11月12日(日)礼拝説教全文 子供祝福式

「子どものようにならなければ」マタイ18:1~5 ― 子供祝福式礼拝 ―

聖書協会共同訳見出し 天国でいちばん偉い者

並行箇所:マルコ9:33~37 ルカ9:46~48

「天国で、誰が一番偉いのか」という弟子たちの質問です。

イエスはそれを聞いてどのように思われたでしょうか。きっと、がっかりされたに違いありません。

後にイエスが十字架にかかられる前にも、誰が一番弟子の中で偉いのかという愚かな論議を弟子たちはしています。(ルカ22:24)

今私達の生きている世界はそうですが、天国とは、誰かが偉くて、誰かは偉くないという世界なのでしょうか。天国にもそのようなヒエラルキー、階級や身分が存在するのでしょうか。

ある教会の中で、偉い大学の教授が、お医者さんが、弁護士が先生と呼ばれていた事について、とても違和感がありました。今もそうです。

牧師が先生と呼ばれるのもどうかと思います。竹田さんでいいかも知れません。

教会では、牧師であろうが、役員であろうが、社会的地位があろうが、誰が偉くも、誰が低くもありません。全ての人が神の前に、兄弟姉妹なのです。誰かが尊ばれ、誰かがさげすまれる場所ではありません。

ヤコブ2章1~5節に、よいたとえ話が記されています。読んでみましょう。

イエスはとてもがっかりされて、きっとがっかりされて、「よく言っておく」と彼らにしっかりと教える為に、目に見える形で、小さい子ども(口語訳では「幼な子」)を呼び寄せ、彼らの真ん中に立たされました。「真ん中に立たせて」とは、大事にする、上げるという意味があります。小さい子どもとは、社会的地位も知識も、業績も何も持たない者たちです。

そして、このような子どもが天国で一番偉いと言われました。

「誰が一番偉いか」という本当にくだらない人の醜悪な欲求が渦巻く中にあって、イエスの言われる言葉は、いつでも驚きであり、爽快です。

「心を入れ替えて」(向きを変えて、悔い改めて)とは、誰が一番偉いかというような考えは捨てること、又、方向変換させるという意味合いですので、人に仕えられる偉さを求めるから、人に仕える低さを求めるに考え方、心、生き方を転じることを意味します。まさに、それはイエスご自身のお姿です。

「子どものようにならなければ、決して天国に入ることはできない」とイエスは言われます。「決して」という言葉は、どんなことがあっても、絶対にという強い表現です。天国で一番誰が偉いかどころではない。そのような心を持ったままでは、天国に入ることすらできないと言われているのです。

「子どものようになる」方向変換して、自分を低くする者が一番偉い人、そのような人々こそ、神の前に尊ばれ、喜ばれる人なのです。

教会とは、天国の雛形です。天国とはどのような場所でしょうか。教会はイエスの言われるような場所であるはずです。

それは時に、この世のあり方、価値観と全く逆のように思える場所です。

神の愛と、喜びと、感謝と、賛美に溢れた場所です。

つぶやきも、裁き合いも、拒絶も、孤独も、つまずきも、軽蔑も、劣等感も、優越感もない場所です。

どうして、そのような場所となりうるのでしょうか。それは、イエスがおられる場所だからです。

小さい子供を呼び寄せ、真ん中に立たせるイエスがおられるからです。

いかにも自分が偉い者かのように、ふんぞり返ってる人は、天国には入れません。

                大人      子供のように

いかにも知っているかのような  知識      無知な、知らない者が

いかにも持っているかのような  富       貧しい者が

いかにも強いかのような     力       弱い者が

いかにも高貴かのような     家柄(生まれ) 名もなき者が

そのような大人のような思い(大人が皆そうではありませんが)、生き方を悔い改めて、

自らが罪深い者であり、貧しい者であり、汚れた者であり、弱い者であることを、「子供のように何も知らない、あなたの前に何も持たない、あなた無しでは生きられない者です」と、私たちは告白するのです。

天国は彼らのものです。

最後にイエスはもうひとつ大切な教えを話しておられます。「また、私の名のためにこのような子どもの一人を受け入れる者は、私を受け入れるのである」

教会に集う子どもたちは、教会の宝です。子どもたちは時に騒いだり、言う事を聞かなかったり、駄々をこねたり、いたずらをするかも知れません。しかし、彼らがどのような者たちであっても大事にし、受け入れます。それは、イエスの思いだからです。イエスは子どもたちが大好きです。子どもたちが、ご自身の許に来ることを喜ばれます。

勝田台教会に教会学校があることを感謝します。

親たちが子どもたちを連れて来ていることを感謝します。

教会は子どもたちを受け入れます。

子どもたちを受け入れることは、主のおこころです。

私はこの勝田台教会に来て、とても嬉しかったことの一つは、教会学校があったことです。前にいました板橋教会では、子どもたちを大事にしていましたが、教会学校を行っていませんでした。教会学校の先生たちが一生懸命、メッセージの準備をして、子どもの為の礼拝を行っていることを感謝します。

礼拝の始まるギリギリまで教会学校に出席していることを、時に申し訳なく思ったりもしますが、是非、大人の皆さんも、教会学校に参加してみてください。その礼拝は、とてもわかりやすく恵まれます。

私の父は長く教会学校の先生をしていましたが、自分自身の信仰が教会学校の働きを通して成長したと良く言っていました。

幼い子たちを真ん中に立たせて、「天国で一番偉い者だ」と言われた、イエスの教え、そのお心を、今日あなたの心に留めてください。

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

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