5月21日(日)礼拝説教全文
「あなたは、わたしに従いなさい」 ヨハネ21:18~25
ヨハネ21章は、ヨハネが書き留めたペトロの再召命の記事です。
イエスはガリラヤ湖において「大漁の御業」を見せて弟子たちに召命を思い出させ、疲労困憊した弟子たちと食事を共にし、「私の羊を飼いなさい」とペトロに信仰告白と回復、再召命の機会を与えます。
1、ペトロの最後について(:18~19)
そして、イエスはペトロに告げます。
「よくよく言っておく。」これはイエスが大事な話をする時の語り口調です。
良く聞きなさい。あなたにとって大事な話だ。
ペトロはかつて、「主よ、なぜ今すぐ付いて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます」(ヨハネ13:37)とイエスに答えました。「私の行く所に、あなたは今付いて来ることができないが、後で付いて来ることになる」と言われたからです。
「あなたは、・・・年を取ると、両手を広げ、他の人に帯を締められ、行きたくない所へ連れていかれる。」自分の望まない場所へ人々に連れて行かれます。そのイエスの言葉は、ペトロの死に方についての予告、殉教の死の予告です。そしてペトロは最後に、その死によって神の栄光を現すことになります。ペトロは、イエスに最後まで付いて行き、イエスのために命を捨てる道を進むのです。
イエスはペトロの最後を予告し、そして「わたしに従いなさい」「フォロー・ミー」と言われています(:19)。ペトロの最後について、ポーランドの作家ヘンリク・シェンキエヴィチは、歴史小説として、「クォ・バディス」(1895年)を執筆しています。「主よ、いずこへ」(ラテン語=「クォ・バディス・ド・ミネ」)は、イエスが十字架に向かってエルサレムへ行かれる時に、ペトロがイエスに尋ねた言葉です。(ヨハネ13:36)
当時は、ローマ皇帝ネロによるキリスト者大迫害という歴史的時代背景で、堕落しきったローマがあり、紀元64年にはローマの大火、紀元70年にはエルサレム陥落があります。
ローマ帝国によるクリスチャンへの迫害が激しさを増して多くのクリスチャンが殉教する中、ローマをキリスト教に改宗させる使命を神からいただいているペトロは、その迫害の嵐の中、最後までローマに留まろうとします。しかしペトロは、多くのクリスチャンの兄弟姉妹に激しく求められて、ついにローマを離れる事に同意します。
真夜中に出発して、ローマを背にして翌朝まで歩き続けた時、その夜明けの光の中に、
ペトロは自分の方に向って歩いて来られるイエスと出会います。
ペトロは驚き、跪いて、「主よ、どこへいかれるのですか?」と問います。
イエスは言われます「あなたがわたしの民を見捨てるなら、わたしはローマへ行って、もう一度十字架にかかるであろう。」
この話が歴史的な事実であるかどうかは不明ですが、ペトロは来た道を引き返して、捕らえられ、十字架、それもさかさ磔の十字架で殉教したと伝えられています。(外典ペトロ行伝)
トマスのインドでの殉教も史実かどうかは不明ではありますが、キリストの十二弟子の10人は殉教の死を遂げます。
2、ヨハネの最後について(:20~23)
ペトロは隣にいたヨハネについてイエスに尋ねます。「主よ、この人はどうなるのでしょうか。」
ヨハネによる福音書の記者ヨハネは、イエスの母マリアとエペソに住み、その後ローマによる迫害でパトモスへ幽閉されます。彼一人だけが、他の使徒たちが殉教する中、キリストの最後の弟子としてパトモス島へ流刑にされます。
そして、紀元80年以降パトモス島で神から幻をいただき、その後釈放されて、エペソに戻って(?)黙示録を書きます。
ヨハネは、キリストにある兄弟姉妹たちから「この弟子は死なない」と噂される程、老年になるまでイエスの最後の使徒として、迫害の中にいるキリストにある兄弟姉妹を励まし続けました。
イエスの弟子のペトロとヨハネはそれぞれが主の使命をいただいて、その使命を全うしました。
誰かと同じでなくていいのです。また、誰かと比べる必要もありません。「あなたは、私に従いなさい」とイエスは言われます。従うとは、あなたが、イエスの後ろに付いて行くことです。
あなたのイエス。私のイエス。イエスと私の間の個人的な招きと応答です。
イエスとここにいる私とはどんなつながりがあるのでしょうか。
イエスとあなたとのつながりは、あなたの罪の赦しの為にイエスが十字架で血を流し、命を捨てられたことです。それがあなたとイエスをつなぐものです。
どんなに聖書の知識があっても、どんなに素晴らしい働きができても、奇跡を行えたとしても、イエスの十字架の血潮による罪の赦しを受けなければ、イエスと私とは何の関係もありません。
イエスと私のつながりは、罪を赦すお方と、赦された者です。
先週の礼拝で、「多く赦された者は多く愛する」、とお話ししました。
イエスの十字架の贖いによって、私の罪が神の前に赦されて、新しい命をいただいて、私達はイエスに従うのです。
十字架はあなたの罪の赦しのためにあることを信じ、今日受け入れてください。そうすれば、あなたは神の救いを受けることができます。信じてバプテスマを受ける者は救われます。イエスを信じて洗礼を受けてください。
「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じて、イエスの名によって命を得るためである。」(20:31)
イエスのなされたことで、まだ書きたいことは多くあるが、あまりに多くて書ききれないので…とヨハネは筆を置いています。(:24~25)
あなたの人生で、あなたがイエスに従って日常を歩むことをイエスは願っておられます。イエスの弟子たちが、イエスのうしろにいつも従って歩んだように。
今もよみがえり、生きておられるイエスのうしろを歩く人生こそ、キリスト者の残された人生の全てです。
あなたがイエスのことばを聞き、イエスのわざに励みましょう。
あなたは何を信じ、誰のことばを聞き、誰に従っていますか。それは確かなもの、確かな道ですか。そして、
どこに向かっていますか。
もう一度、私の主、イエスのことばを聞きましょう 「あなたは、私に従いなさい。」
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