12月3日(日)礼拝説教全文

「天から降りて来た命のパン」 ヨハネ6:22~40

「私が命のパンである」(:34)

ヨハネによる福音書には、「エゴー、エイミ」「私は〇〇である」という定式を使ったイエスの自己紹介・自己宣言の言葉がいくつもあります。これはイエス・キリストが神の御子、メシヤ(救い主)であるという自己宣言の言葉です。

参照:「私だ」エゴー、エイミ 6:20、18:5「命のパン」6:34 「羊の門」10:7 「よい羊飼い」10:11 「よみがえり、命」11:25「道、真理、命」14:6 「まことのぶどうの木」15:1

5千人の給食(パンのしるし)の後、群集はイエスが、その場所におられないことを知って、ある者は舟で、ある者は陸路を通ってイエスを探して追いました。群集がイエスを探していたのは、神の御子としての「しるし」を見てイエスを信じたからではなく、パンを食べて満腹したからでした。人々は貧しさの中にあって、この方について行けば、食事にありつくチャンスを逃すことはないと思ったからです。

イエスと人々との問答の構成

イエスと問答をする彼ら、群衆、ユダヤ人たちとは、食べ物を求めていた人たち、イエスを王に担ぎ上げようとしていた人たち、あるいは、イエスの反対者たちです。(もちろん、イエスの弟子たちと同じようにイエスを慕って、イエスを信じて、イエスのもとに来た人たちもいたと思います。)

そのような、おおよそイエスのお心とは違った思い、願いをもって集まる人々にイエスは言われます。

「よくよく言っておく」(:26)イエスは大切な教えを与えます。

「朽ちる食べ物のためにではなく、いつまでもとどまって永遠の命に至る食べ物べ物のために働きなさい」

朽ちる食物(パン)と、朽ちない永遠の命に至る食物(パン)があります。父なる神に遣わされた人の子(イエス)が与えるパンは、朽ちない永遠の命に至るパンです。以前、サマリアの井戸のそばで、井戸の水ではなく、決して渇くことのない生ける命の水の話をイエスがされたことを思い起こします。

群衆は「神の業を行うために、何をすればよいでしょうか」とイエスに問います。朽ちない永遠の食物を得るために何をすればよいのかという質問です。

イエスは「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である」とお答えになります。知って下さい。私達は、神のわざを行うために何をすべきかと考えますが、何かをすることではなく(どの律法を行い、守るかでなく)、イエスを信じることこそが、永遠の命に至る食物を得る神の業です。

群衆は、では「あなた(イエス)を信じるために、しるしとして何をしてくださいますか」と問います。モーセは天からマナを降らせ、しるしを見せ、彼らにパンを与えましたが、あなたを信じるために、あなたはどんなしるしを見せてくれますかと問います

「よくよく言っておく」(:32)イエスは大切な教えを与えます。

天からパンを与えたのはモーセではなく、わたしの父です。そしてわたしの父は、あなたがたに天からのまことのパンをお与えになります。神のパンは、天から下って来て、世に命を与えます。モーセではない。私の父が、パンを与え、命を与えます。

「主よ、いつもそのパンを私たちにお与え下さい」と彼らは答えます。「その水をわたしに下さい」と言ったサマリアの女の返答の響きに似ています。

イエスは言われます「私がいのちのパンである。」「私のもとに来るものは決して飢えることがなく、私を信じる者は決して渇くことがない」もちろん単なる日常食べる食物の事ではない。それは人を人としていのちに生かす、神の賜物としてのパンです。この命のパンであるイエスを求め、イエスのもとに行き、イエスに出会う時、人は命と力に満ち溢れます。イエスを信じる者は決して飢えることも渇く事もありません。心の持ち方ではない。イエスと出会い、イエスを信じることこそが、心も肉体も、社会的な人との関係、生活においても、全てが満たされる、神である主によるシャローム、全人的満たしです。

しかしユダヤ人たちは、パンは求めて来るが、永遠の命を求めてイエスのもとに来ようとしない。イエスを見てもイエスを信じない。イエスのもとに来る人をイエスは「決して追い出さない」(口語訳:拒みはしない)と言われます。拒絶しない。見放さない。見捨てないということです。

わたしが天から降って来たのは(:38) イエスが天から世に降って来られた目的

① イエスの意志ではなく、イエスをお遣わしになった方(父なる神)の御心を行う為

② 父なる神の御心に従う者を、ひとりも失わず、終わりの日に復活させる為

③ 父なる神の御心とは、イエスを見て信じる者が、永遠の命を得る為

イエスが「永遠の命に至るパン」として天から降ってきたのは(降誕)は、イエスを信じる者が一人も滅びず、永遠の命を得るためです。私たちの罪の赦し、永遠の命を与える、イエスの十字架と復活を見上げ、「あなたこそ生ける神の御子、救い主です」と告白し、信じない者にならないで、信じて、命のパンを得ましょう。

「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業です」

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

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