2月26日(日)礼拝説教要約
「一人も滅びないで」ヨハネ3:16
マルティン・ルターは、ヨハネ3章16節を「小聖書」「小福音書」と呼びました。この一節の短い言葉に、聖書の福音の全てが凝縮されています。
「神はこの世を愛された」とあります。この世とは私達ひとりひとりを、誰一人欠けることなく全ての人を指しています。聖書は、神はあなたを愛しています、と力強く宣言しています。コロナが拡がり、戦争が起こり、地震があり、苦しみ・悩みの中にいる人は、「神が愛してくださるならば、どうしてこのような悲劇が起こるのか」と言います。しかし、それは人間の罪によるものです。「被造物全体が今に至るまで、共に呻き、共に産みの苦しみを味わっている」(ローマ8:22)とあります。神は私たちが滅びへの隷属と死の定めから解放されて、神の子どもたちの栄光に入ることを望んでおられます。「一人も滅びないで」。それが神のおこころです。
人の持っている罪ゆえに苦しみの中にある私達。しかし、神が私を愛してくださるという確かな、変わらない証拠があります。それは「その独り子をお与えになったほどに」です。全ての人が一人も滅びないで永遠の命をもつために、神はその独り子を私たちにお与え下さいました。その独り子とは、神の御子、イエス・キリストです。
私たち全ての人には罪があります。「傲慢」「貪欲」「嫉妬」「憤怒」「大食」「色欲」「怠惰」私たちの内側は汚れに満ちています。しかし、イエス・キリストはただ一人、罪の無い、罪なき生涯を歩まれた聖いお方です。罪の無い聖いお方が、どうして自ら十字架に進み、犯罪人と共に釘を打たれ、肉を裂き、血を流され、苦しまれ、死なれたのでしょうか。「私たちの背きの罪のために刺し貫かれ、私たちの過ちのために砕かれた」のです。「イエスが受けた懲らしめによって、私たちに平安が与えられ、イエスが受けた打ち傷によって私たちは癒される」のです。ただ罪のないお方だけが、罪ある者の罪を身代わりに負うことができます。イエス・キリストによる以外に救いはありません。
神の御子、イエスを信じる者は救われます。イエスが、何にも代えることのできないご自身の命という代価を払って下さったからです。「御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
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