11月6日(日)礼拝説教全文

「見よ、私はすぐに来る」 ヨハネの黙示録22:12~14

世界の状況は刻々と変化しています。ひとつの禍、疫病が世界に大きな変化を与えました。又、2度の世界大戦後、今回のウクライナとロシアの戦争は、世界に大きな分断を与えようとしています。自然災害も世界中で頻繁に起きています。

私たちは、イエスが言われた「世の終わりの前兆・患難」(マタイ24、マルコ13、ルカ21章)に心を留めます。偽メシア・偽預言者、戦争と戦争の噂、民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、飢饉、大きな地震、疫病(ルカ)が起こります。これらは歴史の中で何度も繰り返されていますが、それを生活の中で肌身に感じる時には、「人の子が力と大いなる栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。」(マタイ24:30~31、マルコ13:26~27、ルカ21:27~28)と言われるイエスの言葉を強く覚えたいものです。私たちはそのような時、そう今こそ「身を起こし、頭を上げて」主の再び来られる準備をするべきです。「あなたがたの救いが近づいているから」です。「その日、その時は、誰も知りません。」(マタイ24:36)

私の人生には始まりがあり、終わりがあります。目に見えるものは必ず終わりがあます。永遠に続くものではありません。聖書は、私たちの世界は永遠に転生する、輪廻するようなものではないことを伝えています。世界には始まりがあり、そして終わりがあります。

世界の終わり、私の人生の終わりを私達はしかと自覚するべきです。

私たちは近年、大きな地震を二度も体験しました。「死」という事実が、私の将来に必ずあるとするならば、それに備えないというのは、非常に愚かなことではないでしょうか。そして、それに備える道を、聖書は明確に私たちに伝えています。

黙示録概要

パトモスへ流刑された主イエスの弟子のヨハネは、晩年そこで幻・ビジョンを神である主より観せられます。

黙示録には、世の終わり(終末)の預言が記されています。

この手紙が書かれた目的は、ひとつは迫害・患難の中にあるクリスチャンに対する励ましです。

大きな患難の中にあって、イエスを信じ、聖書のみ言葉を信じて、耐え忍び、待ち望むことを勧めています。待ち望むのは、主イエスが与えて下さる新しいからだへの復活、永遠の命です。又、主イエスの再臨であり、新しい天と地、神の国(天国)の到来です。 

「新しい天と新しい地」21~22章

「最初の天と最初の地は過ぎ去り、もはや海もない。」(21:1)とあります。この私達の住む世界は一掃され、全てが新しくなる日が来ると告げます。

「死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない 神がそのような涙はすっかりとぬぐい去られる。」

「神の幕屋が共にあり、神は彼らと共に住み、彼らはその民となる。」

それは、新しい都エルサレム(私達に用意された場所)です。 21:10~22:5

色とりどりの宝石のように輝く城壁・高くそびえる都・12の真珠の門があります。

常に神の栄光が都を照らし、太陽も月の光もなく、夜がありません。都の門は常に開いています。都の大通りには、水晶のように光る命の水の川が流れ、川の両岸には命の木があって、十二種の実が毎月実り、その葉は諸国民を癒します。

神である主、すなわち、父なる神、主イエス・キリスト、聖霊が常に私達と共にいて下さいます。

愛と喜びと感謝と平和と、神の恵みに溢れた、全てが満たされている場所です。

そこで何をするのかはわかりませんが、都の門を出入りするのですから、その場所での新たな生活があるでしょう。

私達はそこで、常に神を褒め称え、神と共に生きます。罪が人の世界に入る前のエデンの園の再来のようにも思えます。

この記事は、こんなに平たく言ってしまってどうかとも思いますが、天国のパンフレットの様なものです。このような新しい天と地、罪のない世界を、主イエスが用意していてくださるのです。(ヨハネ14:1~3)

皆さんはこの黙示録の天国の光景を読んで、どのように感じますか?

非現実の夢物語に聞こえるでしょうか。それとも私もそのような場所があるなら行きたいと切に願うでしょうか。

マタイ11章12節に興味深いイエスの言葉があります。「天の国は激しく攻められており、激しく攻める者がこれを奪い取っている。」

主イエスの開いてくださった天国へ、多くの人が激しくそれを求めて、奪い取っているという内容です。私たちはどれ程に、天国、神の国を切望しているでしょうか。激しく求めているでしょうか。

悲しい現実として、天国、罪の赦し、復活、永遠の命について話しても、それを主イエスから受け取る権利が、全ての人に与えられているのだと伝えても、多くの人はそれを求めません。

それは、この地上での生活が全てだと信じているからです。

そのようなものはないと信じているからです。

今の私には必要でないと思っているからです。

「貧しい人(ルカ)」「悲しんでいる人」「へりくだった人」「飢えている人(ルカ)」「義のために迫害されている人」は幸いである。とイエスは言われました。

2022年の国連の報告では、2021年の世界の飢餓人口は、8億2800万人と推定しています。中程度から重度の食糧不足人口は、世界人口の約3割、23億人と推定しています。

飢餓、自然災害、戦争などで多くの人が命の危機に直面した生活をしています。

食料が有り余っている国があれば、食事ができなくて飢えて死ぬ人々がいます。

知識のある人は、人は生まれながらにして不平等だと言います。誰もが豊かな国、安全な国に住みたいと望むでしょう。

しかし、「天国」を求める人々は後者です。それを激しく求めて、奪い取ってる人は、この世界に望みを持てない貧しい人であり、悲しむ人なのです。ここに聖書におけるこの世の価値観と逆転の内容があります。

* マタイによる福音書では、イエスは「心の貧しい者」「義に飢え渇く者」と言っています。

天国を持たない者は、地上でどんな財を持ったとしても、本来は裸で何も持たない者であることに気づいていないだけです。

主イエスは「見よ、私はすぐに来る」(22:7、12、20)と言われています。

大事なのは、主イエスを信じ、従うことです。主イエスの私たちの救いの為に成し遂げられた、「十字架による私たちの罪の贖い」を信じ、「自分の衣を洗い清める(:14)」ことです。主イエスを信じて、この患難の時代を耐え抜くことです。この先に天国があります。

「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない。」(ヨハネ14:6)

天下にただ一人の救い主、あなたの人生をこの天国、この希望へと導かれる主イエスの救いを受け取ってください。

『罪のゆるし、からだのよみがえり、永遠の命を信ず。』と、今日も、明日も、とこしえに、天国の門をくぐる日まで、告白していきましょう。

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

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