2024年1月1日(月・祝)元旦礼拝説教原稿
2024年 勝田台キリスト教会 元旦礼拝
「目標を目指してひたすらに走る(365日)」 フィリピ3:10~21
信仰の道を走るアスリートとして
イエスによる救いを手渡す。宣教、伝道は教会の最も大事な使命・働きのひとつです。しかし救いとは、信じて救われ洗礼を受けて終わりではなく、最後まで、信仰を固く握って、天国に入ること、栄光のからだを得ること。信仰ある生涯を最後まで走り抜くことです。
1、目指してひたすらに(ひたすら感、一生懸命感が伝わってくる内容) アスリートのストイックさ
パウロはこのように言っています。「どうにかして復活に達したい」(:11)「すでに得たのでも、完全にされているのでもない」(:12)「ただ捕らえようとして追求しているのです」(:12)「すでに捕らえたと考えていません。ただ、この一時に励んでいるのです」(:13)「前に向かって進み、目標を目指して一心に走っているのです」(:14)。この目標を達成する為に何とかして…(脇目も振らず)
パウロは信仰の生涯をしばしば競技にたとえています(オリンピック発祥の地アテネ)。アスリート達は、ただただ目標に向かって今を一生懸命に取り組みます。第一コリント9:24~27 *マラソンランナー。長距離走者。燃え尽きないように。大事なのは完走。スタミナが必要。
目標に向かって今取り組むべき事。先にあるものが現在をひっぱっていくそんな生き方があります。未来の希望が、今の私達を牽引していきます。 *うさぎとかめのたとえ 受験日に備える受験生
アスリートの意味 運動選手。スポーツマン。特に、陸上・水泳・球技などの競技選手をいう。競技を目指し、自分が一生懸命献身的に努力をして、その中で自分自身を磨いていくという意味を含んでいます。
2、目標とは何か
パウロは何に達したいと(:11)、得ようと(:12)、捕らえようと(:12)、務め(:12)、なすべきことはただ一つ(:13)、ひたすらに走った(:14)のでしょうか。うしろのものを忘れ、ひたむきに前のもの、何に向かって進んだのでしょうか。
その目標とは、死者の復活(:11)、神の賞(:14)、栄光のからだ(:21)。キリストを得(:8)、キリストの真実による義(:9)。それは永遠の、色あせない朽ちない冠、神の賞与です。地上で得た朽ちゆくものは何一つ持っていけません。
3、完走させる力の根拠
私たちはこの競技をいかにして走り抜くことができるのでしょうか。数々の困難・試練、そして世の誘惑が私達に失望を与え、疑いを起こさせ、確信を揺るがせ、迷いを与えます。いくつもの障害を乗り越えていかなければなりません。私たちはいかにこの細い道、狭い門のゴールテープを切ることができるのでしょうか。走り抜くための根拠、それは「自分がキリスト・イエスによって捕らえられているからです」(:12)。キリストが万物をご自身に従わせることのできる御力によって(:21)私をとらえていて下さるからです。神を捕らえているというものの信仰は弱いです。神に捕われているというものの信仰は強いのです。
*猫の子信仰(猿の子信仰)
パウロは「私を見倣う者となって下さい。わたしたちを手本としてあゆんでいる人たちに目を留めてください(:20)」と言っています。私達は信仰に歩んだ多くの聖徒達に囲まれています。聖書においても、歴史においても、周りのキリスト者においても。先達者は皆、信仰の旅路を歩み抜き、神の用意された天国に、天の故郷に凱旋しました。わたしたちの国籍は実に天にあります。
今、私達は待ち望みます。キリストの来臨(:20)と栄化(:21)を。
私は何人もの信仰者の葬儀を行ってきました。
世の葬儀では生前何を成し遂げたが語られるかも知れません。しかし、今ここに、私達キリスト者の生涯が、「彼は信仰の旅路を最後まで走りきった」と総括して(葬儀の際)そのように語れるものでありたいと願います。
第二テモテ4:7~8
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