7月9日(日)礼拝説教全文
「宮を聖別せよ」 ヨハネ2:13~25 (第一コリント6:19~20)
過越しの祭りは出エジプトを記念するユダヤの最も大きな祭りです。祭りには遠い各地に散らされている多くのユダヤ人がエルサレムへ集います(都上り)。
イエスも公生涯に入られてからの第一回目、弟子たちと共にガリラヤからエルサレムに上られます。イエスの公生涯が3年と言われる理由は、ヨハネの福音書の中に三度、過越しの祭りにエルサレムに上られた事が記されているからです(2:13、6:4、11:55)。イエスの生涯のほとんどは、カペナウムを中心としてガリラヤで宣教されています。しかし、イエスがエルサレムにおられた期間が長いように私たちが感じるのは、4つの福音書ともエルサレム滞在での出来事を詳しく、特に、最後の一週間について多くの紙面を使っているからです。イエスはガリラヤの光栄です。
宮きよめ(:14~17) 世の権力と個人
宮とは、礼拝の場です。以前、出エジプト記で、幕屋から神殿へ、そして、会堂、教会へという歴史の流れを見て来ました。宮は、神ご自身が「私は彼らの中に住む」と約束して下さって(出エジプト25:8)、御臨在して下さる特別な場所です。この約束は何と驚くべき、神の憐れみと愛でしょう。
当時の神殿の構造は、至聖所を一番奥に、手前に聖所、そしてそれを囲むようにユダヤ人男子の間、ユダヤ人の間、そして「美しの門」を挟んで、一番外枠に異邦人の庭がありました。至聖所に向かって、聖なる神の御前に近づくという構造になっています。神殿で異邦人も礼拝することが許されていたのが異邦人の庭でした(観光や収益も目的にされていました)が、その場所は、神殿貨幣の両替所や、神殿にささげる専用の牛、羊、鳩の生き物が売られていました。特に過越しの祭りには、各地から多くの人々が神殿に集い、献げ物がなされます。いつにもなくごった返している事がわかります。神殿の管理は祭司たちが一手に引き受けており、すべての献げ物が祭司の収益となります。彼らの稼ぎ時とも言えます。動物などの献げ物に関しても、献金に関しても、この宮ではどんなにレートが高くても、誰も何も言えない状況にありました。
旧約時代においては、エルサレムに偶像が運び込まれたりすることがありましたが、宗教改革者達がそのようなものを排除していきました。何度も腐敗した神殿礼拝の改革の歴史があります。そのような中で、メシアは来られて宮を聖めるという預言がマラキ書3:1~3にあります。
イエスは、宮を「私の父の家」と言われます(:16)。そうです、宮は「父なる神の宮・住まい」であり、全ての民のためにある「神臨在の祈りの家」(イザヤ56:7)です。
15~16節には、イエスが激情をもって、両替人やいけにえの動物を売る者たちを異邦人の庭から追い出されています。徹底したイエスの行動があります。イエスのその様子を、ヨハネは、詩篇69:10にある「あなたの家(神の家)を思う熱情が私を食い尽くす」と記しています。イエスに従ったヨハネも弟子たちも、自分たちの地元ではないこの都エルサレムで、物おじしないイエスの取られた行動に驚いたことであろうと想像します。神殿には警備兵がおり、祭司が神殿の治安を厳しく取り締まっている場所です。祭司の権威に対しては誰も逆らえない空間でイエスが成された事です。人は世の権力や暴力に弱い者ですが、イエスは毅然として全ての人の前にご自身の決断を下されます。主のその勢いは、何にも憚ることなく、遠慮もなく、聖なる激情を現わされるイエスを前にして、神殿を牛耳っている祭司も警備兵も手出し出来ないほどの勢いです。
それ故、彼らは圧倒されながらもイエスに向かって、「お前(ガリラヤ出の大工の息子・30代の若僧)に何の権限があって、神殿でこんなことをするのか。こんなことをするからには、(あなたが正しい者であり、神に従う者、まことの神の預言者であるなら)、どんなしるしを私たちに見せるつもりなのか」と憤慨して言います。
復活のしるし(:18~22)
ここでイエスは、そこにいる人たちが理解できないことを言われます。後に、ヨハネも弟子たちもイエスが復活されてから、ここで言われていたイエスの言葉を「思い出した」(:21)とあります。
・ イエスご自身が宮 礼拝の改革者
憤慨する両替人、いけにえの動物を売る者、荷物を持ち運びする者、そして神殿を管理する者、ユダヤ人に対してのイエスのお答えは、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」というものでした。
当時、ユダヤの王ヘロデ(実質ローマの管轄下にあった王)が神殿の再建を行っていました。ヘロデ王の父の時代から再建に46年もかけてきたこの神殿を「三日で建て直すのか」と彼らは食ってかかっています。
後にイエスが十字架に架かられる前の裁判で、「この男は、『神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる』と言いました」と証言する者がいました(マタイ26:61、他:マタイ27:40)。この宮きよめの出来事の中で語られた言葉は、祭司をはじめ、エルサレムにいたイエスの反対者の心に残った言葉であったと思います。
イエスが「三日で建て直す」神殿とは何でしょうか。
過越しのいけにえ、動物のいけにえによって、神の御前に近づくのではありません!イエスの死と、そして復活を通して、神に近づくことができる新しい神殿が建てられるのです!
旧約の古い礼拝制度を廃棄して、新しいものを建て上げる。イエスはご自身の死と復活を通して、ユダヤ人と異邦人の区別もなく、誰もが神に近づく為の道である神殿を作るのです。
・ 教会が宮
ご自身の身体である神殿(宮)・主イエスという身体を通して(教会を通して)、人々が神をあらゆる場所で礼拝する日が来ます。それは、神の御霊が宿っているキリスト者の交わりである教会です。
・ 私達自身が神の宮
「宮を聖別せよ」という題の説教にしましたが、私たち自身が聖別されるべき「神の宮」です。
礼拝をする身体 (若い人たちに特に 礼拝をささげることを身につけていただきたい)「私達の身体を神に受け入れられる、生ける、聖なる供え物として献げる」礼拝です。イエスは宮をきよめるお方です。
イエスの行われたしるし(:23~25)
「しるし」と「信仰」の関係
それは、「イエスが神の子キリストである」と信じて告白する信仰に導く為のしるしです。「しるし」を見て信じても、ただ、うわべだけ信じる者も少なくなかったと思います。間違ったキリスト理解に進む者も少なくなかった。彼らはイエスをイスラエルの王として国の政治的再建を期待しました。
イエスの十字架と復活のしるしを見て、あなたが主イエスは神の御子、キリストであることを信じるなら、罪と死と暗闇からの救いを得、罪の結果である死から解放され、神の命につながる永遠の命を持つことができます!
「しるしを見せろ」と迫ったユダヤ人に、イエスは、過越しの祭りの期間、エルサレムで、多くのしるしを行われます。エルサレムの多くの人々は、「そのしるしを見て、イエスの名を信じた」(:23)とあります。短いエルサレム滞在期間に、病人を癒し、悪霊を追い出し、人には決してできない神の御業を惜しみなく人々に現わされたことがわかります。
「しるし」を見て、イエスを担いで、ローマからイスラエルを取り戻そうと考えた人がいたかも知れない。イエスに取り入って何か益を得ようと考えた人がいたかも知れない。イエスの公生涯のスタートです。いろんな人の力を借りて、物事を進めるのが道理かも知れない。
しかし、イエスはご自身を誰にもお任せにはなりませんでした。
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