8月21日(日)礼拝説教全文

「神の指で書かれた石の板」 出エジプト記24:12~18 31:18

先週のまとめ

神である主の臨在の山ホレブの前で、イスラエルの民は神である主のことばと律法を受け、信仰告白をもって応答します。「主が語られた言葉をすべて行います」。雄羊の血が祭壇と民に降り注がれ「血による契約」が結ばれます。イスラエルの民は神である主の前で会食をします。

本日のメッセージの内容に入る前に、出エジプト記の今後の大まかな流れをお話しします。

出エジプト記の史的記述は、以後残りの内、3章(32章~34章)にとどまり、それ以外は幕屋の建設に関わる内容となります。

実に幕屋に関しては、13章の分量となります。幕屋建設の主の指示(25章~31章)が7章、幕屋建設の民の準備と建設(35章~40章)が6章に渡ります。出エジプト記を通読した人に、出エジプト記を読んで、どこが大変だったか聞きますと、多くの人が「幕屋の建設に関する内容」と答えます。

私にとっても悩み所です。幕屋建設についてどのように区分して説教していけばよいのか、是非、主からの良い示唆が与えられるように祈って頂ければ幸いです。

1、主が律法と戒めを書き記した石の板(:12)

主は再びモーセに、山に登り、神である主のもとに来るように命じられます。それは、神ご自身がその指で律法と戒めを書き記した石の板を授ける為でした。

32章15~16節には、「モーセが山から下りた時、その手には2枚の証の板があった。板には文字が書かれており、表にも裏にも両面に文字が書かれていた。その板は神の作、文字は神の文字で板に彫られていた。」とあります。

モーセは、神である主から直接聞いたことばと律法を、羊皮紙、又はパピルスの紙に書き記しましたが、ここでは、神ご自身が切り出された石に律法を書かれます。石の板には十戒が記されました。(申命記10:4) 2枚の石板ですので、以前お話しした、神に対する戒めと人に対する戒めがそれぞれに書かれていたかも知れません。モーセが両手に抱えて持ち帰りましたので、大きさや重さも想像する事ができます。目に見えない神のおことばを、目に見える形で、主がモーセとイスラエルの民に与えられたことは特別なことであります。

主イエスの生涯を福音書から読みます時、主イエスが文字を書かれたという記事は一度だけ出て来ます。ヨハネ8章、姦淫の現場を取り押さえられた女がイエスの前に引き出された出来事の中です。「イエスはかがみ込み、指で地面に何か書いておられた」(ヨハネ8:6、8)。とても興味深い記事で、何をイエスが書いておられたのか、御国に行った時にお尋ねするしかありませんが、十戒ではなかったかという聖書学者も少なくありません。十戒の前には人は誰でも自分の罪を言い逃れることはできません。神のことばは、私達の心の板にも記しておくべきです。(第二コリント3:3)

2、従者ヨシュア

モーセは主が命じられたとおりに山に登りますが、従者としてヨシュアを連れて行きます。以前、エジプトを脱出したイスラエルが、間もなくしてアマレクと遭遇して戦った時、隊を率いたのがヨシュアです(17:8~15)。モーセがヨシュアを連れて行ったことは、既に彼がモーセの後継者として導かれていたことがわかります。ヨシュアはエフライム族です(民数記13:8)。モーセの後継者は、モーセの子供たちでも、祭司アロンの子供たちでもありません。主はご自身の御目に適った者を選ばれます。

ヨシュア記の1章に、主のヨシュアに対する力強い励ましの言葉がありますが、きっとイスラエルの人々の中にはモーセの後継者としてヨシュアが立つことに不満のある者もいたことでしょう。

モーセは、70人の長老たちに自分が山から戻って来るまで待つことを命じ、自分の留守中アロンとフルが民を裁くようにと彼らに託します。しかし後に、モーセがいない間に大問題が起こります。

3、主である神との深い交わり(40日40夜)

モーセが山に登ると、雲が山を覆い、6日間に渡ります。

主の栄光がシナイ山に宿ります。

7日目に、主が雲の中からモーセに呼びかけられます。

山の麓にいるイスラエルの民が山を見上げると、主の栄光は、山の頂を焼く火のように見えます。

モーセは主の臨在を表す雲(主が臨在される雲)の中に入って行きます。

40日40夜、モーセは主の山にいて、主と会見します。

「7日目」に注目しましょう。神である「主の臨在は日々にあり」でありますが、7日目に主がモーセに呼びかけられるまで、モーセは6日間待っていました。「7日目」は主の聖別・区別された特別な日であることがわかります。安息日を聖別するのは、主との会見の日であり、神が親しく、近く、私達と交わってくださる時だからです。神の律法は、「7日目」を聖別すべきことを、繰り返し教えています。

「40日40夜」に私たちの目がとまります。ノアの洪水は40日40夜ですし(創世記7:4)、イスラエルの荒野の放浪期間も40年ですし、エリヤが神の山ホレブまで歩いたのも40日40夜(列王記19:8)、イエスの荒野での試みの期間も40日40夜です(マタイ4:4)。モーセの生涯も40年の王宮、40年の羊飼い、40年のイスラエルの主導者としての荒野における生涯を見てきました。40は、何かを始め、何かを終られる神の御計画の数字であることがわかります。

モーセは40日40夜、神との深い交わりの中に入れられます。実はもう一度モーセは神の山ホレブで40日40夜を過ごすことになりますが、二度目の40日は、断食と悔い改めと執り成しの40日間となります。

喜びの日も、憂いの日も、神である主は私達と深く交わり、見捨てず、離れず、共にいてくださいます。それが神の愛であり、愛と憐みに満ちた私達の主です。

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

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