7月17日(日)教会創立51周年記念礼拝説教全文

「教会はキリストの体」 エペソ1:20~23 

参照:第一コリント12:27 コロサイ1:24(1:18かしら) エフェソ5:30 ロマ12:5

私達の勝田台キリスト教会は創立51周年を迎えました。中居豊、栄子牧師が佐倉・八千代開拓に神様によって遣わされて45年。私もこの場所に遣わされて5年が過ぎました。又、ここに集うおひとりおひとりが、この勝田台キリスト教会で数年、或いは数十年、教会に通い、信仰生活を歩んで来られました。主である神がこの勝田台の地に教会を建てて下さり、豊かな祝福をもって導いて下さり、イエスを信じ、救われる人々が起こされ、その導きの中に、私も入れて下さったことを心から感謝致します。

ここ2年半は、世界的なコロナウィルス感染拡大によって、出かけることや集まること、共に食事をすることなどが制限される中にあり、今、何をするべきかと神である主に問う中にありますが、教会の働き、キリストの働きは今も続いています。創立記念にあたり、今一度、「教会」とは何か、「教会」とは私にとって何であるのかを、聖書のみことばに聴きたいと願っています。

2022年度教会総会において、第一コリント12章を開き、この年は、「キリストの体の部分としての自覚をもって主に、教会に奉仕する」を目標としました。教会に集う全てのキリスト者が、キリストの体の部分として奉仕を担い、喜んで主に仕えることができるようにと願っています。教会の奉仕に携わることは、クリスチャンとして、あなたの信仰の成長のための大きな要因の一つとなります。

* 教会学校の教師になって。役員になって。監事になって…奉仕を託されて。 私は大学生の時に中高科の教師の奉仕をするようになって成長したように思います。

エフェソ人への手紙のテーマは「教会」です。

「教会とは何ですか」と問われるなら、「教会はキリストの体です」(1:23)とあります。

「今ここに集う私たちは何ですか」と問われるなら、「私たちはキリストの体の一部です」(5:30)とあります。「先生、わたしの関心事はそのようなことではありません。どうしたら病気が治るかといことです。」「どうすればこの経済的危機から脱することができるかということです。」「将来の老後の蓄えの心配です。」「家族のことです。」「夫婦のことです。」「職場のことです。」「学校でのことです。」「友人とのことです。」「恋愛についてです。」「勉強についてです。」「仕事についてです。」「コロナ禍でどのように生活するかです。」「世界情勢の不安についてです。」「物価の高騰についてです。」「教会についてではありません。」等々。しかし、私たちの人生の諸問題に対しての解決の道は意外に別のところにあります。直接その課題の近くではなく、全く違った場所にあったりもするのです。

* 電柱を見て、そこに衝突する車のたとえ。回避する為には他に目を向ける事が必要です。

1.キリストはすべてのものの上に立つお方です(:20~22)

「神は、この力ある業をキリストの内に働かせ、キリストを死者の中から復活させ、天上においてご自身の右の座に着かせ、この世だけでなく来るべき世にある、全ての支配、権威、権力、権勢、また名を持つすべてのものの上に置かれました。」

私達は信じ、告白します。私達が従う主イエス・キリストはあらゆる権威の上に立つお方です。

2.すべてのものの上に立つ頭であられるキリストは、教会に与えられました(:22~23) 

「(神は)また、すべてのものをキリストの足元に従わせ、すべてのものの上に立つ頭としてキリストを教会に与えられました。」私達は信じ、告白します。この主イエス・キリストは教会に与えられました。(他のどこにでもない)* カトリック教会における教会の権威;教会には天国の鍵が託されています。 教会が世に現すのは、キリストの権威と力です。

3.教会はキリストが満ちておられるところです(:23) 

「教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方が満ちておられるところです。」

私達は信じ、告白します。教会はキリストの体であり、キリストにある全てが満ちています。

本日は招詞で、本日の聖書箇所の直ぐ前の、エフェソ人への手紙1:17~19を読みました。

ここにエフェソの教会のクリスチャンに対するパウロの祈りのことばがあります。「あなたがたに知恵と啓示の霊が与えられて、神を深く知ることができ、心の目が明らかに照らされるように(はっきりと見えるように)」とあります。彼は、聖霊によって何をはっきりと見て欲しいと信徒に願い、祈っているのか。それは、「神の招きによる希望がどのようなものか」「聖なる者の受け継ぐものがどれほど栄光に輝いているか」そして、「私たち信じる者に力強く働く神の力が、どれほど大きなものであるか」であります。

あなたは信じていますか。主イエス・キリストがあなたの全ての、あらゆる問題・悩み・課題に対して力ある救いと癒しと導きを与えて下さるお方である事を。

出エジプト記において、イスラエルの人々の諸問題に対して、主である神がお答えになっておられる記事を読んでいます。時にはこんな小さな悩みにもお答えになるのですかという程の内容にも、憐みをもって丁寧にお答えになる主のことばを、律法を読んでいます。今はキリスト・イエスによる新しい契約、新約の時代です。全ての権威の上に立っておられるキリストの許にあなたの救いと解決があるのです。しかし、多くの人々はキリストの許にその悩みを持って行きません。世に、キリスト以外のものに解決を求めています。

教会はキリストの体です。教会はキリストにある全てのものが満ち満ちているところです。「私たち信じる者に力強く働く神の力が、どれほど大きなものであるのか」あなたの目が聖霊によって、今日、はっきりと見えるようになりますように。これこそが、私のリバイバル(霊的覚醒)、教会のリバイバルとなり、そしてこの地域、世界のリバイバルへと広がります。 *田舎町の教会で霊的覚醒を受けた一人の人から始まったリバイバルの証詞

キリストは教会を通してご自身を現されます。キリストの体である教会には、全ての神の祝福が満ちているのです。キリストの体である教会には、力がある!癒しがある!復活がある!救いがあります!はっきりと見えているでしょうか。キリストの体である教会に通って、キリストがはっきりと見えているでしょうか。

イエスの許には多くの群衆が集まって来ました。多くの病人が、悪霊につかれた者たちが、取税人・遊女・罪人、悩める者たちが救いを求めてイエスの許に来たのです。イエスが人々に見られていたからです。教会に集う私たちがイエスを見ないで、誰がイエスを見ることができるでしょうか。

イエスは、「わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりももっと大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです」(ヨハネ14:12)と言われました。不思議なことばです。キリストよりももっと大きなわざを行える人はいません。しかし、キリストの弟子達が全世界へ出て行って、あらゆる場所で、キリストのわざを行いました。これがキリストの体である教会の働きです。キリストは弟子をお選びになって、弟子たちにご自身の権威を委ねられました。ペテロに対しては、天国の鍵を授けておられます。(マタイ16:19)「私はこの岩の上に(ペテロの信仰告白の上に)私の教会を建てよう。陰府(よみ;ハデス)の門もこれに打ち勝つことはない。」(マタイ16:18)

「教会はキリストの体である。」 私たちはこの事実にしっかりと目を開いていただきましょう。

病気になったので教会へ来る。仕事に行き詰まったので教会へ来る。人間関係に悩んでいるので教会へ来る。希望・将来を見失ったので教会へ来る。教会はいっさいのものをもって、いっさいのものを満たすお方が満ちておられるところです。今日もキリストがこの教会に満ちておられます。私達が願うからではなく、教会はキリストの体であり、キリストが満ちておられるところです。今日、そのところに主が私を招いてくださっているのです。

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

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