2月20日(日)礼拝説教全文

「雲の柱、火の柱」 出エジプト13:17~14:4

参照:出エジプト40:36~38    

聖書協会共同訳見出し 葦の海(紅海)へ(…導かれる主)


● 最初の経路(13:17~22)     民の心をおもんぱかって

エジプトを出たイスラエルの人々は、神である主の約束された乳と蜜の流れる地カナンへ向かいます。そのまま、地中海沿いに東へ向かえばシュルの荒野を通過して、最短の距離となります。しかし「神は考えた」(13:17)とあります。カナンへの最短の道はペリシテ人の地を通ることになるので、民が戦いを目前にして弱気になりエジプトを出たことを後悔し、エジプトに戻るかも知れない。それ故に、神は民をラメセスから南下してスコトへ向かわせ、スコトからさらに紅海を右にしてシナイ半島のエタムの荒野に向かい、宿営させられます。

ペリシテは後にイスラエルにとっても脅威になる国ですが、エジプトから出たばかりのイスラエルの民が交戦になると民の心が挫かれてしまうことを主は知っておられます。主が、イスラエルの民の心を慮ったことがわかります。

ヨセフの骨を携えてカナンへ向かいます  棺に納められているヨセフのミイラを運ぶ

創世記50:24~26 民がカナンに戻ることは神の約束であり、ヨセフの遺言です。

ヨシュア記24:32  カナン征服後にヨセフの埋葬が記されています。

最終的に、ヨセフの骨は父ヤコブが買い取った地シェケムの野の一画に葬られます。

エジプトを出た時も、荒野の40年間も、カナンでの戦いの期間も、ずっとヨセフの骨は運ばれ、移動したことがわかります。アブラハム、サラ、イサク、リベカ、ヤコブ、そしてヨセフも、丁重に神の約束の地カナンに葬られていることがわかります。神の約束は時を経ても必ず実現します。

● 昼は雲の柱、夜は火の柱

200万人もの大集団が移動しますが、どのように主は彼らを導かれたでしょうか。

「主は彼らの先を歩まれ、昼も夜も歩めるよう、昼は雲の柱によって彼らを導き、夜は火の柱によって彼らを照らされた。昼は雲の柱、夜は火の柱が民の前を離れることはなかった」(13:21~22)

雲の柱、火の柱は主の臨在を表しています。どちらに向かうのか、進むのか留まるのか全てを、神の臨在を表す雲と火の柱が彼らを誘導します。私たちは実は自分たちの思った、願った方向に向かうのではなく、常に主が先導されることを覚えましょう。

 先日、「主は夜通し見張りをされた」「寝ずの番をされた」(12:42)というみことばからメッセージをしましたが、私たちは普通、夜、寝ている時は無防備な状態です。しかし、神の光がずっと彼らを照らしていたことがわかります。

主の臨在(雲の柱・火の柱)が先を歩まれ、導き、照らし、離れなかったことを覚えましょう。出エジプト記の40:34~38、この書の最後にもこのようにまとめられています。

● ユダヤの三大祭

過越しの祭 3月~4月 7日間  小羊の血による「過越し祭」と種無しパンによる「除酵祭」

七週の祭り(五旬節・ペンテコステ) 5月~6月 3日間 出エジプト後49日目にモーセがシナイ山で律法(十戒)を授かったことを記念する        春の収穫感謝祭

仮庵の祭 9月~10月 7日間 荒野で仮の宿(テント)の生活を送ったことを記念とする 

仮庵の祭りの規定 レビ記23:34~43       秋の収穫感謝祭

仮庵の祭りは「光と水の祭典」とも言われます。神殿の庭に大きな燭台がいくつも準備され、火が灯されます。エルサレムストーン(白っぽい石)に光は反射し、小高い丘であるエルサレムの都は幻想的に光に映し出され輝きます。夜は主の臨在が彼らを照らすのです。

● 次の経路(14:1~2)

主はモーセに告げられます。

「引き返しなさい。」エタムの荒野から北上してスコトに戻り、紅海を左回りに迂回して南下し、ピ・ハヒロトの海辺で(14:9)すなわち、紅海を背にして宿営します。その経路は、ラメセスを出発し、南、東南、北西、南という経路を経て、紅海を背にすることになります。まるでそれは、「彼らはその地で迷い、荒野に閉じ込められた」様に思われる経路です。

このイスラエルの集団の進み方は、決して意味の無いものではなく、これから神がなされる大きな御業の伏線となります。「袋のねずみ」という言葉がありますが、見た目は、ここに追い込まれたら逃げ場のないような状況です。

主はあらかじめモーセに告げられます。

「私はファラオの心をかたくなにする。」その結果、ファラオはイスラエルの人々が迷い、荒野に閉じ込められていると考え、彼とその全軍は、イスラエルの人々の後を追って来る。しかし、ファラオとその全軍の追跡は、主が栄光を現わす時となり、「エジプト人は、私が主であることを知るようになる」時だと言われます。

ようやく、「初子の死」によってエジプトの王のかたくなな心が砕かれ、イスラエルの民がエジプトから脱出できたというのに、再び「主がファラオの心をかたくなにして」、ファラオが全軍を率いてイスラエルの人々を追って来る、というのです。それも民の宿営地は、紅海を背にした袋小路です。状況は最大の危機です。しかし、あえて主はそこに彼らを導かれるのです。

私たちのキリスト者の人生の危機は、時に大きな主の栄光が現れる時となります。

私たちキリストに従う者の生涯は、主の臨在(雲の柱・火の柱)によって主が先を歩まれ、導き、照らし、私たちを離れなかったことを覚えましょう。「私は世の光である。私を信じる者は決して闇のうちを歩むことがなく、命の光を持つであろう」(ヨハネ8:12)

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

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