9月25日(日)礼拝説教全文

「灯を絶えずともしなさい」出エジプト記27:20~21(27章全体から) 

-幕屋建設の指示③-

前回のまとめ

先週の礼拝は幕屋建設の指示についての第二回目でした。幕屋建設の目的は、繰り返しになりますが、「私は彼らの中に住む」(25:8)と仰る神である主のおこころによるものです。それは、神の臨在の山ホレブから約束の地カナンに向かって、荒野を旅するイスラエルの民と、主ご自身が共に行ってくださる事を意味します。幕屋は40年間、イスラエルの民が荒野を移動中、民によって持ち運ばれました。

25章、26章で、これまで神である主が作るように命じられた物は、幕屋の中(聖所・至聖所)に置く契約の箱、箱の上部に置く贖いの座、備えのパンを置く机、金の燭台。又、聖所・至聖所となる幕屋の骨組みとその上を覆う天幕についてでした。又、幕屋の中に仕切りを設け、聖所、至聖所を分け、どの場所に何を置くかが指示されています。

幕屋の外に置く祭壇(:1~8)

これは全焼の生贄を捧げる為の祭壇です。ここで罪の贖いの為の動物が数多く裂かれ、動物の血が流され、祭壇で焼かれました。燃やし尽くした薪と動物の灰が下に落ち、しっかりと片付けられる構造になっています。それは青銅の網細工の格子が祭壇の棚の真ん中あたりの高さに付けられていて、今日私達がバーベキューで網焼きに使われるものにも似ています。

この祭壇は、契約の箱や、備えのパンの机と同じように、4つの青銅の輪が付けられ、そこに棒を通して担いで持ち運べる形になっています。

天幕を囲む庭(:9~19)

天幕を囲む庭の大きさは縦50アンマ、横100アンマ、高さ5アンマ(27:18)で、1アンマを50センチとして換算すると、縦25m、横50m、高さ2.5mとなります。9レーンある50mプール位の大きさです。一度に群衆が入れる大きさではありません。

東西には20本の柱と、南北には10本の柱が青銅の台座の上に立てられます、そこに掛け幕が付けられていきます。西側は10本の柱と10の台座が取り付けられ、そこにも掛け幕が付けられます。

庭の東に面する門の仕切り幕(:16)

これまで至聖所に入る為の仕切り幕、聖所に入る為の仕切り幕について読んで来ましたが、さらに幕屋のある庭に入る為の門にある仕切り幕についても記されています。この幕も上質な亜麻布で豊かな彩りの糸で織りなされた幕です。先週の礼拝でお話ししましたように、『聖なる神である主に近づく』ための構造になっています。

燭台に使う油の用意(:20~21)

オリーブの実を砕いて採った純粋な油を用意します。

この油は聖所に置かれた燭台にともしびをともす為の油で、この灯は絶えずともし続けていなければならないものです。灯(ともしび)が夕方から夜明けまで消えないために、油を足し続ける仕事がアロンとその子孫に、祭司の務めとして託されました。「これはイスラエルの人にとって、代々にわたって守るべきとこしえの掟である」(21)と定められました。 レビ記24:1~4参照

「神は光であり、神には闇が全くない」とありますが、神が臨在される幕屋が闇で覆われることはありません。常に神の御光が幕屋の中を、又、人々を照らし続けます。

金の燭台の設計の時にもお話ししましたように、全てを照らす神である主の御光が、主ご自身であることがわかりますが、ここで注目されていますのは、灯をともし続ける為の油、それは「純粋な油」です。「純粋な油」を準備し、灯を主の前に整えることです。

「油」は聖書の中では、「聖霊」を象徴しています。

また、「油」は明かりを絶やさない為の油であると同時に、任職の油でもあります。イスラエルでは、王と祭司と預言者が就任する時に、油注ぎの儀式が行われます。神の霊、聖霊が注がれて、その使命を全うすることができるために、神は力と知恵を与えて下さいます。

油を絶やしてはいけない。人が神の栄光を表す為に必要なのは、「油」です。「聖霊」が注がれ、「聖霊」に満たされる人こそが、神の栄光を人々に表すことができます。又、「聖霊」によらなければ、人はキリスト者としてキリストの輝きを放つことはできません。

マタイ25章1~13では、イエスが話された「灯をともす10人のおとめ」のたとえ話があります。花婿を迎える為に灯をともし続けていなければならない時、賢い5人のおとめは、油を別に用意していたとあります。灯は信仰の灯であり、油は聖霊です。私達の生涯において、キリストを信じて神の御国まで到達する為に必要なのは、最後まで聖霊を絶やしてはならないということです。

神に信頼し、祈り、そのおこころに従い、ほめたたえる者に、神は聖霊を注いでくださいます。神の力に満たされて、神による守り、支え、力を感じて生きる事のできる者は何と幸いでしょう。そのような者は自分の力を過信したり、偉ぶったりしません。いつもへりくだって、謙虚な心で神に向かい、人に向かいます。

「聖霊に満たされ続けなさい」。聖霊はどこにでもそのおこころのままに吹かれる風のようなお方ですが、好ましいところに吹かれます。自分の生活の中で、どのようなところに、どのような思いや心に聖霊が来て下さるか、自らを吟味したいと思います。

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

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