10月1日(日)礼拝説教全文
「主は今も働かれる」 ヨハネ5:9b~18
* 父の御心を行い、その業を成し遂げる(成し続けていく)(4:34)
ベトザタの池で病人を癒す(後半)
先週はイエスがベトザタの池で、38年間病に臥せっていた男をイエスが癒された記事を読みました。
1、安息日の癒し(:10~16)
イエスが38年間床に臥せっていた人を癒された日は、「安息日」(土曜日)であったとあります。
旧約聖書には、その日は「主の安息日であるから、どのような仕事(わざ)もしてはならない」(出エジプト記20:10)という安息日の律法があります。その解釈として、39項目の、仕事をしてはならない禁止規定が設けられた口伝律法があり、1500にも及ぶ細分化された労働・行動が禁じられました。特にイエスの時代の宗教的指導者であるパリサイ派、律法学者は、安息日の禁止事項を厳しく民に命じました。(たとえば、安息日は900M以上歩いてはならない(それ以上は労働にあたります)とか、安息日に火を焚いてはならないとか、安息日は草の上を歩いてはならない等々。)
そのような中で、「安息日だ。床を担ぐことは許されていない」というユダヤ人たちの非難の言葉があります。イエスはその生涯で何度も安息日に病気の人を癒しておられます。また、安息日に「イエスの弟子たちが畑から麦の穂を摘んで食べた」(マタイ12:1~8)という記事があります。その時も非難を受けています。
イエスの行動は、当時の口伝律法と真正面から衝突しているように見えます。しかしイエスは安息日の意味について「安息日を守るために人があるのではなく、人の為に安息日がある」「人の子(イエス)は安息日の主(主催者)である」と言われています。イエスに対して明確な反対・迫害(殺意を抱くほどに)が起こった原因として、イエスと弟子たちが「安息日」を守らないという批判があります。
ユダヤ人のユダヤ人たる誇り、そのアイデンティティーは、以前にもお話ししましたが、律法と割礼と神殿礼拝の3つです。ユダヤ人が世界に離散しても、ユダヤ人が他の国々に迎合することなく、ユダヤ人として生きていったのはこれをしっかりと継承していったからです。
しかし、イエスは、「神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる」(マタイ3:9)又、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直して見せる」(ヨハネ2:19)と言われています。割礼や神殿を軽視しているような誤解を受ける言葉です。当時の宗教的指導者がイエスに対して大きな憎悪を抱いていったことは容易にわかります。
しかし、イエスは律法も、イスラエルの民であることも、神殿礼拝も否定したのではありません。イエスは、「よく言っておく。天地が消えうせ、すべてが実現するまでは、律法から一点一画も消えうせることはない」(マタイ5:18)と言われています。
「安息日だ。床を担ぐことは許されていない」「誰が床を担いで歩けとあなたに言ったのか」とユダヤ人は男を問いただします。男は「誰であるか知りません」と答えます。本当に知らなかったのです。イエスはご自身を明かさずにそっとその場を立ち去られていたからです。
イエスは神殿の境内で、男と再び出会って言われます「あなたは良くなったのだ。もう罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪いことが起こるかも知れない」。難解なイエスの言葉です。38年間床に臥せっていた男は、かつて何か罪を犯してこのような病にかかったのでしょうか。病と罪について聖書は、深い関連を示します。罪がなければ、人は死ぬことも病にかかることもありません。しかし、個人的に彼が何か罪を犯した為にという意味ではないと思います。
病が癒されたことは大きな神様の祝福です。しかし、それ以上に大事なのは、あなたがこれから神の前に正しく生きることだ、と言われているようです。
神の祝福(御業)によって、病が癒された、解放された、良くなった、問題が解決した。それは素晴らしいことです。神をほめたたえる喜びの出来事ですが、知って下さい。私達の罪が赦され、神の前に正しく生きる者とされる事こそ、何にも優る神の祝福・栄光です。
2、イエスの返答(:17~18)
イエスは、ご自分が安息日にも働かれる(神の業を行われる)理由をこの様に語っておられます。「私の父は今もなお働いておられる。だから、私も働くのだ」(:17)
父なる神は今もなお働いておられます。主なる神が「働く」という表現は非常に人間的ではありますが、主なる神は、今も麗しい御業を成され、栄光を現わされます。神の御業に休みはないという意味です。
それは夜に昼に、安息日に止むことなく、「祝福」と「聖別」の御業を成し続けられます。
皆さん、神が、主が生きておられ、今も主に従う私たちの歩みの中に、この世界の歴史の中に「働いて」おられるのを知っていますか。
イエスは「私の父は今もなお働いておられる。だから、私も働くのだ」(:17)と言われています。イエスは父の御心を行い、その業を成し遂げられるお方です。神の働きはイエスを通して、安息日であっても続きます。
そして今、神である主、イエスの御心を行い、それを成し遂げるのは、あなたであり、私です。私達キリスト者によって、キリストの教会によって、キリストの「働き」は続きます。
父の御心を行い、その業を成し遂げ、成し続けていく(4:34)
「私の父は今もなお働いておられる。だから、私も働くのだ」
世界中のキリスト者が、父なる神の御心を行い、その業を成し遂げますように。
神の働きに、私も加わることができますように。
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