」イエス・キリストの血潮を記念してぶどう液・酒を飲みます。種入れぬパンは食べませんが、私たちの罪の為に裂かれたキリストのからだです、と信仰をもってパンをいただきます。
神を神として崇めず、感謝することもせず、空しい思いにふけり、心が鈍く暗くなり(ローマ1:21)、自らの心の欲望に任せるままに、神と、偶像とを取り換えた私たち。それは、罪の奴隷生活、死と滅びに定められた生活です。苦しく、にがい生活です。
神の小羊、キリストの血によって、罪の奴隷生活から救い出してもらいなさい。きよめていただきなさい。
あなたを愛し、あなたに「罪のゆるしときよめ」という命と喜びを与えて下さる、キリストの十字架の血による主の過越しを受けてください。
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