9月11日(日)礼拝説教全文
「私は彼らの中に住む」 出エジプト記25:1~9(25章全体から)
-幕屋建設の指示①-
前回のまとめ
モーセは神の山ホレブで、40日40夜、神である主に会見します。モーセは神である主と深く交わります。
そして、神である主の指で十戒(申命記10:4)が書かれた石の板を授かります。イスラエルの全ての民はモーセが山から戻って来るのを待っています。もしかすると、数日で戻ってくると彼らは思っていたかも知れません。これが原因で後に大きな問題が起こります。
律法の石の板を授けた後、主はモーセに幕屋の建設の指示をされます。モーセが25章~31章にわたってこれを正確に書き記したとなると相当の期間が必要であったと思います。
主は、ご自身のために奉納物を準備するように言われます。奉納物は金をはじめとする金属、糸、動物の毛や皮、木、油、香料、宝石などです。何故、主はこのような奉納物を望まれるのでしょうか。主は金や宝石を必要とされるお方ではありません。これらは幕屋や祭司の衣装などの材料として使われるためです。
奉納物にしても、動物や穀物の献げ物にしても、主はそれ自体を必要とされていません。必要としておられるのは私達であり、主は私達の主への献身と服従(愛と畏敬)の心を求めておられます。
主への献げ方は、「心から進んで献げる」(:1)が大事です。 ポイント1
「いやいやながらでなく(惜しむ心からでなく)、強いられてでもなく、喜んで…」(第二コリント9:7)であります。
繰り返し言いますが、神は献げ物それ自体を求めておられるのでないことを知ってください。神への感謝と喜びをもって献げます。そして、それは最上、最良の物をもって表されます。
幕屋(幕屋の中に聖所と至聖所があります)の建設を主は指示されます。主が幕屋の建設を指示されるそのおこころ・目的は、「私は彼らの中に住む」ためです。主はご自身の民と、共に住まわれることを望んでおられます。驚くべき内容です。人がどのような宮を作ったとしても、神がお住まいくださるに相応しい建造物はありません。
パウロは、ギリシア神を祭る神殿が多くあるアテネで、人々にこのように説教しています。(使徒行伝17:24~25)
しかし、主は「彼らの中に住む」とおっしゃってくださるのです。主イエス・キリストの降誕の出来事も、ひとつはその神のおこころを示しています。神の名、その名はインマヌエル。「神我らと共にいます」という意味です。
新約に生きる私達にとって聖書にあります幕屋の歴史は、幕屋→神殿→会堂→教会となります。教会の本質のひとつは、主が「彼らの中に住む」とおっしゃって下さった「会見の幕屋」です。
聖書を通して知る「主が彼らの中に住む」霊的な祝福は、
〇 キリストの体である「教会」に主はご臨在下さる。
〇 そして、教会は、建物だけでなく、そこに「集められたキリスト者たちですので、私達の間、共同体の中に」主はご臨在下さる。
〇 そして、私達はキリストの体の部分ですので、「私達を主の宮として、私達の内にも」主はご臨在(お住まい)下さいます。
私達は私達の心の宮の王座に、いつもイエス・キリストをお迎えします。 ポイント2
* いつも同じことばでお祈りしていた兄弟の証詞
本日の聖書箇所解説
主の臨在のしるし
契約の箱(:10~16)と贖いの座(箱の蓋の部分)(:17~22)の設計
材料はアカシヤの木で、重厚な、堅く、とても腐りにくい木材です。
アカシヤの木で、横125センチ、縦75センチ、高さ75センチ(1アンマを50センチとして)の箱を用意し、純金で覆い、上の蓋の部分には2体の純金の天使(ケルビム)が羽で箱を覆い隠すようにして向かい合わせて設置されます。これは贖いの座と呼ばれる部分です。担ぐ神輿というものが日本にありますが、その様相は神輿に似ています。
契約の箱の中身については、最も重要な物は十戒が記された石板、アーモンドの芽を出したアロンの杖(民数記17:23)、マナの入った金の壺(出16:33~34)が入れられます。
参照:ヘブライ人への手紙9章1~
三種の神器という言葉を想像しますが、どれも、生ける力ある神が、ご自身の民を愛し、導き、養って下さる証拠の物です。
備えのパンを置く机(:23~30)の設計
主はパンを食することを望まれるのでしょうか。いいえ、違います。会食を通して私達と交わることを望んでおられます。
金の燭台(:31~40)の設計
燭台は幕屋の中を照らす物です。本来は神である主ご自身が、私達を照らす光です。私達の生命の源は主であり、私達は油注がれた者として、神の御光をいただき、世を照らします。
百聞は一見に如かず。その模型となっている写真を見て、どのようなものを主が作れと言われたか確かめてみましょう。
これらは幕屋の聖所・至聖所に設置する物です。
神である主は、人をご自身と交流する(交わる)者としてお造りになりました。他の動物になく、人にだけ宗教心が備わっています。宗教心とは、別の言葉でいうと、神との接触・交信・崇め・教えをいただくことを意味します。どうして人はそのような「神のかたちに」特別に造られたのでしょうか。神ご自身が「人と共に住む」ことを願われるお方だからです。
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