2023年1月1日(日)元旦礼拝
「キリストを着る365日」 ―終末を目指すキリスト者の生(活)―
ローマ13:11~14
礼拝で、出エジプト記を読み続ける中で、最近私の始めたことは、神である主のデザインされた祭服を着て、一日を過ごし、主の働きを果たすことです。その祭服とは「キリスト」です。
学生にはそれぞれのその学校指定の制服があり、会社員にはそれぞれの会社の記章があり、警官には警官としての制服があり、看護師には看護師としての制服があります。それは、その属する団体・職種の一員としての自覚をもって生き、働くことを意味します。神父は詰襟の黒い服を着ますし、僧侶は袈裟を着ます。キリスト教の「救世軍」という団体では、「キリストの兵士」という意味で軍服を着ていますので、一目で「救世軍の人々である」とわかります。
全てのキリスト者の着るべき、最も大事な制服とは何でしょうか。それは「キリスト」です。ローマ人への手紙13章11~14節では、世の終わり、キリストの再臨、キリストに再びお会いするその時が近づいている今、闇の行いを脱ぎ捨て、光の武具を身に付けなさい、「主イエスを着なさい」と勧めています。それは神である主が用意してくださった最高の制服です。
2023年は、説教題としました、「キリストを(日々に)着る(身に付けて・自覚して)365日(を生きる・主に仕える)」ローマ13:14 「主イエス・キリストを着なさい」と語られるみことばに応答する一年とし、その祝福に与る者とさせていただきましょう。
「キリストを着る」ローマ13:11~14 ガラテヤ3:27
「新しい人を着る」エフェソ4:24 コロサイ3:10,12
「白い服を着る」黙示録7:9~17 小羊の血で洗って白くした、白い衣を身にまとう人たち
イエスのたとえ話「礼服を着る」マタイ22:1~14
「眠りから覚める時がすでに来ています」とありますが、あなたは、眠っている者か、目覚めている者でしょうか。私自身は、終末を感じることにおいて、まだまだ目覚めているとは思いません。聖書によって真理を開いていただき、私の人生にもっと光りが当てられ、これもそうだったか、あれもそうだったかと、神のみこころを、その祝福を悟ることができますように。
キリスト者の新しい生(活)とは、「あなたがたは時を知っている」(:11) 「時」に無関心な、無感覚な状態で眠っている者でなく、わたしたちキリスト者は、目を覚まして「時」を認識して生きる者たちです。故に、その時を覚えながら、今を励まねばなりません。
それは、「だから」(:11~12にその理由)正しい行い、生活をする為の動機となります。
正しい行い、正しい生活とは
やみのわざを捨てて(:12)
宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いと妬みを捨てて(:13)
肉の欲を満たすことに心を向けることをやめて(:14)
時を認識して生きましょう。私達キリスト者は終末に向かって生きる者です。単なる世の終わり、滅亡といったこの世に一般にある思想ではなく、キリストの再臨を待ち望みつつ生きる者です。この地上での生活は、キリスト者にとって一つの面では、「主に会う備えの時」であると言えます。あなたは主に会う備えはできていますか。
キリスト者は終末的(危機的)に生きる者たちであり、終末の時の自覚と、又それに対する責任を負っています。
「時」=「カイロス」kairos 重大な、危機的な、特別な時であり、時間=「クロノス」(kronos)ではない
時とはイエス・キリストの再臨の時であり、私自身が主の前に立つ、その時です。それがいつであるのかは、人の寿命と同じくわかりません。
日和見主義ではない。目の前の生活だけを考えない。その日暮しではない。しっかりと 主の再臨の日を見つめつつ 日々を生きることです。そうすれば、おのずとその生き方も変わってきます。
キリストを着なさい。
目覚めた生活、正しい生活を促すものは、終末への認識です。
しかし、「キリストを着る」というのは、正しく生きようと努力することではありません。
それは、日々、キリストに従う、キリストにあって生きる、キリストと共に生きることです。
キリストを着る、それは福音の奥義であり、霊的な経験といえます。
キリストとの一体を求め、受け入れることです。毎月行う聖餐の意味とも同じです。
「やみのわざ」罪とサタンの支配の下に生きるのではなく、キリストにより神の支配に入れられ
「ねむり」 倫理(正しい生活)、信仰において 無感覚に なることから覚めることです。
a、 宴楽と泥酔 信仰、倫理において麻痺した状態 暴飲
b、 淫乱と好色 はずかしさを忘れること 性の不道徳
c、 争いと妬み 悪しき時代に感化されてはならない
これらは全て肉の欲を満たすこと
あなたは時の流れを意識して生きていますか。人生には終わがあり、神の前に立つ時が来ます。
時は近づいています。悔い改めて福音を信じてください。
眠りから覚める時は来ています。
御霊によって 肉の欲に、裸のまま生きるのではなく、日々、キリストという制服を着て、365日、新しい一年を、「キリストを着て今日も歩みます」と祈りのことばに出して、自覚をもって歩みましょう。
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