10月23日(日)礼拝説教全文
「主に献げるかぐわしい香り」 出エジプト記30:1~10 :17~21
(30章全体から)
参照:第ニコリント2:14~15「…私たちは、神に献げられるキリストのかぐわしい香りだからです。」
出エジプト記25章「幕屋の建設の指示」(聖書協会共同訳聖書見出し)の中から幕屋の聖所・至聖所、幕屋を置く内庭の建設、続いてその中で祭儀を司る祭司の祭服(28章)、7日間の祭司の任職式(29章)について、礼拝で読んできました。幕屋の建設、全ての祭儀を命じられる主のご目的は、何度も礼拝の中で話してきましたが、「私は彼らの中に住む」(出エジプト25:8)ためです。
想像しますと、幕屋の内庭では、多くの動物が屠殺され、焼き尽くす祭壇で焼かれ、穀物や油なども焼かれ、様々な匂いがしていたと思います。最も内庭で匂っていたのは、動物や穀物の焼かれる香りであったと思います。
主は幕屋の聖所に置く、香をたくための祭壇の作成を命じます。
1、香をたく祭壇(:1~10) 2つめの小さな祭壇(幕屋の聖所)
* いけにえの祭壇は2.5m×2.5m×1.5m (1アンマ50㎝とすると)
アカシヤ材で縦50㎝×横50㎝×高さ1mの正方形の祭壇を作り、焼き尽くす祭壇と同じく四隅に角を取り付け、全てを純金で覆い、縁飾りを付けます。運ぶことのできるように両側面に金の輪を付けます。
そしてこれを、聖所に、至聖所を隔てる垂れ幕の前に置きます。
アロンはこの祭壇でかぐわしい香を朝に夕にたきます。
* この祭壇では、規定(:34~35)外の香、又、動物・穀物・注ぎの供え物は献げてはなりません。
この小さな祭壇にも、その角に年に一度「贖いのための清めのいけにえの血」が塗られ、この祭壇も主の最も聖なるものとなります。
「朝に夕に献げる香を焚く」という行為にはどんな意味があるでしょうか。
2、人口調査と命の贖い金(:11~16)
貧しい者も富める者も銀半シェケル(=銀5g…100円玉(4.8g)とだいたい同じ)。 会見の幕屋の為に使うお金です。半シェケルは決して多額ではありません。
命の贖い金が納められる目的は何でしょう。
・常にイスラエルの民は、エジプトの奴隷生活から主が買い取った(贖いだされた)者であることを、全ての民が覚えるためです。
・災いが起きないようにするため(人の誉れに傾きやすい人口調査に神の災いが臨むことが聖書の中にある)です。これらの献金は、幕屋の建設資金などに使用される。
3、洗盤(:17~21)
幕屋の内庭に設置する最後の祭具となります。
幕屋の入り口と焼き尽くすいけにえの祭壇の間に、足つき洗盤を青銅で作って置きます。
この洗盤で、幕屋の中(聖所)に入る時、又、内庭の祭壇で焼き尽くすいけにえを献げる時、毎回、手と足を洗います。「彼らが死ぬことのないため。代々にわたって守るべきとこしえの掟」とあります。ユダヤでは手を洗う、足を洗うというのは、消毒や清潔の為という意味合いよりも、神の前に清められて、という意味の行為です。
4、香油の調合(:22~33) 一つ目の香油 1シェケル=約10g 1ヒン=約3.7L
契約の箱と全ての祭具、アロンとその子らに注ぐための「聖なる注ぎ油」です。
液体の没薬(樹液)5kg、香りの高いシナモン2.5kg、香りの高い菖蒲2.50kg、桂皮(樹皮)聖所のシェケルで5kg、オリーブ油3.7Lを調合します。かなり多い量であることがわかります。
この「聖なる注ぎの油」は、会見の幕屋、契約の箱、供えのパンを置く机、燭台、香をたく祭壇、焼き尽くすいけにえの祭壇、洗盤とその足、全ての祭具に注ぎます。そして、アロンとその子らにも、この油を注ぎます。
これは祭司に注がれ、一般の人に使用してはなりません。また、この調合は一般に使用するものとして作ってはなりません。
祭壇でたくための香料の調合(:34~38)
聖所の中でたく香料の調合方法です。
ナタフ香(自然に分泌した樹液)、シェヘレト香(貝殻)、ヘルベナ香(葉)、純粋な乳香(木を刺し通して採取する樹液)、全て同量を調合。それに塩を加え「純粋な聖なる香料」を作ります。その塊を砕いて粉にして、これを、香をたく祭壇でたきます。これと同じ調合をして香料を一般に作ってはなりません。
祭司の香をたくという行為は、神にかぐわしい香りを捧げるということですが、今の私たちにとって、どのような行為にあたるのでしょうか。
・ かぐわしい香りは 主に献げる祈り(感謝)です。
詩篇141:2「私の祈りがあなたの前に香として供えられますように。高く上げた両手が夕べの供え物となりますように」
・ かぐわしい香りは 主に献げる賛美(喜び)です。
黙示録5:8~9
・ かぐわしい香りは 主の前に生きる私の心と生活(ことばと行為)です。
パウロは「私たちは、神に献げられるキリストのかぐわしい香り」であると言います。第二コリント2:14~15を読んでみましょう。悪臭の放った歩みでなく、かぐわしい香りを世に、人々に放つ生活を、聖霊を受けて歩みたいと願います。
私たちの賛美を(ヘブル13:15)、感謝を(詩篇50:14)神へのいけにえ、神へのかぐわしい香りとして朝に夕に、日々献げて歩んでいきましょう。
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