4月10日(日)礼拝説教全文
「罪人の一人に数えられたイエス」 ルカ23:32~43
ルカ22:37 「犯罪人の一人に数えられた」
イザヤ53:12 「背く者の一人に数えられたからだ」
ルカ7:33~35 「罪人の仲間(友)となられた」
本日から受難週に入ります。今週の15日(金)は、イエスが十字架につけられた日、受難日となり、その三日目、4月17日、次週の日曜日は、イエスがよみがえられたイースターを迎えます。
本日の日曜日は、イエスがろばの子に乗ってエルサレムに入られた、棕櫚の聖日とも言われています。
エルサレムに入られてから最後の一週間の出来事は、4つの福音書に詳しく書かれています。
本日はルカによる福音書から十字架の出来事を読みます。イエスは十字架につけられる為にゴルゴダ「されこうべ」と呼ばれる丘に引かれて行かれます。他に二人の犯罪人も引かれて行きます。丘の上に立てられた十字架は、イエスを真ん中に、右と左に犯罪人がつけられて、三本であったことがわかります。本日のメッセージは、イエスと、共に十字架につけられた二人の犯罪人にスポットをあてて、読んでみたいと思っています。
彼らは強盗だったでしょうか、人殺しだったでしょうか。彼らの素姓については詳しくはわかりませんが、十字架刑はローマの極刑ですので、それまでの彼らの歩みは、相当な罪の中を歩んできたものであったでしょう。最後に捕まって、取り返しのつかないこのような結末を招いてしまったのです。
二人の犯罪人の真ん中で、同じように十字架につけられているイエスは、対照的です。一点の罪のない生涯を歩んでこられたお方です。「何一つ悪いことをしていない」お方です。
イザヤ書の53章12節には「背く者の一人に数えられた」と苦難の僕の預言があり、イエスご自身も十字架にかかられる前に、「『彼は犯罪人の一人に数えられた』と書いてあることは、私の身に必ず実現する」(ルカ22:37)と、このイザヤ書から語っておられます。
イエスはその生涯で、「あの人は罪人の仲間だ。罪人の友となられた」(ルカ7:33~35)と、当時そのような人と関わると汚れると思っていた人々から中傷されました。主イエスは、進んで取税人や罪人と共に食事をされ、「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」(ルカ5:31~32)と言われています。
もう一度言います。イエスが来られたのは、「罪人を招いて、その罪を悔い改めさせるため」です。
イエスが十字架につけられたその時に、イエスが何よりも願っておられた、このイエスの来られた目的が、一人の人に成し遂げられたことを知ります。
イエスの十字架の足元、そこを通りかかった人々、民衆、議員たち、祭司長、律法学者、長老たち、兵士たちは、代わる代わるイエスを嘲笑い、侮辱し、罵ります。「他人を救ったのだ。神のメシアで選ばれた者なら、自分を救うがよい」「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」。イエスの罪状は「ユダヤ人の王」です。何一つイエスの罪を指摘できる者はいません。悪意と失望に満ちた言葉が溢れています。
多くの罵倒の言葉の波に乗せるようにして、はりつけにされた犯罪人の一人までもがイエスを罵ります。「お前はメシアではないか。自分と我々を救ってみろ」。十字架の周りにいた人々と共に、十字架上の犯罪人もイエスを罵ります。マタイによる福音書、マルコによる福音書では、「十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスを罵った」「一緒に十字架につけられた者たちも、イエスを罵った」とあります。
しかし、ルカは十字架上での二人の犯罪人について詳しく記しています。
もう一人の犯罪人は、それを聞いて、彼をたしなめます。「お前は神を恐れないのか。同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない」。俺たちは神を恐れず、罪を犯して、こうして自分のやったことに、当然の報いを受けている。俺たちはこれから地獄に落ちるしかない。それを目の前にして、まだ神を恐れないのか、と言っているようです。自分の罪を認めています。十字架の刑のみならず、神の裁きを受けなければならない。
そして、隣に十字架につけられ、人々から罵られているイエスを見て、彼は「しかし、この方は何も悪いことをしていない」と断言しています。
これまでの多くの十字架につけられた犯罪人は、人々に呪いの言葉、怒りの言葉を吐いて死んでいった事でしょう。しかし、目の前にいるイエスは、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのかわからずにいるのです」と目の前の人々の為にとりなしの祈りしておられます。自分たちと同じ刑を受けていながら、このお方は誰だろう。そして、イエスは正しい人だと感じたのでしょう。
彼はイエスに向かって言います「イエスよ、あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください」。
イエスはこの犯罪人の言葉をどのようなお気持ちで聞いておられたでしょうか。
イエスは罪人を招き、彼らの友となられ、彼らが悔い改めて救う為に来られた方です。
犯罪人がイエスに向かって言った言葉は、このような気持ちが込められています。「イエスよ、私は地獄に落ちるしかない者です。決して天国へなど行く事ができません。今、悔い改めても間に合う者でもありません。しかし、せめて、あなたが御国へ行かれるときには、こんな私ですが覚えていていただけますか。救っていただく価値のないものですが、イエスよ、覚えていてください。」
深い認罪と、悔い改め、イエスへの信仰の言葉です。
イエスは彼に言われます「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園(パラダイス)にいる」。
すなわち、「まことにあなたに言う。 あなたは今日、 私と一緒に パラダイス(天国・楽園・御国)にいる。私は御国に行く。あなたも一緒だ。」
イエスの両側に十字架につけられた犯罪人。同じ刑を受けていた彼ら犯罪人。しかし、イエスのことばを受けた犯罪人の心境はどうだったでしょうか。アメージング!驚きしかないでしょう。彼の顔は変わっていたことでしょう。人を呪い、世を呪い、神をさえ呪っていた彼は、十字架上でキリストに出会い、御国に入ることができたのです。
二人の犯罪人。イエスを拒絶した人と、イエスを受け入れた人。
自分の罪を認め、イエスに赦しと救いを願い求める者は何と幸いでしょうか。
その人の罪は何一つ責められることなく、赦されています。
何ゆえか。私たちの主イエス・キリストが、その人の、私たちの全ての罪の責め・罰を、代わりに受けて下さった故にです。
イエスが来られたのは、罪人を招いて救う為です。
どんな罪も、私たちの罪の為に十字架で死なれた、罪のないイエスが、赦しを与えてくださるただおひとりの救い主であることを知ってください。
罪人の友として罪人の傍らに来られたイエス。悔い改めて、ご自身のもとに呼び寄せるために来られたイエス。
今日、十字架を見上げ、イエスの祝福のことばを受けましょう。
「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる。」
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