12月4日(日)礼拝説教全文
「平和の君」 イザヤ8:23~9:6
-ウクライナにおけるロシアの戦争終結を願って-
参照:マタイ4:12~17
イザヤの活躍した時代
-兄弟国北イスラエルの滅亡と、それを間違った達観をして北王国の人々を裁く南王国ユダの関係の中で-
イスラエルの王国の歴史を簡単に説明すると、初代王サウル、二代目ダビデ王の後継者、三代目ソロモン王による最も隆盛を極めた時代を経ます。しかしソロモン王の死後、B.C922、イスラエル王国は、北イスラエル王国10部族と南王国ユダ2部族(ユダとベニヤミンのエルサレムを中心とした小地域)に分裂し、B.C721にアッシリアによる北イスラエル王国捕囚、B.C586にバビロンによる南王国ユダ捕囚となります。北の滅亡と南の滅亡の時の差は135年です。
預言者イザヤは、北イスラエル王国滅亡から、南王国ユダ滅亡にかけての時代に、ユダとエルサレムについて主の言葉を語ります。(1:1)
北イスラエル王国は、ガリラヤとサマリアが律法を守らず、神に従わなかった故に、滅ぼされ、はずかしめを受けました。一方、南王国ユダは、「私たちは神の祝福の下にある国で、万軍の主が共におられる故、滅ぼされることなく、堅く建つ」と考えて、(事実135年間 南王国ユダはアッシリアの猛威から守られ、支えられていました)、彼らは自らを深く省みることをしませんでした。しかし、彼ら自身の滅亡も近づきつつありました。
イザヤは、滅び荒廃した北イスラエルについて告げます。
「ゼブルンの地、ナフタリの地、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤの地(サマリア・ガリラヤ・シリア地方)は、アッシリア捕囚によって、苦しみを受け、辱めを受けた。その戦争後の荒廃はひどいもので、その地は暗闇、暗黒の地となった。しかし・・・!!」 と預言します。
ガリラヤを軽視否定するユダヤ(南王国)の指導者たち
ヨハネ1:45~46「ナザレから何の良いものが出ようか」 ヨハネ7:41「メシアがガリラヤなどから出るだろうか」 イエスは、ナザレの人と呼ばれています。
イエス・キリストの公生涯は3年と言われていますが、3年間の宣教のほとんどは、ガリラヤで行われました。(イエスが生まれられたのはユダヤのベツレヘムですが)
1、北イスラエル回復の預言(8:23~9:3)
・大いなる光が輝く(8:23~9:1)
ガリラヤの光栄、闇の中に大いなる光、死の陰の谷を歩む民の上に光が輝いた
・大きな喜びが戻る(:2)
国民が増え、刈り入れ時のように、穀物を分け合い楽しむように 戦利品を分けて喜び踊るように
・勝利と平和が訪れる(:3)
彼らの負う軛、肩の杖、虐げる者の鞭は打ち砕かれる
* 「ミデアンの日のように」 (士師記7:15 12万人対300人 ギデオンの勝利)
戦場で履いた兵士の靴、血にまみれた着物は全て焼かれる
2、メシア預言(:5~6)
ガリラヤの光栄・暗黒の光とは何か。
一人のみどり子が生まれ、一人の男の子が与えられる。それが、彼らに与えられるしるしです。
このお方の主権によって、その平和は終わりがなく、ダビデ王の時代のように、公正と正義による政治に
よって国が建て上げられる。
王国(kingdom of God) 神の王国 神が司り、その政(まつりごと)が行われる国。神の支配による国。
3、救い主(メシア)とは(:5)
そのみどり子、男の子とはどのようなお方か
・「驚くべき指導者」 ワンダフルカウンセラー 助言者 民の心を真に理解する王
(霊妙なる議士、不思議な助言者)
・「力ある神」 マイティゴッド みどり子は預言者ではなく大能の神ご自身
(大能の神)
・「永遠の父」 エターナルファ-ザー 永遠のあわれみに満ちたイスラエルの保護者
(とこしえの父)
・「平和の君」 プリンスオブピース シャローム(平和) 神と人の間、人と人の間
に平和をもたらすみどり子
結 人々が救主を待ち望んだのはどのような時代であったのか、
救主を待ち望む事によって彼らの何が支えられてきたのかを心に留めたい。
アドベント(待降節)の精神とは、
どんな苦境の中にあっても、主の約束、メシヤによる救いを待ち望む信仰によって、希望を失わない、あきらめない、絶望しない心です。
実際に、北イスラエルの人々は「苦しみ」を受けて、「闇」と「辱め」の「死の陰の地」に住む者であったのです。
このような苦しみの中に居る人々にとって、救い主を待ち望むこと、主の助け、主の救いを待ち望むことを熱心に語る預言者の言葉がどんなにか慰めとなり、力となったことでしょう。
メシア(救い主)は 旧約聖書にあらかじめ語られて(預言されて)いたもので、単なる未来の作り話でもなく、苦しみの中にある者の気休めでもなく、真に人々の心を支え、神に対する信仰を支えたものです。
現在目の当たりにしている、ウクライナの荒れ果てた街を覚えつつ、
今、私たちはどうでしょうか。救い主の降誕が、そして、キリストの再臨が、私達の日々の歩みの、生の、そして信仰の支えとなっているでしょうか。今日、暗闇の中に輝く光、ガリラヤの光栄、私たちの救い主イエスを仰ぐ者でありたいです。
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