5月14日(日)礼拝説教全文

「あなたの神、主を愛せよ」 ヨハネ21:15~17  

ユダヤ人が特別に大事にしている戒めがあります。申命記6:4~5です。これはシェマーと呼ばれ、彼らが夜も昼も唇をもっていつも唱え、額に付け、家の入口、町の門に記して、覚えておく戒めです。

「聞け(ヘブル語=シェマー)、イスラエルよ。私たちの神、主は唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くしてあなたの神、主を愛しなさい」です。イエスも律法の中で一番大切な戒めとして、この箇所を上げています。誠心誠意全力で、神である主を愛することです。神はご自身を愛すること、神の愛に対しては、私達も愛をもって応答することを求めておられます。

このみことばを覚えながら 本日のみことばに耳を傾けたいと思います

ティベリアス(ガリラヤ)湖の湖畔で、よみがえられたイエスは、再び弟子たちに現れて下さいました。ペトロの召命の出来事であった「大漁の御業」を再び見せ、焼いた魚とパンで朝食の用意をして弟子たちを迎えて下さいました。

ヨハネはよみがえられたイエスが、食事の後、ペトロに向かって言われた言葉を記しています。

「大漁のわざ」もそうですが、ペテロの再召命の内容となります。

皆さんは自分の人生で、大きな過ち、失敗をしてしまった時、それを人に話すことがありますでしょうか。できれば隠しておきたいものかも知れません。

ペトロはイエスの弟子として、大きな失敗をしています。イエスが十字架に向かい裁判を受けておられた時、「わたしはイエスを知らない」と三度も否定したのです。(マタイ26:69~75 マルコ14:66~72 ルカ22:54~62 ヨハネ18:15~27)4つの福音書に書かれてることに注目します。ペトロは自分だけが知っているこの出来事を、何度も人々に話したことがわかります。「あなたがたの前に立っている私は、決して立派なイエスの弟子ではないのだ」と。

三度イエスを否定したとき、イエスと目が合い(ルカ22:61)、鶏が二度鳴きました。ペトロはその場を離れて、激しく泣きました。ペトロがイエスを否定することは、イエスから予告されていました。ペトロにとっては、イエスに顔向けできない出来事でした。その予告に対して、ペトロは、牢に入れられても、たとえ命を落としても、イエスについていきますと告白しています。その時、イエスはペトロにこのように言われています。「私は信仰がなくならないように、あなたのために祈った。あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22:32)

信仰がなくなってしまう程の、サタンの試みです(ルカ22:31)。イエスを銀貨で売ったユダも、ペトロも、イエスの前から逃げ出した他の弟子たちも同じです。日本の侍であれば、主君を裏切ったなら切腹です。

しかし、イエスは、大きな失敗をしたペトロをもう一度、そのご愛で捕らえ、立たせます。

ペトロの失態を、一言もイエスはお責めにはなっていません。失敗を責めても、裁いても 人は立ち直れないからです。

1 「ヨハネの子シモン」と3度、イエスはシモンの名を呼ばれます。弟子たちに言われたのではありません。「あなたたち」ではない、他の誰かではない、「あなたは」という1対1のペトロに向けての言葉です。主は他の誰かではなく、あなたを召しておられます。

2 「あなたは わたしを愛するか」 

イエスはご自身を愛することを求めておられます。イエスが求めておられるあなたへの応答です。

「イエスを愛する」ここでイエスがペトロに求めておられるのは、従うでも、ほめたたえるでも、崇めるでもない。愛するです。「私はもはやあなたがたを僕とは呼ばない、私はあなたがたを友と呼んだ」(ヨハネ15:15)とイエスは弟子たちに言われました。僕は従うことが求められますが、友にとっては愛することが最も大切です。私達はイエスを主と仰いで、イエスに従いますが、イエスはあなたを友と呼んで、親しい交わりをしてくださいます。どんなことも分かち合うことを願っておられます。しっかりと向き合うことを求めておられます。あなたの顔を向けることが大事です。

* 神のかたちに。すなわち男と女に。あばら骨からエバを造られた神。

ヨハネは、イエスとペトロとの対話で、「愛する」をギリシア語でアガペーとフィレオーを使い分けています。

ギリシア語でアガペーは、神の愛を示します。フィレオーは友愛を示します。(他:ストルゲー=肉親愛 、エロス=男・女の愛)アガペーは、無償の愛であり、フィレオーは相互の愛です。

一度目のイエスの問いとペトロの答え

「この人たち以上に、あなたはわたしを愛しますか」 ギリシア語 アガパス メ

「あなたがご存知です」                    フィロー セ

「私の小羊を飼いなさい」

二度目のイエスの問いとペトロの答え

「あなたはわたしを愛しますか」                アガパス メ  

「あなたがご存知です」                    フィロー セ      

「私の羊の世話をしなさい」

三度目のイエスの問いとペトロの答え

「あなたはわたしを愛しますか」                フィレイス メ

「あなたがご存知です」                    フィロー セ

「私の羊を飼いなさい」

三度も問われたので、ペトロは「悲しくなった(心を痛めて)」とあります。     

三度イエスを否定したことと関係はあるのでしょうか。

ペトロは、愛しますとは言えず、あなたがご存知ですと応えています。

そして、ギリシア語の使い分けでは、アガペーでは返事できず、フィレオーで応えています。

どのようなヨハネに意図があったのでしょうか。最後にイエスはフィレオーで問われています。そしてペトロはフィレオーで応えています。イエスの言われたアラム語は同じであったかも知れない。しかし、あえて、ヨハネはギリシア語で言葉を使い分けています。

そのままでよい。あなたの持てる限りの全身全霊で、私を愛しなさい。「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして私を愛しなさい」と言われているようです。完全な愛は神以外には誰も持っていません。しかし、私たちはこの神の愛アガペーをいただいて、完全ではなくとも、全力で神を愛し、隣人を愛する(世話する)のです。

3 「わたしの羊を飼いなさい(牧しなさい)」 牧者と羊(神と人) お世話をしなさい

大事なのは「わたしの羊」という言葉です。自分の羊でも誰かの羊でもない。牧し、お世話するのは、イエスの羊です。イエスが愛して下さっている羊。誰一人迷うことなく命を得ることを求めておられます。

私たちは隣人を見るとき その隣人をイエスが愛して下さっていることを忘れてはなりません。そしてイエスに託されていることを忘れてはなりません。牧するとは、養い、守り、導くことです。

真心と、意思と、生活をもって、全力で主イエスを愛しましょう。

「わたしは誰よりもイエスさまを愛します」という愛をいただきましょう。

誰かのほうが わたしより愛されているのではない。全ての人が尽くしてイエスを愛するという意味です。

「主イエスよ、わたしはあなたを愛します。」と告白して、他者を活かす人生を歩みましょう。イエスがあなたに、あなたの人生に求めておられることです。

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

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