7月31日(日)礼拝説教全文
「主の定められた安息と祭り」 出エジプト記23:10~19
主を前に置き安息を得、主の前に集まり祭りを行う。
安息の規定は、十戒の第4の戒めにある「安息日を覚えて、これを聖別しなさい」(20:8~11)に関するものです。3、7、12、40は神様がよく使われる数字です。7は特に安息に関わりのある数字です。7日目の休日、7年目の奴隷の解放、50年目(49年後)のヨベルの年では奴隷解放・所有地の返却・全ての負債の免除・農地を休ませる安息年、大恩赦の年が旧約聖書に記されています。(レビ25:8~17)
この朝、私達の人生にとって、神の定められた「安息」、「祭り」とは何なのか考えてみましょう。
「安息」も「祭り」も神が私達のために設けて下さったものです。
安息の規定(10~12)
車で走っています時、布団の宣伝する看板が目に入って、とても記憶に残っているものがあります。そこには「人生の三分の一は布団の中」と書かれていました。うまいキャッチコピーだと思います。
睡眠は、私達の体と頭を休める時です。どんな体力のある人でもずっと休まずに活動することはできません。しっかりと休むことは、全ての生ける者に必要です。
7日という起源は、神が6日間で世界を造られた後、7日目に休まれたという記事にあります。ここで知りますのは、私達は疲れて休みますが、神は6日間の創造の業によってお疲れになって休まれたというのではありません。神は「まどろむこともなく眠ることもない」お方です。地球の半分は昼で半分は夜です。私達が寝ている間にお休みになっておられるお方ではありません。又、疲れることを知らないお方です。
では、何ゆえに天地創造の最後の7日目に「神は休まれた」とあるのでしょうか。それは神である主が、ご自身の創造された世界に「安息」を与える為にです。そしてこの日を祝福し、聖別されたとあります。造られた世界の為に「安息」を設けられたのです。神の創造の7日間は「光」にはじまり「安息」に終わっています。(しかし、神の安息への招きは今も続いています)神である主が、ご自身の創造された世界に「光」を照らし、「安息」をお与えになることはみこころであり、「光」と「安息」が大きな神の祝福である事がわかります。
「疲れ」を覚えない者はいません。しかし、主は私たちのために「安息」を設けられました。
6年間の種まきと収穫、7年目には土地を休ませる。7年目、自然に出来上がった収穫物は民の貧しい者が食べ、その残りを野の獣が食べることができる。又、6日間仕事をし、7日目は休みなさい。牛・ろば、女奴隷の子、寄留者が一息つくことができるとあります。
何の為に安息日があるのでしょか。
人が神の祝福と聖別を受け、しっかりと安息を得る為にです。
イエスの言われました「安息日は人のためにあるのであって、人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある」(マルコ2:27)」「私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」(マタイ11:28)(休むの語源=張った弦を緩める)
ヘブル人への手紙には、神の安息は残されていて(続いていて)、それは最終的には天の御国であり、イエスを信じる者に与えられることが記されています。(ヘブル人への手紙3:7~4:11)
皆さん、知って下さい。主イエスのもとに「安息」があります。安息日は人のために、又全ての被造物(天地も全ての家畜・生き物も)のために神が設けられたものです。そして、イエスの許で私達の受ける休みは「魂の安らぎ」です。表面的なものでなく、心の奥底にまで至るものです。どうしてイエスの許に、主なる神の許に、この世では得る事のできない「安息」があるのか。神である主は、私達の創造者だからです。造って頂いた方の許で、錆びついてギスギスした私たちの心の細部までも潤滑油を注いでいただき、全身全霊オーバーホールしていただくのです。 * イエスは私の整備士(メカニック)と証していたバイク好きの青年。
祭りの規定(14~17) 主の前に出る(:17)
(並行箇所 出エジプト記34:18~26)
* 日本でも古くからの大きなお祭 京都祇園祭 大阪天神祭 東京神田祭 日本全国各地に祭りがおこなわれています。
祇園祭=(八坂神社)平安時代に流行った疫病 疫病を鎮める祭
天神祭=(大阪天満宮)汚れを祓い清める無病息災を祈願する祭
神田祭=(神田明神)戦勝祈願の祭から 神輿を担いだり、山車を引いて厄除け、無病息災を願う祭
称え奉る、褒め奉る 奉る(たてまつる) 奉るは祭ると同義語です。
祭りには、「神を崇める」「神に収穫を感謝して奉納する」「神に祈願する」意味があります。神の御許に人が集まり、収穫感謝をもって喜び、災いから逃れることのできるように祈願するのです。
聖書の言葉から言うと、「神である主を神として崇め、主を目の前に置くこと」「神である主に、収穫物を感謝を持って献げること」にあります。
祭りは、崇拝とささげものをするの意味合いが強く、その本質は「神との交わり」。感謝と喜びです。
主の定められた年に3回の祭りとは何でしょう。
旧約 新約
過越しの祭(除酵祭=種なしパンの祭り) 春 十字架の死と復活
七週の祭り(初穂を捧げる刈り入れの祭り)初夏 聖霊降臨
仮庵の祭(畑から労働の実りを取り入れる祭り)秋 降誕・再臨
キリスト教会で行われる三大行事
クリスマス(降誕祭) イースター(復活祭) ペンテコステ(聖霊降臨記念日)
「年の終わりに(16)」の示す月日は12月のことではありませんが、図らずも年の終わりに私達はクリスマスを祝っています。イースターは過越しの祭の時期ですし、ペンテコステはそれから50日目(7週間後)の七週の祭の時期となります。
イスラエルの人々にとって、エジプトの奴隷生活から救い出されたことを記念する「過越しの祭り」が最も大切な祭りであるように、私達にとりまして、十字架と復活を記念する日は、最も大切な祭りです。主イエスは、最後の晩餐の席で、パンとぶどう酒をもって「これを記念として行え」と言われましたが、私達は罪の奴隷生活から救われた者として、いつも私たちの罪の為にご自身の命をその代償として献げてくださった、主イエス・キリストの十字架を見上げます。それは、自らの罪を悔いて嘆くときであると同時に、死と滅びから救い出された喜びの時であります。
「わがたましいよ、主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」(新改訳 詩編103:2)とありますが、私達は祭りを行う事によって、生ける主が今も私に、私達に良くして下さったこと(過去)、して下さっていること(現在)、して下さるであろうこと(約束)を忘れてはならないのです。
祭りにおける献げ物の規定(:18~19)
全ての汚れ・罪・無情を除き去りなさい。全き献げ物。
最良と最良でない、清さと汚れ、命と死
いけにえの血と種入りパンと共に捧げてはならない。
祭りのいけにえの脂肪を朝まで残しておいてはならない。
初穂の最上のものを、あなたの神、主の家に携えて来なさい。
子山羊をその母の乳で煮てはならない。(出エジプト記34:26、申命記14:21)
諸説あり 古代のカナン文化の異教の習慣で「雨ごい」の儀式であった。
無情な行いをするなという戒め
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