9月18日(日)礼拝説教全文
「隔てを取り除く十字架の贖い」出エジプト記26:31~37(26章全体から)
-幕屋建設の指示②-
前回のまとめ
先週の礼拝は幕屋建設の指示についての第一回目でした。幕屋建設の目的は、恐れ多いことでありますが、「私は彼らの中に住む」(25:8)と仰る神である主のおこころによるものです。それは、神の臨在の山ホレブから約束の地カナンに向かって、荒野を旅するイスラエルの民と、主ご自身が共に行ってくださる事を意味します。幕屋は移動式の神の宮、神殿ということになります。
前回は、民が進んで献げる献納物をもって、幕屋の中(聖所・至聖所)に置く契約の箱、箱の上部に置く贖罪の座、備えのパンを置く机、金の燭台について、その形や大きさ、設計の内容を聞きました。
本日は幕屋全体を囲む骨組みと布や皮を使って作る天幕部分についてです。
「このように、あなたが山で示された設計に従って幕屋を建てなさい」(:30)と主が言われたように、全ての設計は主によるものであることが分かります。
材質と寸法についてですが、前回説明をしなかったかと思いますが、アカシヤの木は、重厚な、堅く、とても腐りにくい木材です。現在でも建築資材に使われる木です。
寸法の「アンマ」は、新改訳では「キュビト」で、成人男性の肘から指先までの長さで、約45~50センチとなります。
木材で骨組みを作り、それを布や、動物の皮や毛で覆ったテントである事がわかります。私達の教会でも昔、天幕集会を行いました。
聖所(天幕)を覆う幕(:1~14)
聖所を覆う幕は4重構造でした。
先ず、上質の亜麻布で覆います(:1~6)…意匠を凝らして美しい様々な糸でケルビムが織りなされた布
その上にやぎの毛(:7~13)
そしてその上に赤くなめした雄羊の皮(:14)
一番上にじゅごんの皮…「アザラシの皮」(:14)
天幕の骨組みとなる壁板(:15~30)
アカシヤの木の壁板 縦(高さ)10アンマ(5m) 横1.5アンマ×20=30アンマ(15m)東西の壁板 横1.5アンマ×6+隅の板2枚=10アンマ(5m)南北の壁板 … 入り口は東側
天幕は直方体の移動構造物
壁板を据えるための銀の台座(:19)
参照:出エジプト記40:17~19
「(銀の)台座を据え、壁板を置き、横木を渡し、柱を建て、幕屋の上に点幕を広げ、天幕の覆いをその上にかけた。」
聖所と至聖所を分ける垂れ幕(:31~35)
意匠を凝らしてケルビムが織り込まれた上質な亜麻布で垂れ幕を作り、聖所と至聖所を分けます。(:33)
至聖所には契約(証し)の箱と贖いの座(箱の上部に置くケルビムが向かい合った蓋)が置かれます。
聖所には、備えのパンの机を北側に、燭台は南側に置かれます。
天幕の入り口の仕切りの幕(:36~37)
東からの入り口に、5つの青銅の台座にアカシヤ材の柱を据え、刺繡のなされた上質な彩られた亜麻布の仕切りの幕をかけます。
天幕のこれらの資材は、あらかじめ用意されて、イスラエルの民が移動する度に持ち運んだことがわかります。 *日本の祭りのために資材などを保管して、出しては建て上げるようなもの
天地の創造主なる神が、これらの幕屋の設計をなされたということは、とても感慨深いものがあります。建築家には建築家なりのこだわりがあると思います。材質も構造についてもそうです。
天幕の外観は、とても見栄えのするものではありません。最終的に幕屋の一番外側は灰色のじゅごんの皮で覆われています。しかし、内側はとても厳かなものです。
幕屋の向きは東西に長い長方形で、入り口が東側にあるというのも指定されています。
本日私達が注目したいのは、天幕の内側、聖所と至聖所の垂れ幕についてです。
天幕の入り口も仕切りの幕がありますが、さらに奥に別の区画・至聖所があって、その前は垂れ幕で仕切られています。聖所の外の庭(27章)には祭壇と洗盤(30:18)が設置されます。外庭にも仕切りが成されますが、天幕に入る者は、罪の贖いの全焼のいけにえをささげ、そして手と足を洗って、罪・汚れを取り除いた後に入らなければなりません。又、契約の箱のある至聖所には、後には大祭司が年に一度しか入ることが許されません。
天幕(神殿)の構造は、『聖なる神である主に近づく』ために、その身を清めて後、主に近づき、会見せよ、という順序があります。
神である主は「聖なる神」です。罪・汚れあるままでは神に近づくことはできません。
神の山ホレブにおいても、境界線を設けて、民が入ることのないようにされました。それは死ぬことのないためです(19:12,13)。罪ある者は、そのままでは神の前に立つことはできません。必ず死ぬのです。
そのような面から神である主を見ますと、罪ある私たちにとっては恐るべきお方です。
それゆえ、罪ゆるされ、清められた者は、なんと幸いでしょうか。
イエス・キリストが私達の住むこの地に降りて来て下さったのは何の為でしょうか。
私と神を隔てるこの垂れ幕を除き去る為です。
その為には、罪が完全に贖われなければなりません。
イエス・キリストが十字架で息を引き取られる時、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けました(マタイ27:50~51、マルコ15:37~38、ルカ23:45)。3つの福音書がキリストの十字架について重要な、事実あった出来事として記しています。主が作れと言われた、神と罪ある私達を隔てる垂れ幕を、神ご自身が裂かれたのです。
聖所に入る前に、多くの動物の生贄がささげられました。手足を何度も洗い清め、備えをして主に会見しました。
今私達は動物を裂いて血を注ぎかけたり、全焼の生贄をささげたり、手足を洗って会堂に入ったりすることはしません。ただ一度ささげられた傷の無い、罪のない神の小羊イエス・キリストの贖いによって、私達は聖なる者とされるのです。 ヘブル10:10~14
イエス・キリストによって、キリストの名を掲げて、私達は神の憐みによって大胆に神に近づこうではありませんか。
0コメント