6月26日(日)礼拝説教全文

「値踏みされた羊飼い」 出エジプト記21:28~37 

参照箇所: ゼカリヤ書11:4~14 マタイ27:3~10 

先週に続き、神である主の戒めの詳細な内容が続きます。

「奴隷に関する掟」「過失による殺人、傷害に関する掟」を読みました。人が人に対してというものです。

28節からは、彼らの飼っていた家畜に関する規定となります。

「牛が人を突いて死なせた場合」というものです。イスラエルの人々は、エジプトから多くの財を得て出ました。多くの家畜を連れていました。牛、羊、山羊、ろばなどです。

1、真実で公正な審判者

共同生活の中では隣人との距離が近く、様々なトラブルが起こります。実際に起こったトラブルを主が裁かれ、又、今後起こりうる様々な事件に関する戒めが与えられます。

牛は体格の良い動物で、どう猛な牛もいます。牛がその角で人を突いて人が死ぬという事があったのでしょう。その場合、まず、人を殺した牛は必ず死ななければならない、又、その牛を食用として食べてはならないという規定です。牛の所有者には罪はないというのが大前提ですが、その牛がどう猛で、攻撃的で突く癖のある牛であることがわかっているのに、しっかりと管理していなかった場合には、その牛は石で打ち殺され、主人も自分の命をもって償うか、あるいは、自分の命の贖いとして要求された賠償金の全額を払わなければなりません。子供を突いた場合もこの規定に従い、被害者が大人であれ子供であれ、その罪を償わなければなりません。

ただし、「奴隷の場合は・・・」とあり、牛が奴隷を突いて殺した場合は、牛はもちろん石で打ち殺されますが、奴隷はその主人の財産なので「銀30シェケル」を奴隷の主人に賠償金として支払わなければならないとあります。

家畜に関する掟は続きます。「牛やろばが蓋を閉め忘れられた水溜めに落ちた場合」というものです。水溜めの所有者は家畜の所有者に賠償金を支払なければなりません。そして、水溜めに落ちた家畜は、水溜めの所有者のものとなります。

次は、「牛が隣人の牛を突いて死なせた場合」というものです。ここでも過失と管理を怠っていた場合とに分けています。牛は牛をもって賠償します。しかし、死んだ牛は賠償した者のものとなります。

また、「人が牛、または羊を盗んで屠ったり、売却したりした場合」、これは盗んではならないの戒めに抵触します。盗んだものが、もう姿形なく、盗んだ者の手元にない場合となります。一頭の牛を盗んだら5頭の牛で賠償、羊一匹に対しては4匹の羊で賠償しなければなりません。牛の方が罪が重いことがわかります。1000円盗んでも、10万円盗んでも同じ賠償金額ではありません。多く盗んだ者は多く償わなければなりません。(参考 盗んだ牛や羊が生きたそのままで見つかった場合は2倍の賠償になります。出エジプト記22:3)

これらの戒めは数千年前に記されたものでありますが、神である主が裁かれた内容が旧約聖書の律法であると知ります時、感慨深いものがあります。私たちは互いに同じ場で生活する中で、様々なトラブルが起きます。アメリカは訴訟大国といわれます。日本においても、六法全書という分厚い書があり、「憲法」「民法」「刑法」「商法」「民事訴訟法」「刑事訴訟表」約6,000ページ、850の法令が記されており、毎年改正されています。(「行政法」を含め7法)

人は法に従い裁判官、裁判員、検事、弁護士によって審議が行われ、判決が下されます。それがいつも正しいものとは言えません。 * ひとりの人を裁く重み 裁判員制度がスタートして私は裁判員に選ばれ…

しかし、私たちが知っておきたいのは、私たちの神である主は、公正な審判者です。時に私たちは不当な、理不尽な扱いを受けることがあります。どんなに叫んでも、真実を証明できないこともあります。しかし、「主の裁きは真実で、こことごとく正しい」のです。(詩編19:10)

主は生きておられます。どんな時も、主の真実な裁きにお委ねしましょう。

2、奴隷の値段「銀30シェケル」(:32)

シェケル銀貨は、500円玉より少し大きい銀貨で、11.5グラムです。価値は時代によって変わりますが、1日の労賃=銀3~5gですので、1シェケルは約2日分の賃金となり、銀貨30枚は約60日分の賃金となります。この出エジプトの時代、正確にはわかりませんが、幅はありますが、日本円で30~120万円位となります。奴隷の金額が大きいのか小さいのかは判断できません。わかるのは、銀30シェケルは、神である主が定められたものであるということです。ここに不思議な主のおこころ、ご計画があります。

「奴隷」というとエジプトでのイスラエルの苦役の生活や、アメリカに奴隷商人によって売られたアフリカ系の人々の苦役の生活を想像しますが、この神である主の戒めにおける奴隷は、貧しい者が豊かな者の家に7年間の奉公に出るようなものに近いです。しかし、「奴隷」の期間彼は主人の所有・財産となります。

旧約聖書の中でユダヤ人の所有する奴隷は、たとえば、アブラハムの妻サラに仕えたエジプト人の女奴隷ハガル、又、ヤコブの妻のラケルにはビルハ、レアにはジルパが召使いとして仕えていました。彼女たちは、主人の子供を生んでいます。奴隷が家族の一員となることもあります。

主が定められた奴隷の金額、銀30シェケルは、ゼカリヤ書に再び記されます。ゼカリヤ書11章4~17

預言者ゼカリヤは、主に「屠る為の羊の群れを育てよ」と言われて羊飼いの仕事をさせられます。彼は羊を二本の杖(「好意」と「一致」を意味する)をもって育て、羊の商人たちに渡します。しかし、共に働く羊飼いたちは愚かで、役に立たず、羊を見捨てるような人たちで、ゼカリヤは一本の杖を折って、羊の商人たちとの契約を破棄します。ゼカリヤは羊を売る商人たちに「私に賃金を払いなさい」と迫ります。彼らは羊飼いゼカリヤの働きを値踏みし、銀貨30シェケルを支払います。ゼカリヤが得たのは銀貨30シェケル、つまり奴隷一人分の賃金になります。主はゼカリヤに言われます「私が彼らによって値踏みされた尊い価を、陶工に投げ与えよ」。ゼカリヤは銀30シェケルを取り、それを主の神殿で陶工に投げ与えます。

主の定められた奴隷の金額、銀30シェケルは、イエスが十字架に渡される金額として再び記されます。

マタイ26:14~16、27:3~10

イエスの十二弟子のひとり、イスカリオテのユダは、当時の宗教指導者のもとに行き、イエスを売り渡します。祭司長たちはイエスを銀貨30枚に値踏みします。繰り返し言いますが、それは奴隷一人の値段です。

ユダはイエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、祭司長のもとに金を返しに行きますが、彼らは受け取りません。ユダは銀貨30枚を神殿に投げ込んで自害します。その銀貨30枚は、神殿の金庫に戻せないので、彼らは「陶工の畑」を買い、「見知らぬ人(異邦人)のための墓地」とします。後にその場所は「血の畑」と呼ばれます。

まことの良い牧者であるイエスは、銀貨30枚に値踏みされ、売り渡され、十字架で死なれたことを覚えましょう。主イエスは死人をよみがえらせ、多くの人の病を癒し、悪霊を追い出し、飢える者に食物を与え、罪ある者に赦しをお与えになりました。良い羊飼いの生涯を送られたイエス。その尊いイエスの価が銀貨30枚です。主はゼカリヤ書で言われました「私が彼らによって値踏みされた尊い価を、陶工に投げよ」。

陶工とは誰でしょう。「見知らぬ人のための」(異邦人のための)墓地、とありますからそれは、私でありあなたです。

罪の奴隷である私の贖いの代価は、尊いキリストの命によって支払われました。清算されたのです。

もはや私たちは、イエス・キリストにあって、罪の奴隷ではなく、神の子どもです!

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

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