12月10日(日)礼拝説教全文

「主の光の中を歩もう」 イザヤ2:1~5

アドベント第二週を迎えます。私は毎年、クリスマスにテーマを設けて、アドベントからそのテーマに向かっていくメッセージを心掛けています。

昨年は「私達の間に住まわれる神」。一昨年は「降誕された(降りて来て下さった)イエス・キリスト」。三年前は「あなたを照らすまことの光」でした。イエス・キリストの誕生のクリスマスメッセージは変わりませんが、毎年毎年、世界情勢や私達の生活には変化があります。2023年に語られるクリスマスメッセージは何ですか、と主に問います。

今年、世界の、人々の最も大きな関心は何でしょうか。「平和」ではないでしょうか。私達は近年の歴史の中で、「世界大戦」を二度経験してきました。戦争がいかに愚かで、悲惨なものであるのかを学んできました。しかし、再び世界が大きな戦火に巻き込まれようとする兆しを感じています。古代や中世にも大きな戦争はありましたが、現代の戦争においては、世界を何回も滅ぼしてしまう規模の兵器が存在しています。ボタンひとつで黙示録にある終末の出来事が起こる時代に突入しています。

2022年2月24日、ロシアはウクライナに軍事侵攻を始めました。改革派・長老派の流れにありますカンバーランド長老教会は、同年3月7日に、ロシア連邦大統領ウラジーミル・プーチン宛てに「ロシアのウクライナへの軍事作戦に反対します」という抗議文を送っています。

その内容の一部を紹介します。「-前文省略- 今まで世界で起きた戦争の惨事を見つめるとき問題解決に武力を用いることは、民衆を巻き添えにし、難民を生みだし、女性や子ども、高齢者に至るまで大変な苦しみを与えたことは明らかなことです。また、このような状態が続けば、問題の解決どころか貴国に対する憎しみが増長され、争いは世界の至るところに飛び火することが予想されます。憎しみは憎しみの、暴力は暴力の連鎖しか生まず、平和は決して造り出せません。愛と平和の神が、貴殿に、武力によらない問題解決の道を探って行く知恵を与えてくださるように祈ります」とあります。

本日開いていますイザヤ書、又、旧約聖書のメシア預言の背景には、常にイスラエルの戦争の歴史があります。神の民イスラエルが約束の地を獲得してからは、周辺の国々、部族との戦争の連続です。又、世界史において、イエスの誕生、エルサレム陥落に至るまでには、アッシリア、バビロン、ペルシャ、ギリシャ、ローマと大国に支配を受け、捕囚、離散を経験しています。

イザヤ書1:1 「ユダとエルサレムについて見た幻」。預言者イザヤは、ウジヤ王(在位51年)、ヨタム王(16年)、アハズ王(16年)、ヒゼキヤ王(29年)、4代の王に仕えました(1:1)。BC750(ヨタム即位)~729(ヒゼキヤ即位)。同時代の預言者にミカがいますが、本日のイザヤ2:2~4の預言の言葉は、ミカ4:1~3にも同じく預言の言葉としてあります。

イザヤが活躍した時代は、イスラエルが北イスラエルと南王国ユダに分裂していた時代、又、ヒゼキヤが南王国ユダの王である時には、アッシリアによって北イスラエルが陥落・捕囚されています。

北イスラエルと南王国ユダは、同じアブラハムの民、兄弟姉妹でしたが、敵対の関係にありました。アハズ王の時代には、北イスラエルは他国と協力して南王国ユダに侵攻しようとした時もあります。その中で、クリスマスの季節に良く開かれるイザヤ書7章のインマヌエル預言があります。

北イスラエルがアッシリアによって陥落すると、ヒゼキヤ王が率いる南王国ユダの民は、「彼らは神である主に従わなかった故に滅ぼされた。私達は神である主に従う民である故に安全である」と言いました。ヒゼキヤの治世は主に従う王の時代ですが、このように北イスラエルを憐れまず罵った南王国ユダの次の王は、神に全く従わないマナセが即位します。マナセは歴代のイスラエルの王の中で最悪の王です。やがて、135年後には南王国ユダもバビロンによって陥落・捕囚されていきます。

繰り返し言いますが、旧約聖書にあるメシア預言は、イスラエルが戦争の只中にあって苦しみ、又、戦いに破れて苦しんでいる民に向かって語られています。

本日の聖書箇所、教会共同訳聖書の見出しは、「終わりの日の平和」です。

2節、3節には、イスラエルの復興・繁栄が預言されています。イスラエルの民の都エルサレムへの帰還が預言されています。この時、南王国ユダが滅んでいたわけではありません。しかし、イスラエルの復興・繁栄の預言は、近い未来、遠い未来、メシアの到来、世の終わりに至るまでの預言として受け止めることができます。「国々はこぞって川の流れのようにそこに向かい、多くの民は来て言う」とあります。この多くの民の中には、今、主のもとに集う私達も含まれています。「主がその道を私達に示して下さる。私たちはその道を歩もう」「教えはシオンから、主の言葉はエルサレムから出るからだ」

主の道、主の教えとは何でしょうか。主を、主の裁きを恐れ、平和を実現することではないでしょうか。

争いに明け暮れる国々を主が裁かれます。「主は国々の間を裁き、多くの民のために判決を下される」(:4)。

国々の戦争には、それぞれの大義名分があります。それぞれの正義のもとに戦争を正当化します。しかし、主が国々の間を裁かれます。主が判決を下されます。主の裁きは真実であり、ことごとく正しいものです(詩19:10)。誰も主の裁きに異を唱えることはできません。

私は、人を殺す戦争、大事なかけがえのない一つの命を奪う、弱者や小さな者の命を奪う、全ての自らの正義のもとに為(な)される戦争は、神の前に正しいと判決されることはないと思います。

なぜならば、私達の神である主は、「憐れみの神」「平和の君」だからです。

主の裁き・判決を受けて、復興と繁栄を受ける「彼らは」、「その剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直」します。

戦争の後には、死体の山と瓦礫しか残りません。剣と槍は人を殺す道具です。しかし、鋤と鎌は、大地に食糧となる農作物の実りをもたらす道具です。

全ての戦いの武器は、鋤に、鎌に打ち直される、というのです。

「国は国に向かって剣を上げず、もはや戦いを学ぶことはない」 主の言葉です。

ニューヨークの国連本部の広場に「イザヤの壁」というモニュメントがあります。そこにはイザヤ書2:4のこの主の言葉が記されています。世界は直ちに戦争を止め、平和を求めるという国連の宣言です。この言葉が、ウクライナとロシア、イスラエルとハマス、又、世界中の争いの絶えない国々の中に実現することを願ってやみません。かつてアハズ王のもとに、預言者イザヤが主によって遣わされたように、ネタニヤフ首相にこのイザヤ書の言葉が届くことを願ってやみません。

最後に、この神のお心を実現する者は誰でしょう。「ヤコブの家よ」と主は呼びかけられます。

「さあ、主の光の中を歩もう」(:5)


アッシジの聖フランシスコ 「平和を願う祈り」

主よ、わたしを平和の器とならせてください。

憎しみがあるところに愛を、争いがあるところに赦しを、

分裂があるところに一致を、疑いのあるところに信仰を、

誤りがあるところに真理を、絶望があるところに希望を、

闇あるところに光を、悲しみあるところに喜びを。

ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。

理解されるよりも理解する者に、愛されるよりも愛する者に。

それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、許すことによって赦され、

自分のからだをささげて死ぬことによって、とこしえの命を得ることができるからです。

アーメン

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

0コメント

  • 1000 / 1000