2月6日(日)礼拝説教全文

「まどろむことなく守られる主」 出エジプト12:37~51

参照:「見よ、イスラエルを守る方は、まどろみもせず、眠ることもない」詩篇121:4

いよいよイスラエルの人々はエジプトを出発します。

430年(:40)のエジプトでの滞在期間中、苦役で叫んでいた長い奴隷生活から解放される時が来ました。全てのイスラエルの人々が救い出されます。

第一に、この長い苦役、奴隷生活からから解放されるその喜びはどんなに大きなものであったか想像してみましょう。ついに自由を得る時が来たのです!それは今、罪と死の定めから解放される私たちの救いの喜びと同じです。

大きな集団となってエジプトを出発する(37~42)

エジプトを出発した人々は、成人男性だけでも約60万人(:37、民数記1:46)、そして女性と子どもたち、又彼らと共に奴隷生活を強いられていた人々(雑多な人々)が多数いて、羊や牛、おびただしい数の家畜もいたとあります。女子供、雑多な多くの人々を合わせて200万人、300万人とも言われます。 

* 雑多な人々: ヤコブの子孫以外にも奴隷となっていてイスラエル人と関わりのある人々も一緒に出たと考えられます。(イスラエル人ハーフ、クオーターの人々や、イスラエルの人々と共に重い苦役を受けていたヤコブ以前の同族の人々等も)混乱に乗じて?

430年前にエジプトに入国したヤコブの子供たちは70人でした(創世記46:26~27、出エジプト記1:5)。大飢饉の為に食料も、家畜も何もかも使い果たしてエジプト入りしています。しかし、エジプトにおいてイスラエルの人々は多くの子を産み、おびただしく増えて多くなり、ますます強くなって国中に溢れた、とあります。(出エジプト記1:1~7) 

* 人口70人では「国」とは言えませんが、200万人となると徐々に国の規模へと膨らんでいきます。

* 人口の増え方をグラフにして説明している学者もいます。それを見ますと不可能な内容でもありません。

70数名のイスラエルの人々が、430年で数百万人に。どれほどに異常な増え方であったかがわかります。ファラオがイスラエル人の産まれた男の子を殺せと命じたのも、重い苦役で彼らの力を削ごうとしたのも、王やエジプトの人々がこのままでは自分たちの国が乗っ取られるのではないかと、イスラエルの人々を恐れたのは容易にわかります。

イスラエル人が大きな集団になったことを思うと、アブラハムに主が約束された、あなたの子孫を星の数のように増やすと言われた言葉が思い起こされます。エジプトに入った時には貧しく、小さな集団でしたが、エジプトを出る時には豊かな、大集団になっていることがわかります。

* しかし、逆にこの後のイスラエルの人々の歩みを考えると、この大集団が何も食べ物のない荒野で40年間移動した大変な苦労、この大集団をまとめて指導者として、養い、導いたモーセの大変な苦労も想像できます。

人々は旅支度もままならぬまま、エジプトから追われ、大いにせかされて出ます。種入れぬパン菓子を食べた事は、パンを焼いて道中の食料を用意する余裕もなかったことを理由に挙げています。後に除酵祭の種なしパンの祭りで、急いで出発したことを覚えることになります。

寝ずの番をされる主(:42)

長いエジプトでの滞在期間を終えて、主によって全集団はエジプトの地を離れます。これだけの人数が全て家を出るにはどれくらい時間がかかったでしょうか。何日もかけて支度をして出るべきことを、一晩のうちにそれを行います。

「その夜、主は、彼らをエジプトの地から導き出すために、夜通し見張りをされた」(:42)

この夜、主の特別な守りがあったことを知ります。誰一人、何一つ損なわれることなく、全イスラエルの人々はエジプトを出ます。

「それでこの夜、全ての人々は代々にわたり、主のために夜通し見張りをするのである」(:42)

主のために見張りをする…不思議な表現です。神である主が真実をもって守って下さったのであるから、私たちも代々にわたり、誠意をもってそれに応えるのである…といった内容でしょうか。

過越しの祭りに関する追加規定(:43~50)

主はモーセとアロンに言われます。

この祭りに参加する者の資格に関して

〇 外国人は食べてはならない。滞在者や雇人は食べてはならない。

〇 イスラエルに身売りした奴隷たちは、イスラエルの所有であるので「割礼を施せば」食べる事ができる。

〇 外国人寄留者も、祭りに加わることを願い、「割礼を受けた者」は食べることができる。

イスラエル人のようになる。

〇 無割礼の者は食べてはならない。

この律法は、イスラエル人、あなたがたのもとにとどまっている寄留者(雑多な人々)に関するものです。

* 教会の聖餐式において、「洗礼を受けた者」のみが聖餐に与かることができるのも、もちろん聖餐式が秩序をもって厳格に行われる為にありますが、過越祭の掟に従って言うならば、小羊の血をしるしとして入口の柱と鴨居に塗って神である主に従うイスラエルの民、そして、主に「私の子」と呼ばれる立場に置かれた者がそれを食べる(聖餐に与る)のにふさわしいと言えます。

小羊の肉に関して

〇 一つの家で食べ、肉は家の外に持ち出してはいけない

〇 小羊の骨を折ってはならない * イエスの十字架の出来事を象徴する内容 ヨハネ19:36

主がイスラエルの人々を、「集団ごとに」導き出されます。(:51)

これからの大移動は、部族ごとの移動となります。

私たちが目覚めている時も、眠っている時にも、又、特に大きな困難・試練の中を通る時にも、主はまどろむことなく私たちを守られます。この真実であられる主に、私たちも精一杯の誠意をもってお応えしましょう。

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

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