12月11日(日)礼拝説教全文

「大きな喜びの(良い)知らせ」 ルカ2:8~14

喜び=ギリシア語では、「カラ(χαίρα)」 類語:カリス(χάρις)=恵み、カリスマ(χάρισμα)=賜物

本日のメッセージのテーマは、ここに記されているクリスマスの出来事の「大きな喜び」という言葉です。

それは、どんな喜びでしょうか。それを私は今、持っているでしょうか。感じているでしょうか。という風に自らを、又自らの生活を振り返りながら、この「大きな喜び」について考えてみたいと思います。

イエス・キリストの生涯を4人の証言者・記者(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)が記していますが、誰かの生涯を記録する時、その誕生から書く場合が多いかと思います。どこどこの出身で、どのような両親から生まれたのか。しかし、イエスの誕生の出来事を歴史的に記しているのは、マタイとルカだけです。又、イエスの幼少期についてはルカがほんの少しだけ記すのみです。4人の証言者は、イエスの30~33歳までの3年間の公生涯、そして、特にその最後の一週間に起きた十字架と復活の出来事について詳しく記しています。

* イエスの誕生における4つの福音書の対比   

マタイ インマヌエルの神    系図 ヨセフへの告知 東方の博士の来訪    

マルコ ×            

ルカ  飼い葉桶の乳飲み子  マリアへの受胎告知 人口調査 家畜小屋での誕生 羊飼いへの知らせ   

ヨハネ 人となられた神

本日はアドベント第三週となります。次週は、アメリカから曽根岡フサ子勧士が来日され、マタイとルカからマリアとヨセフへの受胎告知と、マリアの賛歌からメッセージをしていただく予定になっています。

25日のクリスマス礼拝は、ヨハネによる福音書からお話ししようと思っていますので、本日は、ルカによる福音書の、「羊飼いへの、イエス誕生の最初の知らせ」についてお話ししようと思います。

ヨセフと身重になっていたマリアは、人口調査の為に、ナザレからベツレヘムへ移動します。直線距離で約120キロのかなりの距離です。ここ千葉からですと、だいたい静岡の富士山あたりで、徒歩での移動となります。ベツレヘム到着時、人口調査の為に人で混み合い宿がなく、一間を借りたその場所は家畜小屋でした。そこでイエスは生まれられます。

どうして、救い主の誕生が、このような過酷な状況の中での出来事であったのかと思わされます。

本日のテーマではありませんが、飼い葉桶に寝かせられている乳飲み子は、最も低い、貧しさと暗闇の中に、汚れある者たちの中に住まわれる神 というメッセージがあります。

そして、ベツレヘムで救い主が生まれるのは、旧約聖書のメシア預言(ミカ5:1)の成就でもありました。

さて、聖書協会共同訳の見出しでは「羊飼いと天使」と書かれている箇所ですが、世界で最初に救い主の誕生の知らせを受けたのは、ベツレヘムの町はずれで野宿をしながら羊の群れの番をしていた羊飼いたちです。当時は、様々な面で、雇われ羊飼いは身分の低い職業と思われていました。

聖書の言語、古典(コイネー)ギリシア語では、「知らせ」は、ユーアンゲリオン(エヴァンゲリオン ευαγγελιον)、「良い+知らせ」という二つの言葉がひとつになっている言葉で、GOOD NEWS、「福音」となります。そのあとにカラン メガレィン(χαραν μεγαλην)=「大きな喜びの」という言葉がありますので、直訳しますと、「大きな喜びの良い知らせを告げる」となります。「恐れることはない。見なさい。なぜなら、これは全ての民に与えられる大きな喜びの良い知らせ、とあなたがたになるであろうから」

いきなり天使の軍勢が空に現れたら、怖くならない者はいません。しかし、「恐れる必要はない。なぜなら、これは、全ての人々にとって、あなたがたにとって大きな喜びとなる、良い知らせだからだ」というものです。

最近ある時に娘と、何を聖書の言葉から聞き、自分の身に付けるべきか、頂くべきかについて、話をしました。一番は「愛」です。それは神の愛であり、イエスが愛してくださったように隣人や世界を愛する愛です。そして、二番目は「喜び」です。それが今日のメッセージのテーマである、この喜びです。三番目は「平和・平安」です。これらの全ては、それぞれ別々のものではなく、主イエスが私たちに与えて下さる賜物です。

「喜び」とは何でしょうか。

辞書によりますと、うれしい、楽しい、満足、めでたい、有難い JOY(歓喜・幸せに感じる)とありますが、このような思い、感情、心が動かされることを、これら全ての感情全部をぎゅっとまとめて「喜び」と言うのでしょう。どの意味合いも、静かに心に秘めておくというよりも、どんなに抑えても抑えきれないで、その内側から吹き出て、にじみ出てくるもの、という内容です。

「喜び」の反語は「悲しみ」です。

一喜一憂という言葉がありますが、私たちがこの世で味わう喜びは、ひと時のものかも知れません。

さて、主の天使の知らせの言葉になりますが、

良い知らせは、それを受け取る全ての者に、大きな喜びになるであろう とも訳せます。

あなたがこれを受け取った時、あなたの人生において、大きな喜びになる!ということです。

その喜びとは、「今日、ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである。」そのお方は飼い葉桶に寝ている乳飲み子です。他の誰でもない、産着にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子、その姿のお方こそが、明確なしるしです。見間違えることはありません。

クリスマスとは、あなたを救うために、罪汚れから、暗闇から、サタンの支配から、悲しみから、貧しさから、死の定めからあなたを救うために、主イエス・キリストがこの地にお生まれくださった出来事なのです。

苦しみの中に、悩みの中に、悲しみの中に、しえたげの中に     悲しみ

病人の中に、経済的な貧しさの中に、不自由な中に         貧しさ

今日食べるものもなく、貧しさの中に死んでいくものの中に     死

希望をもたない暗闇の中に                    闇

そして、ぬぐうことのできない自らの汚れ、罪の中に、悩めるものの中に  罪深さ

(不品行、汚れ、好色、 偶像礼拝、占い 敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派 ねたみ 酩酊、遊興 ガラテヤ5:19-21)

まさにこのしるし、飼い葉桶に寝ているお方こそが、これらの中からあなたを救うことがおできになるお方です。


ギリシア語聖書参考:((ルカによる福音書2章10節))

カイ   エイペン  アウトイス オ アンゲロス

και   ειπεν αυτοις  ο αγγελος

そして 言った 彼らに 天使は

メイ     フォベイッセ イドゥー   ガル        ユーアンゲリゾマイ     ヒュミン

μη     φοβεισθε ιδου    γαρ       ευαγγελιζομαι     υμιν  

ことはない 恐れる 見なさい 何故なら~だから 私は良い知らせを伝える あなたがたに

カラン メガレイン エイティス エスタイ パンティ トォウ ラオゥ

χαραν  μεγαλην  ητις εσται  παντι  τω  λαω

喜びに 大きなものに それは~のものになるだろう 全ての それに 民に 

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

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