4月24日(日)礼拝説教全文

「いかなる神よりも偉大な主」

出エジプト記18:7~12(出エジプト記18章全体から)

18:11 「主はいかなる神よりも偉大であったと今こそ知りました」

聖書協会共同訳聖書見出し 「エトロの来訪」

二人の息子の名による二つの告白(:1~7)

神の山ホレブのふもと(レフィディム)で宿営していたモーセのもとを、モーセのしゅうとエトロが訪れます。彼はミデアンの祭司です。彼はモーセの妻であるツィポラと、モーセの二人の息子、ゲルショムとエリエゼルを連れて来ます。

出エジプトの出来事は、非常に大きな出来事でした。それゆえに、シナイ半島、また、その地を越えてミデアンの地にも、また、カナンの地にもニュースが流れて行ったことが想像できます。

モーセの二人の息子の名が記されています。ゲルショム(意味は「私は異国の地で寄留者となった」)とエリエゼル(意味は「私の父の神はわたしの助け、ファラオの剣から救われた」)です。

「私は寄留者」。モーセはエジプトにおいても、ミデアンにおいても寄留者です。神の約束の地に入るまでは、どこにいても寄留者です。私たちキリスト者も「私は寄留者」という告白が必要です。私たちが真に目指す地は、神の用意されている天にある故郷だからです。

又、どこから誰によって救われた者であるのか。ファラオの剣から救い出された者。そして、私の父の神こそが私の助けである。「私は主によって救われた者」であるという告白が必要です。事実、罪の奴隷であった死と滅びから、私たちは主イエス・キリストによって、その(小羊の血)十字架の贖いによって救われた者たちであるからです。

異邦人の祭司エトロが主をほめたたえる(:8~12)

モーセはしゅうとのエトロに「主がイスラエルになさったあらゆる恵みの業と、エジプトから救い出された事こと」を語ります。エジプトへの10の災いと、そして紅海渡渉(徒歩で渡ったこと)について、主の偉大な力強い御手の業について語ります。それはモーセにとっての「救いの証詞」です。

そして、エトロは今ここに、事実、40年間羊飼いとして自分の娘の夫として自分に仕えて来たモーセが、数百万人の同胞の民を率いているのを見るのです。

エトロはミデアン人であり、別の神に従っていた祭司でした。しかし、モーセの証詞を聞いて、イスラエルの神、主をたたえています。エジプトの神々を撃ち破った主。大いなるしるしと御業を行われた主。「こんな神は、私は神々の中に聞いたことが無い。主は、いかなる神よりも偉大な神であると知りました」と告白します。

私たちにとって神と呼ばれるにふさわしいお方は、主のみですが、それを知らずに祭られている偶像や神々の中にいる彼らにとって、主は何と偉大な力ある神か、と大きな驚きです。

救いの証詞は、私にとって主は私を救う力ある神であることを、主を知らぬ周りの人々に知らせるものです。私を、罪の中から救い出し、暗闇から光へ、死から命へ、悪魔の支配から神の支配へと贖い出して下さった偉大な力ある主。それが私たちの主イエス・キリストです。

エトロの進言、働きの分担(:13~27)

イスラエルの民は、様々な問題や、悩みをモーセのところへ持って来ます。「民は神に尋ねるために私のところに来るのです」(:15)。モーセの周りには、その答えを聞くために順番待ちの行列が出来ています。モーセは朝から夕まで民に対応しています。モーセは民に、「神の掟と律法を知らせます」(:16)。

民は直接、神に問う事ができず、いつもモーセの許に来ます。「神に尋ねるために」これはとても大事なことです。私たちは、何事も自力や何か別のものを頼って、神に尋ねずに解決しようとします。

現在は、私と神を隔てる至聖所への幕は裂けたのですから、私たちは大胆に主イエス・キリストの名によって「神に尋ね求め」、聖書のみことばから神の答えをいただきましょう。

しかし、その時、その様子を見ていたモーセのしゅうとエトロは、「あなたのやり方は良くない」と進言します。その状態は、モーセにも民にも負担が掛かり過ぎていて、お互いに疲れ切ってしまいます。

エトロは進言します。

① 民に起こってくる様々な問題を神に述べなさい

② 神から掟と律法をいただいて、民に示し、歩むべき道となすべき行いを示しなさい

③ 全ての民の中から、有能な人、神を畏れる人、誠実な人、不正な利益を憎む人を選び出しなさい

④ 千人の長、百人の長、50人の長、十人の長を立てなさい

⑤ 彼らの長が、それぞれの問題の大きさに準じて、それぞれの問題を裁かせなさい。

⑥ 難しく、大きな問題だけをモーセが裁きなさい

「モーセはしゅうとの言葉を聞き入れ、すべて言われたとおりに行った」(:24)

私たちがエトロの進言によって目をとめるべきことは、長たるものの資質です。

有能な人、神を畏れる人、誠実な人、不正な利益を憎む人とあります。

有能と言うのは、客観的に皆から尊敬され、認められ、評判の善い人ということができると思います。

そして、能力があるだけではいけません。大事なのは、「神を畏れる人」です。

そして品性においては誠実な人。又、不正な利益を憎む人。つまりこれは、金銭に対して誠実であることが求められています。

モーセは異邦人の祭司であるエトロの意見を聞き入れます。

知恵ある言葉に対しては、私たちは謙虚に耳を傾けるべきです。

私たちはこのエトロの進言の中にひとつの共同体の形を見ます。

それは、キリストにある教会においても、とても有益な学びです。

勝田台キリスト教会では、「家の教会」を行ってまいりましたが、立てられたリーダーを中心に、小さいグループの中で、様々な互いの課題をシェアし、主の前に解決していくことを目指しています。

「役員」の働きもそうです。勝田台キリスト教会には6人の信徒役員がいます。家の教会の働きとは別に、総務に関して、財政に関して、祈祷に関して、様々な役割を担っています。

10人の教会であれば、出エジプト記の隊の最小単位が10人なので、牧師がひとりでそれを担えるでしょう。その観点から、私たちの教会には何人の長が必要なのだろうかと考えることもできます。

大きな共同体でも、小さな共同体でも、大事なことは何でしょうか。それは、「神に尋ね求めるために」ということではないでしょうか。週ごとに私たちは礼拝で、聖書からメッセージを聞きます。安息をいただき、祝福と聖別、そして派遣される為にです。自分の行くべき道、なすべき行い、主から掟と戒めを、聞き、進み、なしていくのです。

あなたの問題を、隣人の問題を「神に尋ね求め」、みことばによって主のお答えをいただいて、ここから出発しましょう。

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

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