8月28日(日)礼拝説教全文
「良い羊飼いイエス」 ヨハネ10:11 -命を捨てる(:11、15、17,18)-
世界の国々には、その国の代表者・指導者がいます。
ロシアはプーチン大統領、ウクライナのゼレンフスキー大統領、アメリカのバイデン大統領、中国の習近平国家主席、北朝鮮の金正恩総書記、日本の岸田文雄総理大臣…
会社には社長がいますし、学校には校長がいます。それぞれの社会の中にリーダー、指導者がいます。
良い指導者のもとでの生活は麗しいものとなりますし、悪い指導者の下での生活は困難なものとなります。
イエスはご自身を「わたしは良い羊飼いである」と言われます。
羊を導き、養い、守るのが羊飼いの働きです。良い羊飼いと悪い羊飼い(強盗・盗人)について話をされています。
ここでイエスの言われる強盗・盗人は、当時の宗教的指導者を指しています。イエスは当時の指導者に対して「彼らは盲人を手引きする盲人である。盲人が盲人を手引きすれば、二人とも穴に落ちてしまう」(マタイ15:14)と言われています。
聖書の背景によく「羊飼いと羊」が出て来ます。アブラハム、イサク、ヤコブは牧羊の仕事をしていましたし、モーセも、ダビデも元羊飼いです。羊は聖書の時代のユダヤの日常生活の中にいる身近な動物です。
彼らは羊の習性を良く知っています。羊は時々、弱く愚かな動物に例えられます。
羊は帰省本能がありません。迷子になります。
羊は近視眼の動物です。牧草を見つけ出すことができません。
羊は外敵に対して臆病で、強くありません。
(ただ、耳はよく、声を聞き分ける、と4節に書かれています。)
迷いやすく、飢えてしまう、弱い羊には、羊飼いが必要です。
さて、イエスは羊の話をしようとしているのではありません。人は羊に似ています。迷いやすく、飢えやすく、弱いのです。私達は導き手、養い手、守り手が必要な存在であるということです。
聖書を通して、自分はそうだと自覚できる人は幸いです。
自分にはそのような者は必要ない、と言う人は、自分で何もできなくなった時にそれを自覚するでしょう。
誰が親身になって(命をかけて)私を導き、養い、守ってくれるのでしょうか。
今一度、あなたにとって、そのような人は誰か、そのような存在がいるか、を考えてみてください。
あなたが羊のような存在であると言うなら、誰があなたの羊飼いなのでしょうか。
イエスは「私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」と宣言されます。
* エゴー・エイミー(確固たる神聖な宣言のことば 「私はあるという者だ。」 出3:14)
私達の導き手イエスは、私を義の道、正しい道に導かれます。
私達の養い手イエスは、緑の牧草地を与えられます。私達は飢えることなく、満ち足り、喜びと感謝が溢れます。日々に生きる新しい力を与えていただきます。
私の守り手イエスは、悪しきものから、全ての災いから守ってくださいます。どんな闇も、たとえ「死」でさえも私達は恐れません。イエスが共にいてくださるからです。 * シャローム(神が与えてくださる平安)
私達の救い主イエスは、豊かに命を与えられます。永遠の命、御国を与えられます。
今日、イエスが私達の先頭に立って、声をかけ、呼んで下さいます。「わたしについて来なさい」
私たちはウクライナとロシアの為にも祈りの手を上げていますが、この混沌とした世界で、全ての者が、主イエスの御声を聞き、そして従いますように。
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