7月24日(日)礼拝説教全文
「真実の証言者たれ」 出エジプト記23:1~9、13
参照箇所:マタイ18:15~20
証言を曲げてはならない。ゆがめてはならない
神の義=まっすぐ 聖書の(神の)ことば=CANON(定規)私たちの規範・基準・ものさし
本日の箇所に「訴訟において」(:2:3:6)という言葉が3回出て来ます。
訴訟とは何でしょう。日本には4つの種類があります。
民事訴訟=個人間の紛争を解決する。主に財産権に関するもの
刑事訴訟=犯罪が行われた場合の審議と処分
行政訴訟=国を相手にした裁判
憲法訴訟=憲法や特定の法律に違反していないか審議する
訴訟において、当然の事ではありますが正しい裁きが成されねばなりません。裁判では公正と正義が行われなければなりません。
公正=判断や行動で偏ったところのないことです。 天秤が傾いていない 正しい秤 どちらにも偏らない
正義=人としてふみ行うべき道です。(多くの場合は道徳的・倫理的な意味を示します)
約200万人とも言われるエジプトから出たイスラエルの民が、荒野で共同生活をする中で、様々なトラブルが起こりました。又、エジプトを出た異邦人も彼らと共にいました。イスラエルの民は、神の山ホレブの麓で、圧倒的な神である主のご臨在の前に宿営し、モーセを仲介者として、主からの様々な諸問題への裁き・戒め(律法)を受けます。
* アメリカは訴訟大国と言われます。多くの弁護士がいます。2020年の日本が約4万2千人、アメリカは約132万人います。1997年の統計では、民事訴訟において日本は約42万件、対してアメリカは約1567万件です。イギリスやドイツでも約200万件ですので、いかにアメリカは訴訟が多いかわかります。
出エジプト記20章十戒を軸にして、21章~23章、実際に民の中に起こった事件、訴えに、神である主が、モーセを仲介者としてお答えになられた内容を読んできました。民の中に起こった訴え、訴訟に関しての内容ですので、今日の私たちの国でいう民事訴訟・刑事訴訟に相当する内容です。しかし、単に国の法律と違うのは、神である主が裁き、それを律法として書き記したものであるということです。そしてその内容は、「憐み深い主」の憐みに満ちたものであることを読んできました。
本日の箇所は、様々な民の訴え、訴訟における「証人(第三者)」についての内容です。
マタイ18章15節~20節。「どんな願い事でも二人が心を合わせるなら…二人または三人が私の名によって集まるところには…」の箇所です。良く祈祷会などで私達が口にする聖句です。確かに心を合わせて共に祈る時に相応しい言葉だと思います。しかし、この聖句の「二人または三人」のコンテキスト(文脈)とは、「訴訟における証人」を意味しています。一人の訴えではなく、証人も含めて二人、三人という内容です。それを知ります時、祈りの最後に「アーメン(真実です。同意します)」という言葉は、神への訴え、祈りが真実であることを同意するという、訴訟における証言者の言葉でもあると読むことができます。
共に「アーメン」と同意する者は、当然ですが偽ってはなりません。祈りの言葉への証人としての証言だからです。
証言する者は偽ってはならなりません。偽りの証言はどんな大きな罪の結果をもたらすでしょうか。
「偽りの言葉から距離を置かなければならない。罪なき者や正しい者を殺してはならない。私は(神である主は)悪しき者を無罪とはしないからである」(:7)
・ 根も葉もない噂を流してはならない。(:1) 偽りの噂
フェイクニュース。そのニュースを鵜吞みにした偽りの拡大。
今日は情報化の時代ですが、この旧約の時代も、偽りの噂・情報は、真実や公正な判断を曲げてしまう大きな原因になります。今日あるウクライナとロシアの戦争状態において、私達はニュースを観ますが、情報統制・言論統制がどんなに恐ろしいものであるかを感じています。嘘の情報を流すことは、大きな大きな罪です。それがどれだけ多くの人の命を奪い、傷つけるでしょうか。根拠のない、真偽を確かめない言葉、その噂が広がることはどんな大きなリスクを伴うでしょうか。 * トイレットペーパーがなくなるという噂
・ 悪人に加担して、悪意のある証人になってはならない。(:1) 偽りの証言
たとえその悪人が権力のある者、あなたに力ある存在であっても、その悪に加担してはなりません。弱い者をいじめる者に、自分がいじめられないように、強い者に加担することがあります。そしてそれを隠ぺいするような証言をすることがないでしょうか。悪人はその罪が暴かれ、裁かれなければなりませんが、悪に加担する者は、その悪人の働きをさらに大きなものと膨らませることとなります。罪を着せられることの苦痛は、罪を犯して裁かれる以上の苦しみかもしれません。
・ 多数に追従して、悪を行ってはならない。訴訟において、多数に合わせて答弁し、判決を曲げてはならな
い。(:2)圧力による委縮、偽証をしてはならなりません。多数が正しい選択をしているとは限りません。明らかに多数が悪である場合もあります。多数の悪の力に逆らうのは非常な苦しみが伴います。しかし、悪であると知りながら恐れ、倣ってはならないのです。民主主義は多数決が原則となりますが、私達は神主主義であることを知りましょう。神の国に生きる者は、民の意思が反映するのではなく、神の意志が反映する国であり、国民です。ただし、決して間違えてはならないのは神の名のもとに、人による独断・独裁になってはなりません。それは恐ろしいカルトです。
・ また、訴訟において、ことさらに弱い者をかばってはならない。(:3)弱い者の訴訟であるからといって訴訟において偽ってはなりません。弱い立場にある者に、思いやり、憐みの心を持つことが、憐れみ深い神のおこころであることを、主の律法の中で、繰り返し、繰り返し受けて来ました。しかし、弱い立場の者も罪を犯します。訴訟において、過度にかばうものであってはならないことが告げられます。しかし、繰り返しになりますが、弱い立場の者、貧しい者の訴訟の裁きを、貧しさ・弱い立場の故に曲げてはなりません。(:6)
・ 賄賂を受け取ってはならない。賄賂は目の見える人を見えなくし、正しき者の言い分をゆがめるからであ
る。(:8)賄賂を受け取って、証言をしなかったり、偽りの証言をしてはなりません。
正しいことを、善を誰に対しても行いなさい。
敵に対しても、憎む者に対しても善意をもって臨みなさい(:4~5)
もし、あなたの敵の牛が、ろばが迷っていたら、必ずその人のもとに返さなければならない
もし、あなたの憎む者のろばが荷物の下に倒れていたら、一緒に起こしてやらなければならない。
寄留者を抑圧してはならない。あなたがたも(イスラエルの民も)寄留者の気持ちがわかるはずだ。あなたがたもエジプトの地で寄留者だったからである。(:9)繰り返しになりますが、聖書が私達に示す憐みの心を閉じてはならない者。それは寄留の他国人、弱い立場の者(身寄りのない寡婦、親のいない孤児)、貧しい者であることを忘れてはなりません。それは、今の私の人生において、誰のことでしょうか。
これまでの様々な規定のまとめの言葉。
「私(があなたがたに言ったことすべてに注意を払いなさい」(:13a)
クリスチャンはキリストの証人、証し人と言われます。証言に偽りがあってはなりません。
「証言する」はギリシア語でマルチュレオーと言います。同じ言葉で「殉教する」とも訳します。命をかけて証言するという意味です。世の悪、多数の力、間違った情報に加担してはなりません。
先日行われた夏季聖会Ⅱで、鈴木宏子牧師が、ホーリネス教団の弾圧70年に触れてくれましたが、どんな弾圧・迫害・抑圧にも負けることなく、生ける主の証人として、まっすぐな証言を告白していくことができますように。
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